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2021/08/11

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  • 興友 おきとも

    伊予国下島(大崎下島)南岸の港町。現在の広島県呉市豊町沖友。室町期、大三島の善善麻から小早川円春に譲れらた三ヶ浦の一つ。その位置から、瀬戸内海の沖乗り航路の港であったと推定される。

  • 安来 やすぎ

    出雲中海南岸の港町。現在の島根県安来市安来町。出雲国の東端、伯耆への玄関口に位置し、中海を通じて日本海水運にも繋がることから、中世、水陸交通の要衝として栄えた。

  • 富田 とだ

    飯梨川(富田川)中下流域にあった富田城の城下町。中世、出雲守護京極佐々木氏やその守護代で後の戦国大名・尼子氏の本拠が置かれ、出雲国の政治的中心の一つとして栄えた。飯梨川(富田川)の水運により、北に中海、日本海、南は山陽路に通じ、また陸路により東の伯耆国、西の松江にも通じる軍事・交通の要衝でもあった。

  • 塩冶 えんや

    出雲国神門郡塩冶郷の市町。塩冶郷は出雲山間部から出雲平野を貫流する斐伊川・神戸川の両河川が通過する要地であり、中世、出雲西部に大きな勢力をもった塩冶氏のもとで河川水運・流通の拠点として栄えたとみられる。

  • 神門 国清 ごうど くにきよ

    杵築大社大工職をつとめた神門氏の当主。官途名は次郎左衛門尉。子に神門慶清。本拠地は塩冶郷であり、同地を流れる神戸川の上流にある笈神社や須佐大明神の造営にも大工として関わった。

  • テノチティトラン Tenochtitlan

    メキシコ盆地のテツココ湖上の島(メシコ)に築かれた都市。メシーカ人の都市国家。同じくメシーカ人が島の北部に築いた都市トラテロルコとあわせてメシコ(メヒコ)とも呼ばれる。15世紀、テツココおよびトラコパンと三都市同盟(エシュカン・トラトヤン)を形成し、メキシコ盆地だけでなくその外側にも勢力を拡大。16世紀初頭には、人口20万人とも推定される世界有数の大都市となった。

  • オクトリ酒 octli

    マゲイ(リュウゼツランの一種)などの樹液を発酵させて作られた飲料。酩酊を禁じるアステカにおいては飲用には制限があった。のちにスペイン人によって「プルケ」と呼称された。

  • 府中(安芸国) ふちゅう

    広島湾東岸の市町。現在の広島県安芸郡府中町。奈良期には安芸国の駅家が設置されていたとみられ、平安期は国府として田所氏ら在庁官人が活動した。室町・戦国期は安芸武田氏被官の白井氏が府中および仁保島を拠点としており、府中城(出張城)に籠城して周防大内氏の侵攻を防ぐこともあった。また戦国期の府中には町が形成されており、16世紀末ごろまでには出張市とも呼ばれていた。

  • チョコレート(スペイン) chocolate

    スペインの副王領であるヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)で普及したチョコレートは、17世紀前半までにはスペイン本国でも上流階級を中心に多くの人々を魅了する嗜好品となった。飲用には背の高いチョコレートカップが用いられ、中国製あるいは日本の肥前磁器のチョコレートカップも輸入されていたとみられる。

  • チョコレート(ヌエバ・エスパーニャ) chocolate

    1521年(大永元年)にエルナン・コルテス率いるスペイン人によってアステカ王国が滅ぼされると、スペインの副王領であるヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)が設立された。同地に進出したヨーロッパ人たちは当初、カカオ飲料(チョコレート)を「人間のためというより豚のための飲物」などと嫌っていたが、やがて常飲するほど生活に欠かせないものになっていった。17世紀後半には、日本の肥前磁器がチョコレートカップ(チョコレートを飲む際に用いられる背の高いカップ)として用いられていたことが出土遺物から分かっている。

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