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  • 遊びの菜園―桜島大根・切葉松本地大根の今

    今月22日に種蒔きした廿日市20代目桜島大根と廿日市10代目切葉松本地大根の双葉が出てきたので、もう少ししてから間引き最終的には5株位にして育てる予定である。桜島大根は鹿児島旅行した際に切葉松本地大根は信州旅行した際に種を購入して育てその種を毎年採っているもので、食もせず手間暇かけてこの地でどのように育っていくのか見るだけ・・・まさに遊びの菜園である。遊びの菜園―桜島大根・切葉松本地大根の今

  • 路傍の花―デュランタ・アルバルコウ

    宮島線線路わきに上画像のような見たことがないような花が咲いていた。Googleレンズで検索すると熱帯性花木のデュランタのようであり、観賞用に植えられたものであろうか。下画像の花はウォーキング途中でみかけた小さな花で、Googleレンズで検索するとアルバルコウのようである。路傍の花―デュランタ・アルバルコウ

  • 広電宮島線のマクラギ

    広電宮島線のマクラギで地御前駅から地御前神社前の間ではPCマクラギの間に木製のマクラギが1~3本設けられているところがあり、従来の木製マクラギが連続して設けられているところもあった。広電宮島線のマクラギ

  • 宮島SAから広島湾遠望

    早朝ウォーキングで宮島サービスエリア展望所に行き広島湾を遠望。手前は平良丘陵開発用地で、左側山向こうには五日市港の自動車運搬船がみえる。その先斜め線上には津久根島から安芸の小富士(似島)、灰ケ峰がみられる。中央島影のくびれた先には四国の石鎚山系の山並みがうっすらとみられる。宮島SAから広島湾遠望

  • 広電宮島線の架線電柱

    広電宮島線の架線用電柱はコンクリートポールとなっているが、所々に以前からのレトロな鉄骨柱が残されている。地御前駅から地御前神社前の間に数か所みられ、路面電車開設当時に使用していた段付きレール(ステップレール)を利用して組立てた柱やI型鋼の柱などがみられる。広電宮島線の架線電柱

  • 絵図中の地御前神社釈迦堂

    昨日紹介した関連で、厳島図会などの絵図にみられる地御前神社の釈迦堂は現在の地御前小学校の地にあった。(赤丸ケ所)明治18年(1885)に地御前小学校設置のために旧国道と山陽本線の間の現在地に移転されたようである。(釈迦如来坐像画像―廿日市の仏像より)絵図中の地御前神社釈迦堂

  • 絵図中の地御前神社鐘楼

    昨日紹介した、かつて地御前神社にあった梵鐘が架けられていた鐘楼(鐘撞堂)が厳島図会などの絵図にみられる。(赤丸ケ所)厳島図会には鐘楼「古鐘は天文年間大内義隆の寄付なりしが、宝暦年中囘禄に罹れり」とある。かつての鐘楼は現在の地御前小学校付近にあったものとみられる。絵図中の地御前神社鐘楼

  • 廿日市鋳物師の鋳造作品⑩-西光寺の梵鐘

    福山市沼隈町にある西光寺の梵鐘は天文13年(1544)6月29日に地御前神社の梵鐘として大内義隆・佐伯景教が施主で大工直家が鋳造したものである。江戸期の地誌によると宝暦年中に地御前神社が焼失し、その後この梵鐘は四日市村(東広島市西条町)の真光寺にあったようである。看板表示によると幕末の梵鐘供出で流転していたものを明治中頃に当寺に求められたようである。大工の直家は他の鋳造作品などから類推すると久枝直家とみられるのである。廿日市鋳物師の鋳造作品⑩-西光寺の梵鐘

  • 俵もみの歌

    秋祭りには子供会で俵もみをするようで俵もみの歌の練習が始まった。当地方で先人たちが伝えてきた歌を伝承しているのである。俵神輿を上げる前に花を頂いた方々にお礼の所望と木遣り口上、俵神輿を担いで練り歩くく時の流し歌などなどを練習している。俵もみの歌

