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藤圭子を聴く、藤圭子を読む  https://czb00023hgoto.livedoor.blog/

このブログでは、藤圭子の歌と論評を紹介していきます。 最終的には、できるだけ詳しい彼女の履歴(年表)を作成したいと考えています。

藤圭子資料室
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2022/09/02

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  • 純烈のリーダー・酒井一圭によるプロデュース公演「1969年の前川清と藤圭子~昭和を彩るロックとブルース~」

    ところで、みなさん、知っていました?2019年に開催された「あいちトリエンナーレ2019」で、純烈のリーダー・坂井一圭によりプリデュース公演「1969年の前川清と藤圭子~昭和を彩るロックとブルース~」が行われていたことを。私は知りませんでした。酒井一圭氏

  • すすきの有影灯 藤圭子さん(完)

    八柳鐵郎著 すすきの有影灯より (完) 藤圭子はビールもウイスキーもまったく飲めない。ワインをちびちび飲むくらいである。賑やかに飲み歩くのは苦手なのだ。それを知っているからその場面に誘ったことはない。ショーの控室で話をする程度である。彼女の話は面白く明る

  • すすきの有影灯 藤圭子さん(1)

    八柳鐵郎著「すすきの有影灯」北海道新聞社刊(昭和62年6月20日発行)より この八柳鉄郎さんの文章は、これまで知られていないのではないだろうか。古本屋のNetで「藤圭子」で検索をかけると、この本が出てくるので、講談社の文庫本を買ったのだが載っていない。あ

  • 歌姫の系譜(藤圭子から Billie Holiday まで)(完)

    たとえば、あの Billie Holiday…。 それから、伝説のブラジルの歌姫、歌の精みたいだったエリス・レジーナ…。 彼女らは、みーんな、人間業以上の凄味で歌うことを許された、ある種スペシャルランクな巫女巫女星人でした。 彼女らをくくる共通頁は、「不幸」と「

  • 歌姫の系譜(藤圭子から Billie Holidayまで)(2)

    さて---では、そんな底辺大衆の夢に支えられた藤圭子というのは、どんな女だったのか? シンガーとしていうなら、これは、もう超一流というよりないですね。 あの異様な説得力は、誰が聴いてもすぐわかる。 僕みたいな三文楽師(イーダちゃんはギタリストでもありま

  • 歌姫の系譜(藤圭子からBillie Holidayまで)(1)

    徒然その148☆歌姫の系譜(藤圭子から Billie Holiday まで)☆2013-09-1604:08:37   ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆ https://blog.goo.ne.jp/iidatyann/e/8f32d50d7bbb77a3c3817a0eff5504f2 

  • 藤圭子の歌をもう一度聴きたい 芳村真理

    中国の動画再生プラットホームなので,視聴回数が伸びていないが、貴重な動画なので、紹介します。https://www.bilibili.com/video/BV1Bq4y1Q74i/?from=seopage

  • 84年生まれによる藤圭子考 垣間見た70年代という時代 奈良禄輔

    84年生まれによる藤圭子考 垣間見た70年代という時代公開日時2013年09月05日 13:59 歌手の藤圭子さんが8月、亡くなった。享年62歳。その死をきっかけに、昭和が持っていた“怪物”のような顔がこちらに振り返った気がした。藤さんの曲が次々とヒットした19

  • 麗人の歌と無法松の一生

    麗人の歌と無法松の一生 1974/8/9 広島音楽祭で藤圭子は「麗人の歌」を歌う 目の前で見ていた古賀政男は不満顔、自分(古賀政男)の歌を「藤圭子」として歌っているから 譜面、ときには歌詞さえ、自分自身の気持ちを押し通してしまう藤圭子 結果、石坂が謝罪を圭子

  • 26歳の藤圭子(3)写真

    スターと旅に 詩の国、絵の国・大津

  • 26歳の藤圭子(2)写真

    大津にて

  • 26歳の藤圭子(1)写真

    滋賀県大津にて

  • 若い世代の藤圭子論(追加)

    若い世代の藤圭子論 昨年の7月に「若い世代の藤圭子論」をUpしましたが、今般1本追加いたします。 シンガー夫婦で『聞いて下さい私の人生《藤圭子さん》』を聴いてみた♡ (youtube.com)  若い世代の藤圭子論2023年07月03日最近、若い人たちの「藤圭子

