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2024/05/30

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  • 老子狂言コンプリート

    ◎二重性をも忘れて再び人間を生きる道若い頃は、ダンテス・ダイジの老子狂言を読んでも意味がわからないから8割方はスルーしていたのだが、一通りのコメントをつけることができた。この中で、現代人に最も役に立ちそうなのは、≪意味だけが生きるのだろうか?≫。これは、【なぜ生命は何の意味もないというのに生きているのか。】という生そのものへの根本的な疑問からスタートする。この疑問への回答は、もはや天国も地獄も通用しないところにある。そして、有想定、無想定、有相三昧、無相三昧と進み、水平の悟りなので最後は人間への帰還となる。『ダンテス・ダイジの老子狂言の歩き方』でも述べたが、老子狂言は、悟りを持ちながら生きる人間の生きる実感の数々であって、未悟の人向けにそれを率直に親切に説き示してくれているもの。そういう類のものは、なかな...老子狂言コンプリート

  • 名づけ得ないもの

    ◎絶対者(老子狂言)『絶対者鈴木大拙は、それは、どこにも中心のない円のようなものだと、語られたらしい・・・私は言う。それはそれだ・これはこれだ。絶対・絶対無・神・チンプンカンプン。名づけ得ないもの。何者ぞ?!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【どこにも中心のない円のようなもの】中心のない一円相(十牛図第八)、それでわかるかい。【それはそれだ・これはこれだ。】これは厳しいが、わかった気分になるかも。【絶対・絶対無・神・チンプンカンプン。】ますますわからない気分になるかも。【名づけ得ないもの。】これはタオですね。【何者ぞ?!】禅の直截さ。老子狂言の目次&リンクスダンテス・ダイジの老子狂言の歩き方名づけ得ないもの

  • これは、夢であり真実だ

    ◎ガンチャ・ババの卵(老子狂言)『ガンチャ・ババの卵ある歌い手は自由を私なりに追求してきたんだと歌う。だが、自由って何だい?それはある種の力のことかい?インドのプリーで若いガンチャ・ババの卵であるスイス人の青年が言った。「この世界はドリームでしょ・・・?」私はなぜか知らぬがこう答えた。「これは、夢であり真実だ。」と。ヂャニス・ジョプリンは、アルコールとドラッグで若死にした・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。ガンチャは、マリファナ、ババは師。ガンチャ・ババとは、ソーマ・ヨーガのマスターか。【だが、自由って何だい?それはある種の力のことかい?】自由は、意味が広いが、マニピュラ・チャクラは、自己実現だから自由とも言う。神人合一すれば、六神通の超能力が使えるようになるが、かえ...これは、夢であり真実だ

  • 私はすべてらしきものとして

    ◎酔いを味わうだけらしい・・・(老子狂言)『酔いを味わうだけらしい・・・高いも低いもどうということはない優秀と劣等とを一体誰がきめるというのだそれでも月は月を生きて死ぬスッポンはスッポンを生き切るこうあるらしいことがこうあるらしいのだそれにしてもこの一瞬よ!ああこの一刹那よ!説明できない力が生命を駆りたて続けている私はすべてらしきものとして酔いを味わうだけらしい・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【高いも低いもどうということはない優秀と劣等とを一体誰がきめるというのだそれでも月は月を生きて死ぬスッポンはスッポンを生き切る】高低(偏差値、金、評価)、美醜、好悪など、決められた方には、よい方もいれば、よくない方も必ずいる。それでもよい方もよい方を生きて死に、よくない方もよ...私はすべてらしきものとして

  • あいつもまた一人ぼっちの役者にすぎないかもね

    ◎パラノイア(老子狂言)『パラノイアパラノイアはおもしろい私たち人間は、みんなパラノイアだ欲望が標テキを仮作する人間コメディーの幕があがった果てしなき流れは終りがない無限の大海のまっただ中にいるのも知らずにそこで物語が尽きることなく演じられるというわけだ大いなるマーヤー・・・甘美なる欲念相続・・・不可思議な神の遊び不可知の神の戯れ・・・さあ、さあ、物語は、すでにすでに、進行してるんですぜ!この演技の唯一の観客は、神様ただ一人あの、ニンマリと微笑を浮かべたあいつだ!だが、あいつもまた一人ぼっちの役者にすぎないかもね・・・夢を夢と夢見るも夢夢の夢なる夢のまた夢・・・・・・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【パラノイアはおもしろい私たち人間は、みんなパラノイアだ】偏見なく公...あいつもまた一人ぼっちの役者にすぎないかもね

  • 天之沼矛の風景―5

    ◎言霊の発達方法異性にて同声音(2015-04-04)イザナギ、イザナミの最初の愛の語らいは女性から声をかけるという順逆を侵した罪により水蛭子が生まれたので、葦舟に入れて流してしまった。自分の子供なのになんてこと・・・などと思うのが一般的。これを言霊にて読むと、あ行の【お】とわ行の【を】は異性にて同声音。異性というのは母音(ここではア行、ワ行、ヤ行)が異なるということだろう。同様にあ行の【う】とわ行の【う】は異性にて同声音の【う】。あ行の【え】、わ行の【ゑ】、や行の【え】も異性にて同声音の【え】。あ行の【い】、わ行の【ゐ】、や行の【い】も異性にて同声音の【い】。ここでわざわざこれを説かねばならない理由は何かと察するに、人の輪廻転生とからむのではないか。Aという人は、死んでまた輪廻転生した場合、かなりAさん...天之沼矛の風景―5

  • OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-9(完)

    ◎七つの体すべてが第七チャクラとつながっているOSHOバグワンのMeditation:TheArtofEcstasyから第六章クンダリーニ-生命の目覚めの仮訳の続き。ポイントは以下。1.肉体の感覚を通して取り入れられた呼吸等すべてのものは、生命の形に変換され、エーテル体の食物となる。そしてエーテル体はこれをさらに微妙な形に変換し、これがアストラル体の食物となる。2.肉体はエーテル体のために働き、エーテル体はアストラル体のために働き、アストラル体はメンタル体のために働く。3.七つの体すべてが第七チャクラとつながっているので、どこからでも第七チャクラに到達することができる。4.人は冥想修行で、一つの道、一つの方法専一で行くべきだ。二つの道、二つの方法に関わるべきではない。『(仮訳)私の動的瞑想の方法は、クンダ...OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-9(完)

  • 君は何が欲しいのかい?それ以上

    ◎精神病院内の異様な哲学的風景(老子狂言)『精神病院内の異様な哲学的風景シーク教徒は、鉄製のハンドリングをその手首につける。そのハンド・リングは、火星を意味する。日本人種は、現在、地球上で最も知的な民族であり、かれらは、四六時中、読書にふけっている。ブレイン・ダメージは、もうなおらないのですか?ドクター。最近のドクターとは、ドッグ・スター、すなわち犬星を現わしている。犬星とは、条件付けをほどこされ地位・名誉・権力・金・セックスという牢獄である。彼は戦場で愛情の死を見た。死の前にはすべてが、ナンセンスであった。君は何が欲しいのかい?それ以上。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。火星は、下方3チャクラの一つマニピュラ・チャクラである。現地球人の課題は、自己実現のマニピュラ・チャ...君は何が欲しいのかい?それ以上

  • 人間に与えられた至上の喜悦は

    ◎なにもかもいいんだ(老子狂言)『なにもかもいいんだ人間に与えられた至上の喜悦はなにもないというなにもないという体験だ快楽の中の快楽の中の快楽の中の快楽・・・まるで、この12月の暖かい一日のようまるで一目ぼれのようなものLSDで、デッド・トリップして、すべてのすべてを生きるのも素適だよマリファナぼけはマリファナぼけだしアフェタミンはワォワォワォでイカス!阿片やヘロインは、それでいいというわけだ・・・隻手の音声を聞けば、それは、さわやかでエネルギッシュ極まりない只管打坐の坐禅は、なにもかもいいなにもかもいい・・・と来たもんだどうして死人達は死のうとがんばるのか?たぶん、すでに死んでいるからだろいいや、たぶん、生きても死んでもいないからだなにもかもはなにもかもだチャクラ・ヨーガもいい頭のテッペンのサハスラーラ...人間に与えられた至上の喜悦は

  • 詩情はつねに新しい

    ◎詩的直観(老子狂言)『詩的直観つねに詩語は古く、詩情は新しい。詩語に新しきものなし、この人生と同じように・・・詩情はつねに新しい。時には時さえも無い。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【つねに詩語は古く、詩情は新しい。】詩語は、書かれた瞬間に過去となるが、詩情は今ここに常に息づいている。【詩情はつねに新し】ければ、【時には時さえも無い。】。老子狂言の目次&リンクスダンテス・ダイジの老子狂言の歩き方詩情はつねに新しい

  • 永遠に未知なるものへの旅

    ◎血わき肉おどる!!!(老子狂言)『血わき肉おどる!!!何か確信といったもの・・・血わき肉おどる何者か。存在をも忘れ果てたそれ!それぞれにいいんだなあ、すべてはOKだといった思いの流れ。私は私なんだなあ、といった感嘆!永遠に未知なるものへの旅!!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【何か確信といったもの・・・血わき肉おどる何者か。】これは、現象にしてマーヤー。【存在をも忘れ果てたそれ!】これは窮極。でもって【それぞれにいいんだなあ、】二つながらに【永遠に未知なるものへの旅!!】。永遠に未知なるものへの旅

  • 天之沼矛の風景―4

    ◎言霊の発達方法ワ行ヤ行(2015-04-03)出口王仁三郎は、古事記のイザナギ、イザナミの恋の語らいのシーンを以って、言霊結合の説明素材とし、陰なる【あ】と陽なる【う】の合体で、【わ】が生じ、更に【え】【あ】の声の結合で【や】が生ずることを述べた。【わ】と【や】は、更に二柱神の最初に生まれた子が蛭子である一見不幸な出来事も、以下のように【わ】と【や】に関する言霊結合の説明だとする。要するにワ行は母音【ワ】+父音【アオウエイ】だが、【ワオウヱヰ】のすべて声に変化がないこと。ヤ行は母音【ヤ】+父音【アオウエイ】だが、【ヤヨユエイ】の中の【イ】だけ変化があって、【ヤヨユエ】は変化なしと見る。このワ行ヤ行の変化の活用を「久美度邇興而(くみどにおこす)」とする。※久美度邇興(くみどにおこして)は、婚姻の行われる場...天之沼矛の風景―4

  • OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-8

    ◎七つの体すべてが、それ自身の通路を持っているOSHOバグワンのMeditation:TheArtofEcstasyから第六章クンダリーニ-生命の目覚めの仮訳の続き。ポイントは以下。キリスト教的、仏教的、禅的、道教的な各方法は、クンダリーニの覚醒には関心がなく、その通路は使われない。彼らは他の通路、エーテル体にさえ属さない通路を使います。七つの体すべてが、それ自身の通路を持っている。クンダリーニとは何の関係もない多くのヨーガがある。ハタ・ヨーガだけがクンダリーニを通路として使う。時には、別の方法に取り組んでいるときでも、クンダリーニが現れることがある。なぜなら、七つの体は互いに浸透し合っており、連結しているから。エネルギーは低い領域に流れる。たとえば、あなたの二番目の体は三番目よりも低いので、三番目で生成...OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-8

