もし、お子さんからカミングアウトされたら、あなたはどうしますか?私が息子(当時は娘だと思っていた)からカミングアウトを受けた日からの戸惑い、迷い、苦しみ、そして明るい未来に向かって踏み出すまでの日々を赤裸々に綴った親目線のブログです。
もしも、いま同じ立場のお父さんやお母さんがいたら、どうかお子さんの声に耳を傾けてあげてください。まずは真剣に話を聴いてあげてください。また、告白を受け入れてもらえずに暗闇の中にいる当事者の子供たちがいたら、どうか、ご両親へのカミングアウトを1回だけであきらめないで。親も受け入れるのには時間がかかります。根気よく伝え続ければ、きっとその思いは届くはず。どうか命を大切にして。
☆【第十七章】より続く 元女子であることを伝えたうえで男性として生きるか、過去を隠して男性として生きるか。この二つの選択肢を息子はどう選ぶのかー。 私自身としては「あなたのすぐそばにもトランスジェンダーの人がいる」ということを、みんなにも知ってほしい。決して、メディアの中だけのことではなく、すぐ近くにも存在しているのだということに気づいてほしい。そうすることで、トランスジェンダーの存在は特別のことではなく当たり前のことになっていくのだと思う。だから、隠さず周りにカミングアウトして、その上で堂々と暮らしていけるのが理想だと思う。差別と偏見のない社会。そんな社会が生まれつつある。きっと周りも理解し…
息子は無事に性別適合手術を終えて、タイから帰国した。 息子が入院していた病院では、一日に3回、性別適合手術が行われており、息子のオペ日も、その次の日も、またその次の日も、毎日毎日、オペの予約でぎっしりと埋まっていた。そして、そのオペの対象者は、私が見る限り、息子と同じくらいの年齢の日本人ばかりであることに私は驚いた。みな、日本を出てタイで手術を受けているのだ。こんなにも大勢の日本人が性別適合手術を受けているとは!!それは、日本でこの15年間に1万人もの人々が戸籍の性別変更を行っているという事実を裏付けていると感じた。 息子と同様、自分の身体から望まぬ性の象徴たる臓器を抜き去った者たちは、みな晴…
息子は無事に性別適合手術を終えて、タイから帰国した。 息子が入院していた病院では、一日に3回、性別適合手術が行われており、息子のオペ日も、その次の日も、またその次の日も、毎日毎日、オペの予約でぎっしりと埋まっていた。 そして、そのオペの対象者は、私が見る限り、息子と同じくらいの年齢の日本人ばかりであることに私は驚いた。 みな、日本を出てタイで手術を受けているのだ。 こんなにも大勢の日本人が性別適合手術を受けているとは!! それは、日本でこの15年間に1万人の人々が戸籍の性別変更を行っているという事実を裏付けていると感じた。 息子と同様、自分の身体から望まぬ性の象徴たる臓器を抜き去った者たちは、…
私は息子が抱いている複雑な思いを知らなかった。 見直さなければならない問題点のある法律だが、性別適合手術を受ければ、戸籍の変更はできることになっている。(詳しくは『信じがたい条件【第十四章』) そうすれば息子は男性として生きていける。 息子はもうどんな手続きにおいても、自分が男なのか女なのか悩まなくて済む。 どんな書類にも堂々と性別欄の「男」に丸をつけることができる。 保険証にも「裏面記載」などとまわりくどいことは書かれずに、おもて面に「男」と記載される。 これで息子は晴れて男性として堂々と生きていける。私はそう思っていた。 しかし、息子の心情を聞いてみると、そんな単純なものではなかった。 ネ…
