接触する部分が固くてごつごつしていることを意味します。類語に「こはごはし(強強し)」がありまして、ほぼ同じ意味で用いられます。
動詞「愛づ(めづ)」が形容詞化した語です。「めづ」が、「ほめる・賞賛する・かわいがる」ということですから、「めづらし」は「ほめたたえるにふさわしい」ことを意味します。平安時代の用い方では「すばらしい」とすればよいことが多いですね。賞賛すべきほどすばらしいものは、希少なものですので、(2)の「目新しい」という意味や、(3)の「めったにない」という意味でも用いるようになりました。
『徒然草』の一節です。ポイントは、名詞「今宵」、形容詞「やすし」、連語「寝は寝」、連語「べかめり」です。
「休む(やすむ)」「休らふ(やすらふ)」などと同根の語と考えられています。そのことから、平易で気楽なイメージをもっておくといいですね。反対の意味で用いられる語は「かたし(難し)」です。あるいは「にくし(憎し)」も「やすし」と反対の意味合いを持ち合わせています。つまり、「やすし」は、「難しくないこと」や「心がザワザワしないこと」を意味しています。事態が複雑ではなく、すいすいと物事が進む状況をいう場合には、「たやすい」「容易だ」「簡単だ」などと訳します。そして、そういう状況におけるストレスのない心理状態をいう場合には、「安らかだ」「穏やかだ」などと訳します。
『徒然草』の一節です。ポイントは、連語「もぞ」です。
係助詞「ぞ」や「こそ」は、特に訳出はしませんが、強調の役割を持っています。たとえば、「雨ぞ降る」という場合、訳は「雨が降る」ということですが、語り手はその部分を強い気持ちで述べていることになります。そして、係助詞「も」は、「並列」「添加」「列挙」「類推」「言外暗示」など、様々な意味を持ちますが、根本的には「情報の追加」であり、そのまま「も」と訳出することが多いですね。「も ぞ」「も こそ」は、これらが連なった表現です。
『徒然草』の一節です。ポイントは、副詞「いたく」、形容詞「すさまじ」、助動詞「ず」、形容詞「心にくし」です。
「心」+「憎し」です。古文での「にくし」の反意語は「易し(やすし)」と考えるといいです。つまり「にくし」は、「簡単にはいかない」ということを意味しています。「対象への理解・納得がうまくいかない」ということから、「対象にとらわれている状態(対象に魅力を感じてしまっている状態)」を意味します。「心にくし」の場合、特に「対象の心の動き(内側のようす)」にとらわれている状態を示し、そのことから、「奥ゆかしい」「心ひかれる」などと訳します。
『徒然草』の一節です。ポイントは、副詞「やがて」、動詞「案内す」、助動詞「さす」、敬語動詞「給ふ」、助動詞「ぬ」です。
「案」の「内」であり、もともとは「文書による説明」や、その説明の「内容」を意味します。「あない」と書きますが、「ん」は表記されていないだけなので、読みは「あんない」となります。時代が下ると、表記されていない「ん」を読みでも省いてしまう傾向が出てきますので、「あない」と読むこともあります。「案内す」というサ変動詞で使用されることも多いですね。
『徒然草』の一節です。ポイントは、形容詞「ことことし」、動詞「とがむ」、接続助詞「ば」です。
名詞「事」をふたつ重ねて形容詞化したものです。「事」には、そもそも「大事(重大な事)」という意味がありますが、それが重なることで「実際以上におおごとにしている」ということを示しています。つまり、「ことことし・ことごとし」は、実際の内容面に比べて不似合いであるほど「表現」や「取り扱い」が「おおげさだ」ということになります。
のたまふ【宣ふ】 動詞(ハ行四段活用) / のたまはす【宣はす】 動詞(ハ行下二段活用)
呪力のあることばを口にするという動詞「のる(告る・宣る)」に「給ふ」がついて、「のりたまふ」となったものが、やがて「のたまふ」になったと考えられています。「呪力のあることば」は、「神的な存在」や「高貴な存在」が発するわけですから、「のたまふ」は「尊敬語」になります。訳は「おっしゃる」にしておけば大丈夫です。
「例」は、根本的には「かつてあったこと」という意味です。そのことから、端的に訳せば「先例」「前例」となります。慣用的には、「例の」というかたちで「いつもの」と訳すことが多いです。話し手と聞き手のあいで共通認識されている「前のこと」を持ち出す場合には、「あの」と訳してもいいですね。
