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2021/08/11

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  • 倭板 わばん

    日本から輸出された木材。日宋貿易では日本からの主要な輸出品であった。入宋僧が寺院造営用の木材として南宋に送っており、また棺材としても需要が高かった。

  • 那智天満 なちてんま

    紀伊国那智川河口部の港町。周辺の集落群とともに熊野那智山の門前町、外港として栄えた。多くの御師などが屋敷を構え、商人(金融業者を含む)や職人の存在も確認できる。

  • 末次 すえつぐ

    出雲国宍道湖東岸の港町。白潟の対岸にあり、亀田山(現在の城山)南方の砂州上に形成されていたと推測されている。永禄年間の毛利氏侵攻以前から町場が形成されていた。江戸初期、堀尾氏により建設された松江城下町に取り込まれた。

  • 木鉄砲 きてつほう

    砲身を木で拵えた木砲。木筒とも呼ばれた。16世紀中期の中国明朝では日本の「木銃」の模造が図られていた。江戸期の軍記物『南海治乱記』では、木鉄砲は伊予河野氏から始まるとする。

  • 梨子羽 景運 なしわ かげゆき

    沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。仮名は又次郎。官途名は中務丞。平賀興貞の子で、同広相の弟。梨子羽康平の養子となって梨子羽氏の跡を継いだとみられる。小早川家中の上位にあり、出雲、伊予、備中などでの軍事活動が確認できる。

  • 西条柿 さいじょうがき

    安芸国賀茂郡が発祥とみられる渋柿。広島県東広島市西条町寺家の長福寺に原木があったと考えられている。戦国期に安芸国だけでなく石見国や出雲国、伯耆国ほかに伝播。江戸期には「西条柿」として全国に知られた。

  • 高麗鷹 こうらいたか

    朝鮮半島から日本に輸入された鷹狩り用の鷹。中世の武士たちにとって鷹狩りは一種のステータスであり、鷹は威信品でもあったと思われる。その中でも朝鮮半島から舶来した鷹は特に珍重された。

  • 高麗扇 こうらいおうぎ

    朝鮮半島で製作された摺扇。11世紀、日本の摺扇は中国で好評を博したが、高麗に輸出された物も多かった。高麗では日本扇を中国に輸出する一方で、自国で製作した摺扇も国外に輸出。戦国期の日本でも贈答品として用いられた。

  • 仮倭扇 かわせん

    日本の摺扇(倭扇・日本扇)を模して作られた扇。中国明朝において、日本の遣明使節と関係が深い浙江地方において生産された。16世紀中期、寧波で「仮倭扇」が作られていたことが記録にみえる。

  • 遣唐扇子 けんとうせんす

    日本の扇は、中国の扇(団扇、方扇)とは違って折り畳める点と、そこに描かれた様々な主題の繊細な絵が好評を博していた。それらは中国では「摺扇」「摺畳扇」「折扇」などと呼ばれた。一方、室町・戦国期の日本では、遣明使節の進貢品の扇を「遣唐扇子」「唐扇子」「唐扇」などと呼称。明朝側に好まれるタイプの扇を使節派遣前に調えていた。

  • 梨子羽 康平 なしわ やすひら

    沼田小早川氏庶子家・梨子羽氏の当主。官途名は刑部少輔、後に備後守か。小早川敬平の三男で扶平の弟。譜代被官の真田氏や一族の船木常平らとともに惣領家を支えた。

  • アトラス・ブリュッセル Atlas Bruxellensis

    スペイン王フェリペ2世の国王地理学者であったクリスティアン・スクローテンによって製作された地図集。ペンとインクで手描きし、そのうえに水彩絵の具で彩色した37幅の地図が収録されている。

  • クリスティアン・スクローテン Christian Sgrooten

    16世紀後半、クレーヴェ公国のカルカーを拠点に活動した地図製作者。スペイン王フェリペ2世の国王地理学者の一人として活動し、代表作として「アトラス・ブリュッセル」と「アトラス・マドリード」という二つの地図集を遺した。

