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2005/08/02

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  • 「ちきゅうちゃん。」を読む

    いつか読み聞かせに取り上げたいと思っていた一冊。どんなタイミングがいいのか迷っていて、『海のおっちゃんになったぼく』が、「飼う」や「世話をする」と結びつくので、その流れでどうかなと思いついた。どちらも動物を飼うわけではなく、いわば「実は人間が世話になっている存在」と向き合うのがテーマだ。『ちきゅうちゃん。』(糸井重里・キューライス小学館)ある日、お父さんが持ち帰った「ちきゅうちゃん」。どんなふうに飼うのか迷いがあり、よく見ると様々な発見があり、誰からも好かれる存在。宇宙の知識がある子には喩えだと分かるし、まだわからない子は一つの物語として見るのだろう。深く考えれば環境問題につながっていく。解釈は聞き手の年代によって違う。絵は漫画的で親しみやすい。地球を擬人化(擬動物化?)しているわけだから、月や他の天体も...「ちきゅうちゃん。」を読む

  • また一人、彼岸へと…

    どんなジャンルであっても「本物」には触れたいと思い始めたのは、五十歳近くなってからだった。正直、遅きに失した。行動力の無さを嘆いても仕方ない。例えば先日『日本の芸能』で放送された、第十八世中村勘三郎の舞台も見逃した一つだ。同齢である思い入れもあり、つくづく残念だ。そしてまた一人旅立ち…。宮沢章夫が亡くなった。齢は違うが同年生まれである。十数年前からその独特のエッセイに惹かれて興味を持った。いつか演出した演劇を観たいと思っていたが…。チャンスはあったはずだ。しかし、この十数年は芸能といえば落語などが中心になり、情報収集もしなかったし、コロナも…これは言い訳にならない。宮沢の本を読んだ感想メモ(特に印象深いのは「茫然とする技術」「牛への道」など)を読み直すと、なんだか自分でも面白い。そして密かに名づけている「...また一人、彼岸へと…

  • 遠く「荒野」は見えているか

    著者の本は2冊読んでいた。常に真剣で真っ向勝負を挑む、そんなイメージがある。TV等で観た印象も混じっているのかもしれない。この文庫も書名や表紙写真が示すように、まさしくそんな一冊だ。「はじめに」の見出しとして書かれた下の一文が全てを表しているし、人生を賭けてそれを全うしている姿が熱い。読書とは「何が書かれている」ではなく「自分がどう感じるか」だ『読書という荒野』(見城徹幻冬舎文庫)著者は「自己検証」「自己嫌悪」「自己否定」の三つがなければ人間は進歩しないという信念を持ち、それを洗いざらい語っている。「僕は今でも、毎日のように自己嫌悪を繰り返している」と書き、他から見ると取るに足らない些末なエピソードを記している文章に感じ入った。「本物」しか相手にしない生き方である。「表現とは結局自己救済なのだから、自己救...遠く「荒野」は見えているか

  • 彼岸まで、ほぼ晴れ日記

    9月12日(月)休館日。館から借りてきた『いのちの停車場』を読み出す。映画化され本の帯に載っていると、俳優のイメージがついてしまうが少し違うような気がする。大相撲が始まり、毎日の楽しみが増える。取組後半は孫が帰ってくるので、なんとかTVを見続けるように工夫(笑)しなければいけない。今場所も波乱の予感。9月13日(火)金曜日に中学校のビブリオバトルを参観する予定で、紹介本一覧の連絡がある。今どきの選書だ。「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は映画で観て粗筋は知っていたが、改めて読み出したら止まらない。久々に文集詩作品をブログアップした。ところが年度間違いをするミス。退勤時刻近くなってからあわてて修正。理髪店へ向かう。9月14日(水)紹介文コンクール作品の一次審査を終了。審査会の段取りなどを確認する。「コスモスの日」という...彼岸まで、ほぼ晴れ日記

  • やや落ち着いて秋読書

    小説を続けて読むことは少ないが、珍しく2冊続けて目を通した。沁みる言葉が多かった。『いのちの停車場』(南杏子幻冬舎)昨年映画化されている。吉永小百合のイメージに合うのかどうか微妙だが、まあ佳作ではある。診療所の面々が行きつけにするSTATIONというバーのバーテンダー柳瀬の存在がピリッとしている、若い頃モンゴルを放浪していた経歴があり、医師やスタッフたちにかける言葉が味わい深い。現実には少なくなったなあ。一日を終えて飲む場にふさわしく、安堵感と希望をしみ込ませるような一言。例えば「明日のことは、明日案じよ…」という諺がある。そして、最も印象深いのは、苦しくてどうしようもない時どうするかという主人公が訊いたとき、発せられたモンゴルの格言…「思って行けば実現する、ゆっくり行けば到着する」『ナミヤ雑貨店の奇蹟』...やや落ち着いて秋読書

