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2020/12/21

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  • ソフィー達にお別れ、 またきっと会えるだろう。

    翌朝、少し遅めの朝食をゆっくりいただき、名残を惜しんだ。赤いプラリネ入りのブリオッシュ、元々はリヨン名物で以前はリヨン以外で見かけることは少なかったが、今回は、マントンのパン屋でも、ここパリでも食卓に上がった。もちろん、私たちとしては、できるだけ早く、マルチーヌの家に戻り、帰国に備えて、スーツケースなどの準備をする必要もあったし、最終の買い物もしたかった。が、そう言うわけにはいかない。二泊したおかげで子供たちとかなり打ち解けてきたし、特に妹のエンマとは初めての対面だったが、笑顔がいっぱいの仲良しになれた。お別れだが子供たちは感傷的にはならず助かった。聞けば、ご主人のガブリエルは、この秋、仕事で東京への来日予定があるそうだ。もし時間が許せば、ぜひ関西へと話した。そして、彼らのおもてなしにお礼を言い、別れを告...ソフィー達にお別れ、またきっと会えるだろう。

  • 予定を変更して結局もう1泊することに・・・。

    ボンマルシェも2019年の春以来だが、ずいぶん高価なものが増えているように見えるのは、円安のせいなのだろう。時間に余裕がなくて、もしかしたら、効率よく見ることもできていなかったのかもしれない。とにかく興味深いものもなく、結局食料品の売り場でソフィーたちへのお土産だけを買って、ボンマルシェを後にした。どうやら、雨が降っていたらしい。ちょうど中にいて、傘を持っていなかった私たちはラッキーだった。メトロに乗り、ソフィー宅の最寄り駅の一つ手前の駅で降りた。そう言えば、この辺りはマルシェが有名らしい。もしかしたら、ずいぶん前に来た事があるのかもしれないが、記憶は定かではない。今回はかなわないが、ゆっくり歩いてみたいところでもあった。ソフィーの最寄り駅に近くなった時、ソフィー宅に向かい歩いていると、ソフィーが前を歩い...予定を変更して結局もう1泊することに・・・。

  • セーヌの左岸を散歩し、リュクサンブール公園へ。

    お昼をごちそうになったのち、ソフィーの提案で、左岸の散歩に行くことになった。もちろん何度か左岸も歩いてはいるが、意外と、右岸に比べると、左岸を歩いたことが少ないような気がする。左岸は、治安もよく、安心して歩けるところが多い。まずは、サンジェルマンデプレへと向かう。自宅からメトロまでの道で、エンマとラファエルは、トロチネットと呼ばれる乗り物を漕いでいたのだが、大人しいラファエルが、すいすい調子よく扱いでいたかと思うと、スピードが出過ぎて、お父さんからおしかりを受けていた。危険と隣り合わせなので「もう、家に帰りなさい」とかなり厳しく注意されていた。彼は坂道をスピードを出したまま下ったのだが、そのくだりの終わりが十字路になっていて左から何かが来ればぶつかるといった状況だった。細い道だったので自動車は来ないけれど...セーヌの左岸を散歩し、リュクサンブール公園へ。

  • エッフェル塔の周りを一周、怪しげな輩が寄ってきても無視

    ソフィー宅で一泊した翌朝、朝食後、エンマは演劇(ダンス?)のお稽古があるとのことで、ガブリエルが送って行った。私たちはソフィーと、ラファエルとともに、エッフェル塔のあたりに散歩に出かけた。ソフィー宅はエッフェル塔までわずか徒歩5分くらいの立地で申し分ない。以前は、東駅の近くに住んでいて、そこのアパートも広くてなかなか良かったのだが、子供たちの学校を考えて引っ越ししたということだった。お父さんのガブリエルがイタリア人、そしてお母さんのソフィーがフランス人なので、国際的な学校を選びたかったようだ。その結果、8歳のラファエルは英語もかなり上手なんだそう。もちろん、イタリア語とフランス語は家庭でも話している。エッフェル塔の周りにはさすがに観光客が多く、コロナ後は予約制だと聞いているが、それでも長蛇の列だった。そし...エッフェル塔の周りを一周、怪しげな輩が寄ってきても無視

  • ラファエルはいいお兄ちゃんに、妹のエンマはお転婆 ウフ!

