2007年5月31日から本格的に始めた私のブログ、1回目は五島列島奈留島の私のプライベート海岸?のこの写真で「島の医者になって」です。10年前には島から京都に戻り、ブログ名も「島の医者のなって、た頃もあった」に変更して続けてました。3年前の2022年春にはTeacupブログが閉鎖されて、何とか今のgooブログに移転出来て、今までの内容も少々文字化けしてはいますが保存されてきてます。gooブログで今までのアクセス数50ぐらいが150ぐらいになって、新しいgooブログの皆さんのブログも読めるようになって、楽しんでいた所にこの連絡です。18年間で生活の一部になってしまった、ブログを書いたり読んだりすることを、今更やめるわけには行かないので、続けようとは思っています。どこに移転するか、まあ花水木さんやToiten...gooブログ終了の通知
又小川さんの地図ですが、いよいよ青線の東海道は逢坂山に差しかかります。月心寺を過ぎてすぐ、昭和初期までは子孫が住んでいたと言う民家の前に、大津算盤の始祖片岡庄兵衛の碑が有りました。1612(慶長17)年に庄兵衛が明国から長崎に渡来した算盤を参考に製造した大津算盤、この辺りに店を構え幕府御用達にもなって「そろばんと言えば大津、大津と言えばそろばん」とまで言われるようになりました。東海道を行きかう旅人はここ逢坂山辺りで、大津算盤・大津針・大津絵・走井餅をお土産にするそうです。秀吉が播磨の三木城攻めの時に、隣の小野の住民は大津に避難したそうです。その後ここで大津算盤の製造を学び、後日小野に技術を持ち帰ってそろばんを作り始めました。大津算盤はすたれましたが、小野の播州そろばんは生産高の8割を占めて、雲州(島根県)...東海道30.
京都の桜は、そろそろ終わりますが、我が家のこの桜はもうじき満開。ところがこの桜、花水木さんから「桃なんでは」と指摘されました。ええっつ!犬だと思って飼っていたのが猫だった、の気分です。GOOGLEで写真を撮って検索しても、「サトザクラ・かんざん」と出ましたが、もう一度すると「さくらもも」とも出ます。どっちなんでしょうか?まあ桜と騙されていたとしても、長年見てきた我が家の庭に咲いたものですから、今後も愛おしみますが。今はもう私を愛してるとは言わなくなった家内を、私は愛おしんでいますので、そう言うことには慣れてる人生です。愛おしい4番目の孫が、この春は小学校に入学しましたので、昨日は入学式を立派に果たしたそうです。嫁ぎ先からのお祝いの赤飯を、娘と孫が持って来てくれました。京都へ戻ってきた時に小学校に入学した上...入学
西の山に夕日が沈むのも6時過ぎてからになってきました。そろそろこの西日が嫌になる季節が来るのでしょうね。昨日の診療所中庭の枝垂れ桜はほぼ満開、そしたら隣の柳の緑がやや薄れてきました。施設の玄関のソメイヨシノは、昼頃は落花盛ん、明日木曜日の出勤時にはまだもってると思いますが、来週の出勤時にはもう葉桜ですかね。診療所の美人マスク看護婦さん3人が、門の前まで私を見送ってくれたのかと思って手を振って、写真をラインで送ったら、横の竹林にタケノコ掘りに行く途中だったらしいです。私はタケノコにも負けてます。この辺は明智光秀が討たれた明智藪もある、竹林が多い所です。帰りは鴨川沿いに北上する車通勤ですが、五条より南の桜はもう終わり、荒神口の信号停車中の車からの桜は満開、バックの建物は対岸の我が母校です。今日はいい天気、京都...4月も三分の一過ぎ
4月5日土曜日、特別に月2回だけ土曜日にも行かせてもらってるデイサービスに家内を送り、朝から街に出かけました。松ヶ崎疏水の桜は木曜日より綺麗になって、この数日が満開のよう。鴨川の土手を電動自転車で走りながら櫻見物です、出町辺りの桜は満開まであと数日か。自転車で走ると丁度良く、止まると少し寒いです。鴨川べりの高級ホテルの前には、人力車で桜見物に出かける金持ち外国人と思われる人々が並んで出発を待ってました。京都は外国人であふれてるようです。高瀬川沿いの桜は満開、所々の柳の新緑とよく合いますが、高瀬川の桜はなんか夜に店のネオンと共に見るほうが、高瀬川の桜っぽいですね。街に行ったのは、2ヶ月ぶりの麻雀の為。回数も少なくなって、麻雀よりは皆の安否確認の為の、おしゃべりの方が楽しい会になり下がっています。御所を抜けて...4月も5日過ぎ
昔「9月になれば」と言う明るい映画が有りましたが、いよいよ「4月になりました」。4月1日、仕事日ですが家内がデイから帰る前に、買い物に行きます。松ヶ崎疏水沿いの桜で一番早そうだったのがこの桜か、一部満開に近いです。鴛鴦と思いますが、夫婦で餌探し、上から見下ろしても逃げもしませんね。仕事場の中庭のいつもの枝垂れ桜はまだまだですので、来週火曜日の仕事の日ぐらいに満開の写真が撮れそうです。桜と新緑の柳は結構合いますね!小倉百人一首21番の素性法師(ソセイホウシ)の歌に、最近こんなのが有るのを知りました。見わたせば柳桜(ヤナギサクラ)をこきまぜてみやこぞ春の錦なりけり「こきまぜて」がなんか汚い言葉に聞こえるのは、私の教養のなさかもしれませんが、昔から桜と柳は似合ってたのですね。仕事場の京都老人ホーム玄関の桜はソ...4月になった
逢坂山まで登るだらだらした、名神高速道路と京阪電車京津線沿いの旧東海道(青線)の地図ですが、やはり小川さんの地図から借用しています。地図左下で名神高速道路をくぐり、逢坂山への上りにかかる地図○辺りからとった写真です。左の塀が名神高速道路の防音壁、この登りで車はよく数珠繋ぎになりぎます。少し上ると、道端に小さな道標。右一里丁左大谷町この右手少しに一里塚があったようです。端米山月心寺(ズイベイザンゲッシンジ)の塀に沿って、国道一号線沿いの旧東海道を上って行きます。現在月心寺は、橋本関雪(1883~1945)の所有した寺院・庭園及び併設の別邸一帯を指すようです。公開は予約制で、食事も出来るので、一時有名になっていた記憶が有ります。銀閣寺にも関雪の住んだ白砂村荘(ハクササンソウ)があって、大学時代は友人...東海道29.
介護で辛いのは、家内と日常の何気ない会話と意思疎通が出来なくなって、心が通じ合わなくなったような気がすることです。しかたがないので最近は、本棚から家内の買った本で面白そうなものを取り出して、読んでいます。ということで、今更ながらですが、私には初めての吉本ばななさんの「キッチン」を読みました。初版は1988年1月、彼女が買ったのは約1年後の1989年4月の第31刷1030円です。やはりベストセラーだったんですね。「キッチン」・「満月-キッチン」・「ムーンライト・シャドウ」の3作が入っています。40年近く前に20歳過ぎの少女が書いた本なのに、今でもすごい新鮮な文体で、3作共に死が全体を包んでいるのに、暗くはなく、一気に読んでしまいました。50年以上前に20歳過ぎの私には、その頃到底考えられなかった内容です。家...キッチン
春はあけぼの・・・・、ですが。一昨日の朝雨上がり、もう朝6時はあけぼのは終わって朝でした。5日前には一つだけ花が開いていた、我が家の庭のシデコブシ?。暖かくなり、昨日はもう満開で沢山花をつけてたので、二つだけ切って椿に変えて部屋に飾り、部屋にも春を呼び込みました。昨日土曜日は家内がデイサービスに行ったので何かできるはずでしたが、のんびりボーっと午前中を過ごしてしまったので、午後から近くの買い物だけ。松ヶ崎疏水の桜はこの1本が咲き始めていただけ、この木曜日の買い物ぐらいには満開かも知れませんが、今朝はまた寒かったので、来週末が見頃かもしれません。少し切られてしまいましたが、近所の家の桜は今年も満開まじかです。我が家の遅咲き桜は、まだつぼみ膨らむ程度、土曜日の競馬はまた全敗、阪神はしっかりした勝ち方で開幕2連...続春が来た
前回数独の解答はまだコメントされていませんが、東海道先を急ぎます。数独解けた時はいつでもコメントください、このままではもやもやが晴れません。又小川さんにお世話になる地図です。中央車道の展示が境内にあった閑栖寺を過ぎて、分かれ道の髭茶屋追分(ヒゲチャヤオイワケ)に来ています。少しピントがずれた写真で残念ですが、この皆さんも見慣れた(ブラタモリファンの方だけですが)場所、そう今年の正月のブラタモリ東海道57次の冒頭でタモリさんたち一行が来ていた髭茶屋追分です。右が東海道53次で京都へ、左へ行くと東海道57次で大阪への分かれ道です。そして京都府京都市山科区と滋賀県大津市の境です。以前も佐賀県に行った時に書いたと思いますが、昔は県庁所在地同士が県境で接してるのはここだけだったんですが、今は佐賀と福岡・宮城と山形...東海道28.
前回掲載の最後の写真再掲ですが、横に数独を写し込んでいたので、コメンテーターさんの誰かが食いついてくれるかなと思いましたが、スルーされてしまいました。毎日新聞の朝刊夕刊に掲載されてる「毎日数独」、週に3~4回中級と上級編が掲載されるのですが、初めてこの問題が解けません、左端に2が入ったまでは良かったのですが、以後進まず。何か特別の解き方のテクニックが必要な問題なんでしょうか、最近は毎日閲覧数200を超えるようになった私のブログ、読者の皆さんぜひこの問題の解き方を教えて下さい。気になって、新しい数独に進めなくなっています。よろしくお願いいたします。数独
「春が来た」と思うと、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」の冒頭「春が2階から落ちてきた」をいつも思い出します。落ちたと言うなら、家内の介護ベットの下に布団を敷いて、人間センサーになって寝ている私の肩に、昨晩3時半ごろ家内がこけ落ちてきました「妻がベットから落ちて来た」です。本題からずれ始めたので本題に戻って、先週のお彼岸朝にはまだ大きな大きなボタン雪が降っていました。「妙」もあっと言う間に白くなっていましたが、すぐに溶けはしました。でもお彼岸過ぎたら、「春が来ました」狭い我が家の庭にも、椿以外に色彩が戻ってきて、こんな水仙もあることを知りました。40年ぐらい前に、友達家族と越前海岸に蟹を食いに行った時、道路の道端に咲く水仙をたくさん採った記憶が有ります(今ならアウトですかね)。まさかその時の水仙が咲いてるのではな...春が来た
この地図下の国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡り、さらに上(東)へ逢坂山を越えるべく進みます。何となく旧街道を思わせるような坂道を上って行くと、左手に鐘楼のような建物が見えてきました。この辺りの手前を横木町(ヨコギチョウ)と言うようですが、車石が敷き詰められる前、豊臣秀吉が大仏殿造営のための巨石を運搬する時に、丈夫な木を横に敷き詰めたので、この名が残ってるようです。立派な鐘楼付きの門のある浄土真宗大谷派放光山閑栖寺(カンセイジ)です。門前には東海道の石柱と車石も置いてあり、大津絵も飾ってありました。その境内には車道のある東海道が再現されていました。(こちらから奥へ行くのが京都方向です)今回の東海道編で、恥ずかしながら車石のことを初めて知って喜んだり感心もしましたので、ここで車石のおさらい;江戸幕府は街道...東海道27.
道端にあった旧東海道マップの如く、地図上方の山科駅前から赤線の旧東海道を四宮地蔵や三井寺観音道を紹介しながら、地図一番下の弥二さん喜多さん風の二人連れの所まで来ました。もうここは滋賀県です。マンホールの蓋も滋賀県ですが、この蓋ほぼ琵琶湖のことばかり、琵琶湖大橋・遊覧船・ヨット・瀬田レガッタ。今はない観覧車・琵琶湖噴水・花火、やはり滋賀県は琵琶湖だけやんと思わせますね。下の豚?信楽のタヌキでもなさそうですが?ここで国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡りますが、写真は陸橋の上から東を見ています。左へ行くと国道161号線や湖西道路で高島から敦賀へと通じる、昔の北国海道です。右へ行くと国道1号線、草津から米原へ、昔の東海道・中山道へ通じます。若い時に琵琶湖に泳ぎに行く時、ここはいつも渋滞していた気がしますが、今はまあ...東海道26.
先日の土曜日、家内は月に二回の土曜日デイサービスに行ったので、以前働いていた病院の外来看護婦さんに誘われてた昼食会に行きました。久しぶりの京都駅、久しぶりの街の雰囲気、人混みに酔う感じも有りますし、島に居た頃に都会に行った時に感じる気持ちと同じ感を思い出しました。20年前のことになるので、皆そこそこの年齢になったと言っても、20歳ぐらい若い看護婦さん達としゃべってると楽しくて、せっかく京都タワーが見える席だったのに、景色も観た記憶がなく、料理の写真も皆の写真も撮り忘れてしまいました。早く着いたので、この京都駅の大階段からを一枚ぐらい。会う前に行った伊勢丹内のトイレ。洗面所の蛇口が十字型?中央で手を洗った後、少し両手を広げると、横の枝棒から暖かいジェット空気が出てきて乾かしてくれました。初めての経験です、さ...懐かしい人々と
暖かくなってきたので、家内がデイサービスから帰ってくるのを、庭をブラブラしながら待っていました。庭と言っても猫の額か私の額かというぐらいの狭い我が家の庭ですが、その庭の奥の方にもう1本椿の木があるのに、初めて気づきました。私の背丈の2倍ぐらいには育った椿の木で、最近も切ってた記憶が有りますが、椿とは全く気付かず、我が家には前回報告の椿だけだと思っていました。どうして気づかなかったのか不思議ですが、たぶんこれが五島列島に居る時に「玉ノ浦」だと思って買った椿でしょうね。早速これも切って部屋の飾ります。「玉ノ浦」ではそもそも無かったのか、それとも我が家の土壌がこんなに薄ぼんやりした「玉ノ浦」にしたのか分かりませんが、まあこれはこれで長襦袢の様で綺麗ですね。そうです「長じゅばん」として新品種登録を個人的にしました...続我が家の椿
娯楽はWOWOW鑑賞に頼ってる今の私の生活、月に10本以上の映画をWOWOWで観ていますが、邦画は耳が悪くなってセリフが聞こえなくなってきてるので、洋画の字幕を読んでる方が楽です。最近は老夫婦や老人の映画に、わが身をかぶせて観てることが多いです。2021年作「すべてうまくいきますように」、しっかりしてるし外食も皆で出来るようなお爺さんが、自分の尊厳を守るために安楽死を望み、自国フランスではだめなので、わざわざスイスにまで行って、それをやり遂げた話ですが、今の私としては、この状態ではちょっとまだ安楽死は早いやろうと思いました。迷いながら父の希望に沿って行く娘さんを、あのソフィー・マルソー(名前だけは知っていて、少女のイメージ)が演じてました。2012年作「愛、アムール」、脳梗塞で突然倒れた妻を、夫が献身的に...WOWOWで映画三昧
小川さんから借用の地図、私には解りやすく重宝しています、ありがとう小川さん。名神高速道路の京都東インター付近で、国道1号線や湖西道路への分かれ道辺りを青線の旧東海道は走っていることが、一目瞭然です。大津へ向かう旧東海道から左に行く分かれ道に、大きな小関越(コセキゴエ)・三井寺観音道の道標が有りました。横には常夜灯もある立派な道標は、1822(文政5)年に定飛脚問屋京都江戸大阪三店が建立したものです。この道を行くと、京都から三井寺(園城寺オンジョウジ)へお詣りする近道でも有りますし、大阪~奈良から西近江に行く北国海道(西近江路)への近回りにもなります。この三叉路からはもう滋賀県です、ここには立派な縁台のある道晴茶屋(ドウハレチャヤ)もあったようです。普通の家の前に、車石の大きな看板が揚がってました。...東海道25.
