Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog梅林や轟然として夕列車 高浜虚子 梅林と夕列車との取り合せ、それに轟然という形容動詞でその様を表しています。美しい梅林にいて大音響を立てて列車がとおりすぎて行きます。その不穏な空気が伝わります。しかも、夕暮れ時に、作者はどうしてそこに
Ryo Daimonji Blog白魚をすすりそこねて死ぬことなし 齋藤 玄 白魚をすすりそこねて、当然死ぬことなどあり得ないのである。それを俳句にするという特別をこの句にはまづ感じなければならなかった。果たして、作者は1980年に直腸癌により死去、66歳であったとある(ネ
Ryo Daimonji Blogやまざとはまんざい遅し梅花 松尾芭蕉 この句には「伊陽山中初春」と前書がある。「伊陽」は伊賀国上野(三重県上野市)あたりであるらしい。その山中では正月に来るまんざいが、梅の花が咲く頃に来る、なんとも遅いことである。と詠んでいる。「やまざ
Ryo Daimonji Blog恋猫や鮑の貝の片思ひ 内藤鳴雪 恋猫、鮑とくるとなにやら連想してしまうのだが、「鮑の貝の片思ひ」は鮑が二枚目の片方の貝のみのように見えるところからそう言われてきたようだ。それと「万葉集」巻十一の「伊勢の海女の朝な夕なに潜くといふ鮑の貝
/24 Ryo Daimonji Blog梅若菜まりこの宿のとろゝ汁 松尾芭蕉 この句には前書に「餞乙州東武行(おとくにがとうぶのこうにはなむけす)」とある。つまりは、乙州が江戸へ出立する餞別句である。その句意は、あなたの道中には梅が美しく咲き、畑には若菜が目に入ることで
Ryo Daimonji Blog雨戸たてて遠くなりたる蛙かな 高浜虚子 まづ、上五「雨戸たて」ではなく「雨戸たてて」と上六にして三段切れを避けた気配りに感心する。さらに現代風に雨戸を「閉める、閉づ」ではなく「たてて」とあるあたりに時代考証の細やかさを感じる。遠くなっ
Ryo Daimonji Blog恋猫の颯とたてがみのやうなもの いのうえかつこ この恋猫という季語には雌雄はなくどちらも恋をして発情するようですが、この句は雄猫を詠んでいるようです。格好いい場合「颯爽」と書きますが、この句の場合瞬間の猫の毛を捉えて「颯」と表現された
Ryo Daimonji Blog木曾の情雪や生ぬく春の草 芭蕉 芭蕉翁が木曾義仲贔屓であることは知っていた。しかし、芭蕉は生前は義仲の墓所木曾塚に並んで庵を結び、死後はなきがらを木曾塚の横に葬らせた、ほどであるとは知らなかった。この句、上五の「木曾の情」がどれほどわ
Ryo Daimonji Blog蠶飼ふ麓の村や托鉢す 虚子 托鉢(たくはつ)とは、僧侶が修行の一環として、経を唱えながら家々を回り、食物や金銭を鉢に受けて回ることで乞食(こつじき)や行乞(ぎょうこつ)とも呼ばれる、とある(ネット情報)。俳諧師は乞食ほどに欲から遠く身
Ryo Daimonji Blog春寒のケシゴム一行の字をそげり 鷲巣繁男 まだ春に到達していない寒い日である。書き始めては見たものの今ひとつしっくりこないのである。一行を消し、書き改めることにした。一行を消し削ぐ役割をケシゴムは果たす。次を書くのは自分の仕事だ、束の
Ryo Daimonji Blog大津絵の筆のはじめは何仏 芭蕉 そもそも大津絵があって、そしてそれは、始めから順番に仏事を書くものなのであろうか、そういった大津絵にまつわる何某かの前提を蕉翁は仰りたく、その思いをこの俳句にされたものと思う。ところが、私にはそこのとこ
Ryo Daimonji Blog宿借さぬ蠶の村や行きすぎし 虚子 昭和三十五年ごろ私の村でも養蚕業をされているお宅があった。くず蚕が家の隅に桑の葉と共に捨てられていてそれをもらって帰り、成虫に孵して遊んだことがある。養蚕も忙しそうで、人様に宿をかすなどの余裕はあるま
Ryo Daimonji Blogたくさんの吾が生るるしやぼん玉 津川絵里子 しやぼん玉遊びで、可愛く夢がひろがるのは三歳から小学の低学年ぐらいか。いやいや、いくつになっても童心に戻るというか子供が一緒であればなおさら楽しくなる。作者はそのシャボン玉に多くの自分が映る