  • 天之沼矛の風景―3

    ◎言霊の発達方法(2015-03-31)霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌(ことたまがくしゃくか)の続き。数霊と五大父音【あ】【お】【う】【え】【い】の中の【あ】【お】の説明は出てきた。引き続いて【う】【え】の説明『○鳴々而(なりなりて)鳴合(なりあ)はざるは【あ】の声(こゑ)ぞ鳴余(なりあま)れるは【う】こゑなりけり○【う】【あ】のこゑ正しく揃(そろ)ひて結び合ひ変転(はたらき)するは美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)○【う】【あ】の声結びて【わ】声(ごゑ)に変化(はたら)くは阿那邇夜志愛上袁登古袁(あなにやしえーをとこを)といふ○【え】【あ】の声結びて【や】声(ごゑ)に変化(はたら)くは阿那邇夜志愛上袁登売袁(あなにやしえーをとめを)といふ○女人先言不良(をみなまづことさきだちてふさはず)と言へる神文(み...天之沼矛の風景―3

  • 絶対者にして絶対無

    ◎意味だけが生きるのだろうか?(老子狂言)『意味だけが生きるのだろうか?なぜ生命は何の意味もないというのに生きているのか。あらゆる流れが、ひとりでに静まる何の理由もなくかすかな解放への呼び声もう生々化々の流れも消えた無想定静寂———喜怒哀楽は消え果てた。秘められたさわやかさ突然の爆発!マーヤーとブラフマンのファッキング!あなたは『神』に貫通されたのだ鳥飛んで鳥のごとし、魚に泳いで魚に似たり石ころは笑う!完全に終わった!!あなたは初めてあなただ絶対者にして絶対無!!我もなく現し世もなく何もかも何もかもなし何もかもなしそしてこれもどうということはない。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。これは、一幅の絵のように、個なる生命が、迷いから、有想定、無想定と進み、爆発でジャンプし有相...絶対者にして絶対無

  • 死が恐ろしいものだと誰が決めた?——あなただ。

    ◎いつも私は評価する(老子狂言)『いつも私は評価するいつも私は評価する。欲望とは常に、そういったものだ。人間にとって、この宇宙は永遠に二元対立だ。それでこそ、美しさがあり醜さがあるのさ。人が絶対の至福を求め始めた時が、絶対の至福を失う時だ。———それが恐怖だ!それがわけのわからぬ不可解だ!それが人間のものでない久遠の至福だ!!死が恐ろしいものだと誰が決めた?——あなただ。不安と不満と苦悩と苦痛とをいけないものにしてしまったのは誰れだ?———あなただ!!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【人間にとって、この宇宙は永遠に二元対立だ。それでこそ、美しさがあり醜さがあるのさ。】二元対立に飽いた時から、悟りへの冥想修行が始まる。禅の僧さんも信心銘において、二元のえり好みをしないと説...死が恐ろしいものだと誰が決めた?——あなただ。

  • 絶対無の中に空なるエクスタシー自身として

    ◎女は眠っている(老子狂言)『女は眠る一つの久遠のナゾ女は官能の極点の果てに眠る一つの神秘なイビキ限りない神秘な歯ギシリどのようにも見れる世界風景私も眠っているこの絶対無の中にそして空なるエクスタシー自身として今、オナラがあった』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。ことが終わった後で、眠る女は、太母とも肉の塊とも、【どのようにも見れる世界風景】だが、【一つの久遠のナゾ】。【私も眠っているこの絶対無の中にそして空なるエクスタシー自身として】私は、無にして絶対無なるニルヴァーナ、有にして空なるエクスタシーの立場をとる。【今、オナラがあった】おならを聞いても、世をはかなんで出家はしない。絶対無の中に空なるエクスタシー自身として

  • OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-7

    ◎クンダリーニは、七つのチャクラをつなぐ全体の通路OSHOバグワンのMeditation:TheArtofEcstasyから第六章クンダリーニ-生命の目覚めの仮訳の続き。ポイントは以下。クンダリーニとチャクラは、肉体の中に位置しておらず、エーテル体(霊体)に属しているが、肉体内に対応する点を持っている。クンダリーニはエーテル体の一部なので、クンダリーニの道で進歩として達成したことは、エーテル体に蓄積される。※死後のエーテル体の存続時間は短い。クンダリーニは、七つのチャクラをつなぐ全体の通路。生命力がクンダリーニを通過するとき、チャクラは振動し、花開き始める。ムーラダーラには二つの開口部があり、一つは下向き、もう一つは上向き。『(仮訳)クンダリーニとチャクラは、肉体の中に位置しているわけではありません。それ...OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-7

  • いつもいつもダマされている

    ◎ブタが空を飛んでいる(老子狂言)『ブタが空を飛んでいるゆるいカーブなだらかな曲線もツマ先立ちの緊張や危機との直面も油断なき注意も———狐が空を飛ぶ!そしてズッコケ、ズッコケも・・・ただ一人とも言えないただ一人の絶対者の様々な表情私達はこの表情の千変万化にいつもいつもダマされているそれにしても初夏の草いきれよ!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【ゆるいカーブなだらかな曲線もツマ先立ちの緊張や危機との直面も油断なき注意も———狐が空を飛ぶ!】意識している刹那と刹那の間には隙間があって、そこで【———狐が空を飛ぶ!】。【そしてズッコケ、ズッコケも・・・】これも隙間。意識している刹那と刹那の間には絶対者があるものの、私達は、意識している刹那という現象に【いつもいつもダマされてい...いつもいつもダマされている

  • こいつあ、マッタク、どん底だい。

    ◎伊福部先生の言葉(老子狂言)『伊福部先生の言葉ある一つの理想状態を考え、そこへ到達しようとすることが、私達の生活を地獄化させるものである。こいつあ、マッタク、どん底だい。思考作用は問題かい?ふと見ると地獄にもなにやら光明がある。ああ、その悲痛をどうすることができよう。ああ、この絶対をどうすることができよう!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【こいつあ、マッタク、どん底だい。思考作用は問題かい?】理想状態を思考するから地獄になる。【ふと見ると地獄にもなにやら光明がある。ああ、その悲痛をどうすることができよう。】ダンテス・ダイジの好きな句、ふと見ればなずな花咲く垣根かな(芭蕉)【ああ、この絶対をどうすることができよう!】さらにダンテス・ダイジの好きな句、ほろほろと山吹散るや...こいつあ、マッタク、どん底だい。

  • それは君らの愚からきた迷いにすぎない

    ◎ガイド・ストーン(老子狂言)『ガイド・ストーン私は親愛なる道友諸君に言う。今、君の持っているその理想心を取り去れ、かくあれかしと望む心を取り去れ。よりよくなろうという我欲心を取り去れ。それは君らの愚からきた迷いにすぎない。かつて私のメディテーション・ガイドの一人だったタオの体得者・無為隆彦先生はそのように語った。クリシュナムーティ流に言うとイメージがどうしたこうしたということだろう。諸行は無常である。そこから神様と悪魔が出てきたらしい・・・いづれにせよ、楽しい話ではないかい?』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【私は親愛なる道友諸君に言う。今、君の持っているその理想心を取り去れ、かくあれかしと望む心を取り去れ。よりよくなろうという我欲心を取り去れ。それは君らの愚からきた迷...それは君らの愚からきた迷いにすぎない

  • あんたは、オレの思いなぞナンノソノ

    ◎プレイボーイ(老子狂言)『プレイボーイオレはプレイボーイで近いうちに極地のコウリを溶かすつもりだ。なにしろ、この頃の彼女ときたら!彼女のオナラの臭いこと。だから極地がこごえいるのさ・・・あんたは、オレの思いなぞナンノソノ・・・それでも、オイラはプレイボーイ新しいあんたを産むためにオレのペニスは極地を燃やす・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【彼女】【あんた】は、人類全体。これは、世界の主宰者にしてプレイボーイのオイラが、彼女のオナラに邪魔されつつ、ペニスで極地を燃やす。その結果、新しいあんたを産むというもので、世界創生、転変神話。これは、人類の集合的無意識に組み込まれている元型の一種で、適当な戯れごとではない。精神分析学者ユングが、窓の外の太陽を見ながら首を左右に振...あんたは、オレの思いなぞナンノソノ

  • OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-6

    ◎本や経典の知識は役に立たず、生きたグル(正師)だけが役に立つOSHOバグワンのMeditation:TheArtofEcstasyから第六章クンダリーニ-生命の目覚めの仮訳の続き。ポイントは以下。気づいているとき、完全に未知のエネルギーがあなたの中で流れ始める。その時、本や経典の知識は役に立たず、生きたグル(正師)だけが役に立つ。グルなしに知識なし。グルとは、自分の個性を失った人のこと。自分の個性を失って初めて、グルはあなたの個性を深く見つめることができる。だからグルだけが、常に秘密裏に、個人的に、その弟子にぴったり適合する情報を、伝授できる。弟子は、自分自身の個性が失われる地点に達するまで、それを他の誰にも与えてはならない。なんとなれば、真実は、誰にとっても致命的とで、危険なものとなり得るから。それは...OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-6

  • 天之沼矛の風景―2

    ◎悟っていないと言霊も数霊もアクセス不可(2015-03-29)霊界物語第六巻28章の言霊学釈歌(ことたまがくしやくか)中に天之沼矛が出て来る。『○日(ひ)の本(もと)の国の語(ことば)の源はただ五声(いつこゑ)の竪端(たちばな)の父音(おど)○多陀用弊流国(ただよへるくに)といふ意義はあおうえい五声父音(いつつのこゑ)の発作(おこり)なりけり○久方の天(あま)の沼矛(ぬほこ)と云ふ意義は言語(ことば)の節(ふし)を調(ととの)ふ舌(した)なり○立花(たちばな)の小戸(をど)のあはぎが原に鳴る【お】こゑを天(あま)の浮橋(うきはし)といふ○塩許袁呂(しほこをろ)、許袁呂邇画鳴(こをろにかきな)すその意義は【お】と【を】の声(こゑ)の活用(はたらき)を云(い)ふ○数音(かずのね)を総称(すべとな)ふるを島(...天之沼矛の風景―2

  • 天之沼矛の風景-1

    ◎天と地の間の動くありがたい筒(2015-03-28)天之沼矛は、まず古事記の劈頭に出現する。『そこで、天津神一同は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神に、この漂える国土を修理固成せよと命じて、天之沼矛を授け、お任せになった。かの二柱の神は天の浮橋の上にお立ちになり、天之沼矛を差しおろしかき回し、塩こをろこをろに画き鳴らし、引き上げた時に矛の先から垂れ落ちた塩が積り積もって島となった。これをオノゴロ島という。』オノゴロ島は日本のことだ、地球のことだと云うが、現象世界全体のことを指すと見なければ、この場面に引き続きその二柱神が陰陽の様々な組み合わせで、この世のものあの世のものを産出していくことと平仄が合わない。従って天之沼矛は、玉飾りを施したおしゃれなスティックであるなど...天之沼矛の風景-1