「軈て(やがて)」と書きます。この漢字を書けるようになる必要はないのですが、「身」に「應」と書く文字ですね。「應」は「応対」「応答」の「応」です。要するに「物理的にそのまま応じる」ということであり、「間を置かずに、続けて何かが行われる」ことを意味します。状況的に続くのであれば「そのまま」と訳し、時間的に続くのであれば「すぐに」と訳すことになります。
おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、(徒然草)
『徒然草』の一節です。ポイントは、形容詞「おとなし」、動詞「もどく」、連語「ぬべし」です。
「もどく」の「もど」は、「もどる」「もどす」の「もど」と同じものと言われます。ある行為をそのまま反復する「再現行為」を「もどく」と言い、「まねる」「似せる」などと訳します。①の意味は、現在でも「がんもどき」や「うめもどき」などのことばに残っていますね。
「身」+「つ」+「柄」が「みづから」となりました。「つ」は、上代の助詞で、体言と体言を結び、「AのB」というまとまりをつくります。現代語でも「目まつ毛」などに残っています。「柄」は、由来や性質などを意味します。現在でも「国柄」「続柄」などというように使いますね。そのことから「みづから」は、「自分の身体由来」という意味になり、名詞として使うと「自分自身」「私」などと訳します。「から」は、「出発点」「経由地」などの意味合いもありますから、副詞としても使用されます。その場合、「自分自身で」「自分から進んで」などと訳せるといいですね。
『徒然草』の一節です。ポイントは、副詞「おのづから」、名詞「あやまり」、動詞「あり」、連語「ぬべし」です。
さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。(徒然草)
『徒然草』の一節です。ポイントは、名詞「才」、助動詞「なり」、助動詞「ず」、助動詞「なり、助詞「や」、動詞「きこゆ」、副詞「おのづから」、連語「ぬべし」です。
「己(おの)」+上代の助詞「つ」+「柄(から)」です。「おの」は、「自分」という意味になることもありますが、根本的には「それ自体」ということです。「つ」は、体言と体言を結んで「の」のはたらきをすることばで、現代語でも「目まつ毛」などに残っていますね。「から」は、「理由」「経緯」「出発点」などを示す語です。あわせると、「それ自体の成り行きで」というような意味であり、端的に訳すと「自然と」「ひとりでに」ということになります。
動詞「痩す(やす)」が形容詞化したもので、文字通り「身がやせ細るようだ」「消え入りたいほどだ」という意味になります。ストレートに「身も細るほどの」とか「消え入りたいくらいに」などと訳すこともありますが、それほどに「たえがたい」「はずかしい」と訳すことが多いです。
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「心」に、上代の副詞「もとな」がついた「こころもとな」という語に、最終的に「し」がついて形容詞化したものです。「もとな」は、「むやみに」「やたらに」「しきりに」という意味なので、「心がむやみに動き回っている状態」のイメージです。そわそわしている感じですね。
二つのものを見比べて、「やっぱり後のほうだよなあ……(対比)」と思ったり、「同じかなあ……(並列)」と思ったりするときに使用されます。「前者A」に相反する内容である「後者B」をプッシュするのであれば、「そうはいってもやはり」という①の訳し方になります。「前者P」を述べて、並列的に「後者Q」を述べるのであれば、「それもまた」という②の訳し方になります。多くの場合、この①か②の用法になります。
おぼつかなからぬやうに告げやりたらん、あしかるべきことかは。(徒然草)
『徒然草』の一節です。ポイントは、形容詞「おぼつかなし」、助動詞「ず」、助動詞「たり」、動詞「やる」、助動詞「ん」、助動詞「べし」、係助詞「かは」です。
「おぼ」は、「おぼろなり」「おぼめく」「朧月夜」などの「おぼ」と同じで、「ぼんやりしている・はっきりしない」ということを示しています。そこに、状態を示す「つか」と、「はなはだしくそういう状態である」という意味の「なし」がついて、一語の形容詞になっています。「ふつつか」などの「つか」、「しどけなし」などの「なし」と同じですね。
『徒然草』の一節です。ポイントは、助動詞「ん」、形容詞「をこがまし」、連語「にや」です。
そぞろに長者が財を失はんとは何しに思し召さん。(宇治拾遺物語)
『宇治拾遺物語』の一節です。ポイントは形容動詞「そぞろなり」、連語「何しに」、敬語動詞「思し召す」、助動詞「ん」です。
