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  • 歴史 今日の出来事 10月31日 陰陽師 安倍晴明 逝去 〜1005年 10月31日 (寛弘2年9月26日)

    1005年10月31日(寛弘2年9月26日)陰陽師安倍晴明逝去逝去から千年以上経つ2024年の現代においても、いまだに語り継がれる陰陽師、安倍晴明がこの日亡くなりました。陰陽道は唐(中国)伝来の哲学と自然界の水、火といった、五行思想を日本で独自に発展した学問からなり、陰陽師はそれらを駆使して呪術を施して占い、時の権力者から絶大な信頼を得ていました。安倍晴明が歴史上その名前が出てくるのは、960年天徳4年、村上天皇治世の頃の晴明が40歳を過ぎてからのことで、師事している暦道、天文道、陰陽道を究めた賀茂忠行、保憲父子の弟子として学びました。賀茂父子は弟子ながら晴明の卓越した能力を認め、貴族の諸祭事や占いで評判を高め、やがて天文学の知識から天文の変化をいち早く察知して吉凶を占う天文密奏により名声を高めました。や...歴史今日の出来事10月31日陰陽師安倍晴明逝去〜1005年10月31日(寛弘2年9月26日)

  • 歴史めぐり 街物語 8 ‐ 3 奈良県桜井市 3

    活日神社社殿活日神社〜(大神神社摂社)奈良県桜井市三輪崇神天皇5年、(紀元前93年~皇紀568年)第10代崇神天皇の治世の出来事。疫病に苦しむ民のために大物主大神を御諸山(三輪山)に祀るよう命じ、危機を脱した崇神天皇は大神を厚く敬い、神前に捧げる御酒を造ることを高橋邑(現在の奈良北部)の活日に命じ、活日は掌酒(さかひと)として酒造りを開始、一夜にして酒を作り出したそうです。12月卯の日、大神への感謝の祭りが行われ、酒宴の席に崇神天皇が行幸された際に天皇は美酒を求められ、活日は天皇に美酒を献上されます。活日は~この神酒は我が神酒ならず、倭なす大物主の醸みし神酒幾久し幾久し~活日はこの酒は自分が造ったのではなく、大物主大神が倭国を想い醸し出して下さいました。と言上します。崇神天皇は活日らと美酒を酌み交わし、酒...歴史めぐり街物語8‐3奈良県桜井市3

  • 歴史めぐり 街物語 8 ‐ 2 奈良県桜井市 2

    大神神社大神神社二ノ鳥居大神神社奈良県桜井市三輪三輪山大神神社の御神体である三輪山は、古事記、日本書記では御諸山(みもろやま)、美和山、三諸山と記され、山頂まで467メートル、周囲16キロ、杉、松、檜などの大樹で覆われ、それぞれの木々に神が宿るとして、特別視されてきました。大神と書いて(おおみわ)と読むように、古来より神様の中の大神様として崇敬され、第10代崇神天皇の治世には、国の守護神として祀られました。大神神社は、国造りの神である大物主大神が御霊を鎮めた三輪山を御神体とする神社で、本殿が存在せず、参拝者は山を拝するという原始的な神祀りを今に伝える日本で最も古い神社です。古くから神が鎮まる神の山として、この地方の一部で信仰されてきたものが、神武東征から興った大和朝廷の拡大と共に三輪山信仰も次第に大きくな...歴史めぐり街物語8‐2奈良県桜井市2

  • 歴史めぐり 街物語 8 ‐ 1 奈良県桜井市 1

    大神神社一ノ鳥居、御神体三輪山奈良県桜井市三輪崇神天皇5年、(紀元前93年~皇紀568年)神託により国中に蔓延した疫病を御諸山(三輪山)に大物主大神を祀ることで退散させた崇神天皇。御神体を三輪山とする大神神社は、創建が古事記や日本書記に記される日本最古の社(やしろ)とされています。古事記によると、大物主大神が出雲の大物主神の前に現れ、国造りのために~倭(大和)の青垣、東の山の上に居着き祀れ~と三輪山に鎮まれることを望んだとされ、日本書記では、二神の問答で~大物主大神は、大物主神の吾(われ)は幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)であるとして、同じように三輪山に鎮まれることを望んだということです。三輪山神話の伝承が神代に始まったことが大神神社の創建に明瞭に記されていることは重要なことで、また、本殿を持たず御...歴史めぐり街物語8‐1奈良県桜井市1

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 28 奈良県 奈良市 28

    聖武天皇御陵奈良県奈良市法蓮町第45代、聖武天皇は、飛鳥時代末の女帝持統天皇を祖母に持ち、仏教に深く帰依した25年に及ぶ治世の中で、四度の遷都と東大寺の創建と大仏造立に代表される全国総国分寺、国分尼寺建立の詔を発譜しての寺院建立に情熱を傾けました。聖武天皇の深い仏教の傾斜は、待望の後継者となるはずだった皇子、基王の夭逝。父文武天皇との死別、母、藤原宮子の精神錯乱や重用した長屋王の謀反、天災の頻発と、国内の平穏と統一を願ってのものとされ、多くの寺社建立は天平文化の隆盛をもたらしますが、結果、国民生活には多大な負担を課すことになりました。晩年の754年天平勝宝4年、待ち望んだ唐の高僧、鑑真和上が来日、娘を皇太子として後の孝謙天皇に譲位して上皇となった聖武帝は鑑真を東大寺に招いて戒を授かり、これまでの遺愛の品を...歴史めぐり街物語7‐28奈良県奈良市28

