接触する部分が固くてごつごつしていることを意味します。類語に「こはごはし(強強し)」がありまして、ほぼ同じ意味で用いられます。
『大鏡』より、「宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご)」の現代語訳です。
「聞こす」に「召す」がついて一語化しました。主に天皇などの最高ランクの人の行為に用いるので、「最高敬語」だと言えます。文法的に考えれば「聞こす」は「聞く」+尊敬の「す」であり、「お聞きになる」という意味になります。それを「召す」によって一段階高めているのが「聞こし召す」だと言えます。ただ、「聞こす」は主に「おっしゃる」の意味で用いられていたことから、「これは『聞く』+使役の『す』であり、『聞かせる』という行為を指していた」とする説もあります。「相手に対して発言する」ということですね。「召す」は「お呼びになる」ということですから、「聞こし・召す」は、「聞かせる行為を・お受け入れになる」という構造だと言うこともできます。
聞く+す 意味 (1)おっしゃる *「言ふ」の尊敬語 (2)お聞きになる *「聞く」の尊敬語 ポイント 動詞「聞く」に「尊敬」の助動詞「す」がついた「聞かす」が「聞こす」に転じたものだと言われます。あるいは、動詞「聞く」に「使役」の助動詞「
『宇治拾遺物語』より、「袴垂、保昌にあふこと」の現代語訳です。
ご覧いただきありがとうございます。おかげさまで「重要単語」が300語になりました。 がんばってきたかいがあったね。 2025年の3月までに600語を目指したいと思います。 どの記事がみなさまの参考になっているのか集計したいので、「いいねボタ
動詞「出づ(いづ)」の上代での命令形「いで」が、やがて感動詞になったものです。「出なさい」という具体的な意味を持っているわけではなく、「行動しなよ」という感じの「うながし」に使用します。自分自身の行動をうながす場合にも使います。
「手(た)」「伸し(のし)」で「たのし」という説があります。手を伸ばして舞い踊るほど、なんだか満ち足りている様子ということですね。
副詞「な」は、終助詞「そ」と呼応することで、「軽い禁止」の意味になります。命令的なニュアンスではなく、「やわらかいお願い」としての禁止です。
指示語「然」+動詞「あり」+打消の助動詞「ず」の連体形が一体化しているのが「然らぬ(さらぬ」です。「指示しているもの以外」ということから、「そのほかの」「それとは別の」といった訳をします。「然」というのが、「語るに値する何か」を漠然と指示していることもあり、その場合の「さらぬ」は、「それほどでもない」「たいしたこともない」などと訳します。
古文の世界には、善悪の基準として、「よし>よろし>わろし>あし」という4つの段階がありました。最もよいのが「よし」で、最も悪いのが「あし」です。そのため、「あし」と評されているものがあったら、それは「きわめて悪い」ものであると判断しましょう。
古文の世界には、善悪の基準として、「よし>よろし>わろし>あし」という4つの段階がありました。最もよいのが「よし」で、最も悪いのが「あし」です。そのため、「あし」と評されているものがあったら、それは「きわめて悪い」ものであると判断しましょう。
「よし」が「第一級」のほめことばであるのに対して、「よろし」は「まあまあの水準には達している」という程度のほめことばです。大学の評定でいえば、「よし」が「優」で、「よろし」は「可」という感じです。
『建礼門院右京大夫集』より、「なべて世のはかなきことを」の現代語訳です。
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木 (権中納言定頼)
明け方のしだいに明るくなってくるころ、宇治川にかかる霧が、とぎれとぎれになってくる。(それに伴い)あちこちに現れてくる、川瀬に仕掛けられた網代木だ。
代名詞「いつ」に、強調の副助詞「し」と、係助詞「か」がついた連語です。そのため、もともとは(1)のように「いつ~だろうか」という疑問文として使用されます。副詞というよりは、連語としての用い方ですね。そのことばを、「『いったいいつ』って思うほどだ」という意味で使用していくうちに、(2)(3)(4)の用法が出てきました。