前回から少し進むと山科廻地蔵に行き当たりますので、その辺りの拡大地図に番号を振って、順に紹介します。地図の印1です。左の石碑にある十禅寺はここを入って行きますが、右の電柱横の小さな石碑に人康親王(サネヤスシンノウ)墓とあるように、十禅寺の奥に前回紹介した人康親王の宮内庁治定の墓が有ります。もう山科は桜が咲いてるのかと思わないでください、この写真は天皇陵巡りで訪れた時の写真を使っています。2の山科(四宮・山科廻)地蔵のある六角堂です。山科地蔵は、小野篁(オノノタカムラ)(802~853)が1本の桜の大木から852年に造った6体の地蔵菩薩像のうちの1体です。最初は伏見六地蔵の大善寺(ダイゼンジ)にあったのですが、第77代後白河天皇(1127~1192)の願いにより、街道の出入り口六ケ所に1体ずつ分置され...東海道24.
山科駅前から旧東海道を東に向かっているのですが、今回は地図青線の諸羽神社と青✖の人康親王墓を天皇陵巡りのように紹介します。諸羽神社(モロハジンジャ)へは旧東海道沿いのこの鳥居をくぐり、京阪電車京津線の踏切を渡って行きます。天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に従った二神を祀っているので、両羽(モロハ)からその社名があるようです。境内が平安時代第54代仁明天皇(ニンミョウ)第4皇子人康親王(サネヤスシンノウ)(831~872)の山荘跡になっているので、今のこの辺りの地名四宮(シノミヤ)の由来になっています。境内には琵琶の名手だった人康親王がこの石に腰かけて琵琶を弾いたと言う「琵琶石」が有りました。ここは6年ほど前に天皇陵巡りで訪れていたのですが、その時も歩き疲れていましたが、さすがにこの石に腰か...東海道23.
先日の大津宿の取材には、京都市営地下鉄と京阪電車で行きました。京都市営地下鉄から御陵駅で京阪電車京津線に乗り換えますが、山科駅からは地上に出てきますので、先頭車両に乗っています。逢坂山のトンネルを越えて、61‰(パーミル;1000ⅿ進んで61m上がる勾配)という限界の倍ぐらいの坂を下ります。途中逢坂山手前の大谷駅は、日本の普通鉄道では日本一の急勾配(40‰)にある停留所ですので、急勾配の線路に合わせてホームも斜めになってますが、ホームの木のベンチの脚は、長さを変えて水平に座れる工夫がなされていました。(漫画みたいですが、納得しますね)前回の取材からの続きですので、終点前の上栄駅で下車です。上栄駅は無人駅ですので、「ICOCA」はどうするのか下車時に運転手さんに尋ねると、何も知らない爺さんに教えてくれたのが...京阪電車:京津線・石山坂本線
暖かさに誘い出されたのか、気分の落ち込みを克服するためか、「京都へ、京都から」の三条口から旧東海道の取材に、大津まで電車で行ってきました。大津宿近くの商店街が「100円商店街」のお祭りをしてたせいか、人が沢山出ています。明治29年創業の旧東海道沿いの鶴里堂(カクリドウ)買った100円の羊羹を、その場で食べて歩き出しました。昔比叡山から望んだ大津の里が、細長く弓形で、鶴が翼を広げて飛び立つ姿に似ていたので、鶴里堂と命名されたそうですが、羊羹は美味しかったですよ。大津祭は一度は観たいと思っていたお祭りですが、商店街を歩いていて、大津祭曳山展示館(150円)が有ったので入りましたが、入場者は私一人だけでした。実物の曳山も飾ってあって、綺麗な分かりやすい展示でした。粽も飾ってありましたし、大画面ビデオで祭の様子...大津まで
暖かくなってきたのに、今日はやけにブルーでした。家内の食が昨日今日とあまり進まないのと、認知症の程度が又一段階進んだ気がしてるのが、私の憂鬱の原因かもしれません。今日は近所のスーパーマーケットにも行かず、洗濯したり、ちょっと掃除をしたり、家内の本棚から取り出したのが、「四十九日のレシピ」伊吹有喜全く知りませんが女性作家です。ポプラ文庫も初めてですが、結局一気に読んでしまいました。再婚して四十年ほど連れ添った妻に急に先立たれ、前妻との一人娘も離婚しそうで帰ってきた話ですが、それほど悲しい話でも無かったので、読んでしまいました。この本を家内がどのように読んでいたのか、今ではもう分かりませんが、今や会話で共感できなくなった家内の気持ちを、家内の読んだ本で共感しようと考えてるのかもしれません。今回は日記風になって...四十九日のレシピ
先日の連休は京都も雪でしたし、昼にも降り続けた日は、庭の椿の木も薄っすらと白くなっていました。まあ「白い葉の椿」。五分ぐらいしか充電が持たなくなってしまっていたマキタの掃除機、まあそれぐらい短いほうが疲れずに飽きずに掃除できるので、良いかなあと思っていましたが、とうとう動かなくなりました。ダイソンとかシャークとかパナソニックとか、強力だがかなり高価な掃除機購入も考えましたが、高すぎるのとマキタの紙パックがたくさん残っていたのとで、また同じマキタの白い掃除機CL11SFDを、通販で1万円ちょっとで買いました。正解でした、安くて軽くてまずまず吸います「白い掃除機」テレビでYouTubeの古い曲を聴きながら暮らしてる私です。小椋佳作詞・井上陽水作曲の豪華な曲「白い一日」ですが、替え歌「渋い一日」で歌います。真っ...白い一日
五島では椿まつりが昨日から始まっていますが、我が家の椿まつりと言うか、庭に1本だけ椿の木が有ります。福江島の三井楽で買った苗を、京都の庭に植えたのだと思いますが、今は十分に背丈以上に育っています。2月初め、まだ蕾ばかりの枝を切って机に飾りましたが、すぐに開花した後はずっとこの状態で長持ちしてます。椿の花がこんなに長持ちするとは思わなかったので、今度はもう少し蕾の多い枝を切って、一緒にして飾りました(古いのは後ろ側に)。この椿は「やぶ椿」?、「侘助」?、どちらかだと思いますが、五島の幻の椿と言われてる「玉ノ浦」と思って買ったのかもしれませんが。たくさんの花がすぐに咲きましたが、大きく開花する花の種類ではないようです。切ってから2週間は経ちますが、まだまだ枯れてません。椿の花は花のまま落ちるので、武家の家では...我が家の椿
久賀島のブログでも紹介されていましたが、五島では第31回五島椿まつりが明日から始まります。もう31回ということは、我々は第10回ぐらいから参加していたことになりますね。椿まつりのいろんなツアーにも参加しましたし、その中で久賀島へのツアーにも2回ぐらい参加したと思います。あの頃はツアーに参加する島民は少なく(まあパリ市民がエッフェル塔に上らないみたいなものですね)、島内からは島に赴任してきてた教員家族や警察官家族ぐらいで、よく一緒になりました。ツアー料金は安すぎると心配したぐらいですし、お天気次第で良くも悪くもなるツアーですが、今からでもぜひ五島に行って下さい。この写真を取り込んだ、五島市公式ホームページにアクセスしてもらったら、詳細が分かると思います。今年は映画「孤独のグルメ」のロケ地を巡るツアーもあるよ...第31回五島椿まつり
今回からは家から大分遠くなるので、地下鉄で山科駅まで行き、そこから徒歩で青線の旧東海道を巡りました。✖印から出発です。山科駅から東に、三条の大通りから一筋北のこの道が旧東海道ですので、奥へと進みます。まだ京阪電車京津線が路面電車のように地上を走っていて、三条通が渋滞してる時には、旧東海道であったことも知らずに、この道に入って迂回して渋滞を抜けようと走り、結局より時間がかかった記憶もよみがえりました。歩き出してすぐに東海道大津札ノ辻まで一里半(6㎞ぐらい)の石柱を道端に見つけました。その後ろにはあの車石が置かれていましたが、この柱はまだ新しそうです。地図に赤点で示されてる、毘沙門尊天是ヨリ北江八町?の道標も有りました。毘沙門堂は天台宗門跡の一つで、創建は703(大宝3)年京都出雲路橋近くで、その頃は出雲寺と...東海道22.
山科駅付近の小川さんから借用の地図ですが、北の方水色の琵琶湖疏水は山際をくねくねと流れていますし、京都市営地下鉄東西線(破線)もここで大きく西へ曲がっています。JR東海道線と地下鉄路線から別れて地上に出てきた京阪電京津線が並行して走り、その南側の青線が旧東海道で、そのさらに南の白い道路が今の本線三条通です。山科までは、家内の電動ママチャリで走ってきましたが、山科駅前でこんな無料自転車空気入れを見つけたので、試してみました。空気の入り方はも一つでした。前回の五条別れ道標があった旧東海道ではなく、地図南側の三条通を進んで行くと京都薬科大学が有ります。京都薬科大学は薬学系私立大学では日本では二番目に古い大学で、その前身は京都の夷川通(エビスガワトオリ)に有ったそうで、近くの烏丸二条辺りは京都の薬問屋が集まっ...東海道21.
昨日の夕陽はなんか霞んでキノコ状でしたので、夜は雨の音がしてました。でも朝は晴れてきて暖かく、京都マラソンで家の前を走る走者を応援に出ましたが、もう先頭は走りすぎていて、写真は第3グループぐらいです。家の前は中間点より少し行った所ぐらい、折り返してきた先頭の二人は、23㎞あたりを淡々と走っていました。3時間のぺースメーカーが通り過ぎたぐらいなので、この人たちは3時間を切るのは無理なようですが、16000人の参加者の半分には入っていますし、結構速いです。島に居た60歳ぐらいの時は、私も島の駅伝レースにアンカーで出て、誰も抜かず誰にも抜かれずに3位でメダルを貰いましたが(成人の部参加は4チーム)、今はもう走る気は全くありませんね。京都マラソン2025
戦前に神戸のモロゾフが日本で初めてバレンタインデーにチョコレートを贈ろうと宣伝したと言う話も有りますが、日本でのバレンタインデーは、私が小学校の頃に始まったと言うのが一般的です。でも私の小中高の頃は、全くバレンタインデーのことは知らず、したがって先日の高校同窓生からチョコレートを貰ったこともなく育った私です。初めてもらったバレンタインチョコは、大学同級生の友達の彼女からですので、25歳ぐらいの時(1970年代)、付属の金づちで割って食べるチョコでした。その後30年間程は、バレンタインデーの流行と、女性に囲まれた職場であった為か、私にとってはトラック一杯とまではいきませんが、最盛期は両手両足で持てないほどのチョコを家に持ち帰って、子供たちに喜ばれていました。五島列島に行ってからも、それなりにはチョコを貰いま...バレンタインデー
60年近く前に卒業した堀川高校の同期生は13組の650人ほど、その同窓会に行ってきました。日曜日昼の会だったので、家内は臨時にデイサービスで預かってもらいました。参加者は80名ほど、ほとんどが76歳ですね。最近は幹事の方々が頑張っておられるので、毎年行われていますし、来年の日程も決まりました。まあ毎年なのでそれほどの感激は有りませんが、思わぬ人と繋がってることが分かったりして、2時間少しですがあっという間でした。先週の麻雀新年会に続いて2週連続で街へ出てしゃべりましたが、やっぱりこれはこれで楽しいですね。家内には悪いですが、社会にも目を向けて過ごして行きたいです。でも疲れますね。堀川高校同窓会
土曜日京都もやっと雪が積もりました。いつものベンチも、この日は寒そうに二人寄り添っていました。日曜日も雪、昨日の雪はもう融けていましたが、朝も少し吹雪いていました。「妙」も霞んでいますし、無音の世界です。雪の中、特別に家内はデイサービスに行き、雪も止んで晴れ間の出た頃、私は高校同窓会に出かけました。今朝、もう雪は有りません。沢山積もった所もあったようですが、これで今年の冬は終わりでしょうか?毎年2・26事件のあった2月26日は雪になった印象があるので、もう一回ぐらいですかね。しかし京都の底冷えも。今年はあまり感じません。二日続きの雪
最近は1日1000カロリー以上をコンスタントに食べてくれてる家内ですが、体重増加は頭打ちです。1年半ほど前の最初の退院から1日のカロリー摂取をノートに付けてますが、相変わらず読めない字です。一時は命の水となっていたクリミール、125㏄で200Kcal(タンパク質7.5g)有るので、今でもカロリー維持に飲んでもらってます。家の前にドラッグストアがあるので、クリミールやおむつ、それに院外処方の薬など買うのには便利です。朝は食パン90Kcalかスーパーのカツサンド120Kcalがメインですが、菓子パンは驚くほどの高カロリー食品ですので、食べてくれるとカロリー稼げます。巻き寿しか握りずしの安いのを(時には千円以上のも)、ほぼ毎日我が家の冷蔵庫である自転車1分のスーパーか3分の生協で買ってます。1貫45~70Kca...カロリー計算
麻雀ばかりしていて奥さんに迷惑をかけてる罪滅ぼしとして始まった、麻雀仲間の夫婦や子供同伴の新年会。コロナなどで数回の中止は有りましたが、今年でめでたく半世紀、50回目を迎えました。正会員13組中、男は遠い地方の東京からも来てくれて、全員の13人がそろいました。女性は、いつも楽しみにしてくれてた家内はデイサービスで留守番ですし、一人だけ亡くなった奥さんもいますが、7人が揃い全員で20人の宴会でした。会場は近くのホテルの日本料理ですが、幹事でしたのでお金の計算としゃべるほうに夢中になって、料理写真は全く撮れませんでした。奥さん孝行と言いながら、宴が終わると奥さんたちはコーヒーに、我々は50回記念新年会杯の麻雀です。幹事が競馬新聞も作るので、今年は私が本誌です。もう長い時間できない体に成ってしまった我々ですので...第50回麻雀新年会
今朝の新聞のスーパーの折り込み広告、恵方巻の宣伝が紙面を占めていました。結構なお値段の恵方巻も有りますね。一番親しくしていて、スキーやキャンプにも家族で行っていた息子の幼稚園時代のママ友夫婦が見舞いに来てくれました。上等な海鮮恵方巻のお土産持参ですが、これは高そうです。家内には小さく切って食べさしましたが、三人で久しぶりなのでしゃべり倒していたのに、食べる前も後も眠ったままでした。帰られてから、私は独り西南西を向いて恵方巻をかじりましたが、西南西の方向の窓の外には、くら寿司が見えてます。肝心の願い事をすることを忘れていたので、今日の競馬も全敗です。美味しく炊いた(息子はミシェラン星の店の料理人)黒豆と、この吉田神社の福豆も貰いましたので、夜になって窓をそっと開け、一人寂しく鬼にも福にも聞こえないぐらいの小...恵方巻
付近の案内板の地図ですが、北を上にする為に写真で上下を逆にしたため、文字が読みにくくなりましたが、赤線の旧東海道を左(西)から進んできて、今は天智天皇陵参道入り口の現在地辺りにいることになります。天智天皇陵参道入り口から少しだけ三条通を行き、JR東海道線の高架を潜り抜けて振り返った写真です。この信号から左の方へ(写真では右手)曲がり、三条通から再び旧東海道に戻って進みます。(走ってるのは敦賀駅までの特急になり下がったサンダーバードかなあ)以前もチーズケーキで紹介した、スイス菓子の店ローヌの特徴あるビルを見ながら、山科駅の方へ少しカーブもある旧東海道を進んで行きます。三叉路に五条別れ道標が立っていました。左八五条橋ひがしにし六条大佛今くまきよみず道右八三条通富士山が噴火した(宝永大噴火)1707(宝永4)年...東海道20.
