マックスのページはGooブログのサービス終了にともない「はてなブログ」に引越しをいたしました。今後も下記でこれまで通り備忘録としてコンサートの感想などを書き連ねて参ります。https://k0770057.hatenablog.com/ブログの引越し
直前に2029年迄の任期延長が報じられた常任指揮者沖澤のどかとチャイコフスキーコンクールの覇者上原彩子の二人が登場した真夏の定期だ。京都コンサートホールはほぼ満員の入りでこの二人の人気の程がうかがわれた。一曲目はプロコフィエフ作曲のピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26。上原はまるでアスレチック選手のような身体能力を存分に発揮して難所を鮮やかに弾き切った一方、プロコフィエフ独特の冷たく澄んだ叙情をも見事に表出させ、その技量の幅広さを存分聴かせてくれた。寸分の狂いもない沖澤の挑戦的な合わせも完璧で見事の一語に尽きる共演だった。盛大な拍手にアンコールはドビュッシーの「ゴリウオークのケークウオーク」。音色の対比が実にチャーミングで素敵だった。休憩を挟んでストラヴィンスキー作曲のバレエ組曲「ペトルーシュカ」(1947年...京都市響第691回定期(7月27日)
この宮本亜門のプロダクションは、残されたピンカートンの息子が、父であるピンカートンの重篤な病床で、それまでの蝶々さんとの顛末を記した手紙を遺書として渡されるところから始まるのだが、そのプロダクションの2019年のワールド・プリミエが余りにも素晴らしかったので、その感動をもう一度という思いで出かけた。ドレスデン、サンフランシスコの舞台を経て、それなりに進化した舞台は納得できるものだった。しかし今回は歌手の力不足が目立った。東京文化会館の2階右で聞く限り、全員声量が全く不足しているのが極めて残念だった。(会場のPAシステムの故障か?)蝶々夫人の高橋絵里は演技はとても良いのだが、声は張り上げると聞こえるがそうでないと力が急に減衰するのでほとんと聞こえない。何より声に響きがないのが致命的だ。ピンカートンの古橋郷平...東京二期会「蝶々夫人」(7月21日)
2000年9月21日のプリミエ公演以来、ほぼ四半世紀に渡って幾度となく新国の舞台にかかり続けているアントネッロ・マダウ=ディアツの名物舞台である。私自身、初演そして2002年5月のノーマ・ファンティーニの舞台以来3回目となる実に久方ぶりの参戦である。この日もほぼ満員の入りでオペラパレスは賑わっていた。細部まで写実的に確り作り込まれた華麗な舞台は、新国の舞台機構を存分に使った変化に富んだ舞台転換の動きも伴って、視覚的にはゼッフィレッリの「アイーダ」に決して負けないゴージャスなプロダクションなのではないか。だから歌手と指揮者に人を得れば、これぞオペラという大きな感動が約束されたようなものなのだが、今回はいささか不満の残る仕上がりであった。カヴァラドッシ役のテオドール・イリンカイの高音は他を圧する力強さを持って...新国「トスカ」(7月19日)
名誉客演指揮者の大友直人を迎えてバルトークとエルガーの不思議な組み合わせのマチネーだ。音楽的には何ら共通点はない二曲だが、今回はそれぞれがとても良い演奏だった。まずはバルトークのピアノ協奏曲第2番Sz.95だが、この演奏の成功は何よりもピアノ独奏のフセイン・セルメットの技量と音楽性に資するものだったと言って良いだろう。それは打楽器のような強靭な打鍵からからとろけるようなロマンティックな響まで、それはもうピアノを操ってあらゆることが可能だと思わせる程の見事さだった。東響もそれに呼応し濃厚にしてエネルギッシュな好演。とりわけティンパニとトランペットのアクセントに胸が高鳴った。割れるような盛大な拍手にアンコールはうって変わってショパンの練習曲作品25-7で、セルメットはバルトークとは正反対の静謐な世界をも見事に...東響オペラシティシリーズ第140回(7月7日)
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マックスのページはGooブログのサービス終了にともない「はてなブログ」に引越しをいたしました。今後も下記でこれまで通り備忘録としてコンサートの感想などを書き連ねて参ります。https://k0770057.hatenablog.com/ブログの引越し
ヴェルディの作品を上演することを目的に指揮の出島達夫によって2011年に立ち上げられた「アリドラーテ(黄金の翼)歌劇団」の11番目の演目はヴェルディ5作目のオペラ「エルナーニ」である。私自身語り草になっている若杉弘によるびわ湖ホールでのヴィルディ初期オペラシリーズを全曲制覇した身として、その懐かしさに昨年上演された「シチリアの晩鐘」に出向いたのがこの歌劇団との出会いであった。誠に失礼な言い方になるが、そこで思いの外の質の高さに驚いたので今年も初台の中劇場に出向いたというわけである。そして結果は期待通り、いやむしろ期待を大きく上回る感動をもらって帰路についた。その理由はまず何より生え抜きの歌手陣を揃えたことである。エルナーニ役の石井基幾、国王にしてエルナーニの政仇ドン・カルロ役の井出壮志朗、エルナーニの恋敵...アーリドラーテ歌劇団「エルナーニ」(2025年7月6日)
