家庭訪問と言えば、 先生が家に来てくれる嬉しい日。 あるがこんな気持ちで、先生が来てくれるのを楽しみに待っていたのは、 何年生くらいまでだっただろう。 幼かった頃は、 先生が来てくれるのを楽しみに家で待っていたあるですが、 成長と共に、家庭訪問期間中は、 友達とたくさん遊べる機会へと変わり、 先生を待つことはしなくなりました。 ランドセルを置いて遊びに出掛けるあるを見送りながら、 これも成長なのだなと、 いつもよりも綺麗な我が家で先生を待ちながら、 あるの背中を見送ったのも、あの頃の良い思い出です。 emiblog8.hateblo.jp
春の大掃除の始まりは、忘れもしません。 あるが幼稚園へ上がった年から始まりました。 何故なら、家庭訪問があるからです。 普段から綺麗にしておけば良いのでしょうが、なかなかねぇ・・・。 あるの成長と共に、我が家の本当の大掃除は、 冬から春へと変わり行きましたが、 寒い冬よりも、暖かな春の方が、掃除も捗るような気がしました。 こうして振り返ってみれば、家庭訪問が春という時期で、 とても良かったなと感じています。 emiblog8.hateblo.jp
もう髪の毛切らないでね これは、小学2年生だったあるの言葉です。 あれからの私は、あるとの約束を守り、 ロングヘアであり続けました。 そんなある日のこと。 もう髪切ってもいいんだよ あるから突然に、こんなことを言われたのは、 いつのことだっただろう。 これもまた、あるの成長なのでしょう。 あるの言葉を聞きながら、何故だか、 言葉には出来ない寂しさを感じたことも、私の大切な思い出です。 emiblog8.hateblo.jp emiblog8.hateblo.jp
親は誰も、子供の為に一生懸命だけれど、 その子育てが正解だったかどうかは、 その子が大きくなってから、その子が決めることなんだと思うよ 俺たちは、それを決めることは出来ないよ 大人になったあるが、俺たちの子供に生まれて来て良かったなって、 思ってくれたら、俺たちの子育てはきっと正解 今は、何が正解かなんて、 考えたって、俺たちには、分からないんだと思うよ だから、俺たちは、今、あるに何が出来るのか、 一生懸命に考えて、育てて行くしかないんだと思うよ これは、あの日のみーくんの言葉です。 2人で立ち止まって、子育てについてを考えたあの日のみーくんの言葉は、 此処から先の私の道標となってくれる言葉…
日々、成長するあるを見つめながら、みーくんと2人で、 私たちの子育てについてを話し合った日がありました。 私たちの子育ての仕方ってさ、正解なのかな。 私がこんな疑問を持ったのは、 あるの成長を感じる度に、 少しずつ、子育ての難しさをも感じるようになって行ったからでした。 子育てって、教科書があるようで、ないようなものなのかも知れません。 子供の数だけ、その子に合った育て方が存在するのかも知れません。 あの日は、 慌ただしく過ぎ行く日々の中、ほんの少しだけ立ち止まって、 子育てについてを見つめてみたのでした。 emiblog8.hateblo.jp
あるは物心がついた頃から、ドラえもんが大好きでした。 成長と共に様々なものを卒業していきましたが、ドラえもんだけは特別。 いつの頃からか、 ドラえもんの映画を観に行くことも家族行事のひとつとなっていきました。 映画館へ行くと、 必ずドラえもんグッズを買ってあげるのも恒例行事のひとつ。 グッズを眺めながら目をキラキラさせていたあるも可愛かった姿でした。 あと何回くらい、 こうして家族で映画を観に来ることが出来るのかな。 あの頃の私は、あるの笑顔を見つめながら、 ひっそりと、こんなことを考えたりもしていました。 emiblog8.hateblo.jp
日々、粛々とその準備が進められ、 パパじいちゃんとのお別れの日がやって来ました。 たくさんのお花と、 あると従姉妹たちが折り紙で作った飾りで、 パパじいちゃんの周りは、いっぱいになりました。 そうして、お別れの時がやって来て、 パパじいちゃんは、 この世界から旅立って行きました。 パパじいちゃん あるのことを可愛がってくれて、ありがとう ある、あの日のキミのこんな声は、 きっと、パパじいちゃんのところに届いたはずだよ。 emiblog8.hateblo.jp
パパじいちゃんの告別式までに、 やらなければならないことがたくさんありました。 お手伝いのために幾晩かに渡り、 みーくんの妹家族と共に、 パパじいちゃんの家へ泊まりました。 夜には、あるは従姉妹たちと眠りましたが、 パパじいちゃんの夢を見たと話してくれたあるの声も、 今でもとても印象に残っています。 あるの夢の中でのパパじいちゃんは、 子供たちの間に寝転がって、目を閉じていたけれど、 パパじいちゃん?と呼びかけたあるの声に、返事をしてくれたのだそうです。 パパじいちゃんは、最後に、 孫たちとの時間を大切に過ごしていたのかも知れません。 あるの誕生を、とても喜んでくれたパパじいちゃん。 あるの成…
その日は、何の前触れもなく、突然にやって来ました。 お正月に遊びに行った時には、いつもと変わらず、 元気だった筈のパパじいちゃんが、 突然に倒れて、 そのまま、お別れがやって来てしまったのです。 小学生になれば、 死ぬということが、どのようなことであるのかを知っていても、 理解をするには、まだ早い年齢なのだと思います。 眠っているようにも見えるパパじいちゃんの姿を、 ただじっと見つめていたあるの姿は、忘れられない姿です。 emiblog8.hateblo.jp
むかしあそび こんなイベントに出掛けた日がありました。 けん玉やメンコ、おはじきやビー玉遊び。 昔ながらの遊び方を、 ボランティアのおじいちゃんやおばあちゃんが教えてくれるというイベントでした。 その中であるが興味を持ったのは、けん玉。 わかりやすく教えてくれたおじいちゃんのお陰で、 あるは、直ぐになんとなくのコツを掴みました。 けん玉を欲しがるので、買ってあげることにしましたが、 思っていたよりもけん玉に夢中になったあるは、 次々に技を極めて行くようになりました。 そんなあるを見ているうちに、私もやってみたくなりました。 私がけん玉に挑戦するのは、これが初めてのことでしたが、 あるに教わりな…
ななかぜ家の2月は大忙し。 節分 みーくんのお誕生日 バレンタインデー あるのお誕生日 大切な行事がたくさん詰まっているのです。 1年の中で、最もバタバタとしてしまう月でもありますが、 みーくんがまたひとつ、年を重ねる月であり、 あるの成長を感じることの出来る月でもあるのです。 嬉しいことが詰まった2月は、 私の中で、最も特別で、楽しい月でした。 emiblog8.hateblo.jp
あるね、武道を辞めようか迷っているんだ。 夜、眠る前に、こんな話を聞かせてくれたのは、 武道を始めてから、 間も無く1年が経とうとしている頃のことでした。 武道を始めた当初からずっと、 あるは、武道をとても楽しんでいましたが、 どうしても出来ない技がありました。 それがきっかけとなり、 武道を辞めようか迷っているのだと、あの日の夜は、 こんな話を聞かせてくれたのでした。 今は出来ないことも、いつかきっと出来るようになると思うよ。 出来たよって、いつか、こんなあるの言葉を聞いてみたいな。 あの日の夜の私は、あるにこんな話をしました。 私の言葉に安堵したかのように、眠りに就いたあるは、 あれから、…
みーくんは、いつの頃からか、私の前髪を切ってくれるようになりましたが、 あるが生まれてからは、あるの髪も、 いつもみーくんが切ってくれていました。 みーくんに髪を切って貰った日のあるは、 いつでも鏡を見ながら、嬉しそうにしていました。 これは、髪を切るのが上手なみーくんだからこそ出来た、 あるとの関わり方。 あるの成長に合わせて、 あるの髪型を変えてくれていたみーくんは、 私には見ることの出来ない視点から、 あるの成長を見守ってくれていたのかも知れません。 emiblog8.hateblo.jp
もう少し、 ゆっくり成長してくれてもいいんだけどな。 これは、あるが11歳のお誕生日を迎えた喜びの言葉と共に綴ってあった、 あの頃の私の言葉です。 相変わらず目紛しく過ぎ行く日々だったけれど、 それでも、思えば随分、楽になったなと、 ふと、それまでの記憶を振り返った瞬間でした。 あの日の私は、 あるの成長に喜びながらも、ほんの少しだけ、 寂しいような、そんな複雑な気持ちを見つけたのでした。 あるは、あとどのくらい、 私たちと一緒に遊んでくれるのかなと。 もう少しゆっくりと、『今』を見ていたい。 あるが11歳のお誕生日を迎えた日は、 こっそりと、こんな感情を自分の中に見つけた日でもありました。
