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  • 春が待ち遠しい

    今日は雨が降ってます☔朝7時から某教会のオンライン礼拝にて礼拝させていただきました。雨音が心を静めてくれました。私は雨音が大好きです。それにしても北国でのこの時季の雨はめずらしいです。このまま春になればいいのにな。 雨音も好きですが私は洋楽が好きです。「音」が好きなんですね〜。シンセでの音作りも好きでした。洋楽メインに聴きますが邦楽でも好きなアーティストはいます。「大滝詠一」とか「佐野元春」は大好きです。今回は「大滝詠一」をご紹介をしてみます。 大滝 詠一:本名、大瀧 榮一。1948年7月28日、岩手県江刺郡梁川村(現在の奥州市)生まれ。小学5年の夏、親戚の家で聴いたコニー・フランシスの「カラ…

  • 愛は神から出たもの ヨハネの第一の手紙4章

    先日、気心がしれた古い友人が遊びに来ました。楽しいお酒になり互いに心地よく酔いがまわります。彼は帰るのが億劫になったようなので「なんなら2~3日泊まっていってもいいぞ」と声をかけました。 後日、彼が「焼き肉でも食べに行こう」と誘ってくれました。食事をしながら話しを聞くと、私がかけた「泊まっていってもいいぞ」の言葉が嬉しかったらしいのです。帰りたくない理由があったのかな? 私は情にもろい質の人間だと思います。特に女性に優しくされると、まるで「男はつらいよ」の寅さんのようになってしまいます。寅さんのような場面での失敗談は数え切れないほどに。。。 ある本を読んでいて「人間は生まれつき愛を持っているも…

  • 文章を書くこともまた楽し

    ずっと前の記事にも書いたかもしれませんが「ジンライムの一路」というブログタイトル、自分では気に入ってます。 なぜジンライムか? ガキのころ好きだったRCサクセションの「雨上がりの夜空に」の歌詞 ♪̊̈♪̆̈♪̊̈ ジンライムのようなお月様♪̊̈♪̆̈♪̊̈ から取りました。ブログを立ち上げたのは更生施設から社会復帰してすぐでまさに私にとって「雨上がり」だったんです。 一路は? 更生施設で読んでいた浅田次郎著の時代小説「一路」からです。家名断絶へと追い詰められた一路(主人公)が、家伝の「行軍録」を唯一の頼りに参勤交代の道中に。一路は「一所懸命」に突き進む。 浅田次郎氏は「一生懸命」は本来「一所懸…

  • 責められるところのない者に 第一テサロニケ人への手紙5章

    Rejoice evermore 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。 キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。テサロニケ人への第一の手紙 5:9‭-‬10 前回の記事の冒頭でも用いた聖句「どんな人でも上から新しく生まれなければ神の国を見ることはことはできない」(ヨハネ3:3)。 クリスチャンになることとは、自分のこれまで積み重ねてきたものを、すべてイエス・キリストに明け渡すことである。自分の人生をイエス・キリストに明け渡すその時、こ…

  • 心を傾けなさい ヨシュア記24章

    Incline your heart ヨシュアは、イスラエルのすべての部族をシケムに集め、イスラエルの長老、かしら、さばきびと、つかさたちを召し寄せて、共に神の前に進み出た。ヨシュア記 24:1 このみことばは私たちが注意しなければならない言葉である。私たちは周りの人を神の御前に立たせることばかり考え、自分のことは棚に上げがちになる。どんな人でも上から新しく生まれなければ神の国を継ぐことはことはできないのである。 ヨシュアのような偉大な指導者でさえもまず自らが神の御前にぬかずき出たのである。私たちは大いにこの態度を学ぶべきである。信仰の道に入り安寧さに浸かり続けると、自分こそが先んじて信仰の道…

  • 昭和の思い出

    佐野元春の「SOMEDAY」 この曲を知ったのは、歌舞伎町の「パブ大学いも」という店です。「北の家族」を展開する某会社の系列店であった同店は、思い出せる範囲で歌舞伎町に3店、渋谷店、吉祥寺店がありました。 * 今は「北の家族」の運営は社名が当時と違っているようです。 当時、私は17才(履歴書はごまかしていました、ゴメンナサイ)。調理場で採用してもらいました。私が配属になったのは歌舞伎町パート2。アシベ会館地下、キャパシティー400の大型店。 パブ大学いもは全店でDJブースが設置されていました。この頃、流行っていた曲は、 カルチャークラブ「カーマは気まぐれ」ワム「クラブトロピカーナ」デュランデュ…

  • 出エジプト記 37章

    少し前から「メルカリ」を利用し始めた。ふと目に付いたのが「メノラー」という燭台。 出エジプト記25章に「純金で燭台を造らなければならない。燭台は打ち物造りとし、台座と幹、萼(がく)、節と花弁は一体でなければならない。六本の支柱が左右に出るように造り、一方に三本、他方に三本付ける。」とあるがこの燭台はイスラエルのいたる所で見られる。シソ科のクラリセージが原型になっているらしい。 「7」はイスラエルでは完全数でありその両側の枝には「あめんどう(アーモンド)」の花の形をした萼がついている。残寒の季節に凛と咲くあめんどうの花は見る人に命を感じさせ神の臨在を示してくれる。ちなみに「あめんどう」の花言葉は…

  • 朝ごとに新しく 哀歌3章

    The LORD is my portion 哀歌の詩人は、絶望の中にすべての知恵と力と企てを失う経験について述べている。心の存在そのものが裸にされてしまう、いたたまれない悲しみと絶望の経験を私たちも味わうことがあるかもしれない。しかし苦難が私たちから何かすべてを奪ったとしても、なお奪うことのできないものがあることをこの詩人はそして聖書全体は指し示しているといえる。 それは意味を求める力。なぜこの出来事は私の上に起こったのか。なぜ今でなければならないのか。その答えはすぐに見出されることもあれば、何年かかってもそれを見出すことができないこともあるだろう。「聖書は我が心の鏡である。」私たちはその苦…

  • 前のものに向かってからだを伸ばしつつ ピリピ人への手紙3章

    Rejoice in the Lord 信仰に生きるとどのような得があるのか。この手紙を書いたパウロの場合はどうだったかということがここに出てくる。特に5節と6節にはそれまでパウロが得だと考えていたことが書かれている。 わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、ピリピ人への手紙 3:5 ここはパウロの信仰の証しとも言える部分である。信仰に生きる前はどういう考え方をしていたかということを証している。 ここに記されているパウロの自己紹介はユダヤ人にとってどれも胸をはることのできるような事柄ばかりが列挙されている。…

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