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 27 奈良県 奈良市 27

    西大寺東門西大寺本堂西大寺四王堂西大寺奈良県奈良市西大寺芝町明日は衆議院選挙当日です。今回取り上げた西大寺から徒歩約3分の大和西大寺駅は、二年前に安倍晋三元首相が選挙応援演説中に背後から銃撃され、暗殺された地です。事件翌日の大和西大寺駅前昨今の政治不信も頂点にあり、様々な意味を考えると、今は国難でもあると思います。西大寺は奈良時代に創建されましたが、その孝謙〜称徳女帝治世は皇統存続の危機に見舞われます。この時代は聖武帝治世後から皇統の危機という状況は違えど、国難だったといえるでしょう。日本三大悪人〜弓削道鏡新皇を称して関東一円で戦った平将門。鎌倉幕府滅亡後、天皇親政の世に協力するも、後醍醐天皇が目指した建武の新政を崩壊させた足利尊氏と並び日本三大悪人の不名誉な異名を持つ弓削道鏡は皇位を狙ったとされます。西...歴史めぐり街物語7‐27奈良県奈良市27

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 26 奈良県 奈良市 26

    休ヶ岡八幡宮奈良県奈良市西ノ京町休ヶ岡八幡宮は、薬師寺がこの地で移築、伽藍が整備された後に、薬師寺の栄智大法師の手で寺の総鎮守として勧請されました。本殿天災や人災で焼失、破壊され、しばらく放置されていたものを1603年、慶長8年に豊臣秀頼により再建されました。瑞垣門、楼門、中門も秀頼の寄進により新造されましたが、地震により倒壊しました。本殿は三間社流造で、両脇に脇殿が併設されています。脇殿は十九明神の板絵が祀られています。明治時代になり、神仏分離令が施行されるも、薬師寺により管理されています。歴史めぐり街物語7‐26奈良県奈良市26

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 25 奈良県 奈良市 25

    玄奘三蔵法師像奈良県奈良市西ノ京町薬師寺玄奘三蔵院伽藍玄奘(げんじょう)三蔵法師三蔵法師といえば、日本では西遊記で知られる経典を天竺(主に現在のインド)まで求める旅をした隋国(主に現在の中国)の僧侶ですが、三蔵とは…〜釈迦の教えとなる【経】。仏門に入った者が守る法〜戒律の【律】。そして経と律を学び、研究した【論】を究めた高僧のことを表し、一般に大勢の三蔵法師がいましたが、玄奘三蔵は特に優秀な僧で、また、日本で語られる西遊記の三蔵法師といえば、玄奘三蔵のことを表します。西暦602年、玄奘三蔵は陳氏の4男として誕生しました。俗名〜陳褘(ちんい)。同時代、日本は推古天皇の時代。仏教伝来から丁度半世紀、日本で最初の官寺〜四天王寺の創建から10年という頃でした。陳褘が10歳のとき、役人だった父が亡くなり、出家してい...歴史めぐり街物語7‐25奈良県奈良市25

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 24 奈良県 奈良市 24

    玄奘三蔵院伽藍奈良県奈良市西ノ京町薬師寺玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)奈良県奈良市西ノ京町玄奘(げんじょう)三蔵は、西遊記で有名な三蔵法師の名で実在した人物です。(ただし、猿の孫悟空や豚の猪八戒らを従えての旅ではありませんでしたが…。)玄奘三蔵は唐(現在の中国)の生まれで、日本の飛鳥時代に唐から釈迦の生誕の地天竺(てんじく~現在のインド)へ釈迦の教典を求めて旅に出た僧侶で、足かけ17年に及ぶ三蔵の旅は教典を1335冊持ち帰り、翻訳に生涯を捧げました。1942年昭和17年の太平洋戦争の戦時中、中国南京に駐屯していた日本陸軍により荒れ果てた玄奘三蔵の墓が見つかり、陸軍は遺骨を持ち帰りました。三蔵の遺骨は戦時中ということで秘密にされ、戦後、この事実が明らかになると、埼玉県岩槻市の慈恩寺におさめられていた遺...歴史めぐり街物語7‐24奈良県奈良市24

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 23 奈良県 奈良市 23

    薬師寺不動堂奈良県奈良市西の京町薬師寺薬師寺不動堂は、金堂や東塔、西塔など、白鳳伽藍が並ぶ北西部に、平安時代に建立された堂宇で、本尊である不動明王像が安置され、修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)の神変大菩薩、山岳仏教である修験道の本尊、蔵王権現を祀っています。不動明王像不動堂前では、薬師寺建立を発願した天武天皇の忌日、10月8日に天武忌の芝燈大護摩として、護摩木を焚き上げて盛大に執り行われます。石造の結界の中で大護摩祈願が行われます。結界前に立つ不動明王像歴史めぐり街物語7‐23奈良県奈良市23

