教員である皆様であればご理解いただけるかと思いますが、1単位時間の授業において、教えるだけが教員の仕事ではありません。知識や技能を教えることももちろん重要ですが、教えたことを活用する力や教えようとしていることを読み取る力、自ら考えようとする力など、目に見えない力を養う必要があります。
現場経験がある方が大学教員になると、多くの場合実習関係の科目を担当することとなります。 関係科目であればまだよいかもしれませんが、「教育実習」を担当することとなると、なかなかに大変となります。 それぞれの科目に大変さはありますが、教育実習に送り出す準備はおおよそ1年前から始まります。
小学校教員の方々は、どのような基準で現在の自治体を選択したのでしょうか。 地方でのんびりと子ども達と過ごしたいから、首都圏で私生活も充実させたいから、とにかく教員になりたいから、などなど様々な理由があるかと思います。 私の場合は、とにかく教員になりたいという想いが強かったため、日程が許す限りの教員採用試験を受けました。
私は小・中・高校の教員採用に関わったことがないため、推測でしかないのですが、大学以外の校種においても縁故採用はあると考えています。その理由としては、私が教員採用試験を受けるとき、そして、小学校教員として働いていた時を振り返ると、校長の息子や教育委員会に所属する方の子どもなどの採用が明らかに多いなと感じていたからです。
説明しますと、「忌引」による公欠を多用してくる学生ということです。 大学においては「公欠」というものが存在しない大学もありますので、忌引による欠席は公欠とはならない大学もあるのですが、確実に配慮すべき欠席とはなります。そのため、単位認定に係る3分の1以上の欠席になりそうな場合に、「殺人」を起こす学生がいるのです。
授業を行う以上、学生との距離感は少なからず意識することがあります。学年といった集団との距離感も、学生との個人との距離感もやはり「適切」な距離感がベストです。それは言わずもがなですが、理想の距離感を保つことは簡単なことではありません。距離感が遠すぎると授業内容が上手く伝わらず、近すぎると授業の規律が乱れることもあります。
小学校で働いていた時も短大で働いていた時も、学生に出会いました。 そんな中で、昔も今も私にとって対応が難しい学生が存在します。 それは 「連絡がとれない学生」 です。 連絡がとれないということは誰にとっても対応が難しいのですが、メールやSNSが発展してきた現代においても、連絡が取れないというのは非常に悩ましい問題です。
大学ではそろそろ成績評価の期間へと入っていきます。 大学における成績評価は年々可視化が求められており、その基準についてはシラバスに明確に記載すると同時に第1回の授業でも説明することが望まれます。そのため、最近はシラバスに「〇〇:30%」「△△:40%」といった形で明確に成績の基準が示されていることがほとんどです。
基本的に教職についている方はみな、研究者だと私は思っています。 日々授業について研究し、試行錯誤を重ねながら再度授業に臨む。 もちろん、教務主任や教頭、校長などの要職に就き、日々の授業から離れる人もいますが、それでも「教育」について考える環境は変わりませんので、否が応でも教育について考えることとなるわけです。
段ならあまり気にならないかもしれませんが、公募書類となれば誤字・脱字が気になってしまい、提出するまでに何度もチェックをするということが起こりがちです。 過去には出した後も見返すことがあり、そこで誤字・脱字を見つけた場合などは絶望していました。 では、誤字・脱字があった場合、どの程度公募の採否に影響するのでしょうか。
このようなタイトルを書くとおしかりを受けそうですが、あえて考えてみました。 私は小学校教員から短大教員となり、現在は4年制大学で勤務をしており、ありがたいことに、20代から短大で働かせていただいております。そのため、嫌味に聞こえるかもしれませんが、若いうちから大学で働かせてもらっている教員の一人と考えています。
大学におけるオープンキャンパスは、大学側にとっても生徒側にとっても重要なイベントの一つとなります。 大学側としては学生募集につなげたいという想いがあり、生徒側としては、進学先の選定材料として大学について知りたいという想いがあります。 最近、自分が大学生だったころと比べると、大きく変わったなと感じることが一つあります。