  • 白けて吠える遠い目(完)草森紳一

    白けて吠える遠い目(完)草森紳一 私が、藤圭子を素晴らしいと思うのは、まさに歌いっぷりなのである。たしかに唸り、吠えるような発声である。しかしこの唸り、吠える発声にぞっこん参ってしまうのではない。そんな地点で参ったりすると、怨歌だ、怨念だ、などといわな

  • 白けて吠える遠い目(2)草森紳一

    白けて吠える遠い目(2)草森紳一 彼女はあまりしゃべらない。いわば無口である。愛憎がない。しゃべっても、素っ気ない。むだ口を叩いたりしない。あれはなにもおとなしい性格だからでも、気取っているからでもない。北海道人通有の言語空間の把握とその習性からそうさせ

  • 白けて吠える遠い目(1)草森紳一

    藤圭子の時代は、歌謡曲は知識人のものだった、と書いたのはジャズ評論家の平岡正明だが、デビュー後数年のうちに実に数多くの「藤圭子論」が発表されている。これほどまでに論じられた歌手はほかにはいない。 そうした「初期藤圭子論」ともいうべき文章をいくつか紹介し

  • 藤圭子の登場にオヤジどもは女のやりきれない怨念に身震い 沢野ひとし

    藤圭子の登場にオヤジどもは女のやりきれない怨念に身震いラ・ラ・ラプソディー昭和(連載29)日刊ゲンダイ 2024年8月28日発行 沢野ひとし藤圭子の登場にオヤジどもは女のやりきれない怨念に身震い過去は薄れ

  • 女を解剖(メス)る 〈藤圭子〉(その2)完

    女を解剖(メス)る 〈藤圭子〉(その2)完あれでよかった!? わたしの離婚 清ちゃんとの離婚のことにふれてしまいました。あれをふたりそろって発表したのは、昨年の8月12日でした。皆さんからは唐突に思われ、特別の理由もないのにと、さぞバカみたいにみえたことで

  • 女を解剖(メス)る 〈藤圭子〉(その1)週刊プレイボーイ

    週刊プレイボーイ 昭和48年(1973年)6月19日号女を解剖(メス)る 〈藤圭子〉(その1) 9か月前、抜き打ち離婚で関係者を驚かせた藤圭子が、その傷の癒える間もなく、両親の離婚というドロドロの渦の中にまきこまれてしまった。自分自身の時もそ

  • もしも、圭子がウッド・ストックに参加したら

    もしも、圭子がウッド・ストックに参加したら それは素晴らしい結果になるだろう  もし圭子の歌が、日本人の心を歌いあげた怨歌(ブルース)なら、彼女がウッド・ストックに出演しても満場の拍手をあびるだろう。司会者はこう紹介する。「日本最高のフォーク・シ

  • エンカって何だろう

    「明星」1970年10月号第1付録「Young Song」より 藤圭子に感じる現代のブルース エンカってなんだろう現代の悲しいため息 圭子の歌は演歌か怨歌(ブルース)か キミは“演歌”という言葉をどう思う? バックのオーケストラに三味線のはいったものをいう

  • 自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子(完)

    自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子(完)残間 子供は欲しいなって思わないの?藤 子供ってあんまり好きじゃないの。育児に対しても自信ないしね。アメリカで暮らしてみて思ったんだけど、日本人って子供だからって甘やかすでしょ。「いくちゅなの?」な

  • 自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子(4)

    自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子(4)人に泣きつくすなんて嫌い 死ぬ時は潔くしたいから 素顔の彼女は屈託がない。よく笑うし、よく喋る。喧伝のせいで、彼女になされてきたサクセス・ストーリーのせいで、彼女には独特の陰鬱なムードがつきまといが

  • 自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子(3)

    自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子 (3)セントラルパークの日だまりで見つけた幸せの時  ニューヨークにいた彼女とは、何回か文通をした。 ―セントラルパークの日だまりにいる時、私は今までに味わったことのない幸福を感じます。老夫婦が手を

  • 自由の旅 一年九か月 藤圭子 対談 残間里江子(2)

    自由の旅一年九か月(2)アメリカ体験で蘇った”私“ 藤圭似子 対談 残間里江子自己主張が、我がままとしかとられない芸能界! ニューヨークで会った時、彼女は自分のことを「竹山純子」と名乗った。 短く切り揃えられた髪と利発な物言いは、F・サガンのイメージ

  • 自由の旅 一年九か月 藤圭似子 対談 残間里江子

    自由の旅一年九か月アメリカ体験で蘇った”私“ 藤圭似子 対談 残間里江子 Living.BOOK 1981年11月号(創刊号) 「もう決して戻りません」と宣言し、引退していった一人の歌手が、再び芸能界に戻ってきた。 彼女は引

