後悔は気付き、気付きは教訓、教訓は学び、学びは成長。 後悔も気付きも傷付きも、すべては自分という人間を築かせてくれるゲームである。 日常の発見や思想の記録。 主に研鑽と啓発を目的とした自己対話ブログです。
【不調】とは、自分の土壌を育む為に欠かしては成らない養分でもあるんです。
心身の健康を保つ事は勿論生きて行く上での第一優先であって、会いたい人に会うにしても行きたい場所へ行くにしても、或いは【受け取る】にしても【与える】にしても、自分が「やりたい」と思える事を【自分】に選ばせてあげる為にも、それらが「叶う」工程に於ける最初の土壌なのだと思う。それでもその地盤を築く為には、その必要性を「知り続ける」事が求められて、基礎を保ち続ける為には、定期的にも不定期的にもその重要性を顧みる為の【切っ掛け】もまた必要になる。ずっと良好で居られるなら、日常や今ある時間の重たさにも、きっと噛み締める前に自分を追い越して行ってしまうから。「やりたい事」を顧みる機会を自分に差し出してあげる…
自分の生活や考え方、在り方が習慣化していくと、それらに次第に身体が順応し始めて、自分の【重み】が知覚出来なくなって行くもので。その重みを目の前に突き付けてくれるのが、周りに居て下さる方々なのだと思います。その方々の重みに気付かさせてくれるのも又、皆さんのくれる言葉なんです。私自身を【特別な存在】に出来るのは、皆様が私を見てくれるからです。私を見てくれる人が居て、存在を認知してくれて、「皆様から見える私」を私に教えてくれるから、私は初めて【自分】を知る事が出来るんです。自分の重みを知覚出来る。皆様へ向ける特別な気持ちを、自分の中で育んで行ける。皆様が下さるそのお言葉がお気持ちが、優しさが笑顔が、…
救われる自分が居るという事実が、その人にとっての【救い】になってくれたら良い。
とある方とのDMを介して改めて感じた事。 「誰かの救いになれている」って、 それ自体が自分にとっての【自信】になるし【救い】になるし、 【生きる気概】になるんですよね。 だからその人のお言葉で救われる私が居るという事実が、 同時にその人にとっての【救い】にもなってくれていたら嬉しいな、と思うんです。
「定番」を受け取れるという喜びと、「当たり前」を贈れる勇気。
花好きの母さんには、母の日には毎年品種を変えた花束を贈るというのが通例でした。 お花以外に関しては食べ物でも装飾品でも、 物欲を一切口にしない母なので、 毎年の誕生日はいつも贈る物に悩むんです。 和菓子を贈ってみたり、 はたまた誕生石のブレスレットを贈ってみたり。 今年も例に漏れず選ぶのに苦心したのですが、 我が子の誕生日や頂き物でない限り、自らケーキを買う事のない両親なので、 思い切って小さめのホールケーキを贈ってみたんです。 カーネーションやブルースター、 バラやアイビー等の花束に見立てたフラワーケーキ。 今までケーキを贈った事がなかったのは、 実家に居た頃母が「洋菓子は苦手」と呟いていた…
最終的な結末が「不可能」でも、間引きや断念などの「決断」をせざるを得ない結果に行き着く事になるとしても、最初の一線を超えた状態から現状や意見を踏まえた上で【枠】に収まるよう努めるのと、初めの一歩目から【枠】の中に収まるのとでは最初の【絶対値】が違う。【枠】を出る分、「出る杭」と成る分、同じ背丈で並ぶよりも一層、風当たりは強まるのでしょうし、批判や注目、論争の的となる事も、360°あらゆる角度からの意見を一身に浴びる事になるのもまた必然なのだと思います。その上で自分は、意見を言う以上に意見を言われる側に居たいと思う。発言するよりも発言を聞く方が余程気力が要るんです。受け止めるという行為は、言葉を…
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