みーくんの趣味はスノーボードです。 あるが生まれるまでは、 頻繁にスノーボードへ出掛けていたみーくんですが、 あるが生まれてからは、 スノーボードへ出掛けることがなくなりました。 行ってきて良いんだよ。 私のこんな言葉に頷きながらも、 私たちを置いて出掛けることに消極的だったみーくん。 こうして振り返ってみると、みーくんは、 あるが成長し、一緒にスノーボードで遊べる日を待っていたのかも知れません。 家族3人で雪山へ出掛けたのは、 あるが小学5年生になってからのことでした。 初めての雪山で、 たくさんの雪に嬉しそうにしていたあるの姿は、可愛かった姿。 こんなにたくさんの雪を見るのは、生まれて初め…
クリスマスの朝、目を覚ますと、 みーくんと私の枕元それぞれに、 プレゼントが置いてありました。 とても驚きましたが、どうやら私たちの元に、 小さなサンタさんが来てくれたようなのです。 パパにもママにもサンタさんが来てくれて良かったね。 あの日の朝のあるは、喜ぶ私たちを見つめながら、 とても嬉しそうに、こんなふうに言ってくれました。 まさか、大人になってから、 こんなに素敵なクリスマスの朝を迎えられる日が来るだなんて、 思ってもいませんでした。 あれは、今でも忘れられない感動のクリスマスの朝でした。 rakuten_affiliateId="0ea62065.34400275.0ea62066.…
我が家では毎年、 あるにだけインフルエンザの予防接種を受けさせていましたが、 家族3人で予防接種を受けたのは、あるが小学5年生の時のことでした。 あるがインフルエンザに罹ることはあっても、 何故だか私たちには移らずに、 特に困った過去があったわけではありませんでしたが、 職場で、家族で毎年、 インフルエンザの予防接種を受けているという方の話を聞いて、 我が家でも受けてみようということになりました。 家族3人一緒に診察室へ入ると、 先生のこんな言葉から、まずはみーくんからという流れになりましたが、 みーくんったら、意地悪です。 わざと痛そうな顔をするではありませんか。 それも、あるの方を見ながら…
仕事が終わったら、出来るだけ早くに帰宅して、 Sボードを持ってあると一緒に公園へ行こう。 あの頃の私の夕方の時間の使い方は、こんなふうに変化していました。 あの頃のあるも勿論、夕方のこの時間をとても喜んでくれていましたが、 こうして振り返ってみると、 実は私の方が、Sボードに夢中だったのかも知れません。 練習場所は、近所の公園内にある道路に面した駐車場。 此処は、みーくんの帰宅ルートに面しているため、 帰宅途中に私たちを見つけると、必ず声を掛けてくれました。 車を置いたら俺もすぐに行くから、待ってて!と。 自宅に車を置いて、みーくんも合流。 日が暮れるまで、公園で家族3人での時間を過ごすことが…
Sボードを楽しげに乗りこなすあるの姿を見守っているうちに、 私もやってみたくなりました。 あるが短時間で、あまりにも上手に乗れるようになったので、 私も直ぐに乗れるようになるのではないかと、 僅かにこんな錯覚をしていたことも認めなければなりませんが、 あの時の私は、ひとつ忘れていたことがありました。 そう言えば私、運動はあまり得意な方ではありません。 そんな私ですが、あるに教わりながら、 生まれて初めてのSボードへの挑戦です。 初めは手を繋いで、ボードの上に立つ練習から。 そして、あるから手を離して、体を動かし前に進む練習です。 まさか、大人になってから、派手に転ぶ日がやって来るだなんてね。 …
ある日のみーくんが、 あるへプレゼントしたのは、Sボードなるものでした。 スケートボードにはタイヤが4個ついていますが、 こちらのSボードは、前後に1つずつ。 タイヤが2個だけしかついていません。 なんだかちょっと危なそうにも感じた乗り物ですが、 あるは、独自の研究を重ねて、 乗りこなすまでには、そう時間は掛かりませんでした。 出来るようになった物事とは、なんでもとても楽しいもの。 僅かにでも時間が空けば、一緒に公園へと出掛けて、 あるが楽しそうにSボードに乗る姿を見守りました。 Sボードに乗って、気持ちよさそうにスイスイと移動する姿を見守った時間は、 私にとっても、とても気持ちの良い時間でし…
高学年になると、委員会などの活動を通して、 様々に活躍するシーンが出てきます。 5年生のあるは、放送委員会へ所属していたため、 運動会では、進行や実況中継などを任されることとなりました。 マイクを使って立派に活躍するあるの姿には、 毎年の運動会とは、また違った視点からの成長を感じることが出来ました。 そして、対抗リレーの時に聞かせてくれたアドリブでの実況中継は、 なんだかとても可愛くて、笑ってしまった思い出。 様々な役割を担う高学年になると、 それまで見たことのなかった我が子の姿を知り、 大きな成長を感じることの出来る機会へと繋がっていくのだと思います。
ある。 キミはどうして彼らが入っている籠の蓋を、 ちゃんと閉めないんだい? 廊下に見つけた彼の姿に、 叫び声を上げた日のことを思い出しながら、 ふと蘇ったのは、更に恐ろしかったあの夜のことです。 あれ?いなくなっちゃった。 ある日の夜、彼らの様子を見ていたあるは、 籠の中にいるはずの彼らのうち1匹がいなくなってしまったと言うのです。 どうやらまたしても、 籠の蓋をちゃんと閉めていなかったようなのです。 家の中を捜索しても見つからず、 みーくんが、 懐中電灯を照らして、誘き寄せるという作戦を取ってくれましたが、 彼は行方をくらましたまま、一向に姿を現してはくれませんでした。 そうして遂に、 今夜…
彼らを初めて我が家にお迎えしたのは、 あるがまだ幼かった頃のこと。 あれからの毎年、夏になると、 必ず彼らお迎えすることになりました。 ある年の彼が脱走した夜は、 今でも忘れられない恐怖の出来事。 ドアを開けると、 廊下に黒っぽいものを発見したのは私でした。 よく見てみると、 何故だか廊下に彼がいるではありませんか。 は?どうしてこんなところに? 恐怖のあまりに思わず叫び声を上げてしまったのも、 こうして振り返ってみれば、笑ってしまう思い出。 ある。彼が入った籠の蓋をちゃんと閉めていなかったのです。 我が家に毎年、彼らをお迎えするということは、 時にこのようなアクシデントが起こってしまうという…
毎年の夏になると、必ず高熱を出していた私ですが、 1日足りとも休むことの出来ない子育てに向き合いながら、 体調管理の面において、真剣に考えさせられるようになり、 あるの成長と共に、気が付けば、 体調を崩すことがなくなっていきました。 これは、 我が子を守るための進化とも言えるのかも知れません。 高熱を出していた頃の私は、毎年、夏の季節に短さを感じていましたが、 夏を元気に過ごすことが出来るようになり、夏の季節の長さを知りました。 こうして振り返ってみると、 大好きな夏の季節を思いっきり楽しむことが出来るようになったのは、 あるが生まれてきてくれたお陰でした。 ある。 私に、夏の長さを教えてくれ…
あるね、ママのこと、おんぶ出来ると思うんだ。 あるの背中に乗ってみて? まだ私よりも体が小さいあるですが、 突然に、こんな主張を始めた日がありました。 あまりにも自信満々なあるの様子に、 恐る恐る背中に乗ってみると、あるは私を背負ったまま、 テーブルの周りをグルグルと回り始めたのです。 あるが潰れてしまうのではないかと、心配をする私を他所に、 ほらね、やっぱりおんぶ出来たよと、 なんだかとても嬉しそうなあるは、なかなか私を下ろしてはくれませんでした。 あるは、いつの間にか、随分と、力持ちになったようです。 我が子におんぶされる日が来るだなんて。 それも、こんなに早くに。 なんだか、おばあちゃん…
みーくんの提案から、 毎年、野菜を作るようになったのは、いつからだっただろう。 我が家では、 トマト、茄子、オクラ、ピーマンを作っていました。 あるが幼かった頃は、一緒に野菜の収穫を。 やがて、成長したあるは、 立派に野菜の収穫を担当してくれるようになりました。 実は私は、ピーマンが苦手だったのですが、 なんでしょうか、 あるが収穫してくれた野菜というのは、私にとって、特別だったようです。 あるが採ってくれたピーマン、美味しいね。 あるにこんな言葉を掛けるうちに、 いつの間にか、私にとって、 ピーマンが好きな野菜へと変わっていきました。 好き嫌いをせず、なんでも食べてくれる子に育ってくれたある…
