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2022/10/30

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  • ロシア革命後のテロルを正当化した革命詩人たちの口癖 文字数:1224

    1922年3月、亡命ロシア人の政治集会の場で、自由主義を貫いた作家ウラディーミル・ナボコフ(ナボコフの父)が、ツァーリ体制を理想化する青年によって射殺された。悲劇的な事件である。その報に接したドイツのハリー・ケスラー伯爵は、日記に次のように記している。「ロシア文化と芸術の生産的な力は衰弱していない。殺人を許されるのは産むことのできる人間のみ」一読して驚く。これはまさしく、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』のイワンの主題そのものであり、ロシア的知性が抱える倫理のパラドックスを、鋭く凝縮した言葉である。イワンは「神がいなければ、すべてが許される」と語り、無神論者の立場からキリスト教倫理を批判する。自由な理性によって世界を裁こうとしながらも、その自由が他者の命を奪う権利にまで及ぶことの危うさを、イワン自身は...ロシア革命後のテロルを正当化した革命詩人たちの口癖文字数:1224

  • 大審問官の語りは、現代のQAnon現象を考える補助線 文字数:2627

    陰謀論という言葉は、しばしば議論を打ち切るためのラベルとして使われる。相手に「おまえの言っていることは陰謀論だ」と一言投げつけることで、反論の余地を封じる。だがそれは、本来ディベートでは禁じ手とされている。ラベル貼りは議論の停止であり、対話を閉じる行為だからだ。したがって、陰謀論とはまず「仮説」として開かれた思考の対象と捉えるべきである。内容の荒唐無稽さではなく、その語り方、論理の組み立て、社会的影響の広がりによって判断すべきだ。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の中に、イワンが語る「大審問官」の挿話がある。これは陰謀論的構造を備えながらも、世界中の読者に深い思索を促してきた。つまり、陰謀論かどうかは内容ではなく、語られ方と受け取られ方にかかっている。「大審問官」の物語が尊重されるのは、それが人間の自...大審問官の語りは、現代のQAnon現象を考える補助線文字数:2627

  • 中国共産党と『カラマーゾフの兄弟』のイワン──「すべてが許される」という感覚の行き先 文字数:1577

    中国共産党と『カラマーゾフの兄弟』のイワン「すべてが許される」という感覚の行き先1カミュとカラマーゾフを補助線にコロナ禍が映し出した中国共産党の統治スタイル、それは「強権的な無神論国家がいかにして公共善を動員し、人々を献身へと駆り立てるのか」という問いを私たちに突きつけた。似た光景を描く文学は少なくない。たとえばカミュ『ペスト』。神を信じない医師リウーは、それでもなお患者を救うため献身し続ける。武漢で警鐘を鳴らした李文亮医師やアイ・フェン医師の行動を思い起こせば、無名の善意が独裁政権下でも消え得ないのは確かだ。同じく心の奥を透かし取る鏡として有効なのが、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』のイワンである。彼は「神の存在は理性としては認めるが、その創った世界は断じて認めない」と宣言し、「賢い者は、真理を悟...中国共産党と『カラマーゾフの兄弟』のイワン──「すべてが許される」という感覚の行き先文字数:1577

  • アリョーシャの語るドストエフスキー 奇人と信仰の地平で 文字数:1950

    アリョーシャの語るドストエフスキー奇人と信仰の地平で「僕は書かれざる第二巻で、革命軍に身を投じ、そして皇帝によって処刑される運命にあったらしいんだよ。」そう呟く僕。アリョーシャ・カラマーゾフ。ドストエフスキーが彼に語らせたかった言葉は、完成することのなかった『カラマーゾフの兄弟』第二部に託されていた。読者の多くがいい子ちゃんとみなすアリョーシャ。その彼がなぜそんな過酷な結末を迎える構想の中にいたのか。おそらくドストエフスキー自身にしか答えはわからない。けれど一つの推測ができる。彼自身がかつて、死刑宣告ののちに寸前で助命された経験を持っていたこと。まさに死を目前にしながら、それを超えて生き延びた人間。そのとき、彼は一度死んだのだろう。そして同時に、あの瞬間を越えた者にしか見えない風景を見たのではないか。「処...アリョーシャの語るドストエフスキー奇人と信仰の地平で文字数:1950

  • 嫉妬の力学 『カラマーゾフの兄弟』と『源氏物語』における愛と誤解の連鎖 文字数:1150

    嫉妬の力学『カラマーゾフの兄弟』と『源氏物語』における愛と誤解の連鎖『カラマーゾフの兄弟』という小説は、父殺しの物語として読まれることが多いが、その底には複雑に絡み合う嫉妬の感情が深く横たわっている。とりわけ、登場する女性たちの感情の軋轢、すなわちグルーシェニカとカテリーナとの間に交わされる嫉妬の相剋は、物語の核心のひとつである。カテリーナは、心のどこかでミーチャ(ドミートリイ)への思慕を捨てきれずにいる。だがそのミーチャが、父フョードルに借金を申し出た動機としてグルーシェニカの名を口にしたと知ったとき、彼女のなかの嫉妬が疼き始める。そしてその嫉妬は、物語の転機となる。裁判における決定的な証言、つまりミーチャを罪に陥れる嘘を導き出す。この構造は、実は千年前の古典『源氏物語』においても、ほとんど同じ形で描か...嫉妬の力学『カラマーゾフの兄弟』と『源氏物語』における愛と誤解の連鎖文字数:1150

  • ハリー・ポッターにおける「父殺し」と影との和解 文字数:4138

    ハリー・ポッターにおける「父殺し」と影との和解『ハリー・ポッター』は一見、魔法と友情の物語に見えるが、その根底には神話的な主題が脈打っている。その一つが「父殺し」の変奏である。ハリーの実の父ジェームズ・ポッターは、既に故人である。しかし、ヴォルデモートという邪悪な父の化身とも呼ぶべき存在と対峙する構図は、神話的視座から見るときわめて典型的である。ヴォルデモートはただの敵ではない。彼はハリーと「同じ杖の核を持つ」存在であり、運命的に結びついている。さらには、彼の一部がハリー自身の中に入り込んでおり、ハリーは常にその“影”と共に生きている。これはユング的に言えば「シャドウ(影)」との葛藤であり、フロイト的に言えば「父なるものとの内的対決」である。ヴォルデモートを倒すことは、単なる善悪の戦いではなく、自分の中に...ハリー・ポッターにおける「父殺し」と影との和解文字数:4138

  • 私のドストエフスキー体験 イワン、ドミートリイ、奇人アリョーシャ 文字数:1969

    私のドストエフスキー体験:イワン、ドミートリイ、そして奇人アリョーシャ『カラマーゾフの兄弟』は、読むたびに新しい貌を見せる。読む者の年齢、環境、信条、そのすべてを試すようにして。私がこの作品に惹かれてやまないのは、その「冗長さ」すらも含めて、あまりに周到に仕掛けられた精神の迷宮だからである。イワンが発狂するまでの周到な描写は驚異的だ。臭い、味、視線、笑い。細部にわたる異常感覚の演出が、じわじわと読者の心を蝕んでいく。彼の内面の崩壊は、理性の敗北であり、「神なき世界ではすべてが許される」という悪魔の論理が、ついに彼自身を呑み込んでいく過程に他ならない。イワンの存在は、この小説全体の神経である。しかし彼の真の核心が現れるのは、彼が語る作中作『大審問官』においてである。これがなければ、『カラマーゾフの兄弟』はロ...私のドストエフスキー体験イワン、ドミートリイ、奇人アリョーシャ文字数:1969

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