Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog痩馬に車つなぐや鶏頭花 虚子 昭和29年から35年頃、我が家には牛がいた。農耕用に飼っていたもので、主に爺様が飼育使用していた。馬は近所に一頭、山用にいたと記憶している。虚子さんのこの句は明治28年8月31日の新聞「日本」とあるので、十分に働
Ryo Daimonji Blog秋の虹消えたる後も仰がるる 山田弘子 虹は歳時記にまずは夏とされる。ついで春の、秋の、冬のと季節をつけてそれぞれに季語とされる。最も活き活きと爽やかさに満ちた夏の虹をただ虹として基本季語とされたものと思う。ついでそれぞれに季節の名を冠
Ryo Daimonji Blog蔦の葉はむかしめきたる紅葉哉 芭蕉 蔦は紅葉が美しく塀、壁などに這わせる、と辞書にある。そこで己が家に這うにまかせた人があったが、家壁の養分をすいつくすに至った。確かに古風な着物の柄を思わせその紅葉は蔦紅葉と季語に記される通り美し
Ryo Daimonji Blog朝露や背丈にあまる萱畑 虚子 私は子供の頃、茅葺の家に暮らしていた。その頃のことを思い出すにつけ、ずいぶん月日が経ったとしみじみ思う。萱にはそんな家屋の屋根の補修に使われていたことの思い出が強くある。野原に枯れて佇む萱を見るたびにそん
Ryo Daimonji Blogこれ以上澄みなば水の傷つかむ 上田五千石 水に毒を入れるとか、泥で濁るとかを水の傷と定義すれば、あるいは水にも傷がつくといったことも考えられるのかもしれない。しかしこの句、その真逆の「澄む」という状態を基準としている。非常に純粋な人が
Ryo Daimonji Blogひよろひよろと猶露けしや女郎花 芭蕉 女郎花の呼び名は「をみな」=女性を「へす」=「圧す」ほどに美しいという意味からきているらしい。女性の美しさも時代とともに移り変わるようだが、「ひよろひよろ」は現代に合った表現と思う。
Ryo Daimonji Blog二處に虫鳴き出でぬ垣の下 虚子 石垣であろうか、土塀、板塀といった垣根の下部で虫が鳴いている、それも二箇所でである。虫もまた鈴虫か、轡虫か定かでない。つまるところ垣のあたりで虫が鳴いている、つまり秋が満ちていることを言いたいのであろ
Ryo Daimonji Blog冷やかにティッシュ箱より直立す 小豆澤裕子 ティッシュはいつも箱から直立している。そのことを意識下に置くというさりげない気持ちの動きというのは、俳句を作る上でとても大事なことで、その結果をこの作品のように仕上げたということは褒められて
Ryo Daimonji Blog草いろいろおのおの花の手柄かな 芭蕉 秋の草には萩をはじめ葛、撫子など七草を代表としてそのほかにもいろいろとありますね。その草がそれぞれに花を咲かせます。古今集の「・・・秋は色々の花にぞありける」を踏むと解説にあります「小学館 芭蕉全
Ryo Daimonji Blog朝顔の花咲きしぼむ野分かな 虚子 美しく咲く朝顔なのだけれど、野分のせいか咲き萎んでしまった。朝顔、と野分、初秋と仲秋の季重なりであるが、同じ季節を詠んでをり秋を強調して問題なしと解する。咲く朝顔でなく萎んだ朝顔を詠んだ。実は句中朝
Ryo Daimonji Blog爽やかやからだにかすかなる浮力 日下野由季 俳句は何を詠んだかがまず問われる。この句は人間の体にある浮力について詠んでいる。辞書に流体内にある物体の各表面に働く圧力の差によって、物体が重力に反して鉛直上方に押し上げられる力を言うとある
Ryo Daimonji Blogおくられつおくりつはては木曽の秋 芭蕉 友との別れの名残惜しさは格別だが、子供の頃とは異なり大人ともなれば節度ということがある。子供のように大好きな人との別れに駄々をこねて泣くというわけにもいかない。しかし思いは大も小も同じ、その果
Ryo Daimonj Blog一つ引けば田の面の鳴子なるを見よ 虚子 田の面に害鳥避けに鳴子が渡してある。うまくできていて一箇所を引くと田一面の鳴子が鳴るのだ。その様子を見よ、と言う。聞けではなく、見よと言う。それは鳴子が踊るように動き鳴る。その様子は見て聞く方が
