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  • 自炊

    半年ぐらい前から、生協の宅配弁当のおかずのみを月~金の週5回頼みだしたので、自炊回数も減り、ちくわも食べなくなっています。写真の1食分が800円弱です、やや年寄り向きに作ってると思いますが、飽きが来ない味付けなので、二人で分けて食べてます。(最近はほぼ私が独占)私のブログを読んでてくれてる素敵な看護婦さんから「最近自炊話がないですね」と言われたので、昼食に肉玉子うどんを作ってみました。作ったと言っても、冷凍うどんをヒガシマルうどんスープで味付けし、それに200ℊ980円のサービスこま切れ肉(奈留島では一番上等な肉でも100ℊ500円だったのに)100ℊと玉子2個を(1年かけてやっとなくなりかけてきた)創味のつゆに砂糖をたくさん加えて炒めた(煮た)トッピングに、写真の為に海苔まで添えました。でも色合い地味で...自炊

  • 衆議院選挙

    今日は衆議院選挙投票日、朝食食べてボーっとしていたら思い出したので、家内に「選挙に行ってくると」言ったら、「私は?」と返事するので、「留守番してて」とお願いして、電動自転車で投票場の松ヶ崎小学校まで行きました。往復15分ぐらいなら、家内をほって行けてます。奈留島では全国など大きい選挙は土曜日が投票日で、投票箱を写すのさえ「どうぞどうぞ」と言われてましたが、ここでは投票所内部撮影は禁止です。7時過ぎだったのですが、並ぶほどでもないですが老人中心にまずまずの出足です。結婚してからは、必ず選挙投票をしてきましたが、一人で行くのは初めてだと思います。帰り道に氏神様の新宮神社を下から参拝、もちろん家内の健康を祈りましたが、ついでに天皇賞必勝も祈っておきました。お賽銭もあげずのお詣りだったので、天皇賞はホウオウビスケ...衆議院選挙

  • 番外編高瀬川6.

    京都市立芸術大学構内や東海道本線のガードをくぐって流れてきた高瀬川は、この辺りではコンクリートの土手に囲まれて、単なる水路の感じになっていますので、木屋町あたりの高瀬川とは別物でした。十条が近づくと、水路の除草作業をしてますが、水は少し流れています。何と言っても運河ですから、調整は可能なんでしょうね。高瀬川の最後は水は流れてませんが、鴨川に接して大きな貯水場としての、コンクリートのプールのような溜まり場になっていました。手前の4本の棒のような、水門から鴨川に水は戻っていくようです。水門を管理する建物が、鴨川河川敷に建っていました。昔の高瀬川は、ここで鴨川を横切って(どの様にして運河と鴨川が交差してるのかどうしても理解できませんが)、更に伏見まで流れていくようです。横切った高瀬川ですが、今は全く違う水と少し...番外編高瀬川6.

  • 時代祭り

    昨日10月22日、京都では時代祭りが有りました。2年前は二人で御所で少し見てたはずですが・・・・。今年は仕事から帰る車の中から、ほんの少しだけ見物出来ました。旗が「和」と読めますので、たぶん和宮降嫁の行列だと思います。時代祭り行列が三条京阪を東西に横切るので、川端通りを北上して帰る私はもろに影響を受け、四条通手前から少しずつ動いて30分近く、最後に止まらせられた場所からフロントガラス越しにズームで撮りました。牛車も通り過ぎていきますが、たぶん江戸時代の行列になると思います。待たされても家内がデイサービスから帰るまでには家に帰れましたし、もう今は待たされることに平気になっています。私が通り過ぎるのを待ってるのが、走り出した車からちらっと見ると織田信長上洛の列の様でした。小学校の時は、学校の前の烏丸通に座って...時代祭り

  • 番外編高瀬川5.

    五条通の手前で暗渠になった高瀬川は、数mまで鴨川に近づいて、写真の五条通の下を流れていきます。写真中央を高瀬川は流れているのですが、ビル一つ左はもう鴨川です。五条通より下流の高瀬川を、私は全く知らないのですが、この辺りの高瀬川の再整備には、金のない京都市に替わって、近くに本社のある花札屋さんから世界企業になった、任天堂の社長さんの寄付が使われているそうですので、新しい石垣になってる所も多いです。七條通をくぐる高瀬川は、再整備工事中もあってか、水がなくなっていました。古い七條橋の欄干も有りました。新しそうな塩小路小橋をくぐって、更に高瀬川は流れて行ってますが、この辺りは京都駅周辺再開発が行われています。遠くに京都タワーも見えてきました。ここで高瀬川は奥のビルの手前でほぼ直角に左折し、移転してきた京都市立芸術...番外編高瀬川5.

  • 季節は巡り

    季節は巡って、また新型コロナ予防接種です。今回からは第一三共の国産ワクチン「ダイチロナ」を打ちます。今月17日から始まりましたが、コロナワクチンは今回のも接種時の痛みは少ないので、嫌がられる前に打ち終われます。この日の最後に私も打ってもらいましたが、注射時の痛みは有りませんでした。新しいワクチンなので、本当の効果がどうなのか、副作用がどうなのか、私は何も知らずに打ってます。写真の接種済証も貰いましたが、今回からはややちゃちなものになってましたし、もうこれを使って旅行することもないでしょう。今まで無料でしたが、今回からは有料、私は75歳以上なので2000円で済みました。若い人は注射料が高いのと、結構副作用がきつく出る人もいるので、あまり打たないでしょうね。24時間たって、注射部位が少し腫れて、痛痒いので、あ...季節は巡り

  • 番外編高瀬川4.