  • 鷲田清一 「折々のことば」より

    鷲田清一 折々のことば(朝日新聞2016年2月2日) 「のどの手術を受けて声が出やすくなったのに、逆に引退を決めた歌手は、なぜといぶかしむ対談相手にこう答えた。 「一度頂をきわめたら、あとは転げ落ちるか、別の頂に跳びうつるしかない。お金のことを考えれば

  • 1970年藤圭子イラスト

    1970年暮れ。作者は不明

  • 阿久悠の実践的作詞講座 藤圭子篇(8) 最終回

    ⑧ 日本語の快感がある 何はともあれ、当せん作を発表したいと思う。そして、その後、選考過程やら感想やらを書くことにする。圭子のさすらい 静岡市丸山町… よしかわかおり 言葉わすれた くちびるは 草笛ひとつ 吹けるだけ た

  • 阿久悠の実践的作詞講座 藤圭子篇(7)

    ⑦ “不幸”の正体きめないで 古い友人や、遠くはなれた知人から、体は大丈夫かという問い合わせが来るのである。 梶山季之さんの突然の死から、あいつはどうだろうかと気にしてくれているものらしい。おれは大丈夫だよ、ピンピンしていると答えてはいるものの、ふと本当に

  • 阿久悠の実践的作詞講座 藤圭子篇(6)

    ⑥ 四行詞の快いリズムを 演歌を書く時、それでは四行詞にしましょうかというのは、よく出る話である。 又、実際、この講座に於ても、四行詞にかき直してみたら、と注文を付けたこともある。“阿久悠の実践的作詞講座・藤圭子篇”も今回で七週目、当選作決定まで後一週とい

  • 阿久悠の実践的作詞講座 藤圭子篇(5)

    ⑤ 「彼女」とデートするならば 日本人の生活意識調査をしたら、その90%が、中産階級と答えるだろう。もしくは、中流家庭という答え方をするかもしれない。 そして、彼らが定義する中流家庭とはどういうものかというと、エレクトーン、小型国産車、冷凍庫付き冷蔵庫、国

  • 1970年の藤圭子

  • 阿久悠の実践的作詞講座 藤圭子篇(4)

    ④ 正直に書こう”女心“ 女を描くということをよくいう。あの作家は女が描けるとか、描けないとかいうあれである。「男と女がいた」というこの一フレーズが世界最短の小説であるといわれるくらいであるから、作家にとって、女を描くということは、かなりの比重になるもので

  • 阿久悠の実践的作詞講座 藤圭子篇(3)

    ③ こだわるな 怨みや宿命 まちわびた春だというのに妙に沈んだ空気がうかがえる。 ゴールデン・ウィークの人出予想も、大型レジャーに類するものは近来になく低調だという。人員整理をしないということを条件に昇給をすえ置きをのむ大手組合が現れる。 そういえば、先日

  • 阿久悠の実践的作詞講座 藤圭子篇(2)

    ② “神話”と“伝説”を利用して ぼくらは、歌うための詞を書こうとしている。印刷するための詞でもなければ、読むための詞でもないということを前提に置きたいと思う。 さて、歌には、聴くための歌と歌うための歌が考えたい。関係者間の言葉でいえば、“聴き歌”“歌い歌

  • 阿久悠の実践的作詞講座 藤圭子篇(1)

    ① テーマは“ウソのない心” 藤圭子篇である。 藤圭子の歌う詞について語る前に、日本について考えてみたいと思うのである。 国家を憂えるとか、日本人の根元を考えるとか、そんな壮大な心構えでなくてもいいのである。 最近まるで気にしなくなっていることで、ふと妙に

  • 「さすらい」と「風子 二十四 不幸せ」

    「さすらい」と「風子 二十四 不幸せ」 この2曲は、阿久悠がスポニチに連載していた「阿久悠の実践的作詞講座」の藤圭子の篇の入選作品で、いずれも遠藤実の作曲でレコード化されている(昭和50年9月発売の藤圭子25枚目のシングル)。「阿久悠の実践的作詞講座」は

  • 週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(完)

    週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(完)テレビ出演断れば今後に差支えます しかし、いくら契約書にそうあるからといって、歌手の身体までダメにするようなスケジュールを組むプロダクションはどういうつもりなんだろう。「デビューして一、二年のタレ

  • 週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(2)