自分が性同一性障害であることに気づいたとき、その人がとる行動は実に様々だ。 息子のように、身体の手術を受けて戸籍まで変えたいと思う人もいれば、手術をしても戸籍の性別はそのままでいいという人もいる。 性別を訂正して暮らしていても手術はしなくていいという人もいる。 胸の手術だけをする人もいる。 異性の格好をするだけでいいという人もいる。 --身体とこころの性が違う-- その歪みを埋めるための方法は、その人その人によってそれぞれ違うのだ。 その人が生きやすいように自分の生きる道を選択すればそれでいい。 でも、その選択は自由に選べる世の中であるべきだ。 それなのに、戸籍の性別を変更したいと願う者に対し…
息子は性別適合手術をタイで受けるための手続きを始めた。 性別適合手術は、日本よりもタイの方がその症例数の多さから医療技術が進んでおり、その道に精通した医者やスタッフも充実している。 費用面でも日本に比べると格段に安くなっている。 日本では、性別適合手術を請負える医療機関はごく僅かであり、さらに、ほとんどのケースで保険適用外となるため高額の医療費がかかる。 対応できる病院が少ないことから、国内での手術の多くは美容整形外科を頼ることになる。 その場合、一泊または日帰りでの手術になることが多いという。 もちろん保険はきかない。 近年は腹腔鏡での術式が大半になり、体への負担が少なくなったとはいえ、それ…
やがて、元女子の息子は二十歳になり、男子として成人式の日を迎えた。 この日に向けて、息子は新しいスーツとコートと靴を準備した。 約ニ年に渡る男性ホルモン投与のおかげで、息子の声は低くなり、見た目はすっかり男子だが、身長だけはホルモン治療でも伸ばすことはできなかったため、女子のときの身長のままだった。 それを気にして、息子はかなりの厚底のインソールが仕込まれているシークレットシューズを購入していた。 それを履くと、私も少し見上げるくらいの身長に変身した。 当日、息子は、鏡の前で悪戦苦闘しながら、慣れない手つきでネクタイをしめた。 男性の象徴ともいえるネクタイをしめる行為は憧れであったに違いない。…
息子は高校2年生の途中から学校に行けなくなり、3年生の秋に通信制の学校に転校した。 〈詳しくは『不登校【第五章】』〉 息子は転校先で理解ある校長先生に出会うことができ、サポートを受けながら、精神状態が浮き沈みするなか、なんとか大学へ進学することができた。 息子は大学へは男性として入学することを望んだ。 戸籍上はまだ女性であっても、本人が希望すれば男性として扱ってもらうことができるという。 そのためには男性としての通称名が必要となり、私は息子に人生二度目の名付けをした。今度は本人の意向も聞きながら。 大学へは、入学前に「性同一性障害であることの診断書」を持参して事情を説明することで、戸籍上は女性…
息子はジェンダー外来に通い始めた。 ホルモン治療が開始されれば、月経が止まり、声が低くなり、毛が濃くなり、男らしい身体へと変化していくことになる。 ただ、ホルモン治療が開始されるまでには、なかなかの手続きが必要だった。 まずは、性同一性障害であることの診断書をもらわなくてはならない。 そこで、数少ないジェンダー外来を探して、通い始めた。私たちの住む街にはそういった病院はなかったので、電車で一時間以上かけて。 息子の通うジェンダー外来では、本人の性自認が男性であることを確認するため、幼少期から現在までの自分史の作成、その当時の写真の提出、本人からの聞き取り等が何ヶ月にも渡って行われた。 性同一性…
これからの進む道がはっきりしてきたおかげで、息子はすっかり明るさを取り戻した。 でも、医師からは、一度発症したこころの病気は、その原因を取り去ったとしても、すぐに完治するものではなく、時間をかけながら少しずつ改善していくものだと聞かされていた。 息子も例にもれず、時々、精神が落ち込んだ。 これからホルモン治療を始めたとしても、息子の身体は完全に男性に変身できるというものではない。 声が低くなり、髭も濃くなるが、現在の骨格が変えられるわけではなく、身長も足のサイズもこのままだ。 どんなに頑張っても男性になりきれるわけではない自分自身の姿を思い、時折り悲しみが襲うようだった。 「いっそ身体はそのま…