  • 歴史 今日の出来事 10月22日 平安遷都 794年〜延暦13年10月22日

    平安京大極殿跡内裏跡大極殿跡京都市上京区千本通丸太町上ル児童公園内裏承明門跡京都市上京区田中町781年天応元年4月30日、光仁天皇の譲位に伴い、天智天皇の系譜の山部王が第50代の桓武天皇として即位しました。桓武天皇は、長年大和国(現在の奈良県)で肥大してきた仏教勢力などから離れるべく、794年延暦13年10月22日、平城京から北の長岡へ遷都します。長岡京への遷都後、桓武天皇の弟で皇太子の早良親王を首謀とする側近、藤原種継の暗殺事件が発生、桓武天皇は早良親王を幽閉、親王は無実を訴えて絶食死すると、桓武天皇の妃、母が相次いで病死、そして皇太子まで重病に陥り、追い討ちをかけるように災害が次々と起こり、陰陽師に占わせると、早良親王の怨霊か天皇と長岡京に災いをもたらしていると告げたこともあり、わずか10年で天皇は長...歴史今日の出来事10月22日平安遷都794年〜延暦13年10月22日

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 22 奈良県 奈良市 22

    奈良県奈良市西ノ京町薬師寺食堂(じきどう)は、その名前の通り、薬師寺の僧が斎食を取る建物で、730年天平2年に造営されました。食事以外にも仏教儀礼を行う場所としても使われ、一度に300名の僧がお斎(おとき~僧の食事のこと)ができる当時の建物は、東大寺、大安寺に次ぐ規模を誇りました。平安時代に火災焼失し、1005年、寛弘2年に再建の後再度火災を起こした後は再建を見送られましたが、平成29年、2017年に再建工事が完了し、落慶式典が行われました。歴史めぐり街物語7‐22奈良県奈良市22

  • 歴史 今日の出来事 1600年 10月21日(慶長5年9月15日) 関ヶ原の戦い

    東軍を率いた徳川家康公像静岡市駿府城公園今から約420年前の1600年10月21日、(慶長5年9月15日)、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍の両軍合わせて10万以上の軍勢が、南北約4キロ、東西約2キロの美濃国(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町)の盆地、関ヶ原で激突しました。主な流れ~徳川家康と石田三成の対立の最終局面である関ヶ原の戦いは、徳川家康が会津の上杉征伐を大義名分に、上方を留守にした隙を突いて蟄居の状態にあった石田三成が挙兵を決意、これにより引き返せない事態となります。家康は福島正則、細川忠興、黒田長政ら、石田三成とは反目する豊臣恩顧の大名らを従えて下野国の小山(現在の栃木県小山市)まで下りました。石田三成は毛利輝元を旗頭に据えて親友の大谷吉継、小西行長、宇喜多秀家、島津義弘といった西国の大名を中...歴史今日の出来事1600年10月21日(慶長5年9月15日)関ヶ原の戦い

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 21 奈良県 奈良市 21

    薬師寺東院堂奈良県奈良市西ノ京町全面改修されて落慶となった東塔の東側、回廊の影になるように、ひっそりと佇む平屋の入母屋造り和様建築の伽藍が東院堂です。東院堂は養老年間717~724年に建立された伽藍で、後に長屋王の変で自害する王妃吉備内親王が元正天皇の冥福を祈り建立したもので、平安時代に火災焼失した伽藍を鎌倉時代後期の1285年弘安8年に再建され、730年天平2年建立の東塔が解体工事となったため、現在薬師寺で現存する最古の伽藍です。本尊は、すらりと若々しく美しい聖観音立像で、白鳳時代(天武、持統天皇治世下の飛鳥時代後期)の傑作です。歴史めぐり街物語7‐21奈良県奈良市21

  • 歴史紀行 8 ‐ 16 平家終焉の地 平宗盛公胴塚 6

    平宗盛公胴塚滋賀県野洲市大篠原朝日将軍、木曽義仲の入京寿永二年(1183年)5月伽羅倶梨峠、篠原、北陸で二度の戦いで大敗した平家の棟梁平宗盛は、都の北東である山科口の防衛を宗盛に懇願され平頼綱は、やむなく山科に出陣するも、その後、無断で宗盛が一門を率いて都落ちしたことに愕然とします。そして危機を察知し、いち早く比叡山に逃れて都落ちには加わらなかった後白河法皇に拝謁します。法皇は頼盛に縁のある八条院に潜伏して難を避けよと助言し、頼盛は義仲との戦いを避けました。八条院の主は以仁王の母で暲子内親王(しょうし内親王)でした。暲子内親王の兄は後白河法皇、父は鳥羽天皇、母はその鳥羽帝から寵愛を一身に受けた美福門院で、頼盛の妻はその内親王の乳母、宰相院の局の娘を妻としていた間柄を示し、存命中の清盛すら迂闊に手を出せない...歴史紀行8‐16平家終焉の地平宗盛公胴塚6

