chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
tekedon638
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/02/27

arrow_drop_down
  • 気を失うほどの美しさ

    過日投稿のブログで、往年の女優さんのことを何人か思い出したので、老生が少年の頃に憧れていた女優さんについて書かせていただく。中学生の頃、東映時代劇のお姫様女優、桜町弘子さんの清楚で愛らしい魅力に傾倒し、熱烈なファンになった。知り合いの伝手を頼りに、東映京都太秦撮影所をニ度も訪れた。ニ度目の見学の際、スタジオでの撮影現場を見終え白昼の屋外に出た。オープンセットの街並みを、俳優会館に向かってブラブラ歩いていた時、ふと目をあげると、会館の外階段をスラックスとセーター姿の桜町弘子さんが降りて来た。その日は撮影が無かったらしい。ポニーテールの髪に富士額が映えていた。年頃は21・2才ではなかったか?ご本人の素顔を間近に見て、あまりの美しさに呆然、中学生の私は意識を失いそうになった。人は本当に憧れている美しい人に会うと...気を失うほどの美しさ

  • 音声感覚・色彩感覚

    国々の民族を特徴づけ、その地を訪れた旅人に印象を刻印するのは、その国の人々が共通して用いる言語の音声と、その地に立つ建物や服飾の意匠(特に色彩)である。異国に在って、その国に普遍の音声と色彩に馴染めるかどうかは、その国の食べ物と同様、旅人の個性にとって重要なことである。社会や政体よりも何よりも①食べ物②色彩③言語音声が、その国の印象を特徴づける文化的な要素だと思う。私は妙に音に敏感で、外国語の音声に対する選り好みが強い。生理的な感覚だから、意思でどうこうできない。現代の異文化尊重とか多様性尊重など、文化人類学的見地からの常識に抵触すると言われそうだが、感覚の問題だからどうにもならない。楽器の音色に好みがあるように、外国語の音声にも選り好みがあるのはごく自然な反応かと思う。言語の選り好みには、音としての響き...音声感覚・色彩感覚

  • 刃物研ぎ

    旧い話で恐縮だが、小学校3年の時に家の改築があり、1ヶ月ほど大工さんたちが出入りした。好奇心旺盛なイタズラ盛り、学校から飛んで帰ると若い大工さんにべったり貼り付き、大工仕事を具に見学した。まだ木工機械が導入されない昭和20年代の建築工事は、大工さんが木材を現場でコツコツ加工するのが普通だった。ノコギリやノミ・カンナの使い方から、造作材の組み手の墨付け・加工法・取り付け方など、伝統の技を毎日見学できるのだから、学校の授業より遥かに面白い。職人さんたちには随分迷惑をかけたことだろう。最も関心をもったのがカンナ・ノミなど刃物の研ぎで、これは見飽きることがなかった。職人さんたちは、その日使った道具の研ぎを怠らない。それが終わるまで、大工さんに密着し、細大漏らさず刃物研ぎ作業を見守った。早速見よう見まねで、自分の工...刃物研ぎ

  • 儒教社会の鬱屈

    旧い時代に儒教の洗礼を受けた東北アジアの中・韓・日3国の社会には、合理性と実証性を缺いた儒教思想に由来する不条理な権威主義・形式主義が蔓延し、3国の一般庶民の心裡に、長い間鬱屈の思いを澱のように沈潜させ続けて来たように思う。個人を自縄自縛に陥れる教条によって醸成された鬱屈が、広く社会の各層に蟠っていると観て差し支えないだろう。儒教精神は、社会を開明・闊達な方向には導かなかった。その鬱屈の思いは、人々の生得の健全な精神に悪影響を与え、自然に浄化消滅することなく、3国各民族の特性となって、累代に亘り積もり続けていると思う。極端な家族主義や本能である恋愛を不義と見做す偏見、滅私奉公の忠義の押し付けなど、儒教精神に由来する不条理なものの考え方や行動規範は枚挙に遑ない。儒教統治システムによる大衆支配に馴致させられた...儒教社会の鬱屈

  • 医療先進国

    私たちは日頃、健康を保つことに特段の注意を払っているが、いったん病気になって病院にかかってみると、自分のほかにこんなにも多くの、治療を必要とする病人がいることに愕き、失われた健康の回復を痛切に願う。日進月歩の医学の進展は、検査の精度を高め、診断の正確性は向上の一途を辿っている。治療成績も卓越していることだろう。今日、疾病は比較的軽微なうちに発見でき、早期に治療できるようになった。病気によっては、発病前に治療に着手したり、発病を防ぐことすらできるようになっているらしい。有病率というものは、年齢に応じて高くなるものだから、早期発見と相まって、高齢者が何かしらの疾病をもっているのは当たり前の時代になっている。身体的疾病の対極にある、生命に直結しない精神の疾病となると、内科領域・外科領域の長足の進歩に比べ、私が寡...医療先進国

