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藤圭子を聴く、藤圭子を読む  https://czb00023hgoto.livedoor.blog/

このブログでは、藤圭子の歌と論評を紹介していきます。 最終的には、できるだけ詳しい彼女の履歴(年表)を作成したいと考えています。

藤圭子資料室
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2022/09/02

1件〜100件

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  • 追悼・藤圭子へ(完)久保隆

    【2】沢木耕太郎著『流星ひとつ』を読みながら、思ったこと。  亡くなった後、様々な新聞・雑誌の記事の中に、次のような文章があった。  「(ロックが歌いたかったという=引用者記)夢を求め、79年に芸能界を引退した藤圭子は単身、渡米する。そこでたまたま

  • 追悼・藤圭子へ(1)久保隆

    追悼・藤圭子へ 久保隆 【1】藤圭子の〈自死〉をめぐって 藤圭子が、〈自死〉して四ヶ月以上過ぎたことになる(8月22日)。もう、何年も前のことのように思えてくるから、不思議だ。こうして、時間をおいてみると、藤圭子の〈声〉や〈歌〉は、やはり、自分にとって

  • 時代を生ききった女性の輝き 梯久美子

     これは梯久美子が沢木耕太郎著「流星ひとつ」の新聞書評として書いたものである。梯は文庫版「流星ひとつ」の解説も書いており、そちらを読んでいただいた方がいいとは思うが、今回はこちらを紹介する。時代を生ききった女性の輝き 梯久美子 1979年秋、沢木耕太郎が、藤圭

  • 昭和の歌姫はなぜ「衝撃の最期」を選んだのか? 藤圭子さん旭川で過ごした少女時代の光と影(完)北海道経済

    念願の修学旅行が実現 5年生の2学期、大有小から神居小に転校した藤さんは、相川光康さん(61)のいる5年2組に編入。6年のときも同じクラスで、相川さんが級長、藤さんが副級長を務めたが、「学級会で僕が言葉に詰まったりすると、彼女が手助けしてくれた」と相川さん。 

  • 昭和の歌姫はなぜ「衝撃の最期」を選んだのか? 藤圭子さん旭川で過ごした少女時代の光と影(2)北海道経済

    7歳から流し 藤さんは1951年、岩手県一関市で地方まわりの浪曲歌手だった父、松平国二郎さん(本名・阿部壮)と、目が不自由な三味線奏者の母、竹山澄子さん(同・阿部澄子)との間に、巡業の途中、3人兄弟の末っ子として生まれた。 一家は、藤さんが生後間もなく渡

  • 藤圭子21歳

  • 「昭和の歌姫はなぜ「衝撃の最期」を選んだのか? 藤圭子さん旭川で過ごした少女時代の光と影(1)北海道経済

     北海道旭川市で発行されている「北海道経済」の2013年10月号に「昭和の歌姫はなぜ「衝撃の最期」を選んだのか? 藤圭子さん旭川で過ごした少女時代の光と影」という記事が掲載されている。この記事はNETにも一部が掲載されているので、読んだ方も多いのではない

  • 歌の行間から負の叫びをうたった天才(3)酒井政利

    ―酒井さんは優れた天才的な歌手の方をたくさんご覧になっていますが、藤さんに似たような方はいますか。 私が担当した中に、似たタイプはいないですね。しかし系譜としては、西田佐知子さんに似ていると思います。西田佐知子さんの「アカシアの雨がやむとき」をはじめと

  • 歌の行間から負の叫びをうたった天才(2)酒井政利

    -81年に「蛍火」をプロデュースされています。 デビューのころ、彼女はRCAでしたが私はコロンビアにいて、そのあとソニーに移りました。一緒に仕事をする出会いは、それからまた年月が経ってからです。彼女が引退宣言をして、海外へ渡ったんです。それから8カ月ぐ

  • 歌の行間から負の叫びをうたった天才(1)酒井政利

    歌の行間から負の叫びをうたった天才 酒井政利 ―藤圭子さんと出会ったのはいつですか。 デビュー直後です。石坂さんとはときどき一緒に仕事をしていましたから、彼を通じて彼女の動向を詳しく聞いていました。そのあとで石坂さんから紹介された彼女は、眉の濃い、

