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  • 広重・五十三次の山(5)

    江尻・三保遠望江戸より18番目の宿江尻は今の清水だが、静岡県の一番薄くなった部分に位置している。駿河、遠江内の東海道から北へ抜ける数少ないルートの起点の一つであり、現在では興津から国道52号線が貫かれている。この道は我々の山行においては、山梨南部の山はもちろん、南北アルプス、八ヶ岳などへ行く折に随分と利用していて、沿線の風景も馴染みのものとなった。いわば我らの山街道でもある。江尻は駿府の手前にあって、海上交通と東西ルート、南北ルートのジャンクションという、絶好のポジションにあることが分かる。湾の向うの山並は愛鷹山塊か、現代では富士の煙突群も望められるだろう。清水とくれば今はサッカーでの知名度が高いが、それ以前は何といっても海道一の大親分次郎長だろう。次郎長一家にとっても、東海道の港湾江尻と山国甲州を結ぶこ...広重・五十三次の山(5)

  • 広重・五十三次の山(4)

    由井・薩埵嶺江戸より16番目の宿薩埵[さった]峠から見る富士山の姿は今も画になる。NHK「私の富士山」でもお馴染みの撮影ポイントである。車や電車で東進するとき、由比にさしかかると立派な富士の姿がドンと現れいつも見入ってしまう。海には桜エビ漁だろうか、広重の画のごとく帆を張った漁船が浮かんでいることがある。由比には広重美術館があるが、実景に最も近いのがこの画らしい。薩埵峠は、東海道の難所であり要所でもある。現在は旧道にバイパス、東名、それに東海道線が並んで眼下を通っているが、かつて旧街道は上道・中道・下道の三つに分かれ、断崖下のルートが「親不知子不知」と呼ばれていたのは、北陸道のそれと同様だ。SHCがまだ準備会の頃、但沼から浜石岳を経て薩埵峠まで歩いた。農作業のおばさんが蜜柑を放ってくれた。長い歩きで疲れた...広重・五十三次の山(4)

  • 広重・五十三次の山(3)

    蒲原・夜之雪江戸より15番目の宿温暖の地、駿河の国でも、かつてはこれほどの雪が降ることがあったのだ。どれほど歩いてきたのか、蓑や笠に積もった雪が重そうである。茅[かや]や菅[すげ]などで作られたこの昔の雨具は、防水性と共に通気性もあるなかなかの優れものであったらしい。背後のドームのような山は大丸山だろう。広いカヤトの山頂で、東の金丸山にかけての一帯は、富士川沿いの整備されたハイキングコースになっている。(2003年5月記)新蒲原駅西に建つ蒲原夜之雪記念碑【2024年8月追記】『文化遺産オンライン』の解説によると「深々と雪が降る寒村の夜の情景を描いた広重。画面に漂うその静寂さはシリーズの中でも突出した傑作といわれる。現実の蒲原にはこのような豪雪がみることはできず、広重の創作した心象の風景ではないかといわれて...広重・五十三次の山(3)

  • 広重・五十三次の山(2)

    吉原・左富士江戸より14番目の宿前宿の「原・朝之富士」が、ドンと枠からはみ出すほど大きく描かれているのに対し、これはまた小さく遥か彼方という感じである。この辺が変幻自在の対象への距離感で面白い。しかし、手前に描かれている馬上の篭に乗った三人は子供のように見えるが、真ん中の人物の視点はしっかりと富士山を捉えている。さて、この一行は江戸へ下っているのか、京へ上っているのだろうか。「左富士」と題されているのは、本来ならば右手に見えるはずの富士が左に見えるからだと、そう解釈すれば西に向かっていることになる。西進していた街道が一時、北へ向かうような地点が、東海道の吉原宿辺りでどこになるのか私には不明だが、例えば川の流れが蛇行し南北逆だったり、太陽が海に沈んだりすると、方角の錯覚を起こしたりすることがある。おそらく初...広重・五十三次の山(2)

  • 広重・東海道五十三次の山(1)

