Ryo Daimonji Blog蝸牛葉裏に雨の三日ほど 虚子 三日ほど雨の続く日である、葉裏に蝸牛が居ると蝸牛に雨がちな初夏を代弁させている。その上この蝸牛もまだ小さいのであろう、葉裏にいると遠慮気味に出すあたり、虚子先生のさすがと言える渋さである。反面今日的には
Ryo Daimonji Blog明けぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉 夜明けの空が明るんできた時、一寸ほどの白魚が河口にきらり見える。春の明けに見るさわやかな一瞬を白魚の小ささに詠んだ。この命、アニミズム俳句と言っても良いだろう。
Ryo Daimonji Blog焚火のみして朽ち果つる徒に非ず 虚子 歳をとった冬の日、焚火などをして穏やかに人生の幕を閉じる。私はそう言う徒に与しない。虚子翁何やら生き盛んである。実は私七十歳にリーチなのだが、同じような心境である。ただし私は焚火のみして朽ち果て
Ryo Daimonji Blog暁やうまれて蟬のうすみどり 篠田悌二郎 うまれたての蟬は誰しも一度は目にしているのではないか。思い返してなるほどと、そのいろあいのいとけなさを思うのである。この句、そこに改めて気づかせてくれる懐かしさに普遍性がある。
Ryo Daimonji Blog冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす 芭蕉 これが芭蕉の句かと思う駄作ではないか、冬牡丹、千鳥、雪のほととぎす。美しい季語を並べている。写生でもなくアニミズムでもない。でも作句してるとそんな時もある。嫌味なく美しい、この句はこの句として読ませて
Ryo Daimonji Blog白雲と冬木と終にかかわらず 虚子 冬の空気が冷たく澄んでわたるなか、白雲と冬木が凛とありそれぞれが誇りを持って存するようにみえる。両者は終にかかわりを拒んでいるかのようだ。かくあたい、虚子翁は誰かに対してその思いを強くしたところだ。
Ryo Daimonji Blog岩灼くるその岩かげの雪あはれ 石橋辰之助 夏の登山を詠んだものであろう。日によって岩場は焼けているのだが、その岩陰の雪は雪として残っておりなんともしみじみとした趣があるのである。相当に高い山であたりの空気も澄み渡っている。この境地を伝
Ryo Daimonji Blog冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす 芭蕉 本来夏に咲く牡丹を冬に見て千鳥の声を聞くのは本来夏に聞くほととぎすを雪の中に聞くように珍しく美しい。と幻想美を浮かび上がらせたものと解した。
Ryo Daimonji Blog焼芋がこぼれて田舎源氏かな 虚子 この句、田舎源氏の意味が結構難しい。源氏というのをかの光源氏のことと解し、いわばええかっこしいの田舎のシティボーイが焼き芋をこぼれ落として、ダサってなったシーンと解したのだが、この鑑賞文こそが田舎源氏
Ryo Daimonji Blog我を撃つ敵と劫暑を倶にせる 片山桃史 作者は昭和十九年、東部ニューギニアで戦死とある。「劫暑」とはものすごい暑さのことである。兎にも角にも戦争で撃ち合う状況の俳句である。私の父は当時、姿勢に傾きがあったことで殴られ、左耳に難聴があっ
Ryo Daimonji Blogいかめしき音や霰の檜木笠 芭蕉 何と激しく厳しい音のすることよ。にわかに降り出した霰が檜木笠にあたって跳ね返る音は、の意味であるらしい。貞享元年(1684)年説が多数。いかめしきと音を言い切ったところにこの句の良し悪しが分かれる、私は底の浅
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Ryo Daimonji Blog蝸牛葉裏に雨の三日ほど 虚子 三日ほど雨の続く日である、葉裏に蝸牛が居ると蝸牛に雨がちな初夏を代弁させている。その上この蝸牛もまだ小さいのであろう、葉裏にいると遠慮気味に出すあたり、虚子先生のさすがと言える渋さである。反面今日的には