Ryo Daimonji Blog天子賢良を招き蛇穴を出る 虚子 天子を国の君主であるとか天皇と解して読む。日本人の常識ほどには天子さまを敬う気持ちはあります。その天子さまが賢良なる者を招き宴などを催される。世は蛇が冬眠から覚め這出づる春である。天子と賢良がなす国政の
Ryo Daimonji Blog心臓はひかりを知らず雪解川 山口優夢 作者は開成高校卒の俳句甲子園で活躍された俳人であるらしい。この句は作者何歳の時の作かはわからないのだが、心臓を意識する歳でもないようだ。心臓と雪解川を取り合わすとはさすが、素晴らしい感覚と思う。冷
Ryo Daimonji Blog煤掃は杉の木の間の嵐かな 芭蕉 煤掃きは、新年を迎えるために、一年間の煤を払って家屋の内外を清めることという冬の季語である。この句、その煤払いは自分にとって杉の木の間を吹く嵐である、なんとなれば自分は年中旅の空で出歩いているのだから、
Ryo Daimonji Blog春潮や巌の上の家二軒 虚子 春になると潮の色が澄んだ藍色に変わり、海面が豊かにふくれてくるような印象を受ける、と歳時記の解説にあった。そういう波がざぶーんと来る大きな岩盤の上に家が二軒あるという。家二軒といえば、私は蕪村のさみだれや
Ryo Daimonji Blog書を校す朱筆春立つ思あり 柴田宵曲 氏は『分類俳句全集』アルス版など、編集出版の仕事に携わられたらしい。そう言った仕事上も、前に出ることを避け、頑なまでに清貧であろうとする偏屈を感じるお人柄であったようだ。 書を朱筆で校正するとき、
160-2/9 Ryo Daimonji Blog住みつかぬ旅のこゝろや置炬燵 芭蕉 「旅心」と言う心境を俳句にしている。つまり、ひとつどころに落ち着いて定住しない自分の心はひとつどころに定め置かれる置炬燵に反していることだなあ。あるいは置炬燵を移動式炬燵と解して、その炬燵
Ryo Daimonji Blog幌馬車は葵の上や春の雨 虚子 春の雨が幌馬車にふっている。六条の御息所(みやすどころ)の嫉妬(しっと)の生霊(いきりょう)が,ライバルの葵上(光源氏の正妻。)の幌馬車に生温かい春の雨となって降っている、とネット情報で読んでみましたが、全く自信
Ryo Daimonji Blog恙なしや今日立春の鳥獣 北原志満子 恙なしとは、やまいがない、息災である。と辞書にあった。息災とは、仏・菩薩の力などによって厄災を消滅させることとある。この句、鳥獣までも恙無く立春を迎え得たことを喜んでいる。仏縁の深い作者なのかとネ
Ryo Daimonji Blog節季候の来れば風雅も師走哉 芭蕉 節季候(せきぞろ)とは、江戸時代、歳末に「せきぞろ、めでたいめでたい」と人家を巡っては庭で踊り囃した門付けとよばれる芸人集団のこと、とされ、冬の季語にあった。世間では年の暮であわただしくなり俳諧どころで
Ryo Daimonji Blog琴棋書晝松の内なる遊びかな 虚子 正月も松の内である、琴囲碁将棋と日本の遊びは奥が深いのであります。昼の日なかから遊び惚けるのも今のうち、そんな気分を「かな」で詠嘆しています。今時に言い直すと、任天堂のゲーム攻略松の内てなところです
Ryo Daimonji Blog蟲鳥のくるしき春を無為(なにもせず) 高橋睦郎 春は蟲、鳥にとって苦しい季節なのだろうか。行きとし生けるものみな、春夏秋冬苦しいといえば苦しく、楽といえば楽に生きているものではなかろうか。有為。何かを為すと考えてから生きるか、とりあ
Ryo Daimonji Blog雪ちるや穂屋の薄の刈残し 芭蕉 この句のキーワードは「穂屋」、萱や薄で葺いた小屋のことで、諏訪上下両社で行われる御射山祭の宿のことも穂屋と言う。冬の信濃路を行くと薄の刈り残しが見られ、そのお祭りのことが偲ばれます。陰暦で七月の二十六
Ryo Daimonji Blog牡蠣をむく火に鴨川の嵐かな 虚子 一読、鴨川で牡蠣って取れたっけ、と思いました。産地直送ってのはあるでしょうが、それでは句意がそれてしまうしねえ。そのまま読みます。嵐の日に鴨川で牡蠣をむいています。寒いので焚き火をしてその作業をして