    週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(2)睡眠時間は五時間 一生懸命眠ります 殺人的スケジュールに追いまわされているのは、なにも藤圭子一人ではない。このところヒット曲を出して、テレビのベストテン番組に顔を出しているタレントは、みんな同じよ

  • 週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(1)

    週刊朝日 1970-10-23 流行歌手における命の預け方の研究(1)風邪に不眠に卒倒と私の日程つらかった藤圭子、倒る!と思ったら三日後には巡業地に青い顔で飛びたった。売れっ子タレントは静養も思うようにならないらしい。生まれてきたのは親のため、スターになったのはプロ

  • 二度と繰り返したくない人生 藤圭子(完)

    二度と繰り返したくない人生(完) 藤圭子やっと落ち着いて歌える今の目標は親子三人での楽しいサウンド作りだ 「アメリカに呼ばれたような気がしたんです。なにか身につけようと考えたら英語が浮かんできて。それに、歌しか知らない私が日本にいて、ほかの人の歌を聞くの

  • 二度と繰り返したくない人生 藤圭子(3)

    二度と繰り返したくない人生 藤圭子(3) 薄幸の少女なんてだれが決めたのか生れたときからいままで私は普通の女だと思って生きてきた 中学を卒業するまでテレビなどろくに見たことがない。上京してからも家にはテレビはなかった。デビュー後は、テレビはあったが見る時

  • 二度と繰り返したくない人生 藤圭子(2)

    二度と繰り返したくない人生(2) 藤圭子やることがないから歌いはじめただけだ 藤圭子。本名、宇多田純子は一九五一年七月五日に岩手県一関で生まれた。両親はともに浪曲師。東北地方、北海道を中心に巡業していた。藤圭子が参加したのは十歳の頃からだった。レパートリ

  • 二度と繰り返したくない人生 藤圭子(1) 山下勝利

    二度と繰り返したくない人生(1) 藤圭子 ふたたびいい女列伝 山下勝利著(1995年10月20日第一刷発行)より 結婚のいきさつを聞かれ、テレからか、なりゆきです、もののはずみですと答える人がいる。 実情は大恋愛だったり、中であったり、なかには小の名

  • 日本の顔顔顔……99 歌手、藤圭子 森本哲郎インタビュー

    日本の顔顔顔……99 疋田桂一郎・森本哲郎 朝日新聞社昭和46年11月25日第一刷発行 庶民派 藤圭子 歌手十五、十六、十七と、キミの人生暗かった?「えっ、別に暗くないです。あたしの青春はくらくない……自分なりに……」楽しかった?「……楽しい

  • 森山大道の怨念のレンズが藤圭子をとらえた

    森山大道の怨念のレンズが藤圭子をとらえた(昭和46年1月26日発行「週刊プレイボーイ」) 怨念の映像・新シリーズ 森山大道 対 藤圭子 「カラーで7ページです」「もったいないわね」「えっそんなことないよ」 この仕事を始める時の会話である。

  • 前川清、6度目の命日を迎えた元妻・藤圭子さんへの愛を語る(完)加藤みのり

    ◆藤の死の知らせを聞いたとき、前川は…  6年前の8月22日。それはあまりにも突然で、あまりにも衝撃的な訃報だった。早朝の東京・新宿。藤は居住していたマンションの13階から飛び降り、62年の人生に自ら幕を閉じた。 “藤圭子、自殺”この報道に、都内でコンサートのリ

  • 前川清、6度目の命日を迎えた元妻・藤圭子さんへの愛を語る(3)加藤みのり

    1972年8月12日、おしどり夫婦と呼ばれたふたりの電撃離婚会見。これもまた、「(離婚の理由は)ありません」と、掴みどころのないものだった。 「ボク自身も結婚生活を振り返ってみても“なんだったんだあれは?”って思いますもん。ただね、1年間の結婚生活のなかで

  • 前川清、6度目の命日を迎えた元妻・藤圭子さんへの愛を語る(2)加藤みのり

    ◆若き大スターとの結婚 多忙極まる新婚生活 48年前の6月、前川と藤の婚約発表に世間は沸いた。「ボクが22才で彼女は19才。お互い、好きだという気持ちは当然あるけれど、実はどうしても夫婦になりたいというわけではなかったんです。ただ彼女は、当時、恩師で事務所の

  • 前川清、6度目の命日を迎えた元妻・藤圭子さんへの愛を語る(1)加藤みのり

    藤圭子さんへの忘れ得ぬ愛を語る前川清 かつて作家・五木寛之氏に「“演歌”でも“援歌”でもない。“怨歌”である」といわしめた歌手・藤圭子(享年62)。彼女が儚く散ったあの日から、はや6年。生きていれば今年9月にデビュー50周年を迎えていた。6度目の命日を前に、

