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クニの部屋 −北武蔵の風土記− https://blog.goo.ne.jp/kuni-furutone118/

北武蔵を中心とした歴史を紹介。地方のあまり知られていない城や古墳などを発掘します。

高鳥邦仁
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埼玉県
出身
埼玉県
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2006/06/13

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  • 羽生で年越しそば

    志多見の「辻九」が閉店して初めて迎える大晦日。大切な場所を失ってしまったような、そんな喪失感を覚える。閉店を知った翌日には、厨房で働く夢さえ見た。「辻九」は高校時代のバイト先で、思い入れは深い。閉店は寂しい限りだが、いままでありがとうと、感謝の気持ちを伝えたい。昨夜、やや空腹感を覚える状態で睡眠薬を飲んだせいか、変に体がだるかった。気を抜くと落ち込みそうだったから、ロラゼパムを飲む。昨夜の余熱が残っている内に、『東京・埼玉の城郭』(新人物往来社)を読む。年末年始、人ごみを避けて閑散とした城館を訪ねるのが好きだった。それなのに、病気になってからというもの、羽が折れてしまった感がある。何か強い力で背中を押されないと動けない。ちょっとの力では思い付きで終わってしまう。妻から言わせると、自分は会心の一撃を狙ってい...羽生で年越しそば

  • 東京で知った「8番出口」

    『方舟』(夕木春央、講談社)と『つげ義春日記』(講談社文芸文庫)を読む。前者は、なるほどそんなどんでん返しがあるのかと唸らされる。後者は、そのタイトルの通り著名漫画家の日記。「つげ義春」という人物を情報として知っているから面白く読める。日記文学ついでに『紫式部日記』を紐解く。『つげ義春日記』とはまた別の味わい。(研究として読んでいるわけではないので、口語訳と原文を行ったり来たり)底本は、小学館の『日本古典文学全集』。「ちょっとしたことで後にふと思い出されることもあるし、そのときは「をかしきこと」と思っても忘れてしまうものもあるのはなぜだろう」という一文に共感する。息子が東京へ行きたいと言ったので、急遽首都高に乗る。日本橋→東京駅→GHQ本部→皇居→桜田門→警視庁→国会議事堂→各省庁→国立公文書館→勝鬨橋→...東京で知った「8番出口」

  • 子をつれて“いなほの湯”

    旧川里町(現鴻巣市)へ足を運ぶ。ここにはお気に入りの公園がある。公園といえども、人がほとんどいないのが気に入っている。車内でとめどないことを書きながら、『つげ義春日記』(講談社文芸文庫)と『正津勉詩集』(思潮社)を読む。つげ義春氏の日記には不安や苦悩が綴られているが、やはり華やかさもある。日記には正津詩人も登場する。2021年、正津先生は『つげ義春「ガロ」時代』(作品社)を上梓し、話題になった。両先生のように売れっ子ではない自分は、閑散とした場所で赤城おろしに吹かれているくらいがちょうどいい。12月のはじめ、下旬に一度打ち合わせをしましょうと言った版元からの連絡は結局なかった。年末年始にゲラの手直しができると期待したが、幻の仕事になりそうだ。「予定」が自然消滅することが続いている。徒労と疲労が濃くなりつつ...子をつれて“いなほの湯”

  • 古城天満宮と仕事納め

    仕事納めの日。机の上を少し片づける。昼は、上席から振舞われたそばをおいしくいただく。その後、古城天満宮まで散歩した。ばったりH部長と会い、天満宮に掲げられた幟旗について立ち話をする。部長は社会科の教員ということもあり、さすが目の付けどころが違う。拝殿の前で手を合わせ、この一年の報告と翌年の無事を祈念する。昨年の暮れは土器の欠片を拾った。縄文時代の土器片の可能性が高い。今年も何か見付からないか気になったが、探している時間はなく職場へ戻る。以前借りた考古学関係の研究報告書の返却に教育長室へ入る。秋本教育長は、いつも有益な資料をご教示くださる。さいたま文学館へ随行させていただいたことも二度ほど。本来僕のようなポンコツが足を踏み入れる場所ではないのだが、市長室をはじめ、教育長室に入って出たあとはいつも違う。何か一...古城天満宮と仕事納め