Ryo Daimonji Blog老人のかたちになつて水洟かむ 八田木枯 私は幼い頃から鼻をよくかむほうだったと思う。蓄膿症ではないかと思うほどだった。タバコを吸うようになって、そのことをあまり意識しなくなったように思う。それにしても鼻をかむ姿に老若を意識したこともな
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Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog藺の花の上漕ぐ船や五月雨 高浜虚子 藺の花はイグサ科の多年草で山野、湿地に自生するが水田でも栽培されるそうである。そういう川か湿地を、船で巡るところがあってそこで詠まれたようである。完全に水没している藺の花ということでなく、藺の
Ryo Daimonji Blog島の教会かとりせんかう置くあはれ 小澤實 前書に長崎とある一連の一句である。多勢の人がお参りされていたのかどうか、定かではないが蚊取り線香が置かれている。下五「あはれ」喜び、悲しみ、同情など心にジーンとくる情感とある。お参りする人への
Ryo Daimonji Blog玉祭りけふも焼場のけぶり哉 松尾芭蕉 玉祭りと、一気に秋へ飛んでしまう。盆の義仲寺内の無名庵の竜が丘墓地での一句のようだ。こういう場面で思い出すのはネット動画のガンジス川の河畔での荼毘のシーンだ。河畔であっても荼毘に付されるのはまだ
Ryo Daimonji Blog三味弾いて銭乞ふ船や涼み舟 高浜虚子 例えば川下りの屋形舟なぞに三味線弾きが乗り込み掲句のような巡りになったのかもしれない。わずかな銭、とは言えプロの技には憧れてしまうものである。私ごとで言えば、京都三条木屋町の高瀬川あたりで長渕剛を
Ryo Daimonji Blog花冷えや都電と都電すれちがふ 小澤實 都電は1972年(昭和47年)末までに、荒川線以外の全路線が廃止されたそうですが、その都電が花冷えの頃すれちがった、という俳句です。私の京都でも昭和五十三年に廃止されたようですが、北大路を市電で移動する
Ryo Daimonji Blog我に似るなふたつにわれし真桑瓜 松尾芭蕉 この一句、まづは上五「我に似るな」で俳句を志す若者に「私に似るな」と言っている、とわかるか。次に中七下五「ふたつにわれし真桑瓜」を「瓜を二つに割りたる如し」つまりうり二つにによく似ているとの俚
Ryo Daimonji Blog薮入のすこし覚えし京言葉 高浜虚子 私のような田舎に暮らす者は異文化にはとても敏感である。特に関東圏に暮らす人がペラペラと東京弁で仰ると殺される前の猫のようにじっと目をみはり聞いてしまうのである。薮入ですこし身についた京言葉で挨拶
Ryo Daimonji Blog即死以外は死者に数へず御柱 小澤實 私を必要と思われるなら生かし、不必要と思われるなら殺してください。と、行に仕立てた人為がある。それが「行」なのだから致し方ないのである。こういう境地で人は死への恐怖を超えるのかもしれない。しかし、人
Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほととぎす 松尾芭蕉 ふるさとの原風景ってどこだろう、母なのか、父なのか竹馬の友なのか、というふうに自分の心の中の核心というものは、はっきりと掴めないものだ。この句にしても京にいるのに京が懐かしいとはなんぞ。そこに
Ryo Daimonji Blog薔薇剪つて短き詩をぞ作りける 高浜虚子 存分に薔薇を見て、さらには剪りとっても見て俳句にされたのであろう。俳句と言わず短き詩と遠回しに言って美しすぎる語感をおさえられたのであろう、「をぞ」と意図してリズムに不調を入れるあたりさすがであ
Ryo Daimonji Blog鳥海に田水張ればやはやさざなみ 小澤實 鳥海という姓の方が色々な分野に活躍されていることをネットで知った。なんとも素敵な姓名で羨ましく思う。が、この句の場合は地名のことと解する。山形県と秋田県を跨ぐ山に鳥海山があるが、秋田県南部に旧町
