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Sir, give me this water 3 ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。4 しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。5 そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、6 そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。7 ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。8 弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。9 すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなた…
私は見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう。ハバクク書2:1 ハバククは「抱擁する」という意味である。「指揮者」とあるので、エルサレムの音楽家かレビ人(レビ族の家系で、神の民の中で祭司職や礼拝を導く役割を果たしていた)だったと思われる。 前612年、北王国イスラエルを滅ぼしたアッシリヤ帝国、ニネベは陥落した。そのころ、南王国のユダは、暴虐と闘争、不正と不法がはびこり、霊的退廃のなかにあった。預言者ハバククは、主に向かって、「なぜユダ全土をおおっている悪に何もなさらないのですか」と強く訴えた。神はそれに応答して、バビロニヤ人を送ってユダを罰す…
11「エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」そこで私は言った。「アーモンドの「枝を見ています。」 12 すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしの言葉を実現しようと、わたしは見張っているからだ。」 エレミヤ書1-11~12 私の愛犬(チワワ15才)は「ミル」という名前です。「ミル」と呼ぶとき、いつもこの聖句を思い出します。 エレミヤという預言者は、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルの四人の大予言者の一人で、旧約聖書の中で多くの言葉やわざを記されている人物である。 預言者としてのエレミヤの働きは南王国のユダに向けられ、滅亡までの最後の40年間続いた。イスラエル王国分裂までの経緯を簡…
成功のための基本的な原動力となっているものは、ねたみと嫉妬であることが分かった。伝道者の書4:4目的を持たない人は、舵のない船のようだ。浮浪児、つまらない人間、いや人間とさえみなされない。トーマス・カーライル どんな人でも何かに動かされて生きているものです たいていの辞書は、ドライブという動詞を「導く、コントロールする、指示を与える」と定義しています。あなたがこの言葉(ドライブ)を使う時、たとえば車を運転するとか、釘を打つとか、ゴルフボールを打つと言う時、あなたはそれを導き、コントロールし、あるいはそれに指示を与えているわけです。あなたの人生の原動力となっているものは何でしょうか。 今あなたは…
ルカの福音書9章は、12人の弟子(従う人、学ぶ人)を主イエスに代ってメッセージを伝え活動するように送り出す場面から始まっている。12人の弟子とはシモン・ペテロ、ゼベダイの子ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、イスカリオテのユダ。 3節にこうある。「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。」。主イエスは何も持たないで遣わされることに意味があると言いう。 なぜなら、そこによみがえられたイエスが働いておられるからだ。旅立ちは「裸一貫」。必要はすべて満たされるのだ。 主イエスは霊の…
あなたはわたしの配慮の中にあった。イザヤ書44:2神は私たちで遊んでおられるわけではない。アルバート・アインシュタイン あなたは偶然に存在しているのではありません。 あなたが生まれてきたのは、何かの間違いでも、不運にして不幸な出来事でもありません。また自然のいたずらによるのでもありません。たとえあなたの両親があなたの誕生を計画に入れていなかったとしても神はそうではありませんでした。神はあなたの誕生を驚くどころか、心待ちにしておられたのです。 母親があなたを身ごもるずっと以前から、神はあなたのことを心に思い描いておられました。他の誰よりも先に、まず神があなたのことを考えておられたのです。今あなた…