首席指揮者トレヴァー・ピノックの指揮する改修前の現紀尾井ホール最後の定期演奏会は、今年生誕150年を迎えたラヴェルの組曲「クープランの墓」(オーケストラ版)で始められた。いつものように闊達で躍動的なピノックの音楽は骨太なラヴェルを描く。それゆえ典雅さといった風情は幾分後退していた感がある。続いてピノックとは2022年のショパンの2番以来二度目の共演になるアレクサンドラ・ドヴガンを迎えたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番ト長調作品58である。何とも繊細な導入のピアノに続きドヴガンの世界は今回も深く深く進化してゆく。天才的な感受性に基づいた非凡な表現力と正確無比なピアニズムから生まれ出る驚くほど端正な音楽は、その純粋さ故に実に大きな説得力を持ち、この傑作の持つ類稀なベートーヴェン中期の傑作の世界を描き切った。...紀尾井ホール室内管第143回定期(2025年7月4日)
嘗てシティ・フィルの指揮研究員を務めていた経歴のある松本宗利音(しゅうりひと)の東京オペラシティ定期デビューである。名前を聞いてあの名指揮者カール・シューリヒトを思い浮かべるのは私だけではないだろうが、父親が自らが敬愛する大指揮者の苗字にちなんで名付けたそうである。まあそれはともかく、ドヴォルザークの交響詩「英雄の歌」作品111とブラームスの交響曲第2番ニ長調作品73をアーチで結んで、その中にミヨーのスカラムーシュ作品165と逢坂裕のアルトサクソフォン協奏曲(上野耕平委託作品)を据えた長く堂々たるプログラムである。最初のドヴォルザークは珍しい曲で初聞きであったが20分を要する大曲である。さっぱりと美しく奏でつつ必要なときは明確に細部を際立てるこの指揮者の丁寧な音楽が最初から際立った。そしてボヘミヤの音感が...東京シティ・フィル第回定期(2025年7月6日)
沖澤のどかを追いかけて名古屋にやってきた。愛知県芸術劇場コンサートホールで開催された彼女が常任指揮者を務める京都市交響楽団の第15回の名古屋公演である。まずはウェーバー作曲の歌劇「オイリアンテ」序曲が軽快に奏でられた爽やかなスターターだった。続いてブラームスのハイドンの主題による変奏曲変ロ長調作品56。こちらも早めのテンポで美しくスッキリとした運びであったが、両曲ともにちょっとコクが足りないというか、重厚さがいささか不足して含みに欠ける感があった。メインはチャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調作品64。この日の沖澤のテンポは早めでちょっと前のめりになる傾向が聞き取れて気になっていたのだが、チャイコフスキーになって腰が据わって安心して聞けるようになった。しかし煽るところ煽るので日頃聞かれないような激しい心の動...京都市響第15回名古屋公演(2025年6月26日)
今年も恒例のさくらんぼコンサートがやってきた。今年はフィンランドの名匠オッコ・カムと神尾真由子を招いた豪華版だ。この楽団の創立名誉指揮者川村千秋がシベリウスを得意とするという縁もあり期待は膨らんだ。会場に入ると、今宵のプログラム冒頭に置かれた「鶴のいる風景」作品44-2と2曲目のバイオリン協奏曲ニ短調作品47が指揮者の希望で続けて演奏される旨の掲示があった。指揮者カムの今回のプログラムに寄せる唯ならぬ意欲が感じられ、期待は一層膨らんだ。柔らかな弦の醸し出す静謐な雰囲気の中、二人のクラリネット奏者が立ち上がり聞こえたのは鶴の鳴き声、CDで聴き馴染んでいるのとはかなり違うその大きさに驚いた。鳴き声は弱まり曲は静かにディミニエンドして協奏曲になだらかに繋がってバイオリンソロが立ち上がるというストーリーだったに違...山響さくらんぼコンサート2025(2025年6月19日)
都響とはほぼ初顔合わせになる沖澤のどかを招いた演奏会である。最初のドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は明快に音の綾を聞き取れるクリアーにして暖い演奏。漠然とした印象だけで終わらずに情景が心に留まるのはこの指揮者の特徴である呼吸があるからに違いない。音楽が身体に染み込んでゆく感じがとても心地よい。独奏フルートに今一つの個性(華)があったら印象は更に深まったと思う。2曲目は師弟関係にあるフランク・ブラインと務川彗悟を迎えてプーランクの2台のピアノのための協奏曲ニ短調。意表を突いたオリエンタルな雰囲気で始まり、モーツアルトのピアノ協奏曲のオマージュ風の2楽章を経て楽しげなフィナーレで終わる実に楽しく面白い佳作の秀演だ。鳴り止まぬ大きな拍手にアンコールは同じ作曲家の「仮面舞踏会」からカプリッチョでまた息のあっ...都響プロムナードコンサートNo.412(2025年6月15日)