山科(江戸側)側から京都へ向かう旧東海道(写真右側の民家の塀に旧東海道の看板)は、出だしは結構な急坂です。そこから少し登ると、前回紹介した亀の水不動尊に行き当たります。地図赤丸の亀の水不動尊から、右の赤丸日時計碑まで進むことになりますし、右下を通ってるのがJR東海道本線です。右上天智天皇陵をかすめる様に、琵琶湖疏水は作られたのですね。京阪電車京津線の線路跡に沿って出来たような公園の道を抜けると、天智天皇陵参道の前で再び現在の東海道の三条通に出てくることになります。今の三条通を行ってると、途中に京都市営地下鉄東西線の御陵駅(ミササギエキ)入り口が有るのですが、ここに琵琶湖疏水煉瓦工場跡の碑が立っていました。疏水工事の頃は、必要な煉瓦製造能力がどこにも無かったので、この辺にその為だけの工場を建て、明治19年...東海道19.
旧東海道も沿って日ノ岡峠道を進んでいくと、南側に光照寺への入り口がありました。石段を登っても、本堂は閉まっていて誰もいません。ガラス戸にカメラを近づけて撮影すると、カメラの当たった部分だけは外の反射が抑えられて、内部の本尊阿弥陀如来像らしきものが、カメラ後ろの私の顔に重なって、良いような怪しげなような写真になりました。近くにあった大乗寺は、昭和55年にこの地に移ってきたまだ新しいお寺ですが、30年前ぐらい前に寄贈された酔芙蓉の苗100本からさし木で育て、今では1500本にもなったので、酔芙蓉の寺として知られているそうです。酔芙蓉;9月から10月に、朝は純白午後からは薄い紅色、夕方から夜には紅色に変わる花の色の為に、酒飲みの顔色に似てると、この名が付いたそうです。旧東海道を山科の方へ下って行きます。(実際は...東海道18.
地図左端の青○、車石の展示してあった広場からすぐに右手、青線に沿って旧東海道が残されていますので、赤破線の現代の東海道三条通から離れて進みます。小川さんの地図は分かりやすいですね。分かれ道から旧東海道に入ると、まだ新しい旧東海道の石柱と案内板(旧東海道日ノ岡の峠道)が立っていました。木食正禅上人(モクジキショウゼンショウニン)が1734(享保19)年から1738(元文3)年にかけて、深くえぐられた峠の車道に土砂を入れて段差をなくしたり、峠の頂上を掘り下げて緩やかな勾配にするなど、改善工事をされたようです。大きな民家の軒先に、山科牧畜場牛乳搾取所明治24年認可京都府宇治郡山科町日岡などが書かれた看板を見つけました。こんな所で明治には乳牛が飼われていたのですね。横の牛乳瓶入れには、母校の京都府立大学病院御...東海道17.
今年のお年玉付き年賀はがきの抽選が終わりました。確率的には4~5枚の3等当たりがあっても良かったのですが、今年はツキがないのか、中高同級生の友達からのが1枚(65)当たっただけの惨敗です。島に居る時は2等が当たった経験もあるので、情けなくがっくりです。貴重な1枚で切手シートを早速貰ってきました。昨年なら63円+84円の147円のシートですが、今年は85円+110円で195円分なので、得したような気もしますがそうでもないか。毎年の恒例により、早速当たった年賀はがきの送り主に85円のはがきで礼状を書きましたので、実質のもうけは110円ですかね。まあでも、貴重な1枚の送り主T君ありがとう!!お年玉付き年賀はがき
北海道土産と言えば、「白い恋人」か「マルセイバターサンド」が有名ですが、以前もこの「菓子たくさん」で紹介した、私も大好きなマルセイバターサンドを作ってる六花亭の和菓子「ひとつ鍋」です。1個150円ぐらい。北海道の帯広に1933年に帯広千秋庵として開業した六花亭、今は洋菓子が主ですが、その創業当時からの和菓子としてあるのが「ひとつ鍋」。十勝開拓の祖依田勉三(ヨダベンゾウ)(1853~1925)翁が、開拓当時に詠んだ開墾の始めは豚とひとつ鍋に由来する和菓子です。鍋の形をした最中ですので、当然蓋を取ろうとしましたが、引っ付いていて開きませんでした。したがってガブッとかじるのですが、皮はパリパリで香ばしく、餡の中に小さなお餅が二つ入ってるのがみそでした。77.ひとつ鍋
毎日の楽しみと言えば、WOWOWを観ることと、ブログを書いたり読んだりするぐらいの生活です(競馬もあるか)。新聞は結婚以来毎日新聞を購読していますが(朝日新聞が何となく飽きてきて、読売新聞は絶対嫌ですので)、あまり中身を読まなくなりましたね。その中で、日々掲載されてる数独は、中級の時だけやる習慣が付いてしまいました。数独は完成すると、達成感よりむなしさの方が強く残りますが、毎日新聞日曜版には、難度が高い数独やクロスワードパズルも掲載されています。それほど難しくないクロスワードパズルですので、毎回なんとか完成してますので(時々人名など検索するズルはしてますが)、頭の体操にはなってる気はしてます。でももう少しなんか創造的な趣味も持たなくては、生きていく価値がないようですね。毎日新聞
日ノ岡峠を越えて下り坂の途中の道端に、旧舗石車石が飾ってありました。東海道に限らず江戸時代の街道は、車(荷車)の往来が禁止されていたんですが(徳川幕府は大量輸送を嫌ったようで、川にも橋をかけませんでしたし、荷車などで大量兵器や兵員が輸送されるのを嫌がったようです)、都に近い京都~大津間は例外で許可されていたようです。江戸時代後期には、東海道京都~大津間の峠道には、牛車が通るための車道(クルマミチ)として、花崗岩を敷き詰めた道が造られましたが、初めから溝が彫られていたわけではなく、長年の通行で自然に溝が出来たようです。輪形石と言われていましたが、昭和になってから車石(クルマイシ)と呼ぶようになったそうです。1車線しかない歩車分離道であったので、午前は京都から、午後は大津からの一方通行の車道だったようです。ち...東海道16.
小川さんの地図は綺麗でよくわかるので、また利用させてもらっています。青線の東海道はいよいよ難所と言われてた日ノ岡峠に差しかかりました。今は地下鉄東西線と同じ線路を通り、地下に潜った京阪電車京津線も、この東海道に沿って路面電車のように走っていたので(つい最近までです)、この峠を降りる時はキーキー言っていたような気がしてます。峠の九条山には、京津線の九条山駅も有りましたが、その付近にあったのが粟田口刑場です。今はこんな看板以外何もありませんが、この地で1万五千人の人が処刑されましたし、明智光秀の遺体もここにさらされたようです。このまま旧東海道とは違いますが、三条通を山科側に下って行くと左側に(滋賀に行く時に信号で止まるといつも見てます)、京津国道改良工事の紀念碑(昭和8年)が建っています。その土台の溝が入った...東海道15.
昨日は今季初めてうっすらと積雪あって、今日は大雪の予想でしたが、朝起きても雪はなし。でも8時ころから吹雪になって、あっという間にグランドは白くなりました。正月明けましたので、再び「京都へ、京都から」の東海道編に戻ります。久しぶりなので、前回の地図再掲しますが、今は三条大橋を出立して約1㎞ちょっと行った蹴上付近です。写真は、地図のインクラインの下をくぐるトンネル「●ねじりまんぽ」です。「まんぽ」はトンネルの意味の古い言葉らしいですが、私は使ったことありません。ねじりまんぽは内壁のレンガをらせんに積むと強度が増す方法(理屈はもひとつ理解不足)で作られたトンネルです。この写真の西口の扁額(ヘンガク)には、第3代京都府知事北垣国道の揮毫した雄観奇想(ユウカンキソウ)(見事な眺めと優れた考えの意)が掲げられていま...東海道14.
今年は奇跡の9連休と世間では言われていた正月休みも終わりましたね、私は11連休の正月休みだったんですが、家内のデイサービスは正月休みなく、火曜日・金曜日とデイに行ってくれたので、それに合わせて私も正月休みの火曜日・金曜日はちょっと仕事に行きました。ですからいつもと同じで、今年もこのように週休5日で少しだけ働くので、1年中正月と同じと言えば言えます。老々介護のこんな生活も、体力的には苦痛なく、慣れてしまえばこれも人生、この範囲で出来る楽しみをみつけて生きていこうと思っています。でも日常のくだらない会話や駆け引きが、家内と出来なくなった寂しさはありますね。最近はテレビでYouTubeを観ることを憶え、買ったワイアレスヘッドホーンを耳につけて懐かしい曲を聴きながら、パソコンに向かいながら歌ってます。それでは皆さ...あの素晴らしい時をもう一度
昨日は正月最後の日曜日、娘と孫が家内のお誕生祝いに来てくれました。毎年正月の集まりと一緒に家内の誕生祝もしてしまうのですが、今年は当直や緊急入院の家庭もあって、5人だけで祝いました。孫Ⅲ-2もメッセージが書けるようになっています。京都の洋菓子老舗バイカルの近所の店(本店?)が昨年11月に新装されてますが、久しぶりのバイカルのケーキは美味しかったです。小さめのホールケーキですが、家内が四分の一も食べてしまいました。皆が帰った後、録画していた今年初の競馬は、放送する3レースだけしか買わなかったですが、最初の中山10レース、9→10が来たら3着は後ろを走る7・8・1・6何でも良かったのですが、一番高めの7が来て、新春そうそう万馬券です。9→10→1・6・7・8と3連単を買っていたので、この写真を見て私の完璧さに...誕生日のおすそ分け
他人のブログの美味しそうなおせち料理を見てて、若い頃に早くに結婚した友達の正月に押しかけて徹麻した後の朝食、綺麗なおせちの中に人生で初めての「くわい」を食べたことを何故か思い出しました。今年の我が家のおせちは、勤務してる診療所の老人ホームキッチンのおせちで、1個たったの1500円を二つ買っていますが、くわいはなかったです。三が日で二人でやっと食べ終わりましたが、13種類のどれもが美味しい!!来年も是非これを買って食べたいものですね、と言うくらい便利で、丁度良いくらいの量で、美味しいですので、万円の付くおせちは不用でした。雑煮は作れないので無しで、お神酒も無しの我が家のお正月です。まあこのおせちだけで三が日を暮らしたわけではなく、ステーキを焼いたり、おかずを買ったりして過ごしましたが、昼はやっぱりうどんかラ...おせち料理
1月2日、箱根駅伝中央大学1区の快走を観てから、家内は正月も預かってくれるデイサービスに、私は何もすることはないので、少しだけ診療所の仕事に初出勤。帰り道は伏見稲荷の近くを通るので、やっぱり少し渋滞していました。帰ってから、食料品の買い物ついでに、氏神様の新宮神社に一人で初詣し、この破魔矢も貰ってきましたので、今年の色紙と共に玄関に飾りました。あそこまで行ってたら中央に往路優勝させたかったですが、渋滞中の車のテレビで聞いていた箱根駅伝はやっぱり青山学院が強かったですね。初詣から帰って観始めたラグビー大学選手権準決勝、産大が前半で大きく負けてたので、途中から観るのも止めてしまいました。自宅玄関には、年末に生協で買ったしめ飾りを飾っています。両面テープ付きの吊り具も付いていて便利です。年末に初めて玄関ドアを拭...お正月飾り
大晦日はテレビを観ずに(WOWOW録画は観ましたが)過ごしたので、突然元旦が来たような気がしてます。それに昨夜は私が2回、家内が1回しかトイレに起きなかったので、いつもより寝た気がしてるのも、突然感が増した原因かもしれません。元旦朝6時起床、それほど寒い朝ではないですが、京都の6時の窓の外はまだ暗いです。メールを読んだり、コメントの返事を書いたりして、7時過ぎに新聞を取りに出たら、ビルで隠れてますが初日の出は出たようですね。家内も起きたので、1回目の朝食は普通の日のように、残った巻きずしとサンドイッチです。家内と二人で迎えた50回目の元旦、確か1回目の正月は、当直明けで帰った私を着物姿で豪華おせちも作って迎えてくれた家内でしたが、今はまた服のまま眠りに戻っています。子供の時には元旦の新聞が年ごとに厚くなっ...元旦
なんかあっという間に大晦日です。退院して来た家内も、今日はデイサービスに行ってくれました。私も少し仕事をしに行って、帰ってから買い物も済ませて、デイから帰ってきた家内と年越しそばです。去年の大晦日の写真も、年越しそばのにしん蕎麦でした。京都ではまあ有名な南座近くの「やぐ羅」のにしんを買ってきて、越前そばで仕上げましたが、家内はあまり食べてくれませんでした。にしん蕎麦を好きなのは私だけですかね。この1年も早かったですが、1年前を思い出したらはるか昔のような気もします。来年もまた同じようなことをして、同じようなブログを書くのでしょうね。それでも秋からやけにアクセス回数が増えています。昨日なんかは600以上。アクセス解析を見てみると、夜中にまとまって100ぐらいアクセスされることが有るので、gooブログに質問す...大晦日
窓からベンチも、すっかり冬景色です。今年最後の競馬もダメで終わりましたが、今日は正月は仕事や旅行で忙しい子供や孫たちが来てくれるので、前倒しの正月です。テレビの声が聞こえにくくなってきたので、数年前にソニーお手元テレビスピカ―を買ってました(2万円ぐらいした気がします)。なかなか便利で、近くに置いて重宝してましたが、これでも日本語が聞きにくくなってきてましたし、あまり大きな音にすると家内が怒ります。今年のクリスマスプレゼントとして、近所の電気屋さんで、自分にワイヤレスヘッドホン(これは6000円)を贈りました。ブルートゥースBluetoothで繋がるのですが、説明書が簡単すぎて繋がり方が解らず困りましたが、何とか自力で出来たので、久しぶりの達成感が有りましたよ。ヘッドホンをつけたまま歩きまわれますし、トイ...難聴
1ケ月弱の入院生活から家内が無事に帰ってきて、3回目の新婚生活1日目が始まりました。今夜は一応めくるめく新婚初夜ですが、家内はもう寝てますので、そっとしておきます。家内入院中に娘や孫とお好み焼き屋行きました。私も一応関西人、粉もの好きですが、久しぶりで美味しかったお好み焼き、でもちょっとマヨネーズが多すぎ、いつからあんなにマヨネーズが幅を利かしだしたのですかね。それと鉄板上にアルミホイールに乗せて出されましたが、これは食べやすく、焦げ付かないので、なかなかのアイデアですね。(終わった鉄板の掃除も楽そう)一人の時は気ままに外食にも行けると思ってましたが、根性ないのか意外と外食していません。次男は2回ほど誘ってくれたので、久しぶりのユッケです。焼肉は昔は家族とも行きましたが、だいたいはママ友たちと子供達多人数...入院してた頃をもう思い出してます
本を読まなくなった原因は、WOWOWに加入した為かもしれません。WOWOW視聴料は、この月刊プログラムガイドが付いて月に2300円です。2021年1月に加入した頃は、家内と二人で仲良く観ていましたので、日本映画も多かったです。それ以来プログラムガイドから切り取って、観た映画をこまめにノートに張り付けています。映画以外も、私はW杯クラスのラグビー試合やLPGA女子ゴルフ、たまには歌手のステージや舞台も観てます。あまり観ませんが、NBAバスケットやテニスの国際試合やボクシング・サッカーも観れるので、お得な有料テレビとは思います。貼り付けてるだけで、その感想を書き入れてないのが欠点と言うか、自分らしいところです。中学生の頃から、観た映画を書き留めて、「スクリーン」や「映画の友」の古本を買ってきて、切った写真を張...WOWOWの宣伝かい!