申命記8章1~6節は、聞き手に、荒野を旅した労苦を想起させる箇所である。荒れ野時代の歴史は、父のような神の導きの中で、イスラエルの民が成熟した信仰の認識を持てるように、ある時は欠乏を通して、またある時は祝福を与えて訓練する、神の見事な救いが示された時代であったと説教者はその認識を示している。 主がイスラエルに約束され、彼らが間もなく所有しようとしている地は、決してエデンの園でも、御国そのものでもなかった。彼らよりも多く、強い異邦の民が先住する地である。約束の地カナンに入らんとするイスラエルにとって、一番警戒しなければならないことは「たかぶり」ということであった。 彼らはやがて食べ飽き、麗しい家…
ヨハネの福音書3章1~8節で主イエスはキリスト教信仰の基本的な教理(教え、根本的原則、信仰の基盤)の一つである「新生」、霊的誕生について話しておられる。霊的な意味で「新しく生まれなけば」だれも神の国に入ることができない。イエス・キリストを信じる信仰を通して霊的に救われ、永遠のいのちと神の賜物を受けるためには、人々のいのちが新しくされなければならないのである。 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ヨハネの福音書3:3 私たちは、ときには新鮮な気持ちで祈祷会に参加する。しかし、それと同じように新鮮な気持ちで、泥…
Here am I, send me 神はイザヤに向かって召命の呼びかけをされたわけではない。「だれが、われわれのために行くだろうか」とおっしゃっているのをイザヤがふと耳にしただけである。神の召命は、選ばれた少数者のためのものではない。あらゆる人のためのものである。私に召命の呼びかけが聞こえるかどうかは、私の耳の状態いかんにかかっている。そして聞こえる内容は、まさに私の霊的状態にかかっているのである。 「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです」(マタイ22:14)とあるのは、自分が選ばれた者であることを身をもって示す人は稀である、という意味である。選ばれた人とは、イエス・キリストを通して…
Say on, Lord; for the ears of your servant are open 1サムエル記開巻第一章には、サムエルの母ハンナの美しい物語が記されています。事は、夫エルカナがめとっていたもう一人の妻ペニンナのいじめ、ハンナの苦しみと祈りから始まります。子どもがないということで辱められ、傷つけられたハンナは、主の前に長くとどまって祈り、ついにサム工ルが与えられたのでした。そして彼女は、主の御前で約束した通り、サムエルを神にささげたのです。 祈り深い母から、祈りの人サムエルのが誕生しました。 ハンナの祈りは、旧ブログ「ジンライムの一路」にあります。 ginlime20.ha…
エレミヤ31章は、エレミヤ書の最高峰と言われ、また旧約聖書の最高峰とも言われているところである。それは、新しい契約を立てるという、新約への預言がされているからである。2節から6節までは、神の限りない愛が語られているところである。「荒野で恵みを得た」。荒野という所は恵みのない所、石がごろごろしていて、水も湧かず草もはえない所である。しかし、そういう所で恵みを得たというのである。 主イエスも荒野で、40日40夜試みにあわれた(マタイ4:1~2)と書いてある。荒野とは、単に荒地という意味ではなく、神に導かれていく所でもある。イスラエルの民は、エジプトにおける肉と罪との生活から脱出して、モーセに導かれ…
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Happy is the man who does not go in the company of sinners 詩篇を読むとき、信者たちが絶望の底から神に叫んだり、祝いの高みにおいて神に歌を歌ったりしているのを聞くことができる。しかし詩篇記者が絶望していようと喜んでいようと、正直な感情を神と分かち合っているのを聞きとるだろう。そのような記者たちの正直な表現のゆえに、歴史を通して多くの男女が、苦しみと悲しみのときに慰めを求めて、繰り返し詩篇を読む。その人たちは詩篇を通して、神にとこしえの愛と赦しの力を見出し、絶望の底から抜け出て、喜びと賛美へと引き上げられる。正直な詩篇に導かれて、神との深…
