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  • イチョウの黄葉

    ウォーキング途中、原小学校隣接の民俗芸能伝承館横にある昨日のイチョウの黄葉で、前日に紹介した大歳神社のように落葉はしていなかった。民俗芸能伝承館の場所にはかつて小学校の講堂があった所で学校用地に植えられていた銀杏の木のようである。イチョウの黄葉

  • イチョウの葉絨毯

    時折り紹介している上平良河野原地区にある大歳神社のイチョウの葉が昨日の風で落ちて境内から周辺にかけて綺麗な絨毯状になっていた。木についた黄葉画像と思ったが少し遅かったようである。イチョウの葉絨毯

  • 山鎮め習俗

    広原神社原神社佐古田神社先日紹介した大竹市の飛地である広原の広原神社・奥谷尻の原神社・後原地区の佐古田神社においては珍しい山鎮めの神事が行われている。悪霊を迎え神楽で囃しての鎮めの儀式で悪霊力を藁蛇に乗り移らせて神木などに巻き付けて鎮送するという神事が行われている。山鎮め習俗

  • 注連縄づくりの準備

    新年に向けて速谷神社に奉納する注連縄の準備が地域のOLD倶楽部有志により始まった。境内の神池周辺のモミジは綺麗に紅葉していた。注連縄づくりには稲藁の芯を使うためにアクタを取り除いて準備をする作業で、藁のくずをアクタと先輩たちは言っておられた。地方によると藁すぼといわれ藁の芯を藁しべというところもあるようである。注連縄づくりの準備

  • 道切り習俗③-後原

    ①②③④大竹市の飛地である後原地区は大野地域内山間部の中にある小さな集落であり、広原、奥谷尻地区とは少し変わった道切り習俗である。この地域では関札は御幣(佐古田神社で祈祷した御幣)で集落に通じる村境と井手口に関札を立てる習俗が行われている。①画像は北口に立てられた関札、②③④画像は井手名不明であるが井手口に立てられた関札である。道切り習俗③-後原

  • 道切り習俗②-奥谷尻

    大竹市の飛地である奥谷尻地区は大野地域内山間部の中にある小さな集落で、広原地区と同じように集落に通じる村境に悪霊や悪疫の侵入を防ぐため関札(原神社で祈祷した御札)を立てる習俗が行われている。①画像は北口に立てられた関札、②画像は南口に立てられた関札、③画像は東口に立てられた関札である。④画像は西口に立てられた関札であるが、以前は小瀬川の渡り口に立てられていたが県道の改修で現在は田んぼの脇に立てられるようになっていた。道切り習俗②-奥谷尻

  • 速谷神社の紅葉

    昨日は勤労感謝の日で、速谷神社ではその年の新穀を神前に供えて収穫に感謝する新嘗祭が斎行され、境内には七五三参りの子供さん連れの御家族が多く見られた。境内参道のモミジの紅葉やイチョウの葉がきれいに紅葉していた。速谷神社の紅葉

  • 道切り習俗①-広原

    ①②③大竹市の飛地である広原地区は大野地域内山間部の中にある小さな集落で、古くから集落に通じる村境に悪霊や悪疫の侵入を防ぐため関札(広原神社で祈祷した御札)を立てる習俗が行われている。①画像は北口に立てられた関札、②画像は南口に立てられた関札である。西口には現在猪侵入防止の金網が設置してあり近づくことができないので最近関札が立てられているのかは不明である。③画像は過去に訪れた時の画像である。道切り習俗①-広原

  • 倒木にキノコが ‼

    山林を歩いていると倒木にみたことが無いような茶色と白色のくそナバが生えていた。Googleレンズで検索してみたが茶色のキノコはシュタケ、ヒイロタケ、アケボノオシロイタケ、マスタケなどのどれであろうか。白色のキノコはシハイタケであろうか。⁉倒木にキノコが‼

  • 極楽寺山系遠望

    ウォーキング途中の原地区森宗から極楽寺山南麓を遠望。矢印のある高い山が中世の山城である星ケ城跡で広島湾、廿日市、五日市の平地部や石内筋が展望できる場所であり見張所的な城だったのであろうか。右側矢印ケ所は弥生中期から後期頃の高地性集落があったとみられている高尾山遺跡である。極楽寺山系遠望

  • ゴゴロ山

    平良地区と原地区の境にある標高156mの小山で、江戸期の原村の地誌に「ごごろ山」とある。戦前にゴゴロ山の西麓で弥生式壷形土器(下画像上側-廿日市の文化第1集)が出土したようであり、また、古くはゴゴロ山丘陵の先端であったと思われる田んぼで須恵器(下画像下側)が出土しているのである。ゴゴロ山