待望したイタリアの名匠ミケーレ・マリオッティ2度目の来日である。2023年9月定期の「ザ・グレート」での名演はもちろんのこと、ペーザロのROFでも2019年に「セミラーミデ」、2024年に「エルミオーネ」で最良の指揮に接しその音楽性と統率力に心酔して心待ちにしていた日だ。最初のモーツァルトの交響曲第25番ト短調が予想もしないような空前絶後の厳しく研磨された硬質な響で開始されたのには驚くと同時に身が引き締まった。その後も厳しい音楽が続くのだが、正確にコントロールされた弱音との対比が益々音楽に奥行きと深みを加えてゆく。続く決して嫋々としない厳しさが秘められたアンダンテはなんたることだろう。装飾音を織り交ぜた素敵なトリオとの見事な対比を聞かせたメヌエットを経て最後は文字通りの疾風怒濤の超快速のアレグロで鮮やかに...東京交響楽団第101回川崎定期(2025年6月7日)
首席指揮者の藤岡幸夫を迎えて、このきな臭い昨今全ての人の思いを代弁するかのようなレイフ(ラルフ)・ヴォーン・ウイリアムスのカンタータ「我らに平和を与え給え」をメインに置いたプログラムである。といは言えその前に演奏されたベートーヴェンのバイオリン協奏曲ニ長調作品61は、実にジックリと演奏されたので演奏時間では前半が長かったかも知れない。そのソリストは今年でこのオケのコンマス30周年を迎えた戸澤哲夫である。当日のプログラムによるとこの曲を初演したクレメントは柔和な演奏をした人だったようでベートーヴェンの作風もそれに合わせたというような話もあるようだが、戸澤のソロも実に柔和な美音で繊細に綿々と歌い上げてゆく風情で独特なものであった。しかしそれは一方で線の細さでもあり、オケはそれとのバランスを取ることになるのでダ...東京シティ・フィル第379回定期(2025年6月6日)
新型コロナの影響で中止や延期を強いられていた定期演奏会が2月以来4ヶ月ぶりで開催された。当初曲目を変更しての短縮開催と伝えられていたのだが、直前になって安全な管理体制の維持を理由に無観客開催に変更された。長く準備を重ねていたにもかかわらず、あえて「無観客」とせざるをえなかったことにはきっとそれなりの事情があったのだと想像するが、4ヶ月ぶりの「生オケ」を聞けることを楽しみにしていたのでこちらの落胆も大きかった。とは言えライブでストリーミング配信を観られるというので定刻にPCを大型ディスプレイにつなげて鑑賞した。指揮は予定通り藤岡幸夫、曲目は変更されてベートーヴェンの交響曲第7番イ長調である。ソシアル・ディスタンシングを守った配置で、会場の東京オペラシティ・タケミツ・ホールの舞台全面に弦を少なめにした通常より...東京シティ・フィル第335回定期【無観客】(2020年6月26日)
首都圏の大学オケのOBによって構成されるこのオーケストラ、名前の通りボヘミヤ音楽好きによって構成されているという変わり種である。曲はスメタナ作曲の連作交響詩「我が祖国」全曲である。指揮は2023年に急遽代役で東京シティ・フィル定期で吉松隆の交響曲を振ってプロ・デビューを飾った山上紘生。二週間前に下野+東響のスメタナ「我が祖国」全曲を聞いて、スメタナ熱が冷めやらずに来てしまったという次第。しかしこれがとても良かった。もちろんアマチュアの限界はあるのだが、皆がスメタナ好きとなるとやはり「熱」が違うのだ。どこを切っても共感に満ちた響で本当に感動した。まあ木管の音の美しさなんていうところはやはり限界があるのだが、弦などなかなか良く鳴っていて、何より後ろのプルトからも均一に音が聞こえてくるのには驚いた。山上の棒は決...ボヘミアン・フィルハーモニック第10回記念演奏会(2025年5月31日)
2005年から続くヨーゼフ・ケープリンガーの舞台の6度目の再演である。今回も前回2020年同様にロジーナに我が国の誇るロッシーニ歌い脇園彩を迎えた。とは言え彼女の声は成長をし続けていて、前回と比較して太さを加えてよりロッシーニ・ソプラノらしい声になってきた。昨年8月のペーザロでの歌唱より太い声になっているかもしれない。加えてチャーミングな存在感もいつものようでこれはもう理想のロジーナだ。対するアルマヴィーヴァ伯爵には当代きってのロッシーニ・テナーであるローレンス・ブラウンリー。ノーブルで滑らかな完璧な歌唱でアルマヴィーヴァを歌い切った。闊達なフィガロを聞かせたロヴェルト・デ・カンディアに、スリムな歌唱で独特な味を聞かせたバルトロのジュリオ・マストロトータロと理想のイタリア勢に、よく通る安定の歌唱とコミカル...新国「セビリアの理髪師」(2025年5月28日)
日本各地のオケでこのスメタナの連作交響詩「我が祖国」を数多く手掛けている下野竜也の指揮である。読響、SKO、札幌、兵庫等。折しも彼の地では今年80周年を迎えた「プラハの春音楽祭」が開幕中の今日、今回は川崎でここを本拠地とする東響との共演となった。休憩なしの80分一本勝負のプログラムだ。流れ出たのは明朗闊達で極めて健康的な音楽である。チェコ音楽を得意とし読響ではドヴォルザークの交響曲チクルスもやっている。そんな下野だが殊更ボヘミヤ風を意識したところはなくごく自然にスコアを捉えて外連味なく音にしたと言った感じである。しかし意識的に堅固に隙なく組み立てるということはしないのでチョットした遊びが生じて楽しい瞬間が多々ある。そこが師匠格の高関健の作る音楽との違いであろう。オケは下野の解釈に対して共感に満ちた反応をし...東響名曲全集(2025年5月17日)