昨日の朝ゴミ出しに表へ出たら、比叡山はうっすらと雪景色。今年もあと1週間ぐらい、いよいよ本格的な冬ですね。今日はクリスマスイブ、近くのカトリック系の小学校の校庭には、大きなクリスマスツリーが飾られていましたが、私の今年のイブは独りで寂しく過ごします。でも今日の面会でクリスマスプレゼントとして、家内の退院許可を貰いました。メリークリスマス!私はまあまあ本を好きな方で、読書量も人並み以上だと思いますし、主にハードボイルドか歴史物の本は沢山持っています。20年前に島に行ってからは、本を買うことが少なくなりましたが、歩いて1分かからない所にあった図書館で、借りたり読んだりの生活はしてました。京都に帰ってからは、昔ほどではないですが、本も買って読んだりしてましたが、この1年間の介護生活の間は全く本を1冊も読んでない...クリスマスイブ「
昨日は月に一度の麻雀で、つきだけで出来る役満である地和(チーホー)を上がりました。今日は年末の日曜日、年賀状はもうすべて出しましたが、忙しかったです。先ずは洗濯、シーツも洗いました。午前中は全国高等学校駅伝競走大会の女子、長野東が完全優勝をするのを観てから、ビデオを重なりながらも3番組録画設定。12時からは大学ラグビー選手権準々決勝の京都産大対大東文化大の試合を観戦しながら、高校駅伝の男子の部をチラチラ観ます。京都産大は前半だけで45-0と大東文化を粉砕してましたし、高校駅伝が折り返しの国際会館前で、30秒以上の差をつけられていた八千代松陰を佐久長聖が抜いたので、家内の面会に電動自転車で出発。帰って観たラグビーはまあ京都産大が準決勝に進出ですが、その後の天理大は明治大に惜敗したようです。病院の面会に行くた...年末の日曜日
小川さんの地図に戻ります。青線の東海道が日ノ岡峠にかかる蹴上でゆっくり右にカーブしていますが、ここで近くに赤線で示したインクラインの話をします。京都府3代目知事北垣国道(クタガキクニミチ)(1836~1910)・青年技師田邊朔郎(タナベサクロウ)(1861~1944)・測量技師嶋田道生(シマダドウセイ)(1844~1925)などによって、1885(明治18)年水車動力・水運・かんがい・精米水車などの多目的な効用をはかるために、琵琶湖疏水開削工事が着工されました。(東海道線大津~京都間は、少し遠回りですがすでに1880(明治13)年に開通していたのですがね)1890(明治23)年琵琶湖第1疏水は通水を開始しました。春の桜の季節には、ここをレンタル着物で歩く観光客であふれてるインクラインの写真ですが、...東海道13.
忘れてしまいそうな「京都へ、京都から」、今回はヤフーの地図に手書きを加えた、小川君の地図より劣る地図です。赤線の東海道(三条通)に沿って、三条大橋から都ホテル辺りまで進んできました。前回までに紹介した白川の流れは、一旦南禅寺船溜で琵琶湖疏水に合流して、その後再び別れて南に下り、東海道と白川橋で交差してることがよく解りますね(得意の自画自賛)。又琵琶湖疏水が岡崎で直角に逆方向の北に曲がってから、また直角に曲がって鴨川運河に流れていく不自然さは、直行すると民家の立ち退きが必要なので、これを避けるためだったと言うことを最近知りましたが、明治時代の方が市民に優しかったのかもしれません。迂回した疏水の夷川溜(エビスガワタマリ)にあった踏水会で、中学時代に水泳を習いやっと泳げるようになった私ですが、子供の時から、...東海道12.
久しぶりですが、忘れた頃に出没する「菓子たくさん」です。岡山県倉敷の名物、橘香堂(キッコウドウ)の元祖むらすゞめ150円です。明治初年頃は米粉で作る菓子がほとんどでしたが、その頃に小麦粉と卵を使用して作ったのが、このむらすゞめで、洋菓子のようなお菓子として注目を集めたようです。編み笠の形と稲穂の黄金色ヒントを得て作られた形と色が、群がる雀のようなので、むらすゞめと命名したそうです。今となっては驚きませんが、食べやすいお菓子ですね。この倉敷美観地区の橘香堂では、手焼き体験も出来たと思います。数年前にも家内と二人で倉敷を訪れていますが、私の青春時代のアンノン族では、こんな倉敷美観地区や清里のペンション街への旅行が流行していました。この美観地区で大原美術館や喫茶店「エル・グレコ」に行ったのが、私たち二人の初め...76.むらすヾめ
窓からベンチ写真も、前方の銀杏の葉が全て落ち、秋の終わりを告げています。でも病院近くの堀川通の銀杏の中には、まだまだ今を盛りの黄色の銀杏も有りました。少し元気になった私の今日の面会は、ぐるっと伏見まで電動自転車を漕いで、6時間ぐらいの遠回りしての面会です。(ブログネタ作りです)伏見に行ったら昼は焼き鳥でも食べようと思ってましたが、伏見商店街の中の寿司屋で上蒸し寿司に変更、お腹も体も温まりました。昔から蒸し寿司好きで、新京極の寿司屋で学生時代もしばしば蒸し寿司を食べてましたが、値段は4倍ぐらいになってましたね。家内も少しは病院食も食べて安定してるようなので、私も安心して余裕が出たので、病室からの写真もピントが合いだしています。伏見から持ってきたお寿司も、今日は3個食べてくれました。病院からの帰りは、だいたい...遠回りして面会に
窓から遠くに見える大学の十字架に無料でお願いしてるせいか、家内は車椅子から立ち上がって、無断で部屋の外に出てきたと言われましたので、嬉しいような危ないようなです。我が家の桜の葉は全て落ち、教習所の柿の木も丸裸ですが、今年は柿の実が全く実っていなかった気がしますので、これも猛暑のせいだったんですかね。一人暮らしになって1週間、慣れるものですね。また元のブログに戻れそうです。昨日の面会後は、火曜日休みの次男とお茶、甘い物を食べて元気をつけています。術後1週
自宅の前に出たら何とか見える比叡山も秋の色、付近の木々も落ち葉が舞って北風が吹いて、短い秋も終わりでいよいよ冬ですね。なにもあまり手に付かず、ボーとして過ごしてます。庭の木も暇に任せて切りました。この紅葉ももう少し葉が落ちるのを待ってから、ひょろひょろ伸びた枝は切るつもりです。手術の次の日に長男と行った面会時は、ボーと目もうつろで何も食べてくれませんでしたが、金曜日に娘と行ったら、一転元気で独語も多く、持参の巻きずしやお饅頭も食べました。帰りには病院の隣で娘とお茶して、注意点などを指摘されて、足らないものも持って行くように指示されました。元気になっていたので、私も急に元気になりました。昨日は独りで面会、巻きずしを3個食べてくれましたが、病院食はやはりあまり食べないようで、リハビリも少し拒否があるようです。...面会
食べるようになって、外も行くことになって、少し元気が出てきてた家内が、近くを散歩中に、また私の油断から転倒し、右大腿骨頚部内側骨折で入院手術になりました。手術当日は面会禁止ですので、近くの神社であまりしたことが無いお賽銭にお札(いつもは硬貨)を入れてお願いし、自宅窓からは近くの大学の十字架に向かって、手術の無事を祈ったので、競馬のお願いは聞いてくれなかった日本も外国の神様も、今回の願いは聞いてくれて、手術は無事済んだと電話が有りました。9年ほど働いていた病院に入院したので、久しぶりに堀川通の真っ黄色になったイチョウを見ながら面会に行っています。やっぱりあまり食べないようで、手術前日は持って行ったいつもの寿司とサンドイッチを少し食べたのですが、術後1日目は頼りなく眠ってるばかりです。病室の窓からも黄色いイチ...入院・手術
11月も押し詰まってきた頃、窓の外に見える朝焼けの西の山も紅葉してきていました。最近は食欲も出てきて、少しずつ元気になってきてくれた家内も、車に乗って行けると言うので、半年ぶりくらいの10分ぐらいのドライブで、この写真の山の辺りの鷹峰の光悦寺に紅葉狩りに行きました。鷹峰にある日蓮宗の大虚山光悦寺です。今年は遅くまで楽しめてる紅葉もそろそろ終わりかけ、それでも平日昼ですが、観光客は邪魔に成らない程度にはいました。この時は、外国人は見かけていません。有名な光悦垣と、奥に見えるのは茶室の一つ大虚庵(ダイキョアン)です。毎年11月にはこの光悦寺で、日本二大茶会の一つ光悦茶会が行われます。絵葉書からコピーした光悦垣の秋ですが、やはりこっちの方が綺麗に撮ってますね。花札の絵柄になってる鷹峰ですが、暗い写真になりまし...光悦寺の紅葉
又小川君の地図を借用してます(わかりやすいですね)。神宮道の南は粟田口と呼ばれていて、昔は刑場があったようですし、ここから東海道(青線)はゆっくり右にカーブしていきますが、本来の東海道は地図の粟田口の粟から都ホテルまでの薄緑の道だったようです。写真は三条通から南に入る山裾にある粟田神社の参道入り口です。久しぶりに見ますが(この奥にママ友の大きな家が有って、よく家族で押しかけてました)、えらく綺麗に整備されてました。道中の安全を祈って、東海道を行き来する旅人たちの信仰もあつかったようです。日ノ岡峠に向かう道は緩やかな登りになりましたが、右手山側にこの都ホテルが有ります。私達世代はこの都ホテルでの結婚式が一番だったようですが、特にここの葵の間での披露宴はステイタスシンボルだった気がします。近鉄系のホテルだった...東海道11.
やっと白川橋を渡りましたが、小さくても川、江戸から京都へ来た人も、これを渡らずに南の方、清水寺の方に向かった人もいたのでしょうね。最近知り合いがブログで、この白川の源流から鴨川流入までを歩いて報告してくれてましたが、すごいですね!橋の南東角には、京都でで一番古い道標、1678(延宝6)年建立の三条白川橋道標が、350年間程立ち続けています。是よりひだりちおんゐんぎおんきよ水みち(知恩院祇園清水道)この橋の近くには、坂本龍馬お龍「結婚式場」跡の新しい碑が建っていました。一般には、寺田屋事件の後で、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎)の媒酌で二人は夫婦になったと言われてますが、明治になってお龍さんから直接話を聞くと、この辺りで二人は内々で結婚式を挙げたようです。京都は条例で、歴史的記念碑を私有地に立てるのは問題ない...東海道10.