  • 私は、ただこれになり切ろうとするのみ

    ◎どうしようもない・・・(老子狂言)『どうしようもない・・・どうしようもない今は、どうしようもない。これも過ぎ去る。すべては過ぎ去っていく。これではない・これではない・これではない!どうでもいいなんでもいいシッチャカメッチャカ!私は、ただこれになり切ろうとするのみ。念ずれば、私もすべてもなくなってしまう。オーム・オーム・・・オーム!!私が対象を見ようとすることが不安であり、私が対象を聞かせてもらうのが愛である。禅定にはいれない今は、入れない今だ・・・・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【私は、ただこれになり切ろうとするのみ】だが、これになりきれないので、【どうしようもない今は、どうしようもない。これも過ぎ去る。すべては過ぎ去っていく。これではない・これではない・これで...私は、ただこれになり切ろうとするのみ

  • さっぱりわからないそのこと

    ◎マハー・マーヤー(老子狂言)『マハー・マーヤーすべてがイマジネーションだ。(これもイマジネーションあるいはイリュージョンである。)マハー・マーヤー!欲念相続である。根本無明である。さっぱりわからないそのことである。性であり死である。このあらゆる多様多元の世界である。不安そのもの恐怖そのもの!謎そのもの!神秘!!久遠に未知なる未知。疑団?(これ以上は思考不能。)?!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。マハー・マーヤーは迷い、根本無明の総称であって、悟り・ニルヴァーナに対置する。【すべてがイマジネーションだ。】マハー・マーヤーという混乱の極みの原因は、“あなた”の欲望から来るところのイマジネーションだ。ここは、マハー・マーヤーに向きあったが、≪地獄の地獄の地獄の闇。極楽の極ま...さっぱりわからないそのこと

  • すべてがすべてである

    ◎地獄の天国のあくび(老子狂言)『地獄の天国のあくびそうなっていくそのままでいいのだ、とも言えまい。こうなっていく、このままでいいのだ、ということもわかりはしない。何もわかっていないのだ!だが、何もわかっていないとも言えまい。地獄の地獄の地獄の闇。極楽の極まりないカオス!———それでも、どんな答えも出やしない。このモノグルオシサよ!この静寂よ!もはや静寂とも言えまい。何もかもが至福である。すべてがすべてである。そして、あなたは死んでいる・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【こうなっていく、このままでいいのだ、ということもわかりはしない。何もわかっていないのだ!だが、何もわかっていないとも言えまい。】”これ”を見守るだけしかできず、絶対に答えを得ることのできぬ神秘、絶対...すべてがすべてである

  • OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-5

    ◎ジャンプは気づきを通して起きるOSHOバグワンのMeditation:TheArtofEcstasyから第六章クンダリーニ-生命の目覚めの仮訳の続き。ポイントは以下。断食と踊りなど、瞑想のすべての技法は、あなたがジャンプできる瀬戸際まであなたを押し出すためのもの。ジャンプ自体は、非常にシンプルで、非常に非方法的な方法(気づき)を通してのみ行うことができる。断食などがあなたを死の淵へと導いたまさにその瞬間に、気づいていることができれば、死はない。気づきが方法である。気づきが方法であるがゆえに、禅の人々は方法はないと言う。気づきは方法ではないからこそ、クリシュナムルティは方法はないと言う。一般に人は、突然の緊急時にしか気づいていられないので、気づきには練習が必要。心の緊急事態を作り出すために瞑想があるが、ク...OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-5

  • 七つのチャクラは悟りへの道すじで

    ◎いとしいゲーム『いとしいゲーム肉体は絶対無に直結している。観念は肉体に直結している。人体内の七つのチャクラは、極めて具体的な悟りへの道すじである。それは、人間を至福へと導いていく。最後のサハスラーラ・チャクラのみは、実用性を越えたものであり、生理的なものではない。サハスラーラ・チャクラは、チャクラではないばかりか、いかなる人間的な概念規定をも越えている。サハスラーラ・チャクラとは、何ものでもないのだ。人間がサハスラーラに到達するまでは、命がけの情熱が必要だ。だが、サハスラーラそのものは、コエダメの中のウジムシの狂言に他ならぬ。ああ、この、いとしさよ!いとしさよ!!いとしさよ!!!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【肉体は絶対無に直結している。】絶対無あっての肉体。肉体あ...七つのチャクラは悟りへの道すじで

  • だめな時はだめなのだ

    ◎時(老子狂言)『時ない時はないのだ。だめな時はだめなのだ。むなしい時はむなしいのだ。それ以外にない時はそれ以外にないのだ。私は空気がなければ生きられはしない。私とは空気なのだ。私に自由はない。自由が私を使っている。自由それ自身は完璧な笑いだ!人間の喜怒哀楽のゲームは決して終わることはない。だから、ゲームはすでに終わり尽くしている。海の波々が寄せては返す。朝ごとに太陽は東より登り、落日の残光を残して西に沈みゆく。体内に有毒ガスがたまっている現代人はあたりまえのやすらぎを知ることがない。それでも、血わき肉おどるこれは、笑いに笑いに笑っている!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【ない時はないのだ。だめな時はだめなのだ。むなしい時はむなしいのだ。それ以外にない時はそれ以外にない...だめな時はだめなのだ

  • OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-4

    ◎肉体から微細体へジャンプをするためには、肉体の助けが必要OSHOバグワンのMeditation:TheArtofEcstasyから第六章クンダリーニ-生命の目覚めの仮訳の続き。ポイントは以下。生物学的で自然な流れは下向きであり、精神的な流れは上向き。そして、生物は下向きの流れのために作られている。肉体から微細体へジャンプをするためには、肉体の助けが必要。断食で肉体が完全に疲弊した瞬間、死か瞑想からのジャンプかの選択肢が起こる。スーフィの不随意のダルヴィッシュダンスでも、狂気か、瞑想からのジャンプかの選択肢が起こる。『(仮訳)しかし、彼の信者たちがマハーヴィーラが病気であったと考えることは非常に困難でした。当時、病気には一つの説明しかありませんでした。もしあなたが特定の病気に苦しんでいるなら、それはあなた...OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-4

  • 聖なるものなぞどこにもない!

    ◎セイナルモノという夢(老子狂言)『セイナルモノという夢本ものもニセものもない。あなたがたは、聖なるものという夢を見ている。絶対に信じられないほどの聖なる体験はある。だが、聖なるものなぞどこにもない!バグワン・シュリ・ラジーニシ———奴はシッチャカメッチャカだ。本ものだ。終末が産んだ本もののコメディアンだ。奴は最もタチの悪いテクニックで、バグワン中毒を伝染させている。奴も、そう長くはない。だが、奴は正真正銘の本ものだ。伊福部隆彦先生———老子の再来である。酒で悟りを持続していた。悲しいほどに本ものだ。余りに悲しすぎるほどに本ものだった。ババ・ラム・ダース———間違いなくニセものである。この人物は、自分が本もののコメディアンであることを知っていない。だから、自分を神のコメディアンだと思い込んでいる。高橋新吉...聖なるものなぞどこにもない!

  • 解脱への修行は苦あれば楽あり

    ◎欲念相続(老子狂言)『欲念相続悟りへの修行———これもまた他のあらゆる人間営為と同様に欲望の一形式であり、したがって、欲望のあるところに苦しみがあるのは、当然である。解脱への修行は他の一切の人間の欲念の戦いと変わるところなく、苦あれば楽ありである。ああ、それにしても、余りの戯れよ!夢よ!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。※欲念相続:人が生きている間に抱く様々な欲望や執着(欲念)が、死後も消滅するのではなく、来世に引き継がれること。一切の人間の欲念の戦いも苦あれば楽あり、解脱への修行も苦あれば楽あり。解脱への修行の結果、すべての現象は夢幻であることを通過し(空)、悪カルマはその後発生しないようになり、中心太陽に突入した結果、限りなき高みを天かける孤独の鳥であるならば、【あ...解脱への修行は苦あれば楽あり

  • 絶対即絶対に至れば

    ◎格言4-4すべてが(老子狂言)『4○すべてがこうである以上にこうであるそのすべてがすべてでいいんだいいや、いいんだ以上のいいんだ。聖人タイプは、すべてのすべてのすべての絶対を欲望する相対と対立する絶対ではなく、絶対即絶対に至れば、もともと何ということもない。人様にメイワクかけ、世界にメイワクかけ、自分にメイワクをかけ続ける、いわゆる俗人様つまり恐れ多くも御ブタ様々タイプは、喜んでいるのか悲しんでいるのか・・・楽しんでいるのか苦しんでいるのか・・・ガンにかかってシチテンバットウしている人が、ミジメなのだろうか???モグラの近視眼で、国をウレエ、世界をウレエ、だが自己をウレウルことだけは、さけて、立派な偉大な事業に励んでおられる。私は心の底から頭のさがる思いだ!どういうわけか、私は、苦しいのより楽しいのが好...絶対即絶対に至れば

  • そうなる以外にないかのように

    ◎かのように・・・(老子狂言)『かのように・・・あらゆるものはそうなる以外にないかのように生々化々する。そうなってゆくそのままで完全にいいのだ。不安や恐怖や苦痛でさえ神の中なる神の戯れ。それではよくない!と言ったところで、ストーブの上のヤカンのお湯はうなっている。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【あらゆるものはそうなる以外にないかのように生々化々する。】人為は効かない。天意神意で生々化々するから、【そうなってゆくそのままで完全にいいのだ。】。≪私は、苦しいのより楽しいのが好きな性分ときている≫が、【不安や恐怖や苦痛でさえ神の中なる神の戯れ。】そうなる以外にないかのように

  • クンダリーニの取扱-7(完)

    ◎あなたは、無意識のうちに自分に最適、最短の冥想法を選ぶOSHOバグワンの“IAmtheGateChapter#5冥想と内なる覚醒への道”の仮訳の続き。ポイントは以下。現代は、宗教、文化の混淆した時代なので、私たちにはどのタイプにも属さず、すべてのタイプが使用できる新しい方法が必要。あなたは、無意識のうちに自分に最適、最短の冥想法を選ぶ。逆に、意識的な心によってのみ、あなたはどこにも通じない道や、到達する前に死んでしまうほど長い道を選び始める。それはそうかもしれないが、準備ができていないということはあるし、耐えられないルートは選ばないものではないだろうか。『(仮訳)そして、来るべき世界、そして今日の世界においても、このような柔軟な方法だけが使われることができます。なぜなら、現在では非常に多くの種類の人々が...クンダリーニの取扱-7(完)

  • OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-3

    ◎クンダリーニは、死よりも深く、誕生よりも深いOSHOバグワンのMeditation:TheArtofEcstasyから第六章クンダリーニ-生命の目覚めの仮訳の続き。ポイントは以下。1.チャクラの数は無数にある。2.クンダリーニは、死よりも深く、誕生よりも深く、血よりも深い。なぜなら、クンダリーニはあなたの第二の体の循環だから。血は生理的な体の循環であり、クンダリーニはエーテル体の循環。それは完全に非自発的であり、ハタヨーギでさえ、それを自発的にどうすることもできない。3.よって、まずクンダリーニを動かそうとか、チャクラを刺激しようと考えず、まず瞑想すること。4.深く瞑想に入れば、内なるエネルギーが上方に動き始める。生物学的には、頭よりも足が暖かい方が良いが、霊的には、足が冷たい方がエネルギーが上向きに流...OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-3

  • この世に新しき言葉なく

    ◎格言4-3臨済も(老子狂言)『3○臨済も、普化の禅機にはかなわなかった。この世に新しき言葉なく、この世の神秘は続く・・・能力によっては、至福は得られない。それは時なのだ。時がすべて起こす・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。臨済と普化は、地元有力者のオフィシャル晩餐会に招かれたが、普化はご馳走の並ぶテーブルを蹴り倒し、自分で棺桶に入って死んだ。OSHOバグワンもダンテス・ダイジもニルヴァーナという体験とは言えない体験者だが、すべてのすべてである神人合一段階を経ているのに、「すべてを知っている」と言わず【神秘】と言う。また彼等覚者の現実は、過去現在未来が一枚板のようになっていていわば現在しかなく、時間がない世界だから、【この世に新しき言葉なく、この世の神秘は続く・・・】...この世に新しき言葉なく

  • おお、めくらの情熱よ!

    ◎格言4-2牢獄(老子狂言)『2○牢獄束縛催眠術死未知不可知?疑い不安空しさ情熱おお、めくらの情熱よ!サトヴァ質の極点よ。神なるものの絶対無の限りなき光なるものの・・・あらゆる忘我の時よ!あらゆるエクスタシーよ!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。自分という人間の現実を率直に見つめれば、牢獄のように束縛され、あらゆるマインド・コントロールの催眠術にしてやられていて、快適、幸福の先には死がちらついている。未来も今も未知で不可知で、あらゆるものに疑いがあり、不安で空しさがある。その原因は、【めくらの情熱】があるせいだが、その情熱がなければ、【神なるものの絶対無の限りなき光なるものの・・・あらゆる忘我の時よ!あらゆるエクスタシーよ!】にたどり着けない。おお、めくらの情熱よ!

  • 百パーセント万事休した姿勢

    ◎格言4-1坐禅(老子狂言)『1○坐禅特に只管打坐は、その本質は百パーセント万事休した姿勢でしょ。つまりあなたは何者でもないかもしれないのだ。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。只管打坐は、結跏趺坐で腰を入れるので、姿勢が固定される。そこで、浮かんでくる雑念を相手にしないので、【百パーセント万事休】する。【つまりあなたは何者でもないかもしれないのだ。】無底の底への落下。百パーセント万事休した姿勢

  • OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-2

    ◎クンダリーニは、通路がクリアでない場合に感じられるOSHOバグワンのMeditation:TheArtofEcstasyから第六章クンダリーニ-生命の目覚めを仮訳の続き。ポイントは以下。1.先入観なくクンダリーニやチャクラを感じるのが第一歩。2.クンダリーニとチャクラは肉体に属するものではないが、肉体上に対応する場所がある。3.チャクラを通過する必要はなく、人はそれらをバイパスすることができる。また、悟りを得る前にクンダリーニを感じる必要もない。4.クンダリーニは、上昇しているから感じるのではない。クンダリーニは、通路がクリアでなく、抵抗やブロックがある場合にのみ感じられる。もし通路が完全にクリアであれば、エネルギーはすんなり流れるので、それを感じることができない。5.クンダリーニを感じないなら、あなた...OSHOバグワンのクンダリーニの基礎-2

  • クンダリーニの取扱-6

    ◎ソーマとその人に合った冥想法OSHOバグワンの“IAmtheGateChapter#5冥想と内なる覚醒への道”の仮訳の続き。ポイントは以下。タントラでは、ワインのような酩酊剤を使用して、自分が気づいていることに気づいている冥想法もある。冥想には、非常に多くの道があり、それぞれの道は非常に多くの方法で使用することができる。OSHOバグワンは、その人に合った道を呈示できる。ただし、それは間接的であり、直接的ではない。『(仮訳)タントラは同じ方法、同じ道筋を、異なる方法で使用しました。それは想像を絶するものでした。彼らは、バーン、チャラス、ガンジャ、ワインといった酩酊剤を使用しました。その方法はこうです。酩酊剤を摂取し、気づいていてください。気づきを失わないでください。酩酊剤を摂取し続けながら、自分が気づいて...クンダリーニの取扱-6

  • 時を忘るれば、ただちにその時だ

    ◎そうなのだ(老子狂言)『そうなのだそうだ、あらゆる経験を限りなき経験を地獄を至福の極楽を経験して経験して体験したいのだ!私の中にあると思われる様々な観念———————一体その正体はそりゃ何じゃ?苦を不安を退屈を倦怠をわけのわからなさをどうしようもなさを誰がうえつけたというのか?だが、素適な状態は、やっぱり繰り返したいし、永遠に続きたい!すべてのすべてが神だと、私自身だと、至福や自由だと、言える時よ!時を求めれば、時を遠去からしむ。時を忘るれば、ただちにその時だ。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。素適なことも、苦しくていやなことも両方いつかは徹底的に体験してみたい。【だが、素適な状態は、やっぱり繰り返したいし、永遠に続きたい!】。そんなことは、不可能だが、【すべてのすべて...時を忘るれば、ただちにその時だ

  • いい経験をすればするほど不安はつのる

    ◎不安(老子狂言)『不安いい経験をすればするほど不安はつのる。が、不安に対処する手段はない。至福は起こる。それは、おのずから生ずる。完き至福——それは、人間が求めてやまないものだ。だが、これは至福以上だ。ぜんぜん比較になりはしない。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【いい経験をすればするほど不安はつのる。が、不安に対処する手段はない。】不安は、見ている自分があるから起こる。至福は、天国、極楽のもの。見ている自分がある。【これ】は、見ている自分がないから、【これは至福以上だ。ぜんぜん比較になりはしない。】。いい経験をすればするほど不安はつのる

  • ああ、人間の果てまで来てしまった

    ◎距離(老子狂言)『距離距離などというものはない。遠い遠い昔も未来もこれにしかない。すべての二元対立を悪戦苦闘して私の最後の疑問に到る。私は何か?すべてをすべてと認識している私とは何か?誰れが私などというものを現わしているのか?こう現れているこの私とは何か?こう書いている私は何か?私を忘れている時の私とは何か?そもそもすべてとは何なのか?それさえまだるっこしい。これは何だ?これ何者ぞ?これは何だ??ああ、人間の果てまで来てしまった——というこれは何だ?そんなことどうでもいいという——これは何だ?これは何だ???という——これは何だ!断じて知的疑問ではない。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【距離などというものはない。遠い遠い昔も未来もこれにしかない。】過去、現在、未来も、...ああ、人間の果てまで来てしまった

  • ブログ開設満二十年

    ◎天国と地獄を超えるという方向性今日で、前身のブログのアヴァンギャルド精神世界スタートから満二十年を数えることになりました。その間休んだのは8日ほど。継続できたのは、ひとえに神仏の助けがあったことと読者の皆様のお蔭です。人間の成長、成熟と言えば、思春期になること、二十歳で成人になることが代表的だが、悟りを開くのも成熟の一種で、神人合一だから人間を卒業すること。満二十年だが、この間大悟覚醒できなかったのは残念である。さて、ダンテス・ダイジの詩集『老子狂言』やOSHOバグワンの『瞑想-祝祭のアート』などもそうだが、40年前意味がわからず7,8割読み飛ばしていたものでも次第に読めるようになってきたものもある。一方でチベット密教の秘密集会文献のようにほとんど歯が立たないものもある。秘密集会文献では、精液、経血など...ブログ開設満二十年

  • クンダリーニの基礎-1

    ◎チャクラ、クンダリーニを感じなければ始まらないOSHOバグワンのMeditation:TheArtofEcstasyから第六章クンダリーニ-生命の目覚めを仮訳してみる。OSHOバグワンのこの見方は、ダンテス・ダイジも肯っていたもの。ポイントは、以下。クンダリーニは存在し、チャクラも存在するが、いかなる知識も何の役にも立たず、妨げになる可能性が高い。生命力の内なる道についての知識は一般論であり、個々人の内なる道は人によって異なり、まず自分にはあてはまらない。クンダリーニの根、クンダリーニが通過する道も、個人によって異なる。チャクラは存在するが、その数は個人によって異なる。誰かがニルヴァーナを達成したとき、目は、外部の者がその人が本当にそれを達成したかどうかを知ることができる唯一の扉。チャクラ、クンダリーニ...クンダリーニの基礎-1

  • クンダリーニの取扱-5

    ◎意識を通して直接働きかける冥想法OSHOバグワンの“IAmtheGateChapter#5冥想と内なる覚醒への道”の仮訳の続き。ポイントは以下。呼吸を通して跳躍したのは、釈迦。意識を通して直接働きかける冥想法は、最も深い道の一つ。グルジェフの想起、クリシュナムルティの「ただ全体を意識し、焦点を当てない気づき」がその例。『(仮訳)体には非常に多くの道があります。それ自体が偉大な世界なのです。呼吸を通して働きかけることができ、呼吸を通して跳躍することができます。性を通して働きかけることができ、性を通して跳躍することができます。気づきを通して、つまり意識を通して直接働きかけることができ、跳躍することができます。この意識に直接働きかけることは、最も深い道の一つでしたが、たった一つの道でさえ非常に多くの方法で使用...クンダリーニの取扱-5

  • 冥想が公案なのだ!?

    ◎自動車ブーブー(老子狂言)『自動車ブーブー冥想が公案なのだ!?公案が冥想なのだ!?冥想が冥想なのだ!!そして公案が公案なのだ??戯れには果てしがない』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。アメジスト・タブレット・プロローグから公案に関する説明。公案は禅の冥想法の一つ。『初心者にとって、冥想とは、永遠をかけた全面的努力である。そして、純粋冥想が開示されるのは、時節が熟した、ほんの一刹那の瞬間。冥想とは、全次元存在と絶対的非在との、最終的結末であり、それと同時に、その中間であり出発点である。それゆえに、人類の全努力は、純粋冥想に打ち込むための余暇を作ることにある。快楽は苦痛であり、安心は不安であり、満足は不満足であり、悟りは迷いである。これでよいのだ。それでよいのだ。ただし、君は...冥想が公案なのだ!?