  • コケット

    コケット(coquette)とはフランス語で、「洗練された大人の女性」を意味するらしい。独特の性的な魅力があり、男性を魅了する女性がcoquetteであるらしい。コケティッシュ(coquettish)はコケットの形容詞で、蠱惑的と訳されている。魅惑的とも扇情的とも違う。訳語のキーワードは、日頃見慣れない文字「蠱」(こ)である。皿の上に虫が盛られた形は、想像するだにゾッとする。占いを表す象形で「たぶらかす」の意があるという。蠱惑的とは「妖しい色香によって人の心をひきつけ惑わすこと」らしい。要するに曲者である。魅力的と言われて嬉しがる女性も、蠱惑的と評されると眉を顰める。コケティッシュな女性の数は多くないが、大方の男性はこのタイプに大層弱いと推測する。コケットすなわち蠱惑的な女性はモテて困る筈である。私は幼児...コケット

  • 恋の仄めかし

    日本の女性は、恋情を男性にストレートに告白するよりも、仄めかす方が圧倒的に多い?(多かった)のではないかと思う。社会は、歴史的にそれを歓迎して来た。告白より仄めかしの方が奥ゆかしいからだろう。それは、女性にとっても好都合だった。実は仄めかしには、相手の好意が得られなかったとき、相手の誤解にすり替えて仄めかしの事実が無かったことにし、女性が失恋の憂き目に遭わないで済むようにとの配慮と予防策が感じられる。要するに狡いのである。仄めかしが使えることは,女性ならではのアドバンテージである。男性はこの方法が使えない。禁じ手と言ってもよい。男性の仄めかしは男らしさに欠ける。卑怯者か臆病者であることを自ら表明するも同じであり、評価を下げてしまう。これでは女性の心は掴めないだろう。我が身を省みると、忸怩たる思いに駆られる...恋の仄めかし

  • 人格と品性

    人は人格円満・品性高潔でありたいが、そのような人物にはなかなかお目にかかれない。それだけ、人格と品性とを兼ね備えることは難しいと言うことだろう。品性が陋劣であると、人格が低俗に傾くことは避けられない。品性こそ人として最も重要視されるべき徳性である。一般に、品性は先天的要素が、人格は後天的な要素が大きいと考えられている。したがって、人格は自らの努力で陶冶するものである。先天的な品性が秀れていれば、後天的な人格も良い方向に向かう可能性は高いが、品性が陋劣であっては、人格を磨き上げることはできない。他方先天的に決定づけられている品性は、内からも外からも、陶冶したり矯正したりすることは難しい。品性が生まれつき高潔なら、人格を劣化させるような環境に育っても、人は陋劣に向かうことは決してない。つまり人は品性が大事で、...人格と品性

  • 肉体と精神の調和

    先史時代以来、人類はその圧倒的な大多数が、肉体労働で生活を営んで来た。狩猟・採集の旧石器時代から金属器農耕時代、機械と蒸気機関、そして産業革命を経るまで、人々の日常生活は、男女共に肉体労働で成り立っていた。農耕を知り富が生まれ、権力者が出現した時から、祭祀者や呪術者、学者、医者、芸術家、建築家など、ごく少数の、専門知識や精神労働で権力者に仕える階層が出現した。同時に権力の実行を司る官僚群が出現し、肉体労働に依らない階層を形成する。権力は拡大増殖する性質をもつ。精神労働や専門知識で権力に仕える人々もそれに伴って増え続けた。それでも、精神労働で生きる人たちは、被支配者のうちのごく僅か、ほんの一握りの人々でしかなく、他は全て肉体労働に従事していた。近世になり、資本主義が発達して産業が起こり、労働の分業化と単純化...肉体と精神の調和