  • 昭和40年代の羽生から

    年明け早々に講師の仕事があり、その仕込みをする。昭和40年代の羽生の商店が載っている本を読み、パワポとレジュメを作る。当時は個人商店が多く、被服や布帛を扱っている店が多い。旅店も少なからずあり、現在とは別の勢いを感じる。朝の羽生駅を写した古写真には、改札口を出る多くの女性たちが写り、埼玉県内で言えば大宮駅の光景のようだ(ちょっと言いすぎかな)東北から北埼玉へ働きに出てきた若い人も多かったという。羽生の町中には2つの映画館があり、駅前にはボーリング場もあった。束の間の休息、娯楽施設で息抜きをした人も多かっただろう。インターネットもなかった時代。化粧品を買いに行くにも個人商店だったろうし、人と人との距離がいまより近かった。在宅勤務やテレワークといった勤務形態など、想像もしていなかったはず。冬休み中の子どもたち...昭和40年代の羽生から

  • 再開のラー活

    行田真名板から年輩の方が再び訪れ、同地域の歴史をまとめた資料をいただく。色々と調べられており、地元に伝わる口碑も取り上げている。他に類のないもので、ありがたく頂戴する。羽生のK君とラー活(ラーメン活動)を再開する。彼は来月から職場復帰するという。心療内科の病院のことで相談を受けたのは今年の春だった。通院、入院、復職プログラムと段階を経て、晴れて復帰。あんなに苦しそうなK君を見るのは初めてだったから、鴻巣で食べたつけ麺の味は一入だった。そんな彼は、休職中にジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』をクリア(読破)したという。「翻訳不可能」の枕詞が付きがちな『フィネガンズ・ウェイク』も、原語に当たっているらしい(同書は柳瀬尚紀氏の翻訳が出ている)。秋口に会ったときは、日本の古典文学を集中して読んでいた。神田古本まつ...再開のラー活

  • クリスマスイヴに古墳を訪ねる?

    クリスマスイヴということもあり、図書館へ行くのは自粛した。子らが仮面ライダーや戦隊ものを観ている間、本の世界に入り込む。二十代の頃、イヴ当日に群馬県の山城を訪れたことがある。思い付いて出掛けるには家族に迷惑がかかるので、山崎一氏の『群馬県古城塁址の研究』を開いて脳内旅行をする。ついで、上野国の国衆について論じた黒田基樹氏の論文を読み直す。興に乗ってきたところで、『史料綜覧』『大日本史料』『越佐史料』を拾い読む。数枚カードを書いてファイルに綴れば、旅の思い出ができたようなものだ。子2人を連れて真名板高山古墳へ行く。数日前、真名板から職場を訪ねてきた年輩者からある情報を貰った。その確認をしに行った。なぜだろう。行くならいましかない気がした。イヴに見る古墳もなかなか乙なものである。(振り返ったら、2018年にも...クリスマスイヴに古墳を訪ねる?

  • 気が重くなる原稿

    ウコンの威力のせいか、寝覚めはすっきりしていた。頭痛もせず、気持ち悪くもない。K部長に報告せねば。西の図書館へ行き、原稿を書く。前から考えていた案を下書きしてみた。が、題材が精神衛生上あまりよろしくない。思い出すたび気が重くなる。娘をスイミングスクールへ連れていく。年の瀬とはいえ、チビッ子でいっぱいだった。娘は背泳ぎを合格して級が上がったと嬉しそうだったので、帰りにショートケーキを買う。ささやかなお祝い。子が図書館へ行きたいと言い、地元の館へ連れていく。そういえば、今日は大河ドラマ「どうする家康」が再放送していた。終了を惜しむように『国史大系』収録の『徳川実紀』を拾い読みする。『大日本史料』に収められた三方ヶ原合戦関連史料を読む。(阿部寛氏扮する武田信玄がカッコよかったな)大久保忠隣は登場しなかったが、個...気が重くなる原稿

