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  • 自分向け/他者向けの話の切り分け

    (自分向けの話)人間は、どんな立場にいても、その立場(現実)から見た欲望の理想(偏見)を欲するから、欲望による(現実の否定の)苦しみが消えることはない。➡自分向けは、否定をしない(否定/期待を煽らない) 平常・冷静さのため。どうでもいい(否定

  • 否定と人間関係のイメージ

    人間関係のイメージを、(否定性/傾向が高いが)、否定せずに、仕方がないと、諦めて、受け入れよう。認識の否定のスイッチが、毒親の(子供の)否定のせいで、『高め』に設定されてしまっている(認識の歪み/すりこみ)。が、これも(脳神経的に)仕方がないことだ

  • 採用される条件について

    採用される条件についてこの人となら一緒に働きたいかどうかがポイント=①欲望:他者否定(他責/自責)がないこと=②中庸:受容であること=③善性:善性(行動の善、感覚/知性の善)があることの3つの条件が、言動に揃っていること。いずれかの条件がな

  • 無知の知、知の探究、知の幸福(完全自己完結型の肯定感)

    無知の知、知の探究、知の幸福(PDF資料)~~~ー完全自己完結する自己肯定感(自由意志に準ずる肯定感)ー自分の内面/理性・知性の(形而上学的な)範囲において、(苦しみを消したうえで)最低限の(自己)肯定感を保つことを目指している。パワポ

  • ☆否定が消えないときは

    無意識による(欲の)無の否定が消えないときは、どうするか(いつまでもクヨクヨと、起こったことの否定/自己否定/他者否定が続く場合)無を否定しても仕方がないから、否定しない(期待もしない)心の中庸(メソテース)無の荒野・与えられることは無い

  • 全ては欲か善の2択

    欲のためにやるなら(欲のとおりにはならないので)必ず否定となる。(欲するもの/都合のいいもの/理想のものが、何も(与えられ)無いことを、否定しても仕方がないと・認識の否定を上書きして、受け入れること=心の中庸(メソテス)/受容(アクセプタンス)何

  • 無の荒野を徹底しよう

    無の荒野を徹底しよう。無の荒野(自分にとって都合のいいものが与えられることは無い=欲の諦め=欲の否定の打ち消し)を徹底して初めて、目を凝らして(感覚を細部/ディティールまで研ぎ澄まして)、詳細を詰めていけば、小さな緑(善=肯定)を見つけることができる

  • 無の荒野

    自分の置かれている現実そのものを否定しないこと(個別事象の認識だけに囚われないこと)。この行為をやることで、自分にとって都合のいいものが与えられることはない、と感じること。自己否定のみがあること。(若いときは、自己否定→自己防衛→他者否定→承認

  • 無の否定と無の受容

    (0)無を認識する。(1)無を否定するとしても、(2)無を否定せず、無を受け入れる。 無を受け入れて、何も無いことを認めきる。(3)何も無い状態で、それでも、感覚を細部まで研ぎ澄まし、か細い善さが見出せるなら、それがささやかな肯定となる。

  • 頑張ることで正気を失う

    頑張ったからといって、結果や評価につながるとは限らない。結果や評価には、他者の運と才能の運が必須だ。そして、運の占める要素は努力の要素より格段に大きい(運が9割、努力が1割)。むしろ頑張らないといけないという『現実を否定する気持ち』が、苦しみを生み、

  • やす子さんの『アンチ』コメントのついて

    やす子さんの4/18コメント⬇"何かに対して過剰にアンチしてる人嫌いな人にわざわざ時間使うのもったいなさすぎる。その時間、自分のために使った方が絶対良いと思うんだ〜嫌いな人がいるならミュートなりブロックなりして見なきゃいいのよ😀"について⬇や

  • ☆自己愛の自己対処について

    自己愛は、『自己否定の苦』と『他者否定の毒』が表面化した『無自覚の呪い』だから、どこに行っても、誰に対しても、無意識に『他責=積極的攻撃により、他者を攻撃したり(例:自慢や悪口)』、『自責=受動的攻撃により、他者に負担をかけてしまう(例:過度な自虐や自己

  • ☆顕示の目的を変える

    無意識が(自己に関わる顕示物を)表に出したいと焦る/急かす⬇❌表に出そうとするのは、他責の欲だから、それは止めよう⬇○表に出そうとするのは、行動の善としよう⬇◎自分が(顕示物を)理解するのは、感覚の善としよう⬇◎自分が(顕示物を)理解する

  • ☆困ったときは形而上のディティールにこだわる

    0.認識する⬇1.認識したものを否定する⬇2.認識したもののディティール(認識した他者の心理、自分の心理のディティール)を把握して、仕方がないと受け入れる⬇3.感覚の善→ディティール 行動の善→ディティールを詰めれば、善さも増え(肯定感とな)る

  • 自己愛と関わらないですむ幸運

    欲(否定と期待)を煽る者が、最も欲(否定と期待)の苦しみを感じている。期待とは、未来への期待=現実の否定である。自己愛の人間と関わらないことができているのは、ひとつの奇跡的幸運である。自己愛と見た目ばかり大きい人間が(中身は自己否定と他者否定