  • 浜名納豆 はまななっとう

    遠江国浜名湖周辺で作られた大豆の発酵食品。戦国期、今川氏領国にて贈答品として用いられており、駿河に下向していた山科言継はその製法を日記に記している。

  • 著羅絹 ちょろけん

    16世紀末ごろから日本に輸入された絹織物の一種。鎖服、知与呂介牟、長羅絹とも。厚手の生地で木目文様が特徴とされる。

  • 兜羅綿 とろめん

    綿糸に動物の毛をまぜて織った毛織物。主に中国から輸入された。室町期は高い身分の者しか使用が認められない貴重品だった。江戸期に入るとより高級な毛織物である羅紗などが輸入され、価値が相対的に低下。一方で足袋の素材となるなど、下級武士、庶民にも使用が広がっていった。

  • 伏見酒 ふしみさけ

    洛南の伏見で造られていた酒。「伏見酒」の語がみえるのは16世紀末であり、当時は興福寺などの僧坊が作る奈良の酒と競合していた。また酒造業発展の背景には、豊臣政権による伏見城下町の整備があるといわれる。

  • 門司 日向守 もじ ひゅうがのかみ

    大内家臣。天文十六年(1547)の遣明使節の一号船に「御用人衆」の一人として参加。北京に赴き、大内氏が調えた進貢物を明朝の礼部に納めた。

  • 山口酒 やまぐちさけ

    周防国山口で造られたとみられる酒。天文八年度と天文十六年度の遣明使節の記録にみえる。両方とも山口を本拠とする大内氏が経営主体となっており、赤間関等で遣明船に積み込まれたとみられる。

  • 道後酒 どうごさけ

    伊予国道後で造られたとみられる酒。伊予酒とも。慶長十六年(1611)頃から日記類にみえるようになる。17世紀中頃には伊予を代表する産物として全国に知られた。

  • 三原酒 みはらざけ

    備後国の港町三原で造られた酒。17世紀初頭からその名が見える。三原では福島正則入部後に酒造業が発達したとみられ、その後全国屈指のブランドとなった。

  • 尾道酒 おのみちざけ

    備後国の尾道およびその周辺で生産された酒。室町期以前から酒造業が盛んであったとみられ、『庭訓往来』には名産として「備後酒」がみえる。16世紀末には全国的にも知られる酒となっており、貴人の贈答品としても用いられた。

  • 木練柿 こねりがき

    京都近郊で栽培された甘柿。室町期から寺院や公家の庭で栽培されはじめた。流通量は少ないながらも贈答品として珍重された。16世紀末ごろから嵯峨で商品作物としての栽培が本格化したとみられる。

  • 柿(山科) かき

    山城国宇治郡北部の山科で生産された柿。渋柿であり、防水材や漆器の下地塗料などに使用された。公家・山科家の膝下荘園である山科東荘では、文明十二年(1482)頃から商品作物として栽培が本格化していたとみられる。

  • 酒(山科東庄) さけ

    公家・山科家の膝下荘園である山科東庄において醸造されていた酒。東庄の各家で自家醸造されていたとみられる。山科家の家司で東庄代官でもある大沢久守も、政所で醸造を行っていたことが『山科家礼記』にみえる。

  • 雪舟等楊筆「山水図巻」 さんすいずかん

    雪舟等楊筆の山水図の巻子。跋文部分を含めた全長は4.51メートル。雪舟が「画本」(絵手本)を求める弟子の等悦に描き与えたものとされる。前半は雪舟の真筆だが、後半は後世の画家の手による雪舟画の模写となっている。

  • 雲峰 等悦 うんぽう とうえつ

    室町期の画家。雪舟等揚の弟子。丹波国の出身で、子に季英周孫という画僧がいた。

  • 大津棰 おおつたる

    近江国大津で生産されたとみられる酒。「棰(樽)」と表記されることから、大津の僧坊で作られた可能性がある。大津に近い山科を領した公家・山科家は、山科東庄を通じて大津棰を調達し、贈答に用いている。

  • 狩野元信筆「十僧図」 じゅうそうず

    足利義政晩年の邸宅・東山殿の東求堂(持仏堂)内部の襖に描かれた襖絵。足利将軍家の御用絵師・狩野正信によって制作された。将軍の側近でもあった禅僧・亀泉集証の日記『蔭涼軒日録』に完成までの経緯が詳しく記されている。