  • 目次

    ブログ「藤圭子を聴く、藤圭子を読む」藤圭子資料室 目次 [2022・4]藤圭子の歌100選(オリジナル曲50曲)〃        (カバー曲50曲)美空ひばりの珠玉名曲「みだれ髪」17名の歌手の歌い比べ藤圭子の詩・歌詞 お人形〃       

  • 藤圭子 小学生時代

  • 藤圭子 みだれ髪の謎(完)小田中裕次

     この歌からまた15年以上が過ぎた後、藤圭子は自ら命を絶ってしまった。藤圭子とおそらく同等以上の才能を持ち、同じような人生を歩んでいるかに見える宇多田ヒカルの歌と声からは、母親と同種の哀切さがいつも懐かしく聞こえて来るので、今となってはその歌声だけが慰めだ

  • 藤圭子 みだれ髪の謎(8)小田中裕次

     それから約15年後にこの「みだれ髪」を唄ったときの藤圭子は、プロの芸にまだ衰えはなく、おそらく唯一崇拝していた歌手、亡き美空ひばりへのオマージュという特別な感情を心中に抱いていたのと同時に、星野・船村コンビによるこの曲そのものに、歌手として心の底から共感

  • 藤圭子 みだれ髪の謎(7)小田中裕次

     そして、インタビューの前半では言い渋っていた少女時代の家庭生活、特に父親に関する凄絶な体験と記憶、よく見る夢の話などを読んでいるうちに、逃げ出したいと思い続けていた過去、封印したいと思っていた原体験が、無表情で「何も覚えていない(=忘れたい)」藤圭子の

  • 藤圭子 みだれ髪の謎(6)小田中裕次

     本の前半、少女時代から歌手になるまでの記憶のかなりの部分が、ある意味「飛んで」いて、その当時についていろいろ質問しても、藤は「覚えていない」を繰り返し、沢木を呆れさせている。歌についても「何も考えずに無心で歌っていた」と何度も言い、あの無表情なデビュー

  • 藤圭子 みだれ髪の謎(5)小田中裕次

     いったい藤圭子の「みだれ髪」にはどういう秘密があるのだろうか? なぜあれだけの歌が唄えるのだろうか? 私はジャズ好きで、美空ひばりや藤圭子の特別なファンというわけでもなかったので、えらそうなことは言えないが、ジャンルに関係なく、少なくともこの二人が歌い

  • 藤圭子 みだれ髪の謎(4)小田中裕次

    哀しい女の心情を切々と謳い上げる美空ひばりは、星野・船村コンビの世界をある意味忠実に、古風に、美しく表現しているのだと思う。それに対して、べたつかない乾いた抒情を感じさせながら、しかし心の底の寂寥と哀切を絞り出すように唄う藤圭子は、まったく別の、救いのな

  • 藤圭子 みだれ髪の謎(3)小田中裕次

     番組の構成がそういう前提だったのかもしれないが、まず驚いたのは、この番組で藤が美空ひばりの曲を選んでいることだった。昔のカバー・バージョンが入った藤のCDを調べたが、美空ひばりの曲は見つからなかったので、それだけで珍しい。これも番組の設定なのだろうが、司

  • 藤圭子 みだれ髪の謎(2)小田中裕次

     年末の船村徹の追悼番組で、東京ドームの『不死鳥コンサート』(1988年)で美空ひばりが唄う「みだれ髪」(星野哲郎・作詞、船村徹・作曲)を聴いて改めて感動したのだが、他の歌手も同曲をカバーしているのがわかったので、YouTubeであれこれ比べて聞いていたときに見つけ

  • 藤圭子 みだれ髪の謎(1)小田中裕次

    藤圭子 みだれ髪の謎  天才的な音楽アーティストというのは、常人には理解不能な面があるものだが、当然ながら本人に尋ねたところでそのわけが明らかになることはない。特に、普通に会話していると、まったく常人と変わらないごく普通の人なのに、いざ演奏なり、歌うこ

  • 藤圭子 ガラス細工の冷たさ(完)新藤謙

     この歌の曲のほうは、その前に園まりや緑川アコが歌った『夢は夜ひらく』と同じものである。ただ歌詞が替えられているにすぎない。が、歌詞のちがいは、同時に園まりと藤圭子のキャラクターのちがいにつながっていた。 雨が降るから 逢えないの 来ないあなたは 野

