↑前回の続きです。今回は畜生に生まれたという生命の、その死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P416~引用 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへりー 諸比丘よ、汝等の意に於て云何、我爪頂に載せた...
2025年5月
↑前回の続きです。今回は畜生に生まれたという生命の、その死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P416~引用 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへりー 諸比丘よ、汝等の意に於て云何、我爪頂に載せた...
↑前回の続きです。 今回は一度、地獄に生まれたという生命の、その死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P415~P416引用 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへりー 諸比丘よ、汝等の意に於て云何...
2025年5月
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↑前回の続きです。今回は畜生に生まれたという生命の、その死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P416~引用 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへりー 諸比丘よ、汝等の意に於て云何、我爪頂に載せた...
↑前回の続きです。 今回は一度、地獄に生まれたという生命の、その死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P415~P416引用 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへりー 諸比丘よ、汝等の意に於て云何...
⇑前回の続きです。 今回は一度、幸運にも天界に生まれたという生命の、その死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P415~引用 一〇八) 第十八-二十 五趣 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへり...
⇑前回の続きです。 今回は、人間という生命の死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P413~引用 一〇二) 第十三 五趣(一) 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへりー 諸比丘よ、汝等の意に於て云...
⇑前回の続きです。 今回は、今までを受けまして、人間、神々、様々な生命の死後の行方につきまして相応部経典からご紹介したいと思います。 相応部経典 南伝大蔵経 相応部経典六 P413~引用 一〇二) 第十三 五趣(一) 時に、世尊は小許の塵を爪頂に載せて諸比丘に告げたまへりー...
⇑前回の続きです。 今回は慈悲喜捨(サマタ)の瞑想から観(ヴィパッサナー)瞑想に移行して如何に解脱するのか?そのやり方、姿勢のご紹介です。 中部経典 第52アッタカ市人経 (At.t.hakanāgara-sutta) 片山一良訳 大蔵出版 第一期3 P57から引用) [ア...
前回の続きです。 南伝大蔵経 第18巻 増支部経典 二 四集 百二十六 第三 怖畏品 萩原雲来訳 p228から引用 百二十六 比丘衆よ此等の四の補特伽羅(人のこと)あり、世の中に存す、何をか四とす。 比丘衆よ、世に一類の補特伽羅あり、慈と俱行する心を以て一方に遍滿して住す、...
今回は慈悲喜捨の瞑想をする人の死後の行方につきまして該当経典からご紹介してみたいと思います。 南伝大蔵経 増支部経典 四集 第三 畏怖品 大蔵出版 p226から 百二十五 比丘衆よ、此等の四の補特伽羅(人のこと)あり、世の中に存す、何をか四とす。 比丘衆よ、世に一類の補特伽...
仏弟子は心の安定である禅定をどう見て無上の無碍安穏に到達するのか?中部経典52 アッタカ市人経から - インド最初期仏教への誘い 仏弟子は心の安定である禅定をどう見て無上の無碍安穏に到達するのか?PART2 中部経典52 アッタカ市人経から - インド最初期仏教への誘い 今...
⇑ 前回の続きです。 つぎにまた、資産家よ、比丘は、大まかな考察・細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察・細かな考察のない、心の安定より生じた喜びと楽のある第二の禅に達して住みます。 かれはこのように観察します。 〈この第二の禅も形成されたもの、意思さ...
前回の続きです。 では今回は前回を受けて、仏弟子は心の安定である禅定をどう見て、無上の無碍安穏に到達するのか?について御紹介してみたいと思います。 (中部経典 第52アッタカ市人経 (At.t.hakanāgara-sutta) 片山一良訳 大蔵出版 第一期3 P53から引...
前回の続きです。 今回は、禅定(初禅)を完成?させ、それに満足を得た人(異生、他の人)のその後の人生の行方と、禅定(初禅)を完成?させ、それに満足を得た仏弟子のその後の人生の行方との違いという経典の御紹介です。 南伝大蔵経 第18巻 増支部経典 二 四集 百二十三 第三 怖...
⇑ 前回の続きです。 今回は、「禅定を獲得できなかったことへの不行儀と後悔を釈尊へ告白する場面」のまとめになります。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長老の章 大蔵出版p436~ 受を知る(ゴータマ・ブッダ曰く) も...
前回の続きです。 今回は、アッサジ比丘の語る「禅定を獲得できなかったことへの不行儀と後悔を釈尊へ告白する場面」になります。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長老の章 大蔵出版p431~ ーーーーーーーーーーーーー 「...