ようやく京都の紅葉も見頃に成ってるようですね。東福寺にも清水寺にも行けませんが、庭の「妙」の字の中も紅葉してました。今更ながらこんなに紅葉あったっけと思っています。横の山も鈍く紅葉が始まっています。大阪の中之島のホテルに泊まって、オーストラリア戦のラグビー観戦したり、美術館などを二人で観て回ったりしたのは、わずか2年前の今頃でした。はるか昔のような気がしてますが、今はこの建物の向こうの宝ヶ池球技場の試合さえ、家内を置いて観戦は難しい状況です。2年前は2年前の楽しみ方、今は今の楽しみ方も有るので、やや寂しいですが、それなりに楽しんで生きたいと思っていますし、そうしてしまう楽天性は有ります。庭の運動場のいつものベンチも、紅葉の中に見え隠れしています。雪が積もるのも、もうすぐですね。め~ぐるめぐる季節の中で♬わ...も一度窓から
あまり外出することが無くなった私にとって、窓から見る西の空は数少ない世間です。昔バート・ランカスターの「終身犯?」と言う映画が有りましたが、(バート・ランカスターと言っても通じるのは年寄りだけですかね、最近亡くなったアランドロンでさえ知らない人がいて、私はアランドロンに似てたと言っても、うなずく人もいない世の中です)その映画では、狭い鉄格子のはまった窓から見える空だけが世間だったのですが、その頃は退屈な映画でしたが、今なら少しはその感じが理解できます、と言えば大袈裟ですね。朝7時になって、少し空が明るくなって、月は西に日は東にの状態でした。昨日の朝から、いよいよ本格的に寒くなってきた京都ですが、デイサービスの車を待ってる玄関先で、虹をみつけました。なんか民家の屋根から発生した虹の感じですが、見慣れた景色も...窓から
又小川さんの地図からの借用ですが、中央青線が東海道(三条通)で、縦に流れてる細い川が白川です。民家の玄関横に木柵で囲まれた古い三条通の道標が有りました。(地図の三条通道標)いつの頃の物なのか判りません。ここで東海道は地図にあったこの白川を跨ぎますが、白川は志賀越え道の方から流れてきて(以前紹介した志賀山越え9.で、北白川天神宮の前に架かる萬生橋の下を流れていましたね)、明治になって出来た疏水に一旦は南禅寺舟溜辺りで合流し、新宮道辺りで疏水から別れて元の経路を流れているようですので、写真の白川の水は、東山から流れてくる水ではなく、ほぼほぼ琵琶湖疏水の水すなわち琵琶湖の水ですね。ここは京都市営地下鉄東西線東山駅の出口辺りですので、岡崎の美術館などへ行く時はここで降りて、白川橋手前を左折して行ってました。左折し...東海道9.
友達の友達で、最近面白いのでそのFacebookを愛読してる、一応友達でもある小川君、昔テレビ会社の売れっ子ディレクターだったこともあってか、Facebookにあげる地図や写真が綺麗です。滋賀県内の中山道や東海道を巡ってるので、了解を得てその地図をここで借りることにしました。左の三条大橋を出発して、青線が東海道です。三条大橋を出発してすぐの北側にある檀王法林寺(ダンノウホウリンジ)は、「ダンノウ」の名で親しまれてるお寺です。江戸時代前期に再興されてここにあるので、東海道の入り口として繁栄したのかもしれません。法林寺の向かい少し南に、旧京都市立有済(ユウサイ)小学校の校舎が残ってますが、この屋上に火の見櫓・太鼓望楼(タイコボウロウ)が見えます。1876(明治9)年に造られ、1937(昭和12)年に校舎...東海道8.
日本2大茶会と言われてる光悦茶会が、今日まで京都鷹ヶ峯の光悦寺で行われていますが、秋はお茶会のシーズンですかね。久しぶりの菓子たくさんも、74回目になりました。今回は短い秋をしのんで、虎屋の「秋の彩」。お茶会用のお菓子だと思います。東京の虎屋で食べてるブログを最近読みましたが、虎屋は東京ではもっと高いですね。この「秋の彩」も和菓子としては高いですが、まあ虎屋と思う分も含めてですが、美味しいです。最近私のブログにイイネをしてくれてる人々が出てきて、そのブログを読ませてもらう機会が増えましたが、話題も写真も私より数段高レベルのブログばかりで、面白い反面やや落ち込みますね。私も努力しなければとは思いますが、私のブログはコメントが面白くて持ってるような気もしてますので、皆さんも努力してコメント寄せて下さい。他力本...75.虎屋秋の彩
1590(天正18)年に架橋された日本で一番古い石柱橋である三条大橋を渡り、一歩江戸に近づいた所の写真です。三条通の東海道は、電柱も地中化されて、京阪電車も京津線も地下に潜ったので、まっすぐ広々と延びていますし、京阪三条周辺はだだっ広くなりました。ここや、ブラタモリでも紹介されていた京阪淀駅周辺の開発整備にも、私の珉珉好きの同級生が関わっていたことを知りました。三条大橋北東角に建つ「駅伝発祥の地」の碑です。先日のNHKブラタモリ「東海道57次」のオープニングもこの前から始まってましたが、その時はこの碑の説明はなかったですね。遷都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が1917(大正6)年4月27・28・29日の3日間にわたり開催された時の、スタートはここ京都三条大橋だったので、それから100年を記念し...東海道7.
家内は沢田研二ファンクラブに入ってるので、また案内状が送られてきましたが、もう行くことはないでしょうね。沢田研二LIVE2025「霜柱と蝋梅の森」不思議な題ですね沢田研二は私と同い年、高校の同級生で中学の時沢田研二と同級生だった娘もいます。(還暦同窓会には来てくれて、歌も歌ってくれたそうです)週2回の通勤中の車内では、沢田研二の歌を聴くことが多いですが、いつまでも声も良いし、沢田研二のバラードは涙が出ます。雨の後、4日ほど前から京都は秋になりました。自宅前の泉川も輝いて流れてます。髪型が変わりましたね🎵秋風によく似合いまあすね~こんな季節がずっと続いたらいいのですが。誰だって秋は独りでえすね🎶だあから今朝はなあにも話しかけません自宅の桜は、ややくすんだように紅葉し始めました。教習所の柿はまだまだです。足早...短い秋か
番外編高瀬川で枚数稼ぎの寄り道をしてる間に、NHKのブラタモリ「東海道57次」(11月2・3・4日)で紹介されてしまった✖三条大橋に、いよいよと言うかやっと私も到着です。三条大橋の周囲には、昔はなかったいろんな物が出来ていました。橋の北西には、タモリさんたちもこの前で説明していた石柱と、高札場(コウサツバ)があったことを示す案内板が有りました。鴨川の橋橋は、ここ数年で耐震化工事がなされていたせいか、三条大橋の欄干の木はまだ真新しいです。(欄干の手すりは高欄(コウラン)と言うそうですが、市内産みやこ杣木(ソマギ)が使われてます)向こうの山は大文字山です。三条大橋が歴史に登場するのは室町時代ですが、1590年豊臣秀吉命令で石製の橋脚に改修、日本初の石柱橋なりました。(ブラタモリで説明済み)。江戸時代には幕...東海道6.
自宅の横を流れる用水路である泉川、高野川右岸から取水し、松ヶ崎の古い街道や民家の横を流れてきていますが、昨日は大雨だったので取水口の水門を閉じてたせいか水量は少ないです。私の子供達はこの川でザリガニや小魚を獲ったりして育ちましたが、付近で田畑も少なくなってきたので、私の家の前から暗渠になりました。暗渠に入る手前で、雨の後などはこのように木の葉やごみが溜まります。今までこのごみ掃除をしてくれていた、前の家のお爺さんに替わって、私がごみ掃除をしようと、通販で安い安いこの長靴を買って、いざ出陣です。いつまで出来るか分かりませんが。この用水路(泉川)は、下流で下鴨神社の神域を流れ、糺の森の中を流れて賀茂川に注いでます。したがって、下鴨神社のみたらし祭では、足をつける流れにもなるのですが、子供たちは魚とりの間に、こ...大雨後
最近友達を介して、昔々1回は会ったことが有る同世代の人のブログを教えてもらいました。私より話題は豊富で、写真はめちゃくちゃ綺麗なブログです。それに京都錦市場内の冨美屋で「しっぽく(850円)」食べる写真が有り、私の思ってるより具が多いい感じの「しっぽく」で、美味しそうでした。これに触発されて、スーパーで売ってる冨美屋の「しっぽくうどん(480円だったかなあ?)」を買って、久しぶりに食べました。「しっぽく」は甘い椎茸や湯葉や蒲鉾、それにミツバが入ってるだけですが、昔から好きなうどんです。買った冨美屋の「しっぽくうどん」の具は冨美屋の店内で食べてるブログの写真より少し少なめでしたので、カロリーアップの為ゆで玉子もトッピングして見ました。冨美屋の錦の店には入った記憶が有りませんが、冨美屋のうどんセットはよく買っ...しっぽく
半年ぐらい前から、生協の宅配弁当のおかずのみを月~金の週5回頼みだしたので、自炊回数も減り、ちくわも食べなくなっています。写真の1食分が800円弱です、やや年寄り向きに作ってると思いますが、飽きが来ない味付けなので、二人で分けて食べてます。(最近はほぼ私が独占)私のブログを読んでてくれてる素敵な看護婦さんから「最近自炊話がないですね」と言われたので、昼食に肉玉子うどんを作ってみました。作ったと言っても、冷凍うどんをヒガシマルうどんスープで味付けし、それに200ℊ980円のサービスこま切れ肉(奈留島では一番上等な肉でも100ℊ500円だったのに)100ℊと玉子2個を(1年かけてやっとなくなりかけてきた)創味のつゆに砂糖をたくさん加えて炒めた(煮た)トッピングに、写真の為に海苔まで添えました。でも色合い地味で...自炊
今日は衆議院選挙投票日、朝食食べてボーっとしていたら思い出したので、家内に「選挙に行ってくると」言ったら、「私は?」と返事するので、「留守番してて」とお願いして、電動自転車で投票場の松ヶ崎小学校まで行きました。往復15分ぐらいなら、家内をほって行けてます。奈留島では全国など大きい選挙は土曜日が投票日で、投票箱を写すのさえ「どうぞどうぞ」と言われてましたが、ここでは投票所内部撮影は禁止です。7時過ぎだったのですが、並ぶほどでもないですが老人中心にまずまずの出足です。結婚してからは、必ず選挙投票をしてきましたが、一人で行くのは初めてだと思います。帰り道に氏神様の新宮神社を下から参拝、もちろん家内の健康を祈りましたが、ついでに天皇賞必勝も祈っておきました。お賽銭もあげずのお詣りだったので、天皇賞はホウオウビスケ...衆議院選挙
京都市立芸術大学構内や東海道本線のガードをくぐって流れてきた高瀬川は、この辺りではコンクリートの土手に囲まれて、単なる水路の感じになっていますので、木屋町あたりの高瀬川とは別物でした。十条が近づくと、水路の除草作業をしてますが、水は少し流れています。何と言っても運河ですから、調整は可能なんでしょうね。高瀬川の最後は水は流れてませんが、鴨川に接して大きな貯水場としての、コンクリートのプールのような溜まり場になっていました。手前の4本の棒のような、水門から鴨川に水は戻っていくようです。水門を管理する建物が、鴨川河川敷に建っていました。昔の高瀬川は、ここで鴨川を横切って(どの様にして運河と鴨川が交差してるのかどうしても理解できませんが)、更に伏見まで流れていくようです。横切った高瀬川ですが、今は全く違う水と少し...番外編高瀬川6.
昨日10月22日、京都では時代祭りが有りました。2年前は二人で御所で少し見てたはずですが・・・・。今年は仕事から帰る車の中から、ほんの少しだけ見物出来ました。旗が「和」と読めますので、たぶん和宮降嫁の行列だと思います。時代祭り行列が三条京阪を東西に横切るので、川端通りを北上して帰る私はもろに影響を受け、四条通手前から少しずつ動いて30分近く、最後に止まらせられた場所からフロントガラス越しにズームで撮りました。牛車も通り過ぎていきますが、たぶん江戸時代の行列になると思います。待たされても家内がデイサービスから帰るまでには家に帰れましたし、もう今は待たされることに平気になっています。私が通り過ぎるのを待ってるのが、走り出した車からちらっと見ると織田信長上洛の列の様でした。小学校の時は、学校の前の烏丸通に座って...時代祭り
五条通の手前で暗渠になった高瀬川は、数mまで鴨川に近づいて、写真の五条通の下を流れていきます。写真中央を高瀬川は流れているのですが、ビル一つ左はもう鴨川です。五条通より下流の高瀬川を、私は全く知らないのですが、この辺りの高瀬川の再整備には、金のない京都市に替わって、近くに本社のある花札屋さんから世界企業になった、任天堂の社長さんの寄付が使われているそうですので、新しい石垣になってる所も多いです。七條通をくぐる高瀬川は、再整備工事中もあってか、水がなくなっていました。古い七條橋の欄干も有りました。新しそうな塩小路小橋をくぐって、更に高瀬川は流れて行ってますが、この辺りは京都駅周辺再開発が行われています。遠くに京都タワーも見えてきました。ここで高瀬川は奥のビルの手前でほぼ直角に左折し、移転してきた京都市立芸術...番外編高瀬川5.
季節は巡って、また新型コロナ予防接種です。今回からは第一三共の国産ワクチン「ダイチロナ」を打ちます。今月17日から始まりましたが、コロナワクチンは今回のも接種時の痛みは少ないので、嫌がられる前に打ち終われます。この日の最後に私も打ってもらいましたが、注射時の痛みは有りませんでした。新しいワクチンなので、本当の効果がどうなのか、副作用がどうなのか、私は何も知らずに打ってます。写真の接種済証も貰いましたが、今回からはややちゃちなものになってましたし、もうこれを使って旅行することもないでしょう。今まで無料でしたが、今回からは有料、私は75歳以上なので2000円で済みました。若い人は注射料が高いのと、結構副作用がきつく出る人もいるので、あまり打たないでしょうね。24時間たって、注射部位が少し腫れて、痛痒いので、あ...季節は巡り
旧立誠小学校の横には高瀬舟の模型が飾られていました。森鴎外の「高瀬舟」は大昔に読んだのではっきり覚えていませんが、まあ自殺ほう助の話だったと思いますし、当時はちょっとショックだった記憶が有ります。私は高瀬川を航行する舟だから高瀬舟と思ってましたが、川を走る目的で作られた船底の浅い川船を高瀬舟と言っていて、その船が走る川だから高瀬川の名が付いたようで、私の思いと真実は逆でした。高瀬舟は長さ13ⅿ・幅2ⅿぐらいなので、高瀬川内ですれ違ったり追い抜いたりは出来そうですが、Uターンは無理ですね。盛時は百数十艘の高瀬舟が運航していて、700人いた岸から綱で船を引っ張るひきこが、この絵のように引っ張ってたようです。この絵で見ると、橋も高く上げて作られてたようで、私の心配は杞憂に終わりました。(恥ずかしながら杞憂を76...番外編高瀬川4.
