後悔は気付き、気付きは教訓、教訓は学び、学びは成長。 後悔も気付きも傷付きも、すべては自分という人間を築かせてくれるゲームである。 日常の発見や思想の記録。 主に研鑽と啓発を目的とした自己対話ブログです。
昔と変わらず、母からは逐一 姉の名前と呼び間違えられ、私が家を出た数年後に我が家へやって来た愛猫にはお寿司を攫われそうになり、親父様とは数年振りにビールと焼酎を酌み交わす。まだ在る実家と存命の父母を持てる自分は、果たしてあと何回生きて行けるのか分かりません。数年後数十年後の自分は、きっとこの時間を後悔するのだろうと思います。それはきっと、何をしても。どんな時間を過ごそうとも。それならばせめて悔いれる程の【思い出】と成って行けるように、いつかの自分が振り返れる【記憶】と成って行けるように。父が運転する車に乗車している時間も、母の隣で炬燵に半身突っ込んでいる間でも、この先自分が振り返れる【日常】を…
年齢とは飽くまでも一つの【情報】であって【参考】であって、 お相手を知る上での経過に在る【手掛かり】に過ぎないのだと思うんです。 【経験】の前任が「記憶」や「思い出」という名前でもあって、 その後の考えや選択、影響といった【活かされる機会】を経た時に初めて「経験」へと呼び名を変えるものでもある。 だから個人的には「年齢=経験して来た年数」という風には素直に直結してはくれなくて。 自分から見える【年齢】の概念って、 それこそ「生きて来た年数」でもあると同時に、 【感情】や【気付き】や【彷彿】や【発展】を拾う「チャンスがあった年数」なんです。 時代を拓き、地盤を築かれて来た目上や先人の方々へ向ける…
2~3ヶ月振りの【完全オフ日】という幸せに浸っております。 何もしないし何もさせない。 取り留めも無い事を考えて居られる今が最高に豊かな時間です。 「決断する」とは【断つ】事を【決める】という事で、 【ことわる】事を【決める】事。 それは転じて、「やらない」事を「決める」事。 【頑張りたい】時に頑張れる身体で居れる様に。 【向き合いたい】時に向き合える心で在れる様に。 「休みたい」時に休ませる決断を選んであげられる自分が好きです。 「何でもない日おめでとう」ならぬ、 「何もしない日ありがとう」
6〜7歳くらいの頃、 母と姉の影響を受けて視聴していた【家なき子】 その主題歌が中島みゆきさん作詞作曲の【空と君のあいだに】という楽曲だったのですが、 その曲中にある「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」という歌詞の意味を、 自分は暫く理解出来なかった事を唐突に思い出しました。 「どうして【僕】が悪になったら笑えるんだろう」 「【君】が僕が悪になる事を望んでいるという事?」 と本気で疑問だったんです。 【僕】を親や姉に置換して考えた時、 犯罪なり盾なりと成って一身に批判を浴びるその人を見て、 自分が笑顔になれる筈無いじゃないかと幼心に真剣に考えていたんですよね。
今持てる資金で何を提供して行けるのか。 それってきっとモノ作りを行う上で限りなく【背骨】に近い部分なのだと思います。 高い資金で高いクオリティーを生み出すのは至極自然な事で、ある意味「出来て当然」な事。 裏を返せば、「出来て当たり前」のものに人の心を動かす程の動力を持つのは難しい。 そしてだからこそ、 限りある資金の中で何を捻出出来るのか。 「制限ある中で何を届けたいのか」という【主旨からブレるもの】や【余分なもの】を一つずつ間引いて削ぎ落として、 【残したいもの】を追求して行った先に初めて自分が「渡したいもの」や「持ち続けていたいもの」に気付くのであって。 その「想い」が宿った時に漸く人の心…
役者さんの台詞でも同じ様な事が言えるのですが、 同じ台詞を何度も言っていると【慣れ】が出て来てしまうと言われる事があるんです。 何度も繰り返し言っている【言葉】は飽きてしまうと言われる事もまた然り。 だけど同じ【型】を口にする度に新たな発見をして行けるのが言葉でもあると思うんです。 だってその時々の感情や関わりや環境によって、 同じ台詞でもそれを裏付ける【背景】や【縁取り】や【距離】や【画角】って変わって行くものだと思うから。 そうしたカメラの「スイッチング」を行う度に、 見える面が増える度に、 言葉もまた研磨されて【面】を持って、【一粒の意志】となってゆく。 人生や人の多面と同じで、 言葉も…
6〜7歳くらいの頃、 母と姉の影響を受けて視聴していた【家なき子】 その主題歌が中島みゆきさん作詞作曲の【空と君のあいだに】という楽曲だったのですが、 その曲中にある「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」という歌詞の意味を、 自分は暫く理解出来なかった事を唐突に思い出しました。 「どうして【僕】が悪になったら笑えるんだろう」 「【君】が僕が悪になる事を望んでいるという事?」 と本気で疑問だったんです。 【僕】を親や姉に置換して考えた時、 犯罪なり盾なりと成って一身に批判を浴びるその人を見て、 自分が笑顔になれる筈無いじゃないかと幼心に真剣に考えていたんですよね。
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