形式名詞「もの」に助詞がついて一語化したものです。もともとはどれも「逆接」の使い方が主流でしたが、「ものから」「ものゆゑ」に関しては、次第に「順接」の使い方も見えはじめ、近世になると「順接」がだいぶ増えてきます。
もともとは水上を移動して、水面で隔てられた向こう側に移動することに用いられました。中古では、水上に限らず、地面や空中を移動することにも広く用いられるようになります。類義語「わたす」のほうは、中古になっても「水上」を移動することにほぼ限定されます。
『徒然草』百二十九段の現代語訳です。
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形式名詞「もの」に助詞がついて一語化したものです。もともとはどれも「逆接」の使い方が主流でしたが、「ものから」「ものゆゑ」に関しては、次第に「順接」の使い方も見えはじめ、近世になると「順接」がだいぶ増えてきます。
形式名詞「もの」に助詞がついて一語化したものです。もともとはどれも「逆接」の使い方が主流でしたが、「ものから」「ものゆゑ」に関しては、次第に「順接」の使い方も見えはじめ、近世になると「順接」がだいぶ増えてきます。
ひともをし ひともうらめし あぢきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは和歌 (百人一首99)人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は後鳥羽院 『続後撰集』歌意人がいとおしい、一方では人が恨めしいと思う。つまらないとこ...
この世の中は、いつまでも変わらないものであってほしいなあ。波打ち際を漕ぐ漁師の小舟の綱手を、漁師たちが引いている様子はしみじみといとおしいものだ。
行き届いているフルハイビジョン意味(1)きめこまやかだ・繊細だ(2)綿密だ・くわしい・こまごまとしている(3)心がこもっている・愛情深い・懇切丁寧だ(4)色が濃い(5)にこやかに *「笑ふ」を修飾してポイント繊細で綿密なようすを意味してい...
「こそあらめ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の未然形+助動詞「む」の已然形です。「こそあれ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の已然形です。どちらも、多くは「逆接構文」をつくるので、基本的には「~けれど」という逆接のかたちで訳しましょう。
~けれど、~~!!意味~こそ(ー已然形)、 *前提句となる(1)~は(こそ)ーけれど、 / ~は(こそ)ーものの、 *逆接強調~こそ(ー已然形)。 *前提句とならない(2)~は(こそ)ー *単純な強調 ポイント「こそー已然形」は、もともとは...
あるけれど意味こそあれ(1)~はあるけれど / ~こそあるものの(2)~であるけれど / ~ているけれどポイント「こそあれ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の已然形です。「こそー已然形」は、もともとは「逆接」をつくる構文なりますので、そこで...
よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる和歌 (百人一首83)世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる皇太后宮大夫俊成 『千載集』歌意この世の中よ、つらさから逃れる方法はないのだなあ。思いつめ...
おもひわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみだなりけり和歌 (百人一首82)思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり道因法師 『千載和歌集』歌意つれない人を思い悩み、それでもやはり(死にもせず)命はまだあ...
ほととぎすが鳴いた方角を眺めると、(ほととぎすの姿はすでになく)ただ有明の月が空に残っている。
まずはいつもの「敬語の種類」をあげておきます。〈尊敬語〉 主体(行為者)に敬意を示す 「おはす」「たまふ」など〈謙譲語〉 客体(行為の受け手)に敬意を示す 「申す」「参る」など〈丁寧語〉 聞き手・読み手に敬意を示す 「はべ...
まずはいつもの「敬語の種類」をあげておきます。〈尊敬語〉 主体(行為者)に敬意を示す 「おはす」「たまふ」など〈謙譲語〉 客体(行為の受け手)に敬意を示す 「申す」「参る」など〈丁寧語〉 聞き手・読み手に敬意を示す 「はべ...
まずはいつもの「敬語の種類」をあげておきます。〈尊敬語〉 主体(行為者)に敬意を示す 「おはす」「たまふ」など〈謙譲語〉 客体(行為の受け手)に敬意を示す 「申す」「参る」など〈丁寧語〉 聞き手・読み手に敬意を示す 「はべ...
辞書によっては「謙譲語Ⅱ」っていうのが登場するんだけど、あれはいったい何なの?「謙譲語Ⅱ」は別名「丁重語」とか「荘重体敬語」とも言いまして、ちょっと特殊な用法になる謙譲語です。ひとことで言うと、「行為を丁重な表現であらわすことで、その発言の...