三条と四条の間の高瀬川沿いに建つ立誠小学校(リッセイ)には、私の幼稚園や高校の同級生も通っていましたが、その跡地は今はホテルや展覧会場になっています。その玄関に、高瀬川開削375年記念と言う、ちょっと中途半端な375年ですが、大きなクワを持つ角倉了以の胸像が有りました。1895年にリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明、これを持ち帰った稲畑勝太郎(1862~1949)が、ここ旧立誠小学校跡地辺りで1897(明治30)年に日本初の映画試写をしたので、ここが日本映画発祥の地らしいです。ここには「立誠シネマ」と言うミニシアターも有りました。島から帰ってすぐぐらいに、ここで孫が監督の「蔦監督」の映画を観ています。家内が徳島県人と言うこともあってか、打って打って打ちまくる当時の徳島池田高校や大分の日田林工のファンで...番外編高瀬川3.
二条・伏見間距離約11㎞、川幅平均約8ⅿ(今は8ⅿはない感じです)の人口運河高瀬川は、ここから始まるのですが、荷物の上げ下ろしや舟の方向転換のための船入りが、四条までに9カ所設置されていました。この奥の入江が、唯一残ってる一之舩入(イチノフナイリ)です。下流(南)に向かって進みますが、すぐの対岸にこの前紹介した佐久間象山翁と大村益次郎卿の遭難碑が有ります。御池の橋に立って、向こうから流れてくる高瀬川を見てますが、左の建物、今は全く新しい建物ですが、昔はここに外科病院のビルが有りました。私がここで当直してた夜に、病室の窓から身を投げた患者さんがいて、ビルと高瀬川の間の狭い植え込みの中から、当直看護婦さんと一緒にその患者さん(もう死体)を、背負うように運んだことが有ります。もう死んでいたので、警官から移動させ...番外編高瀬川2.
高瀬川、せっかくなので番外編で高瀬川をたどることにします。高瀬川は人工の運河ですので、その取水口はどこにあるのかと思ったら、出町に架かる賀茂大橋の下流に、赤い彼岸花がある横に二つのゴミを止める柵がある、写真のこれらしいですね。しかしここはなんと私が大学時代にラグビーの練習でドタドタバタバタ走っていた、鴨川河川敷の大学グランドのある場所でした。(木は60年近くで大きくなりましたね)灯台下暗しと言うか、何も考えずに暮らしていた青春時代です。取水口から流れた水は、みそそぎ川(みそぎ川)として、鴨川河川敷の暗渠を流れて、ここ丸太町橋の下流で地上に出てきて、鴨川右岸を鴨川と並行して流れます。よく見ると「みそそぎ川」と書いてありますね。地上に出たみそそぎ川から川端二条の少し下流で、水を取って高瀬川は始まりますが、残り...番外編高瀬川1.
雨上がりの朝、窓から外を見て、今年初めて彼岸花が咲いてることに気が付きました。でももうその日は10月4日ですよ。今朝(10月6日)は寒くてか尿意でか、どちらか分かりませんが早くに起きてしまいました。彼岸花が咲いて、いよいよ秋ですが、もうお彼岸から2週間もたっていますね。桜は前線に沿って、青森の桜なんかはゴールデンウイークが見頃なほど、日本全国桜の開花日は違うのに、彼岸花は全国どこでもお彼岸に咲く気がしてましたが、今年は暑さのせいかもしれませんが、彼岸花さえ狂ってきたようで、どうなるんですかね。でも彼岸花が咲いたら秋ですね。長く秋が続いてくれたらいいのですが。ちょうど10年前2014年9月23日、日本の西の端福江島三井楽の万葉公園の彼岸花はちゃんと満開でした。隣に写ってる家内は、10年経って胸も太ももも半分...秋が来たかな
高瀬川に架かる三条小橋の東南には、前回の地図で寺と記した瑞泉寺(ズイセンジ)が有ります。豊臣秀吉の甥関白秀次一族の菩提を弔うために、高瀬川を開削した角倉了以(スミニクラリョウイ)がこの地に建立したお寺です。1595(文禄4)年7月に、謀反の疑いで高野山で自害させられた秀次ですが、その一族は8月には、まだ鴨川の河原であったここで、幼児や妻妾(サイショウ)39人が死刑に処せられました。境内には、秀次を中心に一族の供養塔が並んでいました。秀吉は明るく気さくで、ややずるがしこいとこは有りますが、歴史の中でも人気キャラですが、晩年の老害はかなりひどく、この件の陰惨さも、狂ってしまった権力者の末路を見るようで、みじめですね。まあ平凡人のなんの権力もなさそうな私ですが、規模は小さくても老害になるようなことはしないう...東海道5.
地図中央の細い川が高瀬川ですので、ここから鴨川に架かる三条大橋までは100ⅿも無いぐらいです。単なる騒動にしか過ぎない事件があった池田屋騒動之址の碑。案内板にもあるように、過激な尊王攘夷派をこれまた過激な取り締まり集団新撰組が、祇園祭宵々山の夜に襲った池田屋事件。映画や小説などで有名ですが、その池田屋の跡はごはん屋さんになっていました。高瀬川に架かる三条小橋のたもとにある佐久間象山先生遭難之碑・大村益次郎卿遭難之碑です。でもこの石碑は、北へ壱丁とも刻まれてるように、本当の碑への案内用の碑に過ぎません。後ろに立ってるビルの中の雀荘で、30代の10年間ほどはよく麻雀をしましたが、遭難同然の負けもよくありました。その高瀬川沿いに北に一丁の象山(ショウザン)(1811~1864)先生遭難之碑です。佐久間象山はや...東海道4.
一ヶ月前の窓からの夏空です、冷房の部屋から眺める夏空は良いのですが、戸を開けると熱気が入ってきてました。雨が降って、やっと朝夕は涼しくなった今朝の窓からの空。家の窓からしか空を眺めない生活ですが、やっと秋が来ましたかね。何気なく見上げた夏の空の雲から♫風に揺れ涼しく秋のように見えてく夏空が変わったあ秋空に変わたの何気なく見上げた青空が変わった🎶ベッツイ&クリスもおばあさんになって、たぶんアメリカ中南部の田舎で、トランプを応援してる感じかなあ。この歌(先輩の北山修作詞)知ってる人は70歳以上になりましたかね。やっと来たかな
豊臣秀吉の築いたお土居は、この地図の左端を南北に走っていたので、この地図はもう三条口を出てしまっている地域の地図になるのですが、何となく三条大橋が三条口と思ってる方が判りやすいですね。地図中央に青線を引いた、細い路地にあったスナック(バー)に友達と集まって、時には向かいの「河しげ」から名物満月弁当を頼んで食べたりした後、麻雀をしていた期間が40年ぐらい前に有りましたので、懐かしい路地です。写真撮影中に、その頃はまだ20代であったと思っている河しげの三代目と偶然会って、懐かしい話が出来ましたが、彼ももうお爺さんでしたね。その後この辺りは、「おやじ狩り」がよく出たので、私たちは近づくのを止めました。この路地を三条通から抜けると、そこは15年前から龍馬通の名が付いています。昔は、三本立てで1本は立ったまま観て、...東海道3.
親しくして貰ってる人からのメールや、愛読してる人のブログから、中秋の名月を思い出しました。夜に外出しないどころか、月が出る頃にはもう布団の中の生活ですが、一昨日は8時頃に、表に寝巻のまま出てみました。満月ですね!島なら月夜間ですよ。村雲ですか?雲がかかってたお月見ですが、このほうが良いかもです。月見だんごは先日娘が持って来てくれたのを、もう食べ終わってます。私が小倉百人一首で好きな歌、以前のブログシリーズ物奈留島百人一首でもこれだけは替え歌にせず、そのまま出しましたよ第79番。秋風にたなびく雲の絶えまよりもれいずる月の影のさやけさそして昨日の窓からの夕焼け。まだ35℃の京都、明日から雨が降って気温も30℃切り始めるようで、やっと短い秋が始まってくれそうですが、そうなったらすぐにストーブの用意をしなくてはな...いい加減に秋が来い
京の七口の一つ三条口(粟田口)は、なんせ東海道の起点ですし、この地図に打った1~5は私の幼稚園から大学までの所在地ですので、1.の幼稚園に通った頃からや、映画館に通い続けた中・高校まで、自宅から一番近い七口として生活圏に入っていました。こんな狭い範囲で生活していた井の中の蛙が、離島に行ったとは自分でも信じられない時が有ります。戦後すぐの河原町御池の写真がFacebookに乗ってたので、お借りしました。京都市役所は今もそのままです、右の洋館が京都ホテル(今のホテルオークラ京都)の様で、戦時中に広げられた御池通は進駐軍のテニス場になってます。市電の辺りが、祇園祭でも辻回しが行われてる河原町御池交差点です。多分カメラの位置は三条口辺りですので、右のバスが止まってるもう少し右に、この写真の数年後から私が通い出した...東海道2.
明日は敬老の日ですが、先日近所のおじさん(私より1歳年上と分かりました)が敬老の日の記念品を持って来てくれました。75才以上に貰える資格があるようで、私は76歳になりましたが、今回のように町内会から貰うのは初めてです。型染めの風呂敷です。それなりにしゃれていて、額縁に入れて飾ってもいけそうです。でも、奈留島では皆さん紅白饅頭を貰っていたので、やっぱり食べて無くなる物の方が嬉しかったです。手紙も添えられていて、松ヶ崎小学校児童の手紙も付いていました。(昨年もこれは貰った気がします)今時の小学生、えいごやタイピングをしてるって、タイピングってパソコンの打ち方ですよね。今日は、多分娘が孫と赤飯を持って来てくれるでしょう。敬老の日
前回の何もなかった宮川町を走り抜け、五条通手前の豊国神社門前の甘春堂(カンシュンドウ)に氷の看板を見つけました。天皇陵巡りで第52代嵯峨天皇陵に行った時も、大覚寺の前の甘春堂に入った記憶がよみがえりました。まだ10時前でしたが、秀吉の命により造立された京の大仏が有った方広寺前と言うことで、大仏氷を食べました。名物大仏餅もついていて1210円、黒糖蜜が少し甘いですが、(たぶん大仏の頭のぶつぶつ螺髪(ラホツ)を表わしてるよう)小豆はさすがに京都老舗和菓子屋さん、絶品でした。氷で元気が付いて、更に伏見まで足を延ばしました。40年以上前にこの近くの病院で当直のバイトをしてました。(他院より当直料は高かったですが、忙しく地獄のような日も有りました)その時知って、以後も帰りにお土産で買っていた、この=いなりのいもや...続・自由時間
月に2回だけ余分に土曜日も家内はデイサービスに行ってくれてるので、その間7時間の自由時間です。暑いですが、締め切りも迫ってる?ので頑張って「京都へ、京都から」の取材に、電動自転車で出かけました。鴨川沿いになるべく歩道の木陰を利用して南下。鴨川のところどころに飛び石や、写真では舟橋を模(カタド)ってるのか、石の舟も置いてあります。橋だけではなく、様々な方法で賀茂川を渡る生活が有ったのでしょうね。丸太町橋のたもとに、私は全く知らなかった、梁川星厳(ヤナガワセイガン)(1789~1858)と紅蘭(コウラン)(1804~1879)の寓居跡の碑が有りました。星厳は美濃大垣出身の勤王詩人で、鴨沂小隠(オウキショウイン)と言う寓居に1840(弘化3)年から10年近く夫婦で住んでいたようです。それまでは星厳・紅蘭夫...自由時間
「ブログリーダー」を活用して、島の医者になってさんをフォローしませんか?
2007年5月31日から本格的に始めた私のブログ、1回目は五島列島奈留島の私のプライベート海岸?のこの写真で「島の医者になって」です。10年前には島から京都に戻り、ブログ名も「島の医者のなって、た頃もあった」に変更して続けてました。3年前の2022年春にはTeacupブログが閉鎖されて、何とか今のgooブログに移転出来て、今までの内容も少々文字化けしてはいますが保存されてきてます。gooブログで今までのアクセス数50ぐらいが150ぐらいになって、新しいgooブログの皆さんのブログも読めるようになって、楽しんでいた所にこの連絡です。18年間で生活の一部になってしまった、ブログを書いたり読んだりすることを、今更やめるわけには行かないので、続けようとは思っています。どこに移転するか、まあ花水木さんやToiten...gooブログ終了の通知
又小川さんの地図ですが、いよいよ青線の東海道は逢坂山に差しかかります。月心寺を過ぎてすぐ、昭和初期までは子孫が住んでいたと言う民家の前に、大津算盤の始祖片岡庄兵衛の碑が有りました。1612(慶長17)年に庄兵衛が明国から長崎に渡来した算盤を参考に製造した大津算盤、この辺りに店を構え幕府御用達にもなって「そろばんと言えば大津、大津と言えばそろばん」とまで言われるようになりました。東海道を行きかう旅人はここ逢坂山辺りで、大津算盤・大津針・大津絵・走井餅をお土産にするそうです。秀吉が播磨の三木城攻めの時に、隣の小野の住民は大津に避難したそうです。その後ここで大津算盤の製造を学び、後日小野に技術を持ち帰ってそろばんを作り始めました。大津算盤はすたれましたが、小野の播州そろばんは生産高の8割を占めて、雲州(島根県)...東海道30.