  • 麗人の歌と無法松の一生

    麗人の歌と無法松の一生 彼女が亡くなられた頃、Netに次の文章が上げられていました。 1974/8/9 広島音楽祭で藤圭子は「麗人の歌」を歌う目の前で見ていた古賀政男は不満顔、自分の歌を「藤圭子」として歌っているから譜面、ときには歌詞さえ、自分自身の気

  • 藤圭子&森昌子、デュエット

    藤圭子・森昌子 もしかして PARTⅡ - YouTube島育ち・もしかしてパートⅡ(動画)★藤 圭子&森 昌子 - YouTubeこのときの森昌子は楽しそうですね。「さあ、歌いましょう、と藤圭子をリードしているようにも見える。藤圭子が一世を風靡していた1970年、森昌子は12歳。

  • 藤圭子のサイン

  • 「人物の話」藤圭子さん、安らかに 中野由紀子

    2013.08.26[人物の話]藤圭子さん、安らかに  中野由紀子  歌手の藤圭子さんが亡くなりました。残念なことでした。私の子どもの頃は、彼女はもう有名人でした。トレードマークの黒髪のおかっぱ、目鼻立ちのはっきりした美人でしたね。あんなに美しい人がいるで

  • 流れ星になった藤圭子のブルース「圭子の夢は夜ひらく」(完)佐藤剛

    ぼくはその二枚のアルバムを購入して聴き込んだことで、自分のなかにあった洋楽偏重の意識から解放された。いつも通っていた居酒屋『桂川』の人気トップ5は、邦楽が藤圭子、内山田洋とクール・ファイブ、岡林信康、青江三奈、森進一の順だった。  洋楽はサイモン&ガ

  • 流れ星になった藤圭子のブルース「圭子の夢は夜ひらく」(1)佐藤剛

    流れ星になった藤圭子のブルース「圭子の夢は夜ひらく」 佐藤剛  1969年に起こった東大安田講堂事件の終息を境に、高度経済成長を続けてきた日本を閉塞感が襲います。それは、進化し続ける歌謡界に、1960年代半ばから起こったフォークブームが加わり、百花繚乱の様相

  • 〈卓上四季〉圭子の歌

    北海道新聞2023年8月23日<卓上四季>圭子の歌 日本人形のように愛らしい小柄な少女だった。それが歌い出すと、すごみのあるハスキーな声。驚くほどうまい。10代後半のデビュー直後からスターとなった。藤圭子さん。時代を画す女性歌手を歌姫と呼ぶなら、文句

  • 【重要】歌姫藤圭子、あるいはねずみの族(完)酒井隆史

    と、ここまでは助走であって、私が強調したいのは、歌姫ヨゼフィーネが、ねずみ族から見捨てられたようにみえるが、そうではなくねずみ族を見捨てたという一点である。われわれは彼女から見棄てられたのである、そうかんがえると、重い心はすこしだけ軽くなった。 「

  • 【重要】歌姫藤圭子、あるいはねずみの族(3)酒井隆史

    どういう話かというと、ねずみ族がまず出てくる。ねずみ族には歌姫ヨゼフィーネがいる。彼女は、たいして芸があるわけではなく、ねずみ族の「ちゅうちゅう」というふつうの鳴き声を繰り返しているだけのようにみえる。しかし、その鳴き声は族のねずみたちを惹きつけ、彼女

  • 【重要】歌姫藤圭子、あるいはねずみの族(2)酒井隆史

    彼女は、デビュー当初から、みずからの声が吞んでいるドスの抜身の見せ方が隠し方がめっぽううまく、リズムの微妙なズラしを通して-それは彼女の抜群のリズム感を示している-、ふとした不安、疲労、やるせなさやさびしさを表現することに異常に長けている。総じていえば

  • 【重要】歌姫藤圭子、あるいはねずみの旅(1)酒井隆史

    歌姫藤圭子、あるいはねずみの旅 酒井隆史  子供のころは藤圭子と藤純子の違いがよくわからず、少し成長してからも「圭子の夢は夜ひらく」を気が向いたときに口ずさんでいた程度の筆者が、藤圭子に突如熱中しだしたのは、十数年前に二枚組のLP『歌いつがれて25年