    原・朝之富士江戸より13番目の宿玉置哲広(前略)そして、いよいよ天下の険「箱根」越えで、その後「富士」の裾野を通過していくが、この二山は有名すぎていうまでもなかろう。原宿の浮島ケ原からの富士や、吉原宿の左富士の景は実在する場所があり、「愛鷹山」や「宝永山」まで描かれているが、有名な箱根宿の景で描かれた美しい岩峰は、カルデラ内壁にいかにもありそうな地形だが実在しないようだ。広重のイメージ上の峰なのだろう。駿州路遠州路にかかると、全国的には無名であるが、古くからその名を知られたり、地元では親しまれているような特徴のある山々が続々と登場してくる。由井宿の「薩埵[さった]峠」は、海辺の絶壁から海越しに富士を眺める人々が描かれた印象的なものだが、五十三次中もっとも浮世絵に近い風景が見られる場所だ。旧街道はここで上道...広重・東海道五十三次の山(1)

  • 南アルプスから(7)

    ▼今期3回目のヘリ荷揚げ希望通りの場所に下ろしてもらえないと大物のドラム缶は移動が大変通りかかった消防の方に手伝っていただく▼スッキリした青空、朝はこんな景色が見られるが、午後はほぼガスっている赤石岳荒川・悪沢岳聖岳、奥の雲掛かるのは兎岳▼幻想的な夕方の景色赤石岳聖岳聖岳の上空に白い月が見える8/14の落雷で真っ二つに裂けた赤石岳山頂標識8/17遭難者の収容・搬送に向かう救助ヘリ遭難者の発見された砲台型休憩所南アルプスから(7)

  • チェーンソーマン

    末の息子が来て伸び放題だったケヤキを伐ってくれた。ついでに裏のザクロなどは根元から。チェーンソーで速い、速い!さすがチェーンソーマン有難う!年寄りは、枝片付けを手伝って朝から3時間くらい外にいたら、汗だくで疲れ果て熱中症寸前、ゆえに午後は昼寝。チェーンソーマン

  • 息子とのビバーク

    海の日連休中日の富士宮口五合目は、これから山頂を目指す人たち、下りてきた人たちで賑わっていた。息子と二人、そんな賑わいから外れ宝永火口へと向かう水平道を歩き出した。山頂ではなく、須山口登山道を水ヶ塚へ下るつもりなのだ。登りでなくとも、ダウン症の障害を持つ息子が凸凹の坂道を歩くのが苦手なことは充分承知しているから、標準コースタイム3時間に対して倍の6時間を見込んでいた。宝永第二火口縁に出ると、山頂には雲が掛かっているものの、青空に宝永山や火口の荒々しい壁が映え、普段の里山とは違う高山らしい雰囲気に、息子も満足そうに写真に収まった。第三火口のザレた斜面にやや手こずりながらも時間を掛けて下り、火口底の御殿庭上で弁当を食べた。ここまでは想定の範囲に収まっていたが、三合目・御殿庭中を過ぎた辺りから亀にも及ばぬ歩みと...息子とのビバーク

  • 大井川下流域での流路変遷

    コロナ禍によって半年近く休止していたSHCの活動は、9月のおはようハイクより再開される。その初弾は、3回シリーズで行われる「大津谷川・栃山川を駿河湾まで歩こう」(Kdo企画)のリバーサイドウォークだ。このコースは、だいぶ以前の会報で池田金苗さんの絵本『かわ』(かこさとし画・文)に寄せた一文の中で見たが、川を溯るのとは逆に、河口へと下ってみることにも様々な発見があることと思い、愉しみなことだ。栃山川水系歩くにあたり『やまびこ』276号(本年4月号)にSmaさんが寄せていた「栃山川って?」を読み返してみた。ここでは栃山川水系を構成する五河川の主に近代に入ってからの利水、治水のあらましが記されていて参考になった。この文に添付されていた栃山川水系の地図や、さらに詳しく地理院地図を眺めて感じることは、栃山川水系や瀬...大井川下流域での流路変遷