  • 人民統治の学

    当ブログでは、日本の社会に儒教がもたらした負の影響を考えることが多い。何しろ仏教より以前に漢字と共に到来したのだから、本邦初の渡来文化である。社会に根深く浸透していて当然、その影響は甚大である。今回は、論語が教える「和して同ぜず」という言葉を緒に、考えてみた。この言葉は、洵に不遜で手前勝手な考え方であると老生は思う。もうちょっと丁寧に言うなら、非現実的で高踏的な綺麗ごとだ。私はある時これを大真面目に家訓にしている名家があることを知って、嘆息を洩らすしかなかった。論語にあるなら、何でも正しいと受容するのだろうか?こういう人たちが、一番油断ならない。そんな手前勝手な考え方が通用するはずもないではないか。和したら同ずるのが人情の常である。論語の教えの対象は、国の支配者すなわち君子であって、一般庶民を想定していな...人民統治の学

  • 暇潰し

    定年を前にした方たちの中に、「退職したら暇潰しに困りそう」と宣うご仁が偶に居る。単に寂しさを紛らす言葉で、本音ではないのかもしれないが・・・その人は、仕事に就いていた時期、仕事以外にやりたいコトやモノが何も無かったのだろうか?それとも仕事の内容が、それを許さなかったのだろうか?身過ぎ世過ぎに忙しい私たちには、暇が天から降って来ることはけっしてない。暇はつくるもの、こしらえるものである。人生を大切にする人は、暇をつくることに吝かであってはならない。「寸暇を惜しむ」の言葉があるように、ほんの僅かな自己裁量時間が暇というものである。暇ができたらやってみようか?などという消極的な動機や意欲しか持てない事柄だったら,やらない方が好いのではないか?積極的にやりたい事なら、やり繰りして暇をつくり実行するはずである。そも...暇潰し

  • 雨上がりの朝

    明け方に雨が降ったようだ。シャッターを開けたら、道も草木もしっとりと濡れていた。まだ5時台だから涼しい。急に意欲が湧いて、久しぶりに、2km先の佐鳴湖まで段子川の岸辺を往復した。かつて壮年の頃は、毎朝歩いた懐かしい定番散歩コースである。川中にいる水鳥と両岸の草木など、観察の対象が多く、歩行の退屈を紛らすことができる。まず目についたのが黄色のオオマツヨイグサ。夏の終わりを告げていた。段子川の河口の手前の橋で折り返し、対岸の道を戻る。川端に桑の木が生えていた。いつも感心する精力旺盛な木である。かつて娘の学習課題を手伝って、蚕の猛烈な食欲の激しさを目の当たりにした時、桑がこの世に無ければ、蚕の食欲を満たせないと痛感した。桑と蚕の精妙な組み合わせに、自然という造物主の無限の力を感じた。それに似た例は、ほかにも無数...雨上がりの朝

  • マクワウリ

    老いが進むに従って、幼少期の好物が懐かしくなっている。そのひとつが、真夏の味覚のマクワウリ。メロンの仲間だが、より淡白な、甘味の少ない、独特のほのかな香りのある果実である。マクワウリ(真桑瓜)は、旧くから栽培されていた作物で、日本では縄文時代の遺跡から種が見つかるらしい。南アジア原産の、マスクメロンなどと近縁の仲間とか。真桑とは、岐阜県南部の地名で、江戸時代にはここが主産地だったことから、マクワウリの名が広まったという。当地ではこのマクワウリをキンコウリと呼んでいた。キンコウリはスイカと共に、昭和の海水浴での定番の食べ物だった。ふたつに割って海水でサッとタネとワタを洗い、均等に切り分けて食べると、海水の塩味で爽やかな香りとほのかな甘味が湧き立った。ハネジューメロンやプリンスメロンが作出される以前には、マク...マクワウリ

  • 羨望

    自己の優越を願い、それにこだわる人ほど、自分より優越した存在に強い羨望を抱くものらしい。優越願望は自己愛に発しているもので、人の向上心の原動力になり、努力の源泉でもある。上昇志向はそれによって支えられている部分が大きいかもしれない。しかし上には上があるのが世の中、天賦の才能と弛まぬ努力があっても、優越願望が満たされることはそんなに多くはないだろう。運という自分ではどうにもならない要素が関与する。3つの要素が揃わないと願望が達成できないとなると、人の心の中には、置き去りにされた願望=羨望が累々と溜まる。精神衛生のためには、羨望は成る可く速やかに排除し、溜めない方が良さそうだ。優越願望の人は、苦心して獲得した自己の優位(社会的・経済的・肉体的)が脅かされると、何らかの不穏な心理に陥り、思ってもみない行動に奔っ...羨望

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、tekedon638さんをフォローしませんか?

ハンドル名
tekedon638さん
ブログタイトル
道々の枝折
フォロー
道々の枝折

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用