  • 廿日市鋳物師の鋳造作品⑨-湯の山神社の釣燈籠

    佐伯区湯来町の湯の山温泉の後方に祀られている湯の山神社の本殿に吊り下げられている釣燈籠で、刻銘によると寛延3年(1750)5月に廿日市山田氏が鋳造している。吉長公御代記によると藩主浅野吉長が水内湯明神鉄燈籠の寄進について廿日市鋳物師の平左衛門に褒美銀が下賜されているので、山田平左衛門貞幹が鋳造したものとみられるのである。※平成18年(2006)6月22日に当ブログを開設してから本日で6666日目となりました。多くの方々の御来訪に支えられながらこれまで継続することができ、これからもできる限り更新していきますのでどうぞ宜敷くお願い致します。同じ数字が並んでなんだか今日は良いことがありそうだ・・・廿日市鋳物師の鋳造作品⑨-湯の山神社の釣燈籠

  • 彼岸花が夏バテ !!

    彼岸に入ったけれど例年ならウォーキング途中の田んぼの脇に上画像のように彼岸花が群生している。しかし今年は長引く酷暑の影響なのだろうか下画像のように数本しか咲いていないのである。彼岸花が夏バテ!!

  • シベリアイタチか ?

    田んぼの脇でチョロチョロする小動物がおり、画像を撮ることが出来たのでGoogleレンズで検索してみるとシベリアイタチのようである。今年もスイカはことごとく食われてしまい一口も口にすることが出来なかった。アナグマやシベリアイタチにやられたようだ。シベリアイタチか?

  • 路傍の花―キカラスウリ

    早朝ウォーキング途中で今まで気が付かなかったが、道端に見たことがないような花が咲いていた。Googleレンズで検索するとキカラスウリの花のようであり、実がなるようなので気を付けてみていこう。路傍の花―キカラスウリ

  • 復興中の熊本城

    熊本地震で壊滅的な被害を受けた熊本城では各所で復興に向けての復旧工事が行われていた。現在は復旧工事に支障のないところに見物用の通路が設けられており、復旧が終わっている天守閣に汗だくで登った。天守閣の下層には巨大なブレースが設けられており最上階は新しく築造されたようであった。復興中の熊本城

  • 豊肥本線―阿蘇駅

    休憩で道の駅阿蘇に寄ったので隣接する豊肥本線の阿蘇駅に向かった。駅前ロータリーには黄金色の不思議な像があった。ウソップ像というようで詳しくはネット検索してみてください。丁度ホームには宮地発肥後大津行きの列車が入ってきた。前日通った道沿いには豊肥本線のスイッチバックがあったようだ。豊肥本線―阿蘇駅

  • 阿蘇中岳火口

    阿蘇中岳火口を訪れたのは何十年ぶりであろうか。現在はシャトルバスで火口まで訪れるのであるが以前はロープウェイで登っていた。阿蘇山ロープウェイ仮事務所と表示された建物があった。ロープウェイがあった名残りが表示として残されていた。阿蘇中岳火口

  • サントリー(天然水のビール工場)熊本・阿蘇

    先日、サントリーの熊本・阿蘇ビール工場を見物したことを紹介したが、当工場は阿蘇山からの天然水を使用して製造されており、天然水のビール工場と称されている。工場内はオートメ化されており、作業をする人影は一部でみられるのみであった。ビールには関係ないがサントリーの前身である寿屋時代のTORYSの空瓶が物入の中にあった。(下画像)サントリー(天然水のビール工場)熊本・阿蘇

  • 抹茶碗で一服④-備前焼

    若い頃に岡山方面を巡り備前焼の窯元を訪れた時に記念に求めたもので、この茶碗は備前焼窯元興楽園14代木村友敬の作品である。備前焼関連で先日由迦神社の鳥居と狛犬を紹介した。抹茶碗で一服④-備前焼

  • 熊本方面旅行

    昨日は地域のお世話をしている人達とサントリー熊本工場を見物した。当方は飲めないので試飲はノンアルコールを・・・慣れないタブレットより更新熊本方面旅行

  • 林道玖島川末線開設工事の遠望

    原地区の川末側と泉水峠側から林道工事が行われていることは以前にも紹介したが、山中の工事であり進捗状況は定かでなく現在の遠望画像である。県道294号虫道廿日市線の険道区間が林道として建設整備されているようである。林道玖島川末線開設工事の遠望

  • 抹茶碗で一服③-上野焼

    若い頃に北九州の窯元を訪れた時に記念に求めたもので、福岡県田川郡赤池町(現福智町)上野皿山にある上野焼は遠州七窯の一と言われ三窯元を巡ったように記憶している。この茶碗は高鶴窯の高鶴夏山の作品である。抹茶碗で一服③-上野焼