  • 瀬戸内遠望

    ウォーキング途中の原地区国実の県道294号虫道・廿日市線から瀬戸内方面を遠望。道路脇にあるイチョウが紅葉していた。県道の先にはゴゴロ山がみられその先には木材港南の広島ガスの丸いタンクがみられ、広島湾の先には安芸の小富士に似た江田島の大須山がみられる。瀬戸内遠望

  • 市道堂垣内広池山線工事の今

    平良丘陵開発用地に向かう市道堂垣内広池山線で可愛川に架かる橋梁の下部工事が行われており、看板表示によると現在場所打杭の工事が行われているようである。この工事個所より東側では一部分の道路整備が進んでいた。市道堂垣内広池山線工事の今

  • 令和5年米俵づくり

    今秋は比較的に好天に恵まれ秋の収穫が終わったので例年の如く米俵を作った。稲藁の芯を使うためにアクタを取り除いて準備をする。俵の胴体部のコモを編む機具(コモカセ・コモガセ)で、ヒモの上に藁をのせて紐を法則的に交差させ、藁の向きを交互にして必要目数まで順次編み上げていく。編みあがったコモを筒状に編み紐で結ぶ。コモの端部分を折り曲げて紐で亀の甲状に編み上げていく。片端部を編み上げて袋状になったコモの中に米袋を入れて新米を詰める。米を詰めてコモの上端を折り曲げて他端と同じように紐で亀の甲状に編み上げていく。胴部分の両端ケ所に横縄を二周回して男結びとする。2本の縦縄を十の字として端部の編み上げ端を通し、横縄部分で一回りして他端中央で飾り縄に紐で結び、横縄を中央部に回して男結びとする。突起の飾り縄部分に色紙を巻き水引...令和5年米俵づくり

  • 平良丘陵開発の今

    時折り平良丘陵開発予定地の山林が伐採されて一部掘削されている画像を紹介しているが、上画像は藤掛交差点付近からの遠望である。大きく掘削されている広池地区から右端の掘削されている間の山林も用地内であり伐採掘削されるのである。後方の高い山が星ケ城跡で右側が極楽寺のある山である。平良丘陵開発の今

  • 原地区送配水管拡張工事

    以前に原地区水道施設について紹介したが、先日ウォーキングしていると原地区の市道50第一路線でアスファルト路面がカッターで切断されていた。上平良地区小原のポンプ所の敷地から送配水管の敷設工事が行われるようである。原地区送配水管拡張工事

  • 芸陽醤油の銘柄看板が ‼

    ウォーキング途中の原地区橋本で芸陽醤油の創立以前に醤油醸造をしていた元西家の玄関脇に芸陽醤油の看板が置かれていた。この看板によるとかつて芸陽醤油では最上醤油という銘柄の醤油を醸造していたようであり、ここ西吉太郎商店で販売していたようである。芸陽醤油の銘柄看板が‼

  • 上下探訪-袖ウダツの町屋

    上下の町は銀山街道の中継地点で代官所が置かれた天領の地で栄えていたようであり、町並みでは袖ウダツを設けた町屋がみられた。上下町並みの袖ウダツは脇町でみられたような重厚なものでなく形状もほぼ同じようなものが設けられていた。上下探訪-袖ウダツの町屋

  • 上下探訪-翁座

    昭和2年(1927)に開場したという翁座は芝居小屋、劇場、映画館として使用され昭和35年(1960)に閉館されたようで、現在国登録有形文化財になっている。翁座の公演記録は残されていないようであるが、当市上平良出身の女剣劇の女王「不二洋子」が公演していたかも知れないのである。上下探訪-翁座

  • 今高野山-胡子神社

    今高野山の塔頭寺院である西福院跡に祀られている胡子神社であるが、以前は甲山の街中にあったものと思われる。8月の19日20日には甲山廿日えびす祭りが行われており、江戸期から続いている伝統的な祭りのようである。中世、廿日市の四辻にあった胡堂も御開帳がある廿日えびすの市立てが著名となって廿日市地名が出来たものと思われるのである。(廿日市地名について)今高野山-胡子神社

  • 今高野山

    一昨日、地域のOLD倶楽部の人達と世羅町の今高野山と上下町方面を訪れた。紅葉の名所今高野山は色づいたモミジもあったが紅葉には少し早かった。開基1200年と云われる今高野山の丹生神社と龍華寺を参詣し境内を散策した。今高野山