「真似(まね)」がそのまま動詞として用いられています。
「いかにかくはするぞ」とののしれども、/帝釈それをまねばせ給はざらんやは。(宇治拾遺物語)
〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。(長者が帝釈天を軽んじる発言をしたところ、帝釈天は憎く思ったのだろうか、長者の姿になって、長者の蔵を開け放ち、周囲の者に宝物を配りはじめてしまった。そこに本物の長者が帰ってくる。)蔵どもみなあけて、かく宝ども
動詞「をしむ」と同根の語です。変化していくものに対して、「残念だ」と思う気持ちを示しています。「変わってほしくない」と思っているということは、現状に愛着があり、そのままでいてほしいと思う気持ちと表裏一体なので、「いとしい」「かわいい」と訳すこともあります。
助動詞・助詞は、一記事ではとうてい語りつくせないので、概括を述べたらおわりにします。問題演習などをするときに、ポイントとなる助動詞や助詞を確認していきますので、実例のなかで覚えていきましょう。助かる。かいつまんでいこう。助動詞の定義◆付属語
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接触する部分が固くてごつごつしていることを意味します。類語に「こはごはし(強強し)」がありまして、ほぼ同じ意味で用いられます。
「知る」「記す・徴す」と同根のことばです。一説には「白」とも関係するといわれます。何らかのかたちで明白に認識できること(もの)を示す語であり、根本的には「徴候」「兆し」といった意味になります。
姉妹サイト「減点されない論理国語」を作ってみたので、余裕のある時に更新していきます。 「減点されない古文」がおろそかにならないように気をつけます!
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「知る」「しるす」などと同根の語とされます。一説には、「白」「白し」とも関係があるとされます。何かの兆候がはっきりとあらわれて、しっかりと認識できるようなようすを形容するのに用いられました。
「いぶ」ということばに「はれない(はっきりしない)」という意味合いがありまして、「いぶし」は、それを「気がかり」に思う心情面のことばとして使用されます。「気がかり」であるがゆえに、その内容を確認したい心情として「見たい・聞きたい・知りたい」などと訳すこともあります。また、「疑い」の気持ちが強ければ「不審だ」などと訳します。
「いぶ」ということばに「はっきりしない(はれない)」という意味合いがありまして、「いぶせし」は、その「内にこもった鬱屈した状態」を表します。その点で(1)の意味が本義です。(2)(3)の意味は中世くらいから出てきます。
シンプルに「道が平らだ」ということなのですが、「心」が「平ら」であることや、「凸凹のトラブルがない」ことを意味するようになりました。用例としては(3)の「無事だ・平穏だ」という意味で用いることが多いです。
「こち」は「骨」であり、「ゴツゴツしているさま」「四角四面なさま」「洗練されていないさま」を表します。それに形容詞を成立させる接尾語「なし」がついて「こちなし」となりました。「骨っぽい!」ということであり、「洗練されて角がとれたようす」とは逆のイメージです。そのため、「無作法」「無風流」などと訳します。
「長(をさ)」を重ねたことばです。「をさ」は、年齢や能力が長じていることを示しますので、どちらかというと(2)の「しっかりしている」「きちんとしている」という意味のほうが原義に近いです。たとえば、「幼し(をさなし)」という語は、この「長(をさ)」が「無し」であることを示すことから、「年少だ・幼稚だ」という意味になります。ただ、実際の用例としては、下に打消表現を伴い、(1)のように「めったに(~ない)・ほとんど(~ない)・なかなか(~ない)」という意味で用いることがほとんどです。
「目」+「安し(易し)」で一語化した形容詞です。「見た目が穏やかである」ということから「感じがよい」と訳すことが多いです。記述問題なら「見た目が」をつけておいたほうが無難ですが、内からにじみ出る感じのよさを表すこともあり、選択肢問題ではシンプルに「感じがよい」と訳していることもあります。また、「すんなり見ることができる(見るのに抵抗がない)」というニュアンスで「見苦しくない」と訳すこともあります。
『今鏡』より、「用光と白波」の現代語訳です。