※※※※※ 前章の「母の覚悟」の決意により、この先は娘のことを「息子」と呼んでいます※※※※※ 自分の娘から「俺は男だ」と告げられる父親の心境を思うと、それは母親が受ける以上の衝撃かもしれない。 あの子は私たち夫婦にとって最初の子どもだった。 初めて我が子に対面した時の「かわいい〜」と顔をくしゃくしゃにして喜んだパパの顔を私は今も忘れられない。 女の子は父親にとって何よりも愛おしい存在なのだ。初めて口にした言葉も「ママ」じゃなくて「パパ」だったとパパは自慢気だった。(赤ちゃんは「マ」より「パ」の発音がしやすいだけだという説を聞いたこともあるが、それはさておき) とにかく喜んでいた。でも、「パパ…
私は、娘のカミングアウトを受け入れた。 それは、あの告白のLINEだけのせいではない。 〈詳しくは『カミングアウトの日』〉 この半年、私は我が子の命を失うかもしれない生と死のギリギリラインを何度も見てきた。 娘は全身全霊、身体を張って、性同一性障害を私に訴えてきた。 そのエネルギーに押されたからかもしれない。 そう、そのくらいのパワーで訴えて来なければ「性別を変える」などというこんな高いハードルは跳び越えることはできなかったかもしれない。 親も子もそれこそ命懸けだ。 〈詳しくは『苦しみの泉 』〉 それからの私は必死にトランスジェンダーについての情報を集めた。 最近、よく耳にするようになったLG…
娘は一ヵ月の入院生活となったが、そこで出会った主治医の先生が娘の心を救ってくれた。 その医師は性同一性障害の施設で働いた経験があり、その道にも詳しかった。 娘が胸の内を伝えると、とても親身になって相談に乗ってくれたのだそうだ。 性同一性障害のカウンセリングで、まず最初の一歩として医師が勧めるのは、服装を男モノに変えてみることなのだそうだ。 「でも、もう君はやっているね」 そして、次は髪を短くして男の子のようなヘアスタイルにしてみることだそうだ。 「でも、もう君はやっているね」 次は、男モノの下着に変えてみようと提案し、少しずつ男の子のスタイルに近づけていくのだそうだ。 「でも、それも、もう君は…
カミングアウト、今日のこの日にいたるまで、娘は相当な苦しみを抱えて生きてきた。 カミングアウトの日 - トランスジェンダーの息子と歩む 半年前から学校にも行けなくなり、自分の存在を否定し、自分で自分を傷つけるようになった。 スクールカウンセラーさんからは自傷は死ぬためではなく、生きるためにすることだと教えられた。 自傷することで、脳内麻薬が分泌され、その瞬間は苦しみから解放されるのだそうだ。 精神が正常な状態にある人間からは想像もつかない行為であり、甘えだとか、かまってほしいからだとか、勘違いされがちだが、傍にいた私から見ると、その行為はまるで苦しみの泉に溺れもがいているときの息継ぎのように思…
--カミングアウトの半年前 高校2年の夏を過ぎた頃から、娘は学校に行けなくなった。 電車で学校に向かう途中、駅のトイレの中で涙が止まらなくなった日を境いにして、娘は学校に行けなくなった。 ぜんまい仕掛けのオルゴールの音色が途切れ途切れになり、やがてカチッと止まったような感覚だった。 「行きたくない」と言いながらも出掛けて行き、 「かえりたい」とラインが来る日々。 学校に行くのがしんどそうな子どもの姿を見るのは本当に切ない。 肩を落として出掛ける子どもの背中に向かって、 「いってらっしゃい」と声をかける苦しさ。 「休んでいいんだよ」と声掛けしても、オルゴールの音色が途切れ途切れの間は、娘はギリギ…