    本来なら、この日はパリでの貴重なフリーの時間だったので、シャンゼリゼから別の地区などへも行きたかったのだが、マルチーヌから電話が鳴った。彼女はもう帰宅しており、オペラの約束の時間までまだあるという。つまり、私たちの帰りを待っていて、一緒に過ごし、彼女の約束の時間、そして私たちがソフィー宅へ行く時間がほぼ同じくらいなので、一緒に出ようということだった。お世話になるマルチーヌのそう言う気持ちに、やはりこたえなければ、と買い物などの用だけを済ませ、私たちは、またマルチーヌ宅へ向かい、しばし歓談をした。そして、出かける時間になり、お礼を言って、別れた。この時点では、私たちはソフィー宅で一泊した後、明日の遅くとも午後には戻ってくるつもりだった。メトロを1号線から6号線に乗り換え、ソフィーの最寄り駅に着いた。地図でも...ラファエルはいいお兄ちゃんに、妹のエンマはお転婆ウフ!

  • シャンゼリゼで修学旅行できた大阪の高校生に出会う

    シャンゼリゼまではメトロの市役所駅を使うと一本で行ける。目指すサッカーチームのPSGの店が凱旋門に向かって左側に大きな店だったのが,なくなっていた。これは向かって左側にあった店の前↓調べると、どうやら向かって右側に移転したようで、とても小さな店に代わっていた。それどころか、この辺りにあった店が大きく変わり、ロクシタンがシャンゼリゼにできており、その中にマカロンの店まであった。これもオリンピックのためなのだろうか。観光客を意識したお店が多くなった気がした。これは左側にあった店↓ルイヴィトンのトランクはホテルだそう↓そしてまた驚くことが。PSGの店の中には日本人観光客、しかも制服を着た高校生である。言葉から関西の学校であることが分かった。少し言葉を交わし、家族へのお土産のアドバイスももらい、この店を後にした。...シャンゼリゼで修学旅行できた大阪の高校生に出会う

  • ノートル・ダムの修復はフランスの威信をかけて着実に、慎重に行われていた。

    マルチーヌ宅で一泊した後は、朝ご飯を頂き、その後散策に出かけた。マルチーヌ宅はポンピドーセンターに近く(アパルトマンを出るとすぐそこに見える)、メトロランビュトー駅が最寄駅(1分くらい)だが、「Hoteldeville(市役所)」駅や、シャトレ駅も使えるパリの中心地で、本当に素晴らしい立地である。その分「狭いのよ」とマルチーヌは言っていたが、1人暮らしの彼女には十分である。フランス式の6階に住んでいるが、エレベーターもある。(前回はこのエレベーターが修理で使えなかったのだが)まずは市役所↓ということで、ここからは徒歩圏でかなりの観光地に行ける。なかでもノートル・ダムは歩いてすぐだ。ちょうど修復中のノートル・ダムは覆いが取れて、中には入れないが、外の様子はうかがえるということだ。サンルイ島の方へ向かって歩い...ノートル・ダムの修復はフランスの威信をかけて着実に、慎重に行われていた。

  • マレ地区の様子が少し変化、ちょっと残念

    パリのマルチーヌ宅につき、少し休憩して、Wi-Fi環境を確認すると、以前もそうだったが、彼女はとてもこういう面に弱く、あれこれ出して、「これかな」と見せてくれるのだが、結局どれもだめで、買い物に行くついでに、Freeのショップに行くことになった。二人で、彼女の家からリヴォリ通りにある店を目指したが、途中「POPSHOP」と呼ばれる期間限定の店が目についた。最近こういう店が多いらしい。また英語表記の店も増えたそうだ。ここマレ地区で、今まではあまり見なかったスタイルのカフェやショップが増えていて、彼女も言っていたが、私も少し残念に思った。若い人たちの志向なのか、パリオリンピックのためなのかはわからないが、「フランス語」を大切にするフランスが好きなので、こういう傾向はいただけない。今まで通り変わらないお店を見る...マレ地区の様子が少し変化、ちょっと残念