Ryo Daimonji Blog橘やいつの野中の郭公 松尾芭蕉 こういう俳句は今日的にはどうなのだろうか。つまり、花橘も郭公もいつの野中のことであったことであろうか、と記憶をただ詠嘆して見せている。つまりはっきりしないのである。このはっきりしないところが、句会などで
Ryo Daimonji Blog夕歩き宿の団扇を背にして 高浜虚子 俳人というものはとにかく見なければいけない。上から下へ下から上へ、さらには背ろ、斜めといった具合である。この句は己の背景を気にしている。正確には「腰にして」であろうが背にしたごとくに詠んでいる。
Ryo Daimonji Blog眠るなり囲炉裏に太き薪よこたへ 小澤實 冬の季語囲炉裏は知っているがこの句のように生活に根ざして使ったことはない。囲炉裏のそばに横たわったものか、座って居眠っているのかいずれにしてもこんな安息はなかなか得難い。その囲炉裏の中にふとい薪
Ryo Daimonji Blog日の道や葵傾くさ月あめ 松尾芭蕉 上五、日の道とは、地球を中心に描く大円状の太陽の位置のことだそうな。その方向に葵の花が傾いている不思議。五月雨降る初夏のことである。
Ryo Daimonji Blog蚤や蚊やわれ貧にして且つやめり 高浜虚子 明治に入ってホトトギスも順調でこの句にあるほど氏が貧していたとは思えないのだが、実際のところはわからない。どの程度に病んでいたのかも略年譜ではわからないのだが、貧乏の病気ぐらしに蚤や蚊が堪えた
Ryo Daimonji Blog箱眼鏡流れに押すやすべてみどり 小澤實 腰から腹に水が来る渓流である。鮎、山女などを採るために箱眼鏡を覗き続けている。そこそこの深さがあるので箱眼鏡を押し続けなければ流されてしまう。箱眼鏡は流れを切っているので覗くと時折水泡が見えるが
Ryo Daimonji Blog猪もともに吹るゝ野分かな 松尾芭蕉 老年期とは言え家族とともにいるわたにしても、秋も台風に直撃されると心細く気弱になってしまうものである。一人暮らしの芭蕉翁にしてみればその侘しさも一入であるのであろう。ついつい強風に煽られているであ
Ryo Daimonji Blog宮柱太しく立ちて神無月 高浜虚子 ときは神無月、出雲へ行かれて神様はいらっしゃらない。そんな社の柱は変わらず太く堂々と立っている。静寂が逆に神の存在を感じさせることもある。清い世界である。
Ryo Daimonji Blog短夜や盗みて写す書三巻 大須賀乙字 この句の背景として、作者に師にまだ早いと読むことを禁じられていた芸道の秘伝書があったこと。そして師の書架から盗み出し、徹夜覚悟で写そうとしたこと。そしてそれは乙字の直接経験を詠んだものではなく、浪漫
Ryo Daimonji Blog夏衣いまだ虱をとりつくさず 芭蕉 小学館『芭蕉全句』の解説によると九か月間もの長旅を終えて草庵に身を休めているが、道中で移された虱もまだそのままだとあるが、九か月の長旅をこの句から読み取ることは難しかろう。また、取り尽くせていない
Ryo Daimonji Blog木曽に入りて十里は來たり栗の花 虚子 木曽は長野県木曽郡の中央部にある町。そこに入って十里は来た、よく来たもんだと感慨をこめている。上五を入りで切らず、て止め上六の破調にしている。たしかにこれで十里は来たとのたっぷり感がでる。さらに来
159 『名句の所以』(著:小澤實)から
Ryo Daimonji Blog山賎のおとがい閉るむぐらかな 芭蕉(やまがつのおとがいとづるむぐらかな) 山賎(やまがつ:きこりのこと)。おとがい:顎、転じて口のこと。むぐら:葎(蔓性雑草)。甲斐(山梨県)の山は深く、葎がおおい繁り道ばかりか木樵の口までも閉ざしているようで、
Ryo Daimonji Blog諏訪近し桑の山畑ところどころ 虚子 明治二十七年6/24『小日本』とある。虚子二十歳の作である。諏訪に近づくとところどころに桑畑が山裾に見られるようになった、とその風土を写生して見せている。下五に「ところどころ」と具体的に景を絞らず流
Ryo Daimonji Blog花こぼるる棕櫚の下掃くさびしさよ 村山たか女 たか女は明治三十七年生まれで大正十五年、わずか二十一歳で逝去している。たか女は女学校を退学して母の看護に勤めてきた。しかし、棕櫚が花を咲かせる六月頃、看護の甲斐もなく母は亡くなってしまった
