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2020/12/21

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  • 元気になってきたので、思い切って2回目のPCR検査に賭けることに!!!

    優しく迎えられたことで、心も温かくなった私たちは、小児科医のアドバイスにより、2回目のPCR検査にかけてみようと決めた。それは水曜日(昨日)の夜だった。PCR検査が可能な日はいつか。帰国便の予約は何日にするか。この時点で可能な最短のフライトは、日曜日の夜便である。そこからPCR検査をさかのぼると、木曜日は72時間以内にはならない。金曜日は祝日にあたっており、ラボは休みである。PCR検査を受けるのは、土曜日の午前中しかなく、結果を日曜日の朝にもらえれば、夕方の帰国便に間に合う。イチかバチか、本当に賭けだった。帰国便の予約をリヨンの日仏夫妻に頼むことにした。慎重になった方がいいのは百も承知で、日本人のご主人は何度も「大丈夫か」と念を押した。私達の固い気持ちを伝えると、予約を承諾してくれた。次はPCR検査の予約...元気になってきたので、思い切って2回目のPCR検査に賭けることに!!!

  • 救いの神様ニコルとジャッキーに迎えられた。

    小児科医の家の呼び鈴を鳴らすと、下りて来てくれたのは、診察中のジャッキーに代わり、奥さんのニコルだった。大きなスーツケースを見て、「それはジャッキーに(上にあげてもらおう)ね」と言ったが、一番大きいのは上まで上げる必要もないと伝えた。以前は、サロンから廊下を歩き、トイレや洗面所のある方の部屋(二部屋)を使わせてもらった。孫の面倒を見るときに便利なのでと、最近は彼らがその二部屋を使っているようで、今回はサロンの奥にあるリビングの方にある(やはりこれもメゾネットなのか)、階段を上がったところ(3階)の部屋に案内された。トイレは2階の共同なので下に降りる必要があるが、小さな部屋ながらバスタブや洗面台もあるし、シャワーや洗面には便利だ。ここで、とりあえず4泊はさせてもらえそうだ。本当にありがたいことだ。食堂の下に...救いの神様ニコルとジャッキーに迎えられた。

  • キッチン付きのホテルのフロントの呼んだタクシーの顛末。

    さて、今日はこのホテルでの自主的?隔離生活を終え、パリ環状道路のわずか外のクリシーに移動する日だ。いつものように向かいのパン屋にパンを買いに行き、荷物をまとめた。この日は水曜日で、小児科医は診察日で迎えに行けないということで、タクシーの手配をフロントに頼んだ。これが、大変だった。まず時間通りには来られないとフロントがいってきた。そして、しばらくしたのち、ホテル前までは来られないので、この場所で待っているようにというメモを持ってきた。言われた通りの場所で待つこと15分、来ない!!!!フロントに私だけ戻り、「来ない」というと、フロントの女性もその場所まで出てきてくれたが、最終的に「大通りまで出て、別のタクシーを拾って」というではないか。「流しのタクシーが拾えるのか」と聞いたら、「拾える」という。このたくさんの...キッチン付きのホテルのフロントの呼んだタクシーの顛末。

  • 二回目の抗原テストで陰性に!!

    3日目は、朝パンを買いに行った。目の前にあるパン屋はかなり美味しいパン屋でデザートもほしくなるくらいだ。目の前の広場は夜中によからぬ若者が集まったりするようで、警察官が長いこと尋問をしているのが窓からうかがえた。一息ついたころ、ジャンルイさんがまた自転車でやってきた。ジャンルイさんは寒くても自転車だ。このホテルはロビーでコーヒーやココアなども無料のサービスがあり、来客者も同じように飲むことができた。そしてジャンルイさんは私たちの様子を見て安心して帰っていった。午後は、すぐ近くのイザベル宅へスーツケースを引き取りに行った。彼女もこの状況でも、とても温かく迎えてくれた一人であった。もちろん彼女にもコロナをうつしている可能性があるので気になっていたが、大丈夫だったのでほっとした。あとはアンジェルにも確認したが、...二回目の抗原テストで陰性に!!