  • 移設保存されている蔵飾り

    公共工事に伴って取り壊された土蔵に設けられていた龍と弁財天が表されている蔵飾りで、取り壊しの際に蔵飾り部分を切り取っておられた。他の場所に新築された物置の妻壁面にこの蔵飾りが復元設置され彩色も施されている。通常鏝絵と称されているが当ブログ主は蔵に設けられているものは蔵飾りと称している。移設保存されている蔵飾り

  • 各地の厳島神社㉛-宇佐神社境内社の厳島神社

    岩国市錦町宇佐にある宇佐神社本殿脇に祀られている境内社で厳島大明神夏焼社と表示してある。江戸期の地誌によると夏焼地区に中御前社がみられ、祭神は市杵島姫命、祭日が6月17日とある。明治期に中御前社と他二社とが合祀し夏焼社と改号し、いつの時代かに境内社として祀られ厳島大明神夏焼社と称されるようになったようである。各地の厳島神社㉛-宇佐神社境内社の厳島神社

  • 廿日市鋳物師の鋳造作品⑧-国前寺の梵鐘

    廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。広島市東区山根町にある国前寺の鐘楼に架けられている梵鐘で、刻銘によると元禄7年(1694)に山田治右エ門が鋳造している。この梵鐘も喚鐘と同じ山田貞栄が鋳造している。この梵鐘は鐘楼内に架けられており常時見ることが出来ない。画像は見学会が催された時のものである。廿日市鋳物師の鋳造作品⑧-国前寺の梵鐘

  • 遊びの菜園―陸稲の今

    田んぼの稲は穂が実りつつあるが、畑に植えた陸稲と陸植え2代目黒米の現在である。陸稲の背丈は低いが穂が出つつある。上画像の左側の陸植え2代目黒米は背丈も低く稲穂は出ないかもしれない。黒米は水田に植えるものだ。遊びの菜園―陸稲の今

  • 平良丘陵開発の今

    早朝ウォーキングで宮島サービスエリアに行き平良丘陵開発地を遠望すると、以前に仮設建物のようなものが築造されていると紹介したことがある。仮設の足場状の所にディスプレイが設置されており何かの画像が放映されていた。早朝の用地内で誰もいないところで(?_?)平良丘陵開発の今

  • 廿日市鋳物師の鋳造作品⑦-国前寺の喚鐘

    廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。広島市東区山根町にある国前寺の庫裡に架けられている喚鐘で、刻銘によると元禄7年(1694)に山田治右衛門藤原貞栄が鋳造している。この喚鐘は庫裡内に架けられており常時見ることが出来ない。画像は見学会が催された時のものである。廿日市鋳物師の鋳造作品⑦-国前寺の喚鐘

  • 吉野山の鉄塔移設工事の今

    吉野山に設置されている中電の高圧線鉄塔(画像向こう側)が移設されることを以前に紹介したが、現在画像の手前側に見える掘削機があるところで基礎工事がおこなわれているものとみられる。吉野山の鉄塔移設工事の今

  • 廿日市鋳物師の鋳造作品⑥-生見の鉄燈籠

    廿日市で中世から江戸期に鋳造活動をしていた鋳物師の現存作品を紹介しよう。岩国市美和歴史民俗資料館に展示されている生見の鉄燈籠で、以前に訪れた時は美和町生見中村の覆屋の中に設置されておりその時に作図した。当時は鉄燈籠の腐食が激しかったが後に修復されて歴史民俗資料館に展示されるようになった。腐食が進んで鉄燈籠の鋳出銘文は見えないが、江戸期の地誌に「天文十五丙午八月吉日廿日市之住大工綱家」とあり、天文15年(1546)に廿日市鋳物師の久枝綱家が鋳造したことがわかる。(覆屋鉄燈籠画像―山口県文化財要録より)廿日市鋳物師の鋳造作品⑥-生見の鉄燈籠

  • 原低区配水池工事の今

    台風一過、早朝ウォーキング途中で原小学校プール脇の原低区配水池工事現場では配水タンクの設置工事中であった。また川末川に架かる下ケ原橋からここの場所までの道路にはアスファルトの切断がされていたので給水パイプの埋設工事が行われるのであろう。原低区配水池工事の今

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