「川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)2025」の一環で「東京交響楽団爽やかグリーンコンサート〜東欧ボヘミヤの風に乗って」と称された連休最終日のマチネーにやってきた。会場は新百合ヶ丘にある昭和音大のテアトロ・リージオ・ショウワ、指揮はキンボー・イシイで独奏がこの楽団の客演主席チェロ奏者の笹沼樹だ。そしてプログラムはオール・ドヴォルザークだ。まずはスラブ舞曲第1番ハ長調作品46-1で賑々しく開幕したが、イシイの音楽はとりわけボヘミア色を強調することのない明快で素直なもの。定期演奏会でないのでエキストラの多い東響の音はいつもとは異なり幾分硬質な響なので尚更クールさが強調されていたのかもしれない。続いて笹沼をソリストに迎えたチェロ協奏曲ロ短調作品104。笹沼は日本人としては長身で大柄だが出てくる音楽は繊...グリーンコンサート(2025年5月6日)
当団芸術顧問広上淳一が挑戦する演奏会形式オペラのシリーズ「オペラの旅で」第一弾だ。選ばれたのはジュゼッペ・ヴェルディ中期の傑作「仮面舞踏会」である。私には日本フィルという楽団は在京オケの中でもオペラ経験がかなり少ない楽団だという認識がある。だから日フィルとオペラをやることが「育ててくれた日本フィルへの恩返し」だというプログラムに記載されている芸術顧問の言葉にはある意味で大層合点がゆく。つまり小澤征爾が度々言っていたように「オペラとシンフォニーは車の両輪」だからどちらも欠けてはならないということだろう。しかし一方で広上は小澤と同様に決して劇場から出た指揮者ではなくコンクール優勝からシンフォニー畑を歩んできた経歴を持っている。実はそんな彼にどこまでオペラが出来るのだろうというのが正直な印象だった。(2024年...日本フィル「オペラの旅」(4月27日)
今年創立100周年を迎えた藤原歌劇団のシーズン幕開けの演目はグノーの「ロメオとジュリエット」だ。よく出来た美しい曲なのだが、我が国では上演機会は決して多くなく新国の舞台にも未だかかったことがない。しかし当団は2003年にサバッティーニとボンファデッリを迎えたトゥールーズ・キャピトル歌劇場との共同制作のプロダクションを上演して話題となったことが記憶にある。今回は”TeatroOPERACollection”シリーズと銘打った新機軸で、舞台上にオケを上げたセミ・コンサート形式の上演である。この物価高のご時世経費削減の意味合いが強いであろうと想像するが、演奏会形式のオペラ公演は音楽に集中できて決して悪いものではないと思っている。今回はオケを舞台奥に配置し、前方を広くとってそこに極めて簡易な装置を置いた作り。それ...藤原歌劇団「ロメオとジュリエット」(4月26日)
今年創立50年を迎えるシーズン開幕である。常任指揮者高関健の薫陶を得てこの10年に目覚ましいばかりの実力をつけ、今や東京のトップオケを凌ぐ演奏さえ披露してくれている東京シティ・フィル。嘗ての「東京で7番目のオーケストラ」のいささかひ弱な雰囲気は今や微塵もない。この調子で快進撃を続けて東京の音楽シーンを大いに活気づけてもらいたいものである。同時に今年はショスタコーヴィチの没後50年に当たるということで、本年度最初のティアラこうとう定期の曲目にはこの作曲家の最初と最後の交響曲が並んだ。第1番ヘ短調作品10は発表当時「モーツアルトの再来」と言われただけに既に十分完成された作品である。何より後年の特色である極めてシニカルで辛辣な音楽の影はなく、裏のない全く健康的でストレートな明快な音楽である。ショスタコとは本来こ...東京シティ・フィル第81回ティアラこうとう定期(4月12日)
昨年1月の「脇園&小堀&園田」に続く「朝日ホールベルカント・シリーズ」の第二弾は、ソプラノ山下裕賀、テノール小堀勇介、バリトン池内響、ピアノ矢野雄太を迎えて、ロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」と「ラ・チェネレントラ」からの名場面集というベルカント・ファン垂涎のプログラムだ。二曲ともストーリーに沿って曲や場面を並べ必要に応じて説明のアナウンスが入る。装置こそないものの会場の浜離宮朝日ホールの舞台と客席(2階を含め)を存分につかったとても臨場感豊かな演奏会だった。こうした感想を持てたのも今回ここに集った4人の音楽家達が秀でた才能を持っていたからに他ならない。歌も演技も達者な歌役者が揃い、更に伴奏のピアノはまるでオーケストラのような表現力を示し、レチタティーボのアコンパニャートのセンスにも唸らされた。演出のク...山下裕賀&小堀勇介&池内響with矢野雄太~Baccanale!!~(4月6日)