  • 山形探訪-ローカル新聞

    当ブログ主は訪れた地のローカル新聞を求めるようにしており、宿泊ホテルにて山形市の山形新聞と鶴岡市の荘内日報を頂戴した。山形新聞には蔵王山の雪と紅葉画像が大きく掲載されていたが、訪れた時は霧がかかって綺麗な画像は撮れなかった。当ブログ主宅の周辺では熊の目撃情報や糞痕跡などあったが、山形新聞にも小国町、飯豊町で、荘内日報にも酒田市、庄内町での目撃情報が掲載されていた。米沢市で発行されていた米沢新聞は2021年(令和3年)に廃刊されていた。山形探訪-ローカル新聞

  • 山形探訪-山形の民家

    道中のバス車中からは当地域では見られないような形状の薄鉄板葺(かつては茅葺)の民家が多くみられたが、動く車中からはうまく撮影することが出来なかった。上・中上画像は尾花沢市付近で、中下画像・下画像は米沢市付近で見かけた民家である。これらの民家には越屋根がみられ囲炉裏等の煙り出しの名残りであろうか。山形探訪-山形の民家

  • 山形探訪-防雪・防風柵

    広い荘内平野を走っていると主要な道路脇にみたことが無いような柵が延々と設けられていた。ガイドの説明によると当地は積雪が少なく風雪が激しいので設けられているようで、下画像は収納されている状態のようでもう少ししたら柵も防雪・防風対応整備されるのであろう。山形探訪-防雪・防風柵

  • 山形探訪-上山藩武家屋敷

    上山市のうえやま温泉に宿泊し出発前の寸暇を惜しみ近くの仲丁通り(武家屋敷通り)沿いの武家屋敷を外観見物した。4棟の茅葺屋根の武家屋敷が残されており3棟は居住されているようである。何れの屋敷も鉤型の曲屋でありこの地域独特の家屋構造なのだろうか。山形探訪-上山藩武家屋敷

  • 山形探訪-銀山温泉街

    尾花沢市にあるレトロな雰囲気の銀山温泉街を散策した。野辺沢(延沢)銀山が名前の由来のようで温泉街から銀山跡へと向かったが時間の関係で引き返した。温泉街には木造の旅館や商店が建ち並びレトロな雰囲気を醸し出しており、NHK連続テレビ小説『おしん』の舞台となったことで全国的にその名を知られることになって、多くの観光客が訪れるようになったようである。山形探訪-銀山温泉街

  • 山形探訪-熊野大社②

    昨日紹介した熊野大社の境内には沢山の境内社が祀られているがその中に小さな祠の厳島神社が祀られていた。別名は弁財天、祭神は市杵島姫命と表示してあったが、どのような経緯で祀られたのかは定かでない。山形探訪-熊野大社②

  • 山形探訪-熊野大社

    和歌山県の熊野三山、長野県の熊野皇大神宮とともに日本三熊野の一つといわれる南陽市の熊野大社を参詣した。東北の伊勢とも言われ、明治期以前は熊野山證誠寺ともいわれていたようである。拝殿は江戸期に建築されたようであり茅葺で千鳥破風、唐破風が設けられており、一昨日紹介した三神合祭殿と共に珍しいものである。今年は卯年であり本殿裏の三羽の兎彫刻を見つけようとしたが・・・山形探訪-熊野大社

  • 山形探訪-出羽三山神社③

    昨日紹介した蜂子皇子を祀った蜂子神社に隣接して厳島神社が祀られていた。看板表示によると祭神は宗像三神「多紀理比売神・市寸島比売神・多岐津比売神」と津速魂神と表示されていた。どのような経緯で祀られたのかは定かでない。月山遠望ではもう雪がみられ、羽黒山でも積雪が多いのであろうか厳島神社と蜂子神社の周囲には雪囲いの骨組みが設置されていた。※昨日、当ブログを開設してからトータル訪問者数160万UUの節目を迎えることができました。当ブログは老化防止のために見たままを記した万人受けするものではありませんが、多くの方々に御来訪して頂き大いに励みとなっております。可能な限り継続していきますので御来訪して頂きますようお願い致します。山形探訪-出羽三山神社③

  • 山形探訪-出羽三山神社②

    蜂子皇子は崇峻天皇の第三皇子として誕生したと伝えられ、月山・羽黒山・湯殿山の出羽三山の修験道開祖のようで境内には宮内庁管理の蜂子皇子墓所があり、また、蜂子皇子を祀った蜂子神社がある。(中画像の右側)先日画像紹介した由良の海岸は蜂子皇子が丹後国由良から海を北上して由良の海岸に上陸したという。山形探訪-出羽三山神社②

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