当時使っていた携帯電話の中に収められていた写真の中に、 あると2人で変顔を撮った写真を見つけました。 これは、買い物をするみーくんを待っている間に、 あると2人で写真を撮って遊んだ時のものです。 みーくんのクールさを、どんどん崩していったあるは、 やがて、私にまでこんな顔をさせるようになりました。 これは、あるマジックなのかも知れません。 あぁ、遂に私まで、 こんな顔で写真を撮るようになっていたんだなと、 当時の写真を眺めながら、 あるとの楽しかった時間を思い出しました。 rakuten_affiliateId="0ea62065.34400275.0ea62066.204f04c0";rak…
勉強の面において、 学年が上がれば上がるほど、得意科目と苦手科目が、 はっきりとしてくるとも言えるのかも知れません。 どうやらあるは、 社会科が苦手だった私に似てしまったようだと気が付いたのは、 あるが高学年になった頃からでした。 自分にとっての苦手科目であった社会科の勉強を、 あるに楽しく教えるという方法を思いつかずにいた私ですが、 みーくんは違いました。 社会科が得意だったみーくんは、教科書には載っていないような、 ちょっと面白い話を交えながら、説明をしてくれるのです。 みーくん先生の授業は、 思わず私までもが聞き入ってしまうような授業。 あると一緒に、 みーくん先生の授業を受けたことも、…
あると私の手を重ね合わせて、 手の大きさを比べた写真を見つけました。 思えばあるは、あの頃から少しずつ、 手や足の大きさを比べたがるようになりました。 あの頃になると、大きくなったなと、 あるの成長を感じる場面ばかりがとても増えてきましたが、 こうして改めて、あの頃の写真を眺めてみると、 まだまだ私よりも小さかったあるの手は、 とても可愛らしい手でした。
あるが小学5年生になったタイミングで、 武道を習わせることにしました。 周りのお友達も皆、何かの習い事をしており、 あるも何かをやってみたいと、 こんな声が聞こえるようになったことがきっかけでした。 それならと、武道を薦めたのには、実は理由がありました。 あと、2年が経てば、中学生になるある。 中学生の男の子と言えば、私の中に鮮明に記憶に残っていたのは、 力比べのような遊び方でした。 それもまたきっと、男の子の通る道でもあるのでしょう。 そんな成長過程の中、力が強くない子は、 やられる側となってしまう可能性が高いとも言えるのかも知れません。 どちらかと言えば、おっとりしているタイプのあるは、 …
小学生時代のみーくんは、道草少年であったようで、 学校からの帰り道には、 道端で見つけた様々な宝物で遊びながら、 長い時間を掛けて帰宅するのが当たり前だったと、 こんな話を聞かせてくれたことがありました。 道に草が生えていていることも、 道に石が落ちていていることも、 男の子にとっては、全部宝物。 これは、その時のみーくんの言葉です。 あるを育てる中で、どんなに時代が変わっても、 変わらないものもあるということを様々に見つけてきましたが、 徒歩20分程度の距離というのは、 男の子の場合、1時間程度となるのもまた、 どの時代の子も変わらないのでしょう。 小学生のあるも、漏れなく道草少年でした。 …
野球ボールとグローブ、それからサッカーボールを持って、 あると2人でピクニックへ出掛けることが増えたのは、 みーくんのお休みがあまりないことからでした。 特に、キャッチボールは殆どやったことがなかった私ですが、 初心者の私に合わせた球を投げてくれたあるのお陰で、 楽しい時間を過ごすことが出来ました。 球技が苦手な私が、あるの相手をするには、 力不足ではありましたが、 それでも、嬉しそうにしてくれていたあるの姿も、私の大切な宝物です。
ある。 キミは、覚えているかな。 小学校へ上がったばかりだったキミは、 ひとりで道路を歩くことが怖くて、 2人で決めた場所までを毎朝一緒に歩いたね。 いってらっしゃい いってきます いつもの場所で挨拶をして、 ひとりで歩き出したキミは、 少し歩いたところで立ち止まって、不安そうに後ろを振り返ったね。 あの時のキミは、私の姿に安心したように、 また前を向いて、学校へと向かって行ったんだ。 キミの小さな後ろ姿を見守ったこと、 今でもよく覚えているよ。 ある。 いつからだったかな。 ひとりで道路を歩くことを怖がらなくなって、 いつの間にか、玄関でのいってらっしゃいの挨拶へと変わっていったね。 小さな…
学童保育を卒業した後の、 夏休みや冬休みなどの長期間のお休みには、 私の実家へあるをお願いしていました。 あるがまだ幼かった頃に、 早期退職の道を選んだ父が、 主にあるのことを見ていてくれました。 我が家では、 あまり触れる機会のない囲碁や将棋をあるに教えてくれたのは、 あの頃の父でした。 あるは、特に将棋を気に入ったようで、 父との将棋の時間をとても楽しみにしていました。 お迎えに行くと必ず、 楽しそうに将棋を差す2人が私を迎えてくれたことも、 懐かしい思い出です。
あれは、雪が降った数日後のことでした。 仕事から帰ると、庭に僅かに残った雪で、 あるがキノコを作って待っていてくれたことがありました。 私は、キノコのモチーフが大好きで、 キノコの置物を幾つか部屋に飾っています。 私がキノコが好きだからと、 あるは、キノコの形を作ってくれたようです。 このあるの作品は、『ユキノコ』と名付けられました。 もし出来れば、私のコレクションに新しく加えたいくらいに、 とても可愛く仕上がっていました。 あの日のあるは、 消えてしまうからこそ、 より美しく感じることのできる作品を、 プレゼントしてくれたのだと思います。 もう此処に、あのユキノコはありませんが、 消えてしま…
ゲーム機に夢中だったあるですが、 やがて、カードゲームにも興味を持つようになり、 友達と遊びに出掛ける時は、 ゲーム機とカードゲームを持って出掛けるというスタイルへと変わっていきました。 あるに教えてもらいながら、 一緒にカードゲームで遊んでみたことがありましたが、 なんというか、ルールが難しすぎるように思いました。 何度説明されても、どうもついていけないのです。 こんな私とは真逆に、みーくんは、 自分のカードまで購入し始めて、 あるとのカードゲームの時間を楽しみました。 振り返ってみれば、あるが興味を持ったものに、 ついて行けない部分が出てきたのは、あの頃からだったのだと思います。 カードゲ…
バケツに出来た丸い氷を持って、 嬉しそうに笑うあるの写真と、 割れた氷を持って、 ガッカリ顔のあるの写真を見つけました。 この写真を眺めながら思い出していたのは、 丸い氷を持って写真を撮った後で、 冷たさのあまりに氷を落としてしまって、 ガッカリなあるの声でした。 えぇ?割れちゃったよ!と。 自然が作り出してくれた氷。 それは、子供にとって、 季節がくれた宝物であるとも言えるのかも知れません。 バケツの中に出来た氷を見つけて嬉しそうだったあるの姿も、 割れてしまった氷にガッカリしてしまったあるの姿も、 どちらもとても可愛かった姿でした。
私はビールが苦手なのですが、 実は、ビールには強い憧れがありました。 一度でいいから、 やってみたいことがあったのです。 ビールを一口飲んで、口の周りに泡をつけながら、 普段は口にしない愚痴なんかを吐き出してみる。 例えばテレビドラマのワンシーンなんかにありそうなあの感じを、 サラリーマン風に演出してみたかったのです。 あれは、ビールのように泡立つ子供用の飲み物を、 あると一緒に飲んでみた日のことでした。 折角ですので、出来るだけ口の周りにいっぱいの泡をつけてみます。 そうして、 こんな私の言葉に、 あるは、 私が突然始めたサラリーマンごっこに乗ってくれました。 こんなふうに、雰囲気に合わせる…
あれは、とても風の強い日のことでした。 仕事をしながら、気になっていたのは、 学童保育を卒業し、 放課後には、必ず友達と遊びに出掛けるようになったあるのことでした。 とても風の強い日というのは、 予期せぬものが飛んできてしまう可能性もあります。 それが思わぬ怪我へと繋がってしまうこともあるのかも知れません。 もし出来れば、遊びには行かずに、 家の中でお留守番をしていてくれたらと、 こんな気持ちであるに電話をしてみたのですが、 分かった! じゃぁ気を付けて遊ぶね! こんな元気な声が返ってきてしまったのです。 あるの声を聞きながら、 思い出していたのは、自分の子供時代のことでした。 子供だった頃の…