2014年4月から11年の長きにわたって東京交響楽団の音楽監督をつとめたジョナサン・ノット。彼が音楽監督として最後のシーズン幕開けに選んだ曲は、今回が二度目となるブルックナーの交響曲第8番ハ短調WAB108である。就任2年目の2016年7月定期で取り上げた時には、実にスマートな力感に溢れた演奏で、所謂巨匠たちの堅固で厳かな演奏とは明らかに一線を隔したとびきりの新鮮さを感じたものだった。今回は初稿ノヴァーク版(1972)による演奏ということで、9年を経たノットの解釈と初稿使用という二つの「違い」を楽しみに桜満開のサントリーホールに足を運んだ。果たして演奏は前回とは全く趣を異にしたものだった。ノットといえばいつもは快速調なのだが開始からテンポが遅いことに驚いた。それはあたかも去る時間を慈しむようだった。初めは...東響第729回定期(4月5日)
東響初登場の指揮者オスモ・ヴァンスカがどんな音楽を聞かせてくれるか楽しみに出かけた今シーズン最終の定期である。ニールセンの序曲「ヘリオス」OP.17、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調OP.37、そしてプロコフィエフの交響曲第5番変ロ長調Op.100というプログラム。不思議なプログラムではあるが、あえて言えばどの曲も肯定的な雰囲気に終わるということか。きな臭い今のご時世ではこれは大いに聴く者の心のなぐさみになる。まずは明快な音色にこの作曲家を強く感じるニールセンの序曲で気持ちよく始まった。この曲はデンマーク放送では新春を寿ぐ音楽だったそうだ。ヴァンスカの堅固で迷いのない音楽が心地よい。続いてピアノにイノン・バルナタンを招いたベートーヴェンのコンチェルト。これは正統的なベートーヴェンと明らかに異なる音...東響第99回川崎定期(3月31日)
名誉客演指揮者の大友直人を迎えてバルトークとエルガーの不思議な組み合わせのマチネーだ。音楽的には何ら共通点はない二曲だが、今回はそれぞれがとても良い演奏だった。まずはバルトークのピアノ協奏曲第2番Sz.95だが、この演奏の成功は何よりもピアノ独奏のフセイン・セルメットの技量と音楽性に資するものだったと言って良いだろう。それは打楽器のような強靭な打鍵からからとろけるようなロマンティックな響まで、それはもうピアノを操ってあらゆることが可能だと思わせる程の見事さだった。東響もそれに呼応し濃厚にしてエネルギッシュな好演。とりわけティンパニとトランペットのアクセントに胸が高鳴った。割れるような盛大な拍手にアンコールはうって変わってショパンの練習曲作品25-7で、セルメットはバルトークとは正反対の静謐な世界をも見事に...東響オペラシティシリーズ第140回(7月7日)
ウイーン古典派プログラムの模範のような選曲の定期を振るのは古楽界を代表する指揮者(チェロ奏者)鈴木雅美だ。オケはティンパニとトランペットにピリオドスタイルの楽器が用いられ、フルートは木製。弦のビブラートは抑制されてスッキリした響で統一されていて、全体に嘗て流行ったような変に刺激的な炸裂は控えた落ち着いた響だ。こういう穏当なスタイルでウイーン古典派を聞くと、一時は反動的なブームのように広がった”古楽スタイル”も落ち着くところに落ち着いたなという気がする。最初のモーツアルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲は、まあスターターとしての腕試しのような感じ。整った響が心地よく、独立して演奏されるために尻切れトンボ的なオペラ版のコーダに加筆が施されていた。続いて小山実稚恵を迎えてベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調作...東京シティフィル第371回定期(6月29日)
2010-2017年のシーズンに首席客演指揮者を務めたヤクブ・フルシャが振る7年ぶりの演奏会である。チェコ音楽特集でスメタナ、ヤナーチェク、ドヴォルザークという王道が並んだ。スメタナ生誕200年、ヤナーチェク生誕170年、ドヴォルザーク没後120年の記念イヤーにちなんだプログラムか。まずは日本では滅多に演奏されることがないスメタナの歌劇「リブシェ」序曲だ。その愛国的な内容ゆえに冒頭のファンファーレは国家式典でしばしば奏されることがある。コロナ前2019年5月の「プラハの春音楽祭」でフルシャ指揮バンベルク交響楽団の「我が祖国」を聴いた夢のような体験が脳裏に浮かんで思わず胸が熱くなった。なんとも深い思いが指揮ぶりから感じられ、それを都響が見事に音にしていた。続いてヤナーチェクの歌劇「利口な女狐の物語」大組曲だ...都響第1002回定期(6月28日)
ヴェルディをひたすら愛する山島達夫氏により創設されたヴェルディ上演専門のアリドラーテ歌劇団によるヴェルディ作曲「シチリアの晩鐘」の”バレエ〈四季〉完全版を伴う東日本初演”である。全5幕の「グランドオペラ」で、当日の演奏時間は4時間半を超えた。配られたプログラムにはカラーイラスト付きの懇切丁寧な筋書きが添えられていて山島氏の「ヴィルディ愛」をひしひしと感じた。主要配役はエレナに石上朋美、モンフォルテに須藤慎吾、アッリーゴに村上敏明、プローチダにデニス・ビシュニャと、藤原歌劇団のベテラン勢で固められ、それに大規模な合唱とバレエが加わった。とにかく重鎮の須藤と村上が全体を牽引、とりわけ第三幕のモンフォルテが孤独を歌うアリア「腕には富を」とそれに続く二重唱は聞き物だった。石上も最初はビブラートの多様が気になったが...アーリドラーテ歌劇団「シチリアの晩鐘」(6月22日)