Ryo Daimonji Blog木犀にとほき潮のみちにけり 石橋秀野 木犀といっても種類にいろいろあるようだ。僕の近所にもあって、金木犀だ。盛りになると遠くまで香りを飛ばし秋を感じさせるのだが、この木に遠くの海や潮がみちた、とはどういうことだろう。その連想に僕は共感
Ryo Daimonji Blog見送りのうしろや寂し秋の風 芭蕉 飛行機、電車、船。さていづれの別れが一番寂しくあるだろう。そりゃあ徒歩ですよねえ。でも、別れなんぞはサッパリじゃあねで済ましたい。うしろ姿に手を振り続ける、秋の野、村外れまで、隣村までと名残り尽きない
Ryo Daimonji Blogぼうぼうと只秋風の吹く野かな 虚子 台風でも近づいているのか、野に少し強めに風が吹く。作者はこれを「ぼうぼう」と表現した。風が吹けば「ぴゅうぴゅう」という連想に疑問を抱かずに、句にもちこむ安易さは避けなければなりません。と俳句入門
Ryo Daimonji Blog鯖雲や犬の興味は他の犬 長嶋 有 犬にいかほどの興味と言った思考があるものなのか、よくわからない。この作者は他の犬と断じている。私も犬を飼ったことがあるが他の犬のことを興味を持っているとは思えなかった。が、この断定で、句全体が人間臭くな
Ryo Daimonji Blogかくさぬぞ宿は菜汁に唐がらし 芭蕉 小学館「芭蕉全句」の解説が短文にして明快であった。上五「かくさぬぞ」にとまどう。「人は自家の粗飯を恥じて体面繕うものだが」ほどの意味とある。「宿は」も場所が定まらない。「当家の主は、菜汁に唐辛子の食
Ryo Daimonji Blog蜻蛉飛ぶ川添ひ行けば夕日かな 虚子 愛媛県松山に生まれた虚子は、故郷の山河に囲まれて存分に蜻蛉、川、夕日を堪能したに違いない。この句は明治三十七年虚子三十歳の作品である。翌年漱石がホトトギスに「吾輩は猫である」の連載を始めている。緩や
Ryo Daimonji Blog裂鰯颯と来る浪に洗ひけり 滝川愚仏 取り立ての鰯を無骨な指で捌く。捌くというより内臓を小削ぎ出す。そして来る波で洗い食う。この句は食うとまでは言わずに止めているが、食うのである。昨今流行りの漁師飯とか言うのではなく、この食べ方に作者
Ryo Daimonji Blog粟稗にとぼしくもあらず草の菴 芭蕉 解説に(小学館 芭蕉全句)にこの句は杜甫詩「園ニ芋粟ヲ収メテ未ダ全ク貧シカラズ」を踏むとある。粗末な草の菴に住んではいるが、粟稗を得て乏しくもなく暮らしているよ。と自適の暮らしに満ちている句と読んだ。
Ryo Daimonji Blog南うけて厠に残る暑さかな 虚子 子供の頃、南吹く蒸し暑い日のトイレは暑かった。トイレを出るとスッと汗がひくのがわかった。当時のおしゃがみトイレを思い出す。流石にいわゆる様式トイレが一般的となってからそういうことはなくなつた。知り合いに
Ryo Daimonji Blog墓洗ふ水がおいしくなりたれば 清水径子 秋も深まり秋の味覚も味わいを深める。水さえもおいしく感じる。盆供養や秋の彼岸で墓を洗う。先祖のより身近な故人を思いながら墓を洗うとき、その気持ちよさを思うと同時にそのおいしさも伝えたくなる。どや
Ryo Daimonji Blog刈あとや早稲かた∧〃の鴫の声 芭蕉この句に出会い、あわててネットでその姿、鳴き声を確認しました。∧〃は苦肉の策で(かたがた)のつもりです。歳時記には主に水田や沼地に多く棲息し、ジャーツジャーツと鳴きながら飛び立つとあるのですが、僕には馴
Ryo Daimonji Blog黍の中に燈籠見ゆる蕎屋かな 虚子 黍の生産地は全国で沖縄、岩手、長野県で約半分を占めるとネットにあった。私は京都丹波で黍を食べたという経験がほとんどないのだ。それにしても秋の豊作を醸す黍畑に燈籠をしつらえた蕎屋が見えるとは、蕎好きには
Ryo Daimonji Blogくさはらを歩めば濡れて魂祭 下坂速穂 早朝であったり、雨後であったりあるいはふだんでも草に残る露で足元が濡れることがある。そういうくさはらの感覚を捉えて、魂祭の頃であると下五で季感を押さえた。新涼というよりは重く晩秋の盆供養を詠んでい