  • 瞽女(ごぜ)の娘(完)大石始

     輪島裕介さんの名著『創られた「日本の心」神話――「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書)には、50年代末、時代の波に押し出されるようにレコード歌手へ転向していった浪曲師のことが紹介されている。双葉百合子、村田英雄、三波春夫。  同書において

  • 瞽女(ごぜ)の娘(4)大石始

    本稿ではそのガセネタの大元を突き詰めることはしないが、水上勉の「はなれ瞽女おりん」(75年)や、同作を原作とする篠田正浩の同名映画(77年)に象徴的に描かれていたような瞽女の哀しみ、苦難を藤圭子の半生と重ねたくなったその人物の気持ちは分からないでもない。

  • 瞽女(ごぜ)の娘(3)大石始

    浪曲と浪花節は基本的に同じもので、浄瑠璃などと同じ語り物の一種。明治時代初期、説教節や祭文、阿呆陀羅経などが融合した浮かれ節が発展する形でそのスタイルが確立された。後に上方の芸人、浪花伊助がブレイクしたことから〈浪花節〉と呼ばれるようになったが、浪花節と

  • 瞽女(ごぜ)の娘(2)大石始

    71年に『演歌の星 藤圭子』(ルック社)という藤圭子の自伝が出ている。同時期にいくつか世に出た藤圭子の半生記同様、苦難に満ちた彼女のライフストーリーを強調しようとするあまりいくつかのエピソードが多少捏造されていそうな気配はあるものの、事実と思われる箇所を

  • 瞽女(ごぜ)の娘(1)大石始

    瞽女 (ごぜ)の娘 大石始  藤圭子の母は瞽女である――都市伝説めいたそんな話を耳にしたのはいつのことだったろうか。 藤圭子の母ということは、言うまでもなく宇多田ヒカルの祖母。日本歌謡界の大スターである母とその娘が中世から続く放浪芸の流れをくむ瞽女

  • 昭和の夜に咲いた花 YAMAOKA Kimiko

    昭和の夜に咲いた花。 YAMAOKA Kimiko 歌手の藤圭子の訃報に驚いている。藤圭子、と言ってもこのブログを読んでいる人たちはどのくらい知っているだろうか……宇多田ヒカルの母親ということのほうがわかりやすいかもしれない。 大学を学園紛争が荒れ狂うころ

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(完)

    幸運だったピンチ・ヒッター  中学の卒業式をあと一カ月後に控えていたころ、岩見沢で雪まつりショーが催されることになりました。ところが出るはずの新人歌手が、急に出られなくなりって、そのピンチ・ヒッターの役が、私に廻ってきました。その話はもともと、私をヒイ

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(8)

    湯治場で初の出演料 中学校二年のとき、弁論大会があって、私は「困難に打ち勝とう」という題で参加しましたら、それが優勝してしまいました。 そういうもっともらしい反面、お茶目なところもありました。授業中に漫画を描いては。友だちに廻して、いたずらをしたこと

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(7)

    小学校四年で歌手の道へ ところで、小学校時代の私は、どうだったかなぁ……って、考えてみます・どうもあまり目立たなかった存在のようです。先生にある問題を出されたとします。心の中では、答えよう答えようと思ってぐずぐずしている間に、ほかの人に答えられてしま

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(6)

    必死でとった父の給金 冬でした。どの年も冬という季節は、私たち一家に貧乏風がいつもより強く荒れまくる感じでした。とにかく左官の雇主から給金をもらわないと一家が餓死してしまいます。 そこで、母を先頭に、兄と私は、毎日のように雇主の家へ通い詰めて、「お金

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(5)

    他人のバクチ代に消えた両親の稼ぎ 私は小学校に入学する年頃になったとき、ふたたび旭川の知りあいの家にあずけられることになりました。その家にはすでに、博兄さんと冨美恵姉さんがあずけられていたのです。 しばらくして、この家が大へんなところだとわかりました

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(4)

    ひもじさの中で知った両親の愛 東北や北海道の冬の巡業はたしかにつらい思い出でした。零下二十八度もある留萌や旭川のしばれるような寒さ。雪で両親が巡業がなく、わずかばかりの馬レイショで夕飯をひもじい思いをしたこともあります。お金がなくて汽車に乗らずに半日も

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(3)

    幼な心に知った喜怒哀楽 父は私のことを「純ペ」と呼んでいたそうです。まだ生まれる前の母のお腹が、大変に大きかったので、「こりゃきっと男の子だろう」ということから、そんな男の子みたいな呼び方をしていたのです。 さて、母が私をおぶっていてはやはり、仕事に

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(2)