上一段動詞「見る」に、上代の助動詞「ゆ」がついて一語化しました。「ゆ」はもともと接尾語で、「見ゆ」などのように動詞の活用語尾に使用されることで助動詞化していったという説もあります。「ゆ」は主に「自発」の意味を持つため、「見ゆ」は「自然と目に入る」ということを意味します。また、「受身」のニュアンスで「見られる」、「可能」のニュアンスで「見ることができる」などと訳すこともあります。
わが命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえているならば、堪え忍ぶ心が弱まると困るから。
心ならずもこのはかない現世に生きながらえるならば、恋しく思い出されるにちがいない、そんな夜更けの月だなあ。
(あなたが来ないとわかっていれば)ためらわずに寝てしまっただろうに。(あなたを待っているうちに)夜が更けて、とうとう西にかたむくまでの月を見たことだよ。
もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし 和歌 (百人一首66) もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし 前大僧正行尊 『金葉和歌集』 歌意 私がおまえをしみじみいとしいと思うように、おまえ
つつみ隠していたけれど、顔色や表情に出てしまっていたのだなあ、私の恋は。恋のもの思いをいているのかと、人が尋ねるくらいまで。
こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか 和歌 (百人一首41) 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見 『拾遺和歌集』 歌意 恋をしているという私のうわさは早くも立ってしま
『沙石集』より、「歌ゆゑに命を失ふ事」の現代語訳です。
「名詞」の説明です。
「ナ行変格活用」の説明です。
「カ行変格活用」の説明です。
意味① 整える・こしらえる・作る② 調達する③ 調理する④ 調伏ちょうぶくする・こらしめるポイント「調」+「す」の複合語です。「周」という字は、もともと「稲を植えめぐらせた田」の形象で、あまねく行き届いているさまを意味しています。「用意周到
「サ行変格活用」の説明です。
『宇治拾遺物語』の一節です。ポイントは、形容動詞「おほらかなり」、動詞「す」、敬語動詞「たぶ」です。
動詞「給ふ(たまふ)」が、「たうぶ」「たんぶ」を経て、「たぶ」と変化した語といわれます。逆に「たぶ」から「たまふ」ができたという説もあります。そのため、訳としては「たまふ」と同じと考えて大丈夫です。「たまふ」よりは、ややくだけた表現とされ、会話で用いられることが多いです。
『枕草子』の一節です。ポイントは、感動詞「いで」、感動詞「あな」、形容詞「心憂し」です。
『枕草子』の一節です。ポイントは、接頭語「うち」、助動詞「す」、敬語動詞「たまふ」です。
『枕草子』の一節です。ポイントは、動詞「おぼめく」、動詞「ゆかしがる」、敬語動詞「申す」、敬語動詞「給ふ」です。
接頭語「うち」は、動詞「打つ」から来ていると言われます。もとは、「さっと勢いよく打つ動作」を示しているのですね。実際に何かを打っているのであれば、動詞「打つ」+別の動詞という複合語になりますが、実際に打っているのでない場合、「うつ」は接頭語です。接頭語として他の動詞につくと、副詞的に様々な訳になります。ただし、単に語調を整えるだけの使い方もあるので、訳出しないことも多いです。
『宇治拾遺物語』の一節です。ポイントは、副詞「まして」、「並列的な修飾」についてです。
動詞「好く」の連用形「すき」を重ねて形容詞になったものです。「好く」は、基本的には「男性が女性に関心を寄せること」に多く用いられましたが、「趣味や風流の世界」に一途であることも示しました。
『枕草子』の一節です。ポイントは、形容詞「すきずきし」、係助詞「かは」です。
『宇治拾遺物語』の一節です。ポイントは、形容詞「頼もし」、形容詞「くちをし」です。
動詞「頼む」が形容詞化したものです。「たのむ」のほうを先に見てもらえるとうれしいです。
「頼む」は、「手(た)」+「祈む(のむ)」であり、もともとは「手を合わせ、頭を下げて祈る」ことを意味したようです。「祈む(のむ)」は上代のことばで、『万葉集』では「懇願する・祈願する」の意味で用いられています。
「下二段活用」の説明です。
「上一段活用」の説明です。
「下一段活用」の説明です。