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Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog藺の花の上漕ぐ船や五月雨 高浜虚子 藺の花はイグサ科の多年草で山野、湿地に自生するが水田でも栽培されるそうである。そういう川か湿地を、船で巡るところがあってそこで詠まれたようである。完全に水没している藺の花ということでなく、藺の
Ryo Daimonji Blog島の教会かとりせんかう置くあはれ 小澤實 前書に長崎とある一連の一句である。多勢の人がお参りされていたのかどうか、定かではないが蚊取り線香が置かれている。下五「あはれ」喜び、悲しみ、同情など心にジーンとくる情感とある。お参りする人への
Ryo Daimonji Blog玉祭りけふも焼場のけぶり哉 松尾芭蕉 玉祭りと、一気に秋へ飛んでしまう。盆の義仲寺内の無名庵の竜が丘墓地での一句のようだ。こういう場面で思い出すのはネット動画のガンジス川の河畔での荼毘のシーンだ。河畔であっても荼毘に付されるのはまだ
Ryo Daimonji Blog三味弾いて銭乞ふ船や涼み舟 高浜虚子 例えば川下りの屋形舟なぞに三味線弾きが乗り込み掲句のような巡りになったのかもしれない。わずかな銭、とは言えプロの技には憧れてしまうものである。私ごとで言えば、京都三条木屋町の高瀬川あたりで長渕剛を
Ryo Daimonji Blog花冷えや都電と都電すれちがふ 小澤實 都電は1972年(昭和47年)末までに、荒川線以外の全路線が廃止されたそうですが、その都電が花冷えの頃すれちがった、という俳句です。私の京都でも昭和五十三年に廃止されたようですが、北大路を市電で移動する
Ryo Daimonji Blog我に似るなふたつにわれし真桑瓜 松尾芭蕉 この一句、まづは上五「我に似るな」で俳句を志す若者に「私に似るな」と言っている、とわかるか。次に中七下五「ふたつにわれし真桑瓜」を「瓜を二つに割りたる如し」つまりうり二つにによく似ているとの俚
Ryo Daimonji Blog薮入のすこし覚えし京言葉 高浜虚子 私のような田舎に暮らす者は異文化にはとても敏感である。特に関東圏に暮らす人がペラペラと東京弁で仰ると殺される前の猫のようにじっと目をみはり聞いてしまうのである。薮入ですこし身についた京言葉で挨拶
Ryo Daimonji Blog即死以外は死者に数へず御柱 小澤實 私を必要と思われるなら生かし、不必要と思われるなら殺してください。と、行に仕立てた人為がある。それが「行」なのだから致し方ないのである。こういう境地で人は死への恐怖を超えるのかもしれない。しかし、人
Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほととぎす 松尾芭蕉 ふるさとの原風景ってどこだろう、母なのか、父なのか竹馬の友なのか、というふうに自分の心の中の核心というものは、はっきりと掴めないものだ。この句にしても京にいるのに京が懐かしいとはなんぞ。そこに
Ryo Daimonji Blog薔薇剪つて短き詩をぞ作りける 高浜虚子 存分に薔薇を見て、さらには剪りとっても見て俳句にされたのであろう。俳句と言わず短き詩と遠回しに言って美しすぎる語感をおさえられたのであろう、「をぞ」と意図してリズムに不調を入れるあたりさすがであ
Ryo Daimonji Blog鳥海に田水張ればやはやさざなみ 小澤實 鳥海という姓の方が色々な分野に活躍されていることをネットで知った。なんとも素敵な姓名で羨ましく思う。が、この句の場合は地名のことと解する。山形県と秋田県を跨ぐ山に鳥海山があるが、秋田県南部に旧町
Ryo Daimonji Blog橘やいつの野中の郭公 松尾芭蕉 こういう俳句は今日的にはどうなのだろうか。つまり、花橘も郭公もいつの野中のことであったことであろうか、と記憶をただ詠嘆して見せている。つまりはっきりしないのである。このはっきりしないところが、句会などで
