・「奥村さんて玉子好きだんだね。玉子、四つも食べてったよ」「ああ」「風邪薬ってさ、車運転するなら飲まないほうがいいんだよね。大丈夫なのかな、あの人」「ああ」 適当に相槌をうつ。 満腹だった。 それでいながら土鍋に残った板こんにゃくをおたまで掬う。器に移したこんにゃくは、煮汁に染められて薄茶色。濁った色。ガブリとかじると歯型がついた。 おでんはつい、多めに作ってしまうらしい。我が家は二人だけ。食べ...
オリジナル恋愛小説。O&O。H。となりに住んでるセンセイ。ワレワレはケッコンしません。など。
コツコツと執筆中。 北海道を舞台にしたものが多めです。
・「奥村さんて玉子好きだんだね。玉子、四つも食べてったよ」「ああ」「風邪薬ってさ、車運転するなら飲まないほうがいいんだよね。大丈夫なのかな、あの人」「ああ」 適当に相槌をうつ。 満腹だった。 それでいながら土鍋に残った板こんにゃくをおたまで掬う。器に移したこんにゃくは、煮汁に染められて薄茶色。濁った色。ガブリとかじると歯型がついた。 おでんはつい、多めに作ってしまうらしい。我が家は二人だけ。食べ...
家はすぐそこだ。五階建てのマンションは。 頭を傾げてフロントガラスから夜空を覗き込めば、ぽつぽつぽつと瞬く星たち。明日も晴れるのだろう。 例年ならば道路には雪が積もっている。けれど今年はまだそれがない。外の世界を包んでいるのは、冷たい空気だけだった。 狭い路地の面にヘッドライトがますます眩しい。自宅マンション前にすうと車が走りこんでいき、慌てて声をあげた。「あ。俺んちここ。停めて」「え、ここです...
シートに預けたままの身体がぶるぶると小刻みに揺れている。 いままで気にならなかったのに、停止中のエンジン音がうるさい。 彼女がいるのかと尋ねたら、運転手が大人しくなってしまったのはなぜか。 焦ってしまって話題を変える。「こ、この車さあ。高かったんじゃないの? ねえ? 新車でしょ」 あー。と運転手は生返事。「いや、新車でなくて中古なんです。綺麗なんでみんなそうなのかって聞きますけど。前の人が、なんぼ...
結局、車の鍵は見つからなかった。 (薬屋店員でありながら)朝から咳をしている男に、何十分も徒労をさせてしまった。それなのに奴は、家まで車で送ってくれると言う。「あのー。奥村。ウチに寄ってってあれだ。メシ、食ってきな」 そう誘ったのは奴が不憫に思えたからだ。 独身の一人暮らし。 どうせ、適当なものばかり食べているのだろう。不規則な生活をしているだろうから体調も崩しやすい。風邪をひいている今は大人し...
このお話は番外編となります。語り手は、いつもの主人公二人ではありません。それでも、二人に関わることも記してありますし、これからのストーリーにも関係する話題が出てきます。六章を読む前に是非、読んでいただきたいと思います。・・・ ええっ? と携帯電話の向こうで、困惑声。 大きく言われたものだからギョッとしてしまった。 隣を、気にしてしまった。 思わず声をひそめてしまう。「なにが『ええっ?』よ。いいべや...
・ 垂れ落ちそうな鼻水をすする。 テレビ塔の方角に向かって歩いていた。うつむきながら。 風が強く曇り空であっても、この公園には常に人がいる。髪が長くてよかった。うつむいていると、うまい具合に表情を隠してくれる。 かかとの高い靴で踏み行く自分の足音が、うるさい。歩くたび、こめかみがズキズキと痛む。泣きすぎてしまった。 言ったとおり、そのとおり、奥村は追いかけてこない。 心臓がうるさい。動悸が激しい...
(もう、こういうのが嫌になった) そう告げても奥村は動じていない。こちらを真っすぐに見つめてくる。 どうしても直視できず、その人から顔をそむけてしまった。 この人の前から、いなくなってしまいたいと思った。「だから、別れるのか?」 奥村の声は落ちついていた。 諭すように、ゆっくりとした話し方。「……ウン」 小さくうなずく。自分でもびっくりするくらい子供みたいな声で、うなずく。「もう、嫌になっちゃったか...
「――あたし。そんなこと、言った?」 ぼろぼろとこぼれる涙を拭うこともせず、奥村の横顔を見つめていた。 土埃の匂い。風は、休みなく吹きつけてくる。自分の髪に触れるとごわごわした。「うん。言ったね」 言いながら、奥村がこちらをのぞき込んでくる。困ったような、呆れたような、笑っているような、そんな顔で。「なんて言ったらいいんだろう。あの時は。まあ情けないんだけど母親がね、そういう事になったって聞いて、グ...
「でも、あいつがさ。俺にそういう事頼んでくるくらいだから、よっぽど切羽つまってたんだろうなって思ったんだ? 見たとおりだけど、あいつ気ぃ強いでしょ? めったに弱いところなんて見せない奴だったから」 情はあるよ。 と、奥村。「もうとっくに別れたって言ってもさ。一時は好きだな、いいな、って思ってた女だから。やっぱり情はあるよ。少しは残ってるよ。かわいそうだから俺が助けてやりたいって気持ちは、やっぱり、あ...
ケージの中に二人きり。今度は本当に。 灰色の絨毯で囲まれた狭い箱の中に、二人きり。「なに、するの?」 やっと抗議が出来た。奥村に、手を握られたままであっても。「なにするの? あたし、これから外回り行かなきゃいけないんだけど」「あそう。だから何」 一回ぐらいサボれば? と、しれっと吐かれる。「なに、言ってるの? そんなこと、出来るわけないでしょう」「いいから」 言いながらまた、奥村が手を握り締めてく...
まわりから注目を浴びていたことを今になって知る。事務所に人間が少ないぶん目立っていたのだ。 そそくさとホワイトボードへ移る。自分の名字の横に赤いマグネットを貼り付ける。資料の入った茶封筒を抱えて事務所から出れば、来訪者は黙って後をついてきた。 昼休みにはまだ少し早い。ほかに誰も出てきていない廊下の壁には、社で大々的に宣伝している総合保険のポスター。社がマスコットにしてある有名なキャラクターのポス...
「陽子?」 母の呼ぶ声に動揺する。「誰だったの?」 水の流れる音がしていた。 母は台所でまだ食事の仕度を続けているのだろうか。そう思っても、振り返って確認することが出来ない。涙はこぼれていなくても、絶対に普通の顔をしていないから。「や、ただの間違い電話」 つとめて、明るく答えていた。「ふーん? まあいいや、陽子あんたお茶碗にご飯よそって? もうおかずも出来たから」「いやごめん。あたし髪、乾かさなきゃ...
「あ」 たった一音だけ。 あ。 電話の向こうから聞こえてきた声に、心臓がやかましくなった。ほんとうに一音だけ。それだけで、相手が誰なのかが分かってしまう。 不意打ちだった。 携帯ではなく、自宅にかけてくるなんて。 ここにかけてくるなんて、初めてではないだろうか。奴が家の電話番号を知っていたことが意外だった。ずっと携帯だけでやりとりをしていたから。 虚をつかれたあとにやってきたのは、何とも言えない気...
「ねえ。すごい匂いなんだけど。今日、魚?」 濡れた髪をバスタオルで拭きながら、台所に立つ母へ声をかける。換気扇が回っているのに居間は、焼き魚の匂いでいっぱいだった。台所と繋がっている居間は。 ソファに座って新聞を読んでいる父の髪は、すでに乾いていた。入浴を済ましていないのは、夜食の仕度をしている母だけだ。「今日ね、スーパーで特別、サンマ安かったんだわ。一匹五十円」「あー安いね」「もうサンマ安い時期...
バーバリーチェックの傘を、ぱんと広げる。 雨足は衰えていない。それどころか、前よりひどくなったかも知れない。 ひんやりした空気が頬にふれたとたん、鼻がつんとしてきた。涙がぶわりと溢れてきた。 ここは人も車も滅多に通らない、狭い脇道だ。それでも、傘で顔を隠して歩き出す。次々とこぼれていく涙を、鼻をすすりながら拭う。 ボトムパンツの裾がすでに冷たくて不愉快だ。雨水でびしゃびしゃに濡れた路面は容赦ない...
「でも。相手とは別れろって。そうしなきゃサインしないって高志には、言われたけど」 小野真知子の何度目かの「ごめん」を聞きながら、おしぼりをテーブルに落としていた。 ばさりと、わざと乱暴に。 拭ったはずの手は全然すっきりしていなかった。それどころかまた冷たく湿っていくから不快。 温かなおしぼりに触れていたはずなのに。「――よかったんじゃないですか? まあ、奥村は? 誰にでも優しいから? 頼まれると嫌と言...