あるね、馬に乗ってみたいの こんなあるの言葉から、 乗馬体験の出来るレジャー施設へと遊びに行ったのは、 夏休みのことでした。 あの日、初めて馬に乗ったあるが見せてくれた最高の笑顔は、 大切な宝物。 美味しいものをたくさん食べたことも、 施設にあるアトラクションで遊んだことも、 楽しかった思い出です。 さて、あの日は、たくさんの馬たちを見る機会でもありましたが、 そこで出会ったのは、 私の前髪とそっくりな前髪をした馬でした。 みーくんと、ある。 大爆笑ですよ。 私の前髪と同じだと。 そうして、名前の明記がなかったその子に、 勝手にえみりぃと名付けて、 写真を撮っていたみーくんの笑顔も、大切な思い…
普段から仕事が忙しかったみーくんですが、 震災後から更に仕事が忙しくなっていきました。 あの頃のみーくんはお休みなど、ほぼ皆無。 多忙を極めていたみーくんですが、 仕事が早く終わった日に、みーくんが大切にしていたのは、 夕方のあるとの時間でした。 まだ明るい時間に帰ることが出来た日のみーくんは、必ず、 あるを連れて近所の公園へと出掛けて行きました。 暗くなって、ボールが見えなくなるまで、 キャッチボールの時間です。 辺りが暗くなると、 やがて聞こえる2人の楽しそうなただいまの声も、 もうすぐご飯だよとキッチンから声を掛けながら見つけた、 2人の笑顔も大切な宝物。 どんなに忙しくても、 あるとの…
子供がひとりで、誰もいない家に帰っていることを、 周囲に知られることは、 とても怖いことであるのかも知れません。 家に誰もいないことを悟られないために、 玄関を開けたら、大きな声で、 ただいまと声を出すことが、防犯対策に繋がるのだと、 こんな話を聞いたことがありました。 どのくらいの期間、それを実行してくれていたのかは、 私には確認する術はありませんでしたが、 あるには、玄関を開けたら必ず、ただいまと声を出すようにと教えていました。 これから子育てをする方や、 まだ小さなお子様を育てていらっしゃる方が、 このブログを読んでくださっているとしたのなら、 将来、役に立つ情報であるのかも知れないと思…
小学校へ上がってからのあるは、学童保育でお世話になっていましたが、 学童保育は、3年生で卒業となります。 4年生からは、学校が終わったら、 自分で帰宅して、鍵を開けて家に入ることになりますが、 学校から帰ったあるが、 そのまま家の中で過ごすことなど、まず有り得ないでしょう。 ランドセルを家に置いたら、そのまま遊びに出掛ける。 こんな流れが日常となるのだと思いました。 学校が終わってからのあるが何処にいるのか、 分からないことも、きっと増えてくるのでしょう。 念のため、あるに携帯電話を持たせよう。 私たちがこう決断したのは、 あの、3.11の地震があったからでした。 あの地震では、私たちが住むこ…
あれは、私の誕生日の夜のことでした。 お風呂を出て、スキンケアのために、 化粧品の入った箱を開けると、箱の内側に、 付箋に書かれた、あるからのメッセージを発見しました。 日を田と書き間違えて、 「おたんじょう田おめでとう」になっていました。 このサプライズを急遽思いついたあるは、 急ぎすぎて、漢字を間違えてしまったそうです。 なんだか笑ってしまいますが、 こんなところもあるの可愛いところ。 あの日の付箋は、今でも、私の大切な宝物です。
初めて、あるをバッティングセンターへと連れて行ったのは、 あるが何歳の頃だっただろう。 初めてバッティングセンターへ行った日に、 みーくんがあるにバットの振り方を教えていた姿は、 今でもよく覚えている大切なワンシーン。 あるの成長と共に、どんどん遊びの幅が広がり、 みーくんの楽しみも少しずつ増えていったのだと思います。 球技が苦手な私は、見ているだけでしたが、 楽しそうな2人を見ていた時間も、大切な思い出。 いつの頃からか、外出をすると、 バッティングセンターへ寄るのが、 我が家の中での当たり前となっていきました。 あるが少しずつ上達していく姿を、 愛おしく見守ったのも、大切な思い出の時間です…
あれは、あるが何年生の冬だっただろう。 この辺りでは滅多に降らないほどのたくさんの雪が降り、 家族3人で、とても大きな雪だるまを作って遊んだ日がありました。 あんなに大きな雪だるまを作ったのは、初めてのこと。 たくさん降った雪に大興奮だったあるの姿は、とても可愛かった姿でした。 雪だるまを作って楽しんだ後の私たちは、 まだ誰も踏んでいない雪に家族3人の手形をとりました。 あの日撮った手形の写真は、私のお気に入りの1枚。 みーくんの手形が1番大きくて、 真ん中のあるの手形が1番小さくて。 それまでに撮ったことのない家族3人の形を写真に収めることが出来たのも、 素敵な思い出です。
あるが小学生になってからのクリスマスや誕生日には、 ゲームをプレゼントすることがとても増えました。 少しずつ、ゲームの種類も増えて、 家族でゲームを楽しむ時間も増えていきました。 それはとても楽しい時間ではありましたが、 私は、格闘技系も、乗り物を操縦するものも得意ではなく、 いつでも、家族最下位。 それでも私が上達しようなどとは考えていなかったのは、 ある王子が私を立派に守ってくれていたからなのもありましたが、 恐らく私は、家族でゲームを楽しむ時間が好きなのであって、 ゲーム自体はあまり好きではなかったからなのかも知れません。 ですが、あるが小学3年生の時に欲しがったゲームをきっかけに、 私…
あるが小学校へ上がる前に、 ななかぜ家式勉強法を編み出した我が家。 お陰様で、小学生になってからのあるは、 勉強での躓きもなく、順調な様子でしたが、 小学3年生になった頃から、少しずつ、 算数の勉強法を考えなければならないと感じるようになりました。 そうして、少し大きくなった子向けの、 ななかぜ家式勉強法を新たに編み出しました。 こちらのやり方は至ってシンプルです。 分からない問題があったら、隣に座って一緒に確認する、です。 どんなに忙しくても手を止めて、 あるの隣に座り、解き方を一緒に確認します。 私は、解き方は教えません。 一緒に確認するだけです。 というのも、私が子供だった頃、 勉強が出…
キッチンに、こんな棚があったらいいな。 こんな私の声に、みーくんとあるが、 2人で力を合わせて棚を作ってくれた日がありました。 色は白がいいな。 こんな私のリクエストに応えて、 白のペンキで色を塗って、素敵な棚を作ってくれました。 木を切ったり、ネジ止めなど、 危険な作業中の間のあるは、みーくんの応援を。 そして、色を塗る工程になると、あるの出番です。 みーくんとあるの楽しそうな声を聞きながら、 食事の準備をしたのも、私の大切な思い出。 庭にいる2人の姿をそっと見守りながら、 いつの間にか、 立派にお手伝いが出来るようになったあるの姿に成長を感じたことも、 大切な思い出です。 www.emib…
あるは、ファーがついたものに目がありません。 ぬいぐるみでも、お布団でもなく、 私の持ち物についているファーが大のお気に入り。 冬になると、私のアイテムは、ファーたちに囲まれますが、 ファーがついた私の持ち物全てに、 スリスリしていたあるも、可愛かった姿でした。 いつの頃からか、出掛ける度に、 先に靴を履いたあるが、 私のブーツの中に手を入れて、 ファーの感触を楽しむという工程が生まれました。 あるがファーの感触を楽しみ尽くすまで、 ブーツを履くことが出来なかったのも、なんだか笑ってしまう思い出です。
あるが小学3年生の秋に、私の妹が結婚しました。 相変わらず、 お祝いごとにはプレゼントを贈ることを忘れないある。 小さな頃は、よく飛ぶ飛行機があるにとっての最高級品の贈り物でしたが、 この頃になると、 あるにとっての最高級品の贈り物は、バルーンアートでした。 贈り物の内容にも、成長を感じます。 結婚式の前日には、準備に大忙し。 2人の笑顔を思い浮かべながら、 贈り物を準備するあるの姿は、可愛かった姿でした。 そして、 結婚式当日に、新郎新婦へ贈り物を渡すと、 とても喜んでくれた2人の姿を、 嬉しそうに見つめていたあるの笑顔もまた、 とても可愛かった姿でした。 emiblog8.hateblo.…
