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  • それから...高校生生活は続く。相変わらず勉強はせず、文化部で全国大会出場!?

    正確に言えばスイミングスクールを辞めたのは、2年から3年に進級したタイミングだった。 その前に水泳と同時に、空手をやっていたのは書いたが、空手の稽古は週三回、内訳は火曜が「出稽古」といわれる自分の所属していない道場で教えていただく稽古のこと。同じ学年の道場生は私が所属する道場に居たは居たが、始めたばかりの初心者で発展途上。組手の練習相手にはならない。 ※組手イメージ図 それで所属の先生に相談すると「おぉ、行ってこい。あいつ(隣町の道場の先生)には理事会で言っとくから」と、うちの先生は全くこだわりがなく(いい意味で)快諾してくれた。 その隣り町は私が通っていた高校のある町だったが、空

  • それから...高校生生活。相変わらず勉強はせず、文化部所属でスポーツ三昧

    私は元来「金槌」で、海に行っても終始浮き輪のお世話になっていた。でも、なぜか海中に潜ることは出来た。 兄は見るに見かねてか、スイミングスクールへ私を送り込んだ。泳げないので、もちろん「初心者コース」。高校生の私にすればプールが婆の漬け物樽になっている様だった。二人組の練習の時には率先して婆さんが私の所に来る。 私は早々に次のコースに昇格して婆さんたちとおさらばした。 それからというものドンドン昇格(昇級)していき、二年間でとうとう一番上の上級コースまで行った。 どこのコースも一つのレーンを往復で使うため、バタフライのような、幅を使うような練習は出来ない、平泳ぎのキックでさえ往路の人を

  • それから...流されるままに、努力もないまま高校受験

    兄の学力は「中ノ下」というか「下ノ上」というか、地元にある工業高校に通って、私が高校受験前に卒業した。 今、思うとわけのわからない自慢だが、兄は「学年で成績が3番だった、2番だった。」というのだが、兄が通っていた高校の中にある三つある学科の内、レベルが一番下の学科に通っており、自慢も何もないもんだと思う。 だが、運動神経は優れていて、私とは大違いだった。 で、私の高校受験の話だが、以前書いたように三年間勉強したこと無し、宿題もしてない、夏休みの宿題なんかもした覚えがない。 思い出すのが、小学校4年くらいだったころ、歴史好きの私のことを知っていた町内の一つ上の人が、夏休みに「ぼっしゅ、夏

  • それから...それから中学生時代

    「内的」な弟に業を煮やした「活発な兄」は、なぜ自分のように活発になれないのか、不思議に思ったのか、怒りを感じたのか、日々暴力だった。その兄が高校に入ってから、空手を始めた。 この期に乗じて私も引きずり込まれた。「サッカーに引きずり込んだ長馴染み」と同じ手法だ。 道場に入るまで、入会する前に兄の特訓は始まった。兄のお下がりのヨレヨレの道着を着て、近所にあった廃校になった中学校の体育館で基本・型・組手とあるが、特に「組手」というのは、一般的に言うと「殴り合い」だ。本来初心者は形式的なもので、相手の体に触れることが無い。つまりは相手との距離感を掴む稽古なのだが、私と会いに場合は入会もして

  • それから...中学生時代

    中学校の生活は「もちろん」勉強なんぞしなかった。 ただ、なんの時間か忘れたが部活とは別に授業の枠で、興味のある「準部活」みたいなのがあって、料理や和裁みたいなのもあったと思うが、私が選んだのは、なにか自分の興味があるものに対して研究というか学内の図書館を使って調べるものというもの。 話しは戻るが、私の小学校高学年はフジTV系で「俺たちひょうきん族」が放送開始していて、残念ながら私が住んでいた地域では、裏番組のドリフは放映されず、同フジTV系の「ドリフの大爆笑」で初めてドリフを認識した。 話は飛んでしまったが、その「漫才ブーム」+「俺たちひょうきん族」に大いに影響されたのと同時に、私

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