お金を愛する心を捨て、いま与えられているもので満足しなさい。神は、こう約束しておられます。「わたしはどんな場合にもあなたの期待にそむかず、あなたを見捨てない。」(申命31・6)へブル人への手紙 13:5 JCB 以前の記事でも使った言葉「幸せのハードル」。一つのものを手に入れると人は次のものに目が向きます。私もそうです。欲しい本を買い何冊も増えてくると本棚が欲しくなる。ブログ記事を書くためにタブレットを買った。すると今度は椅子に座って机でのほうが勝手が良いかなと考える。 実は昨日フリマサイトで1000円で買った学習机が届き部屋に置いたところです😀 「あれも、これも」と、なんでも欲しがってるわけ…
1 知恵ある女は家庭を築く。 無知な女は自分の手でそれをこわす。2 主を畏れる人はまっすぐ歩む。 主を侮る者は道を曲げる。3 無知な者の口には傲慢の杖。 知恵ある人の唇は自分を守る。箴言 14:1-3 新共同訳 2節を読むと人には「まっすぐ歩む者」「道を曲げる者」の二者があることが分かります。「まっすぐに歩む者」とは「信念を持つ者」と想起されます。信念を貫くことは大切なことですが、そのことにおいて傲慢になってはならないでしょう。主イエスは屠り場に引かれる子羊のようであられました。アブラハムはイサクを捧げるモリヤの丘への道をたんたんと歩きました。 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言い…
昨日は我が地元である青森県八戸市にも春の訪れを感じることができる一日でした。 現在、私の内妻は刑務所の中。1月に刑務所に移監になってから便りもありませんので「何を考えているのやら」と心配しますが、私は彼女に約束しました「身元は引き受ける」と。ずっと以前からお互いの心は遠く離れていたのに。 そのことに思いをめぐらせつつ祈っていると、歳をとって涙もろくなったせいもあるのか涙がこぼれてしまいます。しかし私はこの涙を拭いさってくださるお方を祈りをもって見上げ続けます。 日本のロックバンドであるアルフィーの曲はあまり知りませんがフラワーレボリューションという曲は流行っていたころから好きでした。この曲の歌…
わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。詩篇42:5 昨年、私は生活保護から脱却したい思いにかられ福島県に仕事に行きました。刑務所で共に作業にあたっていた建設会社社長から仕事の誘いがあったのです。しかしその会社はブラック企業で数ヶ月分の給料も支払われることはありませんでした。私は社長に「これではやっていけない地元に帰る」旨を伝えたところ、社長は「荷物はこっちで手配して送るから給料は少し待ってくれ」と約束してくれました。 あれから数ヶ月いまだに荷物も給料も送られてきません。大切なPC、書物、預けていた銀行通帳と印鑑すら返…
今日は雨が降ってます☔朝7時から某教会のオンライン礼拝にて礼拝させていただきました。雨音が心を静めてくれました。私は雨音が大好きです。それにしても北国でのこの時季の雨はめずらしいです。このまま春になればいいのにな。 雨音も好きですが私は洋楽が好きです。「音」が好きなんですね〜。シンセでの音作りも好きでした。洋楽メインに聴きますが邦楽でも好きなアーティストはいます。「大滝詠一」とか「佐野元春」は大好きです。今回は「大滝詠一」をご紹介をしてみます。 大滝 詠一:本名、大瀧 榮一。1948年7月28日、岩手県江刺郡梁川村(現在の奥州市)生まれ。小学5年の夏、親戚の家で聴いたコニー・フランシスの「カラ…
先日、気心がしれた古い友人が遊びに来ました。楽しいお酒になり互いに心地よく酔いがまわります。彼は帰るのが億劫になったようなので「なんなら2~3日泊まっていってもいいぞ」と声をかけました。 後日、彼が「焼き肉でも食べに行こう」と誘ってくれました。食事をしながら話しを聞くと、私がかけた「泊まっていってもいいぞ」の言葉が嬉しかったらしいのです。帰りたくない理由があったのかな? 私は情にもろい質の人間だと思います。特に女性に優しくされると、まるで「男はつらいよ」の寅さんのようになってしまいます。寅さんのような場面での失敗談は数え切れないほどに。。。 ある本を読んでいて「人間は生まれつき愛を持っているも…