ぞっとするような感覚をもたらす状況を意味します。「酢」の「気」が「濃」ということから、「すけこし」⇒「すごし」となったという説がありまして、その説にしたがえば、刺激の強いものにふれて「なんだこりゃ!?」という感じでゾワッとするようなイメージです。
動詞「構ふ(かまふ)」の連用形に「て」がついて一語化したものです。「かまふ」が、「準備する・計画する」ということであるため、「かまへて」は「しっかり準備したうえで」ということになります。副詞としての「かまへて」は、物理的・具体的な準備というよりは「心構え」のことであり、「しっかりした心構えをもって○○をする」という意味合いになります。意志や命令では、「前段階からバッチリ気合いれてやろう/やれよ」という意味合いで用いているケースが多く、その際は「バッチリ気合」のところに意味の中心がありますので、「必ず・何とかして」などと訳すことになります。
「なにといふ」が圧縮されて「なにてふ」→「なんでふ」と言うようになりました。「なでふ」と書きますが、「ん」表記が登場してからは「なんでふ」とも書きます。もともとの「何といふ」という表現をおさえておけば、「なにという」「どういう」という訳し方に結び付くと思います。
「さへ」は、動詞「添ふ」の連用形「そへ」が音変化したものと見られています。「添」が示すとおり、根本的な意味は【添加】なので、まずは「(そのうえ)~までも」と訳してみるのがよいです。
忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな (儀同三司母)
忘れまいという(あなたの)言葉が、遠い将来までは(そのとおりになるか)難しいので、(その言葉のあった)今日を最後とする(私の)命であってほしいものだ。
「いさよふ」の「いさ」は、抵抗・否定を示す感動詞「いさ」や、「いさかひ」の「いさ」などと同根です。何らかの外部要因を素直には受け入れられないことを示します。「よふ」は、「ただよふ」「さまよふ」などの「よふ」と同根で、ゆらゆらと動揺することを示します。合わせると、心理的抵抗感があって前進するのをためらうことや、自然的物理的要因からなかなか進まないことを意味します。
「いさ」は、「いさかひ」の「いさ」と同根であり、相手の発言に対してやや抵抗するような、「わからない」「すんなりは同意しない」「そうではない」といった意志を示すときのことばです。「いさ知らず」というように、「知らず」を伴う表現も多く、その場合は「知らず」を修飾することになるため、「副詞」に分類されます。「不知」という漢字を「イサ」と読んでいる例もありまして、「わからない」という意味がそもそも内包されているようなことばだと言えます。
もが もがも もがな がな 意味 (1)~があったらなあ・~があればいいなあ ポイント 上代では「もが」という終助詞が同じ意味を持っており、多くは終助詞の「も」がついた「もがも」というかたちで用いられました。この終助詞の「も」は、中古になる
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部)
わたしは(この世から)いなくなるだろう。現世の外への【あの世への】思い出に(するために)、せめてもう一度、あなたにお会いしたいなあ。
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍)
大江山に行く【大江山を越えて行く】、生野の道が遠いので、天の橋立を踏んだこともない。母からの手紙もまだ見ていない。
『十訓抄』より、「大江山」の現代語訳です。
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ (大納言公任)
滝の音は、途絶えてもう長い年月が経ってしまったが、その名声は世間に流れて、今なお評判になっていることだなあ。
塩対応がうらめしい 意味 (1)薄情だ・冷淡だ・つれない (2)たえがたい・苦痛だ・うらめしい ポイント 「辛し(からし)」という語がありますが、「つらし」にも「辛」の漢字をあてます。意味も近いものになります。「塩をなめたときのような刺激」
他動詞「ふたぐ」の自動詞形が「ふたがる」です。「ふた」は「蓋」のことであり、まさに「蓋がしまっている」ことを示します。やがて、「た」が「さ」になり、「ふさがる」となっていきました。「消つ」が「消す」になっていったことと同種のパターンです。
