中世大内氏の人々、ゆかりの地についてのサイトです。全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者の資格をもつミルが、公的機関の発信情報、信頼のおける書籍を参照に、自ら現地に赴いて書いています。
鎌倉御家人・平子重経が源頼朝を供養するために建立したとされる寺院。寺号の由来は「源家久昌」。重経及び子孫の菩提寺となった
元妙見社(現降松神社)の別当寺。神仏分離で独立した際、妙見菩薩はじめ仏教系の遺産を継承。神仏混淆した極めて珍しい寺院。
元妙見社(現降松神社)の別当寺。神仏分離で独立した際、妙見菩薩はじめ仏教系の遺産を継承。神仏混淆した極めて珍しい寺院。
大内氏第十一代当主。下松の妙見社を氏寺のある大内氷上山に勧請した人物として知られる。ただし、知られているのはその一点のみ。
和歌と言ったらこの方・二十九代当主さま 多々良正恒とは? 大内氏第八代当主。始祖・琳聖太子からのち、系図には六代の欠落があります。その後、八 ...
明応年間の戦勝祈願五社詣での際、五の宮はこの場所にあった。「五の宮大明神」と呼ばれ、大内氏の信仰篤い神社だったが、明治時代に合併・移転。
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