  • 蕎麦 そば

    穀物のソバ、およびソバの実を原料とする蕎麦粉を加工して作られる料理。日本では古くから救荒作物として栽培された。こんにち一般的な麺状の蕎麦切りは、16世紀後半には存在していたとみられる。

  • ライン ワイン Rhein wein

    ドイツのライン川流域で生産されたワイン。ドイツ北部沿岸地域や中部ドイツ都市では、ラインワインが最も一般的なワインであった。なお現フランス領のアルザス地域で生産されるワインはアルザスワインとして区別されたが、地域によってはラインワインとして扱われていたという。

  • フランケンワイン Franken wein

    ドイツのフランケン地方(ドイツ中南部から南ドイツの北部)で生産されたワイン。ただしフランケンワインの名称は、生産地域から葡萄品種、そして品質を示すものへと語義が変化していったという。

  • 伊尾 いお

    備後国世羅郡大田庄桑原郷の集落。現在の広島県世羅郡世羅町伊尾。初期の大田庄の開発を担った橘氏、および鎌倉初期に地頭となった三善氏の本拠地となった。戦国期は尾首城主であった湯浅氏の本拠となり、同氏によって大通、近森の両地区の開発が進められた。

  • 白潟 しらかた

    出雲国宍道湖東岸の港町。宍道湖東側の出口に形成された砂州の先端付近に形成されたとみられる。水陸の交通の要衝であり、また職人ら多くの住人を抱える都市でもあった。

  • 上原 宗安 うえはら むねやす

    備後国世羅郡大田庄上原を本拠とする国人・上原氏の家臣。上原元将(元祐)の側近とみられ、織田方の羽柴秀吉との交渉を担当した。後に京極氏に仕えた。

  • 高山 こうざん

    備後国世羅郡大田庄の今高野山およびその門前町。中世、紀伊国の高野山領となった大田庄の支配拠点となったとみられる。17世紀初頭の福島正則の時代には安芸・備後屈指の町場へと発展していた。江戸期の名称は「甲山町」であったが、文政三年(1820)の「世羅郡甲山町国郡志御用下調べ書出帳」によれば、往古は「高山町」と書かれているとする。

  • 材木(周防国玖珂郡) ざいもく

    周防国最東部の玖珂郡の小瀬川や錦川流域で生産された材木。少なくとも鎌倉期から河川水運を用いて瀬戸内海に搬出されていた。安芸国の厳島神社造営などに用いられていることが確認できる。

  • 鮎(岩国) あゆ

    周防国東部の錦川流域で獲れた鮎。下流域の岩国では、16世紀後半に鮎料理が旅人に提供されていることがみえる。鮎料理自体は古くは『延喜式』にも記載があり、古くから日本で食べられている。

  • 岩国 いわくに

    周防国最東部の錦川河口部の港町。古来より山陽道の要所であり、また錦川流域と瀬戸内海の結節点であった。中世には周防守護・大内氏の有力家臣である弘中氏の拠点となり、周辺には多くの警固衆が存在した。江戸期には吉川氏が岩国城を築いて入部した。

  • 鉛(久喜銀山) なまり くきぎんざん

    石見国邑智郡南端の久喜銀山において産出された鉛。同銀山では永禄三年(1560)の銀鉱脈発見以来、銀を含んだ鉛鉱石が採掘され、精錬によって鉛と銀に分離された。このうち鉛は石見銀山へと運ばれ、銀鉱石の精錬に使用された可能性が指摘されている。

  • マラケシュ Marrakech

    北西アフリカのモロッコ王国の中南部にあったオアシス都市。高アトラス山脈の北麓に位置する。11世紀にムラービド朝によって築かれて以後、王朝の首都として、またサハラ交易の拠点として繁栄した。

  • マスカット Muscat

    アラビア半島東端に位置する港町。現在のオマーン国の首都。ペルシア湾の入口に位置し、ペルシア湾とアラビア海、インドなどを結節する海上交通の要衝。16世紀にポルトガルの拠点となり、後にヤアーリバ朝やブーサイード朝の下、インド洋海域における交易の一大中心地となる。