91 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)
Ryo Daimonji Blog裏山の紫つゝじ色薄し 虚子 場所は「裏山」、感想は紫つつじの色が薄い、とのみ。このつつじが見えるでなく、そんなツツジもあるやろなあぐらいのインパクト。まあしかし初学であれば写生句はこれぐらいで手練手管な師匠には取ってもらえるかもしれな
Ryo Daimonji Blog夜的の灯草のはるかに置かれけり 上川井梨葉 この夜的は屋台などにある射的屋の灯のことであろうか。ところで、夜的は季語とされた時代があるようだが今私の歳時記では見当たらない。私は名のある歳時記にあるなしで季語の有効性を決めているが、一体本
Ryo Daimonji Blog鳥さしも竿や捨てけんほとゝぎす 芭蕉 一読、「鳥さし」とはなにかと思う。鳥を刺す猟師のことのようである。次に竿やの「や」の品詞は何か,係助詞と解して「けん」と連体形で受けているので良いように思うが、係助詞やの疑問、反語のニュアンスでは
Ryo Daimonji Blog大木の五月雨の谷に横たはる 虚子 この句も前回の《五月雨の和田の古道馬もなし》と同じく明治27年6月24日『小日本』とある。この五月雨の谷も長野県飯田市南信濃和田のいわゆる秋葉古道のことではないか。いわゆる杉などの大木は意外と雨風に弱く
Ryo Daimonji三枚におろされている薄暑かな 橋閒石 「三枚におろす」とは魚の調理方法のことである。この句、薄暑がおろされているように読めるが、私は、なにがしかの魚が三枚におろされているところを見て詠んでいるのだと、解した。魚によってはあるいは包丁に
Ryo Daimonji Blog牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉 芭蕉 蜂が牡丹の花蘂のふかくから分け出でて、即飛び立つのではなく一瞬の間をおいて飛び立つのである。そのふかくにより牡丹の大輪が見えるのであり、名残により蜂の動きの微細が見えるのである。
Ryo Daimonji Blog五月雨の和田の古道馬もなし 虚子 この作品は明治27年6月24日『小日本』とある。この頃虚子さんは木曽路を経て京都に帰り、6月には『木曽路の記』を執筆されている『定本 高浜虚子全集 別巻 虚子研究年表(毎日新聞社)』。この和田の古道は、長野
Ryo Daimonji葉桜の中の無数の空騒ぐ 篠原 梵 葉桜の葉の間に見える空を無数の空と表現した。葉桜の量感を小さい隙間にの空に託したわけだ。その上に騒ぐ葉桜を空が騒ぐと転化して見せたところ、こういう表現は明喩と言っていいのか。無数の空が騒いで「いるようだ
Ryo Daimonji Blogおもひ立木曽や四月のさくら狩 芭蕉 貞享ニ(1685)年四月、『野ざらし紀行』の旅をおえ、尾張から木曽路を経て江戸に帰る際、熱田で巻いた連句の立句「明治書院『新芭蕉俳句大成』」。 江戸へ帰る途中であるが、折しも少し遅いが木曽の春も遅いの
Ryo Daimonji Blog家二軒笠取山の時鳥 芭蕉 笠取山(かさとりやま)は、埼玉県秩父市と山梨県甲州市の境、奥秩父山塊の主脈に位置する標高1,953 mの山。秩父多摩甲斐国立公園に含まれる(ウキペディア)。ネットで見る限り周辺に人家があるような気配はない。山裾へ降りて
Ryo Daimonji Blog葉ざくらや人に知られぬ昼あそび 永井荷風 いきなりこの句、淫靡な気配を放つ。永井荷風をネットで見てみたが窮乏したり、病気になったりもしておられるが、基本裕福な育ちの人らしい。後年文化勲章も受賞してをられる。若い頃の遊興三昧も芸の肥や
Ryo Daimonji Blog白げしにはねもぐ蝶の形見哉 芭蕉 この句は隠喩を用いた句である。即ち白げしが杜国、はねもぐ蝶が芭蕉を意味している。その前提として空米取引で罪を問われている杜国との会うに会えない不遇への哀感があると思われる。白げしに潜っていた蝶が飛ぶ