  • 慶長の仮東海道を歩く

    4月の「緊急事態宣言」以降の約2カ月間、家からの発着を基本に歩いていた。体(てい)の良い散歩である。幸いに家から5分も歩けば千葉山から派生する尾根の端っこに取り付くから、使える時間やその日の気分によって自在にコースは変えられ、飽きることはなかった。この間、近隣の里山でも結構な賑わいを見せていた所があったようだが、尾川丁仏参道をはじめ散歩中の山道で人と行き交うことは稀だった。お蔭で少し気になっていた所の納得も幾つかでき、また付随して地域の地誌的、歴史的な事柄への興味も満たすことができた。『やまびこ』277号で紹介した「慶長の仮東海道」もその一つだった。その内、大津野田前の長谷川代官所跡から東光寺村を抜ける「東光寺道」を歩こうかなと6月の例会で呟いたところ、5人の方々が当日の朝、偶然にも顔を見せて下さった。今...慶長の仮東海道を歩く

  • 慶長の仮東海道(1)

    本年1月の「おはようハイキング」で中央公園から矢倉山の道を歩いた。報告(『やまびこ』№274)で、江戸初期慶長9(1604)年の大井川氾濫により壊滅的な被害を受けた島田宿が、大津野田前(元島田)に移転し、同時に東海道も洪水後11年間、北側の山沿いを通る仮街道が設けられたことを記した。この「慶長の仮東海道」について、島田宿・金谷宿史跡保存会刊行の『東海道島田宿の歴史』(2016年・大塚淑夫)を拠り処として、もう少し詳しく紹介したい。「慶長九年秋七月大井川は未曾有の大洪水で沿岸の村落被害絶大と云う状態であった。先ず神座村の如き平地を流亡し、室谷、笹ヶ窪などこの水害に依って山裾まで流し浚われて終わった。向谷の堤防は根底から決潰されたので、本流は伊太口から旗指、野田の南端を浸し、又一筋は水神山鼻から分離して現在の...慶長の仮東海道(1)

  • 天狗岳西尾根

    立秋は過ぎても相変わらずの猛暑の最中、山の仲間二人と北八ヶ岳・唐沢鉱泉から天狗岳を周回してきました。山の日連休二日目のこの日は朝8時には唐沢鉱泉駐車場は満杯、600mも手前の林道路肩に駐車しました。久しぶりの八ヶ岳には大勢の登山者が登っていました。天気は晴れでも雲がかかりやすく眺望は今ひとつでしたが、休みの一日を元気に過ごせました。しゃくなげ橋を渡って西尾根登山道に入るワンピッチの上りで尾根に出た第二展望台から目指す西天狗岳を見上げる諏訪方面の展望巨石の積み重なった登山道を上っていく西天狗岳山頂に到着向かい側の東天狗岳山頂には大勢の登山者の姿東天狗岳山頂に到着稜線南側はガスに覆われがち稜線北側、蓼科山を望む岩がちの稜線を中山峠に向かう登ってきた東・西天狗岳の姿中山峠に到着黒百合平に到着苔むした滑りやすい道...天狗岳西尾根

  • 御塔処参りの道

    コロナ禍での帰省控えもあってのことなのか、いつもはごった返す盆の御塔処(おたっしょ)参り(墓参り)は、今夏(2020年)は静かなものだった。こうした盆の風習も、地域や宗派、寺によって異なっているようで、祖霊をお迎えに行くタイプとお送りするタイプがあるが、家(うち)のお寺さんは15日が恒例で、「ご先祖さんは家に帰っていてお墓は留守じゃないのか……?」と思えてしまう。以前、前の方丈(ほうじょう/住職)さんに伺ったら、「この寺は、元は街中にあったので檀家に商売屋が多く、盆休み明けにすぐ店ができるように一日前倒ししている」とのこと。七年前、老父が亡くなり墓所を旗指(はっさし)の法幢寺(ほうどうじ)とした。前住職が言うように、法幢寺は元々は本通一丁目北側の大村酒造の建つ場所にあって、現在地の旗指に移ったのは昭和50...御塔処参りの道

  • 南アルプスから(6)

    休みを利用して小河内岳まで縦走したようだ南アルプスの奥深い位置に立つ昔ながら高山裏小屋今夏からStarlinkの「山小屋Wi-Fi」が利用できるようになったのには時代の流れを感じる越えてきた荒川岳は大きい小河内岳からの富士山兜のような塩見岳蝙蝠岳から陽が昇る小河内岳は日本の3,000m峰が農鳥岳を除いて(塩見の陰)全て見える荒川岳に抱かれる荒川小屋今回歩いてきた縦走路荒川岳は大きい赤石岳では雷鳥の親子が南アルプスから(6)

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