先月、非常勤講師への応募を行い、先日、その結果がきました。タイトルからお分かりかと思いますが、丁寧な「お祈り」をいただきました。簡単ではありますが、振り返りと闘争の所感を書いていきたいと思います。今回の公募は締切から結果通知まで10日という非常に早いものでした。
詳しく説明すると、「自分ができていないことは、それを人に指摘する資格はない」と思っているということです。 例えば、自分の箸のもち方が正しくないのに、それを棚に上げて子ども達だけには正しい持ち方をするように指導する、といった状況などです。 分かりづらいのですが「指摘しない=教育を放棄する」ということではありません。
運動が好きな子にとって、雨の日は退屈に感じるかもしれません。 運動が好きでなかったとしても、遊べる場所が制限されてしまうと、駄々をこねたり、退屈から機嫌が悪くなってしまうこともあります。 そんな時に活用したいのが「トランポリン」です。最近では自宅の中で手軽にトランポリンを楽しめるような商品があります。
短大では、研究室とは別に「職員室」と呼ばれる部屋が用意されており、この部屋では学科会議などの会議が開催されたり、学科全体で共有しておくべき書類などが保管されていました。 基本的には学科専属の事務員さんが常駐しており、無人ということにはならなかったのですが、学科教員であれば誰でも使うことのできる部屋となっていました。
大学教員は基本的に自分の専門に適した授業を担当することとなっていますが、多くの場合、専門外の科目も担当します。若手の教員であればあるほど、その科目はどんどん増えていきます。 もしかすると、自分の専門だけを担当科目として持っている教員はほとんどいないのではないかと個人的には思っています。
よく、奨学金は学生時代の借金と言われ、給付型奨学金でない限り、社会に出てから返還しなければなりません。そのため、奨学金=借金と言われることがあります。 この主張に異論はありません。 利率や返還条件などは様々ですが、「お金を返さなければならない」という点においては借金と何ら変わらないからです。
researchmapとは、科学技術振興機構という団体が運営している研究者のためのサイトであり、簡単に言えば、業績を含む研究者情報を公開しているサイトとなります。 このresearchmapは、J-GLOBALやKAKENなどといったサイトとも連携しており、大学の教員紹介とも紐づいていることの多いサイトとなっています。
今回は「良い授業」とはどのような授業なのか、ということについて考えてみたいと思います。 最初に断っておきますが、私は教育関係の分野を専門としています。 小学校教員、短大教員、大学教員と、校種は違えど、一応、教育に携わってきました。 職歴も長くないのですが、教育について考えるという環境に身を置いてきたと思っています。
保育者養成課程において、保育士資格を授与する大学、または、教員養成課程において教員免許を授与する大学において発生する業務となります。 ただ、私を含めて小学校教員から大学教員となられた方は、基本的には教員養成課程に所属することが多いのかなと思いますので、実習巡回も行う可能性が高くなります。
短大に勤めて3年目を迎えたある日のこと、私は学長室に呼び出されました。 その年、私は教務委員長をさせてもらうこととなっていましたので、委員会の開催時期とその報告について、スケジュールを確認するためでした。 誤解を与えてはいけないため説明をしておくと、短大と4年制大の教務委員長は仕事内容も重みも全く異なります。
転職の際に勇気をもらった言葉~何かを変えるためには、何かを捨てなければならない~
過去の記事をご覧いただいている方はご存じかと思いますが、私は小学校教員から短大教員、短大教員から大学教員へと転職をしています。 同じ教員ですので、校種が変わったというだけで転職というものでもないかと思いますが、少なくとも、2度の「退職」を経験しています。 その経緯についてご存じない方は、以下の記事をご覧ください。
近年、特別な支援が必要な学生の入学が増えてきました。これは、指定校推薦やAO入試で多くの入学生を確保する、いわゆるFラン大学に私が勤めているからかもしれないのですが、全国の大学では、特別な支援が必要な学生の受け入れ態勢を広げるよう指示が出ています。 例えば、教育実習に関しては以下のような連絡が文科省から出されています。
「ブログリーダー」を活用して、源さんをフォローしませんか?