あれは、何年生の運動会だっただろう。 朝から暑い雲に覆われて、今にも雨が降り出しそうな天気の中、 運動会が開催された年がありました。 案の定とでも言うべきか、あの年は、午後から雨が降り、 急遽、午後の部を別な日に延期するという形がとられました。 午後の部は、平日に行われることになったため、 私は、観に行くことが出来ませんでしたが、私の母が観に行ってくれました。 あの日は、 友達の活躍を自分のことのように喜ぶあるの姿があったのだと、 こんな話を聞きました。 その姿を自分の目で見ることは出来ませんでしたが、 あるは、 誰かの幸せを心から喜べる子に育ってくれたのだと、 胸が熱くなったのも、今でも忘れ…
毎日の宿題の中で、最も印象的だったのは、教科書の朗読です。 あるが小学校に上がると、毎日、あるが教科書を朗読する声を聞きながら、 家事をしていたことも、今では懐かしい思い出。 そんな朗読の時間の中、一度だけ、 漢字を読み間違えたのは、あるが小学3年生の頃だったと思います。 「案の定」を自信を持って、大きな声で、「あんのてい」と読んだある。 勉強不足と言えばそれまでですが、 あの時のあるの、自信満々の「あんのてい」も、 私にとっての今でも忘れられない可愛かったポイントなのです。
梅雨明けからお盆前辺りまで。 海水浴に相応しい期間は、とても短いように感じます。 あるを初めて海に連れて行ったのは、まだ小さかった頃のこと。 あれから、何度も海に連れて行く機会はあったものの、 海水浴の時期に連れて行くことがなかなか出来ずに、 漸く、水着を着て、海で遊ぶことが出来たのは、 小学生になってからのことでした。 浮き輪をつけて、波に乗せてあげると、大興奮。 あの日の笑顔も大切な宝物。 砂浜で遊ぶこととも、 波打ち際で遊ぶこととも全く違う景色を知り、 最高の笑顔を見せてくれたあの日のあるも、とても可愛かった姿でした。
例えば、理科の授業で使う透明半球。 それから体育の授業や運動会なんかで使うカラーコーン。 これらを頭に被ってみたくなるのは、 小学生の特徴とも言えるのでしょうか。 どんなに時代が変わっても、私たちの時代と変わらないものがあり、 そんな変わらないところを見つけると、懐かしさと共に、 何故だか、嬉しさにも似た感情を見つけました。 遊び方や使う言葉。 時代と共に様々に変化していきますが、 こうして自分の子供時代と比べてみると、 どんな時代の子も、 共通の道筋を辿って成長するものなのかも知れません。 大人になってから、もう一度、 透明半球を頭に被ってみた日の私は、小学生だった頃を思い出しながら、 そん…
手帳を見返してみると、 あるが小学3年生くらいになった頃から、 頻繁に映画館へと足を運ぶようになっていた記録が残っていました。 小さな頃は、お絵かきやボール遊び、おままごとなんかを通して、 あるが少しずつ出来るようになったことに、 喜びを感じる遊び方が多かったように思いますが、 成長と共にマナーを覚え、本当に様々に遊びの幅が広がりました。 こうして振り返ってみると、 「遊んであげる」から、「一緒に遊ぶ」へと徐々に変わっていったのは、 小学校へ上がってからだったのだと思います。 今度、この映画、観に行かない? いいよ!あるも観たいと思っていたんだよね パパはこっちも観たいな じゃぁ、両方観に行こ…
ある。 思えば私は、キミが生まれた日から、 キミを抱っこすることも、 手を繋ぐことも、 ずっと当たり前だと思っていたよ。 抱っこが大好きだったキミは、 少し歩くとすぐに疲れて、抱っこをせがんでいた筈なのに、 一歩、外に出れば、 手を繋ぐことが当たり前だった筈なのに、 いつの間にか、 自分から抱っこを卒業し、 手を繋ぐことも、卒業していったね。 それに気付いた日は、 ほんの少しだけ寂しかったけれど、とても嬉しかったよ。 キミは、いつの間にか、 こんなに大きくなっていたんだなって。 生まれた日から、毎日、 たくさん、抱っこをさせてくれてありがとう。 そして、 たくさん、手を繋いでくれてありがとう。…
眠くなると、テーブルの下に潜り込んで、 そこから静かにテレビを観ていたのは、幼かった頃のあるですが、 随分と成長しても、そんなところは何も変わりません。 これは、私が晩御飯の支度をしている間によく見られる光景でした。 あの頃よりも、少し窮屈そうにしている様子に、 あるの成長を感じながら、 同時に、 幼い頃と変わらないその姿に、愛おしい気持ちを見つけました。 大きくなっても、変わらないところを見つけるのもまた、 子育ての楽しいところであるのかも知れません。 emiblog8.hateblo.jp
忘れもしません。 あの事件は、あるが小学2年生のクリスマスイブの夜に起きたのです。 あるは成長と共に、 少しの物音で起きてしまうことが増えました。 あるが生まれてからの私たちは、毎年、クリスマスイブの夜に、 2人であるの枕元にへプレゼントを運んでいましたが、 2人でプレゼントを運ぶよりも、 1人の方が物音が出難いだろうという観点から、 私がプレゼントを置くという大役をいただいたのですが、 枕元にプレゼントを置いた時に、 ラッピング袋が出した僅かな音に、あるが起きてしまったのです。 私、思わず自分の布団へダイブして、 わざとらしい大きないびきまでもを演出し、 「ママは今、寝ていますよ」を全力でア…
あるの絵がコンクールに出されることになったよ。 こんなあるの声が聞こえて来たのは、 秋が深まった頃のことでした。 まさか、我が子の絵が、コンクールに出されることになるだなんて、 考えてもみませんでした。 とても素敵な絵だね。 素晴らしい! 素晴らし過ぎる!! うちの子は天才だね! 会場へ展示された絵を観に出かけた日は、 みーくんと2人、親バカ全開でこんな感想を述べました。 褒めちぎる私たちの言葉を、 嬉しそうに聞いてくれていたあるの笑顔は、今でも大切な宝物。 そうしてやはり、 後々持ち帰ってくることは分かっていても、 その素晴らしい作品の写真を、 何枚も撮ってしまったことも笑ってしまう思い出で…
我が子が大きくなってくると、遊びの幅がどんどん広がって、 どんどん楽しい時間が増えていきます。 みーくんの提案から、 パターゴルフなるものへ、家族3人で挑戦した日がありました。 みーくんはゴルフ経験者ですが、 私はそれまで、ゴルフをしたことがありませんでした。 ゴルフは難しいのだと、こんな話を聞いたことはありましたが、 いやいや、だって、 止まっているボールを打つだけでしょ?と、 こんなふうに舐めてかかっていたのは、私です。 まずは、みーくんのお手本を。 次に、 あるがみーくんを真似て、挑戦してみます。 あるは、なんでも器用に熟すみーくんに似て、非常に飲み込みが早いです。 初めてのゴルフですが…
あるが1歳になった頃、 ロングだった髪を短く切ってからというもの、 あれからの私は、一度も髪を伸ばすことがなくなりました。 一度短い髪に慣れてしまうと、少し伸びただけで、 すぐに切りたくなってしまうのは、何故なのでしょうか。 いつも通り、美容室へ行き髪を切ると、 短くなった髪を見たあるは言いました。 どうやら、私の髪が長かった頃のことが、 なんとなく記憶に残っていたようで、 その時みたいに髪を伸ばして欲しいと言うのです。 なんというか・・・ これもまた、こっそりと憧れていたアレなのです。 髪、切るなよ。的なシーンは、 少女漫画などにつきものではありませんか。 あるはどれだけ、私の夢を叶えてくれ…
あるは、比較的、慎重なタイプで、 驚くような怪我をすることのない子でした。 どんなに、だいじょばない時でも、擦り傷程度。 順調に成長していたはずだったのですが、 あれは、バランスボールで遊んでいた日のことでした。 柱に捕まって、特に危険な様子もなく遊んでいたのですが、 私が食事の準備をしていると、 突然に、あるが口を抑えて駆け寄ってきました。 イラストには描きませんが、指の間から、血が流れていたのです。 こんなことは初めてです。 ある?大丈夫?大丈夫なの? こんな私の声に、 もう、だいじょばないという言葉も出てきません。 ただ口を押さえて、 痛いことを目で訴えることが精一杯であったのでしょう。…
運動会や、その他イベントごとなんかを観に行くと、 子供たち皆が同じ服装であるために、 うちの子はどこにいるのだろうかと、目を凝らすのが、 保護者の共通の行動であるとも言えるのかも知れません。 幼稚園生だった頃は、必ず先に私たちを見つけて、 手を振ってくれていたあるですが、 小学校へ上がると、 別な姿を見つけるようになりました。 何故だか際立って変な動きをしているのが、 うちの子となっております。 お陰で、いつでも瞬時に、 あるが何処にいるのかが分かりました。 なんでうちの子だけあんな動きしているの? みーくんと2人で、思わず笑ってしまった時間も、 いつでも楽しそうにしているあるの姿を、 遠くか…
