齋藤孝著「言葉を愉しむ」より この人はすごいと思わせるような、そして魂が震えるような言霊の威力を聴く機会は少なくなってき気もします。 藤圭子さんと北島三郎さんのお二人が、会場の注文に応じて流しをする動画が残っています。北島三郎さんの歌「兄弟仁義」の
このブログでは、藤圭子の歌と論評を紹介していきます。 最終的には、できるだけ詳しい彼女の履歴(年表)を作成したいと考えています。
この歌からまた15年以上が過ぎた後、藤圭子は自ら命を絶ってしまった。藤圭子とおそらく同等以上の才能を持ち、同じような人生を歩んでいるかに見える宇多田ヒカルの歌と声からは、母親と同種の哀切さがいつも懐かしく聞こえて来るので、今となってはその歌声だけが慰めだ
それから約15年後にこの「みだれ髪」を唄ったときの藤圭子は、プロの芸にまだ衰えはなく、おそらく唯一崇拝していた歌手、亡き美空ひばりへのオマージュという特別な感情を心中に抱いていたのと同時に、星野・船村コンビによるこの曲そのものに、歌手として心の底から共感
そして、インタビューの前半では言い渋っていた少女時代の家庭生活、特に父親に関する凄絶な体験と記憶、よく見る夢の話などを読んでいるうちに、逃げ出したいと思い続けていた過去、封印したいと思っていた原体験が、無表情で「何も覚えていない(=忘れたい)」藤圭子の
本の前半、少女時代から歌手になるまでの記憶のかなりの部分が、ある意味「飛んで」いて、その当時についていろいろ質問しても、藤は「覚えていない」を繰り返し、沢木を呆れさせている。歌についても「何も考えずに無心で歌っていた」と何度も言い、あの無表情なデビュー
いったい藤圭子の「みだれ髪」にはどういう秘密があるのだろうか? なぜあれだけの歌が唄えるのだろうか? 私はジャズ好きで、美空ひばりや藤圭子の特別なファンというわけでもなかったので、えらそうなことは言えないが、ジャンルに関係なく、少なくともこの二人が歌い
哀しい女の心情を切々と謳い上げる美空ひばりは、星野・船村コンビの世界をある意味忠実に、古風に、美しく表現しているのだと思う。それに対して、べたつかない乾いた抒情を感じさせながら、しかし心の底の寂寥と哀切を絞り出すように唄う藤圭子は、まったく別の、救いのな
番組の構成がそういう前提だったのかもしれないが、まず驚いたのは、この番組で藤が美空ひばりの曲を選んでいることだった。昔のカバー・バージョンが入った藤のCDを調べたが、美空ひばりの曲は見つからなかったので、それだけで珍しい。これも番組の設定なのだろうが、司
年末の船村徹の追悼番組で、東京ドームの『不死鳥コンサート』(1988年)で美空ひばりが唄う「みだれ髪」(星野哲郎・作詞、船村徹・作曲)を聴いて改めて感動したのだが、他の歌手も同曲をカバーしているのがわかったので、YouTubeであれこれ比べて聞いていたときに見つけ
藤圭子 みだれ髪の謎 天才的な音楽アーティストというのは、常人には理解不能な面があるものだが、当然ながら本人に尋ねたところでそのわけが明らかになることはない。特に、普通に会話していると、まったく常人と変わらないごく普通の人なのに、いざ演奏なり、歌うこ
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齋藤孝著「言葉を愉しむ」より この人はすごいと思わせるような、そして魂が震えるような言霊の威力を聴く機会は少なくなってき気もします。 藤圭子さんと北島三郎さんのお二人が、会場の注文に応じて流しをする動画が残っています。北島三郎さんの歌「兄弟仁義」の
ところで、みなさん、知っていました?2019年に開催された「あいちトリエンナーレ2019」で、純烈のリーダー・坂井一圭によりプリデュース公演「1969年の前川清と藤圭子~昭和を彩るロックとブルース~」が行われていたことを。私は知りませんでした。酒井一圭氏
八柳鐵郎著 すすきの有影灯より (完) 藤圭子はビールもウイスキーもまったく飲めない。ワインをちびちび飲むくらいである。賑やかに飲み歩くのは苦手なのだ。それを知っているからその場面に誘ったことはない。ショーの控室で話をする程度である。彼女の話は面白く明る
八柳鐵郎著「すすきの有影灯」北海道新聞社刊(昭和62年6月20日発行)より この八柳鉄郎さんの文章は、これまで知られていないのではないだろうか。古本屋のNetで「藤圭子」で検索をかけると、この本が出てくるので、講談社の文庫本を買ったのだが載っていない。あ
たとえば、あの Billie Holiday…。 それから、伝説のブラジルの歌姫、歌の精みたいだったエリス・レジーナ…。 彼女らは、みーんな、人間業以上の凄味で歌うことを許された、ある種スペシャルランクな巫女巫女星人でした。 彼女らをくくる共通頁は、「不幸」と「