『大鏡』より、「道長と伊周」の現代語訳です。
『蜻蛉日記』より、「鷹を放つ/鷹」の現代語訳です。
なげきつつひとり寝る夜/うつろひたる菊 『蜻蛉日記』 現代語訳
『蜻蛉日記』より、「なげきつつひとつ寝る夜/うつろひたる菊」の現代語訳です。
『枕草子』より、「殿などのおはしまさで後」の現代語訳です。
「クス」は「薬(くすり)」と同根のことばで、「神秘的で霊妙なようす」をあらわします。「神」の字を「くすし」と訓じている例もあります。形容詞としては上代での使用が多く、中古では数が減りましたが、「くすし」から派生した「くすしがる」という動詞や、「くし」から派生した「くしくも」という表現で残っています。
『枕草子』より、「関白殿、黒戸より出でさせたまふとて」の現代語訳です。
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接触する部分が固くてごつごつしていることを意味します。類語に「こはごはし(強強し)」がありまして、ほぼ同じ意味で用いられます。
「知る」「記す・徴す」と同根のことばです。一説には「白」とも関係するといわれます。何らかのかたちで明白に認識できること(もの)を示す語であり、根本的には「徴候」「兆し」といった意味になります。
姉妹サイト「減点されない論理国語」を作ってみたので、余裕のある時に更新していきます。 「減点されない古文」がおろそかにならないように気をつけます!
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「知る」「しるす」などと同根の語とされます。一説には、「白」「白し」とも関係があるとされます。何かの兆候がはっきりとあらわれて、しっかりと認識できるようなようすを形容するのに用いられました。
「いぶ」ということばに「はれない(はっきりしない)」という意味合いがありまして、「いぶし」は、それを「気がかり」に思う心情面のことばとして使用されます。「気がかり」であるがゆえに、その内容を確認したい心情として「見たい・聞きたい・知りたい」などと訳すこともあります。また、「疑い」の気持ちが強ければ「不審だ」などと訳します。
「いぶ」ということばに「はっきりしない(はれない)」という意味合いがありまして、「いぶせし」は、その「内にこもった鬱屈した状態」を表します。その点で(1)の意味が本義です。(2)(3)の意味は中世くらいから出てきます。
シンプルに「道が平らだ」ということなのですが、「心」が「平ら」であることや、「凸凹のトラブルがない」ことを意味するようになりました。用例としては(3)の「無事だ・平穏だ」という意味で用いることが多いです。
「こち」は「骨」であり、「ゴツゴツしているさま」「四角四面なさま」「洗練されていないさま」を表します。それに形容詞を成立させる接尾語「なし」がついて「こちなし」となりました。「骨っぽい!」ということであり、「洗練されて角がとれたようす」とは逆のイメージです。そのため、「無作法」「無風流」などと訳します。
「長(をさ)」を重ねたことばです。「をさ」は、年齢や能力が長じていることを示しますので、どちらかというと(2)の「しっかりしている」「きちんとしている」という意味のほうが原義に近いです。たとえば、「幼し(をさなし)」という語は、この「長(をさ)」が「無し」であることを示すことから、「年少だ・幼稚だ」という意味になります。ただ、実際の用例としては、下に打消表現を伴い、(1)のように「めったに(~ない)・ほとんど(~ない)・なかなか(~ない)」という意味で用いることがほとんどです。
「目」+「安し(易し)」で一語化した形容詞です。「見た目が穏やかである」ということから「感じがよい」と訳すことが多いです。記述問題なら「見た目が」をつけておいたほうが無難ですが、内からにじみ出る感じのよさを表すこともあり、選択肢問題ではシンプルに「感じがよい」と訳していることもあります。また、「すんなり見ることができる(見るのに抵抗がない)」というニュアンスで「見苦しくない」と訳すこともあります。
『今鏡』より、「用光と白波」の現代語訳です。