  • 完全なるマーヤーが今っている

    ◎(無題)(老子狂言)『(無題)バイクのケタタマシイ戯れああヘドロがあるヘドロがあるああ花がある花がある完全なるニルヴァーナがいる完全なるマーヤーが今っているどっちがいいといったものではないメイッテ、メイッテ、メイルステキで、ステキで、ステキだ秋の虫が鳴いている老子は、おさな子のように泣いているなにもかもがいいという言う必要もないだろう』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。老子はタオなる無想三昧にあって【老子は、おさな子のように泣いているなにもかもがいいという言う必要もないだろう】。この【なにもかもがいい】は、天国も地獄も越えている。だから【メイッテ、メイッテ、メイルステキで、ステキで、ステキだ】。老子狂言の目次&リンクスダンテス・ダイジの老子狂言の歩き方完全なるマーヤーが今っている

  • 哀しくもあるし、恐ろしくもありんす

    ◎タオ(老子狂言)『タオこれは絶対でも相対でもない流れているわけでもないし久遠の寂静というわけでもなしこれはこれだろうあれはあれなんだ静かじゃないかい・・・うれしいじゃないか哀しくもあるしねもちろん恐ろしくもありんすみんな生きてるなにもかも死ぬそんなにツッパルなよ!もっともっとどうしようもなく、ツッパレ、ツッパレ、ツッパレ!!無が有を産んだのだろうか?有が無をあらしめたのだろうか?それとも、無と有が同時にからまっているのか?ニルヴァーナが真実なのだろうか?マーヤーが真実なのだろうか?それとも、ニルヴァーナもマーヤーも真実なのか?それじゃなきゃ、ニルヴァーナもマーヤーもありもしないのか?いいじゃないか!断じてよくない!!いいじゃないか!いいや、だめだ!!・・・・・・・・秋の虫達が鳴いているよ・・・』(老子狂...哀しくもあるし、恐ろしくもありんす

  • クンダリーニの取扱-4

    ◎連続性を用いない冥想手法群OSHOバグワンの“IAmtheGateChapter#5冥想と内なる覚醒への道”の仮訳の続き。ポイントは以下。1.「私たちは連続性を見ているのは、単にその間の隙間を見ることができないからに過ぎない。」とは、隙間理論のこと。2.跳躍の概念は、ブッダがクンダリーニを通らなかったことから生まれた。彼は、七つのチャクラを、あるチャクラから別のチャクラへと、跳躍を通して通過した。3.マハーヴィーラは、チャクラや跳躍については決して語らず、爆発について語る。ある瞬間にあなたはこれであり、次の瞬間にはあれである。つまり、連続も跳躍もなく、爆発がある。通過すべき中間点はない。4.禅ではクンダリーニについては語らない。チャクラ間ジャンプから、隙間理論が出るとはね。『(仮訳)何も連続していない。...クンダリーニの取扱-4

  • この世の終わりと岩屋外務大臣

    ◎別府の時がこの世の終わり岩屋外務大臣と言えば、別府出身で、選挙区が別府。別府と言えば、出口王仁三郎予言で最も重要な『この世の終り』予言で登場してくる街。その予言は、以下。外国勢力が西日本をほぼ占領し、最後に別府を攻撃しないでとっておいて(第二次大戦時の広島、長崎、京都みたいな)、別府で祝占領大宴会をやろうとするのだろうか。『○別府別府は最後になる。○が戦勝の祝賀会を開くために残しているのである。その時にこの世の終りが来るのである。この世の別れである。昭和20年6月30日』(出口王仁三郎玉言集新月の光(下巻)/木庭次守編/八幡書店P290から引用)出口王仁三郎は、ウラルについて、何度露国が敗戦しようが、最終戦争ではウラルが噛むことを否定しようとしないので、ウラルは悪の策源地として何か固いところがあるのだろ...この世の終わりと岩屋外務大臣

  • これが人間世界という狂気のありさまである

    ◎黒は白なのだ(老子狂言)『黒は白なのだ黒を白と言いくるめるそうすると黒は間違いなく白だこれが人間世界という狂気のありさまであるそれは暗示とかイメージとかのことではない潜在想念界のトリックのことでもないただ黒と白が別れる以前からの断言にすぎない夢、気の持ちようだだとか信念の力だなぞと考えるなかれ夢しかない世界では黒は白なのだされば、汝、人間よ、進め、進め、進め!限りない黒と白の混沌の中を・・・ところで・・・黒でも白でもいいじゃないか』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【ただ黒と白が別れる以前からの断言にすぎない】さらに【夢しかない世界では黒は白なのだ】でも、黒も白も≪重苦しい今の夢よ・・・過ぎ去る夢の夢よ・・・≫であって、≪我れもなく現し世もなく何もかも夢の中なる夢の戯れ≫...これが人間世界という狂気のありさまである

  • この静けさを分かってくれるだろうか?

    ◎まるで一輪の野の花のように・・・(老子狂言)『まるで一輪の野の花のように・・・何が、何だと言うのだこれはこれなんだいいや、これはこれだという必要もない何もかも、何もかもいいんだこんなことを言うのも愚かしいそれ位、これはこれなんだ生命はジグザグに進む絶対の到達点などありもしないからだこの静けさを分かってくれるだろうか?しかも、生命は流れるニルバーナといったところでそれもまたひとときのふるさとにすぎない何もかもがすてきだ何もかもが時間でない今を楽しんでいる極楽の極楽と極限の地獄とを戯れている私は何と無駄な言葉を書いているのだろう!とことん無駄だと知りながら・・・まるで一輪の野の花のように・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【これはこれなんだ】のこれは、ニルヴァーナ。ニル...この静けさを分かってくれるだろうか?

  • ありがとうすべてのいのち

    ◎わが父に感謝をこめて(老子狂言)『わが父に感謝をこめてどんなにえらくなったつもりでもどんなに落ちぶれたとなげいたつもりでも父よあなたのいのちなしには今の私はありえないのですありがとうおとうさんありがとうすべてのいのちどんな人でも心の底では自分も宇宙もどうなるものでもないことを深く深く深く知っていますおとといはどんよりしたくもり空きのうはあたたかく輝く初夏の甘やかさきょうはカラスが鳴いていますおれはカケヒキとハッタリと鉄面皮の油ぎった支配者だ!おれは一ぷくのタバコの煙に共感の涙を流すか弱き浪費家ですなんでもいいんだスチャラカチャン!どうでもいいんだスチャラカチャンチャン・・・チャン!』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【ありがとうすべてのいのち】感謝は、人間の立場から神を見...ありがとうすべてのいのち

  • クンダリーニの取扱-3

    ◎クンダリーニは体温計のように、ゆっくりと、連続的に上昇するOSHOバグワンの“IAmtheGateChapter#5冥想と内なる覚醒への道”の仮訳の続き。ポイントは以下。クンダリーニが準備できていても、使うことが危険な場合は、他のルートを使う。マハーヴィーラもブッダも、クンダリーニについて一度も語らなかった。キリストはクンダリーニについて知らず、老子はそれについて聞いたこともなかった。クンダリーニは連続性を持つ、それはまるで体温計のようだ。それは体温計のように、ゆっくりと、ゆっくりと上昇する。その通路は連続したもの。ブッダは決してそのクンダリーニの通路を使わなかったが、彼はチャクラが突然跳躍しながら機能することについて語った。あるチャクラから別のチャクラへと、人は飛び移る。連続性はない。クンダリーニは、...クンダリーニの取扱-3

  • もっとも弱き者はかみとなって

    ◎永遠の旅に出る(老子狂言)『永遠の旅に出るあらゆるものがそのままで絶対なのだ。だからあらゆるものは夢として相対し愛し合っている。一つの雨だれの音声がエメラルドの海と完き解放の太陽を誘そう。バランスがパラノイアであればパラノイアはこの上ない甘美なバランス。もっとも弱き者はかみとなってこの地をつぐ。複雑で不安な頭脳はこの上ないシンプル。とうとう私は神になった。あなたが神であればどうして私が神でないことがありえよう。さあすべてが終わった私達は今永遠の旅に出る。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【あらゆるものがそのままで絶対なのだ。だからあらゆるものは夢として相対し愛し合っている。】これは、第六身体アートマン、すべてのすべてである神の視点。【もっとも弱き者はかみとなってこの地を...もっとも弱き者はかみとなって

  • だから果てしなきものに帰るがいい!

    ◎帰っておいで(老子狂言)『帰っておいで自分が存在しているという世界の存在は結局あらゆるものに悪意をもっている新宿駅で飛び込み自殺があった係員がレールのあちこちに散った肉体のかけらをひろっていた人間は無限なるもののかけらにすぎない・・・これが最もごうまんなる人間の至高のセンチメンタル・エゴイズムだ人間は無限なるものの一部にすぎない・・・かけらと一部とは似たようなものだが月とコカコーラ程の違いがあるたいしたちがいじゃないけれどね・・・人間は無限なるものの一部に過ぎない・・・これが人間性の究極の深淵であるこれが人間のたましいの基調音であるこれが人間性の最初にして最後の美、あるいは人間性そのものという何ものか君は果てしなきものの一部にすぎぬだから果てしなきものに帰るがいい!もっとも、その頃には、君という人間性の...だから果てしなきものに帰るがいい!

  • なにもかもゆるすというところに

    ◎すべてがわかるっていいね(老子狂言)『すべてがわかるっていいねなにもかもゆるすというところにただようことになるさ・・・天国は素適だし地獄は嫌だし・・・快楽はイイし苦痛はいやだし・・・なにかもよかったんだと味わう時よ時でない時よすべてをゆるす時よ完全敗北の時よすべてがわかるっていいね・・・それさえ忘れ果てて・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。これは、降伏の詩。水平の悟りにあって老子の生き方を狂言するとは、このようなことなのだろうと思う。降伏にはパワーと情熱が要る。すべてがわかる無想三昧を経ても、それさえ忘れて生きる。【すべてがわかるっていいね・・・それさえ忘れ果てて・・・】なにもかもゆるすというところに

  • クンダリーニの取扱-2

    ◎原担山のような逸話OSHOバグワンの“IAmtheGateChapter#5冥想と内なる覚醒への道”の仮訳の続き。ポイントは、以下。クンダリーニ・ヨーガの技法は、性的成熟以前に修錬するのがベターである。クンダリーニ・ヨーガの技法は、性的成熟以後にスタートする場合、大変困難となる。間男された聖者の逸話は、禅僧原担山の境地の高さを傍証するもの。「クンダリーニ・ヨーガの修錬は、思春期以前がベター」とOSHOバグワンは説くが、それを学校教育で行うのは、時期尚早と思う。『(仮訳)私に関する限り、全世界がセックスを自然現象として捉えない限り、直接的なクンダリーニ法に未来はありません。そして、性的成熟前に使用されるクンダリーニ・テクニックはありません。性的成熟前にクンダリーニの道があなたの中に作られない限り、たとえセ...クンダリーニの取扱-2