自分のことではない。奥村とのことでもない。 けれど衝撃的だった。 視線が落ち着きなくさまよってしまう。向かいの唇を見たり。その下の手を見たり。テーブルに広げていた総合保険のパンフレットを見たり。隅に置かれた灰皿を見たり。「あたし。考えなし、だったからさ。妊娠したって分かった時はすぐ、いいや、だったら堕ろしてしまおうって、簡単に。そう、簡単に思ってたのね」 病院行って手術して。それで済むんだったら...
滴したたった傘が、陶器のレインラックへおさめられていった。二本続けざまに。 木製ドアを開ければ、コーヒーの香りが強く主張してくる。雨で少し濡れた肩先が、じわり温かくなっていく。 店に入るなり小野真知子が囁いてきた。「お客さん、誰もいないね」 ドアを閉めても聞こえてくる雨音。ここではバックミュージックなんてものを流していない。静かな店にいたのは彼女の言う通り、たった一人だけ。マスターだけだった。 ...
・ 体調の変化は予想通り。トイレの個室で確認しても驚かなかった。 鍵を外してドアを開ければ、同時に隣のドアも開く。「小野さん」も出てくる。それぞれの背後から、勢いある流水音。 目が、合ってしまった。 けれどどうしていいか分からず、とりあえずの会釈をするしかない。 「小野さん」は自分の耳たぶにふれていた。厚みのないそこには、小さなピアスがくっついていた。小さな白い、真珠のピアスが。 赤い唇をにゅ...
どうもおかしい。 と感じたのは大通付近を歩いていた時だ。 もしかしてそう。やっぱり生理になったのかもしれない。 馬鹿だ。先ほどトイレに入った時に、あらかじめ仕込んでおけばよかった。いつそうなっても構わないように。 目当てのビルはすぐそこだった。 早足にエントランスへ向かえば、地面で勢いよくはね上がる水がつめたい。ボトムパンツの裾も濡れて重い。これだから雨の日は。 ビルの自動ドア前で、バーバリーチ...
トイレに駆けこんだのは、下腹部に違和感があったからだ。 生理が近いと落ちつかない。身につける服にも気を使ってしまう。こんなものは早く過ぎ去ってもらってホッとしたい。気を使う日々から抜け出したい。 なぜ女にはこんなものがあるのだろう。 けれど他の人のように頭痛があるわけでもない。仕事をしていられないほどの腹痛があるわけでもない。でも気が重い。腰回りも重い。だるい。 結局、生理ではなかった。 個室に...
うつ伏せのままだった。テーブルの感触が、硬い。痛い。 テレビコマーシャルの音声が、背中にびりびりとぶつかってくる。そのコミカルなメロディが一転して、急迫してくるかのような曲調。 なのに奥村は能天気だった。「あ。土曜ワイド劇場」 これ、昔けっこう見てたんだよね。家族全員で。奥村家総動員で。って言っても四人しかいないけど。「え。奥村んちの愉快なご家族が? 見ちゃってたんだ、昔の素敵な土ワイを」「そう...
窓に雨がぶつかる音。テレビコマーシャルの音。アルコールのにおい。スナック菓子と燻製珍味の塩辛いにおい。それとは別に、誰かの甘い香り。 何だろうこの香り。いい香り。 顔も手足も、ほかほかと温まっていた。うつ伏せに覆っていたテーブルを硬く感じていたのに、今はそうでもなかった。ふわふわと、気持ちよくなっていた。 暗くなり明るくなり、そしてまた暗くなりを繰り返す視界。閉じたまぶたの裏が一瞬明るくなるのは...
・ 歩けば床が、ぎしりと鳴いた。 きれいなものというのは不思議で、目にしただけで幸せな気持ちになってしまう。あたり一面が、キラキラ光るガラスの世界。いまにも降りだしてきそうな外の空とは大違い。 慎重に歩かないと、ぶつかって商品を落としてしまいそうだ。通路は狭い。 店内の向こう。ガラス越しに、小さな工房も見えている。ここは函館硝子明治館。 細長いブルーのグラスを手にとってみれば、案外と重い。底...
「いやいや、かわいそうな陽子ちゃん。山本に遠慮してはっきり言えないでいるのだね? きみって意外と思いやりあるよね。そういうとこは偉いよね」 奥村の吐く台詞がすべて、薄っぺらく聞こえてしまう。 から威張りしているように思えてならない。「もういいから奥村は。たらたら喋ってないで早く注文決めろや」 呆れ返ってしまっている山本に、奥村がクッと苦笑い。言われたとおりに黙って、ぱらぱらりとメニューをめくり始め...
◇「奥村くん、ちょっと痩せた?」 向かいから、やわらかな声が聞こえてはっとする。 考えごとをしていた。ぼんやりしていた。「そうかあ? 痩せた?」 隣で、奥村が自分の顔を撫でていた。服が擦れあうほどそばにいるから、動くだけで肘もぶつかってしまう。「うん。痩せた。なんかね? 顔がこう、シャープになって素敵になった」 素敵になった。 なんて、恥ずかしくてなかなか言えない台詞を、照れもなく口にしてしまえる...
◇ あと一分で発車します、という車掌のアナウンス。窓の外に見えている札幌駅のホーム。車両の通路をせかせかと移動していく乗客たち。 指定席禁煙車はいつの間にか、大部分が埋まっていた。どこからともなく漂ってくる美味しそうなにおいは、朝食をとりはじめた各座席からだろう。 発車のベルが鳴り、ホームの自販機や売店がゆっくり離れていってしまっても、奥村は戻ってこなかった。 不安になって立ち上がった時、前方...
目の前は壁。 フックから吊り下げられた、シルバーグレイのジャケット。 どれくらい時間が経ったのだろう。ようやく入ってきた奥村の声は、知らない人のような違和感があった。かしこまったような低い声。「あの、小笠原?」 うん。 と返事をすれば、かすかな笑い声が携帯から伝わってくる。戸惑ったような、それでいて照れくさそうな笑い声が。 奥村はいま、どこにいるのだろう。電話の向こうが静かすぎる。会話が途切れて...
思いきり閉じてしまえば、分厚い背表紙が文字どおりの音をたてる。ぱたん。 見えなくなったいくつかの寄せ書き。見えなくなった「飯田詩織」。 着信音が聞こえた気がしたのは、卒業アルバムをケースカバーに入れていた時だった。 ああ電話。と小さくつぶやく。 誰からだろう。とぼんやり思う。 妙に遅鈍だった。耳からの情報が脳へ伝わるのも。それに繋がった考えを生み出すのも。 夜も更けている。こんな時間に電話をかけ...
乳白色の湯に浸かりながら、なぜか昔のことを振り返っていた。小学校時代のことを。 記憶にかすんでしまっている子供たち。浮かんでくる顔はのっぺらぼうばかりで、名前がもう出てこない。愛称は覚えていても、フルネームが出てこない。 そういえば「オガ」と呼ばれていた。ノッポのオガ。 あの頃好きだった山本学の顔はどんなだったか。あの時の自分の声はどんなだったか。 掘り起こしても掘り起こしても、思い出すことがで...
「だって俺、あれと仲良かったからね。大学出てからほとんど連絡とってなかったにしてもさ」 落合が左手の指で頬を掻いている。 そりゃあ。「……そりゃあ、びびったでしょうよ。昔付き合ってたのが、知り合いの彼女になってたら、さ」「うん。びびった」「あたしだってそうだよ。あんたと奥村が、仲よかったっていうの聞いて、同じぐらいに多分、びびったよ?」 足元で鳩が、相変わらずくぐもった鳴き声をあげている。 公園の真...
・「あのさあ。俺、びっくりしてんだけど」 陽子お前、オノマチと知り合いだったんだな。 と、かすれ声で落合が話しかけてくる。 異常なくらい早まっていた鼓動を落ち着かせようと、ゆっくり右隣へ目を向けてみる。 焼肉弁当の容器の中は、いつの間にか空っぽだ。 オノマチという人はもう、近くにはいない。 すみません立ち話しちゃって会社戻りましょうか。と、連れの男性と行ってしまったから。颯爽と、かかとの高い靴の...
オノマチ。 誰だろうと思って落合の視線を追えば、まん前の歩道。平べったい石畳のうえを、男女二人組が歩いているところだった。 そろって黒のスーツを着た二人組。距離を取っているからそれほど親しくはないのだろう。両者とも、手にはぷっくり膨らんで重そうなカバン。並んで歩いているのはおそらく仕事の関係上。 視線は自然と、同性に向かっていた。颯爽と歩く女性のほうに。 いさぎよく耳を出したベリーショートの髪型...