  • 熊本と明和のサンタ

    明和のTさんと赤ちょうちんへ飲みに行く。平日最後の金曜日とあって、どの店も人で溢れていた。夏に一度だけ、居酒屋で出会った熊本のSさんと偶然顔を合わせる。あのとき飲み代を全部払ってくれたSさんをサンタさんのようだと話したが、このクリスマスシーズンに再会するとは。Sさんの息子が大学に合格し(推薦入試だろう)、春から関東に住むらしい。喜ばしくもあり、寂しくもあると、前にSさんは話していた。複雑な父親心である。うちの息子はまだ小さいが、何となくわかる気がする。Sさんは九州男児ゆえ、そんな内面はおくびにも出していないのだろうが。目に見えないところで、蒔いた種が少しずつ春に向かっている。明和のTさんは酒が強い。大ジョッキを何杯も飲み干し、顔色も呂律も変わらずケロリとしている。Tさんの奥さんが、うちの子どもたちへお菓子...熊本と明和のサンタ

  • なぜ、ゆず湯に入るのか?

    午前は出勤し、午後は久喜の病院へ行く。忙しさを理由に、しばらく心療内科から遠ざかっていた。よくないと思いつつ、実際よくなかった。主治医のいない曜日だったが、せめて年を越せるだけのクスリを処方してもらう。年の瀬のせいか、病院は混んでいた。診察の待ち時間にカポーティの小説、薬局では斉藤孝氏のノート本を読む。ついで、書きためたメモの整理をする。病院は待っているだけで疲労感を覚える。薬局を出ると、ひどく体が重かった。銀行へ寄り、コンビニで濃いめのコーヒーを買う。カフェインで少し体力を回復。その勢いで県立図書館へ足を延ばした。病院と異なり、図書館に人はまばらだった。パソコン優先席に座り、短編を書き進める。「了」まで辿り着く。11月いっぱいで、まとまった作品を書き終えたばかりだ。なので、あまりカチッとしたものは書きた...なぜ、ゆず湯に入るのか?

  • 年の瀬の一人打ち上げ

    午後7時に東町公会堂で出前講座があった。テーマは「古城天満宮と羽生城」。これが今年最後の講師の仕事だろう。できるだけ公務として引き受けさせてもらっているから、午後7時スタートというのは珍しい。フレックスタイムを活用して、10時45分に出勤した。朝は旗当番で、通学するチビッ子たちを見送った。帰宅後、台所で昨日の原稿の続きを書く。30分前に家を出て、普段と異なる通勤路を辿る。風もなく穏やかに晴れていて、職場ではなかなか味わえぬのどかさを感じた。昼休みに小山清の「小さな町」を読む。この作家の親しみやすさは何なのだろう。読んでいて心地よい。ちなみに、小山清の作品に触れると、二十代のときに通っていた正津詩人のゼミを思い出す。ゼミは読書会で、テキストを読み込み、感想なり批評を一人ずつ述べていく形式だった。口下手の僕が...年の瀬の一人打ち上げ

  • 火曜から夜更かし

    書きかけの原稿の新しい視点が思い浮かび、帰宅後ポツリポツリ短編を書いていたら午前一時になっていた。しまった。週の後半ならともかく、まだ火曜日である。昔は寝不足でよく風邪を引いた。睡眠が不足すると免疫力が下がるのだろう。勤務先が東京だった頃、寝不足で乗る満員電車は地獄だった。不足と言えば、執筆に集中すると本を読む時間が削られる。これが結構ストレス。昼休みにカポーティの短編、仕事で『羽生町便覧』の必要箇所を読んだ。今日の読書はそれでおしまい。二十代の頃は、睡眠時間を削ってでも書いたり読んだりするべきと思っていた。若い時分にしかできないことだから。いまやらずしていつやるのか、という精神だった。三十代は無理しない程度にやるべきという考えに変わった。それでも多少の無理はきく年代で、まあ熱いうちに燃えていたかったのだ...火曜から夜更かし

