chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
キツツキゲーム https://nukegara000.hatenablog.com/

後悔は気付き、気付きは教訓、教訓は学び、学びは成長。 後悔も気付きも傷付きも、すべては自分という人間を築かせてくれるゲームである。 日常の発見や思想の記録。 主に研鑽と啓発を目的とした自己対話ブログです。

えみ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2021/04/08

arrow_drop_down
  • 人は、【緩急】も【抑揚】も付けるから、「生きていく」事が出来るんです

    時折、言われる事があります。 「どんな事でも【ポジティブ】に考えたり、【感謝しよう】としているけれど、そんなに前向きに考えようとして疲れない?」 「毎回事ある毎に、「ありがとう」って思おうとする必要がある?嫌だと感じた事に対して、そこまでして掘り下げようとするものなの? 自分は【自分】を最優先にするべきだから、嫌なものからは離れるし、嫌な事があれば寝て忘れたいと思ってる。人って、そういうものなんじゃないの?」 単刀直入に言いますね。疲れますよ。物凄く。 そもそも人は「重力」の下で生きていますから下へならば幾らでも落ちて行けるけれど、上昇するには忍耐も気力も要るんです。(実際は落ちるのにも体力と…

  • 意識しなければ「景色」として流れるだけ。

    「信じる者は救われる」と言うけれど、信じようとするという事はそれを「見よう」とするという事なんですよ。それを見ようとするからこそ気が付く事が出来るんです。 拾う事だって出来るんです。自分が意識するからこそ見付けようとするからこそ耳に留まり目に留まり見たいものに心を留められるんです。信じたいものがあるからこそ、流れる景色と取り留めの無い雑踏で信じたいものに反応する事が出来るんです。掬い取る事が出来るんです。

  • 今居る自分は、これまでの自分達に支えられて生きている。この先の自分は、これまでの自分達がこれからも支えて生きて行く。

    時に「死にたくなる」のが人生なら、偶に「生きたくなる」のも人生だ。どれだけ信じられなくなる事があっても、心傷付く事があったとしても、生きていれば大丈夫。生きていれば「大丈夫」になるチャンスが来る。

  • 「私」という魂は、【私】というこの子を幸せにする為に、この子の身体を選んだんです

    生きている理由が「死ぬのが怖いから」だとして、 それは多分、自分が居なくなるのが怖いという事でもあると思うんです。 命を断つ前に痛くて苦しい思いをするのが嫌だからだとも思うのです。 そのどれもはどうしたって、 あらゆる脅威から【自分を護ってあげたい】という気持ちが無ければ芽吹けない感情でもある筈です。 それだけの理由があるのなら、もう十分。 どうせ死んでしまえば、 この世のものは何一つとして持って行く事は出来ないんです。 地位も名誉も名声も。 お金も思い出の品もこの体も。 だから残していく者に【自分】を遺して行くのだとも思うんです。 記憶も声も表情も、 過ごした時間も感情も。 だから【今】生…

  • 螺旋階段のように巡って来る、二、三年に一度の試練

    自分は基本的に理由が無いと落ち込めない。 「何か分からないけど気分が落ちる」という事は滅多に無い。 掘り下げれば、そこにはいつだって明確な【訳】が繋がっているから。 だから「訳なく落ち込む」事はそうそう無い。 そして理由が分かっているからこそ、 落ち込んだり深く傷付いたとしても、 割とすぐに別の「角度」や「解釈」や「見解」を拾う事も出来るから、 それらは間も無く「気付き」や「学び」や「教訓」となって一日もあれば【感謝】に変わる。 一日掛けて消化されて、自分にとっての【栄養】に成る。 だから立ち直れないのは極めて稀。 逆に言えば、 立ち直れなくなるのはそれだけ心が切り詰めた時。 どんな解釈も角度…

  • 意識しなければ「景色」として流れるだけ。

    「信じる者は救われる」と言うけれど、信じようとするという事はそれを「見よう」とする事なんですよ。それを見ようとするからこそ気が付く事が出来るんです。 掬い上げて行けるんです。自分が意識するからこそ見付けようとするからこそ耳に留まり目に留まり見たいものに心を留められるんです。