じっと見つめる・・・ 意味 (1)見守る・じっと見つめる (2)見定める・うかがう (3)守護する・大事にする ポイント 「目(ま)+守る(もる)」が一語化したもので、「目を離さずじっと見る」ということです。「まぼる」というときもあります。
日もいと長きに、~ 日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮れのいたう霞かすみたるに紛れて、かの小柴垣のもとに立ち出で給ふ。人々は帰し給ひて、惟光朝臣これみつのあそんとのぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏据ゑ奉りて行ふ尼なりけり。簾すだれ少し
もともとは水上を移動して、水面で隔てられた向こう側に移動することに用いられました。中古では、水上に限らず、地面や空中を移動することにも広く用いられるようになります。類義語「わたす」のほうは、中古になっても「水上」を移動することにほぼ限定されます。
『徒然草』百二十九段の現代語訳です。
成り立ちははっきりしませんが、「みそか盗人」「みそか心」といったことばもあります。「密(みつ)か」が「みそか」に音変化したのではないでしょうか。用例としてはほとんどが「みそかに」という連用形のかたちですね。ちなみに「みそかなり」はおもに和文で使用され、漢文訓読体では「ひそかなり」と読みます。これは「ひそまる」「ひそむ」という語と関係があるとされます。
語源は未詳ですが、「大気(おほけ)」に、「はなはだしくそうである」ことを意味する接尾語「なし」がついて「おほけなし」になったとする説があります。「大それている」というようなニュアンスで「身のほど知らずだ・身分不相応だ」などと訳すことが多いです。
宮廷風! 意味 (1)優雅・風流・上品 ポイント 上二段動詞「みやぶ」が名詞化したものです。「みやぶ」は「宮ぶ」であり、「宮廷のような状態になる」「宮廷風の行いをする」ということです。 フランス的にいうと、「ヴェルサイユ宮殿風」みたいな感じ
「面(おも)」は「正面・面前」のことであり、「白(しろ)」は「ぱっと明るい状態」を意味します。つまり、「目の前のことがパアーっと明るく見える」ということであり、もともとは「すばらしい景色」を形容することによく使用されました。平安時代には、景色だけでなく、音楽や芸術などにも広く用いられました。
もともとは「名詞」+「格助詞」であり、「世の中に」「世間では」の意味になります。「この世の中で~である」「この世の中で~ない」という言い方は、「実際の世間」を意味しているわけではなく、一種の強調表現のような言い方として用いられることもありますよね。その場合の「よに」は、「副詞」として分類して、「実に~だ!」「決して~でない!」という意味で訳します。
「心」に接尾語「ばせ」がついた名詞とされます。同じ構造のものに「かほばせ(顔ばせ)」などがありますね。あるいは、「心」+「馳す」が名詞化して「心馳せ」になったという考えもあります。その考えにしたがえば、積極的に対象に向かうような「活発な心の性質」を表しているといえます。
動詞「次ぐ(つぐ)」+接続助詞「て」の「次ぎて」が音便化して、「ついで」になったと考えられています。「出来事A」に次ぐかたちで「出来事B」がある、というような「流れ」を意味する場合は、(1)のように「順序・順番」と訳します。「出来事A」があって、次いで何かが発生する「タイミングとしての点的なポイント」を意味する場合は、(2)のように「機会・場合」と訳します。
動詞「次ぐ(つぐ)」+接続助詞「て」の「次ぎて」が音便化して、「ついで」になったと考えられています。「出来事A」に次ぐかたちで「出来事B」がある、というような「流れ」を意味する場合は、(1)のように「順序・順番」と訳します。「出来事A」があって、次いで何かが発生する「タイミングとしての点的なポイント」を意味する場合は、(2)のように「機会・場合」と訳します。
接触する部分が固くてごつごつしていることを意味します。類語に「こはごはし(強強し)」がありまして、ほぼ同じ意味で用いられます。
「知る」「記す・徴す」と同根のことばです。一説には「白」とも関係するといわれます。何らかのかたちで明白に認識できること(もの)を示す語であり、根本的には「徴候」「兆し」といった意味になります。
姉妹サイト「減点されない論理国語」を作ってみたので、余裕のある時に更新していきます。 「減点されない古文」がおろそかにならないように気をつけます!
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「知る」「しるす」などと同根の語とされます。一説には、「白」「白し」とも関係があるとされます。何かの兆候がはっきりとあらわれて、しっかりと認識できるようなようすを形容するのに用いられました。
「いぶ」ということばに「はれない(はっきりしない)」という意味合いがありまして、「いぶし」は、それを「気がかり」に思う心情面のことばとして使用されます。「気がかり」であるがゆえに、その内容を確認したい心情として「見たい・聞きたい・知りたい」などと訳すこともあります。また、「疑い」の気持ちが強ければ「不審だ」などと訳します。
「いぶ」ということばに「はっきりしない(はれない)」という意味合いがありまして、「いぶせし」は、その「内にこもった鬱屈した状態」を表します。その点で(1)の意味が本義です。(2)(3)の意味は中世くらいから出てきます。
シンプルに「道が平らだ」ということなのですが、「心」が「平ら」であることや、「凸凹のトラブルがない」ことを意味するようになりました。用例としては(3)の「無事だ・平穏だ」という意味で用いることが多いです。
「こち」は「骨」であり、「ゴツゴツしているさま」「四角四面なさま」「洗練されていないさま」を表します。それに形容詞を成立させる接尾語「なし」がついて「こちなし」となりました。「骨っぽい!」ということであり、「洗練されて角がとれたようす」とは逆のイメージです。そのため、「無作法」「無風流」などと訳します。
「長(をさ)」を重ねたことばです。「をさ」は、年齢や能力が長じていることを示しますので、どちらかというと(2)の「しっかりしている」「きちんとしている」という意味のほうが原義に近いです。たとえば、「幼し(をさなし)」という語は、この「長(をさ)」が「無し」であることを示すことから、「年少だ・幼稚だ」という意味になります。ただ、実際の用例としては、下に打消表現を伴い、(1)のように「めったに(~ない)・ほとんど(~ない)・なかなか(~ない)」という意味で用いることがほとんどです。
「目」+「安し(易し)」で一語化した形容詞です。「見た目が穏やかである」ということから「感じがよい」と訳すことが多いです。記述問題なら「見た目が」をつけておいたほうが無難ですが、内からにじみ出る感じのよさを表すこともあり、選択肢問題ではシンプルに「感じがよい」と訳していることもあります。また、「すんなり見ることができる(見るのに抵抗がない)」というニュアンスで「見苦しくない」と訳すこともあります。
『今鏡』より、「用光と白波」の現代語訳です。
上一段動詞「見る」に、上代の助動詞「ゆ」がついて一語化しました。「ゆ」はもともと接尾語で、「見ゆ」などのように動詞の活用語尾に使用されることで助動詞化していったという説もあります。「ゆ」は主に「自発」の意味を持つため、「見ゆ」は「自然と目に入る」ということを意味します。また、「受身」のニュアンスで「見られる」、「可能」のニュアンスで「見ることができる」などと訳すこともあります。