  • 「辻九」の閉店

    週明けの会議はエネルギーを要する。しかも、会議が二つとなると、消費エネルギーも倍増かも。午後二時からの会議は観光関係のものだった。委員として出席したからいわば受身。午後七時からの会議は郷土芸能発表会の打ち合わせ。自分が主担当だから主催者側である。事務局側になると、日程調整やら資料作りやら会場作りやらと、何かと仕事が多い。一方で、委員として出席する会議は責任が重い。自分の考えもあれば、事務局側の意図もある。どちらが楽で、簡単というわけではない。ただ、受身で出席する会議は、議長の進行や、事務局の段取りが参考になる。会議が終わり、会場を出たのは午後八時頃だった。夕飯を食べに加須市志多見の「辻九」へ足を運ぶ。ところが、店は真っ暗。店の出入り口に貼り紙がされているのに気付き、スマホのライトをかざして読む。それは閉店...「辻九」の閉店

  • 「辻九」の閉店

    週明けの会議はエネルギーを要する。しかも、会議が二つとなると、消費エネルギーも倍増かも。午後二時からの会議は観光関係のものだった。委員として出席したからいわば受身。午後七時からの会議は郷土芸能発表会の打ち合わせ。自分が主担当だから主催者側である。事務局側になると、日程調整やら資料作りやら会場作りやらと、何かと仕事が多い。一方で、委員として出席する会議は責任が重い。自分の考えもあれば、事務局側の意図もある。どちらが楽で、簡単というわけではない。ただ、受身で出席する会議は、議長の進行や、事務局の段取りが参考になる。会議が終わり、会場を出たのは午後八時頃だった。夕飯を食べに加須市志多見の「辻九」へ足を運ぶ。ところが、店は真っ暗。店の出入り口に貼り紙がされているのに気付き、スマホのライトをかざして読む。それは閉店...「辻九」の閉店

  • 待てるか待てぬか

    川向こうの図書館へ行く。机はガラガラだった。昨日の短編の続きに取り掛かり、書き終える。夏に50枚近くの論文を書き、それを基にした小説を秋に100枚ほど書き終えた。それが陽の目を見るか、いまは「待ち」の時期。論文は分けて掲載してくれるらしいが、いかんせん電話で聞いただけだから、活字になるまでは兜の緒は緩めぬ方がよい。急いては事をし損ずる。せかしたところで結果は出ぬ。待てるか待てぬか。それが案外岐路となる、というのが持論。午後は家族で義父の墓参りへ行く。義父は僧侶だったが、ときどき大学で教鞭も執っていたという。抜刷の論文を読ませてもらったこともある。義父は義父なりの論文執筆法を持っていただろう。生きていれば聞いてみたかった。夜は大河ドラマ「どうする家康」の最終回を観る。息子も娘は途中で寝ると思ったのに、最後ま...待てるか待てぬか

  • 12月のアイスケーキ

    娘がつかまえてきたアマガエルの生餌を買った。生餌でないと食べぬものらしい。生餌を買うたび、生き物が生まれながらにして背負う罪を感じる。生餌を車内に残したまま、図書館へ流れ着く。運よく机が空いていたから、短編を書く。一区切りつけ、息子の誕生日ケーキを取りに旧鷲宮町のショッピングモールへ足を延ばした(誕生日は数日前の平日だった)。金曜ロードショーで流れるCMの影響か、ここ数年はアイスの誕生日ケーキである。個人的には生クリームケーキの方が好みだが、祝われる本人が食べたいというのだから仕方あるまい。ケーキついでに、書店でトールマン・カポティの初期短編小説を買う。クリスマスシーズンと短編を書いたせいだろう。12月のアイスケーキ

  • 日記のようなものを

    ブログの記事が書けない。他の原稿は書けるのに、ブログだけがしっくりこない。題材はある。が、書こうとするとどこからともなく虚しさが忍び寄ってくる。途端に気力を失う。ならば、日記のような文章を書き綴ろうか。気張らず、気の向くままに綴ってみたら何か見えてくるかな。また虚しさに筆が止まるかもしれない。どんな形にもなるかわからない。まあ、とりあえず、つれづれなるままに。日記のようなものを

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