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管理人・渡り鳥です。 最近仕事で多忙を極め、ブログ更新がままならない状態となりました。そこでしばらく休止することとします。 スケート関連の歴史...
フィギュアスケートの始まりとジャクソン・ヘインズ(17世紀~19世紀)
さて、この記事から日本フィギュアスケートの歴史を書く。 まず日本国内の話に先立ち、海外のスケート史、世界フィギュアスケート選手権が設立するまでの歴史...
「第5回諏訪湖1周スケート大会」と「諏訪湖スケート会」の設立(1913年~1915年)
大正2年(1913年)2月、第5回諏訪湖1周スケート大会が開催された。 この大会も5回目ともなると全国的に知名度が上がり、エントリーした選手は200...
第2回~第4回諏訪湖1周スケート大会(1910年~1912年)
明治43年(1910年)2月、長野県諏訪にて第2回諏訪湖1周スケート大会が開催された。 この大会は、前回大会の覇者・小口卓襄による大会2連覇という結...
明治39年(1906年)、長野県下諏訪町の飾り職人河西準乃助が、下駄の底に鉄製の刃をつけた「カネヤマ式下駄スケート」を発明。この下駄スケートは、諏訪湖に来...
日本のスケートの発祥は幾つもの諸説があるが、実際に普及するきっかけを作ったのは新渡戸稲造である。 明治24年(1891年)、当時ジョンズ・ホプキンス...
「日本フィギュアスケートの歴史」と「日本スピードスケートの歴史」の開設
管理人の渡り鳥です。 今日から、日本のスピードスケートとフィギュアスケートの歴史を書きたいと思います。 「日本スキーの歴史」も約半分を書き上げ...
コルティナダンペッツォ五輪と猪谷千春の銀メダル獲得(1956年)
昭和31年(1956年)2月、イタリアのコルティナダンペッツォにて第7回冬季オリンピックが開催された。 日本選手団は1月9日、羽田空港からイタリアへ...
昭和29年(1954年)2月、フランスからピエール・ギヨーとアンリ・オレイエがスキー技術講習の為に来日した。 ギヨーは眼科医の傍らフランススキー連盟...
ノルディックスキー世界選手権とアルペンスキー世界選手権への初出場(1954年)
昭和29年(1954年)2月、スウェーデンにて第20回ノルディックスキー世界選手権と第14回アルペンスキー世界選手権が開催された。 この2つの大会と...
スキー用具の輸入と強化合宿と猪谷千春のアメリカ留学(1953年)
昭和27年、全日本スキー連盟では、オスロ五輪の結果を踏まえスキー用具の対策に乗り出した。 当時の日本選手に比べ、欧州の五輪代表選手のスキーは非常に性...
昭和27年(1952年)、ノルウェーのオスロで第6回冬季五輪が開催された。 それに先立つ昭和26年12月、日本選手団のスキー競技監督・小川勝次は、田...
全日本スキー連盟(SAJ)のFIS復帰とオスロ五輪代表選手の選出(1951年)
昭和26年(1951年)は全日本スキー連盟(SAJ)のFIS(国際スキー連盟)への復帰の年である。 連盟にとって、FIS復帰は長年の悲願だった。これ...
昭和25年(1950年)頃になると、日本の幾つかのスキー場にスキーリフトが登場してきた。 日本最初のスキーリフトは、昭和21年(1946年)秋に長野...
昭和24年(1949年)は暖冬の中でのスキー選手権となった。 1月、新潟県中越にて第22回全日本学生スキー選手権が開催。ノルディック競技は小千谷スキ...
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