  • サマディーを体験したからとて

    ◎私はとこしえに楽しく生きたい!(老子狂言)『私はとこしえに楽しく生きたい!天馬、空を行き行くところ可ならざるはなしという人生の達人だからとて本当にわかっているものなど何一つなかろうよ死の悟りを開き神と霊のカラクリをつぶさに体験したからといって実際のところ何がわかったと言うのだろう光明以上の光明至悦以上の至悦わかることとわからないことの彼方のサマディーを体験したからとてそれが何だというのだ庭先にマーガレットの花が咲き乱れすづめの鳴き声はすづめの鳴き声らしいそして私は生きているらしい・・・時には不安にめいり時には極楽のエクスタシーに酔いながら私はどこからどこへ行くのかを知らないばかりかこう書いていることもこう書いている私とやらもぜんぜん知りはしないらしい・・・やれ観念的だ抽象的だやれ実質がある実行があるやれ...サマディーを体験したからとて

  • みんなみんな同じであると

    ◎ただそれだけのこと(老子狂言)『ただそれだけのこと私は冒険なぞ求めてはいない血わき肉踊るディオニッソスも一刹那にすぎないみんなみんな同じであると知ってしまったからには・・・この上、何を求めようというのか今は初夏の香りの中で野の草花とともにうたたねしたいだけ···ただそれだけのこと』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【みんなみんな同じであると知ってしまったからには】これは、あらゆる人間は、すべてのすべてである神と、みじめで情けなく無力な自分という人間を、二重に生きているが、このことを指す。みんなみんな同じであると

  • クンダリーニの取扱-1

    ◎現代世界は性的倒錯と性的搾取が蔓延しているため、クンダリーニの修行は難しい。OSHOバグワンの“IAmtheGateChapter#5冥想と内なる覚醒への道”において、クンダリーニの取扱が概説されているので仮訳してみた。ポイントは、以下。クンダリーニの実践は、性エネルギーを瞑想のために簡単かつ自然にチャネリングできる人にとって有用だが、そういう人は少ない。現代世界は性的倒錯と性的搾取が蔓延しているため、クンダリーニ、つまり特定のサイキックチャネルにおけるサイキックエネルギーの動きは困難になっている。クンダリーニの自然な感覚がない限り、OSHOバグワンは、クンダリーニのテクニック指導をしない。『(仮訳)朝、私たちは清々しさを感じます。日の出とともに朝には何が起こるのでしょうか?二酸化炭素は減少し、酸素は増...クンダリーニの取扱-1

  • 夢の中なる夢の戯れ

    ◎格言3-17我れもなく現し世もなく何もかも(老子狂言)『17○我れもなく現し世もなく何もかも夢の中なる夢の戯れ我れもなく現し世もなく何もかも神の中なる神のあらわれ我れもなく現し世もなく何もかもなにもかもなし、なにもかもなし・・・・』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)夢は、マーヤーにして現象。神こそは、リアリティ。だが、なにもかもなし、なにもかもなし。:これは、大本教出身の生長の家の創始者の谷口雅春の三神歌。ダンテス・ダイジの冥想道手帳でも採用されている。老子狂言の目次&リンクスダンテス・ダイジの老子狂言の歩き方夢の中なる夢の戯れ

  • アストラル体は、この物質的世界に実質的有効性を持っている

    ◎格言3-16修錬によって(老子狂言)『16○修錬によって、どのようなイメージにも君がひっかからなくなったら、客観性を持ったビジョンが、向こうからやて来るだろう。ヴィジョンを自由に生きられるようになったならば、君はアストラル界をものにしたというわけだ。アストラル体は、この物質的世界に実質的有効性を持っている。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。【修錬によって、どのようなイメージにも君がひっかからなくなったら、客観性を持ったビジョン】ここは、格言3-13の【君はかくありたいというイメージ、あるいは様々なイメージや、主観的イメージでないビジョン】と同じ意味だと思う。自分の将来のことを思い描くのも【イメージ】、ステキな異性と出会ってうまくやりたいと思い定めるのもイメージやビジョ...アストラル体は、この物質的世界に実質的有効性を持っている

  • 立春のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

    ◎立ちピラティス(目のかすみ、うすら貧血、嚥下のひっかかり、痰のからみ、呼吸が浅くなる対策)午後の運動10分×3とおちょこ2杯の飲酒をスータートして2か月ほどになる。立ちピラティス(STANDINGPILATES)の効果は顕著で、立ちピラティスは、一日10分×2回くらいのものだが、特に目のかすみ、うすら貧血が少々緩和され、テレビの音も最高30だったのが、今は15でも聞こえるようになった。まぶしさも若干改善。おすすめはこれ。“30MINUTESTANDINGPILATESWORKOUTFORWEIGHTLOSS-NoRepeats FatBurning”https://www.youtube.com/watch?v=uk0znADBVFU膝横の筋肉がついてきたが、ふくらはぎ、足首が固くなってきたので、長座で...立春のバランスと歩行改善と転倒防止エクササイズ

  • 神秘にして不可知な、あらゆる宇宙を旅し続け

    ◎格言3-15素直さと冒険心・根源的情熱(老子狂言)『15○素直さと冒険心・根源的情熱は、あなたに自信を与えてくれるだろう。そして、あなたは、神秘にして不可知な、あらゆる宇宙を旅し続け、味わい続けることだろう。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。【神秘にして不可知な、あらゆる宇宙】とは、アメジスト・タブレット・プロローグのこの部分がふさわしいと思う。『今ここにいることは、君にできることではない。君に、今の中に完全にいることが起こったら、余りの無気味さに圧倒されてはならない。余りの未知・余りの神秘。それは決して理解することはできない。その時、すべてが開示される可能性を得る。』アメジスト・タブレット・プロローグP176から引用その時、【素直さと冒険心・根源的情熱は、あなたに自...神秘にして不可知な、あらゆる宇宙を旅し続け

  • 平穏無事の安心

    ◎格言3-14誠実であるのがいい(老子狂言)『14○誠実であるのがいい。それは、平穏無事の安心を与えてくれる。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。人生の早い時期から不条理を感じる生い立ちを選んで生まれて来た人は別だが、人は子供のうちは、平穏無事の安心があって愛が育っていくものだ。また大人になってからも、平穏無事の安心がなければやっていけない時期もあるものだ。だから【誠実であるのがいい】。平穏無事の安心

  • 限りない「夢」と「真実」

    ◎格言3-13君はかくありたいというイメージ(老子狂言)『13○君はかくありたいというイメージ、あるいは様々なイメージや、主観的イメージでないビジョンさえも、さらには見性さえも、答えにはなり得ないことに気づく時がくるだろう。だが、この絶対不可思議な、限りない「夢」と「真実」、この生々化々千変万化この者を、実現することは唯一絶対の不可能だ。——君にとっては。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。【主観的イメージでないビジョン】は、永遠不壊の霊界のビジョン、プラトンの言うイデア。具体的には、弥勒菩薩など。【だが、この絶対不可思議な、限りない「夢」と「真実」、この生々化々千変万化この者を、実現することは唯一絶対の不可能だ。——君にとっては。】君にとっては、不可能だが、【この者】に...限りない「夢」と「真実」

  • 限りない「何ものか」が、あなたと一体不二であったことを体験

    ◎格言3-12見性においては(老子狂言)『12○見性においては、あなたは、限りない「何ものか」が、あなたと一体不二であったことを体験する。それは根源的な納得・充実・自由・歓喜・安心・生命力の爆発と称せられるものだろう。私は、絶対無の光明とあらゆる多様多元の宇宙が、何もかもが私だったことを生きていたことを知った。・・・そして、それも忘れ果てることだろう。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。【見性においては、】【体験する】自分が残っている。見性なのに、【それは根源的な納得・充実・自由・歓喜・安心・生命力の爆発と称せられるものだろう。】と突っ込んだことを言っているが、【体験する】自分が残っている。限りない「何ものか」が、あなたと一体不二であったことを体験

  • そんなものはそんなもの

    ◎格言3-11悟り・見性・見神・神人合一(老子狂言)『11○悟り・見性・見神・神人合一・・・何と名づけてもいいが、それは至福でも、幸福でも、陶酔でも、エクスタシーでもない。そんなものはそんなものなのである。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。【悟り】には、大悟、小悟がある。【見性・見神】は、仏や神をチラ見するだけで、神人合一ではない。悟りを得た立場からは、【そんなものはそんなものなのである】と言ってもよいが、未悟の者が同じことを言ってはいけないと思う。そんなものはそんなもの

  • 何かわからぬが、全身全霊で求めている「何ものか」

    ◎格言3-10ただ一人の例外もなく(老子狂言)『10○ただ一人の例外もなく、私達の心と名づけられているものの、内部には、何かわからぬが、全身全霊で求めている「何ものか」がある。その「何ものか」は、人生の最高の成功・栄光・調和・美・悦楽・至福・遊戯自在あるいは三昧の境地・エネルギーの充溢感をも超えている「何かなのだ」。—もっとも、これも、かみさまの一つの、たった一つの刹那。絶対不動の光でない光―――万物万象と一体となっている状態—生も死もない慈愛・至福—もはや、今は、これ以上語れない。愛情さえも、本当に深い深い信頼さえも、一場の茶番になってしまうような—「何ものかだ」。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。人は、【人生の最高の成功・栄光・調和・美・悦楽・至福・遊戯自在あるいは...何かわからぬが、全身全霊で求めている「何ものか」

  • OSHOバグワンはクンダリーニ・ヨーガの技法を公開しなかった。

    ◎準備ができた者にしか指導しない方針OSHOバグワンの全著作を眺めているが、全体の三分の一くらいがなんと禅関係であり、禅僧名のほとんどが日本語読みなので日本語の書籍を英訳したもので読んでいるだろうことがわかる。彼の最終著作が禅宣言であるのは、ずっと奇妙なことだと思っていたが、実は本当に禅を推していたことがわかった。だが、OSHOバグワンに禅師の峻険さはない。だから禅マスターとして一流とは思えないのだ。おしゃべり過ぎて、徹底しているとは思えないのだ。OSHOバグワンの真骨頂は、クンダリーニ・ヨーガ。彼は正師なく独力で悟った得難いクンダリーニ・ヨーギ。だから、さぞクンダリーニ・ヨーガの技法について微に入り細に入り語っているだろうと思いきや、どうもそんなのはないようなのだ。多数ある弟子との問答集には、「グルジェ...OSHOバグワンはクンダリーニ・ヨーガの技法を公開しなかった。