ウェーバー作曲の歌劇序曲と言えば、「魔弾の射手」だって「オベロン」だって、勿論今晩の一曲目の「オイリアンテ」だって、ドイツ臭に満ちていて、分厚く重厚でロマンティックでドイツ音楽好きには堪らないナンバーであると思うのがクラシック音楽界の”一般常識”ではないだろうか。しかしトレヴァー・ピノックの手にかかると、それがクリアーで風通しの良いメチャメチャ明るい音楽に変身するから不思議である。勿論キリリと仕上がるためには紀尾井の精緻なアンサンブルの力量が大きく貢献していよう。とにかく明快極まりないウェーバーで、ここまでやってくれれば文句の言いようがない。二曲目はラトヴィア生まれの新鋭クリスティーネ・バラナスを迎えてドヴォルジャークのバイオリン協奏曲イ短調作品53。ピノックもバラナスもとりわけボヘミヤ風を意識することな...紀尾井ホール室内管弦楽団第139回定期(6月21日)
すっかりこの夏至の時期の初台恒例になった山形交響楽団の東京公演である。今年は常任指揮者阪哲朗の指揮だ。スターターは管楽器やティンパニも含めてピリオド様式によるモーツアルトの二曲。まずは歌劇「魔笛」序曲K.620、そしてミサ曲ハ長調「戴冠式ミサ曲K.317。スッキリ爽やかに、音を大切に紡いだ純正な演奏が実に快く心に響いた。ミサ曲には老田裕子、在原泉、鏡貴之、井上雅人ら四人のソリストと山響アマデウスコアが加わった。阪がプログラムに寄せた「エッセイ」に書いているように、一晩のコンサートの真ん中に「ミサ曲」を埋め込んだプログラムは現代では珍しい。後半はこれも極めて珍しいベルリン・フィルの首席指揮者として知られるあのアルトウール・ニキシュ作曲の「ファンタジー」。これは当時大ヒットしたV.E.ネッスラー作曲の歌劇「ゼ...山響さくらんぼコンサート2024(6月20日)
沼尻竜典指揮によるポーランドの音楽を並べたマチネーだ。メインは懐かしいヘンリク・ミコワイ・グレツキの交響曲第3番作品36「悲歌のシンフォニー」である。それにエリック・ルーを迎えてフレデリック・ショパンのピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21。前者は30数年前に英国のヒットチャートを飾って大ブレークし、その音盤が大売れしたという極めて珍しい「現代音楽」だ。何と1994年に日本初演を担ったのは、今回の指揮者沼尻と彼が当時常任指揮者を務めていた新星日響だったということだ。(私は当時このオケの定期会員だったが、その初演は特別演奏会だったので聞いた記憶はない)今回配布されていたチラシを観て、「悲歌」で終わるのは何とも気が重いので、ショパンを後に演奏してほしいなと思っていたのだが、残念ながら当日の順番はショパンが先だった。...東響オペラシティシリーズ第139回(6月1日)
歌手陣にもオーケストラにもとびきりの若手を集める「二期会ニューウェーブ・オペラ劇場」、今回は4度目となる鈴木秀美+ニューウェーブ・バロック・オーケストラ・トウキョウとの共演でヘンデルの最後のオペラ「デイダミーア」だ。演出・振付はこのプロジェクトではお馴染みの舞踏家中村蓉が担当した。彼女は2015年の「ジューリオ・チェザーレ」で演出家菅尾友の下で振り付けを担当し、2021年の「セルセ」では演出家としてデビューし、その大胆な演出が鮮烈な印象を与えて今回に至ったという訳だ。とにかく研修所を出て3年以内の歌手達が抜擢され、ピットもピリオド筋の学生達が中心なのでとても生きの良い音楽と舞台が展開された。中村の演出は舞踏家だけあって歌手陣にもお構なしにダンサー並の動きを要求するので、大御所にはとても務まらないであろう。...二期会「デイダミーア」(5月25日)
2015年プリミエで今年が5回目になるヴェンサン・プサールのプロダクションである。そして今回のプリマは2022年の代演で絶賛を浴びた中村恵理の再登場だ。プサールの演出は、鏡を多用した現代的な抽象舞台ではあるが、冒頭に主人公のモデルとなった実在の娼婦マリー・デュプレシの墓碑を見せたり、途中で本人らしき肖像を背後に映し出したりして、原作者デュマ・フィスが描いた「道をはずした女」の悲劇にリアリティを与え、舞台に歴史的社会性を付与することに成功していたように思う。主演中村の声質は時と共にが強靭になり更に深みを増してきたので、まさに今ヴィオレッタを歌うには最適だった。加えて表現力も益々豊かになってきたので、一幕では高い部分がいささか曇り気味ではあったけれど、二幕以降は幕を追うごとに歌の切れ味も深みもドンドン増しドラ...新国「椿姫」(5月22日)