京都の桜は、そろそろ終わりますが、我が家のこの桜はもうじき満開。ところがこの桜、花水木さんから「桃なんでは」と指摘されました。ええっつ!犬だと思って飼っていたのが猫だった、の気分です。GOOGLEで写真を撮って検索しても、「サトザクラ・かんざん」と出ましたが、もう一度すると「さくらもも」とも出ます。どっちなんでしょうか?まあ桜と騙されていたとしても、長年見てきた我が家の庭に咲いたものですから、今後も愛おしみますが。今はもう私を愛してるとは言わなくなった家内を、私は愛おしんでいますので、そう言うことには慣れてる人生です。愛おしい4番目の孫が、この春は小学校に入学しましたので、昨日は入学式を立派に果たしたそうです。嫁ぎ先からのお祝いの赤飯を、娘と孫が持って来てくれました。京都へ戻ってきた時に小学校に入学した上...入学
西の山に夕日が沈むのも6時過ぎてからになってきました。そろそろこの西日が嫌になる季節が来るのでしょうね。昨日の診療所中庭の枝垂れ桜はほぼ満開、そしたら隣の柳の緑がやや薄れてきました。施設の玄関のソメイヨシノは、昼頃は落花盛ん、明日木曜日の出勤時にはまだもってると思いますが、来週の出勤時にはもう葉桜ですかね。診療所の美人マスク看護婦さん3人が、門の前まで私を見送ってくれたのかと思って手を振って、写真をラインで送ったら、横の竹林にタケノコ掘りに行く途中だったらしいです。私はタケノコにも負けてます。この辺は明智光秀が討たれた明智藪もある、竹林が多い所です。帰りは鴨川沿いに北上する車通勤ですが、五条より南の桜はもう終わり、荒神口の信号停車中の車からの桜は満開、バックの建物は対岸の我が母校です。今日はいい天気、京都...4月も三分の一過ぎ
4月5日土曜日、特別に月2回だけ土曜日にも行かせてもらってるデイサービスに家内を送り、朝から街に出かけました。松ヶ崎疏水の桜は木曜日より綺麗になって、この数日が満開のよう。鴨川の土手を電動自転車で走りながら櫻見物です、出町辺りの桜は満開まであと数日か。自転車で走ると丁度良く、止まると少し寒いです。鴨川べりの高級ホテルの前には、人力車で桜見物に出かける金持ち外国人と思われる人々が並んで出発を待ってました。京都は外国人であふれてるようです。高瀬川沿いの桜は満開、所々の柳の新緑とよく合いますが、高瀬川の桜はなんか夜に店のネオンと共に見るほうが、高瀬川の桜っぽいですね。街に行ったのは、2ヶ月ぶりの麻雀の為。回数も少なくなって、麻雀よりは皆の安否確認の為の、おしゃべりの方が楽しい会になり下がっています。御所を抜けて...4月も5日過ぎ
昔「9月になれば」と言う明るい映画が有りましたが、いよいよ「4月になりました」。4月1日、仕事日ですが家内がデイから帰る前に、買い物に行きます。松ヶ崎疏水沿いの桜で一番早そうだったのがこの桜か、一部満開に近いです。鴛鴦と思いますが、夫婦で餌探し、上から見下ろしても逃げもしませんね。仕事場の中庭のいつもの枝垂れ桜はまだまだですので、来週火曜日の仕事の日ぐらいに満開の写真が撮れそうです。桜と新緑の柳は結構合いますね!小倉百人一首21番の素性法師(ソセイホウシ)の歌に、最近こんなのが有るのを知りました。見わたせば柳桜(ヤナギサクラ)をこきまぜてみやこぞ春の錦なりけり「こきまぜて」がなんか汚い言葉に聞こえるのは、私の教養のなさかもしれませんが、昔から桜と柳は似合ってたのですね。仕事場の京都老人ホーム玄関の桜はソ...4月になった
逢坂山まで登るだらだらした、名神高速道路と京阪電車京津線沿いの旧東海道(青線)の地図ですが、やはり小川さんの地図から借用しています。地図左下で名神高速道路をくぐり、逢坂山への上りにかかる地図○辺りからとった写真です。左の塀が名神高速道路の防音壁、この登りで車はよく数珠繋ぎになりぎます。少し上ると、道端に小さな道標。右一里丁左大谷町この右手少しに一里塚があったようです。端米山月心寺(ズイベイザンゲッシンジ)の塀に沿って、国道一号線沿いの旧東海道を上って行きます。現在月心寺は、橋本関雪(1883~1945)の所有した寺院・庭園及び併設の別邸一帯を指すようです。公開は予約制で、食事も出来るので、一時有名になっていた記憶が有ります。銀閣寺にも関雪の住んだ白砂村荘(ハクササンソウ)があって、大学時代は友人...東海道29.
介護で辛いのは、家内と日常の何気ない会話と意思疎通が出来なくなって、心が通じ合わなくなったような気がすることです。しかたがないので最近は、本棚から家内の買った本で面白そうなものを取り出して、読んでいます。ということで、今更ながらですが、私には初めての吉本ばななさんの「キッチン」を読みました。初版は1988年1月、彼女が買ったのは約1年後の1989年4月の第31刷1030円です。やはりベストセラーだったんですね。「キッチン」・「満月-キッチン」・「ムーンライト・シャドウ」の3作が入っています。40年近く前に20歳過ぎの少女が書いた本なのに、今でもすごい新鮮な文体で、3作共に死が全体を包んでいるのに、暗くはなく、一気に読んでしまいました。50年以上前に20歳過ぎの私には、その頃到底考えられなかった内容です。家...キッチン
春はあけぼの・・・・、ですが。一昨日の朝雨上がり、もう朝6時はあけぼのは終わって朝でした。5日前には一つだけ花が開いていた、我が家の庭のシデコブシ?。暖かくなり、昨日はもう満開で沢山花をつけてたので、二つだけ切って椿に変えて部屋に飾り、部屋にも春を呼び込みました。昨日土曜日は家内がデイサービスに行ったので何かできるはずでしたが、のんびりボーっと午前中を過ごしてしまったので、午後から近くの買い物だけ。松ヶ崎疏水の桜はこの1本が咲き始めていただけ、この木曜日の買い物ぐらいには満開かも知れませんが、今朝はまた寒かったので、来週末が見頃かもしれません。少し切られてしまいましたが、近所の家の桜は今年も満開まじかです。我が家の遅咲き桜は、まだつぼみ膨らむ程度、土曜日の競馬はまた全敗、阪神はしっかりした勝ち方で開幕2連...続春が来た
前回数独の解答はまだコメントされていませんが、東海道先を急ぎます。数独解けた時はいつでもコメントください、このままではもやもやが晴れません。又小川さんにお世話になる地図です。中央車道の展示が境内にあった閑栖寺を過ぎて、分かれ道の髭茶屋追分(ヒゲチャヤオイワケ)に来ています。少しピントがずれた写真で残念ですが、この皆さんも見慣れた(ブラタモリファンの方だけですが)場所、そう今年の正月のブラタモリ東海道57次の冒頭でタモリさんたち一行が来ていた髭茶屋追分です。右が東海道53次で京都へ、左へ行くと東海道57次で大阪への分かれ道です。そして京都府京都市山科区と滋賀県大津市の境です。以前も佐賀県に行った時に書いたと思いますが、昔は県庁所在地同士が県境で接してるのはここだけだったんですが、今は佐賀と福岡・宮城と山形...東海道28.
前回掲載の最後の写真再掲ですが、横に数独を写し込んでいたので、コメンテーターさんの誰かが食いついてくれるかなと思いましたが、スルーされてしまいました。毎日新聞の朝刊夕刊に掲載されてる「毎日数独」、週に3~4回中級と上級編が掲載されるのですが、初めてこの問題が解けません、左端に2が入ったまでは良かったのですが、以後進まず。何か特別の解き方のテクニックが必要な問題なんでしょうか、最近は毎日閲覧数200を超えるようになった私のブログ、読者の皆さんぜひこの問題の解き方を教えて下さい。気になって、新しい数独に進めなくなっています。よろしくお願いいたします。数独
「春が来た」と思うと、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」の冒頭「春が2階から落ちてきた」をいつも思い出します。落ちたと言うなら、家内の介護ベットの下に布団を敷いて、人間センサーになって寝ている私の肩に、昨晩3時半ごろ家内がこけ落ちてきました「妻がベットから落ちて来た」です。本題からずれ始めたので本題に戻って、先週のお彼岸朝にはまだ大きな大きなボタン雪が降っていました。「妙」もあっと言う間に白くなっていましたが、すぐに溶けはしました。でもお彼岸過ぎたら、「春が来ました」狭い我が家の庭にも、椿以外に色彩が戻ってきて、こんな水仙もあることを知りました。40年ぐらい前に、友達家族と越前海岸に蟹を食いに行った時、道路の道端に咲く水仙をたくさん採った記憶が有ります(今ならアウトですかね)。まさかその時の水仙が咲いてるのではな...春が来た
この地図下の国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡り、さらに上(東)へ逢坂山を越えるべく進みます。何となく旧街道を思わせるような坂道を上って行くと、左手に鐘楼のような建物が見えてきました。この辺りの手前を横木町(ヨコギチョウ)と言うようですが、車石が敷き詰められる前、豊臣秀吉が大仏殿造営のための巨石を運搬する時に、丈夫な木を横に敷き詰めたので、この名が残ってるようです。立派な鐘楼付きの門のある浄土真宗大谷派放光山閑栖寺(カンセイジ)です。門前には東海道の石柱と車石も置いてあり、大津絵も飾ってありました。その境内には車道のある東海道が再現されていました。(こちらから奥へ行くのが京都方向です)今回の東海道編で、恥ずかしながら車石のことを初めて知って喜んだり感心もしましたので、ここで車石のおさらい;江戸幕府は街道...東海道27.
道端にあった旧東海道マップの如く、地図上方の山科駅前から赤線の旧東海道を四宮地蔵や三井寺観音道を紹介しながら、地図一番下の弥二さん喜多さん風の二人連れの所まで来ました。もうここは滋賀県です。マンホールの蓋も滋賀県ですが、この蓋ほぼ琵琶湖のことばかり、琵琶湖大橋・遊覧船・ヨット・瀬田レガッタ。今はない観覧車・琵琶湖噴水・花火、やはり滋賀県は琵琶湖だけやんと思わせますね。下の豚?信楽のタヌキでもなさそうですが?ここで国道1号線を跨ぐ歩行者用陸橋を渡りますが、写真は陸橋の上から東を見ています。左へ行くと国道161号線や湖西道路で高島から敦賀へと通じる、昔の北国海道です。右へ行くと国道1号線、草津から米原へ、昔の東海道・中山道へ通じます。若い時に琵琶湖に泳ぎに行く時、ここはいつも渋滞していた気がしますが、今はまあ...東海道26.
先日の土曜日、家内は月に二回の土曜日デイサービスに行ったので、以前働いていた病院の外来看護婦さんに誘われてた昼食会に行きました。久しぶりの京都駅、久しぶりの街の雰囲気、人混みに酔う感じも有りますし、島に居た頃に都会に行った時に感じる気持ちと同じ感を思い出しました。20年前のことになるので、皆そこそこの年齢になったと言っても、20歳ぐらい若い看護婦さん達としゃべってると楽しくて、せっかく京都タワーが見える席だったのに、景色も観た記憶がなく、料理の写真も皆の写真も撮り忘れてしまいました。早く着いたので、この京都駅の大階段からを一枚ぐらい。会う前に行った伊勢丹内のトイレ。洗面所の蛇口が十字型?中央で手を洗った後、少し両手を広げると、横の枝棒から暖かいジェット空気が出てきて乾かしてくれました。初めての経験です、さ...懐かしい人々と
暖かくなってきたので、家内がデイサービスから帰ってくるのを、庭をブラブラしながら待っていました。庭と言っても猫の額か私の額かというぐらいの狭い我が家の庭ですが、その庭の奥の方にもう1本椿の木があるのに、初めて気づきました。私の背丈の2倍ぐらいには育った椿の木で、最近も切ってた記憶が有りますが、椿とは全く気付かず、我が家には前回報告の椿だけだと思っていました。どうして気づかなかったのか不思議ですが、たぶんこれが五島列島に居る時に「玉ノ浦」だと思って買った椿でしょうね。早速これも切って部屋の飾ります。「玉ノ浦」ではそもそも無かったのか、それとも我が家の土壌がこんなに薄ぼんやりした「玉ノ浦」にしたのか分かりませんが、まあこれはこれで長襦袢の様で綺麗ですね。そうです「長じゅばん」として新品種登録を個人的にしました...続我が家の椿
地図中央の線路の叡電は、宝ヶ池駅で右への八瀬方面の叡山本線と直進する鞍馬線に分かれます。地図に青点線で示したように、高野川左岸に沿って花園橋は渡らずに叡電の下をくぐり、更に左岸に沿って進んで三宅橋を渡り、ここから右岸に沿って進むのが大原街道だと思われます。花園橋交差点に立って、今から進む東の方向を見てる写真ですが、ここまでくると比叡山は目の前です。このまま真っ直ぐ、緑色の叡電の鉄橋をくぐって進みます。しばらく行って、三宅八幡駅近くの高野川に架かる三宅橋を渡りますが、そこから三宅八幡宮の参道が始まるので、本当は鞍馬線の八幡前駅からの方が三宅八幡宮には近いです。三宅八幡宮は、遣隋使として日本史の教科書にも載ってる小野妹子が、隋から無事帰国のお礼に、小野郷と言われるこの自分の土地に建立したと言われています。子供...大原街道13.
月に2回だけ家内は土曜日もデイに行くようになったので、私には月に2回の休養日ですが、真面目な?私は、「京都へ、京都から」の取材のために、山科まで自転車で行ってきました。旧東海道を走ってると、懐かしいメルヘンチックな建物を山科で見て、思い出しましたよ、スイス菓子ローヌ。昔からローヌのこのマイスターチーズケーキ(350円)は有名ですし、昔はもっと安かった気がしてますが、それでもお手頃です。若い時に山科の友達の家で麻雀した時や、滋賀県方面のゴルフの帰りなどに、ご機嫌うかがいとしてお土産に買って帰ってました。20年以上ぶりのマイスターチーズケーキ、フワフワして若い時よりも年寄りには食べやすく、より美味しく感じました。イチジク好きの家内の為に、奮発してこの一番高いイチジクタルト(620円)もお土産にして、久しぶりの...久しぶりのチーズケーキ
自宅のすごく近くに開店したスーパー「ライフ」、開店前からプリベートカードも作って待ってました。開店5日を過ぎて、平日の昼の買い物客も減ってきたようなので、買い物に出かけました。いつも行く、生協やイオンや平和堂とは少し違う商品も置いてあります。結婚したてに、家内の作るうどんつゆがめちゃくちゃ美味しくて、自家製でないと食べられなくなっていたのですが、島で一人で居る時の夏の昼のそうめんは、九州宮崎のヤマエの高千穂峡のつゆを使っていました。これが甘めで、私の口にぴったりでしたが、京都に戻ってきてからは売り場で見たことが無かったのですが、ライフにはありましたので、早速買ってきました。大手のつゆより少し高目でしたね。阿波名産半田素麺ですので、茹で時間が少し短かったのか、やや硬めになりました。これも阿波名産のスダチを絞...つゆ
前回の地図を再掲してます。平八茶屋の横を通って、マラソンや駅伝中継でもおなじみの、叡山電鉄を跨ぐ跨線橋を横目に見て大原街道(若狭街道)を進みますが、高野川沿いが旧道のようです。3.高野川の向こう側に見えるのが、宝ヶ池公園の一部子どもの楽園です。1949(昭和24)年~1958(昭和33)年の10年間ほどは宝ヶ池競輪場があった場所、その頃は小学生だった私のような未成年や学生は立ち入り禁止の場所でした。この跡地に、1964(昭和39)年に子どもの楽園がオープンし、逆に「大人のみの入場はお断りします」の看板が立つ場所になりました。1981(昭和56)年、私たちの子供がここをよく利用していた頃は、写真のように競輪場のスタンド席がまだ残っていて、我々は昔競輪場のバンクだった所で遊んでることになります。そして私の孫達...大原街道12.
