しるしではなくイエスをキリストと語る(ヨハネの福音書12章)

しるしではなくイエスをキリストと語る(ヨハネの福音書12章)

 大勢のユダヤ人の群衆が、そこにイエスがおられると知って、やって来た。イエスに会うためだけではなく、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。(9) 群衆はイエスをキリストとして礼拝に来たのではなく、御わざに惹かれてやって来てラザロを見物するのである。御わざが大きければ大きいほど人はわざに心を奪われて、主を礼拝すること、みことばに従順することを蔑ろにするのは、主ご自身を求めない的はずれである。 今も神の御わざはみこころのままに成されるが、主はラザロの穏やかな日常を奪うような位置には置かれなかった。平凡な日々の中で無数に発生している癌を癒やし、トラブルをそっと執り成し、災いから守り導いて生かし、関係をも執り成して平和を備えていてくださる主。 それがあまりにもさりげない方法なので絶え間ない...しるしではなくイエスをキリストと語る(ヨハネの福音書12章)

2024/11/11 08:15