教員である皆様であればご理解いただけるかと思いますが、1単位時間の授業において、教えるだけが教員の仕事ではありません。知識や技能を教えることももちろん重要ですが、教えたことを活用する力や教えようとしていることを読み取る力、自ら考えようとする力など、目に見えない力を養う必要があります。
大学教員公募において、運は大変重要な要素と言えます。なぜかというと、他の校種とは違い、毎年採用試験が行われるわけでもなく、過去問があるわけでもなく、必要な人材の条件が公募ごとに変わるからです。何が言いたいのかと言うと、公募に定期的に起こされるものではなく、ある大学のあるポストに空きが出ない限り、公募は起こらないということです。
近ということではないのですが、前々から違和感を感じていたことがあります。 それは、「お金より幸せなことがある」「学歴が全てじゃない」と言った内容のことを周りに諭すように話す人達のことです。確かに、お金より幸せなことや、学歴だけが全てではないという世界もあるでしょう。 それは間違いありません。
現在、卒論指導の真っただ中ではありますが、最近ふと思うのは、「学生をいかにして救うか」という考えが染みついてしまっているなあ、ということです。 卒論指導だけでなく、普段の授業においてもレポートの内容がひどかったり、授業への取り組みが良くなかったりする学生がいたとしても、何とか単位をあげられないかと考えてしまっています。
大学教員公募も冬の時期に差しかかり公募情報から焦りが見え始める今日この頃ですが、公募情報を見ていると「update」という表示を見かけることがあるかと思います。jrecinでは緑色で表示されており、「新規」の表示である赤色のアイコンとは別の色で表示されているため、公募一覧を見ていると違いに気が付くのではないでしょうか。
見出しの出し方から予想できるかと思いますが、私個人として根性論は悪だと思っていません。 大学生と関わっている中でも、「つべこべ言わずにやれ」感じることは多々あります。ただ、社会の流れとして根性論はタブー視されるようになっており、根性論を唱えることとパワハラ認定されることは紙一重だと感じております。
世間的には「教え子に積極的にかかわる先生」がいわゆる「良い先生」として映るのではないかと思っています。確かに、子どもたちと積極的に関わり、学校生活の時間を共有することで、子どもたちの情報は手に入るかもしれません。ただ、「こどもと積極的にかかわる先生」=「良い先生」というのが妄想であるということをお話ししたいと思います。
今回は秋の公募が小学校教員におすすめだということについてお話ししたいと思います。タイトルと冒頭には「小学校教員におすすめ」と書きましたが、中学校、高校、特別支援学校、高専など、他の校種の先生方にもおすすめです。異動を考えている大学教員にもおすすめとなりますので、小学校教員だけにこだわらずにお読みいただけたら幸いです。
タイトルを見るとややこしく感じてしまうかもしれませんが、何を言いたいのかといいますと「何事も予定していたこと、予想していたことの通りにはいかない」ということです。例えば、週末にディズニーランドへの旅行を計画していたとしましょう。多くの方は週末を楽しみにモチベーションをあげたり、当日のスケジュールを考えたりするでしょう。
公募内容が細かく書かれているというのは、どういうことなのか説明したいと思います。例えば、担当予定の科目や授業内容、賞与の有無、公募スケジュールなど、それぞれの項目において詳細に書かれている、ということを意味しています。ただ、細かく書かれている公募から読み取れる意図としては、二つの背景が考えられます。
「イライラした時の対処法」「ストレス解消法」などと言った方法は巷に溢れておりますので、今更お話しすることもないかと思っていました。 ただ、私のイライラした時の対処法は特殊だと知人に指摘されたことから、一つの考え方として、何かのきっかけになればと思い、今回、記事にしてみることにしました。
教員の方は聞きたくもないくらい聞いたことのあるワードだと思いますが、指導案をご存じない方のために簡単に説明しておくと、授業を進めるための計画案のようなものです。 授業を行う意図、板書、子ども達への質問、子ども達からの予想される回答、子ども達の動き、授業の流れ、などが書かれた計画案といえます。
大学教員公募の数が徐々に増えてきており、公募人事が本格化する夏を迎えようとしております。そのような中で、転出先を決める最重要事項ともいえる項目が「待遇」だと思います。もちろん、研究環境や立地、学生の質など、何を重要視するかはそれぞれですが、待遇は生活に直結する事項ですので、昔も今も最重要事項の一つといえるでしょう。