  • 一秒前までは【敵】と認識していたものを【味方】にした瞬間の心強さと言うものは、一秒先に在る自分から見える景色を動かす程の起爆力を持つんです。

    相手の気持ちがどうこうと言うよりも、 要は自分の気持ちの【折り合い】なのだと思うのですよ。 妬みでも嫉みでも未練でも 干渉されるにしてもマウントを確保されるにしても、 つまりは【自分に関心を抱いている】故の行為であるという事にその理由は一貫されるのだと思うんです。 自分に対して莫大なエネルギーを使ってくれているという事であり、 自分に【意識】を置いてくれていると言う事。 その人の世界の一部に【自分】が存在するスペースを割いてくれているという事。 【意識する】と言う事は、 自分という存在が認められているという事でもあるのだと思います。 「無視出来ない」という事で、無関心でも居られない。 「心を…

  • 自意識の預かり知らぬところで勝手に動いて切り開いて、 「遊んで来てくれる」のが【感情】というものでもあるんです。

    この無人販売の荷車、可愛くないですか? フォルムといい、サイズ感といい、日除けとしてすだれが掛けられている姿といい、 空の青さと相まって、とても夏らしい雰囲気を感じるんですよね。 お会計用に置かれた木箱と三角型の屋根がまた、凄くレトロで素敵です。 こちらは休日のウォーキングルートでいつも通っている道なのですが 私が気付かなかったのか、そもそも置かれてなかったのか、 昨日や先週はこの荷車の存在にまったく気を留める事が無かったんですよ。 完全素通り。掠りもしない。 今日たまたま目が止まって、 「何だこれめっちゃ可愛いな」と思って写真に収めた訳ですが。 また別の天気、違う時間帯、異なる心の状態だった…

  • 口を突いて飛び出たもの

    何故か天井裏の通路を伝って腹這いで逃げていたり、かと思ったら刀持って見知らぬ敵と戦ったり、挙句の果てには宇宙に居て、とてつもなく大きな太陽が目の前で煌々と燃えていたり。今日もまたバラエティー豊富な夢達を次から次へとわんこ蕎麦並に展開された訳ですが、その中で自分が一番印象に残ったシーンがひとつ。どこかのライブハウスに居て多分、対バン会場で自分は見知らぬシンガーさんと話していて、次第に言葉に熱が入って会話がヒートアップして、若干喧嘩腰で自分が放った一言が『私の夢は翔真さんが夢を叶える姿を見る事です』いや、夢とは言え喧嘩腰で言う事じゃないだろ自分、と起きてから自己ツッコミしながらも、はっきり言い放っ…

  • 夢とは、脳が見せる幻。時には願望、時にはいつかの忘却された記憶の一部

    何の脈絡も取り留めもない話。自分って割と夢占いとか確認する事が多いんですよ。というのも【夢】って私が思うに、その日の出来事や記憶の整理、感情の総括として脳から見せられる以外に、 【潜在意識からのメッセージ】というイメージが凄く強いんです。【自分が意識していない自分】からの信号であり意思表示。だから日常生活の中で何かしらの「気付き」となったり「歯車」となったり、何かしらの「拾えるもの」の手段として、夢占いも参考にしているんです。まぁ、とは言っても、自分の場合は朝起きると大抵は夢の内容も、それどころか「夢を見た」という感覚でさえスッカラカンに消失しているので、朝はいつも出勤前の身支度と並行して【夢…

  • 皆さまも是非ご賞味下さい

    剛輝さんの上の名前がずっと読めなくてしかし何故かネットで調べようとは思わなくて「しゅうぞうさん?むねぞうさん?」と疑問符を展開しながら立ち寄った出勤前のローソンで、【Japanプライド宗像(むなかた)焼き海苔醤油】なる商品を見付けて思わず戦慄したという話。記念に宗像チップス買いました。忘れないよmic-aloneJ-Pop¥255provided courtesy of iTunes

  • 夏より冬派。敷いて言うなら秋が好き

    今日、会社で今年初めての麦茶を作りました。 もう熱い緑茶ではなく、アイスコーヒーや冷たいお茶をお客様にお出しする時期なんだなと給湯室で考えていたら、 まだ5月ではありますが、段々夏めいて来たと言うか、 いよいよ季節が本腰を上げて来たような感覚がしますね。 心まで衣替えした気分です。 ちなみに「エアコン」という代物が無かった我が家では、夏はもっぱら扇風機と冷えピタ、そして玄関&縁側全開で猛暑を凌いでおりました。 それ故か否かは不明ですが、 自分は暑いのが苦手です。 19歳の時に実家を離れ、引っ越した先のアパートにエアコンが設置されていた時の衝撃と感動は今でも忘れられません。

