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  • 大晦日

    令和6年もいよいよ今日かぎりとなりました。先日紹介していたしめ飾りを当ブログ主流と娘流で先日仕上げてそれぞれの玄関に飾った。※当ブログは老化防止のために記しているぶらり見たままのブログですが、今年も多くの方々にご来訪閲覧して頂き大いに励みとなりました。来年も老体鞭打って更新を続けたいと思いますのでお暇な時にご来訪ください。大晦日

  • さようなら辰・竜・龍年

    龍虎大頭神社境内社の注連縄瀬戸の滝立岩ダム白髭神社大蛇辰年(竜・龍)も明日限りとなりました。今までに市域でみかけた龍に関する画像を紹介しよう。龍虎の蔵飾り、大頭神社境内社でみた龍型の注連縄、吉和地区にある咬龍の滝と言われる瀬戸の滝、龍神湖と言われる立岩ダム。隠岐の白髭神社では大蛇と言われる藁蛇が龍頭に見えた。さようなら辰・竜・龍年

  • さようなら辰・竜・龍年

    辰年(竜・龍)ももうすぐ終わり、辰年も本日を含めて3日となりました。今までに市域でみかけた龍文様の蔵飾りを紹介しよう。このなかには残念ながら消滅したものもあります。通常このような漆喰細工は鏝絵と称されているが、当ブログ主は蔵飾りと称しています。さようなら辰・竜・龍年

  • 椎茸栽培用のホダ木伐採

    椎茸栽培用のホダ木は年数が経つと腐食や白アリに喰われて廃棄するので補充は欠かせないのである。(下画像は数年前に植菌したもの)一昨日助っ人と椎茸栽培用にドングリの木(クヌギか)を伐採した。春頃に植菌して2年後くらいに椎茸が生えてくるようになるのである。椎茸栽培用のホダ木伐採

  • 銘酒「正宗」の謎

    昨日紹介した陶磁器酒樽には丸亀支店「正宗」とあり、中画像の酒ラベルには丸亀酒場「正宗」YYANAKIMASAMUNEとある。下画像の陶磁器酒樽には宮城商店「正宗」とある。家納喜酒造の前身は、明治34年(1901)に丸亀小六が酒造業を始めており、大正7年(1918)に合資会社丸亀商店を設立しているがいつの時代の銘酒なのだろうか。銘酒「正宗」の謎

  • 丸亀支店「正宗」の陶磁器酒樽が!!

    ウォーキング途中に丸亀支店「正宗」とある陶磁器酒樽があったことを以前に紹介したが、小川に落ちて上部が壊れ後ろ向きに置いてあった。この陶磁器酒樽はかつて廿日市の銘酒であった家納喜の前身時代のものとみられるが詳しいことは定かでない。丸亀支店「正宗」の陶磁器酒樽が!!

  • しめ飾りづくり

    昨日紹介したしめ飾りは「はつかいち」ぶらり流の作り方で若い者には・・・娘から上画像のようなしめ縄の輪っかを作るよう頼まれた。下画像は今年正月に飾っていたしめ飾りで、若者好みのしめ飾りを作るようである。しめ飾りづくり

  • しめ飾りづくり

    我が家の玄関に架けるしめ飾りを作った。上画像のように3つのパーツを作り上側2つの藁束を2等分して捩じりながら綯っていく。下側のパーツは真ん中で折り曲げ適当な長さに切る。綯ったパーツの大きいものを輪がたにし小さなものは2重輪型にして画像のように先端部を切り取る。これら3つのパーツを組み合わせて縛り上げてウラジロ、ダイダイ、センリョウなどを取り付けて完成である。29日に仕上げる予定でほぼ下画像のようになる。しめ飾りづくり

  • 河野原大歳神社の注連縄奉納

    難病と付き合いながら今年も元気であった証として注連縄を大歳神社の本殿と拝所に架けて奉納した。今年は藁不足で拝所の注連縄は短めとなり仕上がりも良くなかった。平成22年(2010)に作り始めたがいつまで続くやら・・・河野原大歳神社の注連縄奉納

  • 河野原大歳神社の注連縄づくり

    今年も元気であった証として例年通り河野原大歳神社の本殿と拝所の注連縄づくりを行った。従来あった拝殿は老朽化のために撤去され仮設的な拝所が設けられたのである。拝所の注連縄は通常みかける注連縄とは変わったものを今年も作ってみたが仕上がりが良くなかった。河野原大歳神社の注連縄づくり