    旧立誠小学校の横には高瀬舟の模型が飾られていました。森鴎外の「高瀬舟」は大昔に読んだのではっきり覚えていませんが、まあ自殺ほう助の話だったと思いますし、当時はちょっとショックだった記憶が有ります。私は高瀬川を航行する舟だから高瀬舟と思ってましたが、川を走る目的で作られた船底の浅い川船を高瀬舟と言っていて、その船が走る川だから高瀬川の名が付いたようで、私の思いと真実は逆でした。高瀬舟は長さ13ⅿ・幅2ⅿぐらいなので、高瀬川内ですれ違ったり追い抜いたりは出来そうですが、Uターンは無理ですね。盛時は百数十艘の高瀬舟が運航していて、700人いた岸から綱で船を引っ張るひきこが、この絵のように引っ張ってたようです。この絵で見ると、橋も高く上げて作られてたようで、私の心配は杞憂に終わりました。(恥ずかしながら杞憂を76...番外編高瀬川4.

  • 番外編高瀬川3.

    三条と四条の間の高瀬川沿いに建つ立誠小学校(リッセイ)には、私の幼稚園や高校の同級生も通っていましたが、その跡地は今はホテルや展覧会場になっています。その玄関に、高瀬川開削375年記念と言う、ちょっと中途半端な375年ですが、大きなクワを持つ角倉了以の胸像が有りました。1895年にリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明、これを持ち帰った稲畑勝太郎(1862~1949)が、ここ旧立誠小学校跡地辺りで1897(明治30)年に日本初の映画試写をしたので、ここが日本映画発祥の地らしいです。ここには「立誠シネマ」と言うミニシアターも有りました。島から帰ってすぐぐらいに、ここで孫が監督の「蔦監督」の映画を観ています。家内が徳島県人と言うこともあってか、打って打って打ちまくる当時の徳島池田高校や大分の日田林工のファンで...番外編高瀬川3.

  • 番外編高瀬川2.

    二条・伏見間距離約11㎞、川幅平均約8ⅿ(今は8ⅿはない感じです)の人口運河高瀬川は、ここから始まるのですが、荷物の上げ下ろしや舟の方向転換のための船入りが、四条までに9カ所設置されていました。この奥の入江が、唯一残ってる一之舩入(イチノフナイリ)です。下流(南)に向かって進みますが、すぐの対岸にこの前紹介した佐久間象山翁と大村益次郎卿の遭難碑が有ります。御池の橋に立って、向こうから流れてくる高瀬川を見てますが、左の建物、今は全く新しい建物ですが、昔はここに外科病院のビルが有りました。私がここで当直してた夜に、病室の窓から身を投げた患者さんがいて、ビルと高瀬川の間の狭い植え込みの中から、当直看護婦さんと一緒にその患者さん(もう死体)を、背負うように運んだことが有ります。もう死んでいたので、警官から移動させ...番外編高瀬川2.

  • 番外編高瀬川1.

    高瀬川、せっかくなので番外編で高瀬川をたどることにします。高瀬川は人工の運河ですので、その取水口はどこにあるのかと思ったら、出町に架かる賀茂大橋の下流に、赤い彼岸花がある横に二つのゴミを止める柵がある、写真のこれらしいですね。しかしここはなんと私が大学時代にラグビーの練習でドタドタバタバタ走っていた、鴨川河川敷の大学グランドのある場所でした。(木は60年近くで大きくなりましたね)灯台下暗しと言うか、何も考えずに暮らしていた青春時代です。取水口から流れた水は、みそそぎ川(みそぎ川)として、鴨川河川敷の暗渠を流れて、ここ丸太町橋の下流で地上に出てきて、鴨川右岸を鴨川と並行して流れます。よく見ると「みそそぎ川」と書いてありますね。地上に出たみそそぎ川から川端二条の少し下流で、水を取って高瀬川は始まりますが、残り...番外編高瀬川1.

  • 秋が来たかな

    雨上がりの朝、窓から外を見て、今年初めて彼岸花が咲いてることに気が付きました。でももうその日は10月4日ですよ。今朝(10月6日)は寒くてか尿意でか、どちらか分かりませんが早くに起きてしまいました。彼岸花が咲いて、いよいよ秋ですが、もうお彼岸から2週間もたっていますね。桜は前線に沿って、青森の桜なんかはゴールデンウイークが見頃なほど、日本全国桜の開花日は違うのに、彼岸花は全国どこでもお彼岸に咲く気がしてましたが、今年は暑さのせいかもしれませんが、彼岸花さえ狂ってきたようで、どうなるんですかね。でも彼岸花が咲いたら秋ですね。長く秋が続いてくれたらいいのですが。ちょうど10年前2014年9月23日、日本の西の端福江島三井楽の万葉公園の彼岸花はちゃんと満開でした。隣に写ってる家内は、10年経って胸も太ももも半分...秋が来たかな

  • 東海道5.

    高瀬川に架かる三条小橋の東南には、前回の地図で寺と記した瑞泉寺(ズイセンジ)が有ります。豊臣秀吉の甥関白秀次一族の菩提を弔うために、高瀬川を開削した角倉了以(スミニクラリョウイ)がこの地に建立したお寺です。1595(文禄4)年7月に、謀反の疑いで高野山で自害させられた秀次ですが、その一族は8月には、まだ鴨川の河原であったここで、幼児や妻妾(サイショウ)39人が死刑に処せられました。境内には、秀次を中心に一族の供養塔が並んでいました。秀吉は明るく気さくで、ややずるがしこいとこは有りますが、歴史の中でも人気キャラですが、晩年の老害はかなりひどく、この件の陰惨さも、狂ってしまった権力者の末路を見るようで、みじめですね。まあ平凡人のなんの権力もなさそうな私ですが、規模は小さくても老害になるようなことはしないう...東海道5.

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