  • 期待と否定について

    期待とは、未来への期待=現実の否定である。否定(期待)を煽られる者もそうだが、否定(期待)を煽る者が、一番否定に苦しんでいる。

  • 自己愛だらけの世渡りにおいて

    職場において、他者と接すると、他者と自分の関係性を認識してしまい、否定や期待の気持ち(承認欲の理想と現実のギャップの気持ち)が生まれる。(期待とは、期待どおりにならないなら否定に帰着するため、否定の予約である)否定(や期待)は本能で避けられないが、

  • 自律神経と哲学(心理学)

    無意識(自律神経系)の冷静化/沈静化には、セロトニンの回復が重要だとしても、その(受容への)方向性については、意識の(中庸へ向かう)働きが必要になる。

  • ☆やる気が起きないとき

    やる気が起きないとき=無意識が否定よりで辛いときは、(理性が考えても、何もできないので)さっさと帰ろう。エネルギー切れなのか、何らか否定の脳内物質が脳髄に溜まるからなのか(セロトニンの欠乏なのか)、それは分からないが、脳内環境が回復するまで=『特別な

  • ☆否定と受容の繰り返し

    ①無意識が否定をする ②意識が受容する ③意識が肯定する◇否定についての『新しい見識』がある=特別な他者も無いし、特別な自分も無いことに、毎回改めて気づき続ける→無意識が納得する→受容(受容の冷静の後に)◇肯定についての『新しい見識』があ

  • 人生とは帰納と演繹を繰り返すこと

    人生とは、死ぬまで・帰納と・演繹を繰り返すこと。即ち、葉っぱ(個別事象)から根っこ(一般原則)を説明する(帰納)根っこ(一般原則)から葉っぱ(個別事象)を予測する(演繹)⬇欲望の否定の葉っぱから、受容の根っこを見る(帰納=中庸で受容)

  • 個別事象の捉え方の変遷

    欲望が個別事象を否定する→否定に苦しむ →運があれば欲望の肯定となる→一時的な肯定の嬉しさとなる=肯定のレベルが上がる=運の必要レベルが上がる→欲望の肯定が難しくなる →時間が経てば否定を忘却する→否定の苦しみを忘れる⬇中庸によって、個別事象

  • 万事に対する帰納と演繹(説明のための3つのプロセス)

    『主:帰納』(よく有る既定の)個別事象に対する一般原則の当てはめ(帰納による理由=理論の説明)『副:演繹』一般原則からの(まだ未定の)個別事象の推定(演繹による予測=事象の説明)帰納は、(よく有る否定事例の)受容なので、納得できるが、面白く

  • 否定→受容→肯定

    ①否定することが常であっても、(現実とは、常に、欲望の思うようにならないようにできているので、否定するのは当たり前だ)②いったん、受容すること、そうなるのは仕方がないと受け入れることに専念しよう(受容=中庸の帰納に専念しよう)③善い行いで善さを生

  • ②受容に専念すること

    否定の苦しみを受容するには、より広い概念を把握・イメージして、その広い範囲のことを善いも悪いも言わずに、受け入れるとよく、一旦は、受容に専念しよう。冷静さを取り戻した後に、自分の感覚の善さと行動の善さのみを求めよう欲望の理想を常に求めがちだが、

  • ①否定なくして受容のカタルシスはない(苦労する理由付け)

    『問い』自己否定を覚悟してまで、この苦労(※※※※※)をする理由は?苦労によって、自己否定があって、苦労を受け入れて、自己受容して、苦労して善い行いをして、自己肯定することなら、他のことでも実践できるのではないか(他のことをやったほうが、善の形

  • 孤独についての考察

    孤独を悪いものだと捉えて(否定して)耐えるんじゃなくて、孤独は仕方がないと受け入れることだ。この孤独の受け入れをしないと、否定の苦しみ(生きづらさ)でいずれ狂ってしまう(ちなみにこの受け入れは、独身だろうが既婚だろうが関係なくやるべきだ)。孤独とい

  • ☆否定の苦、受容の楽、肯定の幸の心の必須プロセス

    否定の苦なくして、受容の楽はあり得ないし、善があってこそ肯定の幸がある。だから心のプロセスとして否定はあってしかるべきで、(心の作用の)最初の工程にあることも当たり前だ。(平坦では、変化=神経的な刺激=脳内物質の放出もまた生まれない)心は、最

  • 心の安定化のための3つのプロセス

    心の安定化のための3つのプロセス(PDF資料)

  • ☆自己完結型の幸福のために必要なこと

    ーー否定→受容→肯定ーー①現実を、無意識が、欲望が否定したり肯定(=期待)したりしてしまうとしても、(たえがたい否定と肯定)現実=客観的事実には悪いも善いもないから、②現実を、意識的に、理性的に、否定も肯定もしないこと現実を受容

  • 「認識した事実」を「無意識」に「否定」しまう理由

    【問い】なぜ、人は、「認識した事実」を、(事実自体には善いも悪いもないのにもかかわらず)無意識に、否定してしまうのか※※認識した事実=現実を、悪いものだ、そんなはずが無い、有るべきでない、問題だ、善くないものだ、と捉えてしまうこと【答え】人間(