  • フランスのデモは激しい、しかし一方博愛の精神は生きている。

    マルセイユ12時2分発、定刻通りの出発でパリへ。途中、懐かしいTGVアヴィニョン駅を通過。二年前はここでドラマティックな、再会、お見送りを受けたグラブゾンのムッシュはどうしているだろうか。連絡がなかったので、来日はきっとまだ果たせてないのだろう。そんな思いを胸にTGVは、パリへ。マルチーヌが迎えに来ているはずだ。パリ・リヨン駅に。あー、変わらぬ笑顔。ニースのミッシェル夫妻と並ぶ古い友人だ。さて、ここからマルチーヌの家には、2018年にはバスで向かった。大きなスーツケース対策だ。その時はパリリヨン駅の近くに滞在していた時に予め、バス停をチェックしていた。しかし、今回は、主人が覚えていると言ったそのバス停は、2022年図書館夫妻の家に向かったバス停だった。あーあ。マルチーヌは「メトロで」と再三言ったが、バスが...フランスのデモは激しい、しかし一方博愛の精神は生きている。

  • プロバンスでは他の誰よりも、あなたたちと会うことを最優先、それはホント!!。

    マルセイユ最後の朝は、エンマの涙はない。彼女はもちろん、もう私たちがパリへ向かう日であることはわかっている。が、彼女は強い子だ。何もかも理解しているが、感傷的にはならない。それは少し寂しい気もするが、それがエンマだ。ヴィルジニとミッシェルさんがエンマを幼稚園に送っていく。エンマとはここでお別れ。その間に最後の荷物の点検を終えた。パリへ旅立つ準備は完了。彼らが戻ってきて、少し話をした。2022年は2泊3日でお世話になったが、今回は3泊4日。しかし、物価高騰、エンマの世話で、若くない2人の両親は、少し疲れているように見えなくもなかった。ミッシェルさんからは「物価が2年前と変わったことを感じるか」と聞かれ、円安のせいもあるので「もちろん」と言ったら「そうか、やっぱりな。何もかもだよ」と困った表情になった。また2...プロバンスでは他の誰よりも、あなたたちと会うことを最優先、それはホント!!。

  • エンマが泣いている。なんとかしなくっちゃ!

    スーパーに寄った後、もう一か所ファーマシーのような格安店にも寄ったが、ここでもまたレジに並んでいると、日本人だとわかるや否や、日本についていい感想を言ってもらえた。今回の旅行中、本当にこういうことが多く、ありがたい限りである。ここ20年ほどフランス人とお付き合いしているが、年々日本の好感度が上がり続けてきたが、最近は顕著にそれを感じる。エンマ嬢はこういう買い物のお付き合いが多いと、退屈でつまらなさそうだったので、帰宅後はまた主人がプールにお付き合いすることにした。やはりこの子の笑顔が見たい。キャッキャッと歓声を上げてプール遊びしてくれた。楽しんでもらえてよかった。今夜の最後の夕食は、料理上手のおばあちゃん直伝だというポワロ―ねぎのタルトだった。これは本当に美味しかった。一応レシピも聞いたが、ポワロ―ねぎ、...エンマが泣いている。なんとかしなくっちゃ!

  • エンマの買い物ごっこ

    このあとは、少し大きなマルシェへと向かった。ここでのエンマの行動が面白かった。彼女は退屈だったのだろう。試食用に置いてあるいちごをつまんで食べたり、ヴィルジニにビニール袋をもらいに行き、サクランボも味見をしては袋に入れいた。大人のように買い物ごっこをしているわけだ。レジ精算時に「ごめんなさいね。娘が勝手に取ったのよ」と袋を返そうとしたら、男の店員さんは「プレゼントだよ」というではないか。こんなかわいい子の買い物ごっこをどうこう言う無粋なことは全くない。エンマが袋に入れた量も大したこともないし。まあ、これくらいのおおらかさ?はフランス人なら誰でもあるはずだ。このケースと反対に、フランスではいい大人が試供品ではない化粧品やクリームなどを勝手に使い?減っていたりすることもあるようだ。これはいただけない。フランス...エンマの買い物ごっこ