  • 楊井 虎女 やない とらめ

    毛利家臣・楊井武盛の息女。元亀三年(1572)に父から所帯を譲られている。夫は楊井春俊、子は楊井規春か。

  • 楊井 武盛 やない たけもり

    大内家臣。幼名は万壽。仮名は彌七。官途名は右京亮、後に但馬守。楊井国久の次男だが、楊井春盛の養子となってその跡を継いだ。主家滅亡後に仕えた毛利家中では、その医術の評価が高かった。

  • アインターブ Ayntab

    アナトリア南部の都市。現在のトルコ共和国ガズィアンテプ県の県都ガズィアンテプ。その語源はアラビア語の「アイン・タイイブ(良き泉)」が転訛したものとされ、豊富な水と食料があった。マムルーク朝の最北端の都市であり、多くの言語、文化が混在した学問の町でもあった。

  • シュールストレミング surströmming

    鰊(ニシン)の発酵食品。生の鰊を塩水につけた状態で発酵させて作られる。スウェーデン語で「酸っぱい鰊」を意味する。

  • コッゲ船 こっげ せん

    北ヨーロッパを起源とする1本マスト、1枚横帆の貿易船。全長は約30メートル。コグ cog あるいはコッグとも呼ばれる。13〜14世紀、バルト海や北海の交易で用いられた。14世紀には地中海でも採用され、15世紀に現れるキャラック船の源流の一つとなった。

  • 鰊(バルト海) にしん

    鰊は冷水域を好む回遊魚。ヨーロッパではバルト海や北海で捕獲され、加工された後、ヨーロッパ各地に流通した。栄養源が限られていた中世から近世にかけてのヨーロッパにおいて、防腐処理を施した魚は当時の一般の人々にとって、とりわけ四旬節の際の貴重なタンパク源であった。

  • 日積 ひづみ

    周防東部の街道の要衝に位置した市場町。現在の山口県柳井市日積の鍛冶屋原地区には、大内氏の代官・杉氏が屋敷を構え、鉄材料を加工する鍛冶がいたことが遺跡と史料から分かっている。

  • ニュルンベルク Niamberg

    ドイツ南部バイエルン地方の都市。ペーグニッツ河の両岸に市街地が形成されている。金属加工業を中心とした手工業が発達し、また国際商業の町としても栄えた。神聖ローマ帝国における重要都市でもあり、15世紀以降、帝国宝物の保管が市参事会に委ねられている。

  • 警固屋 善兵衛 けごや ぜんのひょうえ

    安芸国安南郡警固屋(現在の呉市警固屋)を本拠とした警固屋氏の一族か。弘治二年(1556)以前に周防国熊毛郡に知行を得ていた。警固屋氏は防芸引分で大内方となり、大内氏の最終局面まで従っている。

  • ライプツィヒ Leipzig

    ドイツ東部、ザクセン地方の中心的な商業都市。中世以来、大市が開催され、フランクフルトとともにドイツの代表的な大市開催都市として知られた。また周辺地域の鉱業と毛織物業を軸にヨーロッパ各地との交易で繁栄した。

  • クラクフ Kraków

    ポーランド南部、小ポーランド地方の都市。ヴィスワ川上流に位置する。14世紀から17世紀初頭までポーランド王国の首都ないし中心都市であり、通商ルートの要衝にあって遠隔地を結ぶ国際貿易で栄えた。

  • 杉 甲斐守 すぎ かいのかみ

    大内家臣。周防国玖珂郡日積村に知行を得た杉氏の一族か。永正・大永年間に安芸国石道本城に入り、厳島神領支配の一角を担った。天文十七年(1548)には、備後国神辺村尾城攻めの検使として弘中隆兼、小原隆言とともにみえる。

  • 吉井 行貞 よしい ゆきさだ

    大内家臣。官途名は蔵人。周防国大島郡屋代庄の土豪か。大内氏の警固衆として活動した。厳島合戦前後に急死したらしい。

  • ロンギヌスの槍 Lance of Longinus

    イエス・キリストが磔刑になった際にキリストを刺したとされる槍。この槍を持っていたローマ兵士の名前から、ロンギヌスの槍とも呼ばれた。

  • 聖槍(神聖ローマ帝国) せいそう

    神聖ローマ帝国の「帝国宝物」の一つ。穂先の鉄の刃には、縦の孔が穿たれ、そこに釘の形状をした金属が嵌め込まれている。これはキリストを十字架に打ち付ける際に用いられた釘(聖釘)の一つであるとされていた。時に聖マウリティウスの槍とも、コンスタンティヌス大帝の槍とも呼ばれた。