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 20 奈良県 奈良市 20

    薬師寺東塔奈良県奈良市西の京町680年、天武天皇9年の飛鳥時代後期天武天皇が皇后である鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ〜後の持統天皇)の病気平癒を願って創建を夢見た薬師寺は、規模の壮大さから実現までに時間を要したため、計らずも天武天皇が崩御し、皇后の持統天皇が意志を受け継いで造立を進めることとなりました。藤原京に創建をみた薬師寺は天武天皇の発願から19年を数えて本尊の薬師如来像の開眼供養が行われて天武天皇、持統天皇の2代に渡る願いが成就されました。710年、和銅3年3月、元明天皇の時代、都が藤原京から平城京に遷都されることとなり、現在の奈良市西の京に薬師寺も藤原京から新都に移されることとなりました。薬師寺東塔幾重にも屋根が重なる形状から六重の塔にも見えますが三重塔です。各階に裳階(もこし)と呼ばれる屋...歴史めぐり街物語7‐20奈良県奈良市20

  • ZARD ヒストリーメモリアル 17 READY , GO !

    ZARDREADY,GO!歌詞歌:ZARD作詞:坂井泉水作曲:川島だりあ発売:1995年10月20日リリースぐずつく天気で心も曇るわ三度めのデートシャツが洗濯機でクルージング急いで出かけなくっちゃ日ごと増してくmydream勝利の女神よ私に微笑んでReadyGo駆け出そう失敗恐れずに誰にでも人に言えない悩みはあるわReadyGo眩しいね見つめる瞳は少年のよう降りそそぐ空の星をつかもうwowwow…意地悪な視線に傷つくけどそんな事気にしない若い頃ならナンセンス私の方が背が高い!日ごとつのってくmylove彼と動かぬ証拠作りたいReadyGo思いきりぶつかってみよう山積みの書類ニラむ毎日でもReadyGo気まぐれなアイツに振り回されたくないけど鳴り響くベルにそわそわしてるwowwow…ReadyGo!We'v...ZARDヒストリーメモリアル17READY,GO!

  • 葵 夜話 49 名優逝く

    名優が逝ってしまいました。シリアスな演技派というより、コミカルな役を得意とする喜劇俳優といった印象が強かった西田敏行さんが17日お亡くなりになりました。先日の映画〜ドクターX〜の舞台挨拶に登壇されたばかりで、まだまだ活躍されると思われた矢先の訃報でした。ぼくが毎年見続けている大河ドラマへの出演も大物俳優の中でも特に多く、【武田信玄】での山本勘助、【翔ぶが如く】での西郷隆盛を、【八代将軍吉宗】では徳川吉宗をいずれも主演で演じ、直近でも【鎌倉殿の13人】で源頼朝を悩ます後白河法皇をコミカルに演じられたのが記憶に新しいです。謹んで御冥福をお祈り致します。葵夜話49名優逝く

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 19 奈良県 奈良市 19

    薬師寺西塔奈良県奈良市西ノ京町薬師寺は飛鳥時代末期の680年天武天皇9年、天武天皇が病に苦しむ皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し建立を命じますが、創建を見ずに祈願した天武天皇が686年に崩御します。病の癒えた皇后は天武天皇の後を継ぎ、持統天皇として即位し、天武天皇が建立を命じた薬師寺の造営を進め、飛鳥に創建しました。その後、都は藤原京から平城京へと遷都して移り、薬師寺も平城京へと移ったのか現在の薬師寺です。薬師寺西塔薬師寺は南都の七官寺として隆盛となりますが、戦国時代の享禄元年(1528年)に起きた兵火により焼失し、その後長らく再建されずに東塔のみが残されて来ました。約40年前の昭和56年(1981年)に約450年ぶりに再建されます。現在も新しさを感じさせる塔として薬師寺を象徴するものとなっています。...歴史めぐり街物語7‐19奈良県奈良市19

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 18 奈良県 奈良市 18

    薬師寺大講堂奈良県奈良市西ノ京町薬師寺大講堂は、当時講堂として、692年持統天皇6年、天武天皇の後を継ぐ形で即位した持統天皇が飛鳥浄原の地に造営を命じて、本尊に阿弥陀大繍仏を安置した伽藍で、その後都が藤原京に遷都されると薬師寺も藤原京に移りました。大講堂は、薬師寺の金堂などがある「白鳳伽藍」の中心部といってもよい位置にある境内最大規模の建築であり、2003年に再建された比較的新しいお堂となっています。伽藍の規模は、正面約41m・奥行約20m・高さは約17mというもので、奈良市内の仏堂建築の中でも有数の規模を誇るばかりか、薬師寺の金堂よりも大きな伽藍となっており、「金堂」よりも「講堂」が大きいという古代伽藍らしい様式は、創建以来、学僧による経典、仏法を学ぶ場だけでなく、仏教研究(教学)を重んじる仏閣としての...歴史めぐり街物語7‐18奈良県奈良市18

