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  • 73 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog樫の木の花にかまはぬ姿かな 芭蕉 難しい句である。まづ場所は京都市鳴滝とある(「芭蕉全句」小学館)。次に「かまはぬ」かかわるとの意味に従う、つまり桜の花にかかわらない、枝ぶりである。先の林和靖に例えた山荘主を樫の木に類えている、らしい。

  • 103 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

      Ryo Daimonji Blog月の夜に笠きて出たり鉢叩 虚子 この場合の笠は、被りもんを意味するんだろう。月の夜なんで雨避けではなく帽子みたいなファッションなのであろう。鉢叩なる季語では、十一月初旬から大晦日までの寒い夜である。空也念仏が聞こえてきそうな年末の通

  • 139 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog下燃えぬ人間それに従ひぬ 星野立子 季語「下燃」は、早春、大地から草の芽が萌え出ること、またはその芽をいうとある。また、古来ひそかに思い焦がれる意味に使われた言葉であるとも歳時記にあった。 つまりはそういう早春の季節のうごめきに人間

  • 72 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog梅白し昨日ふや鶴を盗まれし 芭蕉 貞享二(1685)年春の作。「京にのぼりて三井秋風が鳴滝の山家をとふ」と前書。広大な別荘にすむ秋風へ、秋風を林和靖になぞらえての挨拶句。つまり「宗の高士、林和靖は西湖の孤山に住み、ただ梅と鶴を愛した」秋風

  • 102 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog餅もすき酒もすきなりけさの春 虚子 餅に酒。いずれも好きと改めて言う。何やらめでたくあるのは、新年のことほぎだからなのだろう。「けさの春」「今朝の春」で歳時記に新年の季語とある。なるほどである。

  • 138 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太 庭に梅が咲き春の訪れに満ちている。その庭にあの凶暴な青鮫が来ているという。これはどういうことで、どこからこんな発想が生まれるのか、つまり何を言いたいのか、とか真面目な人ほどあれやこれや考えてしま

  • 71 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog水とりや氷の僧の沓の音 芭蕉 お水取りとは、東大寺の二月堂で行われる修二会のことであるが、3月12日の「後夜」の中で6人の練行衆が閼伽井屋に向かって香水(二月堂の下の岩から湧き出る神聖なる清水)をくみ、これを須弥壇下の香水壺に蓄えて本尊

  • 101 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog燕のしば鳴き飛ぶや大堰川 虚子 はて、燕って飛びながら鳴いてんだっけ。たしかに目の前を反転しながら鳴いていたと思う。大堰川は、嵐山に保津川から桂川になるまでをそう言うんだと思う。ともあれ妻の里を流れる大きな川で桜どき、夏の花火で賑わ

  • 137 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog星の香の少しく混り蕗の薹 渡邊千枝子 蕗の薹に星の香がすると言う。どこのなんという星かなどは愚問である。ともかくも遠くはるかな香であり味である。当然、具体的になんとも言えないところを「すこしく」とおさえて表現している。辞書に副詞。参

  • 70 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog世にゝほへ梅花一枝のみそさゞい 芭蕉 どうやら、一枝は玄髄という医者の号のことで、この人はみそさざいが梅のひと枝に満足しているように、分相応の暮らしを営む徳人であるようだ。そういった玄随の徳が梅の香りのようにひろまれよ、と挨拶している

  • 100 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog奈良茶飯できるに間あり藤の花 虚子 米に栗、大豆、小豆、アワなどを入れ、お茶で炊いた炊き込みご飯。江戸時代、東海道五十三次の宿場町であった川崎宿の茶屋「万年屋」でシジミのみそ汁や奈良漬けとともに提供され、旅人に大変な好評を博し、全国各

  • 136 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog大風やはうれん草が落ちてゐる 千葉皓史 いつもの路にほうれん草が落ちている。はて、なぜだろう。大風が吹いているのだが、まさか畑から市場から大風に乗って飛んでくるはずもないのだが、妙にくっきりとあるのだ。そのありようが春という季節と相

  • 69 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog初春先酒に梅売にほひかな 芭蕉 酒はともかく、私は梅にしても花の匂いの認識がないのだ。慢性の鼻炎をかこち来たせいだと思う。この句は春になってまづ、酒の匂いを言い、ついで梅の匂いに詠嘆する。芳醇な酒の匂い、ついで「梅」の匂いとするところ

  • 99 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog秋篠はげんげの畦に佛かな 虚子 秋篠(あきしの)は、奈良県奈良市にある地名。現行行政地名は秋篠町、秋篠新町。かつては大和国添下郡に属しており、平城京の北西端にあった西大寺の北側に広がる地域にあたる。現在の皇室の秋篠宮の宮号の由来の土地

  • 135 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog堅香子にまみえむ膝をつきにけり 石田郷子 堅香子の花は片栗の花のことで春の季語である。この花は私は随分前に近所の山で見たのだと思う。誰に教えてもらったものかおそらくは若かりし頃の妻であったと思う。子供の頃片栗粉のスープをこれは母に飲ま

  • 68 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    毎日新聞社 小澤實氏の『名句の所以』・小学館『芭蕉全句』・毎日新聞社『定本 高浜虚子全集』を読んでいます。ひまな時にでもお立ち寄りください。

  • 98 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog旅荷物しまひ終りて花にひま 虚子 この月二十六日から神戸に立子ともども吟行している。その旅のことか二十九日にいたり舞子、万亀楼にて旅を終えたようである。旅荷物を仕舞、花にいとまを告げている。芭蕉の旅とは異なり、余裕に満ちた空気が伝わ

  • 134 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog我山に我木の実植う他を知らず 西山泊雲 近頃の風潮を「今だけ、金だけ、自分だけ」と言う。この句の下五もそう言う気持ちを言っているのだろうか。「我山」「我木の実」と「我」が続くのでそう言うふうな気もする。自分の山に自分の木の実を植える

  • 67 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog旅がらす古巣はむめに成りにけり 芭蕉 『千載集』崇徳院歌「花は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりをしる人ぞなき」を踏まえたものとする。漂白の生活を送る旅鴉のような自分だが、故郷は梅の盛りとなっていると、美しい故郷に自分を自嘲的に対比して

  • 97 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog 藤垂れて今宵の船も波なけれ 虚子  昭和十年(1935)四月立子と神戸に遊ぶと(朝日文庫 虚子集年譜にある、六十一歳)。二十六日、石手寺、涌ケ淵吟行。豊阪町亀の井、この夜神戸吟行とあるのは毎日新聞社 定本虚子集第一巻。藤の垂れる神戸の港を

  • 133 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog白魚をすすりそこねて死ぬことなし 斎藤 玄 斎藤玄は1914(大正3年)北海道出身の俳人。 「何とかをしても死にはせん」と他愛ないことを大袈裟に死にかこつけて言って強がる常套句である。この句は白魚の踊り食いを言っている。一読これもまた、他愛

  • 66 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog子の日しに都へ行ん友もがな 芭蕉 王朝宮廷の遊びに初子の日に、野に出て小松を引き若菜を摘んでする遊びがあったそうな。そんな優雅な遊びをともにするような友がほしいなぁ。と言ったところのようである。現代に置き換えてそのような遊びが浮かんで

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