  • 平良丘陵開発の今

    宮島サービスエリアの展望所よりみた平良丘陵開発の現在で、久しぶりに訪れてみたが商業用用地となる大きな用地が築造されていた。以前クレーター状の大きな穴があっが小さくなっており、以前にはこの付近は深い谷があったところだったのである。平良丘陵開発の今

  • 平良丘陵開発の今

    五庵山の東麓からみた平良丘陵開発の現在で、久しぶりに訪れた見たが商業用用地となる大きな法面が築造されていた。上画像の高い山が中世の星ケ城跡で右側の少し低く見える山に極楽寺がある。平良丘陵開発の今

  • 巨大なあやとり

    吉野山の高圧線鉄塔の高圧線の張替えの準備作業のために両側にある鉄塔上部に登って寒空の中作業をされていた。上画像では見えにくいが高圧線か作業用のワイヤーなのかは不明であるが垂れたものや斜めになったものなど一見すると「あやとり」に見えた。巨大なあやとり

  • 旧陸軍被服支廠の耐震化工事

    広島市南区にある旧陸軍被服支廠を保存活用するために耐震化工事が始まったとテレビ報道がされていた。昭和4年(1929)の大広島市街地図をみると比治山公園南側の宇品線沿いに被服支廠の広大な用地が見られ、現在4棟の被服支廠の煉瓦建物が残されている。内部画像など2001年に広島県建築士会が行った見学会に参加して撮影したものである。旧陸軍被服支廠の耐震化工事

  • 蓮教寺の大ソテツ

    天神山の下にある蓮教寺本堂前に植えられている大ソテツは元津和野藩船屋敷にあったもので、旧津和野藩士であった田原小左衛門の寄付により移植されたものである。このソテツは県下5番目の大きさのようであり、市の天然記念物に指定されている。蓮教寺の大ソテツ

  • 廿日市四辻の胡堂跡

    廿日市市市民センターに隣接した旧国道と県道廿日市停車場線の四辻にかつて胡堂が祀られていた。(廿日市絵図赤丸ケ所)大正期には新港町に移設されていたようであるが、昭和期に天満神社境内に移され11月20日が祭日として祀られている。中世佐西浦の集落では度々市立てが行われていたが、集落中心に祀られていた胡堂の御開帳のある20日の市には信仰心の熱い近郊近在の人々が集まり、廿日の市が著名となって地名として定着したものと思われるのである。(廿日市の地名)廿日市四辻の胡堂跡

  • 廿日市本陣跡地

    上画像は天神山からみた昨日紹介の中央市民センター東隣の地で、赤線の範囲に江戸期鋳物師で庄屋をしていた山田氏が経営していた廿日市本陣があった。廿日市本陣の間取り図が残されていたので、このような建物があったのではと立体復元間取り図と姿図をはるか昔に作図したものである。廿日市本陣跡地

  • 廿日市市中央市民センター

    元佐伯郡役所元中央公民館上画像は天神山のすぐ下に見える中央市民センターで、この地にはかつて西洋建築を模した擬洋風建築の佐伯郡役所があった。しかし昭和47年(1972)に中央公民館の建築のために取り壊されたのである。その後中央市民センターが建築されて2階に郡役所の看板と模型が展示されている。(佐伯郡役所建築について)廿日市市中央市民センター

  • 天神山から平良方面遠望

    天神山から平良方面の遠望で、ざっと右端の緑屋根が見える付近から左側の高いマンションより向こう側が平良地区になる。宮内地区と界する長尾根の名残りの山がマンション横にみられ、長尾根部分は陽光台団地となっている。画像中央を西広島バイパスの廿日市高架橋が横切っている。右側の高い山が野貝原山で右端に泉水峠の林道工事ケ所がかすかにみられる。天神山から平良方面遠望

  • 吉野山の高圧線鉄塔工事の今

    吉野山に高圧線鉄塔が建っていたことを先日紹介したが、上画像の山上の低い鉄塔から高い鉄塔に高圧線を架け替える準備作業が行われているようである。画像では分かりにくいが鉄塔の上に人影がみられ架け替え準備作業が行われているようである。吉野山の高圧線鉄塔工事の今