  • エリックもパトリックも家に来ていいよと言ってくれた。

    キッチン付きのホテルでの、1日目は移動と今後の可能性について調べたり友人と連絡を取ることと夕食の買い出しで終わった。翌2日目は、大使館に月曜日に確認のため、電話をしたところ、フランスの日本大使館は月曜日の朝に時間通りにかけても、「就業時間外」というアナウンスが流れ、大使館もフランス流なのだと驚いた。大使館には帰国便のチケットのコピーをメールで送らなければならない。しかし、水曜、金曜、日曜しかANA便はない。今日が月曜日。メールを送って領事レターを受け取るのにどのくらいの日数がかかるのか、見当がつかない。送ったらすぐに見てくれるのだろうか。電話をかけても営業時間通りに電話に出ないことからして、数日かかることも考慮に入れておく必要があった。水曜・金曜はまず無理だろう。日曜日の便とて、確実ではない。するとやはり...エリックもパトリックも家に来ていいよと言ってくれた。

  • 1回目のPCR検査後あれこれあったが、天の救いが現れた。

    PCR検査で陽性がわかったその翌日、私たちはホテルのチェックアウトをする。マリーアンジュには、彼女がネットで今のホテル2泊分を彼女の支払いで予約を入れているので(部屋は私の名前)、お金は現金で彼女にすでに支払い済みだったが、フロントに領収書を書いてもらえるよう交渉してほしいと頼み、うまくいった。チェックアウトも済み、バスに乗って、パリの中心部にあるホテルへと移動した。しょぼいホテルは2泊で切り上げ、自分で見つけたホテルに移動した。あー、本来なら帰国の予定だったのに、などと思う気持ちには、まったくならなかった。が、屋根裏部屋のような部屋から小さいながらキッチンもある少し広い部屋になり、落ち着いた。しかもスーツケースを置かせてもらっているイザベル宅とは目と鼻の先だった。本来なら昨日スーツケースを取りに行き、小...1回目のPCR検査後あれこれあったが、天の救いが現れた。

  • PCR検査も陽性!!!

    今日はPCR検査の結果がわかる日。お昼ごろかと思いきや、日付が変わった時点で、メールが送られてきていた。朝起きてすぐ、ドキドキしながら、開いた。「Positive!」え?何度見ても、ポジティブ、つまり陽性だった。愕然としている暇はない。すぐにブリジットに連絡を入れた。ブリジットとは何度かやりとりをして、どうにかご主人が見つけ出してくれた日本のANAの番号(ナビダイヤルでないもの)。彼によると、2台のパソコンを並べて調べて、やっと見つかった番号だったそうで、スマホの画面では至難の業だろうということだった。日本との時差があるので、0時を回ったところから電話してもらい、つながったところで、いろいろ質問してもらっていた。万一予定の便に陽性で乗れなかった場合、変更が可能だと言うことだった。そしてありがたいことにこの...PCR検査も陽性!!!

  • 非常時に備えたこと

    万一明日の結果が陽性だったことに備え、あちこちに連絡した。ANAへ帰国便の変更の可否を尋ねようとしても、日本の電話番号はナビダイヤルしか見つからない。さらにパリ支店は、この時閉鎖されていたのか、連絡先にかけてもつながらなかった。さあ、どうする?この時、頭に浮かんだのはヴィルジニ。彼女は、渡仏前のTGV予約でシステムエラーによる二重請求にも交渉してくれた。そして連絡を入れた。彼女はこの日の朝、お母さんと永遠のお別れをし、見送ったばかりだったらしい。そんな大変な時にもかかわらず「友達だから」と電話番号を探してくれた。他にも何人かの友人に連絡をした。マルチーヌは私が訪問した前日陽性の友人とランチをしているので、まず確認をした。彼女は何ともなかく、とりあえずほっとした。クリスチーヌから連絡があったので、今の状態を...非常時に備えたこと

  • PCR検査に行き、移動したホテルはなんだかみじめな感じ・・・・

    さて、次の日、今日はPCRテストの日である。一駅離れた駅のそばにあるラボで受けるのだが、ほぼ直線で2kmくらいなので、歩いていくことにした。今日も寒く少し雨混じりである。ドキドキしながら受付を済ませ、順番を待っているとほどなくして名前を呼ばれた。女性の先生だった。明後日のフライトで帰国のため、明日中に結果が知りたい旨も伝えた。「たぶん(間に合う)ね」といういかにもフランス的な答えだった。時間の予約をしたとき何も考えていなかったのだが、ギリギリ午前中にしておいたため、翌日に結果がわかることになった。もしこれが午後の検査だったら、翌日の午後、つまりラボは翌日午後は休業で、結果はスマホで見ることができても、陰性証明をもらうことはできなかった。まだ、運に見放されていないと思えた。ラボから戻ってきて、まず荷物をかた...PCR検査に行き、移動したホテルはなんだかみじめな感じ・・・・

  • 留守宅に夜訪ねてきた隣人の真意はいかに?