音楽監督ジョナサン・ノットが指揮する二つのヴィオラ協奏曲を重ねた極めて珍しいプログラムだ。まずは当団主席ヴィオリストの青木篤子をソリストに迎えてベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」作品16だ。颯爽たるノットの指揮に触発された東響がまるでフランスのオケのように鮮やかに鳴り切った。泡立つリズム、鮮やかな色彩、しなやかなメロディ線、一発触発の切れ、それらが一体となった眩いばかりの音楽に聴衆は釘付けになり、終了後は大きな拍手と歓声がタケミツ・メモリアルホールに響いた。青木も精一杯のニュアンスで見事に弾き切った。それを支えるノットはバランスに苦慮したが、やはり何と言ってもベルリオーズの絢爛たるオーケストレーションの下ではソロが隠れがちになってしまうのは致し方なかろう。青木の美点はむしろオケの独奏楽器との掛け合...東響オペラシティシリーズ第138回(5月17日)
今回の指揮者ジョナサン・ノットはこれまでも幾度か武満徹作品をプログラムに含めたことがあった。音楽監督就任の2014年にマーラー9番と「セレモニアル」を、2016年にドビュッシーの「海」+ブラームスの1番と「弦楽のためのレクイエム」を組み合わせた。他にもあるかも知れないが記憶にあるのはこれだけだ。どちらの演奏も私としては曲想との親和性を感じて興味深く聴いた記憶がある。今回一曲目の武満徹作曲「鳥は星形の庭に降りる」も、しなやかなで繊細な進行と透明な音感が曲想に合致していてとても心地よく聴いた。二曲目はソプラノの高橋絵里を加えてベルクの演奏会用アリア「ぶどう酒」。こちらはボードレイルの詩のドイツ語訳三篇に曲をつけたものだが、どうも多彩なテクストの内容に比較して曲調が変化乏しくノッペリと出来ていてあまり面白く聴け...東響第720回定期(5月12日)
ウイーンの「フォルクスオパー」というと”オペレッタ”と連鎖的に思ってしまうが、それは日本固有のイメージであってどちらかと言うとウイーンという街に於いてはシュターツオパーに続く2番目の常設小屋という位置付だ。あくまでもセカンド・ラベルなのだから、こちらには世界的な超一流のキャストが揃うこともないし観客にVIPが混じることも決してない。しかしだからと言って出し物が面白くないことは決してないし、むしろ小回りが利いて興味深い良い舞台ができることもあるだろう。思い返せば最初にウイーンでオペラを観たのはこの劇場の「ウイーン気質」だった。1972年のことである。パブリックスペースが狭くって、ろくなロビーもなくて休憩時間には皆外に出てミモザなんかを飲むのだが、観客が皆寛いでいる独特な雰囲気が私は大好きだ。そんな魅力一杯の...ウイーン・フォルクスオパー「ウインザーの陽気な女房達」(5月5日)
ウイーンのフォルクスオパーのレパートリの中には、オペレッタのみならずミュージカルも多く含まれている。そこで兼ねてより、この劇場でオーストリアを舞台とした「サウンド・オブ・ミュージック」を観てみたいと思っていたのだが、今回のウイーン滞在中に運良く巡り会うことが出来たので、これ幸いと出かけた。演目のせいか、レイバー・デイという休日のせいもあってか、劇場は家族連れで一杯だった。そもそもこの演目は、リチャード・ロジャース&オスカー・ハマーシュタインというミュージカル界の大御所二人が作り、1959に初演されたブロードウエイミュージカルなのだが、それを基にして1965年に制作されたジュリー・アンドリュース主演の映画の方が数段有名になっている。このミュージカルのフォルクスオパー初演は2005年で、今回観た舞台はその再演...ウイーン・フォルクスオパー「サウンド・オブ・ミュージック」(5月4日)
5月の連休に14年振りで新緑のウイーンを訪れ、国立歌劇場でクリスティアン・ティーレマンの振るワーグナー作曲の歌劇「ローエングリン」のプレミア公演二日目を観た。私自身この劇場を訪れるのは今回が1980年12月以来8度目となるが、ルティーン公演の中にはかなり手抜きの舞台もあることを知っている。しかし今回は2022年ザルツブルク復活祭で初演されたJossiWielerとSergioMorabitoによるプロダクションのウイーン引っ越公演だけあって、指揮者を始めキャスティングにはかなり力が入っていたと思われる。それゆえに演奏の方は音楽的にはかなりの水準だったと言って良いだろう。取り分けティーレマン指揮するオケの雄弁さには流石ウイーンと思わせるところが随所に聞かれた。タイトル・ロールのDavidButtPhilip...ウイーン国立歌劇場「ローエングリン」(5月2日)
コロナの為に中止あるいは規模を縮小していたこの音楽祭が久方ぶりに賑々しく本格開催された。今年のテーマは「〜夢と憧れ〜」だ。「ラ・フォル・ジュルネ」とほぼ同形式の音楽祭だが、こちらは会期も二日、会場も「びわ湖ホール」一箇所(3つのホールとメイン・ロビー)とぐっと小規模ではある。しかし内容はなかなか濃い。そしてなによりびわ湖に面したホールの立地が素晴らしく、とりわけ天気に恵まれた時の爽快感は有楽町の比ではない。今年は1日目こそ曇天だったが二日目は晴天に恵まれて心地良い音楽祭になった。今回は2日に渡り7つの公演に参加した。まずは27日のオープニングコンサートでは、このホールの音楽監督阪哲朗とカウンターテナー藤木大地そしてソプラノ小林沙羅+京都市交響楽団が集う華やかな舞台で幕開けを飾った。ウイーンのフォルクス・オ...びわ湖の春音楽祭2024(4月27日・28日)