Ryo Daimonji Blog夕歩き宿の団扇を背にして 高浜虚子 俳人というものはとにかく見なければいけない。上から下へ下から上へ、さらには背ろ、斜めといった具合である。この句は己の背景を気にしている。正確には「腰にして」であろうが背にしたごとくに詠んでいる。
Ryo Daimonji Blog眠るなり囲炉裏に太き薪よこたへ 小澤實 冬の季語囲炉裏は知っているがこの句のように生活に根ざして使ったことはない。囲炉裏のそばに横たわったものか、座って居眠っているのかいずれにしてもこんな安息はなかなか得難い。その囲炉裏の中にふとい薪
Ryo Daimonji Blog日の道や葵傾くさ月あめ 松尾芭蕉 上五、日の道とは、地球を中心に描く大円状の太陽の位置のことだそうな。その方向に葵の花が傾いている不思議。五月雨降る初夏のことである。
Ryo Daimonji Blog蚤や蚊やわれ貧にして且つやめり 高浜虚子 明治に入ってホトトギスも順調でこの句にあるほど氏が貧していたとは思えないのだが、実際のところはわからない。どの程度に病んでいたのかも略年譜ではわからないのだが、貧乏の病気ぐらしに蚤や蚊が堪えた
Ryo Daimonji Blog箱眼鏡流れに押すやすべてみどり 小澤實 腰から腹に水が来る渓流である。鮎、山女などを採るために箱眼鏡を覗き続けている。そこそこの深さがあるので箱眼鏡を押し続けなければ流されてしまう。箱眼鏡は流れを切っているので覗くと時折水泡が見えるが
Ryo Daimonji Blog猪もともに吹るゝ野分かな 松尾芭蕉 老年期とは言え家族とともにいるわたにしても、秋も台風に直撃されると心細く気弱になってしまうものである。一人暮らしの芭蕉翁にしてみればその侘しさも一入であるのであろう。ついつい強風に煽られているであ
Ryo Daimonji Blog宮柱太しく立ちて神無月 高浜虚子 ときは神無月、出雲へ行かれて神様はいらっしゃらない。そんな社の柱は変わらず太く堂々と立っている。静寂が逆に神の存在を感じさせることもある。清い世界である。
Ryo Daimonji Blog短夜や盗みて写す書三巻 大須賀乙字 この句の背景として、作者に師にまだ早いと読むことを禁じられていた芸道の秘伝書があったこと。そして師の書架から盗み出し、徹夜覚悟で写そうとしたこと。そしてそれは乙字の直接経験を詠んだものではなく、浪漫
Ryo Daimonji Blog夏衣いまだ虱をとりつくさず 芭蕉 小学館『芭蕉全句』の解説によると九か月間もの長旅を終えて草庵に身を休めているが、道中で移された虱もまだそのままだとあるが、九か月の長旅をこの句から読み取ることは難しかろう。また、取り尽くせていない
Ryo Daimonji Blog木曽に入りて十里は來たり栗の花 虚子 木曽は長野県木曽郡の中央部にある町。そこに入って十里は来た、よく来たもんだと感慨をこめている。上五を入りで切らず、て止め上六の破調にしている。たしかにこれで十里は来たとのたっぷり感がでる。さらに来
159 『名句の所以』(著:小澤實)から
Ryo Daimonji Blog山賎のおとがい閉るむぐらかな 芭蕉(やまがつのおとがいとづるむぐらかな) 山賎(やまがつ:きこりのこと)。おとがい:顎、転じて口のこと。むぐら:葎(蔓性雑草)。甲斐(山梨県)の山は深く、葎がおおい繁り道ばかりか木樵の口までも閉ざしているようで、
Ryo Daimonji Blog諏訪近し桑の山畑ところどころ 虚子 明治二十七年6/24『小日本』とある。虚子二十歳の作である。諏訪に近づくとところどころに桑畑が山裾に見られるようになった、とその風土を写生して見せている。下五に「ところどころ」と具体的に景を絞らず流
Ryo Daimonji Blog花こぼるる棕櫚の下掃くさびしさよ 村山たか女 たか女は明治三十七年生まれで大正十五年、わずか二十一歳で逝去している。たか女は女学校を退学して母の看護に勤めてきた。しかし、棕櫚が花を咲かせる六月頃、看護の甲斐もなく母は亡くなってしまった
