中世大内氏の人々、ゆかりの地についてのサイトです。全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者の資格をもつミルが、公的機関の発信情報、信頼のおける書籍を参照に、自ら現地に赴いて書いています。
史料に名前が確認できる最初の人々のひとりが始祖となった、古い時代に分かれ出た一族。宗家を凌駕した鷲頭長弘が有名。下松のお殿さま。
大内義隆に最後まで付き従った忠臣。武勇の人として有名で、大寧寺で意味深な歌を詠んで壮絶な戦死を遂げた。子孫は毛利家臣に。
弘世の子・弘正から分出。歴代は、明徳の乱、応仁の乱などで活躍した猛将ぞろい。国難に際し、主君・義隆に殉じた隆豊が最も有名。
弘世と争い敗死した兄弟とされるが、その詳細として古い史書で語られていたのは、義弘と満弘兄弟の内紛の経緯のだった。では果たしてこの人は誰?
幕府に忠実であろうとした義弘と、我が道を行かんとする弘世。大内家中は二つの意見に割れ、父に代わり、弟・満弘が兄と争った。
大内氏の始祖から八代までの間は、六代分の名前もわからない人々がいる。しかし、伝承や読み物では、これらの空白もきちんと埋まっている。
応永の乱で、兄・義弘とともに幕府軍と戦う。兄の死後、幕府に降伏。家督継承者となるが、留守分国にいた兄・盛見を討伐できず敗死。
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