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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育] https://blog.goo.ne.jp/tsuguchan4497

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

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2020/12/12

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  • [Ⅴ264] 泣きべそ聖書(24) / 私の中のあなたへの涙

    ◎わたしは、あなたの涙をおぼえており、あなたに会って喜びで満たされたいと、切に願っている。(テモテヘの第二の手紙1:4)テモテは20歳頃からパウロの伝道旅行に同行し伝道に当たった。パウロが宣教の場を去った後にもその場に居残り宣教を続けたり、パウロの代理または使者としてマケドニアやその他各地に派遣され、重要な任務と役割を果たした人物である。またパウロの手紙のうち6つにおいてテモテは共同執筆者として名前が記されている。パウロからテモテに出された手紙には、彼がパウロの代理として小アジアの教会で責任ある働きをしていることに謝意が表されている。テモテは若かったのでそれを意識させながら成長するよう促している。パウロの殉教後もテモテは忠実に使命を果たし続け、エペソ教会の初代監督として選ばれた。ドミティアヌス帝の迫害で殉...[Ⅴ264]泣きべそ聖書(24)/私の中のあなたへの涙

  • [Ⅴ263] 泣きべそ聖書(23) / 認知症の妻がひとり流す涙

    ◎これは夜もすがらいたく泣き悲しみ、そのほおには涙が流れている。そのすべての愛する者のうちには、これを慰める者はひとりもなく、そのすべての友はこれにそむいて、その敵となった。(哀歌1:2)預言者エレミヤの嘆きはとまらない。かつての華やかな時を思い起こす。「ああ、むかしは、民の満ちみちていたこの都、国々の民のうちで大いなる者であったこの町、今は寂しいさまで坐し、やもめのようになった。もろもろの町のうちで女王であった者、今は奴隷となった。」(哀歌1:1)エレミヤの書記はユダの捕囚は70年にわたると言うエレミヤの預言を記した。エレミヤは民から迫害され受け入れられないなかで、エルサレムの滅亡を神の言葉として語り続けた。だがエレミヤも一人の人間だ。預言者の職にあってなおユダの民の人間としての苦しみと悲しみに対する深...[Ⅴ263]泣きべそ聖書(23)/認知症の妻がひとり流す涙

  • [Ⅴ262] 泣きべそ聖書(22) /  彼女はそこにいる! そこに!   

    ◎このために、わたしは泣き悲しみ、わたしの目は涙であふれる。わたしを慰める者、わたしを勇気づける者がわたしから遠く離れたからである。(哀歌1:16)聖都エルサレムは神の都であったのに、イスラエルの民の不誠実と背信のために神の裁きによりバビロンのネブカドネザルによって破壊されてしまった。そして南王国ユダは滅亡し、その民は娘たちも子どもたちも捕囚としてバビロンに引かれて行った。これを嘆き預言者エレミヤは坐して泣き「哀歌」を編纂した。「哀歌」には涙の詩に満ちている。神はエレミヤの知る勇士たちを無視し、聖会でエレミヤを責め、若い者たちを打ち滅ぼし、酒舟を踏むようにユダの娘たちを踏みつけた。バビロンの者たちはイスラエルの財宝をことごとく奪い、異邦人が入る事を許されていない公会の聖所に侵入して勝手に振舞った。イスラエ...[Ⅴ262]泣きべそ聖書(22)/ 彼女はそこにいる!そこに!   

  • [Ⅴ261] 泣きべそ聖書(21) / とらねこの初めての涙  

    ◎御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう。(ヨハネの黙示録7:17)黙示録の著者ヨハネは、世界の終わりの時の幻視を見た。「神が、すぐにも起こるべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。」(1:1)終わりの時は近づいている。その時に起こる事をヨハネは記した。「見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に」立った。神は言う‥彼らは大きな患難を通ってきた人たちで、その衣を小羊の血で洗い白くしたのだ、と。彼らはもはや飢えることもなく渇くこ...[Ⅴ261]泣きべそ聖書(21)/とらねこの初めての涙 

  • [Ⅴ260] 泣きべそ聖書(20) / 落涙のゆくえ‥  

    ◎人の子よ、見よ、わたしは、にわかにあなたの目の喜ぶ者を取り去る。嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。(エゼキエル書24:16)ユダヤ人の捕囚としてバビロンに連行されたエゼキエルは、バビロンで預言者として召された。多くの捕囚の者たちはエゼキエルのもとに集まり、神への信仰を捨てないようにエルサレムに帰還する希望を持つように、聖書中心の信仰生活の指導を受けていた。そんなさ中に神はエゼキエルの妻を天に召したのである。上記はその事を告げた神の言葉である。神の言葉はこう続いた(24章17節以後)。『「声をたてずに嘆け。死人のために嘆き悲しむな。ずきんをかぶり、足にくつをはけ。口をおおうな。嘆きのパンを食べるな」。朝のうちに、わたしは人々に語ったが、夕べには、わたしの妻は死んだ。翌朝わたしは命じ...[Ⅴ260]泣きべそ聖書(20)/落涙のゆくえ‥ 

  • [Ⅴ259] 泣きべそ聖書(19) / 梅花よ神よ、人間の愚を赦し給え

    ◎わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。(ピリピ人への手紙3:18)パウロは今は獄につながれている。熱心に布教したピリピの町は無事だろうか。パウロは第二次伝道の折にピリピに立ち寄った。この町はローマ人が多く住んでいてユダヤの民は少なかった。会堂はなかったのでパウロは安息日になると町の門を出て川岸に行き、そこで集まった女たちにキリストの話をした。ピリピの人たちは家族的で多くの女性たちによって福音活動が支えられていた。しかし一方ピリピでは、偽指導者たちがキリストへの信仰よりも知識/認識に重きを置いた教義を唱え、福音の本質から外れた教えを強調していた。それは十字架の福音に反するものだ。パウロは愛する...[Ⅴ259]泣きべそ聖書(19)/梅花よ神よ、人間の愚を赦し給え

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