  • 藤圭子 ガラス細工の冷たさ(2)新藤謙

    にほんブログ村  十五、十六、十七と 私の人生暗かった あの『圭子の夢は夜ひらく』をヒットさせ、藤圭子を演歌の星としてスターダムに乗せるためには、プロダクションやレコード会社にとって、そういう創作が必要だったのである。なぜなら、不幸を歌う流行歌にと

  • 藤圭子 ガラス細工の冷たさ(1)新藤謙

    にほんブログ村日本の流行歌手 東海林太郎からピンクレディまで 新藤謙著 1979年4月15日発行 より簡単な解説 新藤謙は大衆芸能論の分野でなかなかいい仕事をした人だが、彼の藤圭子論はいただけない。誤っているといっても間違いではないと思うが、当時、藤圭

  • パリからの演歌熱愛書簡(5)吉田進

    絶妙な間と自在な独白 藤圭子の仕事でほかにぜひ注目しておきたいのは、78年2月のNHKビッグ・ショーのライブ盤に収められている《聞いて下さい私の人世》(作詞作曲・六本木哲、補作詞・岡千秋)で聞くことのできる、間の取り方のうまさである。  根性 根性ひ

  • パリからの演歌熱愛書簡(4)吉田進

    にほんブログ村  男に捨てられて 見栄もなく 夜更けの酒場で 女が泣いている死ぬことすらも 出来ないくせに生きていくのが つかれたと真赤なネオンに ふてくされ 涙枯らして   お酒にすがる そこにそこに  そこにいるのは ただ生きてるだけの 

  • パリからの演歌熱愛書簡(3)吉田進

    にほんブログ村

  • パリからの演歌熱愛書簡(2)吉田進

    にほんブログ村非常にナイーヴな人間の歌声 昨年の十月、僕はとてもつらい思いをした。 藤圭子の引退を告げる、日本から送られてきた新聞記事を手にして、まさか、とわが目を疑った。 それはちょうど、愛しあっていると信じていた女に、「もうあなたを愛せないの」

  • パリからの演歌熱愛書簡(1)吉田進 

    にほんブログ村パリからの演歌熱愛書簡 吉田進 1995年11月20日初版発行 藤圭子 演歌の女王 演歌という言葉が明治生まれであることは、「演歌とはなにか」の中に書いたが、本来の意味を失ったこの語は、時と共に次第に一般の口には、あまりのぼらなくな

  • 『藤圭子劇場』スペシャルインタビュー(完)榎本襄

    凄まじいヒットの“瞬間風速”のなか 18歳の藤圭子と腹を割って話ができる人がいなかった。―― 1970年のオリコンアルバムランキングは、藤さんの作品がほぼ一年間1位を独占という人気ぶりでしたが、あの時ご本人的にはもっともっと売れたいという気持ちが強かったのか、

  • 『藤圭子劇場』スペシャルインタビュー(3)榎本襄

    「圭子の夢は夜ひらく」はインパクトがあり過ぎるからサード・シングルにしたんです。―― その中から「新宿の女」をデビュー曲に選んだ理由を教えて下さい。榎本  この子に何をすべきかという事を、デミング博士の “魚の骨理論”を取り入れ、ます魚の背骨を書き、頭

  • 『藤圭子劇場』スペシャルインタビュー(2)榎本襄

    ―― 榎本さんのレコードマンとしてのアンテナが反応したんですね。榎本  当時僕は新米ディレクターで、まだ担当歌手がいませんでした。先輩からは「担当する歌手を抱えていないやつは、誰でもよく見えるものだ」と言われました。『藤圭子劇場』のブックレットの中でも

  • 『藤圭子劇場』スペシャルインタビュー(1)榎本襄

    にほんブログ村『藤圭子劇場』スペシャルインタビュー 榎本襄(音楽プロデューサー)「あの歌声を初めて聴いたのは彼女がまだ17歳の時でした」――。藤圭子の鮮烈デビューから引退までの10年間担当だった元RCAディレクター榎本襄氏だから語れる、もうひとつの“藤圭子劇

  • 『藤圭子劇場』担当ディレクターインタヴュー(完)尾形靖博

    ―― 今回のジャケットの写真もインパクトがあります。尾形  写真を選ぶのってものすごく大変で、でも私は写真を選ぶのだけは自信があります(笑)。今回のジャケット写真も絶対これしかないと思っていましたし、表4も客席から花束を受け取っている写真しかないと思ってい

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