・ いらっしゃいませ。と呼びかけてくる売り子の前を抜けていく。 ここはお腹の空く匂いしかしなかった。地下の食料品売り場は明るかった。白っぽい床。白っぽい天井。ガラスケースの中の惣菜。並べられた弁当。 でもそれらなんて、ほとんど見ていなかった。「歩くの早いね」 感心したように背後から囁かれる。 久しぶりに聞くかすれ声がこそばゆく感じる。あんたから離れたいから早く歩いてるんだけど。とは告げず、黙々と...
茉奈と鉢合わせしたのは、JR札幌駅へ着いた時だった。乗っていた電車がホームへ入線し、ドアが開いたまさにその時。 男が彼女と一緒だった。四十代なのか五十代なのか六十代なのか。年齢不詳なうえ、線の細い男だった。 頬はこけ、顔色も決して良くない。頭髪は不自然なくらい豊かなのに、眉毛がない。その男の、色褪せた黒いダウンジャケットの腕を、茉奈が抱えこむように掴んでいた。 突如飛び込んできた光景を目にして絶句...
ところで、そろそろ生後1カ月となる男の子は『レン』と名付けたそうだ。どんな漢字をあてたのか聞けば、音楽家・滝レンタロウの『レン』だと言う。 はて。滝レンタロウ? たちまち『荒城の月』のメロディーが頭に奏で出したというのに、「レンタロウ」の漢字は出てこない。連タロウ。蓮タロウ。廉タロウ。一体どれだっていうのだ。まあ、あとで調べれば分かるだろう。 電話の向こうにはおそらく、近くに奥村さんがいるはずだ...
パタン、と自室のドアを閉めてひとりきりになってから受けた電話。「あ、もしもし愛? あたし。陽子だけど。メールどうもありがとね」 向こうの第一声はふだんから話し慣れた友達みたいなノリだった。 何年も口をきいていなかった相手から電話がかかってきたのだ。こんなあたしでもそれなりに緊張した。多分しょっぱなから気まずい流れになるだろうから、どう明るく持っていこうか。リビングから自室へ向かいながらそんなこ...
ママの携帯電話の中にいた陽子ちゃんは相変わらず綺麗だった。結わえた髪が少し乱れていようが、パジャマ風のダサい服を着ていようが、それでも綺麗。 陽子ちゃんと会わなくなってしまったのは、奥村さんとのことがあったからに他ならない。 あたしが奥村さんを好きで。 陽子ちゃんも明らかに好きで。 結局、奥村さんも陽子ちゃんのことを好きだと分かって、それで疎遠。それまでは従姉妹どうし、それなりに仲良くやってい...
・「俺、十月から函館に異動になったんだわ」 そう告げられても、すぐには受け入れられなかった。ぽかんとしたまま右隣を見つめていた。奥村の視線の先は、ほの暗い木々に覆われた大通公園。 ふふっと鼻で笑って、もう一度ぱちんと向こうの腕を叩いてやった。「やだな、何言ってるんですか奥村さんは」「いやいやいや」 えくぼを浮かべたのはほんの一瞬。奥村は唇を噛みしめていた。「あのー、きみね? そうやって冗談みたい...
入浴剤で乳白色になっていた湯は、青林檎の香り。 浴室をやわらかく満たしていたその香りは、髪にシャンプーを泡立てたらかすんでしまった。トリートメントをなじませたら、ほとんど分からなくなってしまった。 奥村の部屋でおかしな発見をしたことを、いまさら振り返ってみる。退院する数日前に頼まれて、衣類やら何やらをかわりに取りに行ってあげた時のことを。 何冊かの雑誌が置かれてあったテーブル。パッと目に付いてし...
「あれ。あんた、意外と早く帰ってきたんでしょ」 振り返るなり母が声をかけてくる。返事はせず、ただ小さくうなずいてみせた。 短く切り、パーマをかけたばかりの母の髪が濡れている。風呂に入ったのだろう。化粧水やら美容液やらを塗りたくったらしい顔も、つやつやと光っていた。 居間に父の姿はない。もしかして入浴中なのかもしれないが、どうなのだろう。最近、あのひとは帰りが遅い。この前は炭火焼き屋に行ったとかなん...
「はい?」 頭の中で疑問符が飛び交う。 まただ。またこの台詞。 あの頃に戻りたい。「……もう。あの、ちょっとさ。何なの奥村は。今日ほんっとに変なんですけど」 まだ酔いが抜けてないんじゃない? しっかり! ぱしんと右隣の腕を叩いてみれば、聞こえてきたのはハハハという空笑い。「あー」だの「うーん」だのいう意味不明な唸り声。 何度か咳払いもしていた。鼻の頭を指でこすったり、短い髪をくしゃくしゃにいじったり...
ずっと大人しかった。 もう少しだけ俺といて。とりあえずおいで。一緒に歩こう。 神妙な態度でそんなことを言ったきり、奥村は押し黙っていた。 乾いた地面を蹴りあげて、とんがった音を響かせるヒール。足元に目を落とせば、一緒に映った右の革靴。奥村の、黒い革靴。少し引きずっている足。けれど松葉杖を使っていた頃に比べれば、かなり早まった歩調。 靴音を奏でているのは自分たちだけではなかった。後ろから前から。何...
・ 奥村の目はずっと、涙をふくんだまま濡れていた。橙色の淡い光の下でも分かる酔いどれ顔。けれど正気だと言う。確かに酔ってはいるが正気だと言う。 おちゃらけていながらも、今夜は妙に優しい。不自然におだててくる。 優しくされるのは嬉しい。甘い言葉を囁かれるのも、照れくさいけれど本音は嬉しい。でも奥村からされると、何だか調子が狂うのだ。 これは何かある。この裏には何かある。 そう勘ぐっても奥村はその何...
ワン・ワン・ワン。11月1日(犬の日)に、陽子ちゃんが札幌の病院で男の子を出産していたとのこと。 陽子ちゃんが妊娠していたことは、ハトヤ長男氏と茉奈さんの結婚披露宴の時に知らされていた。奥村さんの口から。 当時の陽子ちゃんはつわりのせいで入院していたらしいけれど。 その後どうなったのか、気にかけてはいたのだ。 陽子ちゃんてば無事退院して住まいのある東京(千葉だっけ?)へ行けたのかな? とか。 赤ち...
ガチャン、バタンと玄関のほうから物音がする。 誰かが帰ってきた。パパとママのどちらかだ。「タキさぁん? もう七時だけどまだ居らっしゃるの? なにか作業してても途中のままでいいですからね? 早くあがってくださいね?」 のんびりした口調で分かった。ドアを開けてこのリビングへ入ってこようとしているのはママだと。 現れたのはやっぱりいつものコートだった。モヘア混の黒いロングコート。 零度を下回るようにな...
こうしてらんない! 次いかないと! ――なんて決意したところで、そう簡単にはいかないのだった。 惹かれる人はなかなかどうして現れない。 ・『範國さん。今日はどうもありがとうございました。範國さんがオススメしてくださったお店の食事もとても美味しかったです。でも、今日実際にお会いしてみて、範國さんに私はそぐわないように感じました。また会いたいと言っていただきましたが、これ以上の進展はないように思うの...
タクシー会社に迎車を頼んだら、近くを流している車があるとのこと。 一、二分で到着するからその場で待つように伝えられた。 この辺りにしては分かりやすい場所にいると思う。 すでに営業時間が終わっていても、三階建ての店舗だって紫色のポール看板だって目立っている。菓子屋「柳月」の前にいた。 片側二車線の道路をはさんだ向かいにあるのは歯科医院。その建物を見ながらわけもなく「寒さみいな」と口にしてしまっ...
・ もとから彼女は、歩くのなんて早くなかった。 身長は茉奈と同じくらいだから150センチあるかないか。そこまで低いのだから踏み込む一歩の大きさも知れている。それに加えて足首の捻挫(――とまではいかないが負傷したことには変わりない)。遅くたって仕方がないのだ。 いま、右足首には肌色の湿布が貼られてあって、一歩ずつ、こわごわと、地面を踏みしめていたりする。 そんな桜木愛に付き添って隣を歩いていた。ドラッ...
「……えーと桜木サン。どこか、体調が悪い、とかですかね?」「――悪くないよ」「だってそちら、いま、顔がやばいくらいに真っ赤っか――」 なんですけど。 と指摘すると、桜木愛は「ギャ~!」と奇声を発しながら両手で顔を隠してしまった。「そんなに? そんなに赤い? ギャ~~! ホント恥ずかしいマジで恥ずかしいもうこれ以上あたしの顔なんか見ないでくれっ! テロテロくんの記憶からすぐ消しといてくれっ!」 目が点にな...