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 17 奈良県 奈良市 17

    薬師寺金堂奈良県奈良市西ノ京町天皇を頂点に中央集権国家を目指した大化の改新を主導した天智天皇。その天智天皇の後継者をめぐる戦い〜壬申の乱(じんしんのらん)に勝利して即位し、絶大な権力を持った天武天皇。薬師寺は飛鳥時代末期の680年天武天皇9年、天武天皇が病に苦しむ皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し建立を命じますが、創建を見ずに祈願した天武天皇が686年に崩御します。病の癒えた皇后は天武天皇の後を継ぎ、持統天皇として即位し、天武天皇が建立を命じた薬師寺の造営を進め、飛鳥に創建しました。最初の薬師寺は天武朝の都があった飛鳥に創建され、藤原京に都が移ると移転し、さらに平城京に遷都がなると平城京へと移りました。金堂は、最大の伽藍で、本尊の国宝金銅薬師三尊~盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像や仏足石が安置...歴史めぐり街物語7‐17奈良県奈良市17

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 16 奈良県 奈良市 16

    平城宮跡大極殿奈良県奈良市佐紀町710年和銅3年の藤原京から、784年延暦3年の長岡京に遷都するまでの74年間に渡る国政を担った平城京において、大極殿は天皇の即位式や数多くの儀式を執り行う最も重要な建物でした。大極殿は大内裏の朝堂院の北端の中央に位置し、殿内には高御座(たかみくら)が据えられ、天皇の即位の礼や多くの儀式を執り行われました。大極殿の名称は、大帝、帝王の居所を表し、万物の根源、天空の中心を意味する大極に由来する中国、三国志時代の235年、魏の北魏洛陽城に用いられた大極殿が最初で、日本でも飛鳥地方からの遷都が成され、新たな都の玉座を造る際に大極殿の名を用いられました。現在の大極殿は、2010年平成22年に平城京遷都1300周年を記念して建てられたものて、高さ27メートル、間口44メートル、奥行き...歴史めぐり街物語7‐16奈良県奈良市16

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 15 奈良県 奈良市 15

    平城宮跡朱雀門奈良県奈良市佐紀町710年和銅3年女帝元明天皇が飛鳥、藤原京から現在の奈良市佐紀の平地に築いた平城京に遷都し、奈良時代が始まりました。平城京遷都の詔(みことのり)は、708年和銅元年、先代の文武天皇が発願し、唐の都、長安を参考に準備を進められました。新都平城京は、南北約4.8キロ、東西約4.3キロの内京、さらに南北約2.4キロ、東西約1.6キロに渡る外京の張り出し部に分けられ、後に人口約10万の都市へとなります。朱雀門は、都を東西に分ける朱雀大路の北端に築かれた平城京の正門で、当時はここで外国からの使節の送迎が行われ、高さ20メートルを超える重層門で、朱色の壮麗な姿を再現しています。歴史めぐり街物語7‐15奈良県奈良市15

  • 歴史 今日の出来事 1872年 10月14日(明治5年9月12日) 新橋ー横浜間に日本初の鉄道が開業される

    新橋駅前のSL広場鉄道唱歌碑1872年10月14日(明治5年9月12日)日本初の鉄道が新橋(後の汐留)〜から横浜の間で開業しました。日本人としては、太平洋に漂流して捕鯨船に救助されてアメリカへ渡った中浜万次郎(ジョン万次郎)が乗車。日本国内においては、幕末の1853年嘉永6年の長崎にてロシア帝国のブチャーチンによる船上にて鉄道模型の披露。さらに翌年、2度目の来航となったマシュー・ペリーのアメリカ東インド艦隊による幕府への献上品に蒸気機関車の模型がありました。鉄道は戊辰戦争終結後の1870年、明治3年に明治新政府によって本格的に始まり、2年後の1872年10月14日、一番列車となるお召し列車に明治天皇を迎えられ、太政大臣の三条実美、参議の西郷隆盛、大隈重信、東京府知事の大久保一翁、大蔵省の渋沢栄一ら新政府重...歴史今日の出来事1872年10月14日(明治5年9月12日)新橋ー横浜間に日本初の鉄道が開業される

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 14 奈良県 奈良市 14

    唐招提寺唐招提寺講堂奈良県奈良市五条町唐招提寺講堂は、760年天平宝字4年、鑑真和上が唐招提寺を創建するにあわせて天武天皇の皇子、新田部親王の邸宅跡を聖武天皇から賜わり、戒律の道場として創建します。講堂は、平城宮朝堂院の東朝集殿を移築したものと伝わり、奈良天平時代の貴重な宮殿建築です。僧侶の修学の場でもある講堂は、長い平屋の本瓦葺の入母屋造で、本尊の弥勒仏坐像が安置されています。唐招提寺戒壇奈良県奈良市五条町戒壇は、唐招提寺創建時に造営されたものとして伝わり、火災により焼失し、その後、宝塔が再建されています。754年天平勝宝6年、鑑真和上は、戒律を授ける戒匠として来日後、東大寺において聖武天皇をはじめ、400名の僧侶に受戒の儀式を行いました。来日から約5年、一応の役割を終えた鑑真和上に朝廷は、新田部親王(...歴史めぐり街物語7‐14奈良県奈良市14