  • 自己愛の心理、対処、治療

    <自己愛の心理>自己否定(の苦) → 他者否定(の毒)= 自己愛 → ・外向的性格→他責(自慢、悪口:他者攻撃)=優越(承認欲)の自己肯定=障害傾向は高い・内向的性格→自責(自虐、熱愛:自己犠牲)=注目(承認欲)の自己肯定=障害傾向は低い(が注目が

  • トランプ主導の円高株安が来るかも

    トランプはドル高は嫌なので、円高にするはず。一般的には、円高=株安だから、下がるまで待てばいい(下げの叫喚が聞こえなくなる=株式は怖いものだ・手を出すべきでないという雰囲気/株には手を出しにくい感がある/株式をやる人が変わり者扱いされるまでね)。

  • キャリーについての考察

    キャリーしてる側=動きいいけど(味方のフォローが弱いので)負けやすい。→自分よりも強い味方はいないから、頑張らないとだし、(エースである)自分のミスは直ちに負け筋になるキャリーされてる側=沼ってるけど(味方が強くて)勝てるってことだろう。→

  • 哲学と宗教の違い

    帰納により、一般原則を考察し、結論を考え続けるのが哲学(=結論に疑問を抱き続け、イデアという究極の答え・原理に至るまで永遠に考え知り続けること)帰納により、一般原則を考察した結果、全てを神様のせい(思し召し)だと結論づけたのが宗教(=考えるのを辞めた

  • なろう系異世界転生が気持ち悪い理由

    異世界転生は、(全てではないとしても)大抵は、現実世界ではパッとしない平凡or無能で評価されない主人公が、異世界転生して、・実は自分は特別であるとか・実は自分には隠れた才能がある・実は自分は特殊な能力があることを表現し(て、それを同じようにパッとし

  • 株価の下落について

    一度下がったものは(人間の心の否定の作用の方が強いから=ネガティビティバイアス)、元へ上がるのは時間がかかるだろう。下がるのは(否定の作用によって)容易い(ので上がるのはゆっくりだが、暴落はすぐだ)。トランプの関税戦争は一過性ではない(はずな)の

  • 承認欲求の階層構造(仮)

    現実の否定・自己否定→自分が感じる苦 =生き苦しさ・他者否定→他者に与える毒 =他者攻撃 =優越の肯定感の欲求と 注目の肯定感の欲求 →承認欲求を満たす行為 =他責的行為(優越) ・自分を上げる行為 =自慢、ギャ

  • ☆客観的事実には「悪い」も「善い」もない。

    客観的事実には「悪い」も「善い」もない。「悪い(否定)」、「善い(肯定)」、「何とも思わない(平常)」の、いずれかを選ぶのは、主観的感想(心の作用)に過ぎない。そして、心の作用には「欲望」と「理性」の2つの要素ある。 《①欲望により必ず「否定」を選択してしまい

  • 自己愛の特徴・末路・対処

    自己愛があると、その承認欲求の肯定感を求めるが故の他責性と自責性により、周囲から孤立するのは仕方がない。自己愛(性パーソナリティ障害)とは、自己否定が強いあまりに、他者を否定することで、相対的に自己肯定をしようとする病気のこと。自己愛に関わると

  • 自分で考えて初めて面白くなる

    哲学とは、他人の考え方を見て面白いと感じるものではなく、自分で考えることで初めて面白くなるものなので、他者の考え方を見る者がいない(少ない)のは当たり前だ(他人の考え方は、自分が考える際の材料に過ぎない)哲学とは、自分で考えることだけで面白いから、

  • SNSで溢れている人種とその内面

    ○○(=SNSでリア充・幸せアピール、誹謗中傷などをして、閲覧数を稼ごうとしている人の名前)は、自己否定感が強くて、その(生き)苦しさを、(自分を上げるリア充アピールや他者を下げる悪口※で注目を浴びて)承認欲求を満たして誤魔化そうとしているところが、他責的

  • 一番大事なのは、「冷静さを保って、善さを楽しむ」こと

    勝つことも負けることも、強いことも弱いことも、皆同じ。否定することも肯定することもない。ただ、そういう(客観的な)事実であるだけだ。その中で肯定を見出すのは、善いことをすることと、その善さのみである善く見ることができれば嬉しいし、善く分かれば

  • 帰納と演繹(学習と実践)

    万事(現象)を一事(理論)にするのが帰納 →学習一事(理論)を万事(現象)にするのが演繹 →実践【演繹法と帰納法の違い】帰納法は個別事例から一般原則を導きだすのに対して、演繹法は一般原則や理論から個別の結論を導きだす

  • どうでもいいという言葉について

    「どうでもいい」という言葉には、2つの種類(否定的なものと受容的なもの)があり、「否定のどうでもいい」ではなく、「受容のどうでもいい」としよう。「受容のどうでもいい」=どう(なって)でも(それは、自分の意識でコントロールできるものではないので

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