    抗原テストで陽性になった翌日は、ほぼ一日中、留守宅を出ることなく過ごしていたので、この日はもちろん写真もなしという珍しい日になった。ただフランソワーズからはPCR検査を予約の確認などの電話があったり、リヨンの日仏夫妻から「いつ帰国するんだっけ?」と連絡が来たので、予定通り帰国できない可能性があることを伝えなければならず、メールのやり取りをしていた。この日、夕方隣人がベルを押した。出てみると、マリーアンジュに頼まれて買った魚を冷蔵庫の中に入れておいてほしいと言うことだった。何となく不思議なできごとで、よく考えると、電話で体調を伝えていたが、信用できないと思った?フランソワーズあたりが、私たちの様子を見に行くように隣人に頼んだようにも思えないこともない。マスクをつけて現れた隣人は、距離を取るようにそっと魚を渡...留守宅に夜訪ねてきた隣人の真意はいかに?

  • 抗原検査が陽性!?

    今日、明日は特に予定がなかった。(帰国前に無理をしないようにと元々予定を入れていなかった)朝ごはんに、アンジェルにお土産としていただいたトリュフ入りのリゾット↓しかし、まず、午前中に図書館宅へ行き、荷物を引き取らなければならなかった。延長して置かせてもらえればいいのだが、だめだった場合は?今借りている留守宅はエレベーターなしの6階なので、さてどうしたものか。昨日ランチに行った絵描きのママのイザベルに聞いてみることにした。すると彼女は、荷物を預かることを快諾してくれた。図書館夫妻のところへ行き、一応スーツケースだけでもあと2日間置かせてもらえないか聞いてみたが、もう明日にはシノンへ出発すると言うので、無理だった。奥さんはご主人に「車で送ってあげたらどうか」と言ってくれていたが、ここパリでも駐車が最近難しくな...抗原検査が陽性!?

  • 絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワ達とランチした。

    今日は、ブリジットさんにお土産でもらったリヨンのパン(プラリネルージュという赤いプラリネ入りのブリオッシュ)を朝ごはんに食べる。そして、フランスではお墓参りの日で、留守宅の近くのペールラシェーズには、たくさんの有名人も多く眠っており、多くの人が花を手向けにやってくるらしい。ブリジットさんが、「きれいな花に囲まれたお墓は一見の価値アリ」と勧めてくれていたので、行きたかった。が、この時、私は蕁麻疹と頭痛は収まっていたが、無理が続いていたことで、まだ体調があまりよくなく、家で休むことにした。連れ合いは散歩がてらペールラシェーズへ出かけて行った。この日も絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワたちとのランチの予定が待っていた。完全に私の確認ミスで、待ち合わせの時間を30分間違えており、しかもまたバスで行こうと...絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワ達とランチした。

  • 図書館夫妻ダウン、そしてアンジェルと夕食

    そして、図書館夫妻の家に荷物を少し入れ換えに戻った。が、私達の心はすでにマリーアンジュの留守宅を借り続けようと決まっていた。そこで目にしたのが、図書館夫妻のマスク姿だった。ムッシュはこの日の前日熱があり、1日中臥せっていたという。奥さんの咳もよくなっていない。それでもコロナではないと言うのだ。マリーアンジュの留守宅を借りているので、明日も留守宅で泊まれる(本来は図書館宅で一泊する予定だった)ことを話すと、「そうしてもらえるのであれば、ありがたい」と二人は言った。そして、私たちは、またマリーアンジュの留守宅へ戻った。今度は痒みがお腹に来ていたので、また蕁麻疹の薬を飲んだ。これも2019年の時は一回飲んですぐに効き、その後はなんともなかったのに今回は違った。そして今夜の約束、アンジェルとの夕食の店へ向かった。...図書館夫妻ダウン、そしてアンジェルと夕食