  • 今日いち-2024. 10.13 掛川大祭2024

    掛川大祭2024今年は気合い入ってます。今日いち-2024.10.13掛川大祭2024

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 13 奈良県 奈良市 13

    唐招提寺金堂奈良県奈良市五条町唐招提寺の南大門を正面に進むと天平建築の一大傑作ともいえる金堂に突き当ります。厚な本瓦葺の屋根、正面からは横一列に並ぶ大柱はかすかな胴張(エンタシス)をもつ寄棟造の建築は、日本の招きに応じようと、5度の渡海の失敗にも諦めず、失明の末に6度目の渡海で日本に辿り着き、日本の僧侶達に戒律を授け続けた唐の高僧鑑真和上が共に日本の土を踏んだ弟子達と造営に身を捧げました。苦心の末に造立を終えた金堂には、3メートルを超える本尊、盧舎那仏坐像を中央に、左右に薬師如来立像と千手観音立像。本尊の前方左右に梵天、帝釈天立像と、国宝の立像の数々が並びます。唐招提寺鼓楼舎利殿鼓楼は、低い二階建ての建物で、当時は経典を納める経楼として造立されたものの、鑑真和上が亡くなると一階には鑑真和上の舎利(遺骨)が...歴史めぐり街物語7‐13奈良県奈良市13

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 12 奈良県 奈良市 12

    唐招提寺日本仏教戒律の師鑑真和上終焉の地唐招提寺鑑真和上開山御廟奈良県奈良市五条町唐招提寺奈良時代になり、日本に仏教かがもたらされて約200年の年月が流れました。仏教の教えにおいて、守らなければならない掟が戒律です。戒とは内面性の道徳規範のことで、悪事を働いたりしない、善行を行い、他者に尽くす。といったもので、律とは、教団で守らなければならない内部の規則のようなものです。仏教伝来後、遣隋使、遣唐使による断片的な教えは伝わっていたものの、日本では、僧侶達への戒律を授ける権威ある戒律師を招く気運が高まりました。733年天平5年、遣唐使船で唐へ渡った栄叡と普照の二人の僧は、日本へ優れた戒匠を連れてくることを朝廷から託され、唐の国内を探しまわりました。この人こそ。という戒匠に巡り合えぬまま9年余りが過ぎた頃、栄叡...歴史めぐり街物語7‐12奈良県奈良市12

  • 掛川大祭2024

    遠州六万石の城下町掛川が熱くなるのは秋です。〜掛川大祭2024パンフレットから〜コロナ禍からの大復活となる実に6年ぶりの大祭が開幕しました。掛川大祭2024

  • 歴史 今日の出来事 2024年10月11日 日本被団協 ノーベル平和賞受賞

    ノルウェーのノーベル委員会は、今年のノーベル平和賞に日本被団協〜日本原水爆被害者団体協議会に授与すると発表しました。ノーベル平和賞は、賞の提唱を定めるアルフレッド•ノーベルの遺言により、〜国家間の友好、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしとしている〜もので、日本関係者の平和賞受賞者は、1974年に受賞した佐藤栄作元総理以来、50年ぶりの快挙です。世界最初の原爆投下地となった広島原爆ドームについて…。広島原爆ドーム世界遺産原爆ドーム広島県広島市中区大手町太平洋戦争終結【日本の無条件降伏】の10日前となる1945年8月6日、午前8時15分、人類史上初の原子爆弾(原爆)が広島市に投下されました。原爆ドームは、明治時代後期に日清戦争で大本営が置かれた広島...歴史今日の出来事2024年10月11日日本被団協ノーベル平和賞受賞

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 11 奈良県 奈良市 11

    春日大社春日大社奈良県奈良市春日野町春日山麓の森に鮮やかな朱塗りの社殿が美しい春日大社は、710年和銅3年、平城京遷都の際に藤原不比等が藤原氏の氏神として常陸の鹿島神宮から武甕槌命(たけみかづちのみこと)を勧進したのが始まりとされ、その際、武甕槌命は白鹿に乗ってやって来たとされ、この伝説の様な出来事が奈良の鹿は神鹿と称され、現在に至るまで大切にされてきました。一の鳥居奈良の鹿参道石燈籠一の鳥居から本殿まで約1キロ続く長い参道には二千基もの石燈籠が並び、節分や御盆に本殿の銅燈籠と共に火が灯される万燈籠の儀式が行われます。中門神域御葢山浮雲峰礼拝所藤原不比等による勧進から半世紀、768年神護景雲2年、春日山麓に社殿が造営され、優雅な銅の吊り燈籠が並ぶ回廊に囲まれる本殿が建立されました。春日大社は藤原氏の隆盛と...歴史めぐり街物語7‐11奈良県奈良市11

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 10 奈良県 奈良市 10

    喜光寺奈良県奈良市菅原町喜光寺は、奈良時代初期に東大寺造立に貢献した行基が721年養老5年に創建しました。東大寺の大仏殿造立にあたって、行基は喜光寺の本堂を参考に造立を行ったことから、試みの大仏殿と呼ばれます。架橋や灌漑土木による水田のための池の工事など、行基の布教に留まらない行動は民衆の絶大な支持を集めていましたが、警戒心を持つ朝廷からは、圧力の対象となっていました。ただ、724年神亀元年に即位した聖武天皇は行基を高く評価していました。朝廷は帝の意を汲み、東大寺の創建と大仏造立の詔(みことのり)を発譜した後に、行基を大勧進に抜擢します。行基は大仏が鋳造が成った749年天平元年に齢81にして老齢のために喜光寺で死去しました。行基亡き後、東大寺造立には、行基の弟子達が引き継いて竣工させました。歴史めぐり街物語7‐10奈良県奈良市10