共にフィンランド出身の指揮者サカリ・オラモとソプラノのアヌ・コムシを迎えたお国物を中心としたコンサートである。エイノユハニ・ラウタヴァーラの「カントウス・アルクティクス」(鳥とオーケストラのための協奏曲)作品61である。自ら収録したフィンランド中部の湿地帯に生息する鳥たちの鳴き声をソリストとするユニークな「協奏曲」だ。2chで収録された鳥の声のテープ音がホール天井から舞台に降り注ぐ中、オケがそれに呼応する3つの楽章から成る佳作だ。幾種類かの鳥の声とオケが北国の自然風景を描き、最後はフィンランドの国鳥オオハクチョウの群れが春を告げる。まことにシーズン幕開けに相応しいスターターではないか。続いてはカイヤ・サーリアホの「サーリコスキ歌曲集」(管弦楽版)の日本初演だ。ペンッティ・サーリコスキの詩集から採られた人生...東響第95回川崎定期(4月21日)
2021年11月定期以来二度目の登場となるピアニストのピョートル・アンデルシェフスキ迎えた2024/25年シーズン開幕公演である。最初は指揮者無しでグノーの小交響曲変ロ長調だ。名前は「交響曲」だが、木管7本のアンサンブルの滅多に演奏されないが曲。私も生で接するのは多分生涯二度目だと記憶するが、今回は紀尾井の名手達の卓越した表現力がグノーの魅力を十全に引き出した。フルート相澤政宏、オーボエ神農広樹・森枝繭子、ファゴット福士マリ子・水谷上総、クラリネット有馬理絵・亀井良信の面々。続いてアンデルシェフスキの弾き振りでモーツアルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488。のっけから水際だった玉井菜採率いる弦の美しさに心を鷲掴みにされたが、肝心のピアノの方は余り印象に残らず。もちろん均整がとれた心地よく美しい響きなの...紀尾井ホール室内管第138回定期(4月20日)
快進撃を続けるコンビ10年目に突入した常任指揮者高関健と東京シティ・フィル。2024/25年のシーズンは、華々しくR.シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」より第一幕および第二幕より序奏とワルツ集で幕を開けた。これは作曲者自身が編曲したヴァージョンだそう。原曲を超えた想像力豊かな展開も聞き取れる興味深いピースではあったが、やはり日頃聞き慣れているロジンスキー編曲の「組曲」の方が本編のオペラを素直に感じることができて聞き心地はそちらの方がよろしい。二曲目は南紫音を迎えて大変珍しいシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番作品35。これは高音が続く超絶技巧の単一楽章の協奏曲風幻想曲といった趣だ。怪しげというか、耽美的というか、独特な音色と色彩感を持ったガラス細工のようなソロのフレーズを南は見事に弾き切った。大オーケスト...東京シティ・フィル第369回定期(4月19日)
2024年の聖金曜日にタケミツ・メモリアルホールで開催されたBCJによるJ.S.バッハ作曲マタイ受難曲の演奏会である。指揮は主席指揮者の鈴木優人。エヴァンゲリストはベンヤミン・ブルンス、ソプラノはハナ・ブラシコヴァと松井亜季、アルトはアレクサンダー・チャンスと久保法之、テノールは櫻田亮、バスは加耒徹とマティアス・ヘルムという声楽陣だ。私はキリスト教者ではないけれど、やはりこの曲を聞くとなれば襟を正して聞かざるを得ない。前回は2015年のラ・フォル・ジュルネだったと思う。プログラムによるとその時が今回の指揮者鈴木優人のマタイ初振りだったということだ。まあそれはともかくとして、キリスト受難の3時間を超える大曲の中に身を置くことは決して楽なことではないので、これが生涯最後の生マタイになるのかなと思いつつ席につい...バッハ・コレギウム・ジャパン第160回定期(3月29日)
今年度で開館25周年を迎えたびわ湖ホールの活動を支える専属の声楽アンサンブルの東京公演である。前日には本拠地であるびわ湖ホールでの初日公演があったので、この日が二日目ということになる。今回は初代音楽監督若杉弘氏へのオマージュということで「Theオペラ!」と題され、若杉が愛し「青少年オペラ劇場」として幾度も上演を重ねたブリテン作曲の歌劇「小さな煙突掃除屋さん」のセミ舞台上演がメインであった。この45分ほどの小オペラは、「オペラを作ろう」という3幕仕立ての舞台作品の一部で、最初の二つの幕では背景がドラマとして語られ、この作品はその第3幕という位置付けになる。そして今回それに先立って演奏されたのは、何と演奏時間90分を要するヴェルディ作曲の「レクイエム」なのだ。これは世界的にもほとんど顧みられることのないヴェル...びわ湖ホール声楽アンサンブル東京公演(3月24日)