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  • 55 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog明けぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉 夜明けの空が明るんできた時、一寸ほどの白魚が河口にきらり見える。春の明けに見るさわやかな一瞬を白魚の小ささに詠んだ。この命、アニミズム俳句と言っても良いだろう。

  • 86 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog焚火のみして朽ち果つる徒に非ず 虚子 歳をとった冬の日、焚火などをして穏やかに人生の幕を閉じる。私はそう言う徒に与しない。虚子翁何やら生き盛んである。実は私七十歳にリーチなのだが、同じような心境である。ただし私は焚火のみして朽ち果て

  • 123 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog暁やうまれて蟬のうすみどり 篠田悌二郎 うまれたての蟬は誰しも一度は目にしているのではないか。思い返してなるほどと、そのいろあいのいとけなさを思うのである。この句、そこに改めて気づかせてくれる懐かしさに普遍性がある。

  • 54 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす 芭蕉 これが芭蕉の句かと思う駄作ではないか、冬牡丹、千鳥、雪のほととぎす。美しい季語を並べている。写生でもなくアニミズムでもない。でも作句してるとそんな時もある。嫌味なく美しい、この句はこの句として読ませて

  • 85 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog白雲と冬木と終にかかわらず 虚子 冬の空気が冷たく澄んでわたるなか、白雲と冬木が凛とありそれぞれが誇りを持って存するようにみえる。両者は終にかかわりを拒んでいるかのようだ。かくあたい、虚子翁は誰かに対してその思いを強くしたところだ。

  • 122 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog岩灼くるその岩かげの雪あはれ 石橋辰之助 夏の登山を詠んだものであろう。日によって岩場は焼けているのだが、その岩陰の雪は雪として残っておりなんともしみじみとした趣があるのである。相当に高い山であたりの空気も澄み渡っている。この境地を伝

  • 53 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす 芭蕉 本来夏に咲く牡丹を冬に見て千鳥の声を聞くのは本来夏に聞くほととぎすを雪の中に聞くように珍しく美しい。と幻想美を浮かび上がらせたものと解した。

  • 84 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog焼芋がこぼれて田舎源氏かな 虚子 この句、田舎源氏の意味が結構難しい。源氏というのをかの光源氏のことと解し、いわばええかっこしいの田舎のシティボーイが焼き芋をこぼれ落として、ダサってなったシーンと解したのだが、この鑑賞文こそが田舎源氏

  • 121『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog我を撃つ敵と劫暑を倶にせる 片山桃史 作者は昭和十九年、東部ニューギニアで戦死とある。「劫暑」とはものすごい暑さのことである。兎にも角にも戦争で撃ち合う状況の俳句である。私の父は当時、姿勢に傾きがあったことで殴られ、左耳に難聴があっ

  • 52 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogいかめしき音や霰の檜木笠 芭蕉 何と激しく厳しい音のすることよ。にわかに降り出した霰が檜木笠にあたって跳ね返る音は、の意味であるらしい。貞享元年(1684)年説が多数。いかめしきと音を言い切ったところにこの句の良し悪しが分かれる、私は底の浅

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