  • 秋乱れて、読書の無用

    知人のブログで紹介されていた『「賢い子」に育てる究極のコツ』(瀧靖之交響社)という本を、孫育て(笑)のために勉強しようと思って読んだら、図鑑と音楽の効用について書かれてあった。環境作りは爺の仕事と思っているので、三か月ぶりぐらいに隣市の中古書店へ出かける。しかし、お目当ての図鑑類は少ない。それでも動物や工作系を4冊ほど買い求めた。それから、これは自分で読みたいと思い手を出したのが、『雲の大研究』(岩槻秀明PHP研究所)。小学生用だろうが、よく雲を撮影する者として名前ぐらいは言えるようになりたい。「類」「種」「変種」「副変種」という4つの分類があることは、習った記憶がなく新鮮だ。いったい何種類の雲があるのかと見上げた土曜の空さて、残った時間で風呂場読書のための新書・文庫を漁りにいって、3冊購入する。岩波ジュ...秋乱れて、読書の無用

  • 名月や繰り言嗤ひ夜は更ける

    元首相の「国葬」についての話題が喧しい。様々な観点があるものだなと驚くほどだ。個人の死が個人の死に留まらず、それぞれの立場から「利用」されている現実を、故人を心から慕ってきた方々ならどう受け止めるのか。死を悼むとはどういう心情か。胸中に不純な要素が感じられたら、右も左も皆、同レベルだ。16億を「この程度」と言い放った某院長の発言を、小気味いいととらえる者もいた。庶民は「そんな金があったら」とつい考える。結局、弔意の示し方も金銭で測られるか。いや今の対立は「内心の自由」への危機だな。それにしても、この金銭感覚は、故人が明らかに浪費した政策等も「たかが」と思うのだろうなあ。NHK連続ドラマ「ちむどんどん」の酷さについては6月に書いたことがある。それがネット上で「反省会」と称して、批判などが展開され、逆に視聴率...名月や繰り言嗤ひ夜は更ける

  • その勇気も力も覚悟も…

    九月に入ってから読み始めた単行本二つ。手練れの作家ではあるが、正直どちらも少し頼りなさを感じた著書だなあ。『夏の騎士』(百田尚樹新潮社)本の帯には、百田版「スタンド・バイ・ミー」というフレーズが…。題名からしてそんなイメージだ。まあ「稀代のストーリーテラー」という評価は確かにあろうし、読ませ方は上手だ。ただし、百田小説にしては今回いささかダイナミズムに欠けるように思えた。著者はエピローグに、いわばこの話の核をこう記す。「勇気は決して天から舞い降りてきたものではない。幸運に恵まれて道端で拾ったものでもない。(略)人はみな勇気の種を持っている。それを大きな木に育てるのは、その人自身だ。そして勇気こそ、人生で最も大切なもののひとつだ。」確かにその通り…ただこの著者がこう語れば、なんとなくその「勇気」の使い方に方...その勇気も力も覚悟も…

  • 長月始まり日記

    9月1日(木)昨日は少し早めに退勤して4回目の予防接種。初モデルナであるが、注射した左腕が痛むだけで大丈夫のようだ。勤務日ではないので安静にしながら、『母の待つ里』を読了する。夕食に「生さんま」(北海道水揚げ)が登場したがこれが本当にスマートだ。秋の味覚とまでは言えない。ともあれ長月スタート、無事であれ。9月2日(金)午前中は小学校から応募のあった紹介文が揃ったので、仕分け作業に取り掛かる。この週末で終わるイベントPRをブログにアップする。午後からは役場に出向いて教育行政評価の内部会議。3時間以上かかった。評価とはつくづく…。帰館してからコンクール審査会までの段取りを整え、退勤する。久々の「もんじゃ焼」。9月3日(土)今日明日は何もないので、比較的ゆっくりできる週末だ。新着本案内の三回目をブログアップして...長月始まり日記

  • 「与太郎」極私的解釈

    土曜日午後、隣市図書館主催の「楽しい古典落語の世界」という講座に参加した。実際は講座ではなく高座で、地元出身の二つ目落語家にもう一人ゲストがきて、計四席の噺を聴いた。今年になって落語会を二度キャンセルせざるを得なかったので久々に楽しかった。出来具合は二つ目相応…と生意気にも評価しよう。さて「講座」なので、最後に質疑応答があった。落語家相手に手が挙がるかなあと思っていたら、即元気よく訊いた方がいた。その質問が面白い。「与太郎ってどういう人ですか?」。これには壇上の噺家さんもやや戸惑いを見せたようだ。長屋噺などによく登場する与太郎…単純に言えば「馬鹿者」を指しているわけだ。噺家も「立川談志は独特の解釈もしているが、ふつうはバカということで…」と説明した。聞いていて「与太郎」と言えば…我が町内にある「S田家」が...「与太郎」極私的解釈

  • その里に限界はあるのか

    今年の初め頃に新潮社PR誌『波』を読んだ時、著者と川本三郎氏の対談が載っていて、ちょっと気になった小説だった。先日、書架に並んでいたので借りて、一晩のうちに読みきってしまった。奇抜な?設定が面白く社会状況にマッチしているし、環境は違うが同世代の価値観がじわりと心に沁みてくる作品だった。『母の待つ里』(浅田次郎新潮社)自分なりの作品のハイライトは、お寺にある忠魂碑にかかわる語りだ。様々な昔話をする「母」から、先人たちがどんな世の中を想ってこの土地から出発し、離れていったか、想像できる。そして、今この国にある地方の疲弊した姿が情けなく思えてくる。この構造をつくりあげた、あまりに無為無策な来し方よ…とうな垂れる。読了後、改めて先述の二人の対談を読み直してみて、「限界集落」という語が気になった。一般的になった「行...その里に限界はあるのか

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