  • レストランはオーナーが変わり、料理の味まで変わっていた。

    さて、マルセイユ最終日。最初の予定では、小さな村を訪問するとかと言っていたのだが、急遽予定変更になったようで、まずエンマのバレエレッスンの送迎から始まった。私たちもそう言う光景も見てみたかったし、小さな村はまたの機会もあるだろうと思い、快諾した。エンマのレッスン中に少し小さなスーパーに買い物に行った。ここで、日本の「あられ」のようなお菓子を見た。初めてこういう甘くない日本のお菓子をフランスで見たのだが、そのくらい日本のお菓子も人気が出てきているということだ。直訳すると「日本ミックス」という名前がついている。↑このレジで並んでいるときも、目と目が合ったお客さんと話し、日本から来たというと、にっこりして「いい国だわ。私も行った事があるのよ。」と日本と日本人に好感を持っていてくれることをはっきり感じた。そしてエ...レストランはオーナーが変わり、料理の味まで変わっていた。

  • ソフィアローレン風に唇を厚くする子が増えているのだそうな

    ランチに選んだ店は、アジアの料理の店でヴィルジニも時々食べに来る事があるという店だった。彼女はタイ料理を選んでいた。私は普通なら日本料理を選ぶことはないのだが、お腹にやさしいだろうと、お寿司を選んだ。フランスで食べた事があるお寿司は、友人たちと行った同じようなアジア料理や中華系のビュッフェスタイルの中での一品として、またスーパーで売られているものや、空港でだが、今まで食べたことがある中では、一番お寿司らしかった。もちろん日本人が作ったものではない。何よりお店の人の接客もよかった。このお店はビジネスマンたちも多く訪れていて、その様子がうかがえるのも興味深かった。さてお腹が膨れて、ちょうどこの建物の向かいにも大型の複合商業施設があって、そこへ向かって歩くことになった。そこでは海の景色も楽しめるそうだ。その中に...ソフィアローレン風に唇を厚くする子が増えているのだそうな

  • 「モンテ・クリスト伯」つまり「巌窟王」で有名なイフ島とはこれだ!

    前夜お腹が苦しいまま、床に就き、一時は朝起きても体調が悪かったら、臥せっていることになるかもしれないと思ったが、朝起きたら薬も効いたのか、すっかり回復していた。起きてみると、エンマはすでに幼稚園に行っていなかった。今日は、ヴィルジニが船に乗せてくれるらしい。短い距離とは言え、地中海で船に乗るのは初めてのことだ。ミッシェルさんの車で、Lepointrouge(ルージュ港)というところまで送ってもらい、そこからマルセイユの旧港へと向かう。着いたらまだ誰もいず、もしかしたら私達だけ?と思ったが、出発時間が近くなるとどこからともなく人々がやってきて、そこそこの人数になった。自分の船を操縦するミッシェルさん曰く、「船に乗れるかどうかは、あらかじめ決められない。海の状態(つまり天候によるところが大きい)が決めることだ...「モンテ・クリスト伯」つまり「巌窟王」で有名なイフ島とはこれだ!

  • 幼稚園から出てきたエンマは、ちょっと照れ気味

    さあ、エンマのお迎えの時間だ。二年前も何度か行った幼稚園へと向かう。そして、時間。私たちを見つけ、にこっとしたエンマ。嬉しいような恥ずかしいような、というような表情だった。この子は5歳だが、天真爛漫な中に、少し大人びたところがあるように見えるのは、その利発さゆえかもしれない。とにかく父親のミッシェルさんはメロメロのようだ。「この子はいたずらっこなんだよ」と滞在中もよく言っていた。つまり父親に上手に甘えて?意のままに動かして?いたりもするのだ。エンマは、私たちが知っている彼女の曽祖母さんと性格がそっくりだとヴィルジニは言うのである。この曽祖母さんのことも書き出したらいっぱい書けるが、この旅行記から外れてしまうので、それはまたの機会にしよう。帰宅後、彼女の希望通り、プール遊びに早速夫はお付き合いすることになっ...幼稚園から出てきたエンマは、ちょっと照れ気味

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