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  • 京都市響第691回定期(7月27日)

    直前に2029年迄の任期延長が報じられた常任指揮者沖澤のどかとチャイコフスキーコンクールの覇者上原彩子の二人が登場した真夏の定期だ。京都コンサートホールはほぼ満員の入りでこの二人の人気の程がうかがわれた。一曲目はプロコフィエフ作曲のピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26。上原はまるでアスレチック選手のような身体能力を存分に発揮して難所を鮮やかに弾き切った一方、プロコフィエフ独特の冷たく澄んだ叙情をも見事に表出させ、その技量の幅広さを存分聴かせてくれた。寸分の狂いもない沖澤の挑戦的な合わせも完璧で見事の一語に尽きる共演だった。盛大な拍手にアンコールはドビュッシーの「ゴリウオークのケークウオーク」。音色の対比が実にチャーミングで素敵だった。休憩を挟んでストラヴィンスキー作曲のバレエ組曲「ペトルーシュカ」(1947年...京都市響第691回定期(7月27日)

  • 東京二期会「蝶々夫人」(7月21日)

    この宮本亜門のプロダクションは、残されたピンカートンの息子が、父であるピンカートンの重篤な病床で、それまでの蝶々さんとの顛末を記した手紙を遺書として渡されるところから始まるのだが、そのプロダクションの2019年のワールド・プリミエが余りにも素晴らしかったので、その感動をもう一度という思いで出かけた。ドレスデン、サンフランシスコの舞台を経て、それなりに進化した舞台は納得できるものだった。しかし今回は歌手の力不足が目立った。東京文化会館の2階右で聞く限り、全員声量が全く不足しているのが極めて残念だった。(会場のPAシステムの故障か?)蝶々夫人の高橋絵里は演技はとても良いのだが、声は張り上げると聞こえるがそうでないと力が急に減衰するのでほとんと聞こえない。何より声に響きがないのが致命的だ。ピンカートンの古橋郷平...東京二期会「蝶々夫人」(7月21日)

  • 新国「トスカ」(7月19日)

    2000年9月21日のプリミエ公演以来、ほぼ四半世紀に渡って幾度となく新国の舞台にかかり続けているアントネッロ・マダウ=ディアツの名物舞台である。私自身、初演そして2002年5月のノーマ・ファンティーニの舞台以来3回目となる実に久方ぶりの参戦である。この日もほぼ満員の入りでオペラパレスは賑わっていた。細部まで写実的に確り作り込まれた華麗な舞台は、新国の舞台機構を存分に使った変化に富んだ舞台転換の動きも伴って、視覚的にはゼッフィレッリの「アイーダ」に決して負けないゴージャスなプロダクションなのではないか。だから歌手と指揮者に人を得れば、これぞオペラという大きな感動が約束されたようなものなのだが、今回はいささか不満の残る仕上がりであった。カヴァラドッシ役のテオドール・イリンカイの高音は他を圧する力強さを持って...新国「トスカ」(7月19日)

  • 東響オペラシティシリーズ第140回(7月7日)

    名誉客演指揮者の大友直人を迎えてバルトークとエルガーの不思議な組み合わせのマチネーだ。音楽的には何ら共通点はない二曲だが、今回はそれぞれがとても良い演奏だった。まずはバルトークのピアノ協奏曲第2番Sz.95だが、この演奏の成功は何よりもピアノ独奏のフセイン・セルメットの技量と音楽性に資するものだったと言って良いだろう。それは打楽器のような強靭な打鍵からからとろけるようなロマンティックな響まで、それはもうピアノを操ってあらゆることが可能だと思わせる程の見事さだった。東響もそれに呼応し濃厚にしてエネルギッシュな好演。とりわけティンパニとトランペットのアクセントに胸が高鳴った。割れるような盛大な拍手にアンコールはうって変わってショパンの練習曲作品25-7で、セルメットはバルトークとは正反対の静謐な世界をも見事に...東響オペラシティシリーズ第140回(7月7日)

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