・ 足首は腫れていなかった。歩くことも出来ているから程度は軽いはず。 だが急いでいた。 何十分か前に退勤したはずの職場へ駆け込んでいた。「あれ怜二くん?」 店舗入口の自動ドアが開いたところで、たまたま掛井店長と出くわした。軽く息を切らせて走りこんできた誰かの様子に不思議顔。「どうかした? なんか忘れ物でもした?」 との問いかけには答えず、会釈だけ。 掛井店長を尻目に店内に踏み込んだ。 とりあえ...
・「あー美味しかった」 ひやりとした宵の空間に、満足気な感想が放たれていく。 桜木愛からのものだった。 今までいたラーメン屋と同じだ。彼女は左隣を歩いていた。一本結びにしていた長い髪をほどいて。 さっさと解散してしまいたかった。ここから徒歩五分かからないところに自宅アパートだってある。だが、ラーメン屋がある住宅街このへんは似たような団地の建物ばかりが並ぶ。地下鉄の最寄り駅まで迷いそうだと桜木愛が...
iOS、 iPadOS(未確認ですがおそらくMacOSも)でうちのサイトに訪問して下さっている方向け。ココでも書きましたが、 一部ページにおきまして、本来ゴシック体で表示されるべき箇所が明朝体で表示されてあることが分かりました。 デザインに詳しい方ならお分かりだと思います。 私、小説本文のフォントをCSSで「メイリオ」と指定していたのです。ですからアップル系のデバイスでは表示されず、明朝体に変換されていたと言う。(...
「はい、お待ちどうさん!」 カウンターテーブルに、ラーメンのどんぶりがふたつ。つまりは二人前。ドカドカッと勢いよく置かれたものだから、スープがこぼれてしまった。 べたついた蜜柑色のテーブルに、白濁した液体が点々と。またしてもべたつくではないか。 店内は煮つめた豚骨スープの匂いで充満していた。「……おやっさん。スープこぼれたんですけど」「ほんのちょびっとでしょ? 大丈夫大丈夫、さあどうぞ!」「大丈夫大...
「その反応ってのはつまり、おたくが昨日俺のことを聞いてきた人ってことで、合ってると?」「あー、と。そういうことで、合ってます」「――何なんすか? 俺の職場に来るとか。聞きたいことあるなら電話してくれれば良かったのに。俺の連絡先知ってますよね? 茉奈がおたくに押しつけてたし」 茉奈。「……そうそうそう。その茉奈さんが押しつけてきた連絡先にトライしたんだけど、ことごとく違ってて」「はい?」「だからね? 番号...
しょうがない。ならばあやつの自宅へ直接行って渡してやろう――と地下鉄で向かったのは、あたしの勤務先のそば。 鳩屋怜二が勤めているドラッグストアが近くにあるならば、奴の住んでいるアパートも確か、その周辺にあったからだ。 が、分からなかった。 とっくに陽も暮れた六時過ぎの住宅街には、似たような建物ばかりが並ぶ。奴の家を出た今朝はタクシーでさっさと帰ったから、詳細な場所なんか覚えちゃいなかったのだ。突発...
エブリスタさんにて非公開にしていた、短編の「茶々」と「我がオトコ」をこのサイトにアップしています。 茶々夫の退院が決まった良日。娘から贈り物が届いた。 shizupika.fc2.net 我がオトコマザコン、ヒモ、浮気三昧、DV、モラハラ。世には色んなオトコがいるけれど?shizupika.fc2.net O&Oの第四章も今日からアップを開始しました。 O&Oはあまりにも長すぎるので、各章ごとにINDEXがあると読みたいシー...
(ああこの女、昨夜なまら酒の注文してた奴ね)(そんで自分のバッグ置いてっちゃった奴ね) 開店準備中の店員は、あたしを見るなりそんな顔をしていた。 それでもすぐに「こちらですよね、いちおう中をお確かめください」と渡してきたショルダーバッグ。 財布、ある。携帯電話、ある。その他もろもろ、ある。中身すべて異常なし。 よしよしオーケー、これで元通り。生活していくうえで支障は何もなくなった。 本当にすみませ...
ドラッグストアで薬剤師として勤務する怜二(レイジ・27)は、その実、そこのドラッグストアチェーン社長の次男坊だったりする。だが実家からは少し距離をおいていた。メンドくさい事情がひとつ、ふたつ、とあるからだ。一方。銀行(の窓口業務)で働いている桜木愛は地元の運送会社の社長令嬢。のーんびりした母親の口から「明日見合いをしに行って」と突然告げられ、言葉を失っていた。#ラブコメ #セレブ設定だけども普通の恋...
鳩屋怜二の家から帰宅した土曜の朝、我が家には何ともいえない空気が漂っていた。 だって、はじめてだったからだ。あたしが外泊をするなんて。(学校行事や宿泊研修を除く)しかも泥酔したあげく、泊めてくれた先から呼び出しを受けての帰宅。 前日と同じ服装。まとめることもせずボサボサにおろしてあるだけの長い髪。――そんなナリで帰ってきたあたしをひと目見るなり、パパとお手伝いのタキさんはいかにも「あっちゃー」な顔...
夕方六時きっかりに仕事が終わるなり、男子更衣室へ直行していた。 「薬剤師 鳩屋怜二」と記されたネームストラップを外し、ロッカーへと投げつけていく。 あのあと。自分が事務所からいなくなってすぐ、奥村高志は掛井店長へ指摘したのだろう。名札はちゃんとつけさせたほうがいいと。 だからあらためて注意を受ける前にと、ネームストラップを首からぶら下げていたのだ。癪だったが。 昼の休憩後に調剤薬局へ向かおうとし...
※2008年を想定して書いてますスミマセン「掛井何なのよ、その反応は」 オクムラ店長と呼ばれていた男はクッ、と一笑していた。 白黒のギンガムチェックシャツに、裾が擦り切れたジーンズ。こんなラフな服装で訪ねてくる社員なんかそうそうない。要するに、このオクムラとやらは私用で会いに来ただけなのだ。掛井店長に。「や、だって、社員って誰かと思うじゃないですか。抜き打ちで監査でも来たんじゃないかって。したら、大都...
「おはようございます掛井店長。金曜おとといは店長が会議だか研修だかで本社行ってて、昨日は俺が休みだったもんだから顔合わすの二日ぶりっすね。店長と二日も会わないのって滅多にないからすっげえ久しぶりな気がしますよね、どーも」「……ウ、ウン。そだね。久しぶりな感じするよね、エヘ」「あ。そのおととい、店長が会議だか研修だかで本社に行った際はよくもやってくれましたよね。聞くところによると、ウチの母親に俺の普段...
・ 携帯の電話帳。 サ行に、ひとりが新たに加わった。 その名はずばり、「桜木愛」。 番号だけでなくメールアドレスまで登録されてある。(あたしのほうは嫌じゃないかも)(あたし実は、この人のこといいな、って思っちゃってるかも。この人のこと、ちょっと気になり始めちゃってるかも) この番号が電話帳ここにあるのはまさしく、彼女自身の発言のせいだ。 昨日。狭いわが家の一室で彼女があんなことをこぼしたせい。 ...
その女性を部屋へ通してやるなり、桜木愛は頓狂な声をあげた。「えっ? ママっ?」 そうなのだ。 訪ねてきたのは桜木愛の母親だったのだ。 うちの大魔王母親から「コレコレこうらしいからアナタも行ったほうがいいわよ!」と一報を受け、住所ここも教えられたらしい。言われるがまま慌ててタクシーでやって来たそうで。 しかしまさか、向こうの母親まで来るとは思わなかった。 まったくうちの大魔王は、余計なことをしてく...
「それでも大丈夫、だと思います」 くるり、向こう側へ居直した桜木愛が言い放つ。 レイジさんとは何もなかったと思います。と。「いや、あのですね? あたしも、起きたばっかりの時はなんてこった! いたしちゃった! と考えちゃったんです。テロテロさ……レイジさんをけなしたりもしました。けど、それにしては感覚が何ともなかったんで」「感覚?」 鳩屋の女衆が身を乗り出していた。「あ、えーっと。じょ、女性なら、ほら...
自分のテリトリーがとんでもないことになっている。 むせそうになって我慢できず、窓を開けていた。この部屋が、どこぞのバカ親がつけている甘々な香水臭で蝕まれてしまったからだ。 どこぞのバカ親、とは、我が母親なのだが。 恰幅がよいのも、派手なスーツを身に着けているのも相変わらず。化粧が濃いのも相変わらず。しばらく会っていなかったが、この様子なら変わりなく元気にやっていたのだろう、うちの大魔王ははおや...
vague_shizupika 「ワレワレ〜」の第三話で、すすきのの裏路地にてかわい子ちゃんが酔っ払いに絡まれるシーンなどを書いてみました。いま現在(2022)のすすきのはどうなのか知らないのでございますが2010年以前のすすきのと言えば裏側は色んな意味でディープ。女性のひとり歩きはおっかなかったのです。 08-02 13:25 規制されてないのか客引きも多かったしナンパもそれなりに多かったのではないでしょうか……。そういうのがお目...
