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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育] https://blog.goo.ne.jp/tsuguchan4497

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

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2020/12/12

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  • [Ⅴ270] 泣きべそ聖書(30) / さらば友よ愛する者たちよ!

    ◎イザヤがまだ中庭を出ないうちに主の言葉が彼に臨んだ「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」。(列王紀下:20:4-6)南王国ユダの王ヒゼキヤはその敬虔のゆえに際立っており、また古い伝統と教えを愛した。ヒゼキヤは反アッシリアの立場を貫いた。アッシリアのユダ侵入の直前にヒゼキヤは重い病気になった。ヒゼキヤは預言者イザヤに預言を乞うた。イザヤは主は日影を十度進むか十度退くかの...[Ⅴ270]泣きべそ聖書(30)/さらば友よ愛する者たちよ!

  • [Ⅴ269] 泣きべそ聖書(29) / なみだの中になむあみだ佛(5)

    鑑三翁には心を通わせお互いに信頼関係を保ってきた仏教家たちがいた。数は少ない。彼らはキリスト教の数多の教会の牧師たちよりも、欧米から日本に派遣されていた数多の宣教師たちよりも、はるかに精神性や宗教的心性において優れている者も多かったと述懐している。そして宗教的心性の堅固さと精神性の高さにおいて、歴史的な仏教家を高く評価している。次の鑑三翁の一文などもその一つであろう。【疎石禅師の言に曰く「我身を忘れて衆生を利益する心を起せば、大悲内に薫し、仏心と冥合す、故に一身の為めとて修せずと雖も、無辺の善根自(おのずか)ら円満す、みづからの為めとて仏道を求めざれども、仏道速かに成就す」と、以て直に之を基督教に適用するを得べし。】(全集20、p.67)即ち夢窓疎石(注:1275-1351、鎌倉時代末から室町時代初期にか...[Ⅴ269]泣きべそ聖書(29)/なみだの中になむあみだ佛(5)

  • [Ⅴ268] 泣きべそ聖書(28) / なみだの中になむあみだ佛(4)

    柳は心に浮かんだ上人のとある一日を次のように”活写”している(p.56)。柳が上人の傍らに居り記録したかのようだ。故郷甲州丸畑村に一時立ち寄った時の”記録”である。【松材を以て小さな草庵を上人のために造ったのは、丸畑向(むかわ)にある本家、即ち彼の兄の家の裏手であったようである。今日は残っておらぬ。愈々この大業に着手したのは寛政十三(1801・84歳)年三月六日のことであった。遂に成就したのがその年の十一月晦日であるから、要した月日は九ヶ月弱である。この間に彼は八十八個の仏を刻んだ。平均すれば三日に一個の割合である。或ものは実に僅か一日の中に作られている。丈凡そ二尺二三寸の仏軀を彼はどうしてかくも迅速に作り得たか。彼は既に年老いて八十四歳である。然るに彼の努力彼の精力は驚くべきものであった。昼となく夜とな...[Ⅴ268]泣きべそ聖書(28)/なみだの中になむあみだ佛(4)

  • [Ⅴ267] 泣きべそ聖書(27) / なみだの中になむあみだ佛(3)

    【彼の大願の一つは千体仏の彫像であって、廻国の途次有縁の各地にその作を遺し又堂宇を建てた。齢九十を越え遂に満願となり、更に二千体の念願へと進んだ。彼の故郷甲州はもとより、北海道、信越、東海、近畿、山陰、山陽、四国、九州、何処にも彼の刀跡が遺る。今丹波に見出される十六羅漢を始め、釈迦、阿難、迦葉の三聖等、皆千体仏中の一部である。彼の留錫した個所で彼の仏像を有たない所とてはない。彼の長生きと彼の精勤とは、真に夥しい数を産んだ。どんな彫刻家も彼程多作ではあり得ないであろう。巡錫の途次彼は至る所で「加持を修し、衆生の病苦を救」うた。奇蹟の数々が行われたことは口碑や記録のあかしする所である。「遠くより風に趨(はし)る者或は三百或は五百‥‥當村往古より以来(このかた)、是の如き盛事未だ嘗(かつ)て傳へ聞かず」と仏海は...[Ⅴ267]泣きべそ聖書(27)/なみだの中になむあみだ佛(3)

  • [Ⅴ266] 泣きべそ聖書(26) / なみだの中になむあみだ佛(2)   

    「縁起」とは仏教用語で”他との関係が縁となって生起する”ことを意味する。柳が木喰上人の木仏との「縁起」はこのようなものだ‥‥柳は朝鮮の陶磁器を見るために甲州の旅に出かけた、ある日焼き物を拝見するために知人を訪ねる、焼き物を見るために二躰の仏像の前を通り過ぎた、この仏像は暗い庫の前に置かれてあった、その時彼の視線はこの仏像に触れ即座に心を奪われた、それは地蔵菩薩と無量寿如来、「その口許に漂う微笑は私を限りなく引きつけました。尋常な作者ではない。異数な宗教的体験がなくば、かかるものは刻み得ないー私の直覚はそう断定せざるを得ませんでした。」(前掲書、p.16)大正12(1923)年1月のことだった。柳は知人からこの内の一躰を贈られ、その日から柳はその仏と一緒に暮らすことになる。知人を通したやりとりの中で、この木...[Ⅴ266]泣きべそ聖書(26)/なみだの中になむあみだ佛(2)  

  • [Ⅴ265] 泣きべそ聖書(25) / なみだの中になむあみだ佛(1)

    ◎涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。(詩篇125:5-6)ダビデの「都もうでの歌」の一節。ダビデはユダ族でベツレヘムに住むエッサイの子で羊飼いだった。ダビデは血色が良く目が美しく体格も良く、琴が上手で戦士であり勇士だった。初代イスラエル王国の王サウルはダビデを重用した。ある時イスラエルを侵略しようとしていたペリシテの巨人ゴリアテを石投げの一発で倒し、サウル軍の最高位の位階を得た。ところがサウル王は次第に評価の高まるダビデをねたむようになり、ダビデが王位を奪うのではないかと心配し始めた。ダビデはサウル軍に追われ一旦は荒野に逃げ放浪したが、サウル王の子ヨナタンはダビデを愛し彼を助けた。ダビデのもとには次第に兵士が集ま...[Ⅴ265]泣きべそ聖書(25)/なみだの中になむあみだ佛(1)

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