因みに、支那(シナ)について、 海外では「エリュトゥラー海案内記」に 「Thinae(ギリシャ語)発音はティーナ?」で絹の産地として紹介されているとの事です。 (尚、Wikipediaに依るとこの案内記は1世紀半ば過ぎに成立したと推定され、 古代のインド洋近辺における海洋貿易についてギリシア語で記された航海案内書とか。) 次に、イタリア人宣教師マルティノ・マルティニ(1614~61)の「中国新地図帳」からの情報で 世界地図を作成したヨアン・ブロウ(1598~1673)「大地図帳」では「Chine(蘭語)」表記。 (東インド、ならびに隣接諸島地図 日文研 日本関係欧文資料の世界) 19世紀清…
皆様におかれましては良いお年をお迎えの事と思います。本年も宜しく・・・・・。 本日より前回、昨年からの続きになります。 梁啓超は日本語、翻訳・和製漢語習得、和洋書物読破。その結果、聡明な彼は、 はたと、ご自分の生まれ故郷の国号(名)、及び、その歴史書がない事に気付くのです。 来日直後、彼の周りの日本人は「清王朝」を「支那」と記述・呼称していました。 この「支那」と命名されていたのは 新井白石が「西洋紀聞」に「支那」と表記、門外不出(禁教の為)の書が世に出た為。 *西洋紀聞 江戸中期の外国地誌。三巻。新井白石著。正徳五年(1715)の識語があるが、完成は白石 の最晩年とされる。伝道のため屋久島に…
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