学校の授業の中で、 自分が生まれてからのことを振り返るという授業がありました。 思えば、あるが、 自分が赤ちゃんだった頃の姿を知ったのは、 この時が初めてのことでした。 自分が赤ちゃんだった頃の姿というのは、 なんだか不思議な気持ちのするものなのかも知れません。 え?これがあるなの? 赤ちゃんだった自分の姿に驚いていたあるの姿も、 なんだか可愛かった姿でした。 この授業の一環では、 我が子への手紙を書くという私たちへの宿題も出されました。 私たちにとって、 あるが大切な宝物であることは当たり前ですが、 そんな気持ちを改めて言葉にして伝えたのは、 思えばこの時が初めてであったかも知れません。 こ…
あるがおたふく風邪に罹ってしまったのは、 小学2年生になってから間も無くの頃でした。 熱が出て、顔は腫れているものの、 食欲もあり、とても元気そうにしている姿にとても安心したこと、 今でもよく覚えています。 やがて、あるは元気に復活していったのですが、 安堵したのも束の間に、 今度は私がおたふく風邪に罹ってしまいました。 私は、おたふく風邪に罹らないまま、大人になってしまったようです。 おたふく風邪は、大人が罹ると、 症状が重くなることもあるそうですが、 幸いにも、私は軽症で済みました。 ある朝、目が覚めてみると、 とんでもなく顔が大きくなっていることに驚きながら、 それがおたふく風邪だとは気…
例えば、あるが転んでしまった時や、不注意からどこかにぶつかってしまった時、 大丈夫? と声を掛けながら駆け寄れば、 いつの頃からか、返ってくるようになった言葉は、 という言葉です。 だいじょばない。 これは、本当に痛かった時に使われるある独自の言葉なのです。 ある日突然に、新しい言葉や発想が生まれ、 そこに生まれるのは、思わず笑ってしまう瞬間。 それは、あるが生まれてきてくれたから、見える景色です。 我が子という生き物は、何処までも面白く、 そして、可愛さを追求させてくれるものですね。
あるから初めてこんな質問をされたのは、 あるが幼稚園へ上がって間も無くの頃のことでした。 鳥の神様が運んできてくれるんだよ。 私のこんな答えに納得していたあるですが、 再び、この質問をされたのは、 あるが小学2年生になってからのことでした。 あの頃と同じように説明をすると、あるは、納得出来ない様子。 そうして、何度も同じことを聞かれることになったのでした。 どんなふうに説明をしたら良いのだろう。 とても困って、 職場の先輩へ相談してみると、 先輩のお子さんが、 まだ小さかった頃に買ったのだという絵本を譲ってくださいました。 赤ちゃんがどこから来るのかを、 子供に分かりやいように描かれた絵本です…
あれは、家族3人で、テレビゲームをして遊んでいた日のことでした。 私は、あまりゲームをしたことがなく、 格闘技系のゲームは苦手です。 敵に攻撃され続けるばかりで、 上手く操作出来ないでいる私に、あるは言ってくれたのです。 こっこれは! 憧れのシチュエーションではありませんか。 私が危険な目に遭っているところに突如として現れた王子様が、 華麗に私のことを救ってくれる。 まさか、中学生だった私が、少女漫画を読みながら、 密かに憧れたシチュエーションを、 ずっと先の未来で、我が子が演出してくれるだなんてね。 憧れのシチュエーションに、静かにニヤついた私の姿を、 ニヤニヤしながらみーくんに見られていた…
なにやらお風呂場から、 とても楽しそうな声が聞こえてきます。 こっそりとその様子を伺ってみると、 ガラスの向こう側では、声に合わせて、 踊っているらしきあるの影がうっすらと見えました。 これは、あるがひとりでお風呂に入るようになってから見つけた姿です。 みーくんと2人で、笑いを堪えながら、 ガラスの向こう側にいるあるを見守ったことは、 あるが知らない私たちの時間。 ある、お喋りが大好きなキミは、 お風呂場でひとりになった時も、口が動いているんだね。 そんなところも、キミの可愛いところだったよ。 rakuten_affiliateId="0ea62065.34400275.0ea62066.20…
あの、ゲーム機のことがあってから、間も無くに、 あるの7歳のお誕生日を迎えました。 誕生日プレゼントは、持ち運びの出来るゲーム機を贈ることにしました。 ゲーム機にとても喜んだあるの笑顔は、 今でもよく覚えている、可愛かった姿。 あれからのあるはゲーム機を持ってお友達と出掛けるようになり、 ただいまの挨拶と共に聞こえたのは、楽しかった!という声でした。 ゲーム機には、あまり、前向きな考え方を持たなかった私たちですが、 あるの笑顔を見つめながら、 買ってあげて良かったなと感じていました。 たくさん悩んだけれど、こうして良かったと思えることは、 ずっと先の未来でも、また新たな、 「良かった」を見つけ…
みーくんとあるが、 小坊主探検隊へと出掛けた日のことでした。 あるが通う小学校へ寄り道してみると、 あるのお友達が遊んでいるのを見つけました。 パパはここで待っているからお友達と遊んでおいで。 みーくんがこんなふうに声を掛けると、 あるは嬉しそうにお友達のところへ駆け寄って行ったそうですが、 みーくんがそこで見つけたのは、上手く仲間に入れないあるの姿でした。 あの日、偶然会ったお友達は皆、 それぞれに持ってきたゲーム機で遊んでいた様子。 皆、駆け寄って行ったあるを笑顔で迎え入れてくれたものの、 ゲーム機を持っていないあるは、輪の中に入れずに、 お友達が遊ぶ様子を見ているだけという流れになってい…
茹で卵や玉ねぎの皮を剥いて、お手伝いをしてくれていたあるが、 包丁を使いたがるようになったのは、小学校へ上がってからのことでした。 どうしようか、とても悩みましたが、 興味を持った時にやらせてあげた方が良いのかも知れません。 予め、皮を全部剥いて、縦半分に切った大根を、 半月型に切るだけなら、きっと大丈夫でしょう。 静かに、丁寧に、ゆっくりじっくりと向き合うところは、 皮剥きの時から変わりません。 これは、あるペースなのです。 お陰で、怪我の心配をすることもなく、安心して任せることが出来ました。 こうして、小学1年生になったあるは、 皮剥き担当を卒業し、大根担当へと就任いたしました。 emib…
小学生になり、 可愛く生え揃った乳歯から永久歯への生え変わりを迎えました。 なんというか、 歯が一本抜けている口を開けて笑う姿って、可愛いですよね。 あぁ、もうすぐここに大人の歯が生えてくるんだな。 あるはまた成長するんだなと、 あの頃の私は、 一本歯がない口を開けて笑うあるの姿に、 可愛さと感慨深さを同時に感じておりました。
あると一緒に、折り紙遊びをしながら見つけたのは、 いつかのあるが泣いてしまったので、封印していたアレです。 ある?覚えてる? 小さかった頃のあるは、これが怖くて泣いていたんだよ。 だからね、ここに隠しておいたの。 こんな私の声に、ある、笑っておりました。 え?これが怖かったの? あんなに泣いて嫌がっていたのに、 こんなふうに笑っているあるを見つけられる日が来るだなんてね。 あると折り紙お化けの数年振り再会の日に見つけたのも、 あるの大きな成長でした。 emiblog8.hateblo.jp rakuten_affiliateId="0ea62065.34400275.0ea62066.204f…
初めて白湯を飲んだ日も、 初めてリンゴジュースを飲んだ日も、 もの凄く嫌そうな顔を見せてくれたある。 ミルク以外の味は、嫌がるのかも知れないと、こんな私の心配を他所に、 あれから、離乳食の時期を迎えると、 特に嫌がる様子もなく、順調になんでも食べてくれていました。 そんなあるの姿に安心したのも束の間に、 少しずつ、私たちと同じものを食べられるようになると、 あるの嫌いな食べ物を見つけるようになっていったのです。 これも食べてねと、口に入れてあげれば、 あるが見せてくれたのは、あの顔です。 このままでは、この子は好き嫌いが多い子になってしまうのではないかと、 あの頃の私たちは、とても心配していま…