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 9 奈良県 奈良市 9

    行基像奈良県奈良市近鉄奈良駅前668年天智7年、飛鳥時代末期に河内(現在の大阪府堺市)に生をうけた行基は、15歳で仏門に入りました。行基は、この時代の僧侶の多くにある寺院の中で経を唱え、布施を受けるようなことはせず、全国を自らの足で歩き、民衆に寄り添う僧侶でした。仏門の道を説き、流行病や重税に苦しむ農民のために薬を施し、池を掘り、橋をかけたりと、奉仕を行う僧侶として絶大な支持を受けたため、元正天皇治世の朝廷から警戒され、活動を禁止されてしまいました。724年神亀元年、仏教に深く帰依する聖武天皇が即位。依然として行基を慕う民衆は集り続けると、仏教に理解の深い聖武天皇治世の朝廷は、高齢の者に限って得度を許し、また、行基を薬師寺の師位僧(公的な僧侶)として認めることとしました。朝廷は行基と慕う民衆を圧力ではなく...歴史めぐり街物語7‐9奈良県奈良市9

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 8 奈良県 奈良市 8

    興福寺三重塔奈良県奈良市登大路町興福寺境内の南西の隅に立つ三重塔は、平安時代後期の崇徳天皇の中宮、皇嘉門院が創建した現存する最古の興福寺伽藍で、窪弁才天像を安置する塔内部は毎年7月7日に特別開扉します。興福寺中金堂落慶奈良県奈良市登大路町興福寺は、創建1300年を迎えた歴史の中で、何度も戦災や火災に見舞われつつも、その度に再建されて元の姿に戻ることを繰り返してきました。この度、興福寺境内の中心域に1717年享保2年の大火で焼失した中金堂が300年振りに再建され、本尊の釈迦如来像の再建も兼ねて落慶法要が行われました。藤原氏の氏寺として、大和国で絶大な力を誇っていた興福寺ですが、平安時代を過ぎると平家による南都焼き討ちや度重なる火災にも度々見舞われ、しかも江戸時代の大火では、ほぼ全伽藍を焼亡し、寺運は必ずしも...歴史めぐり街物語7‐8奈良県奈良市8

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 7 奈良県 奈良市 7

    興福寺北円堂奈良県奈良市登大路町興福寺北円堂は、藤原不比等の没後一周忌の721年養老5年に創建された八角円堂で、平安時代末期の源平争乱の最中に平重衡の軍勢により焼失し、その後、1210年承元4年に再建されたものです。興福寺南円堂奈良県奈良市登大路町南円堂は、藤原北家四代目の藤原冬嗣が父、内麻呂の冥福を祈り、813年弘仁4年に建立した八角円堂で、これも焼失後、江戸時代後期の1789年寛政元年に再建されたものです。南円堂は西国三十三ヵ所観音霊場として多くの参詣者が訪れます。歴史めぐり街物語7‐7奈良県奈良市7

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 6 奈良県 奈良市 6

    興福寺興福寺東金堂奈良県奈良市登大路町興福寺は、中臣(藤原)鎌足の夫人鏡女王が病に臥した夫、鎌足の回復を願って山城国(現在の京都)に657年斎明天皇8年に造営させた山階寺が始まりです。鎌足の死後、飛鳥に厩坂寺として移転、さらに都が平城京に遷都されると鎌足の子、不比等により現在の奈良市奈良公園の地へと移り、名も興福寺と改められました。東金堂は五重塔とともに興福寺のシンボルの伽藍で、726年神亀3年に聖武天皇が創建し、堂内には本尊の薬師如来坐像が保管されています。興福寺五重塔奈良県奈良市登大路町興福寺五重塔は、奈良時代前期の730年天平2年に建立されましたが火災により焼失し、その後も火災、戦災に見舞われて計五度の焼失を経て現在の五重塔は六代目で、1426年応永33年の室町時代に再建されたもので、高さ50メート...歴史めぐり街物語7‐6奈良県奈良市6

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 5 奈良県 奈良市 5

    奈良の鹿奈良市、特に春日大社、東大寺、興福寺や奈良公園を中心に見られる鹿は奈良のシンボル的存在です。人によく馴れ、奈良公園周辺の路上売店で売られている鹿せんべいを貰う際にお辞儀する愛らしい仕草を見せる奈良の鹿は古来から飼われているものではなく野性種です。もともと古来より大和国一帯に生息する鹿でしたが、万葉集にも奈良の鹿の歌が詠まれ、中臣鎌足(藤原鎌足)の子、藤原不比等が平城京遷都に伴い春日大社の前身、春日社創建の折、祭神である建御雷命(タケミカヅチノミコト)が常陸国(現在の茨城県)の鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗って御蓋山(みかさやま)に降りたとされ、以来、鹿は神鹿(しんろく)として崇められるようになりました。鹿のお辞儀…藤原氏が天皇家との繋がりが深まり、権勢も大きくなるに従い、輿に乗った人が降りる際に下々...歴史めぐり街物語7‐5奈良県奈良市5