「いつか誰かに首ったけ」をアップしました。この作品はO&Oの番外編でもあり、いま現在連載している「ワレワレはケッコンしません」のプロローグ的作品でもあります。(はじめは昨年末アメブロで期間限定でアップし、すぐにエブリスタさんでO&Oのスター特典としてアップしていました)「ワレワレは~」のストーリーが進むたび、「いつか誰かに首ったけ~」もこのブログにアップすべきでは?と考えるようになり、突貫工事ですがアッ...
「ちょっと待て茉奈」 間髪を容れずに割り込みが入った。 本当のフルネームが「鳩屋怜二」という男から。「お前、なに訳の分からないこと言ってんだ。俺の、見合いの相手が、その人だってか?」 一言一言、確かめるように問いただす奴の声は、とても低いトーンだった。怒りの色を滲ませてもいた。 けれど鳩屋茉奈のほうは平然としていた。「そうだよ?」 との返事だってあっけらかん。「怜二、知らなかったの? ほんっとにお...
vague_shizupika あああー。途中でTwitterが切れた😭しょうがない😭ワレワレは結婚しません、は2008とか2009の話なんです。(古っ)なので、登場人物たちの携帯電話はほぼガラケー。でももう少ししたらスマホが登場しそうです。(iPhoneが日本に来たのは2008年7月)やっと!わたしの小説に!スマホが! 07-29 00:13 タカシオクムーラにまず持ってもらおうかと画策中。奴も「ワレワレ〜」に登場しますよ。久しぶりだね奥村ちゃん。...
vague_shizupika 久々にツイートします。(もう一方の@odagirisunaoアカウントのほうは放置状態だと言う……そうですね、エブリスタさんへの更新をまた始めたら、あちらも稼働しようかなあ……)ワレワレはケッコンしません。は、一話2千文字でおさめたいのですが、見直しの段階で多いに加筆してしまいます。 07-28 23:34 今回更新した分も見事に三千文字オーバーヽ(`▽´)/長いな。ウェブ小説がPC主流の時代はそれぐらいの文章量、...
「あれ、結構かわいい」 乱入してきたお姉さんと目が合って、向こうの第一声がそれだった。 (かわいい) でもそれは、あたしの心の声でもあった。だってお姉さんの方こそかわいかったから。それももの凄く。とてつもなく。 華奢で、ショートカットで、目もぱっちりしていて大きくて。映画やドラマのヒロインを演じていてもおかしくないくらいのかわいさ。なぜにここまでの人を芸能界は放っているのだろう。 あまりにもかわ...
何という醜態。 でも、この男コイツだってもっと早くに指摘してくれたっていいのに。 下着姿でいるあたしと言い合ってなんかいないでさ。 と、(心の中で)いちゃもんをつけながら、テロテロシャツ野郎がくれた紙袋の中をのぞいていく。 そこには確かに、昨夜あたしが身につけていた白い長袖Tシャツと黒のサロペットとが入っていた。 嗅ぎ慣れない他人のもののような匂いがする。コインランドリーで洗濯したとか言う洗剤...
前回、おおっぴらにあのようなことを書いてから一ヶ月も経ちました。復調しました。というか、身体の中のその機能が20歳くらい若返ったんじゃ? というほどに快調なんです。……医学の力って、すごいんだな。でも投薬をやめたのでまた元どおりにもどるのでは、と、不安でもあるのですが。その時はまた、婦人科です。うーん。どうなるんでしょうか。でも婦人科、行ってみて良かったです。ほんとうに。もっと早く行けばよかった。ネッ...
ずっと思ってたんです。うちのブログの小説、次頁に行く際のクリックがどうももたつくと。違和感を覚えてたんです。書籍はだいたい縦書きなので、右から左がわへ視線がうつることになりますよね。←←←こんな感じ。でも私のようなサイトは横書き表示なので左から右へ視線をうつすほうがしっくりするんですよ。→→→こんな感じ。でもブログという特性上、最新の更新ページから読まれることになるので、デザイン的に仕方なく頁移動を右か...
テロテロシャツ野郎は口をあんぐりさせていた。 「は? え? 何だよちょっと」 困ったように少しオロオロともしていた。けれど、あたしがいつまでもワーギャー叫んでいるせいでだんだん苛ついてきたらしい。 結局は声を荒らげて叱責してきた。「――待てあのさ、何で俺を見たとたん騒ぎだす? ここ壁が薄いんだから騒ぐなや! 土曜の朝なのにうるせえってなったら、マジでクレーム来るからな? 頼むから黙れや!」 仰せの...
頭が痛い。ガンガンと痛い。久しぶりだ、ここまでの痛み。 朝が来てしまったことに漠然と気づく。閉じたまぶたに陽光が注がれてほのかに明るいからだ。ああ、遮光カーテン閉めるのを忘れて寝ちゃったんだ。どれくらい光を浴びちゃったのだろう。駄目じゃんかあたし。ちゃんとカーテンを閉めて寝ないと。陽が出ているってことは紫外線が含まれてるってことで、日焼け止めをつけてない無防備な肌には害じゃないのさ。 でもカー...
「あー……と彼女、宮の森に住んでるって言ってました。なんで宮の森までダーッと行っちゃって下さいよ」「宮の森?」「はい」「本当に宮の森なんですか?」「まあ、はい。さっき本人がそう言ってましたから」 じゃああとはよろしくお願いします。 と、タクシーに背を向けていく。 申し訳ないが早いところ、ポニーテール女とは別れたかった。 だがそうはさせじと引き止められる。 「いやちょっと待って下さいよ! お連れさん!...
・ 先に絡まれていたほうの彼女は、道外からの旅行者だった。 某アーティストのライブを観終え、宿泊先のホテルへ向かおうとして道に迷い、あんな目に遭ってしまったらしい。どうりで。夜に染まった雰囲気がない彼女が、色街に近い場所にひとりでいたのは妙だと思った。土地に不慣れだったせいか。 ホテルまでじゅうぶん徒歩で行ける距離。こうなったよしみだからと彼女をその前まで案内してやり、ありがとうございますイエど...
ニッカウヰスキーのキング・オブ・ブレンダーズ。誰もが知ってる有名なネオン看板のある大通りまで辿り着いたところで立ち止まる。三人そろって、ハアハアと息を切らしながら。 酔っ払いの男達は追いかけてはこなかった。 上を覆っているのは薄っぺらいブラウンシャツ一枚のみ。これだけでは肌寒かったくせに、少しダッシュしただけで丁度よくなっている。ゆるやかに撫でてくる秋の風も心地よい。 裏通りとはやはり違う。圧...
打撃を受けた男は肩をびくつかせた。「えっ、何っ? ビビった!」 大して痛くなさそうな素振り。酔いのせいで痛みが気にならないのか。 背中を殴られた男は振り返って、小柄なポニーテール女を見おろしていた。「うわ可愛い子じゃーん! なになにカノジョ、いまひょっとして俺のこと叩いたの? 叩いたの? ねえっ」 他の男達もポニーテール女の存在に気づいていく。 「えっ、かわいーい!」「ちっさいねー!」「もしかし...
「えっ、スズキ・・・さんは次のカラオケには行かないんですかあっ?」 D女子しかいない地獄の合コンがやっと終わり、そそくさと立ち去ろうとしたところで呼び止められた。先ほどまで真向いに座っていたおかめ饅頭一号から。 呼び止めてきたついで、おかめ饅頭一号が腕にしがみついてきそうだったから顔をしかめてしまう。思いきり避よけてもしまう。 ハ? と、ショックを受けたような顔をするおかめ饅頭一号。 ...
引っ越し作業中のままでとっちらかっています。未掲載,リンク切れ,etc...ご迷惑をおかけしてます。-- What's New --2022.5.21「ワレワレはケッコンしません」 #3前夜-1(sideR)を更新しました。フォッグ続編的なお話。連載途中です。(フォッグもアップ予定です)2022.6.21第三章SHAMPOO最終話までアップしました。EXTRAにシガツフツカをアップしました。エブリスタさんにも作品を投稿しています→Twitterで更新報告していま...
そうだ。 すっかり失念していた。 有川ありかわの野郎も・だったのだ。 奴もD専。Dと言ったら中日ドラゴンズだのディズニーだの頭文字イニシャルDだの色々あるが、ここでのDとは、デブのD。 有川は太めが好みだった――のを、すすきのの居酒屋に来てから思い出したのだった。予約したテーブルに着席していた女性陣の顔ぶれ(プラス体つき)を目にしてから。 出鼻をくじかれたような気持ちになる。 でも仕方がない。こう...
