糸数アブチラガマは、もともと日本軍の陣地壕且つ糸数集落の避難壕でしたが、戦線が南部に達すると南風原陸軍病院の分室なりました。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。1945年5月25日の南部搬退命令により病院が搬退したあとは、糸数の住民と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態となりました。 その後、米軍の攻撃に遭いながらも生き残り、8月22日の米軍の投降勧告に従って、住民と負傷兵はガマを出ました。(アブチラガマHPより) 現在、壕は管理され入場料を支払えば、ガイド付きで壕の中に入ることができます。アブチラガマは証言も多く残っていることから、証言を元にアブチラガマの実相を紹介します。