⇑前回の続きです。 今回から八正道の中に、(禅定、正定は入っている、欲を離れるためには必要であるが、~前回の話)‘’禅定は仏教の真髄ではない‘’というお経をご紹介したいと思います。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長...
前回の続きです。⇑ 今回はゴータマ・ブッダその人ご自身の正定、禅定体験の告白です。 中部経典 第114 小苦蘊経 (Cūladukkhakkhandha-sutta) 片山一良訳 大蔵出版 中部① p251~ マハーナーマよ、私も覚る以前(成道以前)、まだ正しい覚りを得て...
⇩今まで感受(感覚)の楽味(長所)、危難(欠点)、出離の事、いわゆる心の集中の先にある、人間の持つ眼耳鼻舌身の感覚器官を超えた「禅定」、その楽味(長所)、危難(欠点)、出離について述べて来ました。 ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の楽味とは何か?」四聖諦を理解するために...
⇑前回の続きです。今回は感受(感覚)の出離nissaran.aについてです。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P248~から引用 感受の出離 つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の出離とは何か...
⇑前回の続きです。感受(感覚)の危難(欠点)について。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P247~から引用 感受の危難nissaran.a 「つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の危難とは何か...
前回の続きです。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P246~から引用 感受の楽味 「つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の楽味とは何か。 比丘たちよ、ここに、比丘は、もろもろの欲を確かに離れ、...
前回の続きです。 では今回は前回を受けて、仏弟子は心の安定である禅定をどう見て、無上の無碍安穏に到達するのか?について御紹介してみたいと思います。 (中部経典 第52アッタカ市人経 (At.t.hakanāgara-sutta) 片山一良訳 大蔵出版 第一期3 P53から引...
前回の続きです。 今回は、禅定(初禅)を完成?させ、それに満足を得た人(異生、他の人)のその後の人生の行方と、禅定(初禅)を完成?させ、それに満足を得た仏弟子のその後の人生の行方との違いという経典の御紹介です。 南伝大蔵経 第18巻 増支部経典 二 四集 百二十三 第三 怖...
⇑ 前回の続きです。 今回は、「禅定を獲得できなかったことへの不行儀と後悔を釈尊へ告白する場面」のまとめになります。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長老の章 大蔵出版p436~ 受を知る(ゴータマ・ブッダ曰く) も...
前回の続きです。 今回は、アッサジ比丘の語る「禅定を獲得できなかったことへの不行儀と後悔を釈尊へ告白する場面」になります。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長老の章 大蔵出版p431~ ーーーーーーーーーーーーー 「...
⇑前回の続きです。 今回から八正道の中に、(禅定、正定は入っている、欲を離れるためには必要であるが、~前回の話)‘’禅定は仏教の真髄ではない‘’というお経をご紹介したいと思います。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長...
前回の続きです。⇑ 今回はゴータマ・ブッダその人ご自身の正定、禅定体験の告白です。 中部経典 第114 小苦蘊経 (Cūladukkhakkhandha-sutta) 片山一良訳 大蔵出版 中部① p251~ マハーナーマよ、私も覚る以前(成道以前)、まだ正しい覚りを得て...
⇩今まで感受(感覚)の楽味(長所)、危難(欠点)、出離の事、いわゆる心の集中の先にある、人間の持つ眼耳鼻舌身の感覚器官を超えた「禅定」、その楽味(長所)、危難(欠点)、出離について述べて来ました。 ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の楽味とは何か?」四聖諦を理解するために...
⇑前回の続きです。今回は感受(感覚)の出離nissaran.aについてです。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P248~から引用 感受の出離 つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の出離とは何か...
⇑前回の続きです。感受(感覚)の危難(欠点)について。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P247~から引用 感受の危難nissaran.a 「つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の危難とは何か...
前回の続きです。 パーリ語仏典 中部経典第13 大苦蘊経(mahaa dukkha khanda sutta) 片山一良訳 大蔵出版 P246~から引用 感受の楽味 「つぎに、比丘たちよ、もろもろの感受の楽味とは何か。 比丘たちよ、ここに、比丘は、もろもろの欲を確かに離れ、...
↑前回の続きです。 今までは色(物質、容姿)の危難、欠点について述べてきました。 今回からその対策、色(物質、容姿)の出離(解放)nissaranaを見ていきたいと思います.。 ⇩まず人間にとりまして、色(物質、容姿)の楽味、楽しみは良いとしまして、 ゴータマ・ブッダが説く...