  • ガラス(博多) がらす

    古代末から中世前期にかけて博多で生産されたガラス製品。博多遺跡群からはガラス製品だけでなく、生産に使われた坩堝も出土している。博多に居住した宋人が生産に関わったといわれる。

  • 高崎 六郎次郎 たかさき ろくろうじろう

    沼田小早川氏の庶子家である高崎氏の当主か。応仁文明の乱では、東軍方の惣領家に従わず、西軍の周防大内氏の援軍とともに高崎城に立て篭もった。

  • 土倉 民部少輔 とくら みんぶのしょう

    沼田小早川氏の庶子家である土倉氏の当主か。官途名は民部少輔または民部大輔。15世紀中ごろから後半にかけて、沼田小早川氏の軍事行動で活躍した。

  • 大草 持範 おおぐさ もちのり

    沼田小早川氏の庶子家である大草氏の当主。官途名は駿河守。沼田新荘の大草村(現在の広島県三原市大和町大草)を所領とした。同地の堀城および高城は大草氏の城と伝わる。

  • 高山 たかやま

    沼田小早川氏の居城・高山城の城下町。沼田荘を流れ瀬戸内海に注ぐ沼田川と山陽道(西国街道)の結節点という交通の要衝に位置する。

  • 陶器(大井郷七重) とうき おおいごうななえ

    長門国阿武郡大井郷七重(山口県萩市大井の下七重・上七重の両地区)で生産されていた陶器。同地からは中世にさかのぼる半地下式の登窯が発見されている。古代、陶棺の生産を行っていた形跡もあり、古くから窯業が盛んな地域であったとみられる。

  • 鳥銃 ちょうじゅう

    ヨーロッパから伝来した火縄銃。中国明朝の時代、「鳥銃」や「鳥嘴銃」あるいは「鳥槍」と呼称された。鳥を狙撃し得るほどの命中精度を誇るためとも、その形状が鳥の嘴に似るためともいう。のち清朝の時代には、主に「鳥槍」と称された。

  • フェルナン・メンデス・ピント Fernam Mendez Pinto

    東南アジア・東アジアで活躍したポルトガル人海商。後にイエズス会士となる。ポルトガルへ帰国後、自身の「体験」をまとめた『東洋遍歴記』を著した。

  • 南澳 らまう

    潮州府の東南に面した外海に浮かぶ南澳島の港町。16世紀、日本との密貿易の拠点となった。明代には所謂「潮州の海寇、多く南澳より入り」と言われ(『南澳程郷議』)、海寇の拠点でもあった。

  • 浯嶼 ごしょ

    中国福建・漳州湾南東部の小島の港町。ポルトガル人らが集まる密貿易拠点であったが、後に現地の海寇が引き入れた倭寇の前進基地ともなった。

  • 双嶼 そうしょ

    浙江省寧波府の近海、舟山列島の六横島東岸の港町。同島は南シナ海から福建・広東沿岸を北上し、あるいは日本から東シナ海を渡って、寧波方面に向かう船舶が経由する水道上に位置する。中国有数の密貿易港として知られ、ヨーロッパの史料には「リャンポー(Liampo)」としてみえる。

  • 海滄 かいそう

    中国福建・厦門湾北岸の港町。対岸の月港とならぶ密貿易港として知られた。

  • 浪白澳 らんぱかう

    広州湾沖にあった浪白澳島の港町。上川(サンシャン)とともにポルトガル人の交易の拠点となった。浪白澳(ランパカウ)の地名は、1537年(天文六年)成立のガスパル・ヴィエガスの地図に「ラブパ(Labupa)」もしくは「ラブプス(Labups)」としてみえる。

  • 上川 さんしぁん

    広州湾沖の西南に浮かぶ上川島の港町。浙江や漳州での通商に失敗したポルトガル人が、新たな交易拠点とした。ポルトガル人の日本渡航の際の中継港でもあった。

  • 陳 瑞 ちん ずい

    中国徽州出身の海商・方三橋の貿易船の乗員。1548年(天文十七年)五月、日本から明国に戻った際、明軍に捕縛された。船には中国人とともに20名の日本人が乗っており、ヨーロッパ人から奪った仏郎機砲などの火器も搭載されていた。