    汽車の中で陣痛を起こした母 私が母のお腹にいる頃はひどい貧乏で、母は大きなお腹を抱えながら、一日も休まず旅から旅の生活を続けていたそうです。その旅は、北海道を中心に、東北の田舎町から新潟と流れまわり、お祭りとか工事現場の飯場、養老院の慰安会などが稼ぎ

  • 藤圭子 自身を語る 私の十八年(1)

    私の十八年〈涙の記録〉 盲目の母とともに十五、十六、十七 と暗い人生をたどった灰色の青春譜 藤 圭子(歌手) しがない旅芸人の子と生れ 私は17になったばかりで、手記を書くといっても

  • 藤圭子の時代(完)上野昻志

    1969年初頭の東大安田講堂攻防戦は、テレビで二日間にわたって放映されたこともあり、一般的にも注目を集めたが、私の記憶に強く残っているのは、日付けがはっきりしないために、ここに挙げなかった広島大学のバリケードをめぐる攻防戦である。当時耳にした噂では、広

  • 藤圭子の時代(2)上野昻志

    ここで、クロニクル風に、1969年の表立った事件を挙げておこう。 1月2日 皇居の一般参賀で、ガラス越しに人々に手を振る天皇に向けて、奥崎謙三が「山崎、天皇を撃て!」と言いながらパチンコ玉を撃つ。1月3日 唐十郎率いる状況劇場が、開発中の新宿中央

  • 藤圭子の時代(1)上野昻志

    藤圭子の時代(1)上野昻志  あれは、新宿のゴールデン街だったか、それとも、いまは路地そのものが消えた緑苑街だったか、カウンターに7,8人も座れば一杯になりそうな小さな酒場で、ウイスキーのグラスを傾けているときに有線から流れてきたのが、あの歌だった。

  • 藤圭子のようになりたかった(完)渚ようこ

    ―どの曲が好きですか やっぱりヒットした曲は全部好き。「圭子の夢は夜ひらく」とか「命預けます」とか「新宿の女」とか「京都から博多まで」とか「女のブルース」とか皆好きだし、前川清さんの歌をカヴァーした「逢わずに愛して」。ライブ盤でも、「銀座カンカン娘」と

  • 藤圭子のようになりたかった(1)渚ようこ

    藤圭子のようになりたかった 渚 ようこ ―藤圭子さんの死を聞いて、どう思いましたか。 歌を歌う人って、すごく紙一重なところがあると思います。だから、そのぎりぎりの紙一重のところを超えてあちら側にいっちゃったんだなと思いました。ちょっとびっくりしたけ

  • 若い世代の藤圭子論

    最近、若い人たちの「藤圭子論」が目に付きます。二つほど紹介しておきます。若い世代の間で藤圭子さんへの関心が高まるのは嬉しいですね。よく見ていると思います。(1) 藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」迫真の歌唱で思わず涙が出てしまった【Room3の見れるラジオ】

  • ふたつの夢は夜ひらくは同じ景色を背負っていた(完)三上寛

    ―藤圭子さんについてはどうおもわれていましたか。 宇多田ヒカルが藤圭子の子どもだと知った時にね、声がそっくりだと思った。私の感覚だと、日本人は、あの藤圭子の声を消化できなかったんです。ずっと彼女の声を聴いていたはずだ。だから娘が出てきたんじゃないかって

  • ふたつの夢は夜ひらくは同じ景色を背負っていた(2)三上寛

    ―「圭子の夢は夜ひらく」を聞いた時、どう思いましたか。 インパクトがありました。「明日はジョージか、ケン坊か」という、あのフレーズがね、何かこころに残りました。たまたま、ケン坊とかタア坊とか、新宿に友達でいたんだよね(笑)。トミーもいたし、なんで昔はあ

  • ふたつの夢は夜ひらくは同じ景色を背負っていた(1)三上寛

    ふたつの夢は夜ひらくは同じ景色を背負っていた(1)三上寛 ―藤さんと直接お会いになったことは。 ないんですよ。ただ、一度だけすれちがったことがあります。すでに彼女はデビューしていて、田原総一朗が「ドキュメンタリー青春」をとっていて、藤さんのことを追

  • わが歌のある限り 藤圭子 (完)四方田犬彦

    わが歌のありかぎり 藤圭子(完) ここで、同時代に同じ曲を歌った人物を、一人挙げておこう。 梶芽衣子もまたこの曲を自己流に読み替え、『芽衣子の夢は夜ひらく』と題して歌った。梶は藤圭子より三歳ほど年長で、1960年代中頃に日活青春映画でデビューしたが、そ