あの日、娘はLINEでカミングアウトして来た。 やはり直接には言いづらかったのかもしれない。 娘の部屋と私のいる寝室は廊下を挟んで向かい合っていた。扉を開ければ、すぐに対峙できる状況であったが、あえて向き合うことはしなかった。 まるで誰も存在しないかのような物音ひとつしない娘の部屋から、私のスマホの表面にだけ言葉が滑り込んで来た。 「俺は性同一性障害だと思う」 「母ちゃんは俺のこと女だと思ってる?」 「俺は男になりたい」 「ホルモン注射を打って、胸もなくしたい」 「将来的には戸籍も変えたいと思ってる」 夜中の午前0時を過ぎた頃だった。 きっと勇気を振り絞って送って来たに違いないこのメッセージに…
★娘の思い 娘が高校生だったある日、家族で旅行に行った先で急に生理になってしまい、宿泊先の寝具を汚してしまったことがあった。 そのとき、あの子は自分のスマホを投げつけて、 「オレは好きで生理なんかになってるんじゃねー!」 と叫んで涙を流した。 立ち尽くして俯いたまま肩を震わせて泣いているその姿は、なんとも哀れで、思わず抱きしめずにはいられなかった。 この子が女性であることをこれほどまでも受け入れられずにいる姿を目の当たりにし、 私もどうしていいかわからなくなった。 これまでも女の子なんだから生理の記録をつけるようにと促したことがあったが、娘はまったく聞く耳を持たなかった。 生理の話は殊に無視さ…
★中学校生活娘は中学校に入ると「強くなりたいから」と剣道部に入部した。 髪を思い切り短くし、完全ショートヘア姿になった娘はますます男子っぽくなった。 髪を切るときには美容室ではなく、理容室に行き、「何ミリ」という単位でバリカンで髪を刈り上げるようになった。 学校内で一番厳しい部活に所属した娘は、毎日欠かさず1500本の素振りをし、やがて筋肉がつき、腹筋も割れてきた。 それまでは服装に頓着がなかったため、洋服は私が買って来ることが多かったが、 やがて、レディースの服は嫌がるようになり、メンズ物だけを受け取るようになった。 でも、厳しい部活のおかげで、ほとんど毎日、朝から晩まで体育着で暮らすように…
★暮らしの様子 娘が小学生の頃は、近所の友達といつも忍者ごっこで盛り上がっていた。 折り紙で手裏剣を何十個も作り、刀を腰に差し、庭中を駆け回っていた。 幼稚園の制靴が草履だったせいで、すっかりその履きやすさが気に入った娘は、その後、高校生まで、普段履きはいつも草履だった。 娘はマリオやマリオカート等のゲームも好きで、テレビゲームやDSでもよく遊んでいた。 でも、当時、女の子たちの間で大ブームになっていた「どうぶつの森」や「ともだちコレクション」なるゲームには全く興味を示さなかった。 ジャニーズなんかのカッコいい芸能人やアイドルにも全く無関心だった。 思春期の女子たちがお洒落に目覚める頃、ウチの…
★学用品 小学校のときには、よく学年ごとに集団購入させられる学用品というものがあった。 チラシが配られて、その中から好きなデザインのものを選んで注文する。 習字道具セット、彫刻刀セット、裁縫セット、手作りエプロンキットなどなど。 そんなとき、娘はいつも男の子用のチラシから選んでいた。 そこに違和感を感じなくはなかったけれど、 はっきり言って、キラキラしたラメやピンクが散りばめられた派手なデザインより、 娘の選んでくるメンズシリーズは、 一匹のシャチの柄だったり、スポーツメーカーのロゴだったり、単純な幾何学模様だったり、シンプルかつスッキリしたデザインのものが多く、 私にもむしろそっちの方がいい…
★言葉づかい娘は、小学5年生の頃から、言葉遣いが変わった。 自分のことを「オレ」と呼ぶようになった。 私の呼び方まで「ママ」から「母ちゃん」に変えられてしまった。 もちろん「パパ」も「父ちゃん」だ。 スーパーで買い物をしていると、遠くから「かあちゃーん、かあちゃーん」と聴こえてくる。周りのお母様方がクスクスしている(ような気がする💧) 「私は『ママ』ですから」という顔で買い物を続けていたけれど、近づく我が子。 そう、私は「かあちゃん」になったのだった。 『ママ』が封印されてしまってから10年。 『かあちゃん』の言葉が聴こえると条件反射で振り向ける実力がついた。 でも、私はいまだ自分自身の第一人…