  • 池端 重尚 いけばた しげひさ

    大隈国祢寝院の領主・池端清本の嫡孫。弥次郎。父は清住。「唐人」と「南蛮人」の合戦に巻き込まれて不慮の死を遂げた。

  • 稽天 けいてん

    薩摩国薩摩郡東郷(現在の鹿児島県薩摩川内市東郷町)出身の日本人海商。東郷の国人領主・東郷氏の被官か。1548年(天文十七年)三月に貿易のために双嶼に向かうも、明軍に拿捕された。彼の供述により、日本人が中国での密貿易に関わる経緯の一端が明らかになっている。

  • 大福船 だいふくせん

    16世紀、中国明朝の福建地方で造られた尖底の大型ジャンク船。小型艦船を圧倒する戦闘力を有したという。明軍だけでなく、中国福建の密貿易商人たちも用いており、日本人が買い入れていた可能性もある。

  • 李 章 り しょう

    中国福建・泉州府同安県出身の貿易商人。16世紀中頃、銀貿易の為に日本に向かう途中、朝鮮に漂着した密貿易船の「頭人」の一人。李章らの密貿易船は、100人以上が乗船する大型ジャンク船であり、乗員の多くが福建の海商たちであったとみられる。

  • 李 王乞 り おうきつ

    中国福建の漳州出身の貿易商人。16世紀中頃、銀貿易の為に日本に向かったが、朝鮮に漂着して捕縛され、明朝に送還された。朝鮮政府にとっては、日本・福建間の密貿易活発化を認識する契機となった。

  • 鉄丸銃筒(日本) てつがんじゅうとう

    鉄製の弾丸を発射したとみられる火器(銃筒)。中国明朝の火器であったが、16世紀中頃に日本と密貿易を行った中国人によって日本にも伝えられた。日本人による製造も行われ、朝鮮王朝でも導入が図られた。

  • 楊 三 ようさん

    広東虎門出身の中国人。クリスチャンで、洗礼名はペドロ。東南アジアに密航した後、ポルトガル船の船員として広州に来航した。火薬や大砲の製法に通じ、明朝の仏郎機砲導入に大きな役割を果たした。

  • 仏郎機砲 ふらんきほう

    子砲を砲身の後部に装着して発射する後装式の大砲。砲身は鋳銅製または鋳鉄製。ヨーロッパで開発された火砲で、アジア海域に進出したポルトガル人らによって伝えられ、東アジアにおいて急速に普及した。

  • 火槍(日本) かそう

    中国発祥の火器。火薬を詰めた筒を槍の尖端に付け、点火することで火炎を噴出する。応仁の乱の際、東軍の細川勝元らの陣営に配備された。琉球王国から現物または製造技術が移入されたと推定される。

  • 火砲(対馬) かほう

    対馬の前期倭寇が用いた火砲。鋳鉄製。中国明朝から日本に移入されたものとみられる。

  • 今倉殿 いまくら どの

    備後南部、芦田川河口部の港町草戸を拠点とした金融業者。草戸千軒町遺跡から出土した15世紀後半の木簡にその名が見える。

  • 草戸 くさど

    備後国南部、芦田川河口部の港町。鎌倉期に成立し、地域経済拠点としての役割を果たしながら、16世紀初頭まで存続した。なお集落の名称は時代によって「草津」、「草井地(くさいじ)」、「草出(くさいつ)」、「草土(くさど)」、「草戸(くさど)」などと変遷する。本項では便宜上、「草戸」で統一する。

  • 深津 ふかつ

    備後国の福山湾に面した港町。中世までは蔵王山から南へ突き出た深津丘陵によって深い湾が形成されていたとみられる。現在の広島県福山市東深津町。9世紀の文献に市場の賑わいが記されており、中世においても活発な商取引があったと推定される。

  • マンガゼヤ Mangazeya

    シベリア北西部、タズ湾に注ぐタズ川河畔の都市。1600年(慶長五年)にロシア・ツァーリ国の遠征隊によって建設されたことを始まりとする。毛皮資源獲得の拠点であり、北極海沿岸航路やオビ川を経由して多くの商人や狩猟者が来航した。