Ryo Daimonji Blog腹這へば乳房あふれてあたたかし 土肥あき子 あき子氏は昭和三十八年静岡県生まれとある。女性にとって乳房は年代にもよるだろうが、結構なテーマであろうと思う。あふれてあたたかい、とは多くの同性の羨望ともなろう。その響きに自己への肯定感がい
Ryo Daimonji Blog船足も休む時あり浜の桃 芭蕉 歳時記に梅の花が終わってまだ桜には早い頃の花。とあるが、私は近くで桃の花をしっかりと見るということがない。梅が咲いたと思うとすぐに桜が満開となる。そして早くも葉桜である。 貞享ニ(1685)年作。東海道の宿駅
Ryo Daimonji Blog爐塞いで此夕ぐれをいかん僧 虚子 爐塞、ようやく寒さも遠のいてきたので、冬のうち親しんできた囲炉裏や茶炉を塞ぐのであるが火がないと何やら広々とするこの夕ぐれが、手持ち無沙汰である、と嘆く僧であった。この「僧」自分のことと読んだが、他を
Ryo Daimonji Blog涅槃図にまやぶにんとぞ読まれける 後藤夜半 この句の核は「まやぶにん」。涅槃図に毛筆でそう書いてあるものがあるようだ。「まやぶにん」は「摩耶夫人」である。釈迦の母であって、産後七日目で亡くなってしまわれたとか(『名句の所以』著 小澤實)
Ryo Daimonji Blog命二ツの中に生たる桜哉 芭蕉 貞享ニ(1685)年の作『野ざらし紀行』。前書きに「水口にてニ十年を経て故人に逢ふ」とある。「命二ツ」とは芭蕉と土芳のことである。その再会の感激を水口の桜に託しているのだ。この時代に二十年を超えて逢うということ
Ryo Daimonji Blog夕暮の汐干淋しやうつせ貝 虚子 明治27年3月20日「小日本」とある。この頃虚子は碧梧桐と行動を共にしていたようだ。虚子二十歳の作品である。夕暮のしおひ狩り(と解する)に空の貝があつた淋しいことだと、虚子若き日のノスタルジーと読んだ。
Ryo Daimonji Blogはりつけにあらず寝釈迦は寝給へり 及川貞 キリスト教の尊師キリストは磔で死んだ、多方仏教の尊師釈迦は寝るように死んだ。いずれがという評価を言っているのではない、その違いを俳句に詠んだのだ。そしてその穏やかな寝姿にお釈迦さまへの敬愛の念
Ryo Daimonji Blog菜畠に花見皃なる雀哉 芭蕉 菜の花畑で、人が花見をしているような顔で飛び回っている雀だよ、ほどの意味であろうか。菜の花の美しさ、可愛さを俳句にするのは意外と難しい。その上に鳥類の中でも可愛い雀を擬人化で付け加えるのも可愛さのつきすぎの
Ryo Daimonji Blog行春や心もとなき京便 虚子 この句の中七「こころもとな・し」は①待ち遠しくて心がいらいらしている。が一番ピッタリくる。下五、京からの便りと、もじどおり読む。しかし誰からの、どういう便りなのかさっぱりわからない、京からのということでその
Ryo Daimonji Blog崇徳院しづもる讃岐西行忌 上﨑暮潮 崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)の争いは崇徳上皇の讃岐への遠流で終わる(1156年 保元の乱)。この時の崇徳院の恨みは日本三大怨霊の一人として知られるげな。この霊をしづめたのが西行とも言われ、西行の陰徳が偲ば
Ryo Daimonji Blogつゝじいけて其陰に干鱈さく女 芭蕉 この句上六中五下八の破調句である。この言葉の流れに「女」の無骨な性格をいいとめている『高柳芭蕉』。との解釈もあるとする。貞享ニ(1685)年『野ざらし紀行』である。「旅店に腰を懸けて」。の前書きがあるよ
Ryo Daimonji Blog湯婆の都の夢のほのぼのと 虚子 上五「たんぽ」で冬の季語であるが、ここは「ゆたんぽ」と読んで良いと解する。このゆたんぽから、みやこの夢をほのぼのと思う。との俳意とするならいくら虚子さんとはいえあまりに甘い一句であると思う。出典は俳句全
Ryo Daimonji Blog火に乗せて草のにほひす初諸子 森澄雄 諸子のおいしい食べ方は、炭火でこんがり焼き上げ酢味噌、生姜醤油でいただくのがいいらしい。ところがこの句その時に草の匂いがする、という。水中にすむ諸子が焼き始めると草の匂いがするげな、こんどそんな機
