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#あなたがたは聖なる者でなければならないのブログ記事
  • 2023/03/22 18:41

    忌み嫌うべきもの(申命記7章)

     あなたが、「これらの異邦の民は私よりも多い。どうして彼らを追い払うことができるだろうか」と考えるときにも、彼らを恐れてはならない。あなたの神、主がファラオに、また全エジプトになされたことをよく覚えていなければならない。(17~18) 「どうして勝てるだろう」と考えるのは、人を恐れ、自分を惜しむ恐怖からである。神に愛され守られる日々の御わざを恐れは一瞬に忘れさせてしまうのだ。御救いに与った者は、聖霊の導きによるみことばを自分のものとし、キリストに救われて義とされた神の子の事実を聖霊に拠って焼き印のように身に刻まれ、日々を感謝と喜びに在るとき、世に動じることの無い勇気が守られる。神の愛が心に満ち満ちているからである。 あなたが自分の目で見たあの大きな試みと、しるしと不思議と、力強い御手と伸ばされた御腕をもっ...忌み嫌うべきもの(申命記7章)

    • #申命記
    • #あなたがたは聖なる者でなければならない

  • 2023/03/20 14:42

    主があなたがたを慕い選ばれた(申命記7章)

     あなたが入って行って所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れるとき、主は、あなたよりも数多くまた強い七つの異邦の民、すなわち、ヒッタイト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人をあなたの前から追い払われる。(1) 主が導かれた地は数々の強い敵が居る所であった。神は小さな弱い者を用いてご自身を現わされる。私たちが主に信頼して共に働くときに、自分自身の知恵や力には拠らず、神の栄光が現われることを経験するのである。そこで得るものは神を恐れる者の聖なる誇りである。 キリストに在っては、敵の多少に拠らず強弱にも係わらず、主のみこころが成ることを経験するのである。それゆえ、私たちはみことばにのみ信頼してすべての敵の中で平安なのである。 あなたの神、主が彼らをあなたに渡し...主があなたがたを慕い選ばれた(申命記7章)

    • #申命記
    • #あなたがたは聖なる者でなければならない

  • 2022/06/13 23:55

    あなたがたは聖なる者でなければならない⑤(レビ記19章)

     あなたは、民の中で人を中傷して回り、隣人のいのちを危険にさらすことがあってはならない。わたしは主である。(16) キリスト者の中傷は互いのいのちを損なうほどに危険である。世の言葉ではなく神の名を用いて語るからである。それが神の家族に対する攻撃なら、主がご自分のものを守られるからである。 心の中で自分の兄弟を憎んではならない。同胞をよく戒めなければならない。そうすれば、彼のゆえに罪責を負うことはない。(17) 神の家族である兄弟に対して憎しみや妬みが生まれるのは、神の愛から生まれた子でありながら、どれほどに愛されているかを悟らず、あふれるばかりに注がれている愛に気づいていないからであり、勝手に貧しく飢え渇いているのだ。 聖霊はみことばに記されているすべての神の愛を、日々、事々に解き明かして、キリストの平安...あなたがたは聖なる者でなければならない⑤(レビ記19章)

    • #レビ記19章
    • #あなたがたは聖なる者でなければならない

  • 2022/06/13 23:55

    あなたがたは聖なる者でなければならない④(レビ記19章)

     盗んではならない。欺いてはならない。互いに偽ってはならない。あなたがたは、わたしの名によって偽って誓ってはならない。そのようにして、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。(11~12) 神の民が盗んだり、欺いたり、偽ることは御名を汚すことであり、それは主を恐れることを知らない者のすることである。神の民が良いことを行えば神の栄光となり、悪いことを行えばそれも神の名によって行っていることであり御名を汚す。 キリスト者は主の豊かな恵みによって盗む必要はなく、嘘を言って身を守る必要もなく、騙しごとを言う必要もない。主は信頼する者にすべての必要を、時を備えて満たしてくださる。神は愛であり、力があり、ご真実なお方だからである。 しかし、舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪で...あなたがたは聖なる者でなければならない④(レビ記19章)

    • #レビ記19章
    • #あなたがたは聖なる者でなければならない

  • 2022/06/13 23:54

    あなたがたは聖なる者でなければならない③(レビ記19章)

     あなたがたが交わりのいけにえを主に献げるときは、自分が受け入れられるように献げなければならない。それを献げた日と、その翌日に、それを食べなければならない。三日目まで残ったものは火で焼かなければならない。(5~6) 自分自身を捧げて主の食卓に招かれる。主が喜びの食事を分け与えてくださる宴会である。そう、捧げものを一緒に味合わせて、一緒に楽しもうと招いてくださるのである。健やかな成長のために・・。 宴会は喜びに満ち溢れてあまりにも嬉しいので、差し出されたものは夢中になって平らげるだろう。しかし、その食卓に「ちょっと待てよ」という隙間風が入ると、親密な関係が一瞬にして醒めてしまうのだ。 神はイスラエルの子らのおもだった者たちに、手を下されなかった。彼らは神ご自身を見て、食べたり飲んだりした。(出エジプト24:...あなたがたは聖なる者でなければならない③(レビ記19章)

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