さて---では、そんな底辺大衆の夢に支えられた藤圭子というのは、どんな女だったのか? シンガーとしていうなら、これは、もう超一流というよりないですね。 あの異様な説得力は、誰が聴いてもすぐわかる。 僕みたいな三文楽師(イーダちゃんはギタリストでもありま
徒然その148☆歌姫の系譜(藤圭子から Billie Holiday まで)☆2013-09-1604:08:37 ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆ https://blog.goo.ne.jp/iidatyann/e/8f32d50d7bbb77a3c3817a0eff5504f2
中国の動画再生プラットホームなので,視聴回数が伸びていないが、貴重な動画なので、紹介します。https://www.bilibili.com/video/BV1Bq4y1Q74i/?from=seopage
84年生まれによる藤圭子考 垣間見た70年代という時代公開日時2013年09月05日 13:59 歌手の藤圭子さんが8月、亡くなった。享年62歳。その死をきっかけに、昭和が持っていた“怪物”のような顔がこちらに振り返った気がした。藤さんの曲が次々とヒットした19
麗人の歌と無法松の一生 1974/8/9 広島音楽祭で藤圭子は「麗人の歌」を歌う 目の前で見ていた古賀政男は不満顔、自分(古賀政男)の歌を「藤圭子」として歌っているから 譜面、ときには歌詞さえ、自分自身の気持ちを押し通してしまう藤圭子 結果、石坂が謝罪を圭子
スターと旅に 詩の国、絵の国・大津
大津にて
滋賀県大津にて
若い世代の藤圭子論 昨年の7月に「若い世代の藤圭子論」をUpしましたが、今般1本追加いたします。 シンガー夫婦で『聞いて下さい私の人生《藤圭子さん》』を聴いてみた♡ (youtube.com) 若い世代の藤圭子論2023年07月03日最近、若い人たちの「藤圭子
白けて吠える遠い目(完)草森紳一 私が、藤圭子を素晴らしいと思うのは、まさに歌いっぷりなのである。たしかに唸り、吠えるような発声である。しかしこの唸り、吠える発声にぞっこん参ってしまうのではない。そんな地点で参ったりすると、怨歌だ、怨念だ、などといわな
白けて吠える遠い目(2)草森紳一 彼女はあまりしゃべらない。いわば無口である。愛憎がない。しゃべっても、素っ気ない。むだ口を叩いたりしない。あれはなにもおとなしい性格だからでも、気取っているからでもない。北海道人通有の言語空間の把握とその習性からそうさせ
藤圭子の時代は、歌謡曲は知識人のものだった、と書いたのはジャズ評論家の平岡正明だが、デビュー後数年のうちに実に数多くの「藤圭子論」が発表されている。これほどまでに論じられた歌手はほかにはいない。 そうした「初期藤圭子論」ともいうべき文章をいくつか紹介し
藤圭子の登場にオヤジどもは女のやりきれない怨念に身震いラ・ラ・ラプソディー昭和(連載29)日刊ゲンダイ 2024年8月28日発行 沢野ひとし藤圭子の登場にオヤジどもは女のやりきれない怨念に身震い過去は薄れ
女を解剖(メス)る 〈藤圭子〉(その2)完あれでよかった!? わたしの離婚 清ちゃんとの離婚のことにふれてしまいました。あれをふたりそろって発表したのは、昨年の8月12日でした。皆さんからは唐突に思われ、特別の理由もないのにと、さぞバカみたいにみえたことで
週刊プレイボーイ 昭和48年(1973年)6月19日号女を解剖(メス)る 〈藤圭子〉(その1) 9か月前、抜き打ち離婚で関係者を驚かせた藤圭子が、その傷の癒える間もなく、両親の離婚というドロドロの渦の中にまきこまれてしまった。自分自身の時もそ
自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子(完)残間 子供は欲しいなって思わないの?藤 子供ってあんまり好きじゃないの。育児に対しても自信ないしね。アメリカで暮らしてみて思ったんだけど、日本人って子供だからって甘やかすでしょ。「いくちゅなの?」な
自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子(4)人に泣きつくすなんて嫌い 死ぬ時は潔くしたいから 素顔の彼女は屈託がない。よく笑うし、よく喋る。喧伝のせいで、彼女になされてきたサクセス・ストーリーのせいで、彼女には独特の陰鬱なムードがつきまといが
自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子 (3)セントラルパークの日だまりで見つけた幸せの時 ニューヨークにいた彼女とは、何回か文通をした。 ―セントラルパークの日だまりにいる時、私は今までに味わったことのない幸福を感じます。老夫婦が手を