――ハイ。 結論から言って駄目でした。 いい人? いませんでした。ポッと行ってみた合コンなんかで簡単に見つかるわきゃありませんて、あはははは。 蓋をあけりゃあそんなもんです。期待してしまったあたしがバカでした、あはははは。 すすきのの雑居ビル。二階にある和洋中居酒屋にて合コンというものが開始されたのは夜の七時。 「どうもはじめましてぇー」とか言いながらよそ行きの笑みを浮かべ、一オクターブ高い声を...
合コン。 誘われた直後に頭に浮かんだのは「今日あたしどんなカッコウして来てたんだっけ?」だった。 上は衣装ケースの一番手前に仕舞ってあった白の長袖Tシャツ。下は自室にハンガーで吊るしてあった黒のサロペット。目に付いたものを身に着けてきただけだ。 今朝は鳩屋レイジの件で動揺して、出勤の支度に取りかかるのが遅れてしまった。遅刻しそうになってバタバタと着替えて出てきてしまった。だから適当。パッと見、少...
vague_shizupika ツイート久しぶりです、いやはや。もうね、家族の男子一名がまたもや整形外科のお世話になってました。前回は一昨年のクリスマス期……。即入院、翌日手術、即退院。バタバタした年末を過ごしたものです。 05-16 10:38 それでも利き手ではないほうの腕だったので、楽なものでした。今回は足なもので😭移動するのもいちいち補助しなければいけないので、なかなかに大変でした。それでも手術も入院もなく、現在は快方...
・ 一緒に買ってきたラップおにぎりと野菜ジュースは、とっくのとうに胃の中だ。 残るはシーフードヌードルのみ。ズルズルと勢いよく啜っていたらふと、あの名無し店員の顔が浮かんできて箸を止めた。 (申し訳ありませんでした) 貼り付いたような笑顔から告げられた謝罪の言葉。 嫌な客だと思っただろう。あたしのことを。 この銀行の斜め向かいの「ハトヤ」。あそこには、どうも行きにくくなってしまった。 暇そうに...
やってしまった。 公共料金を支払いに来たお客様にお釣りを返し忘れるという、うっかりミスを。 それもこれも鳩屋レイジとやらのせいだ。あたしとの見合いにOKを出しやがったナゾ男が気になり、うわの空で窓口業務にあたっていたせい。いや何にしたってあたしの不注意、あたしがバカだったのだ。 幸い、返し忘れたお釣りは、上司が速攻でお客様のもとへ届けに行ってくれたから事なきを得た、のだけれども。 ミスの尻ぬぐいを...
(ねえ、それってお見合いってやつなんじゃないの? ハトヤのあの奥様から話が来たってことは明らかにそうでしょうよ! そんなオオゴト、なんで今になって「そういえばあのね? 伝えるの忘れちゃってたんだけど」だなんてつらっと告げてくるわけ? しかもあたしの意見を一切聞かず、勝手に日にちまで決めてきて!) ――以前のあたしならば、そんな風にヒステリックにママを罵っていたのかも知れない。朝食のトマトのサラダ、ス...
その日の朝食はトマトのサラダにスクランブルエッグにトーストだった。 スクランブルエッグはママの得意料理。卵に火を通し過ぎず絶妙にトロトロしたところをいつも皿で出してくれる。つまりはあたし好みでおいしい。 卵色のトロトロをフォークで掬って口に入れようとしたら、思い出したようにママが言った。「あ、そういえばあのね? 愛ちゃん」 と。「え?」 身構えてしまった。好物のスクランブルエッグを前に機嫌良くし...
明日、午後一時だかにCなんちゃらホテルには当然行かない。行くわけがない。 くっつけたがりが高じて、自分の息子まで毒牙にかける母親の言いなりになんか絶対にならない。 実家暮らしでないことが幸いだった。 明日、成すがまま見合いの席へ連行されることはないからだ。 実家は札幌市内にある。いまの勤務先であるこのドラッグストアと実家とは、そう離れていない。地下鉄でなら乗り換えも含めて二十分程度の距離。 そ...
vague_shizupika ブログのデザインをちょこちょこいじったりしています。どうやったら見やすく分かりやすいブログになるのか。たかがブログ。されどブログ。奥が深い……。 04-04 00:14 うちの猫ちゃん。♂。(掃除機の音にビビって、物陰に隠れるの図)保護していた団体さまから譲り受けました。三歳くらいだそうです。うちに来てから二週間ほど経ちましたが、いまだに家族全員デレッデレ😻猫ちゃん中心、猫ちゃんファーストの生活...
→この話をはじめから読む「――は?」「あら聞こえなかった? サクラ運送さんの娘さんに、あんたが会うことになってるから」「え? は? ……それってつまり、あんたが他所様にしてる余計なお世話なアレを、息子の俺にも、やれと?」「また余計なお世話だとか言っちゃってぇ。ちゃんと皆さんには感謝されてるんだからぁ」「余計なお世話だろが! たまったま偶然に、縁あってくっついた人らがいたってだけで!」 「いやでもほんと...
→この話をはじめから読む すぐに電話の相手がチェンジした。怯えた男の声から、厚かましそうな女の声へと。「あっ、怜二ぃ? お母さんだけどぉ」「……」 お出ましになったか女王め。いや、女王って例えは控えめすぎる。魔王だ。もはや大魔王だ、この母親は。 「……何してくれてんだよ」「は?」「は? じゃねえよワザとらしいな。何で掛井店長をダシにしてんだよ、やること汚えぞ」「だって怜二、あんた全然取り合ってくれない...
→この話をはじめから読む カウンター前の待合スペースに誰も患者がいないからと油断していた。今、だいぶ険しい表情をしているんじゃないだろうか。頬がカチコチに張っているのが触らずとも分かる。 いったん深呼吸をして、へっ、と笑みをつくってみせる。 アホくさい。 世の中に色んな人間がいるのは至極当然。こんなことぐらいで腹を立ててどうする。次だ次。仕事をしよう。「ヤマモトルイ」の薬歴に追記を加えてお...
この話をはじめから読む 「すみません!」 とげとげした声に呼びかけられて我に返る。 やばい。ぼうっとしていた。 見ると、目の前。カウンターの向こうに、いつの間にか別の引っつめ髪の女が立っていた。 さらにカップ麺とラップおにぎりと紙パック入りの野菜ジュースとがすでにカウンターに置かれてもいた。「これ。急いでるんで」 早くアンタ会計しなさいよ。とでも言うように、女が顎でしゃくってくる。 同年代っぽ...
「ヤマモトルイちゃんに出されたお薬の説明は以上になります。何か他にお聞きになりたいことはありますか?」 ドラッグストア内の一角。保険調剤の受け渡しカウンターの向こうにいるのは、小柄な女だった。ウェーブしたふわふわの髪を一本に引っつめた「ヤマモトルイ」という女児の母親。 「あ、はい特には。大丈夫、だと思います」 ちらり、下方へ視線を向かわせながらその母親は答えた。かたわらにベビーカーを従えてい...
vague_shizupika うちに来た保護ねこちゃんがかわいすぎて、家族全員何も手につかない😂 03-23 08:41 夫は2日連続在宅勤務にチェンジ。オンライン会議、ほぼ聞いちゃいない😂 03-23 08:43 後ろ髪ひかれながらわたしは出勤😂 03-23 08:44...
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・「奥村さんて玉子好きだんだね。玉子、四つも食べてったよ」「ああ」「風邪薬ってさ、車運転するなら飲まないほうがいいんだよね。大丈夫なのかな、あの人」「ああ」 適当に相槌をうつ。 満腹だった。 それでいながら土鍋に残った板こんにゃくをおたまで掬う。器に移したこんにゃくは、煮汁に染められて薄茶色。濁った色。ガブリとかじると歯型がついた。 おでんはつい、多めに作ってしまうらしい。我が家は二人だけ。食べ...
家はすぐそこだ。五階建てのマンションは。 頭を傾げてフロントガラスから夜空を覗き込めば、ぽつぽつぽつと瞬く星たち。明日も晴れるのだろう。 例年ならば道路には雪が積もっている。けれど今年はまだそれがない。外の世界を包んでいるのは、冷たい空気だけだった。 狭い路地の面にヘッドライトがますます眩しい。自宅マンション前にすうと車が走りこんでいき、慌てて声をあげた。「あ。俺んちここ。停めて」「え、ここです...