段ボールや画用紙なんかを使って、 ゲーム機に見立てたものを作って持ち帰ってきたのは、 あるが年長さんの頃のことでした。 あれからのあるは、少しずつ、ゲームに興味を持つようになり、 やがて、ゲーム機を欲しがるようになりました。 サンタさんに、ゲームをお願いするのだと、 こんなあるの声が聞こえて来るようになったのは、 クリスマスが近付いてきた頃のことでした。 私たちは、我が子にゲーム機を買い与えるということに対して、 あまり前向きな気持ちにはなれずに、 とても迷いましたが、 みーくんと話し合いながら、 テレビに繋いで出来るゲームをクリスマスプレゼントとして贈ることにしました。 これなら、家族皆で楽…
あるが小学生になり、初めての冬に、 クリスマスのイルミネーションを観に行きました。 いつも通り、みーくんとある、あると私。 そして、あるだけの写真を何枚か。 こんな感じで、写真撮影をしましたが、 あの日のあるは、突然に言ってくれたのです。 パパとママの2人の写真を撮ってあげるよ。 みーくんと2人で写真を撮るだなんて、 何年振りのことでしょうか。 気が付けば、みーくんとある、あると私。 こんなふたりの写真が増えて、 あるが生まれてから、みーくんと私の2人で撮った写真は、ありません。 あるにカメラを渡しながら、 私たちが感じていたのは、あるの大きな成長です。 あんなに小さかったあるがねぇ、 こんな…
あれ? いつからあると手を繋がなくなったのだろう。 こんなふうに気が付いたのは、 あるが小学校へ上がってから、暫くが経ってからのことでした。 気が付けば、 あると並んで歩きながらも、 小さな手を差し出されることもなければ、 私もまた無意識に、 その小さな手を取ることをしなくなっていました。 手を繋いで歩くほど、自分はもう幼くはないのだと、 あるは、自分から、 手を繋いで歩くことを卒業していったのだと思います。 そして、あの頃の私はきっと無意識に、 そんなあるの心の成長を感じ取り、 自分から手を差し出すことを卒業していたのだと思います。 ほんの少し前までは、 当たり前に差し出されていた小さな手は…
みかんがみっかんない! 布団が吹っ飛んだ! マスカラを付けマスカラ! あると駄洒落遊びをした日のことでした。 順番にひとつずつ、駄洒落を言い合いながら、 やがて、知っているネタが尽きたある。 お目目が明太子とは、なんですか? あるの発想が可愛すぎて、爆笑してしまいました。 こんな発想をするところも、あるの可愛いところ。 半分は血を分けた我が子でありながら、 自分とはまた違った感性を持っていて、 私には思いもつかない発想をするあるが作り出すものは、 私にとって、とても新鮮でありながら、同時に可愛さも感じてしまうのです。 お目目が明太子 あの日のあるが生み出したこの駄洒落は、 私の一番のお気に入り…
小学生になって、初めての運動会でも様々な種目を通して、 成長を見せてくれたあるですが、 その中でも、最も印象的だったのは、かけっこです。 順調にスタートを切ったあるですが、 応援する私たちを見つけた瞬間に、何故だか笑い出しました。 応援する私たちの姿が、面白かったのでしょうか。 そうして、 あるはそのまま、大爆笑しながらゴールしました。 何がそんなに面白かったのか、つられて私たちまで爆笑してしまいました。 様々な種目の中、とても印象に残ったかけっこは、 面白くて可愛かったあるの姿でした。 小学校へ上がって、初めての運動会で、 あるは、夢を持ちました。 あるも6年生になったら、応援団長になりたい…
知らない人に、ついて行ってはいけないよ。 知らない人の車には、絶対に乗ってはいけないよ。 これは随分と小さかった頃から、あるに教えてきたことではありますが、 小学校へ上がり、ひとりで家を出る機会が増えていったあるへ、 改めてそれについてを教えながら、何度も練習をしました。 お菓子をあげるから、一緒においで。 お母さんが救急車で運ばれてしまったんだよ。 車で連れて行ってあげるから、一緒に行こう。 そして、 知らない人から手を引っ張られてしまった時の練習では、 この世のものではない何者かにでも遭遇してしまったかのような叫び声を上げるある。 完璧でしょう。 これなら、不審者の方が驚いて、逃げて行くの…
みーくんとあるが、自転車に乗って、2人で出掛けるようになったのは、 あるが小学校へ上がってからのことでした。 いつしか、小坊主探検隊と名付けられたこの旅は、 男同士の旅なのです。 楽しそうに出掛ける2人の姿を見送ったことも、 旅先での出来事を楽しそうに話して聞かせてくれた時間も、 私にとっての掛け替えのないない時間でした。 男同士の旅の中、 きつい登り坂では、2人で必死に自転車を漕ぎながら、 人生には、楽なこともあれば、苦しいこともあるのだと、 みーくんは、あるにこんなことを教えてくれました。 楽しい遊びの時間の中で教えたことも、 いつしかそれは、 ずっと先の我が子への贈り物へと変わっていくも…
フルーツについている網を、 何気なくあるに渡すと、楽しげに頭に被って、私に見せにきてくれました。 見て?世界一涼しい帽子だよ。 フルーツキャップという名を知らなかった当時の私たちは、 それを世界一涼しい帽子と呼ぶことにしました。 フルーツを買った時などに、それがついていると、 一度あるが被ってから捨てるという工程が生まれたのも、 思えばあの頃からのことでした。 あるの発想から、我が家独自の言葉が生まれ、流れが生まれました。 こうして振り返ってみると、 それはなんだか、何気ない日常の中に、 あるが彩りを添えてくれていたようにも感じます。
小学校生活にも慣れて来た頃に、 初めての夏休みがやって参りました。 あるが持ち帰ってきた夏休みの課題表を見つめながら、 小学校の夏休みとは、宿題の山との戦いの期間でもあると、 思わず、そんなことを考えてしまいました。 あるがドリルの問題を解いたら、丸つけは親の仕事です。 それから、絵日記、読書感想文、自由研究、絵画、その他数々の制作。 かつての私たちがそうであったように、 全てをあるひとりで出来るわけではありません。 その手助けをしたり、相談に乗ったり。 小学校の夏休みの宿題とは、 半分は親の宿題とも言えるのかも知れません。 職場の先輩方からも、小学校の夏休みの宿題は、 毎年とても大変だったと…
お風呂場まで着いて行き、 ドアにピッタリと張り付いて、 みーくんに話し掛けていたのは、幼かった頃のある。 相変わらず、お話をすることが大好きなあるですが、 あの頃のように、 何処へでも着いて行って話し掛けることをしなくなった代わりに、 えっと、うんと、えっと、うんと・・・。 話し掛けてから、話すことを考える。 こんなあるへと成長していきました。 こんなところにもまたひとつ、あるの可愛さを見つけました。 お話をすることが大好きで、いつでも賑やかで、明るい子に育ったある。 ずっとそのまま、変わらずにいてね。 みーくんと2人で、そんなふうに2人で願った日がありました。 emiblog8.hatebl…
学校の準備は、ひとりでやらせるようにした方がいいよ。 これは、職場の先輩からの言葉でした。 我が子の持ち物の準備は全て、やってあげていたのだと言う先輩は、 自身の経験から、我が子のためには良くなかったのかも知れないと、 こんな話を聞かせてくれました。 確かに。 少しずつ、自分のことは自分で出来るように促してあげるのも、 大切なことであるのかも知れません。 先輩からの助言もあり、 我が家では、あるが小学生になった日から、 持ち物は自分で準備させるようにしていました。 初めは横について、一緒に見てあげましたが、 ひとりで出来るようになるまでには、時間は掛かりませんでした。 今思えば、それは、 自分…
あるが小学生になって、初めての遠足へ行った日のことでした。 今日の遠足は楽しかった? 何に乗ってお出掛けしたの? あの日の夕方に、私はあるにこんな質問をしました。 うん!楽しかったよ。 えっとね、えっとね、そうだ! え? けんこうバス? 乗るだけで、とても健康になれそうな乗り物の名前が出てきました。 健康バス・・・。 あっ!観光バスだね! それが観光バスであることが分かるまでには、少しだけ時間が掛かってしまいました。 あるが少しだけ言葉を間違えて覚えてしまうのは、 思えば、少しずつお話が上手になった頃からでした。 エスカレーターをアスカレーターと覚えてしまったのは、 あるが幼稚園生の頃のことで…