Ryo Daimonji Blog辛崎の松は花より朧にて 芭蕉 辛崎は滋賀県大津市、唐崎あたりのことのようだ。琵琶湖に向かって立つ松が詠まれている。曖昧さをよしとする美感で、花よりもぼやけて見える夜の松の情趣を繊細に捉えている。琵琶湖に向かう松もさることながら、私は丹
Ryo Daimonji Blog花吹雪狂女の袖に亂れけり 虚子 和装の女性が桜吹雪の中を袖を振って舞っている。そしてその女性は狂女だという。桜の根元には死体を埋めたり、狂う女性を踊らせたり、さまざまにその美の表現がこころみられる。美しさに怪しさが漂うとき、狂い踊る女
Ryo Daimonji Blog生別もいづれ死別や春の水 山本紫黄 この作者、生別死別といった大変重い事を俳句でさらりと詠まれた。他の句にも〈来ぬ女こそわが女冬日の浜〉とか、〈てめえの靴はてめえで探せ忘年会〉とかあった。 生き死にを俳句にすることはいいのだが、その
Ryo Daimonji Blog山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉 この句の命は中七の「ゆかし」であった。辞書をみると、①何となく知りたい、見たい、聞きたい。と好奇心をさす。②何となくなつかしい。何となくしたわしい。心がひかれる。③上品ですぐれている。とある。貞享
Ryo Daimonji Blog朝櫻一度に露をこぼしけり 虚子 俳句で一瞬を詠むのは常套である。風が吹いたのか鳥が飛び立ったものか、ともあれ一度に葉についた露が落ちたのであるしかも朝のことである。「こぼしたことだよ」と軽く一瞬の過去を詠嘆して見せる、これもまた19歳の
Ryo Daimonji Blog山笑ふ胎動ときにへその裏 仙田洋子 まるで中学生に戻ったかのように女性の身体図を見てみた。「へその裏」と言えば当然子宮のあたりだ、妊娠中の胎動の感覚を具体的に自分の体で詠んだ。そしてそれが俳句になっている。「胎動」の具象化に成功して
Ryo Daimonji Blog 花に酔り羽織着てかたな指女 芭蕉 延宝年間(1673~81年) 芭蕉三十代、談林俳句(西山宗因)。句意は、「当時男が着る羽織を着て、刀を差している女がいる。満開の花に酔っているのだ」。ふだん読み慣れている芭蕉晩年の枯淡の句とは対極にあでや
Ryo Daimonji Blog 一片の落花見送る静かな 虚子 桜を見るとはこういうことを言うのだろう。多くの人がこの一片の桜を見てこの静けさを感じたことであると思う。だが、それを俳句にして発表すると言うことは誰でもというわけにはいかない。そこに虚子たる所以を感じ
Ryo Daimonji Blog 崇徳院しづもる讃岐西行忌 上崎暮潮 崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)の争いは崇徳上皇の讃岐への遠流で終わる(1156年 保元の乱)。その讃岐で西行忌を修じているのだ。崇徳院の魂をしずめたのは西行であったらしい。
Ryo Daimonji Blog 命二つの中に生たる桜哉 芭蕉 この二つの命とは芭蕉と土芳のことであるらしい。この二人が20年振りに大津水口で再会したのだった。貞享二(1685)年『野ざらし紀行』所載。芭蕉と土芳の別々に生てきた二つの命の中に桜は春になると咲き抜いて今目の
Ryo Daimonji Blog 春山の名もをかしさや鷹ヶ峰 虚子 この句の春山を下五鷹ヶ峰のことだとすると、これは京都市北区の鷹ヶ峰を指すのであろうか、この現在地は北区鷹峯赤坂に始まり北鷹ヶ峰、南鷹ヶ峰など20を越える地域からなり、このことを面白いというのであれば
Ryo Daimonji Blog 生別もいづれ死別や春の水 山本紫黄 この句の中七「いづれ死別や」に「どうせ死ぬんやから」と生を前向きに捉えるきっぱりした勇気と解したい。「生を明らめ死を明きらむるは 仏家一大事の因縁なり」と曹洞宗経典「修証義」は始まる。春の水のよ
Ryo Daimonji Blog 斯く翳す春雨傘か昔人 虚子 この句を読んで「春雨じゃぬれて行こう」という台詞がうかんだ。月形半平太が傘を差し掛ける舞妓に言った台詞とあるが、この句の昔人はどんなふうに翳したものであろうか、ともあれ相合傘にせよ春雨にさす傘には風情が