  • 他人を見て感じる感想や反応って、 そのまま自分の心の硬さや深層意識が透かし出されたものなんです。

    周りの笑顔や幸せそうな表情を見て心が綻んだり頬が緩んだり気持ちが柔らかくなれるのは、 「自分から見える景色」が明るくなるからだと思うんです。 例え自分に直接関係のない事でも情報でも、 縁もゆかりも無い赤の他人だとしても、 自分から見える世界って、自分の【一部】でもあるんです。 他人を見て感じる感想や反応って、 そのまま自分の心の硬さや深層意識が透かし出されたものなんです。 だから他人とは常に自分であって、 「私」は「あなた」でもあるんです。 だから自分から見える世界の一部が優しいと、 それを受け取る自分の心が優しいと、 自分まで救われた気持ちになれるんです。

  • 人ひとりが持つ「想像」の力を舐めるなよ。

    未来を想像しているのは、別に一人では無いんです。可能性を生んでいるのは、何も翔真さんだけでは無いんです。私達一人一人が、翔真さんの未来を生んでいます。人ひとりが思い描いている未来に、翔真さんの未来があるんです。その線上に居るのが今という時間軸でもある筈です。想像し続けられるのは、「信じたい未来」があるからだと思うんです。翔真さんが今どんな未来を思い描いているのか、私達にその景色を計り知る事は叶いませんが、これまで過ごして来た日々で、交わして来た交流で、共有して来た時間の中で、私達にも、「私達が信じたい未来」があります。それは、今自分に想像し得る最大限の景色です。そしてそれが翔真さんの想像する景…

  • 最早、子供の成長を見守る親戚のおばちゃんの気分です

    時折自分の口から溢れる悲鳴やらリアクションを切実に「煩い」と感じたのは久し振りですよ。自分の手使って物理的に声を押しとどめる程度にはテレビ以外の音が許せない時間だった。焦凍君の「なりたい自分になる為に」と「安心させられるようなヒーローになんなきゃな」に心の成長を感じてしまった。父親が云々以前に、自分はどうしたいかを言える様になってくれた焦凍君がおばちゃんは純粋に嬉しいよ。そして飯田君が格好良かった。兄の姿を常に目標にしていたりステインの言葉を刻んでいたり、彼は凄く誠実で素直な子なんだろうな。骨抜君やポニーちゃんの厚い人柄も感じたし、もうA組もB組も皆好きです。

  • 「理想」は自らの心をときめかせる【栄養】には成り得ても、 自分を落ち込ませる為の材料として使うものでは無いんです。

    想像する事により創造が成されるとするのなら、今生きているこの時って、「自分」を生み出している時間でもあると共に、【未来】をつくる時間ともなっているんです。理想を描く事で今すべき目標を定められるとするのなら、今ここにある現実って、理想への橋渡しをしている時間でもあるんです。理想とは本来、自らの活力を生む【源】です。目標とは元来、「理想」と「現実」を繋ぎ留めているものです。それは自身を見失わない為の【指標】となる事はあろうとも、「及ばぬ恋」として切り離して見るものでは無い筈です。「理想」は自らの心をときめかせる【栄養】には成り得ても、自分を落ち込ませる為の材料として使うものでは無いんです。

  • 「ライブ」って、アーティストと観客が互いの感情を【渡し合える】場所なのだと思います

    心の見通しを立てられる一番のものって、笑顔なのだと思うんです。人が最も可視化出来る【幸せ】が、笑顔でもあるのだと思うんです。そしてその笑顔になれる理由の一つに、きっと音楽はあります。俯いた視界に光を根差し、心を励ましてくれる切っ掛けの一つが、音楽でありアーティストでもある筈なんです。だけどアーティストもまた、一人のままでは笑えない。人は一人で笑顔になるのは難しい。誰かが笑顔をくれるからこそ、その感情を共有してもくれるからこそ、人は笑う事が出来るんです。心を緩める事が出来て、心を解放する事だって出来るんです。だから舞台というものがあります。ライブという場所があるんです。生でも配信でもテレビでも、…

  • 「想像する」という事は、可能性をひとつ増やすという事でもあるんです

    想像するという事は、 その瞬間、自分の中に「可能性」を生んでいるということ。 可能性を生める程の【現実】が既にここにあるということ。 可能性を生むということは、 道筋が一つ増えるということでもあるんです。 自分の中の道が一つ開かれる。 選択肢が開拓される。 考え得る最上段の未来を思い描いている今この時、 自分は間違いなくその未来の線上に居ます。 想像するという事は、 その人生の上に自分を乗せているという事であり、 その線上に今自分が「生き始めた」という事でもあるんです。