  • 何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢なのよ

    ◎格言3-9臨済禅師は(老子狂言)『9○臨済禅師は、もし、もっと長く生きたならば、老子のあり様に近くなっただろう。が、臨済君は臨済君だ。彼は、完全な自由を生きた。老子は老子だ。彼は生き切り、生ききらず、死に切り、死にきらない、絶対即相対の完璧な体得者であり、余りにもあたりまえなただの人。そこで、超人普化はというと、ここで、狂僧か何か知らないが、狂僧普化は、カンオケの中で死んだというわけだ・・・普化!おまえのことだ!すべてのことだ!地水火風空無霊有のことだ!あなた自身の夢・・・・あなたのいない夢・・・・カオス・不如意・不安恐怖・あらゆるエクスタシー・幸福・不幸・快楽・苦痛・あなたもわたしもない。何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢なのよ・・・・至高無比の絶対満足の中に、いいへ、それ自身の夢が戯れているのよ・...何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢なのよ

  • 完全に充実する、完うしつくす

    ◎格言3-8無意味な、あるいは大いなる意義あるルール(老子狂言)『8○無意味な、あるいは大いなる意義あるルールを、形式を問わず完うしつくすことが、欲望のエネルギーである。完全に充実する、完うしつくすとは何か?もし、そこにすこしも余計なものもなく、ただただの流れが、あなた無しのあなたを限りない『それ』であるのならば、『それ』はそれなのであり、この意味で、ルールを完うしつくし続けるだけならば、そして、その具体的なあらゆる努力を、作為・情熱・倦怠・安心・不安・全智・恐怖などを抜きにしてなされるある状態を、カルマ・ヨーガと称する。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。欲望のエネルギーの一つのスタイルは、【完全に充実する、完うしつくす】ということ。【あなた無しのあなたを限りない『それ...完全に充実する、完うしつくす

  • あらゆる立場の現象存在にとって、 出口はない

    ◎格言3-7壊れたラジオ(老子狂言)『7○壊れたラジオ・・・人間。調和のとれているラジオ・・・人間。いづれにせよ、絶対的に条件づけられたラジオだ。出口はない。余りにも、あたりまえなことだが、あらゆる立場の現象存在にとって、出口はない。あらゆる‘形’で固定された私たちには。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。人間は、すべてのすべてである神と、みじめで情けなく無力な自分という人間を、二重に生きている。そのみじめで情けなく無力な自分を、【出口はない。】と云う。人間の頭は、政府、マスコミ、学校、スマホ、隣人、あらゆる教育、言説、プロパガンダで9割以上占められている。これをマインド・コントロールあるいは洗脳と呼び、【あらゆる‘形’で固定された私たち】とも【壊れたラジオ・・・人間。調...あらゆる立場の現象存在にとって、出口はない

  • あなたは、いつも、もっともっと欲しいのだ

    ◎格言3-6いいと言うことと(老子狂言)『6○いいと言うことと悪いと言うこととの多様多元の世界。マーヤー、多元宇宙。それ以上、何が必要か・・・?「あなたは、いつも、もっともっと欲しいのだ。」』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。【いいと言うことと悪いと言うこととの多様多元の世界。】を眺めてみれば、どの人も大方、【いつも、もっともっと欲しいのだ。】だから現象世界のマーヤーは終わることはない。人は、善を行い悪を行わないように生きるべきだが、【いいと言うことと悪いと言うこと】は両方ある。老子狂言の目次&リンクスダンテス・ダイジの老子狂言の歩き方あなたは、いつも、もっともっと欲しいのだ

  • 女性のクンダリーニ-5

    ◎女性のクンダリーニ・ヨーガは未探検OSHOバグワンは、女性のクンダリーニがどのように上昇するかについては、これからの研究によるとした。だったら、女性はクンダリーニ・ヨーガの方法が事実上ないと宣言するのが親切ではないのだろうか。ポイントは、以下。男性の場合、クンダリーニは非常に活発に、力ずくで上昇する。男性のエネルギーが上昇するとき、それは受容的で受動的な上昇となる。男性の場合は何かが入ってくる。女性の場合は何かが開く。(以下、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブタントラ2巻のChapter26P383-385から仮訳)『(仮訳)男性の場合、それは非常に活発に、力ずくで上昇します。だからこそ、彼らはそれを蛇の立ち上がりと呼んできたのです。非常に力ずくで、突然、衝撃とともに、蛇が展開します。そして、それは多...女性のクンダリーニ-5

  • 同性愛とアジナー・チャクラ-2

    ◎男が女を知り、女が男を知ることは、ニルヴァーナに到達する一段階この段は、乳幼児期から成人に至る性的嗜好の推移を示し、どう大悟覚醒に至るかを説明している。ポイントは以下。乳児は自慰的。次に子供は同性愛的に変わる。三段階目に異性愛に変わる。男が女を知り、女が男を知ることは、ニルヴァーナに到達する一段階。大悟覚醒の最後の瞬間、アジナー・チャクラで、男と女の途方もない出会いが起こらなければならない。OSHOバグワンのTheDivineMelodyP51を仮訳してみた。『(仮訳)生まれてくる子供は皆、自慰的です。なぜなら、子供は最初に自分自身を愛することを学ぶからです。それが唯一の自然な方法です。彼は他の誰も知らないので、自分の体で遊びます。生まれてくる子供は皆、自然に自慰的です。それが彼の最初の愛です。彼の成長...同性愛とアジナー・チャクラ-2

  • 相対即絶対のあらゆる知覚体得

    ◎格言3-5思うにアジナー・チャクラは(老子狂言)『5○思うに、アジナー・チャクラは、相対即絶対のあらゆる知覚体得にかかわるある種の生理的位置である。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。チャクラは、肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体の各ボディに分布し、肉体上のチャクラは検出できないと、ダンテス・ダイジは語っている。その上で、ここでは肉体上のアジナー・チャクラについて、ことさらに言及している。【相対即絶対】とは、相対が色即是空空即是色で、絶対が色是色空是空なのだろう。OSHOバグワンのアジナー・チャクラに関する見解を眺めると、太乙金華宗旨でもクンダリーニ・ヨーガでもタオあるいはニルヴァーナ直前の位置がアジナー・チャクラであって、そこで、陰陽のバランス、水火のバランス...相対即絶対のあらゆる知覚体得

  • 同性愛とアジナー・チャクラ-1

    ◎求道のためには、同性愛はマイナスOSHOバグワンは、人間は、異性愛の体験があって初めて、第六チャクラ・アジナー・チャクラの内なる女性を越えて大悟覚醒に進むことができると見ている。LGBTQ公認の影響で、若い人は「同性愛も」当たり前と思っている人が多いのかもしれないが、1977年のOSHOバグワンは、同性愛の起源と伝統について、卓見を披歴している。同性愛は、求道的な見地から見ればマイナスなのである。ポイントは以下。1.同性愛は、男性支配文化の産物で、ユダヤ教の伝統から生まれたすべての文化は同性愛的。2.戦争、絶え間ない闘争があるとき、社会は男性支配に傾く。3.東洋では、比較的平和、幸福、満足に暮らせていたので、同性愛は決して問題にならなかった。4.継続的に戦争状態にある国に加えて、男性中心のコミュニティは...同性愛とアジナー・チャクラ-1

  • 女性のクンダリーニ-4

    ◎女性のクンダリーニの活動開始まで円環の作成から、女性のクンダリーニの活動開始まで。世の中の誤った情報の氾濫による害毒は、男女双方を侵している。ポイントは、以下。乳房がエネルギーで満たされた時、負極が反応する。本や動画で見たルートを辿らず、エネルギー自体が動くままに。(以下、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブタントラ2巻のChapter26P382-383から仮訳)『女性の場合、瞑想は乳房から始めると良いでしょう。そこが彼女たちの正極だからです。このため、多くの奇妙なことが可能になり、実際に起こります。男性は常にすぐに女性の中に入りたいと思います。彼の正極は常に準備ができているので、前戯には興味がありません。そして女性は常に、前戯なしにすぐにセッ●ス行為に入るのを嫌がります。なぜなら、彼女たちの負極は準...女性のクンダリーニ-4

  • 知っていること、未知であること

    ◎格言3-4すでに知っていると思いこんでいること(老子狂言)『4○すでに知っていると思いこんでいることと、未知であることとには何の違いもない。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)これは、第七身体ニルヴァーナにいる場合の実感。第六身体アートマンではすべてを知っているが、第七身体ニルヴァーナでは、すべてが未知。またこれは、直前の『格言3-3私のことも、私のまわりの出来事と称せられるものについても、本当には、あるいは、真実には、まったく知ることはできない。』の別の実感。知っていること、未知であること

  • OSHOバグワンの7チャクラの説明-4

    ◎すべての男性は、神に到達する前に女性にならなければならないOSHOバグワンの7チャクラの説明の続き。第六のアジナー・チャクラは、人間の完成のための洗練の位置であって、それは女性でシンボライズされる。ポイントは、以下。すべての男性は、神(サハスラーラ・チャクラ)に到達する前に女性にならなければならない。これが、アジナー・チャクラの秘儀。アジナー・チャクラでは、人は女性に変わらなければならず、並外れた意志でもって降伏せねばならない。アジナーとは「命令、戒律」という意味。(この女性は内なる女性、アニマ)意志が究極の焦点に達したとき、降伏が可能になる。近代西欧文明は、アポロン的であり、男性的、攻撃的だが、全意志力をもって神に降伏することで、至福千年がやってくる。OSHOバグワンのThe_Divine_Melod...OSHOバグワンの7チャクラの説明-4

  • OSHOバグワンの7チャクラの説明-3

    ◎アジナー・チャクラは、愛でも祈りですらなく、無条件の自然な存在OSHOバグワンの7チャクラの説明の続き。ポイントは、以下。最初の3つのチャクラは動物的で、最後の3つのチャクラは神聖。4番目はアナハタ―ハートチャクラ、ハートの蓮、愛のチャクラ。その愛は、動物と神聖の間の橋。6番目のアジナー・チャクラは、愛でも祈りですらなく、無条件の自然な存在の状態。次に神に至る完成直前の位置。7番目のサハスラーラ・チャクラは故郷。旧約聖書では、男性から女性を創造したが、それは、女性は男性の洗練されたもの、より純粋な形であることを意味する。これが起こった場所が、6番目のアジナー・チャクラ。神は創造の最後の瞬間に、何か足りないと感じ、男性の骨を一本取り出して女性を創造した。※カビールは、15世紀から16世紀にかけて北インドで...OSHOバグワンの7チャクラの説明-3

  • 女性のクンダリーニ-3

    ◎愛の行為により男女は、円環を形成する女性のクンダリーニを考える基本として、女性の正極と負極の位置をまず考えねばならない。ポイントは、以下。女性の体では、ヴァ●ナが負の極であり、乳房が正の極。愛のあるセッスでは、正極負極が交わって、男女は円環を形成する。愛のないセッスでは、円環を形成しない。セッス行為と、愛の行為とは異なる。「片方の極だけが出会う」状態では、エネルギーは男性から女性へ流れるだけ。(以下、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブタントラ2巻のChapter26P382から仮訳)『私が男性と女性は一つの全体の二つの対応する部分だと言うとき、私は彼らが互いに補完し合うという意味です。そして、この補完性は、彼らの反対の極が出会うときにのみ可能です。これを次のように見てください。女性の体では、ヴァ●ナが...女性のクンダリーニ-3