Ryo Daimonji Blog 大比叡やしの字を引て一霞 芭蕉 比叡山に霞が細く一筋、しの字のようにたなびいている。と言ったことのようだ。これには『一休咄』(寛文八年)の典拠があり、一休さんが比叡山の僧に大文字で、長々と、読み易くと乞われて書いた書が比叡山から麓
Ryo Daimonji Blog ものの芽のあらはれ出でし大事かな 虚子 ものの芽であったり木の芽であったり、春は、芽吹の季節である。言い換えれば春のあたりまえの現象である。北原白秋は薔薇が咲くのをなんの不思議ではないがとその美しさを詩ったが,虚子はそれを大事であ
Ryo Daimonji Blog 火にのせて草のにほひす初諸子 森澄雄 諸子が琵琶湖で有名なことは知っていた。それと子供の頃の雑魚とりでも諸子はいた。大きいのがいないので僕たちの中でのお魚ランクは低かったと思う。この句火で焼いて食べるのか、一人キャンプでやれば一口
Ryo Daimonji Blog うきふしや竹の子となる人の果 芭蕉 憂きことの多い人の世に、人生果てて竹の子となる人もあることよ。と充てておこう。死後竹林に埋められ竹の子になったという小督なるそれは美人の琴の名手を踏まえた一句であった。『平家物語』天皇と小
Ryo Daimonji Blog うなり落つ蜂や大地を怒り這ふ 虚子 私はこの句の蜂にカネ蜂をイメージしているが、正式にはスズメ蜂が正しいようだ。上五うなり落つは、殺虫剤などで落ちる時に見たことがある。そしてまさに怒り狂って這い回るのである。中七のや切りがよく効
Ryo Daimonji Blog 山笑ふ胎動ときにへその裏 仙田洋子 十月十日母は己が腹を痛め、我が子をなす。この句その痛みとは程遠く笑う山に囲まれ,幸せに胎動を見つめている。具体的に己が腹の部位を下五で示したところクールでいいのだ。
Ryo Daimonji Blog 衰や歯に喰あてし海苔の砂 芭蕉 昭和30年代になるが、ご飯に小さな石が混じってガリッとすることが時々あった。この句では海苔を食べた時のようだ。お米や海苔に砂が混じることはよくあることで珍しいことではない。その歯応えに芭蕉翁は自身の
Ryo Daimonji Blog 巣の中に蜂のかぶとの動く見ゆ 虚子 巣の中の蜂を見ての句だが蜂の頭の部分をかぶとと表現した。この表現で蜂の存在感が際立った。刺すという蜂の危険に満ちた顔の動きがまざまざと見えるのだ。
Ryo Daimonji Blog 東山三十六峰みな笑ふ 清水基吉 近代以降、「三十六峰」を具体的に特定しようという試みが度々行われているようですが、京都盆地の東に位置する北は比叡山から南は稲荷山まで、南北12kmにわたって連なる山々の総称のようです。その山々がみな笑う
Ryo Daimonji Blog 山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉 貞享ニ(1685)年の『野ざらし紀行』京都から大津に出る小関越えと言う道での作。「山道を歩いてきて、菫をみつけた。なんとなく心がひかれた」という句意らしい。この句の中七「何やらゆかし」との表現がいつ
Ryo Daimonji Blog 木々の芽のわれに迫るや法の山 虚子 この句の「法の山」が松ヶ崎の妙法の「法」の山をさすのか、一般的にいう山中の修業寺をさしているのか私にはわからない。その山の木々の芽が私に迫ると具体的な印象を言っているので、私は前者と解した。
Ryo Daimonji Blog 目を入るるとき痛からん雛の顔 長谷川 櫂 あの細い絵筆で雛の顔を描くのだ。あの精緻な作業を見ているとよくぞまあ仕事として続けられるもんだと感心する。それを痛いと感じているのだ。いくら人形とはいえ、その目、鼻、口と辿っていくとまるで
Ryo Daimonji Blog 奈良七重七堂伽藍八重ざくら 芭蕉 奈良七重と柔らかく「な」の音で起こし、さらにしちどう伽藍と七で繋ぐ。そして八重ざくらと八でまとめる。土地柄の柔らかな都の風が漂う中さらに重厚な寺院の七堂伽藍を見せる。そして、その景はピンク濃く咲く