このいつもの4連休、家内の気分があまり良くないのと、私も少し落ち込んでるので、金・土・日とどこにも行かず家にいます。ものすごく近くに「ライフ」というスーパーマーケットが開店したので、行ってみましたが、レジに並ぶ人の数を見て帰ってきました。今日は小雨と思ってたら、昼からは本格的に降り出しました。最近庭に出ることが多いので、ドクダミ・アジサイ・オオムラサキツユクサを切って、家に花を飾ってみました。写真のバックが気に入りませんが、母の日で二人の嫁から貰った生花とドライフラワーと併せて、室内は花盛りです。ドクダミもこうして飾って近くで見ると、なかなか綺麗なもので、気分も少し晴れます。お爺さんがこんなことをしだすと、ますます死期が近づきそうな気もしますが、逆に早速効果は有りました。第74回安田記念、香港馬ロマンチッ...何もすることが無い
地図はやはり「京へと続く街道あるき」からの無断借用です。この地図の左端ぐらいが、今の我が家。1・2・3・4の番号順に、大原街道(若桜街道)を進みます。1.大原街道が北山通を横切る角にある双鳩堂(ソウキュウドウ)さん、島に行く前ぐらいまでは古い店構えだったのですが、最近新しく建て替えられていました。古いと言っても明治13年創業ですので、江戸時代の大原街道には無かったお店です。名物はこの「鳩もち」、これから行く三宅八幡のお使い鳩をかたどったお菓子で、以前私のブログ「菓子たくさん」でも紹介済みです。北山通を越えてすぐの三叉路の少し先に、東赤山道の道標を見つけました。明治17年建立、6丁(650ⅿ)東に行ったら、平安京の鬼門を守る、紅葉が綺麗な赤山禅院に至ります。2.先の三叉路を左にとって、再び川端通りに合流し...大原街道11.
地図赤線の大原街道(若桜街道)に沿って、明治末までは無かった琵琶湖疏水支線をまたいで北上します、琵琶湖疏水支線を越えると、そこにもう賀茂波爾神社(カモハニジンジャ)(赤の宮神社)です。下鴨神社の境外摂社で、波爾は高野川がかって埴川(ハニガワ)と呼ばれていたことに由来するとも言われていますし、江戸時代には赤宮稲荷大明神と呼ばれ、稲荷社ともされていて、鳥居が朱塗りにされていたので、赤の宮と呼ばれていたこともあったようです。境内には波爾井(ハニイ)清水と呼ばれる御神水があって、今もこの湧き水は豊富な水量が有ります。さらにもう少し街道を進み、曼殊院道と交差する角に、明治25年建立の「比叡山無動寺大弁財天道六十八丁」の大きな道標が立っています。ここから曼殊院を通って雲母坂(キララザカ)を上り比叡山の上まで6...大原街道10.
本日日曜日朝、家内を誘って植物園まで一駅、地下鉄に乗って散歩に行ってきました。帰りに近くでランチする予定でした。それほど暑さもなく、休み休みゆっくり歩いてバラ園まで。バラは気持ち悪いぐらい満開、色々ありますが赤いバラと白いバラがやはり一番バラらしい。さつき展もやってました、「さつきとツツジはどう違うのですか」とおじさんに質問したら、「同じようなものですが、咲く時期が違いますし、交配していろんな色の花を咲かすのがさつきです」と答えてくれました。盆梅・盆桜・盆皐月と、同行の人はどこにでもいるんですね。花しょうぶも満開ですかね。さすが植物園、ドクダミもあちこちで群生してましたが、我が家の庭のドクダミの方が花は大きかったです。花も綺麗ですが、今の季節は新緑も気持ちいいです。家内に従って、休み休み歩き、新緑に浸るよ...京都府立植物園
最近メール交換頻回のメール友達と言うかメール親戚の小母様と、庭の手入れや草花の話などで盛り上がっています。それで今回の私のブログはいつもとは趣の違うブログになりました。(これは花水木さんのブログではありませんよ)ドクダミがはびこってるので、それを抜き始めてますが、簡単に抜けると思って楽しんでいたら、「地下茎で増えるので追いかけっこに負けないように」と、メールで指示も貰いました。ドクダミを写真で一輪アップにすると、綺麗で凛とした花なんですがね、抜いてると手に匂いが残ります。今まではあまり庭に出ることはなかったですが、家の管理もしなくてはならなくなり、庭に出てますが、小さな庭もよくよく見てみたら、野草と言うか雑草と言うか、いやいや家内が育てた花の残りか、可愛い花が咲き乱れるほどではないですが、有りますね。結構...庭の花
「そすいさんぽ」の地図を借用。左の川が賀茂川、右の川が高野川です。赤線に沿って疏水は流れています。青点線が今歩いてる大原街道、左の青線が前回の鞍馬街道になります。そして今丁度、琵琶湖疏水の疏水分線である白川疏水道の青〇印にいることになります。その青〇に立って東を向いての写真です。明治以降の大原街道は、疎水分線をまたぐことになり、疎水の水は東(画面奥)から西へ流れています。ここからもう少し西に流れた分水は、高野川の下をサイフォンの原理で越えて、松ヶ崎浄水場に琵琶湖の水を送ってましたが、現在は高野川の下を流れる水路は無くなって、直接この水は高野川に流れてしまうそうです。したがって、高野川の西にある松ヶ崎浄水場には、今は琵琶湖の水は到達してないので、琵琶湖疏水分線は今ではここで終了です。=琵琶湖疏水分線=滋賀県...大原街道9.
写真の地図は、また竹内康之さんの「京へと続く街道あるき」からの無断借用です。下方の出町柳から赤→とは逆に、やや高野川から離れるように大原通に沿って北上します。1908(明治41)年に竣工した鐘ヶ淵紡績(鐘紡)京都工場の跡地が、大原通が北大路に達する前に見えてきました。赤レンガの建物の一部が残されて、公園になっています。1975年に閉鎖された工場跡は、1978(昭和53)年に、川崎清さん設計の公団東大路高野住宅として生まれ変わりました。工場があったことは知りませんが、公団が出来たのは、私たちが松ヶ崎に引っ越してきた頃なので、憶えています。今では日本に沢山の外資系ホテルが有りすぎるぐらいですが、日本初のホリデイインがこの高野川沿い✖に出来たのは、1973(昭和49)年私が働きだした年です。泊ったことは有りませ...大原街道8.
8ヶ月ぶりの一泊旅行。娘夫婦と孫二人と私たち夫婦の6人で、婿さんの運転での旅です。助手席に座っていたら、たとえ高速道路でも、首を回して周囲の景色もゆっくり眺められ、天気も良かったですし、良いドライブです。鳴門の渦潮の観潮船を大鳴門橋通過の時に眺めていたら、肝心のブログ特派員としての写真撮影を忘れていたことに気づきましたが、時すでに遅し、もう四国に上陸寸前の、この小鳴門海峡に架かる撫養橋(ムヤバシ)通過の写真しかありません。徳島への旅は、家内の母親(92歳)の見舞いと言うか、家内よりしっかりしてる義母に家内を見舞ってもらう為の旅でした。一泊しての帰りは雨、大鳴門橋通過時も雨でした。明石海峡大橋通過時も雨、対岸の神戸も霞んでいました。10歳年下の義弟が、父の日に息子から贈られた「THEFIRSTSLAMDU...徳島旅行
今回もゆで玉子は完璧に殻が剥けました?でもこれは鶏の玉子ではなく鶴の玉子です。今回は割ってみても卵でしたが、本当は宮崎県産日向夏を使用した餡をふんわり生地で包み込んだ季節限定(5月~8月)「日向夏鶴乃子」です。明治38年創業の博多の老舗石村萬盛堂の名物お菓子鶴乃子の一つですが、爽やかな酸味と香りの夏の風味と言うことです。1個100~130円ぐらい、フワフワっとマシュマロよりも柔らかく食べられて、好きです。69.日向夏鶴乃子
最近はゆで玉子はほとんど作らず、目玉焼きばかり。それも蓋はせずに、ゆっくり弱火や余熱で目玉焼きを作ってますので、黄身は黄色いまま綺麗ですが、これで黄身はほぼまだ液体ですので、啜って食べてます。久しぶりにゆで玉子を作って、完璧に殻を剥いてみました??茶色いのもあるので、バレましたね。完璧に剥けたゆで玉子ではなく、黒ゴマのペーストと黒ゴマ餡をカステラ生地で包んでホワイトチョコでコーティングした「ごまたまご」と、ココアスポンジでキャラメル餡とチョコフィリンクを包み込みキャラメルの香りを添えたダークチョコで仕上げた「チョコたまご」です。舌を噛みそうな材料で出来てるややこしそうなお菓子ですが、東京の定番土産の様です。東京玉子本舗銀座たまやさんの「ごまたまご・チョコたまご」、1個170円ぐらいですかね。断面では完全に...68.ごまたまご・チョコたまご
今年のゴールデンウイークは、3連休3日空いて4連休が世間の流れでしたが、私は毎週4連休なので、全くゴールデンウイークの恩恵は受けない年になりました、と言うか毎週がゴールデンウイークの私です。4月26日(木)、連休前の仕事場の庭の枝垂れ桜は完全に緑で、隣の柳や楓と区別がつかないようになってました。ゴールデンウイーク前半の4連休は、道の駅巡りや近所の散歩だけで済んでしまいました。写真の比叡山も緑みどり、もう山笑うの季節は過ぎてしまったことになるんですかね。いろんな道の駅では、3日とも早い昼を食べて混まない間に帰ってきましたが、草津の道の駅の「コロッケうどん」は意外と美味しかったです。後半の4連休は、娘夫婦に連れて行ってもらい、奈良の息子宅まで孫も一緒にドライブ。阪神はゴールデンウイーク中4勝3敗1引き分け2回...ゴールデンウイークはいつもと同じ
ゴールデンウイークはなんということなく過ぎて行ってます。ブログはいよいよ地図青点線大原街道を行きますが、文字通り大原通を行きます。大原口から賀茂川に架かる出町橋を渡り鴨川デルタも散策した後、高野川に架かる河合橋を渡ります。川が合流する所にある橋だから河合橋か、なるほどと一人納得してましたが、近くにある下鴨神社の摂社河合神社から付けられたようでした。河合橋、大正7年(1918)に建築家武田五一設計の立派な橋です。最近拡張整備されて、京阪出町柳駅から下鴨神社へ行く観光客が歩きやすくなりました。河合橋を渡ると、京阪電車・叡山電車の出町柳駅です。高野川左岸に沿って北上するとすぐ、京都府下鴨警察署です。最初の免許更新は、まだここで出来たような気がします。御蔭橋(ミカゲバシ)の通りを右折し、すぐに左折して、何とな...大原街道7.
いわゆる鴨川デルタと言われてる、賀茂川と高野川が合流して鴨川になる出町の三角州当たりの地図です。出町橋を渡りながら、手前の賀茂川と遠くに東山の大文字(如意ヶ嶽)を望みます。今年はここも人が出て集まってくるようになりました。北大路通りに架かる加茂大橋の上流に作られた飛び石です。少し上流の葵橋は、下鴨神社がある関係で、昔から仮橋などがあったそうですが、平安時代にはこの辺を渡るには、このような飛び石伝いが普通に行われてた気がします。この鴨川デルタ周辺は、葵公園と呼ばれていて、最近再整備も行われ、北側(葵橋近く)には京の名石が加茂七石として、貴船石・鞍馬石・賤機石(糸掛石)(シズハタイシ/イトカケイシ)・紅加茂石・畚下し石(フゴオロシイシ)・雲ケ畑石・八瀬真黒石(ヤセマグロイシ)と並んでいました。奥から二つ...大原街道6.
出町散策最後は写真地図中央の広場ですが、真ん中に地下駐車場への出入り口が出来てるので、ほぼ道路だけの広場になっています。広場南側賀茂川べりには、江戸末期から続く「タネゲン」と言う園芸店が有ります。その横にある妙音弁財天(ミョウオウベンザイテン)、昔ここにあった伏見宮家お屋敷に祀られていたそうですので、近くには天皇陵巡りでも紹介した伏見宮家墓所も有ります。私の息子たちが幼稚園の頃は、弁財天前の金魚すくいで捕った金魚が、いつも家の水槽で泳いでいましたが、今も露店出てましたね!賀茂川沿いの北側には、私が学生時代に愛用した公衆トイレが今も残ってます。京都の公衆トイレは綺麗になりました、ここも綺麗に改修されています。少し北のコーヒーハウスマキも、同級生がこの上に下宿していたこともあって、よく行きましたが、まだ有...大原街道5.
写真は河原町今出川交差点、この辺りは50年以上前の大学時代からなじんだ場所です。左に小さく映ってる輸入食品さんで、安い紅茶を買って飲んでいました。近くには美味しかった学生食堂の「なかじま」も有りました。立命館大学が引っ越して、同志社大学も地下鉄が出来て学生の動線が変わったようで、大学生は少なくなったと思います。その中で出町桝形商店街は、努力して色んなイベントも企画して頑張っておられます。2017(平成28)年出町座と言う小さな映画館も出来ていますが、残念ながら私はまだ行ったことが有りません。出町は鯖街道の起点ですので、鯖寿司を売ってるこの名も無い小さなうどん屋さんにも、最近は店の外まで並んでいる人を見るようになっています。大学時代には、この辺にあったその頃としては本格的なスパゲティの店、同志社女子大の女の...大原街道4.
もう一度出町付近の同じ地図です。青線を引いたのが出雲路幸神社です。日本最古の縁結びの神として神代の時代に始まり、平安京創建時には、第50代桓武天皇により東北の鬼門除け守護神として出雲路道祖神として造営され、江戸時代に幸神社(サイノカミノヤシロ)と改められた小さな社です。青線を引いたもう一つは本山本満寺、その境内の桜は外国人のSNSで有名になったそうで、8年前私が島から帰って出町の診療所で働きだした時にはもう有名で、この写真の桜が満開の時には、観光客で一杯になってました。本満寺の墓地には、何故か山中鹿之助の墓があることも以前紹介したと思います。地図の青▲は改進亭総本店、昔から猪肉を売ってることで有名な店ですが、私は買ったことはないと思います。青■はマツモト模型店、知る人ぞ知る有名鉄道模型店です。ウインドウに...大原街道3.