上一段動詞「見る」に、上代の助動詞「ゆ」がついて一語化しました。「ゆ」はもともと接尾語で、「見ゆ」などのように動詞の活用語尾に使用されることで助動詞化していったという説もあります。「ゆ」は主に「自発」の意味を持つため、「見ゆ」は「自然と目に入る」ということを意味します。また、「受身」のニュアンスで「見られる」、「可能」のニュアンスで「見ることができる」などと訳すこともあります。
わが命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえているならば、堪え忍ぶ心が弱まると困るから。
心ならずもこのはかない現世に生きながらえるならば、恋しく思い出されるにちがいない、そんな夜更けの月だなあ。
(あなたが来ないとわかっていれば)ためらわずに寝てしまっただろうに。(あなたを待っているうちに)夜が更けて、とうとう西にかたむくまでの月を見たことだよ。
もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし 和歌 (百人一首66) もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし 前大僧正行尊 『金葉和歌集』 歌意 私がおまえをしみじみいとしいと思うように、おまえ
つつみ隠していたけれど、顔色や表情に出てしまっていたのだなあ、私の恋は。恋のもの思いをいているのかと、人が尋ねるくらいまで。
こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか 和歌 (百人一首41) 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見 『拾遺和歌集』 歌意 恋をしているという私のうわさは早くも立ってしま
『沙石集』より、「歌ゆゑに命を失ふ事」の現代語訳です。
「名詞」の説明です。
「ナ行変格活用」の説明です。
「カ行変格活用」の説明です。
意味① 整える・こしらえる・作る② 調達する③ 調理する④ 調伏ちょうぶくする・こらしめるポイント「調」+「す」の複合語です。「周」という字は、もともと「稲を植えめぐらせた田」の形象で、あまねく行き届いているさまを意味しています。「用意周到
「サ行変格活用」の説明です。
『宇治拾遺物語』の一節です。ポイントは、形容動詞「おほらかなり」、動詞「す」、敬語動詞「たぶ」です。
動詞「給ふ(たまふ)」が、「たうぶ」「たんぶ」を経て、「たぶ」と変化した語といわれます。逆に「たぶ」から「たまふ」ができたという説もあります。そのため、訳としては「たまふ」と同じと考えて大丈夫です。「たまふ」よりは、ややくだけた表現とされ、会話で用いられることが多いです。
『枕草子』の一節です。ポイントは、感動詞「いで」、感動詞「あな」、形容詞「心憂し」です。
『枕草子』の一節です。ポイントは、接頭語「うち」、助動詞「す」、敬語動詞「たまふ」です。
『枕草子』の一節です。ポイントは、動詞「おぼめく」、動詞「ゆかしがる」、敬語動詞「申す」、敬語動詞「給ふ」です。
接頭語「うち」は、動詞「打つ」から来ていると言われます。もとは、「さっと勢いよく打つ動作」を示しているのですね。実際に何かを打っているのであれば、動詞「打つ」+別の動詞という複合語になりますが、実際に打っているのでない場合、「うつ」は接頭語です。接頭語として他の動詞につくと、副詞的に様々な訳になります。ただし、単に語調を整えるだけの使い方もあるので、訳出しないことも多いです。
『宇治拾遺物語』の一節です。ポイントは、副詞「まして」、「並列的な修飾」についてです。
動詞「好く」の連用形「すき」を重ねて形容詞になったものです。「好く」は、基本的には「男性が女性に関心を寄せること」に多く用いられましたが、「趣味や風流の世界」に一途であることも示しました。
『枕草子』の一節です。ポイントは、形容詞「すきずきし」、係助詞「かは」です。
『宇治拾遺物語』の一節です。ポイントは、形容詞「頼もし」、形容詞「くちをし」です。
動詞「頼む」が形容詞化したものです。「たのむ」のほうを先に見てもらえるとうれしいです。
「頼む」は、「手(た)」+「祈む(のむ)」であり、もともとは「手を合わせ、頭を下げて祈る」ことを意味したようです。「祈む(のむ)」は上代のことばで、『万葉集』では「懇願する・祈願する」の意味で用いられています。
「下二段活用」の説明です。
「上一段活用」の説明です。
「下一段活用」の説明です。