  • 漆器(備後) しっき

    備後国で生産された漆器。広島県福山市草戸町の草戸千軒町遺跡からは、多くの漆器とともに、へら等の漆塗りの道具も出土している。

  • 佐志 さし

    佐志川河口部の潟湖に面した港町。現在の佐賀県唐津市佐志地区。中世、松浦党・佐志氏の本拠となった。遺跡からは中世の湊の遺構が見つかっており、栄えた交易港であったことが推定されている。

  • モンバサ Mombasa

    インド洋上の小島・モンバサ島北東部の港町。現在のケニア共和国南東部に位置する。12世紀にはアラブ人地理学者イドリーシーの地理書にその名がみえる。アフリカ内陸部との象牙交易と、その象牙を対価としたインド洋交易で栄えた。

  • マリンディ Malindi

    ケニア南部、インド洋に面する港町。12世紀にはアラブ人地理学者イドリーシーの地理書にその名がみえる。インド洋交易で栄え、15世紀初頭には中国明朝の使節も来航。15世紀末のヴァスコ・ダ・ガマ来航以後は、ポルトガルと協力関係を結んだ。

  • モガディシュ Mogadishu

    インド洋に面するアフリカ東端の港町。現在のソマリア共和国の首都モガディシオ。12世紀後半から13世紀初め以後に、アデンからキルワ王国に至る航海上の寄港地として急速に発展した。織物や砂糖、象牙、黒壇等の特産品の輸出港としても知られた。

  • グレートジンバブウェ Great Zimbabwe

    東南アフリカに栄えたグレートジンバブウェ国の王都。サビ川の支流ルンデ・ムトゥリクウェ川の上流地域でジンバブウェ高原の南縁に位置する。グレートジンバブウェの丘や、その南麓のグレートエンクロージャーなどの遺跡群等から往時の繁栄が知られる。

  • 工 十郎兵衛 たくみ じゅうろうひょうえ

    安芸国安北郡深川の檜物師。毛利元就から「佐東領中檜物師」の頭領に任じられた。

  • 長崎 房康 ながさき ふさやす

    大内家臣。幼名は道祖寿丸。仮名は小太郎。官途名は兵部丞。長崎元康の子。事秀の父。自身と同じ屋代島衆の沓屋景頼に嫁いだ妹がいる。毛利氏の出雲侵攻の際、警固衆として活躍した。

  • 長崎 房次 ながさき ふさつぐ

    大内家臣。仮名は小太郎。官途名は隼人佐、後に丹後守。長崎安親の子。元直、但馬守某、真定の父。娘が二人おり、沓屋景頼の子の喜三郎・元綱兄弟に嫁いだ。厳島合戦後に屋代島衆をまとめて毛利氏に仕え、防長経略や豊後大友氏との合戦で警固衆として活躍した。

  • 長崎 元康 ながさき もとやす

    大内家臣。幼名は才徳丸。仮名は弥八郎。官途名は与三右衛門、後に左近将監。長崎安親の養子。房康の父。沓屋景頼の妻となった娘がいる。大内氏の合戦で警固衆を率いて活躍したが、天文十二年(1543)、出雲遠征において討死した。

  • 長崎 勝親 ながさき かつちか

    大内家臣。仮名は小太郎。周防国大島郡島末庄を本拠とする長崎氏の当主。盛親の子で、重親の孫にあたる。

  • 長崎 重親 ながさき しげちか

    大内家臣。官途名は隼人佐、後に丹後守。盛親の父。周防国大島郡島末庄を本拠とした。大内盛見死後は、持世に味方してその勝利に貢献した。

  • マプングブウェ Mapungubwe

    リンポポ川とシャシ川の合流点に位置する都市。マプングブウェの丘と麓一帯に形成された。インド洋交易で栄え、最盛期には3000から5000の人口があったと推定されている。

  • ツラメラ Thulamela

    リンポポ川中流域の都市。南アフリカ共和国リンポポ州にツラメラ遺跡として残る。トルワ系の支配者を頂き、インド洋交易に関わっていたことが推定されている。

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