  • コロナのロックダウン中に建てたと言う「茶室と称する小屋」

    目が覚めるとなんと10時だった!!今から考えると相当疲れていたのだと思う。途中また痒みで目が覚め、蕁麻疹の薬を飲んだせいもあるだろう。今度は痒みが広がり、足に来ていたので、2019年のクリスマスの時の蕁麻疹を思い出し、早めに薬を飲むことにしたのだ。持ってきた薬がここにきてフル回転だ。パトリックは朝から用を済ませ、一緒に骨董市に行こうと言ってくれていたのに、骨董市にはもういけなかった。遅い朝食を取った後、散歩に出かけることになった。ルイ14世が「避暑地」に使っていたというところだそうで、広大な公園になっていた。(マルリー庭園)革命のせいかもう建物はなく、大きな池が残っていた。このあたりに第一夫人以下のずっと奥さん方の建物が並んでいたのだよというような説明を受け、その権力大きさ改めてびっくりした。この日もまだ...コロナのロックダウン中に建てたと言う「茶室と称する小屋」

  • 留守宅で一夜を過ごし、目覚めると、体調不良?。

    マリーアンジュの留守宅での一夜。しかし、ここで問題だったのが、布団である。もともと使わせてもらう予定はなかったので、マリーアンジュたちも来客の用意は当然ながらしなかった。よって、布団もどこにあるかわからなかった。聞けば教えてくれたであろうが、疲れていたし、この日まで暖かかったこともあり、子供用の薄い布団1枚で寝たのだが、明け方からの急な冷え込みがあり、寒さで眠れず、もちろん暖房もわからず、睡眠不足で床から出ることになった。案の定、のどの調子もおかしい。早めにと、葛根湯を飲んだ。そして、外の寒さにおじけづき、持っているもので朝をしのごうとしたが、やっぱり以前行った事があるパン屋まで行くことにした。今日はサンジェルマンアンレー夫妻のところへ行き、一泊する。体調はあまりよくなかったが、2019年の春も、シャンパ...留守宅で一夜を過ごし、目覚めると、体調不良?。

  • えっ!?陽性の人とランチ?マルチーヌからの知らせ・・

    図書館宅で2泊した朝、今日はマルチーヌ宅へ行く日だ。が、その時、マルチーヌから連絡が入った。「実は、昨日友人数人とランチをした。その中の一人がコロナで陽性だと後でわかった。私は非常に怒っている。すでにランチの前に検査を受けていて陽性の可能性があったのに、結果を知る前にランチに来るなんて。」と。また「私はあなたたちと会いたい、でもあなたたちにどういえばいいのか、」と。私達は考えた。マルチーヌは勇気がある、黙っていることも可能だったのに、正直に言ってくれたことにまず感謝した。そこで考えた末にこのような決断をし、返事を入れた。マルチーヌに風邪のような症状がないなら、会いに行こう。窓は開けてもらい、マスクをして会えばいい。しかし、泊まることは遠慮したい。と。それから、マリーアンジュの留守宅を借りたいと申し入れた。...えっ!?陽性の人とランチ?マルチーヌからの知らせ・・

  • 少しがっかりのサマリテーヌ、BHVのレストランのバルコンで高所恐怖症と戦った。

    ランチの後、懐かしいサマリテーヌへと向かった。2003年に初個人旅行で来た時、セーヌ川に沿って歩いていてふらっと入って、またそれも偶然に屋上に上りたくなり、上がったところ絶景が広がったのだ。帰国後、パリに詳しい知人が、「サマリテーヌからの眺めがいい」と言ったので、偶然とはいえ、われながらいい思い付きだったと、嬉しくなったのだ。そこで今回もその眺めをと思っていたのだが、残念ながら途中からはホテルになっていて、ホテル専用らしく、上がることはできず、とても残念だった。デパート?のようないくつかの階は高級品ばかり売っていて、ただ内装などを見るだけで、サマリテーヌを後にした。少し期待外れのサマリテーヌのあとは、やはり眺望をと思い向かったのは、BHV。(スーパーとデパートの間くらいの店)ここは何度も来た事があるが、目...少しがっかりのサマリテーヌ、BHVのレストランのバルコンで高所恐怖症と戦った。

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