  • 親が『親』で居られる時間

    今の時世も相俟って、社会人10年を優に過ぎた今も尚、親から定期的に電話やメッセージを頂きます。仕事はどうか。休日は何をしているのか。体調を崩したりはしていないか。子から見れば、親はいつまで経とうと【親】ですし、親から見れば、子は幾つになろうと【子】でなくなる事は無いんですね。「幾つになっても心配を掛けてしまっているな」と思う一方で、社会人になり、親の手の届かない場所で暮らし、親が手を掛ける事もない年齢ともなった今、子を心配出来る事が、親を『親』で居させてあげられる一つの親孝行にもなるのかなと、そうであって欲しいなと、身勝手に祈ってしまう娘なのです。

  • 【今】を居てくれてありがとう。

    一秒前、一時間前、一ヶ月前の自分が居たから、今笑えている自分が居る。今の自分が居てくれるから、一分後、一日後、一年後の自分に笑顔を渡す事が出来る。だから、いつもありがとうね自分。

  • 未読でもなくブロックでもなく既読スルーというところ。

    前期からエンデヴァーの好感度爆上がりが止まりません。冬美さんのアシストで息子のアカウント取得するお父さん可愛くないですか。そして「既読スルーするな焦凍」にツボを連打された自分です。未読じゃなくて既読という所に焦凍君の律儀さと素直になり切れない部分が垣間見えて微笑ましさが八割増。もうね、轟家のやり取りはお互いを気に掛けているのが分かるからあのシーンが映えるんですよ。B組は拳藤ちゃんに次いでポニーちゃんが好きです。あんなに和やかで癒される怒り方があるんですか、めちゃくちゃ可愛いじゃないですか。更に言うならポニーちゃんの英語に英語で答える骨抜君が柔軟過ぎた。

  • 「あり触れた言葉」とは、誰もが何気も無く取り留めも無く、 意識せずとも頑張らずとも口にする事が出来る言葉であり、 【口に出来るようになった言葉】という事でもあるんです

    「あり触れている」って、 【あり溢れている】とも言い換える事が出来るのだと思います。 だから「あり触れた言葉」とは、 【あり溢れている言葉】とも言う事が出来る。 誰もが何気も無く取り留めも無く、 意識せずとも頑張らずとも口にする事が出来る言葉であり、 【口に出来るようになった言葉】なんです。 自然に「それ」が出来てしまうという事は、 「その言葉」を見付けられるという事は、 その言葉がその想いが日常が、 ベースにあるという事でもあるんです。 一度自分のベースと成ったものに気付く事は難しい。 自分の身になったものだから。 自分の一部になるという事は、 自分からは見難くもなるという事でもあると思うか…

  • 何だったらキウイと桃とパイナップルも好きですよ。

    銀行へ行き、先月分の小口と売掛金の処理を行い、伝票をさばき未払い金の入力と領収証の照合作業を完了させ、本社への書類発送と今年度分の社員の健康診断の日取り調整を済ませた午後3時30分。外から戻って来られた所長から、休み明け早々に『苺どら焼き』の差し入れを頂戴した自分です。「『苺狩り行きたい』って去年言ってたから、苺好きなのかなと思って」所長。それって多分、一年以上前に交わしたやり取りですよ。そんな何気ない内容を覚えて下さっていた事が一事務員は嬉しいです。所員として大切にしたいと思って下さっているのだなと、日毎に実感させられずには居られません。

  • あなた方という【命】の一つで居させてくれて、 本当にありがとうございます

    同時視聴者数200名様達成、並びに総視聴者数2,900名様突破おめでとうございます。声はその人の【気持ち】であるのと同じように、言葉はその人の人生を見せてくれるものだと思うんです。だから声の重なりとは【気持ちの重なり】で、歌詞含め曲含め歌声含め、歌の重なりとは【人生の重なり】でもあるのではないかと思います。作詞、作曲、歌い手、支えて下さる沢山のスタッフの方々。そして聴いて下さり支えて下さり応援して下さる人ひとりの掛け替えのない意思達。この時間が重なって、それぞれの人生が集束して、一つの楽曲は生まれるんですよね。ようやく歌は【命】を持つんですよね。その声を重ねてくれて、同じ時間を重ねてくれて、あ…