ずっと前の記事にも書いたかもしれませんが「ジンライムの一路」というブログタイトル、自分では気に入ってます。 なぜジンライムか? ガキのころ好きだったRCサクセションの「雨上がりの夜空に」の歌詞 ♪̊̈♪̆̈♪̊̈ ジンライムのようなお月様♪̊̈♪̆̈♪̊̈ から取りました。ブログを立ち上げたのは更生施設から社会復帰してすぐでまさに私にとって「雨上がり」だったんです。 一路は? 更生施設で読んでいた浅田次郎著の時代小説「一路」からです。家名断絶へと追い詰められた一路(主人公)が、家伝の「行軍録」を唯一の頼りに参勤交代の道中に。一路は「一所懸命」に突き進む。 浅田次郎氏は「一生懸命」は本来「一所懸…
Rejoice evermore 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。 キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。テサロニケ人への第一の手紙 5:9-10 前回の記事の冒頭でも用いた聖句「どんな人でも上から新しく生まれなければ神の国を見ることはことはできない」(ヨハネ3:3)。 クリスチャンになることとは、自分のこれまで積み重ねてきたものを、すべてイエス・キリストに明け渡すことである。自分の人生をイエス・キリストに明け渡すその時、こ…
Incline your heart ヨシュアは、イスラエルのすべての部族をシケムに集め、イスラエルの長老、かしら、さばきびと、つかさたちを召し寄せて、共に神の前に進み出た。ヨシュア記 24:1 このみことばは私たちが注意しなければならない言葉である。私たちは周りの人を神の御前に立たせることばかり考え、自分のことは棚に上げがちになる。どんな人でも上から新しく生まれなければ神の国を継ぐことはことはできないのである。 ヨシュアのような偉大な指導者でさえもまず自らが神の御前にぬかずき出たのである。私たちは大いにこの態度を学ぶべきである。信仰の道に入り安寧さに浸かり続けると、自分こそが先んじて信仰の道…
佐野元春の「SOMEDAY」 この曲を知ったのは、歌舞伎町の「パブ大学いも」という店です。「北の家族」を展開する某会社の系列店であった同店は、思い出せる範囲で歌舞伎町に3店、渋谷店、吉祥寺店がありました。 * 今は「北の家族」の運営は社名が当時と違っているようです。 当時、私は17才(履歴書はごまかしていました、ゴメンナサイ)。調理場で採用してもらいました。私が配属になったのは歌舞伎町パート2。アシベ会館地下、キャパシティー400の大型店。 パブ大学いもは全店でDJブースが設置されていました。この頃、流行っていた曲は、 カルチャークラブ「カーマは気まぐれ」ワム「クラブトロピカーナ」デュランデュ…
少し前から「メルカリ」を利用し始めた。ふと目に付いたのが「メノラー」という燭台。 出エジプト記25章に「純金で燭台を造らなければならない。燭台は打ち物造りとし、台座と幹、萼(がく)、節と花弁は一体でなければならない。六本の支柱が左右に出るように造り、一方に三本、他方に三本付ける。」とあるがこの燭台はイスラエルのいたる所で見られる。シソ科のクラリセージが原型になっているらしい。 「7」はイスラエルでは完全数でありその両側の枝には「あめんどう(アーモンド)」の花の形をした萼がついている。残寒の季節に凛と咲くあめんどうの花は見る人に命を感じさせ神の臨在を示してくれる。ちなみに「あめんどう」の花言葉は…
The LORD is my portion 哀歌の詩人は、絶望の中にすべての知恵と力と企てを失う経験について述べている。心の存在そのものが裸にされてしまう、いたたまれない悲しみと絶望の経験を私たちも味わうことがあるかもしれない。しかし苦難が私たちから何かすべてを奪ったとしても、なお奪うことのできないものがあることをこの詩人はそして聖書全体は指し示しているといえる。 それは意味を求める力。なぜこの出来事は私の上に起こったのか。なぜ今でなければならないのか。その答えはすぐに見出されることもあれば、何年かかってもそれを見出すことができないこともあるだろう。「聖書は我が心の鏡である。」私たちはその苦…
Rejoice in the Lord 信仰に生きるとどのような得があるのか。この手紙を書いたパウロの場合はどうだったかということがここに出てくる。特に5節と6節にはそれまでパウロが得だと考えていたことが書かれている。 わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、ピリピ人への手紙 3:5 ここはパウロの信仰の証しとも言える部分である。信仰に生きる前はどういう考え方をしていたかということを証している。 ここに記されているパウロの自己紹介はユダヤ人にとってどれも胸をはることのできるような事柄ばかりが列挙されている。…