あるを育てる中で、知っていて良かったなと思う言葉がありました。 私が初めて、その言葉の意味を知ったのは、 あるが小学生になり、少しの時間が経った頃のことでした。 ほんの少し前までは、そのような気配など、微塵も感じられなかったのに、 急に言葉遣いや態度が、 なんというか・・・ 言葉を選ばずに言ってしまえば、 生意気と言いますか・・・ 反抗的とも取れる雰囲気を感じられるようになったのです。 そんなあるの言動に、 時には、苛ついてしまうこともありました。 ですが、 我が子の言動に苛ついてしまう時というのは、 我が子の成長に親がついていけていない時だという言葉を知っていた私は、 自分の中に見つけた苛立…
私が耳掃除をしていると、必ず、ご予約が入ります。 俺にもして? あるも! では、順番にお並びください。 私の膝の上は、大人気につき、完全予約制でございます。 日常の中の何気ないこんな時間は、 とても愛おしい時間でした。 時には、 その後のやらなければならないことが後回しになってしまうこともあったけれど、 そこに流れているのは、いつもよりもゆっくりとした時間。 いつもの慌ただしさを忘れて、 穏やかで緩やかな時間の中に見つけるのは、いつでも2人分の温もりでした。 rakuten_affiliateId="0ea62065.34400275.0ea62066.204f04c0";rakuten_it…
あるが幼稚園卒業を間近に控えた頃から仕事を始めた私ですが、 時々には、平日のお休みがありました。 あれは、あるが小学生になってから、 初めての私の平日のお休みの日の朝のことでした。 今日はお仕事がお休みだから、学童保育はお休みして帰っておいで。 朝、送り出す時にこんな言葉を掛けると、あるは言いました。 うん!行ってきます。 なんて優しい子に育ってくれたのでしょうか。 こんなふうに、私を気遣ってくれる言葉を貰える日が来るだなんて、 思ってもいませんでした。 玄関先であるを見送りながら、ジーンとしてしまったこと、今でもよく覚えています。 rakuten_affiliateId="0ea62065.…
小学生になり、初めてスポーツテストをしたある。 結果の表を見て、とても驚いたのは、握力でした。 他の種目は平均なのに、握力だけが、ずば抜けた結果だったのです。 そうして思い出していたのは、 まだこの世に誕生してから間もなかったあるが、 泣きながら哺乳瓶を投げ飛ばした日のことでした。 きっと、みーくんに似て、この子は力持ちになるんだろうなと、 あの頃の私は、未来のあるを想像していましたが、 あの頃、上手く想像出来なかった未来が此処にやってきたのです。 そっか。 だよね。 うん。 やっぱりそうだったんだ。 ひとりで納得しながら、哺乳瓶を投げ飛ばしたあるの姿に驚きながらも、 笑ってしまった日のことを…
あの日のことを此処に残すのか、残さないのか、 とても迷いましたが、 思い返してみれば、あの日の出来事があったから、 ずっと先の未来の景色が大きく変わりました。 だからやはり、勇気を出して、此処に残しておこうと思います。 あれは、あるが小学校へと入学し、間も無くのことでした。 あるから突然に、お母さんと呼ばれた日がありました。 突然にお母さんと呼ばれて、戸惑ってしまった私は、 動揺を隠せず、思わず口にしてしまったのです。 あの一言で、あるは悟ったのだと思います。 私がお母さんと呼ばれることを望んではいないと。 あの日から、あるは、二度と私のことをお母さんと呼ぶことはなく、 家の中では、私をママと…
小学校へ上がって間も無くのある。 我が家での食事の時間に、 ウインナーを上唇の中に入れて、面白い顔で私を見つめました。 食べ物で遊んではいけません。 こんなふうに注意すべきなのかも知れませんが、思わず笑ってしまいました。 そうして、思い出していたのは、私が小学生の頃のことでした。 私が小学生の頃、給食に4つにカットされたオレンジが出ると、 そのオレンジを全部口の中に入れて、 口の中からオレンジの皮を見せながら、笑う男の子たちがいました。 このように、食べ物を使って、 ちょっと面白い顔を誰かに見せたくなってしまうのは、 大体の男の子が通る道なのでしょうか。 そんな意味では、 あるは順調に成長して…
お別れは、新しい出会いとの始まりです。 小学校へ入学したあるに待っていてくれたのは、 様々な新しい出会いでした。 同じクラスのお友達との出会いは勿論のこと、 私が仕事を始めたことから学童保育を利用することになったため、 そこでも、新しい出会いがありました。 学童保育初日より、あるをとても可愛がってくれたのは、 2つ年上のお兄ちゃんでした。 あるも、その子のことが大好きで、 お迎えに行くと、いつも楽しそうに笑っていました。 なんだか、あるにお兄ちゃんが出来たみたいです。 私が仕事を始めたことで、あるが寂しい思いをするかも知れないと、 そんなふうに心配もしていましたが、 私が仕事に出たことで、ある…
※本日より、ある、小学生になります。 イラストは、あるの髪型とお洋服の色を変えて表現していきます。 あるが通う小学校では制服がなく、私服で通うスタイルだったため、 入学式は、スーツを着ての参加となりました。 ある。生まれて初めてのスーツ姿です。 なんて可愛らしいのでしようか。 我が子の晴れ姿というのは、 いつでも、ため息が漏れ出てしまうものなのかも知れません。 その姿が可愛くて、ため息を吐きながら、何枚もの写真を撮ったこと、 今でもよく覚えています。 これから、あるは何を学んで、どんな新しい発見をするのだろう。 どんな新しい笑顔を見せてくれるのかな。 小学生になるあるが、期待に胸を膨らませてい…
手提げも、上履き入れも、 幼稚園で使ったものをそのまま小学校で使えるサイズであるため、 小学校へ上がる準備は、名前付けが主となりました。 筆記用具、給食用具など、幼稚園の頃よりも、 格段に増えた持ち物に名前をつけるというのは、なかなかに大変な作業でした。 あの頃の私が衝撃を受けたのは、算数セットでした。 これも、 これも、 知ってる! 箱のデザインこそ違うものの、私が幼かった頃のものと、 中身が全く同じではありませんか。 小学生だった頃の私は、 算数セットで学びながら、まさか、ずっと先の未来、 我が子も、同じものを使って学ぶ日が来るだなんて、予想すら出来ませんでした。 本当に、先の未来というの…
時が経つのは、早いものです。 あるの卒園の日がやって来ました。 名前を呼ばれると、 立派に返事をして、立ち上がったあるの姿は、今でもよく覚えている姿。 大きくなったね。 胸の中でこう語りかけながら、あるの姿を見守りました。 幼稚園生活の中、 あるが初めて仲良しになったお友達は、はるくんでした。 初めての幼稚園の行事で、あるの写真を撮った日も、 卒園式の日も、はるくんとあるが仲良く手を繋いだ写真が此処に残っています。 はるくんもあるも、 たくさんのお友達と遊ぶけれど、 気が付けば、2人は必ず一緒にいるのだと、 いつか、担任の先生がこんな話を聞かせてくれたことがありました。 初めは別々なことをして…
みーくんは、殆ど髭が生えていません。 時々、毛抜きで髭を抜く程度で事足りてしまうくらいに、髭の量が少ないのです。 ある日、みーくんと遊びながら、 髭が一本出ているのを発見したある。 普段、みーくんが毛抜きで髭を抜いていることを知っていたあるは、 抜いてあげると言って、毛抜きを準備しました。 この、いくよぉ!というあるの姿は、 とても可愛かったシーンでした。 あるに何度も、いくよぉ!と言われ、 身構えたみーくんでしたが、あるの力が足りなかったのか、抜けずに空振り。 抜けない時の方が、余計に痛いはずですが、 やはりみーくんも、あるのこの、いくよぉ!が可愛かったのでしょう。 とても痛そうな顔をしなが…
幼稚園の行事では、 必ず先に私たちを見つけてくれていたある。 子供たち皆、同じ服装だけれど、 私たちに手を振ってくれたあるのお陰で、 私たちはいつでも、すぐにあるに気付くことが出来ました。 年長さんの演奏会でも、漏れなく私たちを先に見つけて、 手を振ってくれました。 幼稚園生活の中、こうして何度、先に私たちに気付いてくれたでしょうか。 いつでも、最高の笑顔で手を振ってくれたあるの姿も、とても可愛かった姿でした。 1年の締め括りである演奏会。 年長さんは園生活の締めくくりでもあるためか、 順番に司会進行という役割もありました。 マイクの前で立派にお話する姿も、 昨年よりも更に高度な演奏を立派に披…
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