嵐山電鉄太秦広隆寺駅すぐそば、広隆寺。堂々たる仁王門。広隆寺は秦氏の氏寺。前回も説明したとおり、秦氏は百済から来た、渡来人でした。嵐山、太秦を居住地にしていた一族です。秦河勝という人物が聖徳太子から、半跏思惟像を賜り、ここに蜂岡寺と言うお寺を建てたと伝えられています(当時の寺領は北野白梅町辺りにあったらしい)。それが現在の広隆寺です。京都最古のお寺。境内。正面に見えるのは上宮王院太子殿。聖徳太子を...
今回は少し前に訪れた太秦について書きます。太秦といえば古くは秦氏が住んでいたところ。彼らは百済から来た渡来人だといわれています。太秦の「秦」は秦氏の「秦」です。秦氏は養蚕を得意とした一族で、その昔、絹織物を朝廷によく献上していました。太秦はその布がうずたかく積まれていた様子から名づけられたといわれています。おそらく、のちに西陣織がこの太秦からそう遠くない西陣の地でブレイクしたのも、この地で秦氏が養...
今日は用事で七条の辺りへ行ってきました。帰り道鴨川沿いの風景を紹介します。最近梅雨いりして、先週もほぼ一週間雨でしたが、今日は晴れ、気温も高めです。ここは五条大橋のたもと。五条大橋と言えば牛若丸と弁慶が戦った場所。当時の五条大橋はここより少し北にある、松原橋の辺りに位置していたそうです。松原橋。四条大橋北からの写真。カップルが等間隔で並んでいます。三条大橋。三条河原は昔、在任を処刑したり、さらし首...
とある日の下鴨神社。天気は雨。今回は下鴨神社とみたらし団子の起源について語りたいと思います。実はみたらし団子はここ下鴨神社の御手洗池で後醍醐天皇が見た5つの泡のエピソードが由来なのです。後醍醐天皇といえば、鎌倉幕府を倒し、南北朝時代には、南朝の天皇として吉野を拠点にしていた天皇ですが、まだ鎌倉幕府があった時代、この下鴨神社に御幸されたことがありました。この川が御手洗川、御手洗池とも言います。奥にあ...
京都国立博物館で開催していた「鑑真和上と戒律のあゆみ」展に行ってきました。緊急事態宣言の関係でしばらく休館になっていましたが、12日水曜日から再開され、16日まで開催されていました。今回はこの展覧会で個人的に注目した展示について紹介してゆきたいと思います。鑑真和上坐像 唐招提寺蔵まずはこの展覧会の看板にも載っている鑑真像です。驚くべき写実性。奈良時代の作品ですが、これほどまでに写実的な作品は、これ以前...
伏見稲荷大社といえば京都の観光名所の中では1,2位を争うほどの人気の場所。実は私は京都に来て4年がたちますが、一度も行ったことがありませんでした。偶然この日は京都国立博物館で授業があり、その後の予定も特になかったため、自転車を十分ほど走らせ、伏見稲荷へ。それにしても、東山区から、この伏見稲荷にかけては、観光名所が多い。三十三間堂、東福寺、泉湧寺、伏見稲荷などなど。昔からこの辺りは貴族の別荘地として人気...
今回の河内長野旅行のメインイヴェント。4月17日、観心寺如意輪観音像の特別公開。毎年四月中旬の2日のみ公開されます。長い間待ったこの日。国宝観心寺如意輪観音像は平安時代初期につくられました。空海が彫ったと伝えられています。観心寺のお土産の写真より。高校の教科書にも載っているこの仏様。平安初期といえば、女性らしさが強い観音像が流行した時代。法華寺の十一面観音や、こちらの如意輪観音がその代表格。一方で神護...
河内長野駅からバスで滝畑ダム行き。終点滝畑ダムまで40分ほどかかります。今回向かうのは岩湧山。大阪と和歌山の県境に位置しています。頂上のススキの野原(秋)で有名で、標高897メートル。家族連れでも登れる山です。バスの中から。滝畑ダム。滝畑ダムバス停。個々から南へ1キロほど歩きます。まだ若干桜が残っています。登山口。時刻は14時過ぎごろ。序盤は結構急な坂。鉄塔。ここまで50分くらい。もうそろそろ頂上かと思った...
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