  • 厳島神社左右楽房の屋根

    厳島神社平舞台前にある左右楽房の屋根は上画像のように直線的になっている。ところが江戸期の芸州厳島名所図会の絵図には中画像のように神社社殿と同じように曲線的な屋根となっており、明治期の絵葉書でも曲線的な屋根となっている。(下画像)明治後期の台風被害により再建の際に直線的な屋根に改変されたようである。その後何度か台風被害により再建されたが何故か江戸期の姿に戻されていないのである。厳島神社左右楽房の屋根

  • 市道堂垣内広池山線工事の今

    市道堂垣内広池山線の工事で可愛川に架かる橋梁の橋台工事で東側の工事完了については以前に紹介したが、現在西側の橋台工事が行われている。看板表示によると今年度末までの工事のようである。市道堂垣内広池山線工事の今

  • 吉野山の高圧線鉄塔

    以前に吉野山にある高圧線鉄塔が建て替えられる準備作業が行われていることを紹介していたが、足首を痛めウォーキングが出来なくなってこの工事のことは忘れていた。ところが我が家からも見える所にもう高い鉄塔が立てられていたのである。順次上に向かって区組み立て工事が行われていたのに全く気が付かなかったのである。ウォーキングで順次見ていなくなると・・・吉野山の高圧線鉄塔

  • 速谷神社しめ縄奉納

    先日来紹介していた速谷神社の大しめ縄など8本のしめ縄の飾り房を昨日取り付け終わって、拝殿前に大しめ縄を架け奉納を済ませた。その他のしめ縄は後日架けられるようである。速谷神社しめ縄奉納

  • レゾナンス宮島跡地が!

    一昨日の新聞報道で宮島口の西にある元広銀の保養施設「レゾナンス宮島」の跡地に高級ホテル「ヒルトン」が新築開業されるようである。遥か昔のレゾナンス宮島時代には関係者のお世話で何度か利用したことがある。宮島を借景とした素晴しい庭園があり、庭園の一角には木造の数奇屋風の建物があり「碧庵」と扁額が掲げてある茶室がある。(画像は2008年撮影)レゾナンス宮島跡地が!

  • 速谷神社の大注連縄変遷

    速谷神社拝殿に架ける注連縄が細く貧弱であったので、平成25年(2013)に大頭神社の大注連縄づくりにOLD俱楽部有志が参加させて頂き作り方を習得して、翌年から大注連縄を作り始めた。今年11回目の大注連縄が出来たが有力な習得者が欠けていき後継者が育ってこないので先行きが・・・速谷神社の大注連縄変遷

  • 二重原八幡神社の随身像が!!

    二重原地区に祀られている八幡神社を久しぶりに参詣したら幣殿両脇に祀られている随身さんの格子が破られて随身像がバラバラになっていた。人為的にされたものとは思われずバラけた随身像を見ると内部に蜂の巣があったので熊の仕業とみられるのである。二重原八幡神社の随身像が!!

  • 注連縄づくり ②

    昨日紹介した大注連縄のコモ編み3枚が終わって、芯材を新しく編んだコモで包み込み捩じりながら綯っていくのが難しい作業である。拝殿と斎館、儀式殿、注連柱、境内社など大小8本の注連縄が出来上がった。後日、飾り房など最後の仕上げを行う予定である。注連縄づくり②

  • 注連縄づくり ①

    新年に向けて速谷神社に奉納する注連縄づくりの準備作業がOld俱楽部の有志達で始まり、まず大注連縄のコモ編みから取り掛かった。コモ編み機のことをコモカセ、コモガセ、イテセニ(アイヌ集落)などと呼ばれていたようで、紐巻のことをツヅラコ、コマ、カチコ、ツロロ、ツツロ、ツツラ、ツツラコ、ツチノコ、ピッ(アイヌ集落)などと各地方で呼称されていたようである。注連縄づくり①

  • 速谷神社の紅葉

    昨日の速谷神社境内のモミジやイチョウは綺麗に紅葉しており見頃であった。月初めの日曜日で参詣者の人や紅葉見物の人達が多く見られた。また、正月に向けて奉納する注連縄づくりの作業も始まった。速谷神社の紅葉

  • 各地の厳島神社㊳-樋口の厳島神社

    島根県吉賀町樋口地区に祀られている厳島神社で当初は滝壺というところに祀られていたようである。明治期に現在地に造営され樋口地区にあった速田明神などの小社7社が合祀されたようである。各地の厳島神社㊳-樋口の厳島神社

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