シートに預けたままの身体がぶるぶると小刻みに揺れている。 いままで気にならなかったのに、停止中のエンジン音がうるさい。 彼女がいるのかと尋ねたら、運転手が大人しくなってしまったのはなぜか。 焦ってしまって話題を変える。「こ、この車さあ。高かったんじゃないの? ねえ? 新車でしょ」 あー。と運転手は生返事。「いや、新車でなくて中古なんです。綺麗なんでみんなそうなのかって聞きますけど。前の人が、なんぼ...
結局、車の鍵は見つからなかった。 (薬屋店員でありながら)朝から咳をしている男に、何十分も徒労をさせてしまった。それなのに奴は、家まで車で送ってくれると言う。「あのー。奥村。ウチに寄ってってあれだ。メシ、食ってきな」 そう誘ったのは奴が不憫に思えたからだ。 独身の一人暮らし。 どうせ、適当なものばかり食べているのだろう。不規則な生活をしているだろうから体調も崩しやすい。風邪をひいている今は大人し...
このお話は番外編となります。語り手は、いつもの主人公二人ではありません。それでも、二人に関わることも記してありますし、これからのストーリーにも関係する話題が出てきます。六章を読む前に是非、読んでいただきたいと思います。・・・ ええっ? と携帯電話の向こうで、困惑声。 大きく言われたものだからギョッとしてしまった。 隣を、気にしてしまった。 思わず声をひそめてしまう。「なにが『ええっ?』よ。いいべや...
・ 垂れ落ちそうな鼻水をすする。 テレビ塔の方角に向かって歩いていた。うつむきながら。 風が強く曇り空であっても、この公園には常に人がいる。髪が長くてよかった。うつむいていると、うまい具合に表情を隠してくれる。 かかとの高い靴で踏み行く自分の足音が、うるさい。歩くたび、こめかみがズキズキと痛む。泣きすぎてしまった。 言ったとおり、そのとおり、奥村は追いかけてこない。 心臓がうるさい。動悸が激しい...
(もう、こういうのが嫌になった) そう告げても奥村は動じていない。こちらを真っすぐに見つめてくる。 どうしても直視できず、その人から顔をそむけてしまった。 この人の前から、いなくなってしまいたいと思った。「だから、別れるのか?」 奥村の声は落ちついていた。 諭すように、ゆっくりとした話し方。「……ウン」 小さくうなずく。自分でもびっくりするくらい子供みたいな声で、うなずく。「もう、嫌になっちゃったか...
「――あたし。そんなこと、言った?」 ぼろぼろとこぼれる涙を拭うこともせず、奥村の横顔を見つめていた。 土埃の匂い。風は、休みなく吹きつけてくる。自分の髪に触れるとごわごわした。「うん。言ったね」 言いながら、奥村がこちらをのぞき込んでくる。困ったような、呆れたような、笑っているような、そんな顔で。「なんて言ったらいいんだろう。あの時は。まあ情けないんだけど母親がね、そういう事になったって聞いて、グ...
「でも、あいつがさ。俺にそういう事頼んでくるくらいだから、よっぽど切羽つまってたんだろうなって思ったんだ? 見たとおりだけど、あいつ気ぃ強いでしょ? めったに弱いところなんて見せない奴だったから」 情はあるよ。 と、奥村。「もうとっくに別れたって言ってもさ。一時は好きだな、いいな、って思ってた女だから。やっぱり情はあるよ。少しは残ってるよ。かわいそうだから俺が助けてやりたいって気持ちは、やっぱり、あ...
ケージの中に二人きり。今度は本当に。 灰色の絨毯で囲まれた狭い箱の中に、二人きり。「なに、するの?」 やっと抗議が出来た。奥村に、手を握られたままであっても。「なにするの? あたし、これから外回り行かなきゃいけないんだけど」「あそう。だから何」 一回ぐらいサボれば? と、しれっと吐かれる。「なに、言ってるの? そんなこと、出来るわけないでしょう」「いいから」 言いながらまた、奥村が手を握り締めてく...
まわりから注目を浴びていたことを今になって知る。事務所に人間が少ないぶん目立っていたのだ。 そそくさとホワイトボードへ移る。自分の名字の横に赤いマグネットを貼り付ける。資料の入った茶封筒を抱えて事務所から出れば、来訪者は黙って後をついてきた。 昼休みにはまだ少し早い。ほかに誰も出てきていない廊下の壁には、社で大々的に宣伝している総合保険のポスター。社がマスコットにしてある有名なキャラクターのポス...
「陽子?」 母の呼ぶ声に動揺する。「誰だったの?」 水の流れる音がしていた。 母は台所でまだ食事の仕度を続けているのだろうか。そう思っても、振り返って確認することが出来ない。涙はこぼれていなくても、絶対に普通の顔をしていないから。「や、ただの間違い電話」 つとめて、明るく答えていた。「ふーん? まあいいや、陽子あんたお茶碗にご飯よそって? もうおかずも出来たから」「いやごめん。あたし髪、乾かさなきゃ...
「あ」 たった一音だけ。 あ。 電話の向こうから聞こえてきた声に、心臓がやかましくなった。ほんとうに一音だけ。それだけで、相手が誰なのかが分かってしまう。 不意打ちだった。 携帯ではなく、自宅にかけてくるなんて。 ここにかけてくるなんて、初めてではないだろうか。奴が家の電話番号を知っていたことが意外だった。ずっと携帯だけでやりとりをしていたから。 虚をつかれたあとにやってきたのは、何とも言えない気...
「ねえ。すごい匂いなんだけど。今日、魚?」 濡れた髪をバスタオルで拭きながら、台所に立つ母へ声をかける。換気扇が回っているのに居間は、焼き魚の匂いでいっぱいだった。台所と繋がっている居間は。 ソファに座って新聞を読んでいる父の髪は、すでに乾いていた。入浴を済ましていないのは、夜食の仕度をしている母だけだ。「今日ね、スーパーで特別、サンマ安かったんだわ。一匹五十円」「あー安いね」「もうサンマ安い時期...
バーバリーチェックの傘を、ぱんと広げる。 雨足は衰えていない。それどころか、前よりひどくなったかも知れない。 ひんやりした空気が頬にふれたとたん、鼻がつんとしてきた。涙がぶわりと溢れてきた。 ここは人も車も滅多に通らない、狭い脇道だ。それでも、傘で顔を隠して歩き出す。次々とこぼれていく涙を、鼻をすすりながら拭う。 ボトムパンツの裾がすでに冷たくて不愉快だ。雨水でびしゃびしゃに濡れた路面は容赦ない...
「でも。相手とは別れろって。そうしなきゃサインしないって高志には、言われたけど」 小野真知子の何度目かの「ごめん」を聞きながら、おしぼりをテーブルに落としていた。 ばさりと、わざと乱暴に。 拭ったはずの手は全然すっきりしていなかった。それどころかまた冷たく湿っていくから不快。 温かなおしぼりに触れていたはずなのに。「――よかったんじゃないですか? まあ、奥村は? 誰にでも優しいから? 頼まれると嫌と言...
自分のことではない。奥村とのことでもない。 けれど衝撃的だった。 視線が落ち着きなくさまよってしまう。向かいの唇を見たり。その下の手を見たり。テーブルに広げていた総合保険のパンフレットを見たり。隅に置かれた灰皿を見たり。「あたし。考えなし、だったからさ。妊娠したって分かった時はすぐ、いいや、だったら堕ろしてしまおうって、簡単に。そう、簡単に思ってたのね」 病院行って手術して。それで済むんだったら...
滴したたった傘が、陶器のレインラックへおさめられていった。二本続けざまに。 木製ドアを開ければ、コーヒーの香りが強く主張してくる。雨で少し濡れた肩先が、じわり温かくなっていく。 店に入るなり小野真知子が囁いてきた。「お客さん、誰もいないね」 ドアを閉めても聞こえてくる雨音。ここではバックミュージックなんてものを流していない。静かな店にいたのは彼女の言う通り、たった一人だけ。マスターだけだった。 ...
・ 体調の変化は予想通り。トイレの個室で確認しても驚かなかった。 鍵を外してドアを開ければ、同時に隣のドアも開く。「小野さん」も出てくる。それぞれの背後から、勢いある流水音。 目が、合ってしまった。 けれどどうしていいか分からず、とりあえずの会釈をするしかない。 「小野さん」は自分の耳たぶにふれていた。厚みのないそこには、小さなピアスがくっついていた。小さな白い、真珠のピアスが。 赤い唇をにゅ...