自由の旅一年九か月(2)アメリカ体験で蘇った”私“ 藤圭似子 対談 残間里江子自己主張が、我がままとしかとられない芸能界! ニューヨークで会った時、彼女は自分のことを「竹山純子」と名乗った。 短く切り揃えられた髪と利発な物言いは、F・サガンのイメージ
自由の旅一年九か月アメリカ体験で蘇った”私“ 藤圭似子 対談 残間里江子 Living.BOOK 1981年11月号(創刊号) 「もう決して戻りません」と宣言し、引退していった一人の歌手が、再び芸能界に戻ってきた。 彼女は引
鷲田清一 折々のことば(朝日新聞2016年2月2日) 「のどの手術を受けて声が出やすくなったのに、逆に引退を決めた歌手は、なぜといぶかしむ対談相手にこう答えた。 「一度頂をきわめたら、あとは転げ落ちるか、別の頂に跳びうつるしかない。お金のことを考えれば
1970年暮れ。作者は不明
⑧ 日本語の快感がある 何はともあれ、当せん作を発表したいと思う。そして、その後、選考過程やら感想やらを書くことにする。圭子のさすらい 静岡市丸山町… よしかわかおり 言葉わすれた くちびるは 草笛ひとつ 吹けるだけ た
⑦ “不幸”の正体きめないで 古い友人や、遠くはなれた知人から、体は大丈夫かという問い合わせが来るのである。 梶山季之さんの突然の死から、あいつはどうだろうかと気にしてくれているものらしい。おれは大丈夫だよ、ピンピンしていると答えてはいるものの、ふと本当に
⑥ 四行詞の快いリズムを 演歌を書く時、それでは四行詞にしましょうかというのは、よく出る話である。 又、実際、この講座に於ても、四行詞にかき直してみたら、と注文を付けたこともある。“阿久悠の実践的作詞講座・藤圭子篇”も今回で七週目、当選作決定まで後一週とい
⑤ 「彼女」とデートするならば 日本人の生活意識調査をしたら、その90%が、中産階級と答えるだろう。もしくは、中流家庭という答え方をするかもしれない。 そして、彼らが定義する中流家庭とはどういうものかというと、エレクトーン、小型国産車、冷凍庫付き冷蔵庫、国
④ 正直に書こう”女心“ 女を描くということをよくいう。あの作家は女が描けるとか、描けないとかいうあれである。「男と女がいた」というこの一フレーズが世界最短の小説であるといわれるくらいであるから、作家にとって、女を描くということは、かなりの比重になるもので
③ こだわるな 怨みや宿命 まちわびた春だというのに妙に沈んだ空気がうかがえる。 ゴールデン・ウィークの人出予想も、大型レジャーに類するものは近来になく低調だという。人員整理をしないということを条件に昇給をすえ置きをのむ大手組合が現れる。 そういえば、先日
② “神話”と“伝説”を利用して ぼくらは、歌うための詞を書こうとしている。印刷するための詞でもなければ、読むための詞でもないということを前提に置きたいと思う。 さて、歌には、聴くための歌と歌うための歌が考えたい。関係者間の言葉でいえば、“聴き歌”“歌い歌
① テーマは“ウソのない心” 藤圭子篇である。 藤圭子の歌う詞について語る前に、日本について考えてみたいと思うのである。 国家を憂えるとか、日本人の根元を考えるとか、そんな壮大な心構えでなくてもいいのである。 最近まるで気にしなくなっていることで、ふと妙に
「さすらい」と「風子 二十四 不幸せ」 この2曲は、阿久悠がスポニチに連載していた「阿久悠の実践的作詞講座」の藤圭子の篇の入選作品で、いずれも遠藤実の作曲でレコード化されている(昭和50年9月発売の藤圭子25枚目のシングル)。「阿久悠の実践的作詞講座」は
週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(完)テレビ出演断れば今後に差支えます しかし、いくら契約書にそうあるからといって、歌手の身体までダメにするようなスケジュールを組むプロダクションはどういうつもりなんだろう。「デビューして一、二年のタレ
週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(2)睡眠時間は五時間 一生懸命眠ります 殺人的スケジュールに追いまわされているのは、なにも藤圭子一人ではない。このところヒット曲を出して、テレビのベストテン番組に顔を出しているタレントは、みんな同じよ
週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(1)風邪に不眠に卒倒と私の日程つらかった藤圭子、倒る!と思ったら三日後には巡業地に青い顔で飛びたった。売れっ子タレントは静養も思うようにならないらしい。生まれてきたのは親のため、スターになったのはプロ