ご存じでない方もいらっしゃるかと思いますので「サイヤ人」について説明しておくと、漫画「ドラゴンボール」に登場する異星人の種族名です。サイヤ人は戦闘民族でありますので、戦闘に特化した様々な特性を持っているのですが、その中でも特筆すべき特性があります。それは、瀕死の状態から回復した際、戦闘力が大幅に上昇するというものです。
最近の傾向についてお話しする前に、年度が変わり、徐々に公募数が増えてきました。大規模大学の一部は前年度(2023年度)から次年度(2025年度)の募集をすることがあるため、例外的なところもありますが、ほとんどの大学がここから夏にかけて公募数を増やしてきます。 そのため、これから大学教員の闘いが本格化してきます。
今年度は2つの場所で非常勤の採用をいただきました。 採用は前期1つ、後期1つとなりますので、現在進行形で進んでいる前期の非常勤先についてお話をします。今期の非常勤は2コマ担当となっており、本務校で教えている内容と重なっているため、本務校と合わせると3回同じ内容の授業を行うこととなります。
大学や研究職に就かれている方でないとぴんと来ないかもしれませんが、研究費というのはその名の通り、研究を遂行するために使えるお金であり、自分の私腹を肥やすためのものではありません。たまに研究費の不正利用で話題になる人がいますが、それは、研究以外に研究費を使ってしまっているからです。
jrecinをご存じない方のために簡単に触れておくと、jrecinというのは大学教員の公募情報が集まるサイトのことです。基本的に大学教員を目指す、または大学を異動したいと思った時には、こちらのサイトで公募情報を確認し、応募します。大学のホームページにしか載らない公募などもありますが、ほぼすべての公募が集まります。
義務教育学校まではあまり関わりがないかもしれませんが、高校、さらに大学になると、髪の毛の色を染めてくる生徒、学生が出てきます。髪の毛の色を染めること自体に何も感じることはありません。私も学生の頃は染めたこともありますし、おしゃれの一環として楽しむ分には全く問題ないでしょう。
仕事が早い人の要因には様々なものがあります。事務処理能力が高い、集中力が高い、的確に仕事を振ることができるなど、その他にも多くの要因があるかと思います。そもそも仕事が少ない、仕事が簡単など、ネガティブな要因ももちろん含まれている可能性があります。ただ、個人的には共通している点があると感じています。
最近の傾向についてお話しする前に、年度が変わり、徐々に公募数が増えてきました。大規模大学の一部は前年度(2023年度)から次年度(2025年度)の募集をすることがあるため、例外的なところもありますが、ほとんどの大学がここから夏にかけて公募数を増やしてきます。 そのため、これから大学教員の闘いが本格化してきます。
今年度は2つの場所で非常勤の採用をいただきました。 採用は前期1つ、後期1つとなりますので、現在進行形で進んでいる前期の非常勤先についてお話をします。今期の非常勤は2コマ担当となっており、本務校で教えている内容と重なっているため、本務校と合わせると3回同じ内容の授業を行うこととなります。
大学や研究職に就かれている方でないとぴんと来ないかもしれませんが、研究費というのはその名の通り、研究を遂行するために使えるお金であり、自分の私腹を肥やすためのものではありません。たまに研究費の不正利用で話題になる人がいますが、それは、研究以外に研究費を使ってしまっているからです。
jrecinをご存じない方のために簡単に触れておくと、jrecinというのは大学教員の公募情報が集まるサイトのことです。基本的に大学教員を目指す、または大学を異動したいと思った時には、こちらのサイトで公募情報を確認し、応募します。大学のホームページにしか載らない公募などもありますが、ほぼすべての公募が集まります。
義務教育学校まではあまり関わりがないかもしれませんが、高校、さらに大学になると、髪の毛の色を染めてくる生徒、学生が出てきます。髪の毛の色を染めること自体に何も感じることはありません。私も学生の頃は染めたこともありますし、おしゃれの一環として楽しむ分には全く問題ないでしょう。
仕事が早い人の要因には様々なものがあります。事務処理能力が高い、集中力が高い、的確に仕事を振ることができるなど、その他にも多くの要因があるかと思います。そもそも仕事が少ない、仕事が簡単など、ネガティブな要因ももちろん含まれている可能性があります。ただ、個人的には共通している点があると感じています。
新年度となり、ほとんどの職場で新入社員や新入職員が入ってきたのではないでしょうか。それに伴い、新体制が構築され、会社や学校でも新しい組織として年度が始まっていきます。私の職場でも、新任教員、新任職員が着任し、全体での顔合わせの会議が行われたところです。年を重ねるにつれ、この新年度に感じるようになったことがあります。