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 4 奈良県 奈良市 4

    東大寺戒壇院奈良県奈良市雑司町753年、天平勝宝5年、日本の求めに応じるべく、足掛け12年におよぶ歳月をかけ、五度の渡航失敗の末に失明してもなお日本を目指した唐の高僧、鑑真和上が九州薩摩に上陸、日本の土を踏みました。折しも聖武天皇の詔(みことのり)により、東大寺の盧舎那仏(大仏)が造立され、開眼供養が行われた翌年のことでした。754年天平勝宝6年、鑑真一行が平城京に入京すると大歓迎を受けました。鑑真の来日の真の目的は、日本の僧らに戒律を授けるためで、まず、待ちかねた聖武天皇が東大寺大仏殿の前の土壇(戒壇)で鑑真から戒を授かりました。戒律とは~仏教の守るべき掟で、大きく戒と律に分けられる。戒~内面的な道徳観のこと(善行に生きる、悪事を働かない、など。)律~仏教教団、宗派で守るべき内規のことで、もし破ると教団...歴史めぐり街物語7‐4奈良県奈良市4

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 3 奈良県 奈良市 3

    東大寺二月堂奈良県奈良市雑司町東大寺二月堂は、大仏殿を見下ろす東の高台に建立された懸崖造(けんがいづくり)で、奈良に春を告げる本尊、十一面観音の修二会(しゅにえ~お水取り)が行われる伽藍です。西に向けて舞台の様にせり出した回廊からは、眼下に奈良市内をはじめ、生駒山まで望めるビュースポットで人気です。~お水取り~本尊、十一面観音に懺悔と祈りを捧げる法要で、毎年3月1日~14日まで続き、伽藍の創建とされる752年天平勝宝4年から毎年欠かさず繰り返され、平成30年の今年は、1267回目となりました。二月堂の名は、旧歴二月に修二会が行われることから、この名が付けられました。東大寺閼伽井屋(あかいや)奈良県奈良市雑司町閼伽井屋は、毎年三月十二日午前1時過ぎより、二月堂で修二会を始めるあたり、屋内の井戸より水をくみ取...歴史めぐり街物語7‐3奈良県奈良市3

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 2 奈良県 奈良市 2

    東大寺南大門東大寺南大門奈良県奈良市雑司町東大寺は、東に在る大寺ということから、東大寺と名付けられました。正面は五間、三戸、二重門の豪壮な入母屋造りで、高さは25メートルを超え、【大華厳寺】の扁額が掲げられています。阿、吽(あ、うん)の金剛力士立像が左右に立ち、忿怒の念をたぎらせてます、阿形~金剛力士立像吽形~金剛力士立像~創建当時の南大門は平安時代に台風によって倒壊し、一度は修繕されるも平安の終わり、1180年治承4年、平家の南都焼打ちにより焼失し、1199年正治元年に様々な人々の寄進を得て重源上人により再建されました。東大寺法華堂法華堂は、東大寺の前身となった金鐘寺の遺構で、現存する東大寺最古の伽藍です。日本で初めて法華経が講じられた建物で、内部は入母屋造りの礼堂(らいどう)と天平建築の寄棟造の本堂の...歴史めぐり街物語7‐2奈良県奈良市2

  • 歴史 今日の出来事 10月1日 1964年 昭和39年 10月1日 東海道新幹線開業

    日本が世界に誇る高速鉄道〜新幹線。その先駆けとなった東海道新幹線が10月1日の今日、開業60周年を迎えました。すでに過密状態にあった東京、名古屋、大阪の日本の3大都市圏を高速鉄道で結ぶという計画から約5年。東京オリンピック開幕を目前に控えた1964年、昭和39年10月1日に営業運転が開始されました。東京駅静岡駅浜松駅東海道新幹線駅一覧東京品川新横浜小田原熱海三島新富士静岡掛川浜松豊橋三河安城名古屋岐阜羽島米原京都新大阪60年ともなると、人間で例えると還暦です。60周年おめでとうございます。歴史今日の出来事10月1日1964年昭和39年10月1日東海道新幹線開業

  • 歴史めぐり 街物語 7 ‐ 1 奈良県 奈良市 1

    奈良市東大寺東大寺盧舎那仏坐像奈良県奈良市雑司町東大寺奈良と聞くと、何を思い浮かぶでしょうか。多くの人が大仏様や鹿を思い浮かぶでしょう。国宝にして世界遺産に登録された東大寺の大仏様です。正しくは、銅造盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)といいます。盧舎那仏は、知恵と慈悲の光明をあまねく照らす仏の意味を表します。東大寺大仏殿の本尊として743年天平15年、聖武天皇の詔(みことのり)により造立が決まり、鋳師(いもじ)が3年をかけて仏体を整え、像の高さは14.73メートル、使われた銅は500トンにも及び、完成となる開眼供養の儀式が行われたのは詔から10年目の752年天平勝宝4年のことで、大仏の開眼供養の後に大仏殿を始めとした伽藍が整備されました。大仏は、平安時代末期の源氏と平家の戦いか激化した1180年治承4年、...歴史めぐり街物語7‐1奈良県奈良市1

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