  • OSHOバグワンの7チャクラの説明-2

    ◎下方3チャクラは、食べ物、お金、権力、支配、性に関係している。OSHOバグワンは、7チャクラの説明の続き。ポイントは、以下。1.下方3チャクラは、食べ物、お金、権力、支配、性に関係している。2.一番目のタイプは食べ物に執着する人で、動物の最も低いカテゴリーで生存欲。生きるために食べ、食べるために生きる。3.二番目のタイプは、支配欲、権力欲で、権力狂、政治家。彼は、心の奥底で非常に劣等感を感じているので、人々を支配したいと思っている。彼らは登り詰めれば、大きな挫折が訪れる。4.他人を支配しようとすること、他人を征服しようとすることは、非常に動物的な本能。真の人間は他人ではなく、自分自身を征服しようとする。5.二番目のタイプは、性。これは、食べ物よりも、政治よりも優れている。なぜなら、それにはもう少し高い質...OSHOバグワンの7チャクラの説明-2

  • OSHOバグワンの7チャクラの説明-1

    ◎人間のチャクラは虹であり、7色でワンセットOSHOバグワンは、7チャクラに言及したものは多くない。その数少ない説明の一つが以下である。ポイントは次のとおり。人間のチャクラは虹であり、7色でワンセット。特定のチャクラだけ強調するのは片手落ち。人間は動物と神の間にある橋で、人間は花開くかもしれないし、花開かないかもしれない。それゆえに、内側の震え、動揺、おののきがある。人間は、神に向かう7つの段階であるので、これらすべての7つのチャクラを通過しなければならない。下方3チャクラであるムーラダーラ、スワディシュターナ、マニプーラは、動物のチャクラ。OSHOバグワンのThe_Divine_MelodyのP29-30を以下仮訳してみた。『(仮訳)人間は虹であり、すべての7色が一緒になっています。それが彼の美しさであ...OSHOバグワンの7チャクラの説明-1

  • 女性のクンダリーニ-2

    ◎同性愛者は霊性を発達させることができないLGBTQは、政府によって公認された。1973年の以下の講話でOSHOバグワンは、このような日が来ることを予見していた。その時の、彼の話の重要部分は次のとおりだが、それはクンダリーニ・ヨーガの技法にも影響を与えることになる。1.同性愛は倒錯2.同性愛者の心は人間のエネルギーとその動きの非常に基本的なパターンについて啓発されていない。同性愛者は霊性を発達させることができない。(以下、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブタントラ2巻のChapter26から仮訳)『(仮訳)『全く異なるテクニック、全く異なるテクニックが開発されるべきです。しかし、男性と女性はとても近く、とても密接に暮らしているので、自分たちが違うということを忘れ続けています。類似しているものは何もなく、...女性のクンダリーニ-2

  • これが何であるかを知ることは決してない

    ◎格言3-3至福でない至福は起こる(老子狂言)『3○私のことも、私のまわりの出来事と称せられるものについても、本当には、あるいは、真実には、まったく知ることはできない。その絶対は起こる。その至福でない至福は起こるその確信ではない確信は起こる。だが、私は、これが、何であるかを、知ることは決してない。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。究極とは、絶対であり、至福であり、確信だが、体験する自分がいないので、【これが、何であるかを、知ることは決してない。】。だから十牛図第八は一円相であって、時になにもかもなしと表現される。古神道では、神像を造らせず、釈迦も没後数百年は仏像がなかった。これが何であるかを知ることは決してない

  • 女性のクンダリーニ-1

    ◎クンダリーニ・ヨーガは女性には向いていないOSHOバグワンは、現今のクンダリーニ・ヨーガでは、女性のクンダリーニは、上昇しないという。セッションかなんかで、女性が「クンダリーニが上がっています。」と言っている場合は、まず単なる想像であって、実際には上がっていないという。以下、OSHOバグワンのヴィギャンバイラブタントラ2巻のChapter26から仮訳してみた。『(仮訳)質問:男性と女性のためのテクニックに違いがあるべきなのはなぜでしょうか?答え:なぜなら、彼らは違うからです。彼らは可能な限り違っています。彼らは正反対です。本当に、もっとも適切な質問はこうでしょう。「なぜ類似のテクニックであるべきなのか?」男性と女性の両方が使っているテクニックがありますが、それは女性に適しているからではありません。実際に...女性のクンダリーニ-1

  • 時は法則だが例外もある

    ◎格言3-2意味なく、価値なく、生きる時(老子狂言)『2○たとへ、あなたがどのような存在であろうと、完全に、意味なく、価値なく生きる時もある。このあらゆる世界、あるいは宇宙は、夢なのだ。時は、絶対者のあらわれの一つであり、それは、一つの法則である。が、法則には例外というものがある。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。生存のためには全身全霊をかけねばやっていけないこの厳しい時代。だからこそ【完全に、意味なく、価値なく生きる時もある。】法則の例外についてダンテス・ダイジは、ときどきほのめかしている。錬金術師は、何千回と同じレシピで黄金変成実験を繰り返すが、例外的に本物の黄金ができることがある。虚空蔵菩薩求聞持法では、虚空蔵菩薩のマントラを百万遍唱えれば、成就すると言われるが、...時は法則だが例外もある

  • その充実を生き尽くす

    ◎格言3-1坐禅とは(老子狂言)※格言3の原文には、小見出しも番号もなく○だけだが、分量が多いので、便宜的に番号と小見出しを振る。『1○坐禅とは、いかなる状況、あるいは、いかなる世界においても、生き生きと、やすらかに充実している、あるいは、たくましく充実している、絶対それ自体を、いくたびも体験し、そして、死のその最後の瞬間まで、その充実を生き尽くすことにある。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩文から引用。これは、水平の悟り、生の側から極めるということを短文で表現したもの。十牛図第十入鄽垂手(にってんすいしゅ)でわかったような気分になるかもしれないが、ここまで書いてもらわないと実際のところは想像しにくいのではないか。【絶対それ自体を、いくたびも体験し】これは、伊福部隆彦氏は、カルマ・...その充実を生き尽くす

  • 呼吸、セックス、飢えで修行

    ◎心の大半を占める無意識をすべて意識にするOSHOバグワンは、人間が無限光明を得る(究極)ための冥想方法として、呼吸、セックス、飢えの三方法を上げる。いずれも狙いは、心の大半を占める無意識をすべて意識にしてしまおうということだが、事はそれほど簡単ではない。呼吸(ヴィパッサナー)は、釈迦が用いて覚醒したが、眠れなくなるので発狂しやすいという点がある。飢えは、マハーヴィーラが用いて覚醒したが、断食の加減によっては死の危険がある。飢えが進むほど意識は冴えるという。セックス(性愛冥想、タントラ)は、誰もがやりたがるかもしれないが、無意識でないとセックスできないという土俵で、意識を拡張しようとするのだから、初手から困難だ。釈迦はその困難さからこの修行法は回避したという。以下TheUltimateAlchemy,Vo...呼吸、セックス、飢えで修行

  • わたしは小麦色の肢体が好きだ

    ◎どこまで行ってもきりがない・・・(老子狂言)『どこまで行ってもきりがない・・・あなたと言ったらすでにわたしが含まれていた地獄と思ったらもうそこには天国が花開いている思うがままに生きるのだ思わないままに生きているのだ快楽と苦痛とは果てしのない戯れを戯れているこの神秘のカオスのただ中には永遠に答えなぞない私はどこにも行き着きはしないどこに到達する必要もないニルヴァーナとマーヤーの交合歓喜は続き続けるこれが至福だとも知らずにこれがやすらぎと生命力だとも知らずにあなたが何をしたところであなたにわかるものなぞ一つとしてない死がわからないと同じようにわたしの言葉もわかりはしないわたしは小麦色の肢体が好きだ太陽と輝くエメラルドの海が好きだニルヴァーナを愛しマーヤーを愛しているどこまで行ってもきりがない・・・』(老子狂...わたしは小麦色の肢体が好きだ

  • 今は、帰れないことになっているらしい

    ◎人にはすべて夢があり(老子狂言)『人にはすべて夢があり人にはすべて夢があり、その悲しみは大きい。あなたは、かつて私に秘密を打ちあけた、ささやき声で・・・底力のあるささやき声で、私は彼方の古里から来たものだが今は、帰れないことになっているらしい。すべてに宿る無限性を教えてくれたアストラル界でのあなた———最後の天使も、今は、何処にいるのか?私のイトシイヒト今、一度、やさしくも堂々と帰っておくれ。』(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)以下【】内は上掲詩から引用。【人にはすべて夢があり、その悲しみは大きい。】これは、欲望と絶望、不条理の堂々巡り。それが本当にいやになったところで先に進む。苦しみですらまんざらでもないと思っている人は多い。【アストラル界でのあなた———最後の天使】ダンテス・ダイジは、徹底した霊...今は、帰れないことになっているらしい

  • オレと冥想とは流れもの

    ◎ドナルド・シモダ(老子狂言)ドナルド・シモダは、大ベストセラーのリチャード・バックの『イリュージョン』に出て来る聖者。彼は飛行機乗りで、最後頭を銃で撃たれる大けがを負いながら、リチャード・バックに末期の言葉を述べるシーンは印象的だ。水平の悟りを得ているドナルド・シモダには、透徹した孤独感がある。リチャード・バックの前世記憶から出してきた救世主入門は、この本で初登場、世に知られることとなった。『ドナルド・シモダオレたちゃ空の遊び人オレと冥想とは流れもの干し草畑をふらふらとおてんとさまに包まれて冥想お前がオレの情婦だ黒いガーターちらりと見せて酒場で踊る女よりオレはお前と寝たいんだお前の中で寝ていたい雲は二人の愛の巣だ風や嵐は恐くないすねるお前がなお恐い白い尻から火を吹いてお前が怒ればオレは死ぬ死んでもくいは...オレと冥想とは流れもの

  • 太乙金華宗旨の光について-5

    ◎いっさいの思考が消えることを思考の集中というこのあたりから光の話が出て来る。ポイントは、以下。中心に向かって動いてゆけば、思考は消えはじめ、その中核においては、いっさいの思考が消え、ただ覚醒のみがある。これを思考の集中という。生命と空虚さは内なる神が持つ二つの顔だ。それをただ見守りつづけていたら、人は、完全無欠な顔と無の顔を持つ神になる。※開眼は光の外向、閉眼は光の内向とあるが、ここでは、閉眼を勧めている。だが、半眼の冥想もある(ヴィギャンバイラブタントラとは別のことを言っている)。※『光があなた自身の実存に降り注ぐ』とは、中心太陽への突入だろうか。※一寸四方:人間一人が周天すれば、天地万物すべてのものが、自分一人とともに周天する。そしてこれは、一寸四方のところで生起する。(一寸四方に入る大きさの身体は...太乙金華宗旨の光について-5

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