  • 悔しい思いが出来るという事は、 これから更に最高の景色を自分に用意してあげられるという事なんですよ

    悔しい思いが出来るという事は、【伸ばせるもの】があるという事。どうすれば自分を幸せにしてあげられるのか、それに自分自身が気付いてあげられているという事。自分に「こうさせてあげたい」、もしくは「こうさせてあげたかった」という意思が無ければ、そもそも「悔しい」なんて思えません。自分の為の「今」必要なものに気付いてあげられるという事は、それを伸ばしていけるチカラ、補填や矯正が出来るチカラ、その【お役】を担えるチカラを自分自身が持っているという事なんです。だから「気付いて」あげられるのだと思うんです。自分が自分に「教えてあげる」事が出来る。気付くって多分、【自分の声】に気が付く事なのではないかと思うん…

  • 作品しかり人生しかり、人は一人では「生きられない」

    漫画を読む。アニメを観る。映画を観賞し小説に浸り、音楽を聴きエッセイに心傾ける。それって、【相手の人生】を【自分の人生】に取り入れているという事なんですよね。会話でも作品でも相手の物語や事物を覗かせて頂くという事は、文字や音楽を通じて相手の人生を「経験させて頂いている」という事でもあるんです。他人って、自分では持ち得られなかった感覚や情動や展開といった「出合い」を経験して来てくれた自分自身の【片割れ】というイメージが私の中では強いんです。自分が見れなかった世界をその目で見て来てくれた人。経験して来てくれた人。そして言葉や作品は、相手の人生を垣間見る事の出来る【手段】でありその人の世界を行き来す…

  • 女か男か問う前に、自分は【自分】という世界で【一人】の人間です。

    白か黒かで区切るなんて味気無い事しなくて良い。男か女かで仕切るなんて洒落っ気の無い事もしなくて良い。そんな芸の無い事しなくて良い。正とか負とかポジティブだとかネガティブとか、誰かがつくった「二極化」で自分の価値を決めてやるな。常識や普通という しがらみに自分の視野を盗られるな。勝ちか負けか上か下か、優か劣か明か暗か。0か100のどちらかにしか自分を振る事が出来ない様な、そんな二種類でしか世界を見てやれない様な、自分をそんな「つまらないもの」にしてやるな。もっと複雑で繊細で「面白い」のが【自分】という人間だろう。

  • 田舎に居た頃ほど、ぺトリコールを感じられなくなってしまった事には些かの寂しさを感じますが、

    昔は雷を「神鳴り」と呼んで、雷とは神が鳴らせたもの。神の怒りであると信じられていたんですよね。春の嵐を繰り返しながら季節が移ろって行く様に、季節と季節の間にある不安定な雨嵐は、これから迎える夏への【お囃子】の様にも感じられて。だからなのか何なのか、今日の雨は一等好きです。少し変かも知れないけれど、ひやりとした空気の層も空から降ろされる薄幕の様な雨脚もしきりに走る稲光も何となく「守られている」ような感覚にさせられてしまうものだから、「傍に居てくれている」ような心持ちにもさせられるから、その雷鳴にも雨音にも光と音の不規則さにも、どこか安心さえしてしまうんです。

  • その人が言うと魔法の言葉になってしまう

    自発的に「きゅんです」と言った事は無いのですが、降谷さんの「きゅんです」だけは特枠で推輓させて下さい。何ですかあの優しい「きゅんです」は。約30分間、只でさえ終始頬を抑えながら放送を観賞していたのに、次回予告終わって油断した瞬間のあの台詞は不意打ちですよ変な声だって出ますよ。

  • 自己実現力

    上手く行かない事を時代のせいにするな。今の時代が順境なら、夢も順境に叶うのか。順風満帆な社会なら、自分も悔い無く生きれるのか。【運命】とは自分の命を運ぶ事。自分を運べるのは自分だけだ。上手く行かないのを時代のせいにする事は、はなから自分の力を信じていないのと同じ事だ。

  • 思想や心の遣い方というものは、そのまま表情の造形や瞳の形に反映されていくものです

    とある女性を見ていて、「本当にお綺麗な方だなぁ」と。お肌も艶々してて内から出る活力の様なものを感じて。そして目の形がとても柔らかい。「恋をすると綺麗になる」とは言いますが、内面の美しさと言うか【心の遣い方】というものは、そのまま外面の美しさや洗練さへと滲み出されるものですね。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、えみさんをフォローしませんか?

ハンドル名
えみさん
ブログタイトル
キツツキゲーム
フォロー
キツツキゲーム

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用