★キャミソール 娘は女性用下着というモノを これまで一度も身につけたことがない。 第一次性徴期、第二次性徴期、 胸も膨らみ始めるかなという頃、 「そろそろブラジャーとかどうかな」 と提案したが、聴こえない振りに終わった。 小学5年生の林間学校のときも、 小学6年生の修学旅行のときも、 「みんなも着けてるから、 そろそろ着けてみない?」との私の提案に、 「やめてくれ!!」の一蹴だった。 中学校の修学旅行では、 もうさすがに着けさせなくてはと思い、 「ブラジャーが嫌なら、 せめてスポーツブラとかどうかな?」 と提案したが、 「絶対にイヤだ!」と猛反撃。 中学校2年生のとき、 学校で行われた修学旅行…
★クリスマスプレゼント 私の娘は、 サンタさんにいわゆる女の子が欲しがるような プレゼントをお願いしたことがない。 小学生だった娘は、 ある年は「ラジコンカー」ある年は「トランシーバー」ある年は「忍者セット」ある年は「ラジコンヘリ」 サンタさんがそれを無視して、「毛糸の機織り機」をプレゼントしてしまったことがあった。 娘は「サンタさんが間違った」としょんぼりとプレゼントを私に返して来た。 「あら。素敵な機織り機じゃない?」と フォローしてみたが、見向きもされなかった。 親からもらった(もとい、サンタさんからもらった)プレゼントを子どもが悲しむ姿ほど 親にとってがっかりなことはない。 プレゼント…
娘は小学校高学年の頃から、自分のことを「オレ」と呼ぶようになっていた。 可愛いオシャレには全く興味を示さない。 中学生になると、これ以上は短くできないくらいのショートヘアになった。 他人から見れば、私の娘はすでに男の子だったかもしれない。 外出先でもよく男の子に間違われた。 そして、なぜかそのことを本人はとても喜んでいるように見えた。 でも、私は、それを我が子の生き方、 たとえば宝塚の男役のようなカッコいい女性の生き方のように捉えていた。 娘はたしかに男の子っぽかったが、 私たち親にとっては紛れもない女の子だったのだ。 親バカながら、娘は可愛い女の子だった。幼少期は特に可愛いかった。 いつも髪…
私たちは普段何かに記名をするとき、 その氏名欄の横に必ずといっていいほど用意されている「性別」の欄に戸惑いを感じることはない。 だが、性同一性障害の人々は、この「性別」欄でペンが止まり、そのペン先はしばらく宙を泳ぐことになる。 自分は何者なのか、男なのか女なのか、そのことをまた考えなくてはならなくなる。 自分は自分であるだけなのに、そこに男女の別を記入しなくてはならない制約は彼らを苦しめる。 我が子がそんな苦しみを抱いていることにまだ気付いていなかった私に、カミングアウトの日はやってきた。 それは息子(それまでは娘だと思っていた)が17歳の時だった。 ―― 俺は性同一性障害だと思う ―― この…
もし、 あなたが ご自身のお子さんから 「自分は女じゃなくて男なんだ」 もしくは 「自分は男じゃなくて女なんだ」 とカミングアウトされたら、 どんな気持ちがするだろう? ―私は、我が子からこの衝撃の告白を受けた。 でも、ほとんどの親はこのような事態に遭遇する ことはまずない。 なぜなら、『性同一性障害』は、 性的マイノリティと呼ばれるとてもレアなケース だからだ。 そもそも「性別」というのは、 「男性」と「女性」の二種類に分かれると考えてしまうが、 実は、性別には、 生物学的な性別(身体の性)と、 自分の性をどう意識するかという性自認(心の性)の二つの側面がある。 多くの場合、「身体の性」と「…
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