  • わが歌のある限り 藤圭子 (4)四方田犬彦

    わが歌のある限り(4) 夜になると開いていく夢とはいったい何であるのか。性的な欲望なのか、真正の恋人なのか。あらゆる絶望にもめげずまだ壺の底に隠れ潜んでいるような、人生をめぐる期待なのか。 この歌は最後までそれを曖昧にしか語らず、聴く者に謎を仕掛けている

  • わが歌のある限り 藤圭子 (3)四方田犬彦

    わが歌のある限り 藤圭子(3) 『夢は夜ひらく』を最初に歌ったのは、藤圭子ではない。1966年に園まりと緑川アコが相次いでシングル盤を出し、とりわけ園まりのヴァージョンは評判を呼んで、本人が出演して映画化がなされている。そこで主題とされたていたのは、欲望

  • わが歌のある限り 藤圭子 (2)四方田犬彦

    わが歌のある限り 藤圭子(2) 『藤圭子 わが歌のある限り』(長谷一夫、松竹、1971年)は、こうした女性歌手出世物語の歌謡映画の日本版として、典型的なフィルムである。それまで藤圭子は、日活や東映の「スケ番もの」映画に本人として、また舞台で歌う歌手とし

  • わが歌のある限り 藤圭子 (1)四方田犬彦

    わが歌のある限り 藤圭子(1)四方田犬彦  藤圭子が精神を病み、成功した実の娘を横目で眺めながら破滅したと聞かされたとき、わたしが直感的に思ったことは二つのことだった。 ああ、そうか、日本のジュディ・ガーランドとは、よく言われるように美空ひばりでは

  • 藤圭子をきく/藤圭子をみる(2)相倉久人

    藤圭子をみる 同じこの欄で藤圭子のことを書いたのはついこのあいだのような気がしていたが、調べてみるともう五か月になる。五か月といえば、歌謡曲の世界では一時期だ。藤圭子はそのときすでに売れまくっていたが、レコードは二枚目のシングル盤がやっと出たばかりの

  • 藤圭子をきく/藤圭子をみる(1)相倉久人

    藤圭子をきく 自分では躁鬱病ではないかと疑っているのだが三月ごとに判で捺したように巡ってくる好不調の波の、今はちょうど鬱状態からの脱出期にあたっていて、そういえば、最後に文章らしい文章を書いたのは、たしか去年(1969年)の11月だった。それ以来一行の文

  • 藤圭子 ゆかりの「新宿」を歩く デビューも最期も「因縁の地」鈴木琢磨

    藤圭子 ゆかりの「新宿」を歩く デビューも最期も「因縁の地」鈴木琢磨  藤圭子のことが気になっている。高度成長の真っただ中、「新宿の女」でデビューした彼女が62歳で、その波乱の人生に自らピリオドを打ったのも新宿だった。なぜ? わかるわけなどないけれど

  • 滅びの演歌(6)後藤正治著「60年代の肖像」より

    60年安保で退陣した岸内閣のあとを受けた池田内閣は、「所得倍増」を掲げた。およそ不可能な目標に見えたが、十年後の1970年における国家公務員の初任給は三万六千円となっている。給料という指標でいえば倍増をはるかに超えた。「豊かな社会」の誕生は、左翼理論が

  • 滅びの演歌(5)後藤正治著「60年代の肖像」より

    大宅壮一文庫は、週刊誌。月刊誌記事のタイトルを取り出し、人名別に整理しているが、女性週刊誌を中心に藤圭子の記事は随分とある。(中略) スター歌手がスター歌手と結婚し、ハッピーな家庭を築く。結婚生活は短期間で破綻するが、もう「私の人生暗かった」といって

  • 滅びの演歌(4)後藤正治著「60年代の肖像」より

    『新宿の女』と〈藤圭子〉をつくりあげたのは、絞り切れば一人の男である。枠を広げても二人だったといっていい。石坂まさを、そして榎本襄である。 石坂が藤の売り出しに奔走しはじめたころ、レコード会社の若いディレクターが助っ人として現れた。RCAレコード(の

  • 滅びの演歌(3)後藤正治著「60年代の肖像」より

    『新宿の女』と〈藤圭子〉をつくりあげたのは、絞り切れば一人の男である。枠を広げても二人だったといっていい。石坂まさを、そして榎本襄である。 石坂が藤の売り出しに奔走しはじめたころ、レコード会社の若いディレクターが助っ人として現れた。RCAレコード(のち

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