91 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)
Ryo Daimonji Blog裏山の紫つゝじ色薄し 虚子 場所は「裏山」、感想は紫つつじの色が薄い、とのみ。このつつじが見えるでなく、そんなツツジもあるやろなあぐらいのインパクト。まあしかし初学であれば写生句はこれぐらいで手練手管な師匠には取ってもらえるかもしれな
Ryo Daimonji Blog夜的の灯草のはるかに置かれけり 上川井梨葉 この夜的は屋台などにある射的屋の灯のことであろうか。ところで、夜的は季語とされた時代があるようだが今私の歳時記では見当たらない。私は名のある歳時記にあるなしで季語の有効性を決めているが、一体本
Ryo Daimonji Blog鳥さしも竿や捨てけんほとゝぎす 芭蕉 一読、「鳥さし」とはなにかと思う。鳥を刺す猟師のことのようである。次に竿やの「や」の品詞は何か,係助詞と解して「けん」と連体形で受けているので良いように思うが、係助詞やの疑問、反語のニュアンスでは
Ryo Daimonji Blog大木の五月雨の谷に横たはる 虚子 この句も前回の《五月雨の和田の古道馬もなし》と同じく明治27年6月24日『小日本』とある。この五月雨の谷も長野県飯田市南信濃和田のいわゆる秋葉古道のことではないか。いわゆる杉などの大木は意外と雨風に弱く
Ryo Daimonji三枚におろされている薄暑かな 橋閒石 「三枚におろす」とは魚の調理方法のことである。この句、薄暑がおろされているように読めるが、私は、なにがしかの魚が三枚におろされているところを見て詠んでいるのだと、解した。魚によってはあるいは包丁に
Ryo Daimonji Blog牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉 芭蕉 蜂が牡丹の花蘂のふかくから分け出でて、即飛び立つのではなく一瞬の間をおいて飛び立つのである。そのふかくにより牡丹の大輪が見えるのであり、名残により蜂の動きの微細が見えるのである。
Ryo Daimonji Blog五月雨の和田の古道馬もなし 虚子 この作品は明治27年6月24日『小日本』とある。この頃虚子さんは木曽路を経て京都に帰り、6月には『木曽路の記』を執筆されている『定本 高浜虚子全集 別巻 虚子研究年表(毎日新聞社)』。この和田の古道は、長野
Ryo Daimonji葉桜の中の無数の空騒ぐ 篠原 梵 葉桜の葉の間に見える空を無数の空と表現した。葉桜の量感を小さい隙間にの空に託したわけだ。その上に騒ぐ葉桜を空が騒ぐと転化して見せたところ、こういう表現は明喩と言っていいのか。無数の空が騒いで「いるようだ
Ryo Daimonji Blogおもひ立木曽や四月のさくら狩 芭蕉 貞享ニ(1685)年四月、『野ざらし紀行』の旅をおえ、尾張から木曽路を経て江戸に帰る際、熱田で巻いた連句の立句「明治書院『新芭蕉俳句大成』」。 江戸へ帰る途中であるが、折しも少し遅いが木曽の春も遅いの
Ryo Daimonji Blog家二軒笠取山の時鳥 芭蕉 笠取山(かさとりやま)は、埼玉県秩父市と山梨県甲州市の境、奥秩父山塊の主脈に位置する標高1,953 mの山。秩父多摩甲斐国立公園に含まれる(ウキペディア)。ネットで見る限り周辺に人家があるような気配はない。山裾へ降りて
Ryo Daimonji Blog葉ざくらや人に知られぬ昼あそび 永井荷風 いきなりこの句、淫靡な気配を放つ。永井荷風をネットで見てみたが窮乏したり、病気になったりもしておられるが、基本裕福な育ちの人らしい。後年文化勲章も受賞してをられる。若い頃の遊興三昧も芸の肥や
Ryo Daimonji Blog白げしにはねもぐ蝶の形見哉 芭蕉 この句は隠喩を用いた句である。即ち白げしが杜国、はねもぐ蝶が芭蕉を意味している。その前提として空米取引で罪を問われている杜国との会うに会えない不遇への哀感があると思われる。白げしに潜っていた蝶が飛ぶ