どうもおかしい。 と感じたのは大通付近を歩いていた時だ。 もしかしてそう。やっぱり生理になったのかもしれない。 馬鹿だ。先ほどトイレに入った時に、あらかじめ仕込んでおけばよかった。いつそうなっても構わないように。 目当てのビルはすぐそこだった。 早足にエントランスへ向かえば、地面で勢いよくはね上がる水がつめたい。ボトムパンツの裾も濡れて重い。これだから雨の日は。 ビルの自動ドア前で、バーバリーチ...
vague_shizupika うちに来た保護ねこちゃんがかわいすぎて、家族全員何も手につかない😂 03-23 08:41 夫は2日連続在宅勤務にチェンジ。オンライン会議、ほぼ聞いちゃいない😂 03-23 08:43 後ろ髪ひかれながらわたしは出勤😂 03-23 08:44...
vague_shizupika 猫さまを家族に迎えいれることが急きょ決まって、バタバタバタっと準備してるところ。スマホで検索して情報入手に躍起。youtubeでノウハウを見まくり。 03-18 19:06 雨のなか☔猫さまのケージを買いに 03-18 19:24...
vague_shizupika 3/17の奥村先生は2Pにわけての更新でした。(にしても相変わらずスロウな展開だなあ💦)わたしもそうなんですが、読者さんもスマホで見ている方がほとんどだと思うので、「スマホファースト」ということで1Pの文章量はあまり多めにならないようにしています。なので2Pにわけての更新となりました。 03-17 11:33 PCで見てる時は「どんだけ多くでも読んでやるぜ!」な気概でいられるのですが、スマホだとどうも、せ...
→ イントロダクション CONTENTS 01・うちの前にいたイケメンくん 1 2 3 4 5 6 7 8 02・売店先生、机の下からすみません 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 03・玄関出たなら、すぐセンセイ宅 1 2 3 4 5 6 7 8 04・...
「奥村さーん。いま手術室から出ましたよー。これからエレベーターに乗って病室に戻りますねー」 さっきの看護師さんが先生に話しかけている。声を張りあげるようにして。「妹さんも、応援団のみなさんも、奥村さんを待ってたようですよー」 との呼びかけに、先生がわずかに反応する。 といっても一、二回まばたきをしただけだ。先生を乗せたベッドは急くように進んでいく。エレベーターホールがある方向...
そうこうしているうちに「手術中」の標示灯が明るく点りだした。 あたしと姉と坂本さんは、壁ぎわの長椅子に腰かけて待つことにした。手術室のすぐそばの。(来れるかみょ、しれぇまてん) 間抜けにも噛んでしまったあたしに吹き出して笑ったまま、自動ドアの向こうへ行ってしまった奥村先生。 だいぶリラックスした様子だった。あの時は。 でもやっぱり、自動ドアの向こうでいま、先生が頑張ってい...
vague_shizupika 3/10のツイートでアップした画像はやはり、うちのブログではちゃんと表示されてなかったかー。「今年、厄年、俺、死ねない」は、もうなくなってしまったホームページにアップしていたお話です。O&Oです。ツイッターにはラストの部分だけ編集してアップしてみました。 03-13 00:14 当時、目を通してくれたのはたぶん10名にも満たないと思います。 03-13 00:28...
vague_shizupika 引っ越し先ブログでの見え方、どうなのでしょうか💦一応これ、レスポンシブデザインといって、PCでもスマホでも同じように見えているはずなのです。 03-14 12:12 アメブロではPCとスマホでの見え方がまったく違っていましたよね。わたしはいかにも「ザ・ブログ」というスマホ版アメブロの見え方が好きではなくって。それもfc2へ引越ししてしまった理由のひとつです。でもアメブロのほうは更新記事がすぐ目にとま...
HOME となセン もくじ 佐野が、慌てたように三澤先生を追いかけているのが目に入る。 視界のすみにいた姉が、あたしの胸元をとらえてハッとしているのも。 逃げなきゃいけない気がするのに、固まってしまって動けない。しかも目までつむってしまう。 案の定すぐ。あたしのカットソーの胸元に、三澤先生の手であろう感触が伝ってきた。「紐」「ひ、ひも?」「ほどけちゃってる...
vague_shizupika https://t.co/sYCbwyvPlm 03-10 14:58 https://t.co/u7X7CRhtks 03-10 14:59 https://t.co/qlsozCxzBt 03-10 15:01 https://t.co/6RfBUomV2a 03-10 15:09 https://t.co/1slrnVMA1w 03-10 15:11 https://t.co/VKcBzz73ju 03-10 15:13 https://t.co/CmbCYdy0Kj 03-10 15:14 Twitterで色んなことがしてみたく、試しに遊んでみました。明日、↑がどのように表示されるかテストの意味もこめて。 03-10 15...
vague_shizupika このアカウントでTweetしたものはブログの「DIARY」にまとめてアップされるように設定しておいた。どんな感じでブログ表示されるのかなー。と先ほど見てみたら、みっちみちやんけ〜。改行もされてないし。いますぐ編集画面へ飛んで<br>をつけたい気分だ。というわけでおはようございます。 03-09 08:41 春めいてきたなあ。でもまだ寒いけど。花粉が飛散してるみたいだけど、わたしは今年も無症状。いきな...
vague_shizupika アメブロから今ブログへ記事を移してるところ。O&Oはビタスイ以降は、今ブログにはインポートされてないから、ひたすら手作業。スマホじゃ無理。PCじゃないと。うわ、めんどーい。とは思うのだけど、作中に目を通してしまうと結局読みこんでしまうという😅 03-08 18:59 O&Oは個人的に1章と3章が好き。1章はふたりが見合いで出会うシーンが好きで、3章は陽子が病院のエレベーターで7階へのぼってからのふ...
・「大丈夫っすよ、奥村先輩。手術なんて寝て起きたらもう終わっちゃってるんで。そん時にはみんなで先輩の顔を覗きこんでる光景が待ってますんで」 第二手術室。いままさにそのドアが開かれようとしていた時だった。先ほどとはまた違う看護師さんに付き添われ、奥村先生がみずから歩いて中へ入ろうとしていた時。 明るすぎる坂本さんの呼びかけを背中に受けて、うんざりしたように振り返ってきた。「適当なこと言ってる...
・「大丈夫っすよ、奥村先輩。手術なんて寝て起きたらもう終わっちゃってるんで。そん時にはみんなで先輩の顔を覗きこんでる光景が待ってますんで」 第二手術室。いままさにそのドアが開かれようとしていた時だった。先ほどとはまた違う看護師さんに付き添われ、奥村先生がみずから歩いて中へ入ろうとしていた時。 明るすぎる坂本さんの呼びかけを背中に受けて、うんざりしたように振り返ってきた。「適当なこと言ってる...
ブログのお引っ越しをすることにしました。突然ですみません。決して、いえ、まったくと言っていいほど読者さんの多くない私のブログ。それでも、わざわざ訪問してくださってる方にはご迷惑をおかけすることになってしまいました。以前の○○ブロさん。このご時世だし当たり前なのでしょうが、にしたって広告が目立ちすぎて。見た目がごちゃごちゃしているのが本当に嫌で、有料で自ブログの広告を取り払ってたんですよ。にしたって年...
・ 奥村先生のあいてるほうの右腕から、マジックテープつきのバンドが外されていった。看護師さんの手によって。 「体温も血圧も大丈夫ですね。けどやっぱりちょっと緊張されてます?」 「え?」 「脈が早いので」 「……ああ、はい。緊張は、まあ」 「もうすぐ手術ですもんね。準備ができ次第、下の手術室へ移動しますから。お声がけするのであと少しだけお待ち下さいね」 時間によって担当看護...
もちろん行く。母からのお達しがあったから――というわけじゃなく、シンプルに奥村先生のことが心配だったから。 だから佐野には「うん。お母さんと一緒にあたしも明日行くよ」と返信してみたのだけれど。 翌日。蓋を開けてみれば、だ。 アパートの大家あるあるで、不動産屋さんと急きょ打ち合わせが入ってしまったとかで母は都合がつかなくなり。 かわりに姉が、あたしと一緒に病院へ行くこと...
・ サンドウィッチとか。ウィダーインゼリーとか。飲むヨーグルトとか。 食欲がなくてもサクッと口にできそうなものをセイコーマートのかごに入れて。 箱ティッシュとか。タオルとか。コップとか洗面用具とか。母が羅列していた入院に必要とされるモノ一式もザッとかごに放り入れて。 会計を済まして。たっぷりモノがつまったポリ袋を携えて。奥村先生と顔を合わせるのが当然気まずいからなるべくゆーっくり...
信じがたい、という表情をした奥村先生と見つめ合ったのは何秒間だったろう。 あたしも、息ができないくらい驚いていて。それでいて心臓はあきれるくらい早く拍動していて。手指は冷えているのに顔だの身体だのは熱く火照っているという謎の現象を実感しているさなか、聞こえてきたのは廊下からの足音だった。 この513号室に近づいてくる足音。 「奥村さぁーん?」 ノウテンキな声と同時に...