To be blessed forever わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。申命記 5:6 モーセの十戒の前に宣言された主のお言葉である。エジプトの地、それはイスラエルにとっては異国であり彼らはその地で奴隷の生活を余儀なくされていた。しかし神はそこで叫ぶ彼らの叫びを聞き、彼らを強きみ腕をもって導き出したもうたのである。望みの絶えたようなところにあった彼らに神のみ手は及んでいたのである。出エジプトを通じて彼らはこの事実を知らされた。この事実に立つことなしにモーセの十戒に生きることはできなかった。 十戒はエジプトから解放された時、主「ヤハウェ」…
Surrender yourself to god いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。詩篇 91:1-2 この91篇は「守りの詩篇」と言われ、詩篇46篇と共に詩篇の中で最も高貴なものと言われている。信仰者のしあわせについてうたっているとても綺麗で心躍る詩篇である。"全能者の陰"。いと高き方の隠れ場に逃げ込んだがゆえの波立つことなき信頼、真の告白。全能者のところに身を避ける人はこの全能の神に守られるのだというのがこの詩篇の大きなテーマである。 一つの節の中に、同じ内容が異なる表現で言い表されている…
He Never Leaves You 今回は前回の記事と被りますがヨブ記1章からです。それだけこの箇所は私にとって考えさせられるところがあるのかも。 ヨブ記ほど後世に大きな影響を与えた書はない。特に文学や哲学の分野においての影響ははかり知れない。それはこの書が「神義論」を取り扱っているからである。この問題は常に人類にとって大きな問題であり、ヨブの悩みはいつの時代にも人間の持つ悩みである。 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」➯ 歎異抄の一節である。私たちはこの親鸞の言葉を耳にするとき、はてな?と思う。そしてそんなことがあってたまるかと感じる。私たちが一生懸命に善に励むのは善行が善果を…
わたくしのブログを愛し応援してくださってくださっている方々に感謝を申し上げます。お久しぶりでございます。 永らく更新がないことをそれぞれの方がさまざまに心配や懸念の念を抱かれておられたかと思っています。 ある方はわたくしが再び犯罪行為に走ってしまったのかと思われたかもしれませんね。わたくしの過去が過去だけに普通の方ならそのように考えられても仕方ないことかと思います。 わたくしを信頼してくださっている方が少なからずともいらしたなら申しわけないことですが、わたくしは確かに犯罪行為の中に身を置いて日々を過ごしてしまいました。ごめんなさい。 この苦々しい出来事はは7月の終わりごろ、草陰に潜んでいた獣が…
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Happy is the man who does not go in the company of sinners 詩篇を読むとき、信者たちが絶望の底から神に叫んだり、祝いの高みにおいて神に歌を歌ったりしているのを聞くことができる。しかし詩篇記者が絶望していようと喜んでいようと、正直な感情を神と分かち合っているのを聞きとるだろう。そのような記者たちの正直な表現のゆえに、歴史を通して多くの男女が、苦しみと悲しみのときに慰めを求めて、繰り返し詩篇を読む。その人たちは詩篇を通して、神にとこしえの愛と赦しの力を見出し、絶望の底から抜け出て、喜びと賛美へと引き上げられる。正直な詩篇に導かれて、神との深…
お金を愛する心を捨て、いま与えられているもので満足しなさい。神は、こう約束しておられます。「わたしはどんな場合にもあなたの期待にそむかず、あなたを見捨てない。」(申命31・6)へブル人への手紙 13:5 JCB 以前の記事でも使った言葉「幸せのハードル」。一つのものを手に入れると人は次のものに目が向きます。私もそうです。欲しい本を買い何冊も増えてくると本棚が欲しくなる。ブログ記事を書くためにタブレットを買った。すると今度は椅子に座って机でのほうが勝手が良いかなと考える。 実は昨日フリマサイトで1000円で買った学習机が届き部屋に置いたところです😀 「あれも、これも」と、なんでも欲しがってるわけ…