少し前ですが、河内長野へ行ったときの事を書きます。4月16,17の1泊2日で行きました。河内長野市は大阪の南の端。南は和歌山県橋本市、東は奈良県五條市と隣接しています。大阪の中では犯罪発生率が一番低く、治安がいい町だそう。山に囲まれていて、自然豊かなのも特徴。河内長野駅。京都、出町柳駅から約二時間。駅前。結構都会。歩道橋から。向こう側は山になっています。現在、午後0時。この日は岩湧山に登る予定ですが、バス...
京都大学から銀閣寺へ向かう道、今出川通りから少し細い道を入ったところに古くは京大の学生寮だった、光華寮があります。現在は誰も住んでいません。戦前にできたもので、中学人留学生のための寮だったようです。1950年ごろ中華民国(台湾)が購入。文化大革命の影響で寮生間に対立が生じると、中華民国は中国人留学生8名の立ち退きを裁判所に提訴しました。立ち退きを命じられたのは中華人民共和国の学生でしょうか。悪名高き文...
谷崎潤一郎『少将滋幹の母』大学一年生のとき、日本文学の授業で読まされました。その頃はあまりなんとも思いませんでしたが、最近また読んでみるとまた違った印象を受けました。平安時代を舞台にした歴史小説みたいな感じですが、登場人物一人ひとりが生き生きとしている感じがします。主な登場人物は4人、滋幹と、父国経、そして藤原時平と遊び人平中。それぞれがどこか憎めない人物として描かれている一方で、人間の醜さと言う...
曼殊院天満宮を出て、東側に曼殊院門跡があります。曼殊院門跡は古くは竹之内門跡と呼ばれていました。この辺りの地名が「竹之内」だったそう。よく知られた門跡寺院ではありますが、観光客は少なめ(秋の紅葉シーズンは多いかも)。有名寺院にある威張った感じがない、とどこかの本で紹介されていました。お寺と言うよりは公家のお屋敷。門跡寺院は、皇族出身の人たちがたくさん入ったお寺なのでこういう雰囲気が出るのでしょうか...
前回の続き鷺森神社から曼殊院通りに出て東へ。曼殊院門跡、曼殊院天満宮に行きます。曼殊院通り。左側に見える山が比叡山です。この辺りは歴史保全地域に指定されているところもあり、とてものどかな風景が広がっています。曼殊院門跡の勅使門が見えてきます。左側に曼殊院天満宮こちらの正面にあるほうは弁天堂です。天神様(菅原道真)が祭られているのは、右側。こちらの建物です。人も少なく、静かな場所。のどかな日曜日の午...
修学院駅から東へ。白川通りを渡り、坂を上ってゆきます。鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)の鳥居。鷺森神社の祭神はスサノオ。もとは比叡山のふもと、赤山という地域にあったそうですが応仁の乱の影響、また、後水尾天皇の修学院離宮造営の関係で現在地に移ってきたそうです。鳥居をくぐり、しばらく行くと鷺森神社の舞台。本殿。両側にアマテラス、熊野大明神、住吉大明神、八幡神が祭られています。スサノオが櫛名田比売命(クシ...
修学院離宮があることで有名なこの辺り。比叡山のふもと。曼殊院門跡や円光寺、赤禅門院など有名な観光地がたくさんあります。修学院駅。観光目的で来る人はこのえき...
近所の下鴨神社。ランニングついでに寄ってみました。夜行く人はいないと思いますが、ライトアップされています。中には入れません。相生社もライトアップ。縁結びの社です。私事ですが、先週大学院の入学式がありました。これから少し忙しくなりそうなので、しばらくは近場の記事がメインになるかもしれません。下鴨神社はいろんな歴史や逸話がある神社なので後々詳しく取り上げたいと思います。...
奈良の大仏はなんのためにつくられたのか仮説ー藤原仲麻呂がつくった?
奈良の大仏の造立を命じた天皇は誰でしょうか。正解は聖武天皇です。一般的な解釈では、大仏の造営は世の中の平穏のためと考えられています。もちろん当時は疫病や自然災害などに悩まされた時代ですから、そういった意味もあったでしょう。しかし、彼の思想を考え合わせると別の考え方ができるのではないかと思うのです。そしてもうひとつ私が疑問に思っているのは、現在の奈良の大仏は、本当に聖武天皇の理想にかなったものだった...
法華堂から次は大仏殿へ。300メートルくらいです。大仏殿は5時半まであいていますが、法華堂は4時に閉まってしまうので先に行きました。大仏殿と東大寺ミュージアムの共通券、千円(東大寺ミュージアムも5時半まで)。やっぱりでかい大仏殿。中学生のときに一度来たことがあるのですが、やっぱりこの大きさには圧倒されます。おなじみ奈良の大仏。良くこんな大きなものが作れたもんだ。日本の人口の約半分が関わりました。人...
東大寺法華堂。東大寺の敷地の東側のエリア、二月堂がある辺りにあります。東大寺に残っている建物の中では最も古いものです。別名三月堂。ここにいらっしゃるのが、国宝不空羂索観音像。学校の教科書にも載っている超メジャーなお方です。法華堂パンフレットより。私は見るのは初めて。受付で拝観料600円を払い、中へ入ります。中は天井が高く、薄暗いお堂になっていて、そこに巨大な仏像が9体並んでいます。全部大体3メートル...
大安寺周辺を歩きます。大安寺は古くは南都七大寺のひとつであり、広大な敷地を有していました。現在の大安寺の敷地はそのほんの一部。この周辺には、旧大安寺の遺跡が多く残っています。(因みに南都七大寺とは東大寺、興福寺、西大寺、法隆寺、元興寺、薬師寺、大安寺の七つの寺の総称です。)それとこのあたりは神社が多いのも特徴です。大安寺から南へ。西大寺東塔跡。西塔跡。奈良は京都と違って、空き地が多くて開放感があり...
引用元:病気平愈・癌封じの祈祷やお守り 大安寺 南都七大寺 仏像奈良、大安寺の馬頭観音像。3月いっぱいまで特別公開されていました。3月30日火曜日、見に行きました。JR京終駅から徒歩10分。平日でしたが、人はちらほらといった感じ。大安寺境内。大安寺本堂。ここには有名な十一面観音がいらっしゃいますが、普段は非公開。御簾の内側であまりはっきりとは見ることができません。いななぎ堂。こちらに馬頭観音がいらっしゃい...
本法寺、妙蓮寺周辺と帰り道寺の内通り。赤穂浪士46人の遺髪塔跡。堀川通り沿いにあります。ここには昔、瑞光院というお寺があったそうですが、その瑞光院のお坊さん、宗海禅師が切腹した赤穂浪士46人の遺髪を彼らの主君、浅井長矩の墳墓の傍らに埋め、遺髪塔をつくったそうです。瑞光院は現在、山科に移り(毘沙門堂の南)、遺髪塔、浅野長矩の墓もそちらにあるそうです。慈受院。こちらも堀川通り沿いにあります。門跡寺院。中に...
「ブログリーダー」を活用して、かまぼこさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。