まず一つ目の人種は研究に傾倒する「研究没頭人」です。その名の通り、研究に全ての力を注ぎますので、業績が大量に蓄積されており、外部資金もガンガン取得してきます。大学教員の主な仕事は研究と教育ですので、最も大学教員らしい人種と言えるかもしれません。大学としても、顕著な研究成果を挙げる人というのは、外部向けの宣伝になります。
以前の記事でもお話ししていますが、私は現在1校の非常勤講師を務めており、次年度からさらにもう1校の非常勤講師を務めさせていただく予定です。持論ですが、時間が許すのであれば、非常勤講師はやったほうが良いと思っています。時間や労力が割かれるのは仕方がないのですが、デメリットを超えるメリットがあると感じています。
研究の世界というのは、想像以上に残酷な世界だと感じています。 大きな研究ができる人はさらに大きな研究へと進みますが、小さな研究をいくら積み重ねたところで、大きな研究へとつながることはほとんどありません。稀に小さな研究が大きな研究へとつながることがあるかもしれませんが、確率的に宝くじのようなものでしょう。
今回は自己点検委員会に絞ってお話ししたいと思います。簡単に紹介すると、大学がきちんと運営されているかどうかをチェックする内部機関となります。大学に勤めていなければ聞き慣れない機関かもしれませんが、おそらく、一般企業であれ、教育機関であれ、どのような部署であれ、自分達の活動を振り返る機会があると思います。
春休みである2月、3月は大学教員にとって研究を進める絶好の機会となります。そのため、夏ほどではないですが、学会などが開催される機会も多くなり、研究に打ち込める時間が確保しやすい時期です。 ただ、3月に入ると、途端に増える仕事というのがあります。小学校教員の皆様であれば、成績評価、要録の作成などが挙げられます。
、小見出しの言葉は「木を見て森を見ず」という故事成語に倣った言葉です。 故事成語本来の意味としては「小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえ」ということですが、その意味に倣って、大学だけを見て、その運営母体である法人まで確認しないのは危険だということをお伝えしたいと思います。
私は海外の大学で働いたことがないため、実体験をお話しすることができないのですが、海外から日本に戻られた先生方は口をそろえて、「日本の大学教員は事務作業が多い」と言われます。最近拝見したYouTubeの中でも筑波大学の柳沢正史先生が同様のことをおしゃっていました。京都大学の山中伸弥先生も同様のことをおっしゃっていました。
ポジティブマンとは、私が勝手に考え出した言葉ですので、一般的には使われていない言葉です。Kis-My-Ft2というグループがPositive Manという楽曲を出されているようですが全く関係ありません。テキトーに呼んでいるだけですので意味づけもテキトーでして「常にポジティブ思考な人」という意味合いでしか考えていません。
現在、大学は春休み中です。小学校から高校までの先生方も、3月下旬からほんの少しだけ春休み期間に入るのではないかと思います。もちろん、春休みというのは「学生や子ども達が」ということであり、教員に休みはありません。ただ、授業という職務から解放されるだけでも、気持ち的にだいぶ楽になるのは事実です。
本来行うべきであった仕事が諸事情により延期となり、延期となったが故に、私が以前から予定していた仕事とバッティングしてしまうという事態が起きました。 以前から予定していた仕事は研究関係のものだったため、優先順位としては本務のほうが高くなるのですがどうしても外すことができず、同僚の先生に代わってもらうこととなりました。
これまでの人生を振り返っていただき、一度も努力をしたことがないという人は、おそらく皆無でしょう。 子供の頃から、どこかしらで「頑張らないといけない」という機会が訪れていたのではないかと思います。 幼稚園のお遊戯会の練習や学校のテスト、資格の勉強など、年齢が上がったとしても、その機会は幾度となく押し寄せてきます。
百聞は一見に如かずという言葉は、誰しもが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。「百聞は一見に如かず」という故事の意味を確認しておくと、人から何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうが確かであり、よくわかる。という意味ですが、これは「見る」ということに限らず、広い意味で「経験」にも置き換えられると思っています。
大学教員になれるかどうかというのは、最終的には運だと思っていますが、様々な要素が重なり合って採用が決まるというのは否定できません。今回はその要素の中で3つを取り上げ、その要素の組み合わせから確率を導き出したいと思います(個人の偏見ですので、私の経験以外の根拠はありません。悪しからず。)